無造作にちぎり取られたような荒々しいフォルムにも関わらず、
全体から受ける印象はこの上なく繊細。
今までに見た事の無い、エレガントで洗練された石敢當は、
ヨコイマサシさんが考案した「紅型陶器」の作品。
縄トモコさんとヨコイさんによる、
紅型と陶芸のコラボレーション作品だ。
布に染める紅型とは違い、型紙の輪郭がくっきり浮かび上がり、
紅型の魅力の新たな味わい方ができる。
それにしても、見ればみるほど不思議なその形状。
ヨコイ 本当にちぎって作ってるんですよ。
岩じゃないから折り畳めるでしょう。
折り畳んで、伸ばして、折り畳んで・・・
と繰り返していくと層状になるので、
それをちぎるとこういう荒々しい感じになるんです。
陶芸と聞くと、ろくろを回し、息を止めて微妙な力の加減をしながら行う繊細な作業を思い浮かべてしまうのだが、
まさか、本当に「ちぎって」作ったとは。
しかし、そのちぎるという行為がただ闇雲に行われたのでは無いということは
完成された作品を見れば一目瞭然だ。
ともすると紅型の美しさばかりが際立ちそうだが、
焼き物が単なる「紅型を映すベース」というポジションに甘んじることなく、
「紅型陶器」の名にふさわしく、両者の魅力が同等に満ちあふれている。
ヨコイマサシさんは横浜の大学を中退して武蔵野美術大学を卒業、
東京でデザイナーの職に就いていた。
——なぜ、沖縄で陶芸を?
ヨコイ 以前、就いていたデザインの仕事の現場では
エンドユーザーと接する機会がほとんど無く、
自分の仕事が及ぼす影響や評価のフィードバックがない世界でした。
そこに違和感があって。
仕事自体は面白いけど、
一生やる仕事じゃないってのを早々と感じちゃったので
1年半悩んだ末、
「もういいや、やめてしまえ」と思ったのがきっかけ。
——その頃から陶芸という道を決めていたのでしょうか?
ヨコイ 陶芸には多少興味はあったけど、
道として決まっていたわけではなかった。
ものづくりをするというのは決めていたので、
ものづくりをしながら、かつ、エンドユーザーさんと
接する事のできる仕事は何かって考えると色々な選択肢があった。
焼き物もその中の一つ。
自分にとって一番大切なのは仕事のスタイル。
前職の時に「こういうスタイルの仕事がしたい」というビジョンは
かなり明確になっていたので、
そのスタイルを実現できる仕事は何かって。
——その時点では陶芸以外の道もあったということですね。
ヨコイ 勿論そうです。
木工、家具や彫刻、ガラスも面白い。
体験で色々な教室に行ってみたりしました。
焼き物は割と最初の方から有力候補ではありました。
早い段階で陶芸の教室にも通い始めて。
そこで「これは面白い」って直感が働いたんですね。
自分がやりたいスタイルにも合ってるし。
ヨコイさんの場合、最初から陶芸の道を志していたわけではなく、
自分の求めるスタイルを実現するための手段として、
様々な選択肢の中から陶芸を選んだという。
ふたつの陶芸教室にあわせて約一年通い、これを趣味ではなく、仕事にしようと決めた。
ヨコイ 当時、ある窯元の陶芸の単発の授業も受けていて、
つまりダブルスクールしてたんです。
この窯元で学べたら面白いなと思っていたので、
そこの窯主に話をして。
すると、あっさり断られたんですよ。
雇う余裕は無いから無理だって。
「そうか・・・」と肩を落としていたら、
「本当にやってみたいなら毎日遊びに来て練習したら良い。
そのうち、いつの間にかマーシー(マサシ)うちにいたね、
っていう話になれば良いんじゃない?」
と言われて、通い始めました。
そうして、歴史ある壺屋焼きの窯元「育陶園」に通いだした。
当時、陶芸教室を拡大し、HP管理に力を入れようとしていた育陶園では、
HP作成もデザインもできるヨコイさんはとても重宝され、
手伝いをしているうちに仕事もまかされるようになった。
ヨコイ だから、いつから窯元に入ったっていうのは曖昧で。
僕もよくわからないんです(笑)
——そちらで三年ほど勉強されたんですよね。
ヨコイ そうですね。三年で独立ってすごく短い、
普通じゃありえないです。
そんな二〜三年でモノになるような世界じゃないので。
普通は五年、十年、長い人だと十何年ってかけて
やっと独立するんです。
——なぜそれほど早く独立を?
ヨコイ いろいろ原因はあったんですがね・・・
僕がやりたいのはストイックに土や焼きを求めることじゃなく、
『自分なりの働くスタイルの実現』だったので。
大学も二つ行って仕事もしてから始めたので、
年齢のこともありました。
窯元に行った時、最初から窯主に
「お前は職人にはなれない」
と言われましたからね。
「それでもやりたいならいくらでも教えてやる」と。
「でも、お前は3年か、長くても5年くらいしか
うちにはいないだろうな」と。
言い当てられていましたね、当時から。
——ストイックに突き詰めていくというのは具体的にどういうことでしょう?
ヨコイ 例えば自分で土を探し求めて、自分で掘って、触って、見て、
口に含んでみて、とか。
10年土を寝かして好きに調合して、とかね。
釉薬も原料から調達して自分だけの色を出すために研究を重ねたり。
特に日本は陶芸に携わる人の層が厚いので、
そういう方もたくさんいます。
でも僕がしたいのはそういうことだけじゃない。
そういうストイックなのこそが陶芸だ、という方からすると、
僕がやってるのは陶芸じゃないという批判も当然あるけれど、
元々やりたいことが違うわけだから。
——では、ヨコイさんが求めていたスタイルは既に実現されたのでしょうか?
ヨコイ 完成形がどこにあるかはわからないので
達成した!とは言えないが、
デザイナーをしていた頃のフラストレーションや満たされない感じは
かなりのレベルで満たされています。
スタイルは実現しかけている、と言えるかもしれません。
仕事として継続できるかどうかとは別問題なので、
これからが勝負でしょうね。
エンドユーザーの反応をダイレクトに肌で感じるという仕事のスタイルを求めて、
陶芸の道でも独自のやり方を貫くヨコイさん。
スタイルの追求によって弊害は生まれなかったのだろうか?
ヨコイ 僕が作る器は、そんなに多くはよそに卸していないんです。
陶芸家の多くは、販売店に大量に、安く卸しています。
しかし、それをやるとフィードバックがありませんから
僕はあまり興味が無いんです。
だから、その気持ちを理解して頂いた方のお店へ
少しだけ卸させてもらっています。
お客様の反応や、どんな方だったかなどを
教えてくれるようなお店です。
そして、僕の作品についても色々と
良い点悪い点など指摘してくれるお店はありがたいですね。
僕は、接客、店作り、印刷、HP、営業、全て自分でやるので
陶芸をやる他の人に比べると生産量がとんでもなく少ない。
——確かに、全てご自身で手がけている店自体も、表現の一部のようですね。
ヨコイ そうですね、店自体が作品の一部だと言えます。
大きな窯元などを除き、
個人でこういうスタイルを貫いている人は
とても少ないのではないでしょうか?
店を初めて2年弱ですが、
みんながそれをやらない理由がわかりましたね(笑)
やはり、時間が無いのでなかなか作れない。
作ってなんぼですから、
「それはどうなんだろう?」とは思います。
でも、全部自分でやりたいんですよね。
そうすると、どこかが破綻する、無理が生じる。
今はそこが悩みどころです。
(次回に続く)
Atelier+shop cococo ヨコイマサシ〜第1回〜「陶芸は、理想の仕事スタイルを実現するための選択肢の一つだった」
2010.11.17