» 新垣菓子店 新垣正枝昔から商売が好き、就職したいという気持ちはなかった

新垣菓子店
 
「テンペストを読んだとき、映画になるくらい面白いなって思ったんですよ。
だから、急いで職人さんに相談して作ってもらったんです」
 
琉球王朝を舞台にしたベストセラーに、度々出て来る宮廷菓子がある。
『千寿糕(せんじゅこう)』だ。
 
「小説のファンである私にとっても魅力的なお菓子でした。
昔は作っていたのですが、30年ちかく眠っていたお菓子なので、職人さんにお願いして再現してもらったんです。
しばらくしてから仲間由紀恵さん主演でテンペストの舞台が東京でおこなわれることになりました。
舞台の制作会社に話を持ちかけ、限定のお菓子として会場で販売、沖縄よりも先に東京でお披露目となり、その後、映画化も決定したんです」
 
独自の視点と自由な発想力で新たな商品を生み出す新垣正枝さんは、新垣菓子店の専務夫人。自身も商品開発に販売にと活躍している。
 
「実家もお茶屋なので、もともと商売が好きなんですね」
 
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「学生のときは完全に体育会系でした。
バスケットボール部に所属して遅くまで練習して。
中学生の頃、母が茶道を習い始めたのですが、
『楽しいよ、あなたもやってみない?』
と勧められて。
先生との相性も良かったのかも、すごく楽しかったんです。
部活を終えて夜7〜8時くらいから、ぱんぱんになった脚で正座して(笑)
お稽古ごとは他にもやりましたけど、お茶だけはずっと続いています。
 
多分、茶道を習ったのが発端だと思うのですが、空間デザインにも興味があって。
お茶は総合芸術、空間芸術と言われていますから。
建物や空間が好きで、そういうデザインの世界に興味を持つようになりました」
 
進学校を卒業するも、大学には進学しなかった。
 
「実家の手伝いをしようと思っていたので。
本当は美大に行くのもいいかな? と思っていたのですが、勉強もそんなに好きじゃなくて(笑)
もともと商売が好きなんですね。
実家の手伝いが楽しくて、どこかに就職しようという気持ちがなかったんです。
私は商いの街、糸満で生まれ育ち、祖母も魚売りで代々商いをしています。
人と接したりお話ししたり、どうしたらお客様に喜んで頂けるかな? と考えるのが好き」
 
実家を手伝いながら武蔵野美術大学の通信教育を受講、夏休みの時期にはスクリーングに参加した。
 
「40日間くらいあるんですけど、素晴らしい経験でした。
大学生活ってこういう感じなんだな〜って。
絵を描くのも好きなのでデッサンも楽しいし、空間デザインを先攻したので立体を造ったり。
でも、このを道を極めたいとは思わなかったんです、不思議なんですが。
その後もCAD(キャド)の資格を取ったりもしましたが、自分がプロフェッショナルになりたいという気持ちが湧かなかったんです。
幼少から図画工作の時間が好きで、デザインやもの作りができることが喜びだったので、実家のお茶屋で自由に店作りをさせてもらえたことは貴重な経験でした」
 
実家を手伝っていたある日、出会いがあった。
 
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「高校の先輩だった主人と国際通りでばったり再会したんです。
学年は違いましたが、『ちんすこうの先輩』ってからみんな知ってましたね(笑)」
 
琉球菓子の老舗「新垣菓子店」の現専務取締役、新垣淑豊(よしとよ)さんとの出会いだった。
 
「友達も一緒にその場で話して、それから二人で会うようになって。
結構早い段階で『この人と結婚するはずな』と思いました。
話していて楽しかったし、おもしろくて」
 
国際通りでの再会から約1年後に二人は夫婦となり、さらに1年後には子供に恵まれた。
出産後も、正枝さんの活動の場が狭められることはなかった。
 
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白化サンゴで焙煎する「35 COFFEE」とのコラボ商品。売上の一部はベビーサンゴ移植活動に充てられる
 
「働いてないとなんだかわさわさーして(笑)
子供が乳離れするまでは育児に専念しますけど、いつも『何かしないとな~』って思っちゃう。なんでだろう?
私の母も普通に働いているのを見ていたからかな?
子を持つ女性が家庭に入るっていう概念がないのかも。
私にできることをしていくというスタンスなので『垣根』がない感じなんです。
また『子育てはみんなで』とも思っているので、最近祖母が隣に越してきて4世代で暮らすことになったので、子供たちにとっての環境は完璧だと思っています。
もちろん、母の出番というときは一番大きな顔をしていますが(笑)」
 
自営業である実家でも店を手伝うのが好きだった正枝さんは、産後も新垣菓子店で精力的に働いている。
 
「子供が小さいときからちょこちょこ手伝っていましたね。
一日中みっちりっていう感じではなく、できる範囲で。
義父母がすごく助けてくれるんです、お迎えとかも。
家も隣だし、義父母が子育てしてくれてるみたいな感じですね(笑)
本当にありがたいです」
 
義父母や夫が正枝さんが働くことに口を出したことはないという。  
 
「家庭に入れと言われたことはないですね。
新商品の開発に携わったりしても、主人から反対されたこともありません。
逆に会社の今後について、どうしたらもっと売れるかなど、二人で話をすることも多いです」
 
その結果、先述のヒット商品「千寿糕(せんじゅこう)」が生まれた。 
 
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「琉球王朝時代には、お土産というよりはおもてなしのお菓子でした。
テンペストでも客人をもてなす場面でお菓子が効果的に登場します
千寿糕に関する文献は戦争でほとんど焼けてしまっていたので、主人の曾祖父である新垣淑扶(しゅくふ:琉球王朝時代の首里城の包丁人・新垣淑規(しゅくき)のひ孫にあたる)から直接菓子作りの指導を受けた弊社の工場長・宮城進の手で再現しました」
 
由緒正しき老舗菓子店が再現した珍しい伝統菓子ということで話題になり、テンペストの人気の高まりとともに千寿糕も多方面から注目を集めた。
県外からのオーダーも多く、瞬く間にヒット商品となった。 
 
また、ハート型のちんすこうは引き菓子として人気だ。
 
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伝統菓子は他にも。普段目にすることがほとんどない珍しいものも多い。 
 
「友人に、『沖縄のお菓子で引き出物をお願いしたいんだけど』って依頼されたのがきっかけ。
言われてみればブライダルに使える沖縄のお菓子ってないなーって。
また、リゾートウェディングで本土から式を挙げにくる方も多く、沖縄らしい引き出物を作りたいと思い、考えました」
 
正枝さんが中心となって開発を行い、菓子職人とも直接やり取りした。
「幸福」「子孫繁栄」「富」「長寿」「健康」の願いをこめて5個入りとし、オーガンジーで包んで優しく可愛らしい姿に変身したちんすこうは、ブライダルフェアなどでも人気だ。
 
「内地の結婚式では引き出物とは別に必ず引き菓子がついてくるんです。
だからこれからも新しい引き菓子の開発に力を入れたいですね。
また、ワンランク上のお土産も作りたいなって。
よく『小さめのサイズで3,000円くらいのお菓子はない?』というようなご相談をいただくんですが、ちんすこうだと3,000円分っていったらスゴい量になっちゃうだけなので、よそゆきのお菓子を作りたいんです」
 
今年80周年を迎える新垣菓子店。
とどまるところを知らない正枝さんの意欲はきっと、伝統菓子の新たな可能性を見せてくれるだろう。
 
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チャーミングで働き者の正枝さんは、物産展やウェディングフェアのようなイベントにも販売員として参加する。
 
「単純に楽しいからですね。お客様とお話をするのが」
 
今では、コラボレーション商品やオリジナル商品の企画の相談が正枝さんに直接持ち込まれることも多いという。
 
「でも、色々やりすぎちゃって今ちょっとストップさせられてるんです(笑)。
主人じゃなくて営業担当から『自前の商品を作るので手いっぱいだから、正枝さん、ちょっとストップしてもらっていいですか』って最近言われたばっかり(笑)」
 
とがったところのない柔らかな人当たり、のんびりとした話し方。
商売人の風情とはほど遠いが、商売の話になると生き生きと表情が輝く。
 
「就職するつもりはなかった」
という言葉を聞き、嫁ぐべくしてここに嫁いだのだなと、縁の強さに思わず感心してしまう。
 
「今は新垣の祖母が商いの先生。
変化することをおそれない、つよい信念はまだまだ足下にも及びません。」
 
書道も玄人はだしの正枝さんは、
 
「今後は書道教室も開きたいと思っています。
お茶も教えようと思っていて…。
茶道を通して『おもてなし』の心も勉強中なんです。
これからは琉球菓子=おもてなしの心 として
伝統の粋を感じる商品を提案できればと考えてます」
 
多忙に拍車がかかりそうだ。 
 

写真・文 中井 雅代

 
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