奄美情報発信イベント「Dearどぅしでぃや!」

 

キラキラ 奄美群島の今をお伝えするイベント「Dearどぅしでぃや!」キラキラ 
3ヶ月に一回ぐらいのペースで関東中心に開催され、ちゃくちゃくと奄美ファンを増やす。今回は初の沖縄出張。
沖縄と奄美は兄弟島。奄美ってどこに位置するの?奄美の特産品、ゆたかな自然、美しい島唄。
奄美の魅力は数々あれど、一番はヒトであります。
奄美を愛する方も、これから奄美へ行ってみようという方も、「Dearどぅしでぃや!」参加で生きた奄美を感じて、もっと奄美が近くなる。
先着50名さまに、黒糖焼酎の試飲プレゼントあり。
出演者

 

深田小次郎(しーまブログ代表):「島の発展は情報量に比例する」東京で20代を過ごした経験から、島の発展に必要なのは「情報」ではないかという思いに至り、2010年2月に島民全員が記者となり、カメラマンとなって情報発信できる奄美群島に特化したブログサービス「しーまブログ」をスタートさせる。島のために何ができるかを考え、走り続けて今年で5年目を迎える。笠利町出身。

 

里朋樹:奄美島唄の唄者、故中野豊成のもとで島唄と三線に触れ、島の音楽は少年を魅了した。妹の歩寿(アリス)と二人、島唄と共に育った少年時代。
時は流れ、大阪の大学進学で島を離れたものの、現在は関西一円のライブハウスや奄美、沖縄関連の店やイベントで唄を唄い続けている。
まだまだ故郷の唄者達には遠く及ばないと、試行錯誤の中、ひたむきに三線と唄に向き合う毎日。大阪の地で奄美の島唄と言えば里朋樹だと呼ばれる日はそう遠くない話になるだろう。
妹のアリスとの島唄以外にも奄美の唄、南の島の音楽をベースにしたバンド「ガサムン」での活動などますます今後の活動から目を離せない。瀬戸内町出身。

 

里歩寿:最初に話した言葉が島唄だったと言う、朋樹の実妹である歩寿。島唄は何時も側にあった。それは大人になった今でも変わらない。
兄の朋樹の背中を追いかけて、見る見る上達。その若々しい伸びのある声で、2007年の「第28回奄美民謡大賞」少年の部・最優秀賞受賞を皮切りに、以後、数々の賞を手にする実力派として、若手の奄美の唄者を語る際に、歩寿の名前を見ない事はない。
2010年、高校2年生の時には「嘉徳なべ加那節」で奄美民謡大賞を受賞、これは同じ奄美大島瀬戸内町出身の元ちとせが、1996年に高校3年生の時に樹立した最年少受賞記録を更新し注目を浴びた。歩寿が残したこの記録は今も塗り替えられる事は無い。
現在は大阪の大学に通いながらイベントやライブハウス、奄美・沖縄の店などで島唄を唄い続けている。瀬戸内町出身。

 

我那覇美奈(奄美のシティガール):ピュアでストレートな歌声と、自然体の天真爛漫なキャラクターで、聴くヒト、出会うヒト、全てを魅了していくオーガニック無添加AB型。
1998年シングル『桜のころ』でデビュー。
代表曲は、『TEARS~時間の中で…』、熱闘甲子園2002年テーマソング『終わらない夏』、映画「あずみ」主題歌『ねがい』、エバーグリーンな名曲『月の雫』、浜田省吾のプロジェクト“Fairlife” とのコラボレート曲『砂の祈り』など。“Fairlife”の3枚のアルバムにも全て参加している。2006年に始まったラジオ番組“よりみち日記”は、現在、奄美FMをキー局にサイマル・ラジオによって全国で聴くことができる。鹿児島県奄美大島生まれ。
♪我那覇 美奈のよりみち日記♪

 

スティーヴエトウ(原ハブ屋奄美公認 はぶ大使)
1958年L.A.生まれ。父は箏曲家 故・衛藤公雄。弟は和太鼓奏者のレナード衛藤。1964年初来日?80年代よりバンド活動を始め、爆風銃(バップガン)、PINK、PUGSなどのバンドで活躍。演奏家としては小泉今日子のデビューツアーから始まり藤井フミヤ、大黒摩季、及川光博、COMPLEX、布袋寅泰、堂本剛などさまざまなアーティストをサポート。20年を超えて活動するバンド、デミセミクエーバーを継続させつつ、各地でのソロ・ライヴも活発。 この十余年は奄美群島にただならぬ縁を感じ、ハブ皮の工芸品店 原ハブ屋奄美 公認はぶ大使として各地で奄美に関わるイベントなどを立ち上げたり、出身アーティストとのコラボなどを行なっている。ただし、けしてハブの全国普及につとめているわけではない。

 

開催日と時間 :2015年11月23日(月・祝)
場所 :CENTRO那覇市泉崎1-5-13 ℡098-943-1345
ブログ:http://amamilovelog.ti-da.net/
主催:奄美と沖縄を結ぶ会