豊嶋秀樹 meets 宗像堂・後編仕事の基準をお金にしない、新しい働き方。


 
以前の宗像堂のかけらを至る所にちりばめるというぬくもりあふれる改装を提案し、自身も作業に携わった豊嶋秀樹さんは様々な分野でアート活動を行い、プロデュースを手がけ、日本全国そして海外でも活躍している。
今まで手がけた仕事には垣根もなければ報酬の受け取り方も色々。
 
豊嶋さんが目指す働き方とは? そもそも、仕事って何だろう?
 
豊嶋さんのルーツを探りながら、未来の展望にまで触れたインタビューの後編です。
(前編:「場」はどう見えるかではなく、人にどう馴染むか。
 

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– – – キーパーソンは、全くそりの合わなかった先生。
 
豊嶋:高校卒業後、陶芸の学校に二年間通ったんです。日本で美大に行こうという気持ちはなくて、受験勉強もしてなかったですね。
実は僕、茶碗屋になりたいなーって思ってたんです。日本を出て何かしたいっていう気持ちがあったんですけど、手ぶらでアメリカ行ってもな〜と思って。茶碗屋ってアメリカとかでもできそうでしょ? ネタにもなるし(笑)。
 
高校卒業後入った学校に陶芸コースがあって勉強してたんですけど、合わなかったんです。陶芸で彫刻を作るという感じだったんですけど、僕はそういうのに興味がなくて。だって、茶碗がやりたかったから(笑)。
卒業制作でも僕がやりたかったのは、茶碗をいっぱい作ってそれを屋上からわーって投げてこっぱみじんにして…という作品だったのに、「そんな制作じゃ卒業させん」と言われて。「割れた茶碗のかけらを使って彫刻を作れ」と。なんか違うな…と思いながらも、渋々…。
生き方ってひとつじゃないはずやし、アートもひとつの方向じゃなくて全方位的にあるはずやから、それを信じたいなと僕はすごい思っていたから。
 
宗像:キーパーソンってそういう形で現れるよね。反動をバネに自分の世界を作ったっていう作家さんの話を他の方からも聞いたことがある。そう考えると、ラッキーな出逢いだったのかもね。
 
僕にもそういう人いたからわかる気がするな。今やってる仕事にすごく生きてるもんね。その人から学んだこともすごくあるからそれを生かせるし、反発心もものすごい力になる。
人生の分岐点となる人って、良い人とか悪い人とかじゃないんだよね。
 
豊嶋秀樹
 
– – – 順調に進んでいると固まる感じが…。変化を求め、二度の留学へ。
 
豊嶋:それでアメリカの大学に留学。アート一色の学生時代を過ごしました。
どういう大学かあまりよく知らずに行っちゃったんですけど、すごい変な学校で。登校初日、全裸の男が赤いコンドームだけつけて、叫びながら走っているところに出くわしたんですよ。もう、びっくりしちゃって(笑)。人に訊いたら「エイズプロジェクトのアートパフォーマンスなんだ」って。「……ここで俺、やってけるんかな」って不安に思ってんけど、まあ、2ヶ月くらいしたら慣れましたね(笑)。
 
日本に帰ってきて美術大学の事務局として就職しました。事務局員の仕事は給料もすごい良かったし休みも多かった。それでも辞めたのは、「自分じゃなくてもいい仕事だな」って思ったから。やってるうちに「向いてないな」とも思ったし。毎朝スーツ着て出勤するのもすごく辛かったし、どれだけ気をつけて一生懸命仕事してもときどきミスしちゃうんですね。それですごい謝ったり顛末書書いたりしている一方、席並べてる人は自身の能力を発揮してその辺そつなくこなしてたり、毎日同じことするのを心から楽しんでいたり。こういう仕事はああいう人がやったほうがいいよなって思ったんです。自分じゃなくてもいいやって。
それに、人に雇われる勤め人にも向いてないなとも感じていたので、すっぱり辞めました。
 
同じ頃、「graf(グラフ)」をともに作ることになる仲間と出逢い、すぐに活動を始めました。24〜5歳のときです。28〜9歳の頃には法人化しました。
 
grafとしての仕事も順調で楽しんでいたんですが、色々と固まってきたら動きたくなるタイプみたいで、また海外留学することにしたんです。なんか、「今のうちに動かないと~」と思っちゃうんですよね。
アメリカは行ったことあるからロンドンにしようって。アートのことももっとちゃんと勉強したいという思いもあり、ロンドンの大学院に入りました。
 
豊嶋秀樹
 
– – – 日本各地や海外を回遊。ひとところに留まらないライフスタイル。
 
豊嶋:ロンドンで学びながら、graf の活動も行っていました。ロンドンできっかけが生まれた仕事もありました。ELEY KISHIMOTO(イーリー キシモト)とコラボレートしたり、日本の衣料メーカーの海外進出のプロジェクトに携わったり。
そうしているうちに、graf もロンドンに店を作りたいねって話になってリサーチしたけど、日本の会社として英国法人をつくるのはすごく大変だということがわかり、やりたいこととやらなければいけないこととのギャップがあまりに開いていたので結局やめとこって話になりました。英国に何千万円以上投資しないといけないとか、英国国籍の従業員を何人以上を雇用しないといけないとか、いろいろ法律で決まってるんです。それらをクリアしてでもやることかな、と。
 
やがて草間彌生さんと graf でプロジェクトを行うことが決まり、日本に度々帰るようになって。それでなんとなくロンドンからフェイドアウトしていったんですね。
 
その後、奈良美智さんとの仕事が始まり、全国をぐるぐるまわって、気づいたら青森に引っ越して…。
そう、僕、青森に半年住んでたんです。通ってたわけじゃなくて、みんな一緒に引っ越したんです。「A to Z」展の二ヶ月半の展示の準備に6ヶ月かけて(笑)。
それが終わったらまた海外のプロジェクト行って…ずっとそういう感じでした。
 
2009年からは「gm projects」で活動を始め、今日は沖縄にいるけどその前は青森にいて、ずっと日本中を回遊してるような生活スタイルなんです。
一応、神奈川に家を借りてはいるけれど、自分自身は漂っている感じですね(笑)。
 
豊嶋秀樹
 
– – – 高尾山での偶然。山登りとの出逢い。
 
豊嶋:最近は山登りばっかりしています。かれこれ5〜6年になりますね。山登りが生活の半分くらい占めちゃってるんじゃないかな(笑)。
 
きっかけは嫁さんと行った高尾山。
あるとき「一緒に弁当でも作ってどっか行こう」ってことになり、「中央線乗って玉川上水とか行ってみる?」 って。
中央線の乗り場に行くと「高尾行き」という表示が目に入ったので、「高尾って山じゃない? 行ってみる?」。それで高尾まで行ったんです、中央線の端っこまで。高尾山がミシュランガイドで最高ランクの観光地として選出されるずっと前のことです。
 
それでいざ登ってみたら、なんかこの感じ懐かしいってすごく思ったんですよ。
実は変な偶然があって。高尾山のあたりって国定公園で、正式名称は「明治の森高尾国定公園」というんですけど、僕の実家がある大阪の箕面にも「明治の森箕面国定公園」というのがあるんです。同じ時期に作られて、しかも、東海自然歩道っていう道で繋がってるらしくて。
 
雰囲気もなんとなく共通してる部分があって「あ、明治の森だー」って。子どものころは山の中によく遊びに行ってたから、枯れ葉の積もった道とか、斜面をどわーって進んでいく感じとか懐かしいなーと思って。
 
高尾山で弁当食べて、中央線乗ってまた帰って行くんだけど、家の最寄り駅で降りずにそのまま新宿まで行って登山靴買って来ちゃった(笑)。
 
豊嶋秀樹
 
– – – 仕事と遊びをお金で分けると難しい。全部が「やること」。
 
豊嶋:「仕事ってなんだ?」というようなフォーラムに呼ばれることも多いんです。それがきっかけで「仕事ってなんだろう?」と自問自答することも多くて。
 
例えば、北海道の友だちのレストランの内装の仕事したときはお金は一切もらってないんですよ、友だちん家だから別にいいやと思って。でも、そこに行くとご飯作って食べさせてくれたりするわけです。
一方、同じような空間プロデュースのお仕事で、ちゃんとお金を頂く場合もある。
 
山登りするのにお金はもらえないけど、山関連の雑誌から原稿書いてという依頼がくることもある。
 
だから、どこからどこまでが仕事ですかと訊かれるとすごく難しい。
普通に考えると「お金もらえたら仕事なんかな」って思うじゃないですか。てことは、例えば宗像堂もそうなんですけど、キャッシュをもらってなかったら、じゃあ宗像堂の改装は遊び? 山登りで予算が出る場合もあるから、それは仕事?
…そうやってお金を基準に分けるとわかんなくなるんですよね。というか、正しくないよなって。
 
全部仕事でもいいし遊びでもいいけど、全部「やること」みたいな意識があって。
やることの中にはお金がもらえることもある、お金がもらえないこともある、逆にお金を払ってやることもある。お金基準で考えるとその3つに分かれるだけよなーと。
 
その3つの区分は、結果としてつくことが多いですね。
でもまあ、例えば美術館からの依頼の仕事で「これ全部タダで作って」と言われたらイヤって言いますよね。それはそのひとのためにやってることじゃなくて美術館のためにやってることだから。
 
 
– – – 改装とパン作り指導を「交換」。
 
豊嶋:宗像堂さんの場合は、「いくらくらいでやってくれるの?」と訊かれたので、「友だちの店だし、お金とかじゃないから…。パン食べ放題でいいですよ」と答えたんです。
でもそのあと、パン食べ放題って言ってもな…と思って。本当にパン食べ放題とかできないし、しかも宗像さんも食べ放題となると面倒くさいかなと思って。
それで宗像堂に来て何度目かのときに、「この間はああ言ったけど、ちょっと考えたことがあってって。自分が食べるパンを自分で作れるようにしてもらうっていうのはどお?」と提案したんです。パン職人までのレベルじゃなくていいから、自分で食べるパンは自分で作れるように指導してもらうみたいな。それと僕のお店づくりと交換しませんか?と言ったら、宗像さんが最初「えっ!」って言って、「面白いこと言うねぇ!」って(笑)。
 
宗像:だってそんなこと言われたの初めてだったから、すごいびっくりして(笑)。でも、そういうことができたら面白いんじゃないかと思った。
豊嶋くんが「パン作れるようになるまで、どんぐらいかかります?」と訊くので、「5~10年」って言ったら、逆に豊嶋くんが「えぇっ!!」って(笑)。僕が思ってるパン作りは、最低それくらいやらないとできないと思ってるから。
 
豊嶋:「やっぱそうっすか!」って(笑)。
 
宗像:僕が店で作ってるのはそうだけど、家族のためにとなるとまた話は別だから。
 
豊嶋:それで宗像さんが「いいよー」って。僕はまだ今ふらふらした生活してるから、「もし豊嶋くんがここに住もうって場所が決まれば、そこに石窯作ることからやろう」って言ってくれて。「ちっちゃい窯があれば、自分や家族が食べるパンを週に1回とか焼くとかもできるよ」って。
 
そういうものを交換するのが面白いと思って。お互いが一生もんを交換する。
例えば、これでプロデュース料としてお金を頂いたとしても、そのお金って1〜2ヶ月暮らしたらもうなくなっちゃう。でも、パンの作り方を教えてもらったら一生もんだし。そういうものをできたら交換していきながらやっていけるといいよなーと思ったりして。
 
豊嶋秀樹
 
– – – 仕事の自由度が上がり、モチベーションも変わる労働交換。
 
豊嶋:そうやって労働を交換してやっていくためには、あまりお金がかからない生活をしないといけない。
 
お金使う生活してると稼がないといけないけど、僕はフリーランスに近いカタチで仕事やってるんで、極力少ないキャッシュでやっていける生活のほうが、仕事上の自由度も高まるじゃないですか。
「毎月こんだけ稼がないと」ってのがあると、あんまり面白そうじゃないかなと感じる仕事もやらないといけなかったり。30万の仕事を35万にしとこーって思うかもしれないし(笑)。
そんなにお金かからない生活してると、どっちでもいいよって自分でも思えるし。
 
あと、お金もらわないイコール責任が発生しないというわけじゃないけれども、お互いちょっと軽い感じのスタンスになれるところがあると思うんです。「払ったからやってよ」「もらったからやらなきゃ」じゃなくて、本当にお互いやりたいからやってるって感じになりやすい気がする。
 
– – – 10年後のことより、今日。
 
豊嶋:色んなひとがいると思うんですけど、僕は「あー、こんな感じか」と先が見えると急に興味が薄れてしまうタイプ。
山登りで言うと、ここが頂上だと思っていたら全然違って、実はまだまだ上があったり。「え〜!!」みたいな(笑)。それが良いんですよ。
それでやっと頂上に着いたらバーンって景色が広がってわーって感動したり…。
 
地図も見るし計画もするけど、実際行ってみるとその現場で色々わからないことがあるっていうのが面白くて。毎日同じことしないといけないのが僕には無理なんですよね。毎日違うことする生活でどうやってバランスよくやっていくかというほうが多分得意だと思うんです。
 
将来として見ている方向は多分あるんだけど、そっちに行こうと思ったら多分一生懸命そっちに行こうと頑張るとは思うけど、でもどっちに行っても別にいい。こっちでもよくて、あっちでもよくて、でもこっちに行こうと決めたら今は一生懸命行ってみようという思いはあります。
で、行ってみたけど次はあっちに何かあるから行ってみようって。まずは行ってみてから決めたらいいなという感じ。
 
例えば10年後とか訊かれるとするでしょ。でも、10年後のことを今の僕が考えても精度が悪い。10年後こうしたいというよりは、9年目の僕が1年後のこととして考えたほうが精度が高いじゃないですか。そういう感覚です。
だから未来のことをまったく決めてないわけじゃないけど、とりあえず今日のことのほうが大事、10年後のことより。
 
あっ、もっとうまく説明してくれた先生がいた! 今いい話思い出した(笑)。
 
どこかに行いきたいと思ったときに、足もとを見ずに目的地だけを見つめて行ってもたどり着けるし、足もとだけを見て一歩一歩しっかりと積み重ねて行っても行けるよって。
ぼくのはそれのもうちょっと適当バージョン。「そこ」とかも決めてないから(笑)。

あっ、もう一つ例え思いついたから言っておこう(笑)。
コース料理だったら、デザートはコースが終わってから決めたい、みたいな感じ!(笑)
オードブルが出る前からデザート決めたくない、みたいな気持ち。メイン食べ終わった自分が食べたいものを選択するために選択肢を置いときたい、みたいな。
 
豊嶋秀樹
 
宗像:今の話聞いていて思ったけど、僕はわりと足もと見ながら歩いて来たタイプかも。一歩一歩歩いていたらいつの間にかパン屋なってた、みたいな。
僕はこれからもそうやって一生懸命歩きながら、自分が変化してることに驚きつつ、楽しみたいなと思ってる。
目の前のことにベストを尽くして、出逢った人と100%知り合いたくて、お互いに楽しいことを交換する、みたいな。楽しい出逢いだらけだろうな、今後もきっと(笑)。
 
豊嶋:僕は作品づくりもちょこちょこやってはいます、映像を作ったりとか。でも、気が散るタイプだから色んなことを同時にやっちゃうんですよ。作品作ってるときに山に登ったり、その逆も。いろんなことが同時にある。だから、山登りって今の僕にとってはすごく大事なものになってますね。
…でも「飽きた〜!」と思ってやめちゃう可能性ももちろんありますけどね(笑)。
 
 

写真・インタビュー 中井雅代

 
豊嶋秀樹
豊嶋秀樹
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