豊嶋秀樹 meets 宗像堂・前編「場」はどう見えるかではなく、人にどう馴染むか。

豊嶋秀樹
 
宗像堂(関連記事:天然酵母と石窯がうみだす「いのちのパン」)が改装を経て、新たな姿を現したとき、新しさと同時に懐かしさを感じた人はきっと少なくないだろう。
 
確かに変わった。でも、よりいっそう宗像堂らしくなった。
 
そんな変化の仕掛人は、ジャンルの垣根を越えて様々な分野でアート活動やプロデュースを手がける豊嶋秀樹氏。奈良美智氏とのコラボレーション『A to Z』は記憶に新しい。
宗像堂の改装に至る経緯から働き方に対する考え方まで、幅広くお話を伺った。
 

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– – – 改装にかかった材料費はほぼゼロ
 
豊嶋:基本的には、すでにあるものを使って改装をやっていこうっていう方向性で決まって。賃貸している建物だし、それ自体はさわらないで中と外を変えようと。
前の宗像堂の姿を残しつつ、違うかたちに変えようというコンセプトがあったので、改装前に宗像堂で使われてたものを多く利用しています。
床や棚をばらしてテーブルにしたり、パンの出し入れに使用していた道具をテーブルの脚にしたり、そういう断片みたいなのを集めて作ろうって話になって。だから、使っている素材も色も違うし、部屋ごとに雰囲気も全然違う。基本的に店内すべてその考え方で作ったから、材料費はほとんどかかってないですね。
 
宗像:看板がカウンターになってたり、元の宗像堂が随所にちりばめられているんだけど、それがいかにもという風じゃなく、なんとなくわかるくらいでちょうどいいんです。
 
豊嶋秀樹
 
豊嶋秀樹
 
豊嶋秀樹
 
– – – やらなくていいことはやらない。塗り直していない壁も。
 
豊嶋:6月におこなった内装作業は約6日間くらいかけて、壁塗りや床などほとんどを宗像堂のスタッフさんたちに手伝っていただきました。
やらなくていいことはやりたくないというスタンスなので、掃除だけして十分きれいになり、ペンキを塗り直していない壁もあります。
 
宗像:改装後は全然心持ちが違うんですよ、気分がものすごく良い。パン作りをしながら楽しいわけ。前はあんまり感じてなかった楽しさがあるわけよ。スタッフもそうだわけ。
掃除のやり甲斐もあるし、愛着も湧く。すごくいい循環になったと思います。スタッフが店に主体的に関わり、よりよくしていこうと考える良いきっかけになったし、僕自身、どういう店づくりをしていきたいかをスタッフと話せるようになりました。
 
– – – こだわりがないという、こだわり。
 
豊嶋:どういう風にやっていきたいかという点は僕も理解しておかないと、単なる自己表現みたいになっちゃう。宗像堂はあくまでもお店だし、アート作品を創ってほしいと言われているわけでもないから、最初はお話をしっかりと聞くところから始まります。なんでパン屋さん始めたのか、とか色々聞いていくうちに、じゃあこういうやりかたがいいんじゃないかというのがなんとなくわかってくるんですね。
 
宗像:豊嶋くんにヒアリングしてもらいながら、自分と店の全体像を初めて俯瞰できた気がします。宗像堂とはこういう店で、どういう風にパンを味わってもらうか、どう提供していくか、そういうことを自分の中で整理できたというか。
店について理解し、また他のひとにも理解してもらうためにはどうすればいいかということを徹底的にやってくれるので、「自分の作品」というふうには全然考えない人なんです。場にいる人が中心という、ある種こだわりがないというこだわり。そういうスタンスが本当に素晴らしいなと。豊嶋くんに出逢えたことはすごくラッキーだったなあと思っています。
 

豊嶋:僕だけの力では建築の仕事まではできないので、一緒に楽しく働ける建築家を探してほしいとお願いしたところ、「建築意思」の山口博之さんがチームになってくれました。
全体のイメージや方向性を僕ができるだけ出していって、山口さんがそれを現実にするために調整すべき点を設計してくれて。だから今、こうして厨房がちゃんと厨房として機能しているわけです。
山口さんとの仕事は楽しかったですね。一緒にやっていてなんのストレスも感じない。中には「俺は建築家!アーティスト!」的な方もいて、1から10まで自分で管理したいというタイプの方もいらっしゃるんです、それはそれでいいわけですが。人と組んでやる場合は、山口さんのように人とやることを楽しめる人だとやはり楽しいですよね。
 
豊嶋秀樹
 
– – – 宗像堂の主役はパンじゃなく、人。
 
豊嶋:話を聞いてると宗像堂ってパン屋さんだけど、つくり出しているのはパンだけじゃないんだと感じました。パン作りをとりまく色々な出来事や宗像さん一家、パンにひきよせられて集まってくる人たち…。
パンは登場人物にとって大事な小道具にはなっているけれども、宗像堂に集まるひとたち全員でなんかこう、大きな物語みたいなものを作っているんだなーという気がしたので、宗像堂全体をステージに載せるような感じで作っていこうというアイディアが浮かんだんです。建物自体がまるで舞台の上にあるセットのように見えるように。宗像堂という大きなストーリーが見えるような、そういう雰囲気にしたいなーって。
内装は6月に僕の仲間ふたりにも手伝いに来てもらってほぼ終わったので、次はステージづくり。宗像堂のまわりの工事をするんです。石窯のあるところを見てもらえるようになったり、テラス席をもっと増やしたり。
 
舞台というのは抽象的な意味だけでなく、実物も舞台の雰囲気で作ろうと。まあ、明らかに舞台という感じにはならないかも知れないけれど、真ん中に建物があって窯があって、そのまわりを白い砂利やコンクリートでわーっと囲んじゃおうと。基礎の工事は専門家にお願いしないといけないけれど、それ以外はなるべく手づくりでやりたいなと思っています。
 

豊嶋秀樹
 
– – – 出逢った瞬間ピン!と。職業も知らぬまま改装を依頼。
 
豊嶋:宗像さんとの出逢いは確か3年前。僕、それまで沖縄に来たことがなかったんです、きっかけがなくて。僕らの共通の友人んがよく沖縄に来ていて、友だちもいるし遊びに行こうよと誘ってくれたんです。彼が「沖縄の面白い人に会いに行くツアー」みたいなのをくんでくれて、そのときに宗像堂さんにも立ち寄りました。それで宗像さんと初めてお会いして。
 
宗像:最初に会った時、店の階段を降りてくる姿を見て「なんかあるな」ってピンときてたんですよ、実は。でも、そのときはほんと一瞬の滞在だったよね。確かパン買って食べて、「では次行きましょう」みたな感じですぐにいなくなっちゃった。豊嶋くんの職業についても全然知らなくて、きいてもあんまり説明してくれないからわからなかったけど(笑)、それでもすごく興味をひかれたのは覚えています。
 
豊嶋:そのときはそれで終わっちゃったんだけど、それから一年後にまた沖縄に来ることになって。それで、宗像ファミリー含め、みんなで離島に遊びに行くことになったんだよね。与那国馬に乗りに行こうって言って。
その与那国から帰るとき、空港の待合室で宗像さんが「豊嶋くんさぁ、僕今度お店を改装しようって考えてるんだけど、やれない?」というので、「なんでもできますよ」と(笑)。でも僕はプロのインテリアデザイナーとかじゃないので、そういうものを求めているのなら違う人に頼んだ方がいいけど、おもしろ系で良いのであればできることはあると思うし、ぜひお手伝いしたいと言ったら、「どちらかと言えばおもしろ系が良いんだけど」って(笑)。それでお手伝いすることになったんです。
 
宗像:一緒に行った与那国がすごい楽しくて、これはただごとじゃない感じだなーと。その雰囲気がお店に出たらすごく良いなと思ったんですよね。それまで豊嶋くんがやってる仕事のことも全然知らないまま、直感でお願いしたという感じでした。 
宗像堂の店づくりは全部自分たちの手でやっていたので、もろいところは崩れかけていたし、新しく仕切り直したいという気持ちもあった。そういうタイミングだったんです。自分自身の内面の変化もあり、停滞気味な感じもあったので気分を変えたかったんですね。そしてさらに宗像堂を前に進めたかった。
 
豊嶋秀樹
 
– – – 店そのものではなく人にフォーカスした空間づくり。
 
豊嶋:実は僕、これまであまりお店の改装のような仕事はあまりやってきてないんです。以前「graf(グラフ)」という会社をやっていたときには、会社でそういう仕事もいっぱいやってたんですけど、僕はそちらには携わっていなかったから。自分がお店の改装に携わるのは宗像堂さんと、北海道の…。僕、スキーが好きでよく北海道に行くんですけど、そこでいつも訪ねるジャム屋さんの女の子がお店始めるというのでそれを手伝ったり。
あとは、奈良美智さんと一緒に『A to Z』という展示で訪米やヨーロッパをまわっていたとき青山にカフェを作ることになって。でも、その時は作品の流れを意識してつくったので、リアルな店づくりはあんまり経験がないんです。
 
展覧会など空間を作るということは色々な所でやってきたけれど、どちらかというと「場」を作ってるという気持ちがすごく強いんです。どういうものに仕上がっても、人からどう見えてもいい、そこにいる人やそこに集まってくる人、そこで時間を過ごす人たちでその場が馴染んでくればいいなと。
だから、場をつくるときも「はい完成しました、これで頑張ってください」じゃなくて、極力作業に関わってもらう。できるところは自分たちでやるほうがいいと思うんですよ。その人にとっても「この壁私が塗った!」って思えるでしょ(笑)。その気持ちがその後にも結構影響すると思うし。ぱきぱきのお店を作りたいのであれば、そういう人たちがそういう仕事をすればいいと思うけど、僕が関わっている場合はそういうことかなーと思いますね。
 
豊嶋秀樹
 
– – – 僕の仕事は「主婦のカレー」。
 
豊嶋:僕の仕事についてすごく的確な説明をしてくれた方がいるんです。「豊嶋さんがやっているのは主婦のカレーなんだよ」って。国立民族学博物館の仕事をしているとき研究員の方がそうおっしゃって。主婦が作るカレーって毎回同じじゃなくて、その日たまたま冷蔵庫にあるものでぱしっと作るでしょ。それも、カレー粉があったからカレーなっちゃった、みたいな。でも、みんなで楽しく健康的に食べるって言うのが一番の目標だから、別に何カレーでなくても最後はシチューになっちゃっててもいいわけです。でも、おいしくないと楽しくないっていうのはあるんですよね、絶対。ですから、表現方法に縛られず、楽しいと思えることが僕の仕事なのかなと。
でも、これまではカレーができちゃった、というところで終わってたかもしれないけれど。今はそれをみんなで作ってみない? そしてみんなで食べてみようよ、というところまで楽しめるように変わってきた気がしますね。
 
僕は本来アートがすごく好きで会社を始めたのですが、仲間がデザインやってたり料理やってたり大工さんだったり音楽やってたりしていたので、そういうのが全部あるのがいいよねって言ってできたのが graf だったんです。その中にアート部門をつくり、奈良さん始めさまざまなアーティストの方と仕事をして、何年間もアートどっぷり。それはそれで素晴らしい経験でしたし、楽しくて没頭してたのですが、でもそこに自分の暮らしというのがない状態になってしまったんです。ひたすら旅してひたすら創るみたいな感じだったから、もう毎日呑んで(笑)。ないわけ、日常みたいなのが。お祭り屋さんみたいな感じで。
 
年齢の関係かもしれないけど、35歳過ぎてくるとなんかこう…ベクトルの方向が変わってきた感じでした。
でも僕、全然こだわってないんで、どっちに行こうとかまったくないんで、くらげ的に漂ってるだけなんです。たまに「ひゅっ、ひゅっ」ってやるけど(笑)。
 
豊嶋秀樹
 
宗像:その「ひゅっひゅっ」が宗像堂だったり?
 
豊嶋:そうそう(笑)。こっちになんかありそうだなーって「ひゅっ、ひゅっ」とやるけど、行き着くかどうかはわからない。基本は流されてるだけなんですよ。環境や状況、出逢った人たちによって行き着く先が変わる。こうしたいというこだわりがないから、「どこかに行きましょうよ、どこに行きたいですか?」と訊かれ、「北海道に行きたいです」「じゃあ北海道に行きましょう」という感じで。そこでどういう風に何をするかというのはしっかりと掘り下げていきますけど、目指すべきゴールみたいなのは無いんです。
 
豊嶋秀樹
 
宗像:今聞いててびっくりした。あまりそうは見えないと言われるけれど、僕もそうなんです、流れにまかせるタイプ。たまたまできたものがパンで、流されてここに来ただけなんです。
さっきの話で言うと、カレー作ってたらたまたまパンになってたっていう。豊嶋くんとその感覚がすごく近くて驚きました。
 
豊嶋:じゃあ、宗像堂さんも「ひゅっひゅっ」(笑)?
 
– – – 目標が「世界一のパン」から別方向へ激変。
 
宗像:そこまではいかないかな?(笑) 僕の場合、不器用で漂い方がわからないから、どこかにぶつかるまで突き進んで行く…魚? マグロっぽい感じかな?(笑)
自分にとってちょうどいい進み具合や進み方があって、そこにたまたまパン作りがひっついてたという感じなんです。だから、空間を創ることもパン作りも自分の中では違いがなくて。それが豊嶋くんの手を借りてやったのがすごく楽しかった。
 
パンに関していうと、僕の中でおいしいもののポイントが変わったんですよ。これまでも「舌先は絶対追わない」ということは決めていたけれど、おいしさに対するグリップをやわらかくしてしまえばしまうほど、もっと広く喜んでもらうことができるだろうと思うようになって。
 
主婦のカレーって絶対食べたいじゃん、週一とかさ。今そういう方を向いてるんです、はっきりと。自分のきりきりした部分をどんどん削ぎ落としていって、よりリラックスして仲間と一緒にパンをつくっていったら、そういうカレーができそうな気がするし、その方が楽しいですよね。
前はどちらかというと「世界一のものを作りたい」「だれもが倒れるくらいインパクトのあるパンを作りたい」と考えていました。だから、食べたときに涙を流す人がいるのが本当に嬉しかったけど、豊嶋君との出逢いもあり、今まさに劇的に変わってる真っ最中って感じ。以前はスタッフに対しても僕の仕事を再現してほしいと思っていたけど、それが今は真逆。もっと自身の個性を仕事に反映してほしいなーと思うようになりました。
 
豊嶋秀樹
 
豊嶋秀樹
 
– – – 初めて作り手を意識した映画がきっかけでアートの道へ
 
宗像:豊嶋くんがもともとアートに興味を持ったのっていつなの?
 
豊嶋:その話、しますか?(笑) あのね、僕が一番最初に感動した体験ってなんやったかなって考えたとき、「ET」を観てすごい感動したのを思い出したんですよ。初めてひとりで街に出て行って映画館で洋画を観た、それがたまたまETで。すごい混んでて立ち見やったのに、ラストシーンではめちゃめちゃ鳥肌が立って、今にも涙が出ちゃう、みたいな。「これが感動ってやつかー!」と(笑)。
 
それまでは映画とかテレビとかそういうのって、作った人がいるだなんて思ってなかった。そこに生えてる木とか空にある星とか太陽みたいな感じで、ただそこにあるもので、僕らはただそれを観てるっていう感じだったんです。でもETを観たときに「こんなの誰がつくったんやろ」って初めて作者を意識したんですよ。
それまではパンフレットなんて買ったことなかったけど、パンフレットを買って後ろのほう見たら「スティーブンスピルバーグ監督、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校卒業」って書いてあって。そのとき「カリフォルニアか…」って思ってたのよね。で、僕が二十歳になったとき、このことはすっかり忘れてたけど、カリフォルニアの大学に進学したときにそのことを思い出したの。 
 
ETで衝撃を受けたあとは、小学校六年生か中学生やったと思いますけどミュージカルにハマり出して(笑)。従兄がキャッツを観に行くっていうので一緒に連れて行ってもらったら、観客が座ってる所からばーっと猫が出てくるのが見えて、「人が猫やってる〜!おー、すげー!」って(笑)。それをきっかけにお年玉でS席のチケット買って色々観に行ってました。周りには誰もミュージカルなんて見る人いないからひとりで。コーラスラインとかウエストサイドストーリーとか、何観てもおもしろかった。
でも、僕のミュージカルブームは中学時代で完全に終わったんです(笑)。そのあとは今にいたるまで一つもミュージカル観たことないですね、興味はあるんですが。
 
高校卒業後は大阪の専門学校に二年間通いました。
そこで出逢った先生が、キーパーソンだったんですね。
 

後編に続く

 
 
豊嶋秀樹
豊嶋秀樹
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