Shoka(ショカ)「日常の中の特別」と出逢わせてくれる場所。

 
「初めて見た時には、足の裏からジェット噴射したような気持ちになったの! 」
沖縄市にある、いわゆるギャラリーとも雑貨店とも違う新しいスタイルの空間、Shokaの田原あゆみさんはフジタチサトの器に出会ったときの衝撃を、なんとも愉快な比喩で表現する。

 
その世界観に魅了され、作家を探して訪ねた。今Shokaで開かれている藤田匠平さんとと山野千里さんご夫婦による陶器制作ユニットの展示会「フジタチサト展」は、器に出逢ってから6年分のあゆみさんの「好き」が詰まっている。
愛用しているフジタチサトの急須は蓋を割ってしまったけれど、銀継ぎして今もお気に入り。むしろその姿がより一層愛おしいにちがいない。
 

 
「全国のおもしろいお店、前から見たかったところを、見て回ろうと思って、名古屋で車を借りて、京都、スターネットの栃木まで。
 
そのおりに岐阜の百草さんにも行ってね。ずっと来たかったんですと挨拶をして。そしたら喜んでくださって、今日は時間がないけれど、また来られませんかとおっしゃってくれたので、京都からの帰りにまた寄って。
 
百草さんがあまりに素晴らしかったので、展示会したいと思って。 二度目のときに話したら、二年先までスケジュールびっしりだと。『でも春休みだったら空けてます。こどもたちとどっか行こうと』って言ってくださって。それで決まったのがこの春に開いたの百草展だったんです」
 
Shokaの展示スケジュールはいつだってこんな風にトントンと決まる。
しかもこの百草展については、どのようにShokaを運営していくか明確になっていなかった段階のこと。
企画展の充実ぶりについて感心してた私に、あゆみさんが話してくれたのは、それぞれの出逢いについて。
 

 
「友人の結婚披露宴で、mina perhonenの皆川さんと同席で、皆川さんがスピーチされるのを聞いたの。自然なたたずまいや、言葉の選び方がとてもよくって、『この人、詩人だなー、とても素敵だなー』と思ったの。帰ったらすぐ皆川さんの本を読んで、すごい!素晴らしい と思って、ぜひ展示会したいなと。
 
それで友人に紹介してもらって会いに行ったんですよ。そしたらやりましょうということになって。そして二回目会いに行った時に皆川さんも出て来てくれて、ちょこちょこっと話しただけなんだけど、皆川さんと安藤さんと三谷龍二さんの三人のコラボ展しませんかということになったんです」
 

聞けば聞くほどそのスムーズさに驚く。 二ヶ月に一度を予定していたのに、気がつけばすべての月が埋まっていたというくらいだ。

 
でも、その予定を上回るほどの企画展は、単なる巡り合わせではなく、あゆみさんが「自分の好きと自分らしさ」を追い求めた結果として引き寄せたものだ。

 

 
漠然とした不安を覚える人生の転換期とは誰にでも訪れるもので、あゆみさんのところへも例外なくその期がやってきた。
仕事だけじゃない自分の好きを知りたい、自分ってなんだろうと。
母としての自分、娘としての自分、ひいては生まれて来た価値についてまでも思いを巡らせた。
ともすると足踏みにも感じる時間である。

 
「なんだかちょっと疲れてしまっていて、好きなように仕事がしたいなと思うようになって。方向転換をしようと。時代にも合ってて、自分も楽しいっていうやり方。もともとやってたギャラリーの仕事を軸にしてね。自分に正直に生きようと」
 
その充電の時間は、あゆみさんの場合は二年ほど。
その二年の間に先述の「自分の好き」を確認するかのような旅もした。
これまでの人生を振り返り整理して,自分の心の靄も晴らした。
Shokaは、自分自身を理解することなしには生まれ得なかったのだ。

 
月に10日間しか開かないお店ってどうやったら考えつくんだろう。
実は、そう思いながらあゆみさんに会いに行った。

 
答えは予想とは大きく違っていた。そもそも考えたのではなく、自身の感性の赴くままに、自然な流れに乗るような感じでたどり着いたいう方がしっくりくるという。自分らしさをShokaとして表現したら、たまたまギャラリーと一般的なお店の両方の特性を備えていたということなのだから興味深い。自分自身を正しく知ると、こんなにもオリジナリティや強みを発揮できるということか。
 

 
あゆみさんらしさをうかがえる所は、運営スタイルだけに留まらない。
スタッフとして来てくれないかと関根麻子さんに声を掛けたのだって、
この人といるとすごく自然体で振る舞えると、一度一緒に仕事をしたときに感じたから。

 
展示の企画だってもちろんそう。
あゆみさんの好きの基準は明快である。
 
「 多分、作っている人もハッピーだと思うわけ、自分が楽しくて、そして誰かが使ってくれるから楽しいっていうのは、あまりエゴがなくって、ナチュラルに普段使える。
特に気合いを入れて何かをってことではないわけ、なんだろうな、物を大事にする気持ちっていうのかな、で、人を大事にする気持ちが込められた行為が一番幸せだと思うから。
例えばカフェって素晴らしいなって思うんだけど、作家さんの器って決して安くはないんだけど、その器で数百円のコーヒーを飲ませてもらえたりするじゃない。あれってすごく文化にも貢献していると思う。
 
最近出会う人たちは、みんな日常使いをしてほしくて、長く使ってほしくて、日常の中に特別な時間、自分だけの時間を楽しんでほしいっていう、さり気ない感じの想いしか入ってなくって。それが心地良いから、そういうものをずっと扱っていきたい 」
 

 
この日、昼食から伺い、おやつ時までShokaで過ごしたからわかる。
質感からフォルムから、全てが美しい器でいただく食事は、普通の日常のなかで本当に「特別」なのである。
 
「何使ってもいいわけ、食べることとか生活することって、無関心だったら無関心なりの生活できるじゃない。でも幸せ感て、私は育てるものだと思っていてね。
毎日、日常の積み重ねで人生って時間が流れていくじゃない? そうしたときに、幸せになりたい人ってなろうとして色んなことをするんだけど、結局、普段自分が食べるときに、自分の好きな物を使うとか、その手前で本当に自分の好きなものってなんだろうって自分を知るとか。特別なことでない衣食住で少しでもそういう機会を増やしていったら、すごく幸せになると思う。」

 
あゆみさんと麻子さんにとっては、何気ない自然の食卓の所作なのだけど、私にとっては新鮮でワクワクすらするものだった。そのことを伝えると、逆に2人が目を丸くする。それ程に2人にとっては、ごく日常の風景なのだ。
 

 
ただ水を飲むのであっても出てくる器がとても綺麗。
その審美眼はどう育つのか。
美術商や茶の家元の世襲のそれと同じである。
美術商の場合だと幼い時分から、親は悪い物は目に触れさせずに良い物だけを見せ、子の目を鍛える。
茶の家元の場合だと、もう生まれたときから、その家族の一挙手一投足を無意識に学び、体にしみ込ませるのである。
 
あゆみさんも中学生の頃から、母が経営していたお店の品を、「綺麗だなと思い使っていたよ」と言う。
お店にはヨーガンレールの品も置いてあり、その関係でレールさんとの交流も長年続いている。
「ヨーガンさんは何か作ったら本当に素晴らしいものを創ってしまう。でもね、彼が言うには『自然より美しい物はない』と、『私たちが作るのは、美しい自然をせめて邪魔しないものだ』と言うの。そして、一緒にビーチを歩いていて、ただ石や貝殻を拾って歩くだけでも、打ちのめされるほどに綺麗なものを拾ってくる。本当に美しいとはこういうことなんだなって思うことがあったりもしたし。母もよく、いつもお客さんには良いものを紹介しなさいと言ってたねえ」

 
麻子さんも、両親の影響を多大に受けているとおしえてくれた。
「小さいころから確かに良いものは見せてもらってたかな。うちの母親も色々好きだったから、今で言う百均みたいな食器とか、引き出物みたいな食器は使わなかったな。高度成長期の頃だからヨーロッパの良いものだったけどね。父はずーっと古伊万里のそばちょこを集めていて。ガラスケースに沢山並んでいるの。父がソバを打つときは、私が台所でつゆの返しを作る係で。蕎麦のつゆをどれに入れるか、『今日はこれを使ってみよう』、『これ美味しそうかな』なんて。そういう楽しみを教えてもらったかな」
 
Shokaの2人とテーブルを囲むということは、ただ飲食するに収まらない。2人の長き渡る豊かな食の経験を共有することになるのだ。
展示の品にも手が伸びるのは、その体験をもう少し、また自宅でも、と思うから。
 

 
あゆみさんの「日常の中の特別」への想いはShokaの展示を通して受け取ることができる。
「とにかく一番は自分の好きなものを知ること。自分を知るというのが私は尊いと思う。
だから騙し騙しでゴージャスな、お金をかけるものじゃなくて。
ちょっと自分が好きな物を、大切に使える長く使えるものを、友達のように思って長くつき合う。Shokaはそういうものと出会う場所、媒体になれたらいいな。」
 


Shoka
住所:沖縄市比屋根6−13−6
電話:098-932-0791
HPとブログ:http://shoka-wind.com
 
年に10回ほど、それぞれ10日間の展示会形式でシンプルで、自然で、美しいものや、暮らしを楽しむものやことを提案しています。

 
Jurgen Lehl・Babaghuri・ギャルリ百草・mon Sakata・mina perhonen・Vlas Blommeなど