「らしさ」って食わせ物だと思っていたのは昔のこと。
世の中に反抗し始めた中学生の頃でしょうか。
「中学生らしくしなさい」とか「男らしくない」とか言われると、
「らしく」っていったい何だよって思ってました。
「らしさ」って一筋縄では行かないものだと別の意味で思いはじめたのは、それから何年か経ってからのこと。
自分らしさって何だろうって、鏡の向こうの自分に向かって放つようになったのは。
それからさらに時が流れて大人になって、
「言葉でだったら『らしさ』を描くことって、そう難しいことではないけれど、
同じそれをデザインで、っていわれると、とても大変なことだと思うのは、自分が言葉系の人間だからなのだろう」と考えてしまう今日この頃に「地デジ入門講座」なるものに参加することになりました。
「地デジ」とは、もちろんそうです推測通り、あの地デジとは似て非なるもの。
地上波デジタル放送のことではありません。地酒や地鶏ってあるでしょう。おいしいものの数々が。そうその「地」のこと。
地元ならではのご当地料理があるようにご当地デザイナー、つまり地デザイナーがいてもいいじゃない、そんな感じ。
らしさをデザインに落とし込む地デザイナーがそれぞれの地域に一人いればこの世の中も今よりもっと楽しくなるんじゃないだろうか。
行く先々でいろんならしさがカタチになってて、訪れる者を楽しませてくれる。
住んでる人も自分たちのらしさが他所でも認められれば幸せな気持ちになれる。
そういうわけで地デザイナーの考えを日本中に広めよう、
そのスタート地点が縁あってここ沖縄になったのです。
升が二つと一升の半分んで「ますます繁盛」。升は生活の基本の道具。それをデザインとコピーの基本に据えたそうです。
那覇を代表する商店街、平和通りで11月に開催されたこの講座。
主催したのは(社)なはマチグヮーとNPOエクスブリッジ。
90年代あたりから国を挙げての取り組みが始まったデザイン×伝統工芸品、デザイン+地域ブランドの動きと少し似てはいますが、ちょっと違う。
その違いをひと言で表せば「おもしろい!」や「すごい!」といったもともと地域にすでにある、価値を掘り出しデザイン化しようという点です。
言い換えるなら、「らしさをデザインしよう」ということで、
大都会に住んでいるデザイナーやプロデューサーの感性に頼ることなく、
自分たちが持っている資源に光を当て、輝かせよう。
そういう考えが根底にあるのです。
なので今回は、地域資源を活かした商品開発にすでに取り組んでいる方と
これから開発に携わろうとしている方や
地域に根ざした表現を目指している沖縄在住のデザイナーを対象に、
講師だけでなく参加者自身の事例をもとに、参加型で楽しめる講座となるよう企画しました。
講師を務めてくれたのは、川マニアなら知らない人がいないはずの四万十川の中流域の、旧西土佐村に住み着いたグラフィックデザイナーの迫田司氏。
日本を代表する印刷会社に3年ほど勤務。
グラフィックデザイナーとしてそれなりの仕事をしてきた彼は、
バブルの終わり頃、「このままでいいのだろうか」、
みなさんも思ったことがあるように、自分らしく生きるってどんな事なのだろう、と自らに問いかけたに違いない。そう思われる節があるのです。
そして彼はカヌー好き。さらには古いものや村落共同体に目がないのだから、都会での暮らしを捨てて山間にある小さな村で暮らしていくことに決めたのは実に迫田氏「らしい」生き方チョイスだったのでしょう。
ナショナルブランド商品なら使われることのないリアリティのあるネーミング。原液とか、キダチとか奮い立つ朝とか。かえっていやらしさがないのがいいです。
この講座の中で語られたことは多々ありますが
その中のエッセンス的なポイントをお伝えすることにいたしましょう。
まず手始めに地域の「らしさ」をカタチにする上で、迫田氏が大切にしてることから。
それは3つのL。
ローカル、ローテク、ローインパクト。
溢れるばかりの地域性、昔から語り継がれてきたゆっくりした技術、自然と仲の良い関係。
都会になくて田舎にはある価値の代表選手が三つのLなのです。
自然と仲がいい関係といえば、もう一つ、迫田氏が力説していたことがありました。
風景、習わし、生き方、食べもの。四つのエレメントからなる完結した世界。
こんどは三つではなく四つです。
日本らしい風景は色々あるけど例えば田んぼのある風景。
習わしといえば風土に寄り添う物事の道理。
生き方とは人の暮らし。
食べ物は口から入る。
四つの要素が織りなす世界。田+人+土+口で象られるもの。つまりは田舎。
田舎にこそ「らしさ」が宿る。
その考えが「地デザイナー」のものの見方のベースをなしているのです。
でもここで、?マークが浮かんできます。田舎らしさって何だろうって。
個性的な人も、洒落た店も、気の利いたカフェもない。
代わりにあるのはおいしい空気、牧歌的な田園風景、ゆったりとした時の流れ。澄み渡る空、きらめく海、透明なせせらぎ、瞬く星々。
「ああ、地球に包まれているこの幸せ感」、そう呟きたくなる癒しの力が田舎の持ち味。
そうそうそう。そうなんだけど、でもそれってどんな田舎にもあてはまる「らしさ」なんじゃないのだろうかって。
そして、そういうらしさをデザインするのはたぶんそれほどむずかしくはないのかもしれません。
でもそれじゃあ、九州の田舎らしさと四国の田舎らしさをどう表現できる、って問われるとそれは結構ハードルが高い。
もっと言えば、同じやんばるの、大宜味らしさと国頭らしさをどう際立たせるか、違いをどんな感じに見える化できますかって訊かれると答えはたぶん雲の上。
その難題にどう取り組んでくか。
今回の講座に参加した多くの人が持ち帰る事ができたように思えまる大きなヒント。
それはどんなヒントなのか。
先ほど話した地域らしさの鍵になる三つのLと四つのエレメント。
それらの価値を見出す一番の近道はまずよそ者がそこに住む事。
もしくは一度よそに移り住んだ事のある地元の人。
ポイントは外の世界を知っていて、内と外とを行ったり来たりできること。
そんな人が地域の魅力を掘り当てるキーマンなのです。
人間には生まれつき適応力という物凄い能力が備わっています。
環境変化に対応できるこの能力は反面、
物事に慣れて親しんでしまうがために刺激が刺激でなくなるという副作用があるのです。
本当は素晴らしい価値を持つ習慣とか自然なんかが
ずっとそこに暮らしていると当たり前の空気のようなものでしかなくなってしまう。
だからです、Uターン組とかよそ者がキーマンなのは。
干せるものが季節とかその日によって違うのでこんなラベルになってます
こんどは別のヒントです。
キーマンが見つけたらしさ地域の価値をどうカタチにするか。
何を使って「らしさ」をどう表現するか。
その答えは外にはたぶん転がってはいない。
答えがあるのは内側です。
地域の中にこそ「らしさ」を表現できる何かがあるのです。
もっと言えばキーマンの頭の中にはそれはなく、
その場所に普通に生きてるおばさんとか、お兄さんとか子どもとか、
そんな普通の人の暮らしの中にあるそうです。
地元の人っていってもね、偉い人の頭の中にはないことが多いそうです。
だから地元の人と酒を飲む、
交わって同じ朱に染まってみる。一緒に汗を流してみる。
そういう事をじっくりやると
「おおーっ、これって使えるぞ」
っていうものが見つかるそうなのです。
スライドを撮影したので上等ではありませんが、地デザインの最高の事例です。山間米の純米吟醸に使ったポスターのメインビジュアルは地元の飲み会。この楽しそうな雰囲気はディレクションでは絶対に出せません。現場の暮らしに張り付くことでできることです。
これって実は…、何だろうか、
意識することはないけれど、人と親密になりたい時に、
例えば好きになった人、そういう人に近づきたいとき、
例えば尊敬する人と同じように世界の物事を眺めてみたい、そう思ったとき、
自然にやってることなんじゃないだろうか。
人と何かをシェアする。人と時間を共有する。
そんな当たり前のことを自分はなんだか忘れていたなあ。
東京よりも沖縄のほうが生きてる感じがとてもするって移り住んで来た自分なのに、なんでだろう、大切なことを忘れてた。
そういうことを思い出させてくれたのが実は「地デジ入門講座」だったんだ。
カレンド沖縄の中井さんから話があって書き始められたお陰でもって「棚からぼたもち」。
こうしてこの記事を書くことがなかったならば、
行間から何か大切なものを読み取ったときのように
講座から自分らしい収穫物を掘り当てることはできなかったかもしれません。
やっぱり人のつながりっていいなって、
そう思えた今日があるのも高三のとき同じクラスの同級だった迫田君のお陰です。
どうもありがとう。最後にお礼を言わせてください。
《参考サイト》
「不便の中に潜むデザイン」財団法人高知県産業振興センター
HP:http://www.joho-kochi.or.jp/johosi/0908/design03.html
「四万十中流域山間米」山間屋
HP:http://www.sankanya.com/shohin_masubukuro.html
写真・文 福田展也(猫の手商会 店主兼考える人)
らしさのデザイン~日々の暮らしと半径1m圏内にある「らしさ」
2011.12.25