株式会社 A S A K A  高野哲朗同じシリーズのマンションでも毎回がらりと変わったっていい。住む人が個性を表現できる建物を。

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「あっちに行けば何かがあって楽しいよって思わせるような場所を作りたいと、中学生の頃には思っていました。
でも、何の仕事に就けばそういうことができるのかはわからなかったんです」
 
3人兄弟の末っ子。
10以上歳が離れた兄ふたりはそれぞれ県外と国外に住み、
不動産業とブティックを営む忙しい両親が昼間家にいることはあまりなく、
学校帰りには友達を何人も連れ帰って家で遊んでいた。
 
「遊びって限られてるからワンパターン化してきて。
でも、『あっちに行こう』って言える場所がその時はなかったんです」
 
人が喜ぶ場所をつくりたい、
幼い頃から漠然と抱いていた夢を、
高野さんは分譲マンションという形で実現させた。
 
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高野さんは父親の会社を継ごうと最初から決めていたわけではなかった。
東京の大学に進学し、ファッションビルを展開する企業の就職試験を受けた。
 
「良いところまでいったのですが受からなかった。
実際、自分にも迷いがあったんです。沖縄に帰るべきか否かって。
父親が当時75歳と高齢だったし、兄達はそれぞれ別の仕事に就いていましたから
沖縄に戻って父を手伝いたいという気持ちもありました。
父に訊くと『お前が決めろ』と。
帰って来てほしい気持ち半分、本土にいたほうが色々と勉強になるという気持ち半分だったのだと思います。
就職活動をしていてもそんな自分の迷いが出ていたんですね」
 
迷った末に帰郷を決意、
父親と一緒に働く日々が始まったが、
5年後、父親が急逝した。
 
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企画・販売で協力した「ITSUKI不動産」の樹さん
 
「仕事中に倒れ、その日に亡くなりました。
病気をしていたわけでもなく、なんの前触れもなかったんです。
継ぐのはまだ先だと思っていましたし、心の準備もできていませんでした」
 
時を同じくして景気も急激に冷え込み、
高野さんに強烈な逆風となって吹き付けた。
 
「父が亡くなったとき、沖縄の地価はちょうどミニバブル状態でした。
2007~8年の頃です。
国際通りを筆頭に県内の地価が高騰、そのため相続税も高く、株価も同様でした。
でも、その半年後にリーマンショックが起きて株価は暴落、
土地も一気に売れなくなって銀行も貸ししぶり、途端に首が回らなくなって…。
来月の社員の給料はどうしようか?というくらいひどい状況でした。
父が亡くなって精神的に辛い時期だったので、余計こたえました。
なぜこのタイミングで…という感じでしたね」
 
父親と共に働いた5年間が、高野さんの支えになったという。
 
「もちろんすべてを引き継げたとは思いませんが、
それでも父の仕事に対する価値観、考え方をある程度は理解できたと思うので、
何をするにしても『父だったらどうするかな』と考えるようにしています。
僕にとっては父の生き方が指針になっているんですね。
どうにか持ち直せたのも、父との5年間があったからだと思います。
 
実は、沖縄に戻って最初の2年くらいは
『本土にいた方が良かったかな』と思うこともあったんです。
でも、亡くなってからはやっぱり帰ってきて良かったなと。
父の遺志を継ぐことができたわけですから」
 
それまでの事業は土地売買がメインだったが、
高野さんは新たな分野にも挑戦を始めた。
分譲マンションa.suo(アスオ)シリーズの立ち上げだ。
 
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同じく企画・販売で協力した「ディ・スペック」の古謝さんと 
 
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「土地売買だけじゃなく、もっと面白いことをしたいと思ったんです。
自分が描いた絵を売るように、
建物という作品を気に入って購入してもらえたら嬉しいだろうなと。
規模として一番大きな芸術は建物じゃないかと思うんです。
でも、大きい分リスクは高い。売れなかったら終わりですから」
 
初めての分譲マンション建築、
設計コンペで出した条件は
全室角部屋で3LDKか4LDKのファミリータイプであること、そして
「シンプルであること」。
 
「外観に沢山の色を使うのではなく形で雰囲気を出して、
個性はエントランスや部屋で出すマンションにしたいと思っていました。
デザインにはどうしても流行りすたりがあるので、
長く心地よく住むには見た目はシンプルな方が良いと思ったんです。
そして外壁は白。
沖縄のように日射しの強い地域では
濃い色の外壁だと色あせが早いし、
メキシコ、ギリシャ、スペインなど海に面した国には白壁の家が多い。
海や空の青を背景にすると映える色だと思います。
また、色だけではなくて質感で個性を出せたら最高だなと思っています」
 
ぱっと目をひくようなデザインではなく、
至ってシンプルな外観の a.suo 。
しかし、各部屋は自分で壁の色を塗ることができるなど、
住む人が自分の好みを追求し、センスを生かせるようなオプションも豊富だ。
 
「どうやったらリビングが広く見えるか、
外の風景を楽しむには?
キッチンに開放感を出すにはどうしたら良いか、
自分達なりに工夫して完成した空間に満足していますが、
最初から完成図が見えていたわけではありません」
 
高野さんは何かを決定するとき、
最初から自分の意見を主張するのではなく、
多方面の意見を聞くようにしているという。
 
「自分の考えを覆すような良いアイディアがあればすぐに採用しますし、
広く意見を伺うためにアンケートもとっています。
今はまだ、何が正しいということがすべてにおいて明確ではなく、
やりながら考えるという感じなんです。
幸い、僕はまわりの人や新たな出会いに恵まれています。
多くの人のアドバイスやサポートがあったからこそ、
a.suo sakashita が完成したんです」
 
独断はしない。
自分の考えと異なっていても、優れた意見であれば尊重する。
そのフレキシブルな姿勢が、a.suo という新しいスタイルの分譲マンションを生み出した。
 
ASAKA
 
a.suoシリーズの第一弾「a.suo sakashita(坂下)」は予想を大幅に上回って早期完売、高野さんはすでに、第二弾に向けて動き始めている。
 
「同じa.suoシリーズであっても、
毎回がらりと雰囲気が変わっても良いんじゃないかなと思うんです。
だから、次はどんなマンションになるのか僕自身楽しみですね」
 
その意欲の発露は分譲マンションにとどまらない。
 
「土地をそのまま売るのではなく、
その上に何らかの付加価値をつけて販売するのも面白そうだし、
現代版九龍(クーロン)城みたいな雑居ビルを作るのもいいかなって。
保育園やデイサービス、商店などを入れた、昔の団地のようなマンションを建てることにも興味があります。
子供たちにとってもおじいちゃん、おばあちゃんと過ごせる時間は貴重だし、
親は保育園への送り迎えの時間を短縮できますし、あとは……」
 
夢を語るとき、その話が尽きることはない。 
 
建物という形をとった高野さんの作品は、
そこに住む人々の暮らしが描かれたときに初めて完成するのだろう。
これからどんな新しいキャンバスを私たちに提示してくれるのか。
それらはどれも、幼かった高野さんが
「あっちに行こう、面白いところがあるから」
と、友達に教えたくなるような建物になるのだろう、きっと。
 

写真・文 中井 雅代

 
 

ずっと心地よく住んで欲しいから、高野さんは住まいづくりのアンケートに寄せられる意見をとても大切にする。
「こんなところに住みたい」「もっとこうだったら買いたくなるのに」そんな私たちの思いを実現したマンションができたらステキ!
あなたの理想のマンション、教えてください。
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