コウサカワタルアジアの中の沖縄を描き出す音色


 
沖縄を長く離れていた時期があったが、
音楽を奏でると自分の中に沖縄音楽のリズムが根付いていることに気づくという。
 
「例えばジャズとかスイングをやると、
音のはねかたがエイサーになるんですよ、僕がやると(笑)。
若い時に沖縄を否定していたことがあって。
だけど、『俺ん中に入っちゃってるじゃん!』って。
自分の中に沖縄を見ちゃった。
小学校でもエイサーやってたからね。
 
そもそも、自分のアイデンティティーを理解することも音楽をやっている理由の一つなわけで、
じゃあ沖縄知らなきゃだめだ、逃げてちゃダメだって。
 
それで、沖縄との関係性に落とし前をつけるために戻ってきたんです。」
 

19世紀後半のイギリスで作られた「シュトローヴィオル」という珍しい楽器。
 

ベトナムの少数民族の弦楽器「クニィ」。糸電話に似た要領で口で音を鳴らす。「ベトナムでも作ってる人はもうあまりいません」
 
– – – 自分たちの文化に自信を持てない風潮に馴染めず、県外へ
 
5歳の時、家族で北海道から沖縄に移住してきました。
沖縄が本土復帰して7~8年の頃ですね。
 
最初はなかなか沖縄に馴染めなかったんです。
今でこそ三線や泡盛がはやってるし、
「ゴーヤー」って言っても本土の人にも通じるけど、
当時の沖縄の人は方言をしゃべっても三線ひいても「恥ずかしい」と思うような時代で、
周りのおじさんたちは泡盛じゃなくてウィスキーを飲んでました。
地元の人が自分たちの文化に自信を持てず、本土に追いつきたいと思っていて、
それなら僕は本土に行った方がいいじゃないかと思ったんです。
それで中学2年生のときに埼玉の学校を受験して、むこうで寮生活していました。
 
卒業後も1年くらい国内をまわってぶらぶらして、
それから1年シンガポールに住んで帰ってきて。
その後も今度は札幌行って住んだり。
転々としていましたね。
 

「どんな音か想像してから聴いてね」。流れてきたのはまるでリードのついた木管楽器のような深みのある音。「『ぴーひゃららー』じゃない、意表をつく音でしょ?まるで笛じゃないみたいで」
 

「鈴の次に簡単な楽器。4歳くらいから上手にならせますよ」という、ベトナムの口琴「ダンモイ」
 
– – – パンク、ロック、レゲエ・・・そして三線へ。
 
音楽は小さい頃から好きでした。
沖縄は暑いから外で遊ぶのがいやで、
家の中でレコードかけて座椅子で寝てるような子供だったんです(笑)。
 
レコードでクラシックを聴いたり、
父が青森出身なので津軽三味線のレコードを聴いたりしていました。
ギターを持って演奏を始めたのは中学生になってから。
 
学校は、中高一貫で自由な校風でした。
中1のときパンクが好きだったのですが、
制服がないので編み上げブーツで登校したり。
 
それからブルースやロックにもハマって。
60~70年代のブリティッシュロックとか結構好きで、あとレゲエとか。
とにかく色んな音楽を聴いてましたね。
そのときそのときで「これいい!」みたいに食いついて、
「俺は一生この音楽でいくぞ~!」って毎回思うんだけど、そんなわけなくて(笑)。
 
レゲエにハマったときに、
「そういえば沖縄って三線あるよな」とふと思い出したんです。
夏休みで沖縄に帰省したとき、
「三線欲しいな」ってポロっと言ったのを母が聞いてて、
次、帰省したら「引き出し開けてごらん」と言われて。
開けたら三線が入ってて、
「おおっ!どうしたの?」
「3年分の誕生日プレゼントよ」
って。
 
それが三線との出会いです。
 

お母さんが買ってくれた三線を今も大事にしている。
 

 

 
– – – 愛しているからこそ憎い、沖縄への想い
 
今思うと俺、沖縄から逃げようと思ってたんだよね。
標準語で育ったし、それが自分の属する世界だと思ってた。
 
だけど休みで帰省すると、当時、家族で喜如嘉に住んでたんですけど海がすごく綺麗で。
一ヶ月ちょっと休みがあるので、弟とかと泳ぎに行くんですよ。
するとやっぱり楽しいわけ。
そうやって好きなところも増えて、でも好きだけで終われない部分もあって。
沖縄の歴史もふまえながらどうやって沖縄との関係性をつくっていこうかなと思っていました。
 
そうそう、「愛憎相半ばする」って感じかもしれない。
実は心から沖縄を愛している。でも、だからこそ憎い、みたいなね。
これまでにアルバムを24枚出しているんですけど、
「沖縄ってなんだろう?」と考えることで出てきた表現だから、
これができたのは沖縄のおかげなんです。
 
今は沖縄を研究するのがとても楽しくて。
台湾やフィリピンとのつながりの中での沖縄だったり、
明や清、オランダとのつながりだったり、
色んな沖縄の側面があって、それらをすべてちゃんと見ていきたいという思いがあります。
 

 
– – – 音楽に言葉は入れたくない
 
楽器の分布などから、地域や民族について類推していくと、
中国大陸南部から台湾に移り、
いつの時期にか台湾から沖縄へと移った人たちがいるんじゃないかと思っていて。
そこからまたフィリピンへ移った人もいるだろうし。
そういうことを思いつくと、それをコンセプトにアルバムを1枚作ったりするんです。
 
まず物語を書くんですね。
1曲につき400字くらいの。
それで4話分の物語をたたんでアルバムに入れたりして。
 
音楽って抽象的なものですよね。
でも言葉は意味を持つ。
音楽は意味を超えたところでの快感でありたいので、
音楽に言葉を入れ込みたくなくて。
だから、意味を感じ取るのではなく、
意味とは違う全存在的な部分を音楽で感じてもらえたら、と思っています。
 
その上でまったく意味がわからないということにならないよう、
言葉で物語を書く、という感じでしょうか。
 

「これはいわゆる『鼻笛』。喉を歌うときの形にして、鼻で吹く」
 

「鼻から出した息を口から出す。言うと難しそうだけど、実際やったら簡単!」
 
– – – 音楽に言葉は入れたくない
 
今、三線をソロ楽器にしていく作業をおこなっています。
弦を増やしてみたり機能を増やしてみたり。
僕は民謡を歌わないので、三線だけの音楽をやりたい。
だけど通常の三線だとどうしても寂しいので、
どうすればソロ楽器としてもっと楽しく弾けるか、ということを考えています。
 
三線に弦を足すと、また楽しいんですよ。
三線ってすごく長い歴史のある楽器で、
日本はそういう「歴史」を変えちゃいけないっていう意識が強いんですね。
 
でも、三味線の弦って本来は絹糸でできているんだけど、
三線の弦はナイロン製。
変えちゃいけないというわりに、意外と産業的になっている部分もあって。
 
僕が作った新しい三線は6弦です。
 
まず、良く知られている6線は複弦の3コースになっています。
これは三線のそれぞれの弦が隣り合って増えたものなので
調弦は低い方からC(ド),C(ド),F(ファ),F(ファ),上のC(上のド),上のC(上のド)となっています。
 
「響三線」と名付けた僕の6線は、
通常の三線の調弦のC(ド),F(ファ),C(上のド)のところにさらに上のF(上のファ)を4番目に足して、低音弦の横の、抱えると上側に来る部分に C と F の金属弦を2本足しています。
これにより通常の奏法で共鳴による余韻が得られ、
しかも金属弦を返す手でつまびくことで、独奏でも合いの手を入れられるのです。
 
もっと三線を楽しんでほしい。
エンターテイメント性を持たせたい。
それだけで楽しめる楽器へと変化させることができたらいいなと思っています。
 

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コウサカさんアレンジによる「てぃんさぐぬ花」を即興で演奏してくれた。
弦を増やした三線で伴奏、メロディを鼻笛で。
 
これが、想像を超えて実に良い。
 
まず、線が増えているので伴奏が華やか。
三線が本来もつ素朴な音色ももちろん素晴らしいが、
6弦が奏でる明朗快活な響きが琉球音階に馴染むし、
沖縄の風土の雰囲気をうまく醸し出している気がする。
 
また、コウサカさんのリズミカルなアレンジは、
ただ愉快なだけじゃない、アジアの多様性を思わせる響き。
アジアの中の沖縄という世界感を、その音色で一瞬で描き出してしまう。
 
エンターテイメント性が一気にあがりますね、と言うと、
 
「でしょう?(笑)
これ、家で一人で弾いてても相当楽しいと思うんだよね」
 
と、楽しげな笑みを見せた。
 

写真・文 中井 雅代

 
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