yonner food(よんなーフード)嘉陽かずみ料理教室303・前編市場から始まる琉球料理レッスン・重箱編

 

待ち合わせ場所は公設市場。

 

「料理を通じて、沖縄の文化を伝えたい」という先生の想いから始まったレッスンだ。

 

一緒に買った食材を手に、教室へ移動して料理する。

 

メニューは生徒の相談にも応じてくれる。今回は、本土から沖縄の長男に嫁いだ生徒の希望で「重箱料理」。

 

「一から全部作るのは大変と思うかもしれないけれど、冷凍保存やだしの使い方を工夫すればそうでもないの。とにかく一度は自分で作ってみた方が良いわよ。」

 

かずみ先生の力強い言葉に励まされながら調理開始。

 


洗った三枚肉は塊のまま茹でる

 


「圧力鍋で煮るとどうしても味が落ちる。一度は普通の鍋で煮てみて、違いがわかるはず。」

 

– – – 「琉球料理を2000年に残せる?」と言われたのがきっかけ 

 

ある時、「2000年に残す琉球料理」という本を作るために、安次富 順子先生(沖縄調理師専門学校 校長)のお手伝いをすることになったの。
その時はまだ、琉球料理の作り方には全く興味がなくて。
でも、先生が色んなエピソードを話しながら料理を作るのを見ているのがすごく楽しくて「へーそうなんだ、そういえばうちのおばあちゃんもそうしてたな。そういう意味があったんですね~」って。
料理の材料や工程など、一つ一つ全てに意味があるということをその時に知ったのね。

 

 
そしたらふと、先生が「あなたこの料理2000年に残せる~?」と言ったんですよ。
その言葉が今でも忘れられない。
即答で「私、残せられません。すみません。」って言ったの。
そしたら先生がくすっとわらって「そうよね、あなた達の年代はもう残せないわよね。」ってあきらめた感じで。
それが私、すごく悔しかったのね。
私は作り方を見て実際食べてもいるのに残せないなんて・・・って。
「残す人になりたい!」と、その時初めて思った。
先生にそう言ったらひひひ~と笑って「あなたはそう言うと思ったわよ、だからああ言ったのよ」って(笑)。
それがきっかけ。

 


茹で具合は手で触って確認。「もう少しかな。」

 


「前回豚肉を茹でた時に出ただし。冷凍保存しておけばすぐ使えて便利よ。」

 

– – – エピソードをたくさん持っている琉球料理で自分を活かしたい 

 

琉球料理の教室を開く前はフードコーディネーターをしていたんだけど、行き詰まった時期があったの。
料理をきちんと勉強していなかったことが原因。コーディネートはできるんだけど、「この料理にこれはありえないよね」っていうプロならわかる常識を知らなかったのね。

 

だから勉強し直そうと思って、東京に行った時にフードコーディネートの先生に相談したの。「沖縄での仕事を1年間休んで東京に住みます。その間勉強し直したいんです。」
って。そしたら、「何バカな事言ってるの!」ってすごい剣幕で怒られて。
「なんで今さらみんなと同じような事をしようとするの?」「仕事の幅を広げたいんです。」「それなら琉球料理を勉強しなさい、そしたら東京でも通用するし、沖縄にいても呼んでもらえるわよ。
他の人と同じこと学んだってわざわざあなたを呼んだりしないわよ。だって東京にもフードコーディネーターはいるんだから。」

 

その意見も目からウロコで(笑)。

 

「あなたには幼い頃から培ったものがあるのに、どうしてそれを活かさないの?それはあなたにしかできないことなのよ」

 

とも言われたのですが、それが自分の武器になるとは当時はわからなかったのね。
でも今では、琉球料理じゃないと自分の言葉で語れないと思ってる。
うちのおばあさんはこうだった、昔はこうだったっていう生の声をみんなに伝えられるでしょう。
他の料理だと私にはエピソードも背景もない。

 

それで、松本嘉代子先生(松本料理学院 学院長)のところで勉強を始めたの。

 



「ごぼうは変色しやすいから切ったらすぐ米のとぎ汁に漬けて。煮物は家庭の味がでやすい、買うより断然美味しくできるのよ。」

 


揚げ豆腐を作る。重箱サイズに合わせてカットし、水切りする。

 

– – – 実母と姑も先生のようなもの。二人からのエピソードを吸収した。

 

それまではお料理は食べる側、行事も見る側っていう関わり方だったの。
琉球料理は姑が作るもの、私たちは盛りつけやお客様への配膳が仕事と思っていて、習おうという気はなかった。
美味しいし素晴らしいとは思うけれど、「こんな美味しいのを作れるのはお義母さんしかいないよね」
としか思ってなかったの。

 

でも、教室で習い始めるとやっぱり作りたくなるのよね。
それで姑に「どうしたらこういう味付けになるんですか?」なんて真剣にきくようになって。
そうすると、習いたいという人には気持ちよく教えてくれる。

 

だから、教室でも教えて頂いたけれど姑も先生。
姑は新島 正子先生(沖縄調理師専門学校 設立者・初代校長)のところで習ったそうで、宮廷料理が得意、とっても綺麗に作るのよ。
ラフテー、ミヌダル、クファジューシー、ミミガー、ジーマーミ豆腐・・・手間ひまかけて作るのが宮廷料理。
何しろおもてなしが多いうちだったから、よく作ってたみたい。
逆にうちの母は家庭料理が得意。
イリチー、チャンプルー、シンジムン、そういうのが。
だから私は両方からエピソードを吸収したのね。
琉球料理の話になったら止まらない!ってくらいいくらでも出てくる。

 

県外で教室を開くこともあるんだけど、琉球料理はすでに一つのカテゴリーになってると思うんです。
中華、イタリアン、フレンチ、琉球料理、みたいな感じで。
県外には沖縄料理店というのが実際にあるわけでしょう?
だから、新たなカテゴリーとして十分通用するんじゃないかと思うの。  

 



水でもどした昆布を手に巻き付けて平らに伸ばす。折って返すことをふまえてしっかり定規でサイズを測る。

 



「返し昆布(ケーシ昆布)は本島では法事、八重山では祝事料理に使うみたい。全く逆なの、不思議よね。」

 

 



「もう一つは簡単。折って、切り目を入れて、こんにゃくみたいに穴に片方の端をくぐらせるだけ。」

 

 

– – – 本来の琉球料理は薄味なのに、今の人が崩しちゃってる

 

琉球料理は実はすごく奥が深いの。
沖縄の人は「え~、琉球料理?何を習うの~?」ってよく言うんだけど、習ってみると知らなかった料理もいっぱいあったし、調味法もかなりあっさりしているとか、目からうろこなことがたくさんある。
だから、勉強して私が感じたことを、きっとみんなも同じように感じるんじゃないかなって。
せっかく素晴らしい食文化で生まれ育ったのだからそれを伝えたいなって。
それで教室を開くことにしたの。

 

今日見てわかったと思うけど、どの料理にもだしをよく使うでしょ?
お重箱はある程度もたさないといけないから濃いめに味を付けるけど、普段のチャンプルーやイリチーはほんとに薄味。
だしを使えばあとは小さじ1くらいの塩だけで、素材の味をしっかり引き出す。
こういうことを意外とみんな知らないのね。

 

塩・醤油どばっと入れて、化学調味料も入れて・・・今はそういう味に舌が慣れちゃってるけど、本来の作り方をお年寄りにきくとだしを上手に使っているのね。茹で汁も捨てずに。

 

最近の料理の味が濃いのは今の人たちが崩しちゃってるの。
アメリカ文化で育って舌がそれに慣れてるから。
でも、だしの素やトゥーナー(ツナ)が特売されるのは、きっとだし文化で育ってるからじゃないかな。

 


「せっかくだからジューシーも作りましょう。茹でて冷凍しておいた豚肉があるからすぐできるよ。」

 



「茹ですぎると返す時にこんにゃくが切れちゃうのよ。」

 

 


天ぷらに使う魚に塩をふって水を抜く。出てきた水が下へ流れるように高さをつけておく。ここにも細やかな気配りが。

 


豚肉にすーっと箸が通ったら火がしっかり入った証拠。「少しでも箸がひっかかるようなら茹で方が足りないということ。」

 


長さを7cmに合わせ・・・

 



「こっち向きに切るのよ。
繊維を短く切るとお肉はやわらかくなるの。」

 


 

– – – ひと手間抜くことじゃなく、ひと手間加えることを教えたい

 

琉球料理を本来のかたちに戻していくためにも教室で味を伝えたいと思っているので、私は伝統を崩さないやり方で教えています。
崩したくないのね、それに意味があると思っているから。

 

崩す事は簡単。続けていく方がエネルギーが必要。
だから私も心動くわよ、「そうよね、崩しちゃえば簡単なのよね」って。
でも、一回はしっかり作ってみることが大事だと思うの。
味をしっかり覚えてからアレンジするのは良いけれど、知らないのに最初から「いいよいいよ、てーげーてーげー」って教えたら、それがその人の味になっちゃうじゃない?

だから最初だけは私は頑固に「面倒くさいけれどやってみて」って。
お肉を茹でる時もそう。
時間がないときは私も圧力鍋使うこともあるけれど、一度は普通のお鍋で時間をかけたお肉を味わってみてほしい。
それから省くか否かは個人の自由だから。

 

お料理教室というのは、ひと手間抜くことじゃなくひと手間加えることを教えるところだと思うから、必ずそうやって教えるようにしてるんです。

 


揚げ物はまず豆腐から。水切りした豆腐に塩を振って味をつけ、再度水気を拭き取ってから素揚げに。

 


「このままだと見た目がぼこぼこだから、お湯にくぐらせて・・・」

「ほら、しっとり綺麗な揚げ豆腐になったでしょう?」

 



次はふかしたターンム(田芋)を素揚げし、砂糖醤油のたれで煮詰める。

 

 


最後に魚の天ぷらを揚げる。
天ぷらの衣を作る。

 


衣を付ける前に小麦粉を振るひと手間。
「こうすると、揚げた時に衣がしっかりとつくのよ。」

 


「先を入れたら3秒くらい静止、それからゆっくり流し入れて。
まっすぐな天ぷらを揚げるコツよ。」

 

 

– – – 長男嫁が多くて、話が盛り上がるのよ(笑)

 

生徒さんの平均年齢は50歳くらいかもしれない。割と高いの。
ここに来た理由をきくと、「そろそろお嫁さんを迎えるから。」とか、伝えていく側になった人が多いみたい。

 

あとは、内地から嫁いできたお嫁さんで「自分の親は琉球料理わからないから」っていう人。
親が知っていれば親から習えばいいわけだもんね。

 

いずれにせよ、行事をしきる年代になった人が多くて、長男嫁率も高い(笑)。仏壇を持ってる人ね。
だから、行事の話になるとみんなかなり盛り上がるわよ(笑)。
苦労も分かち合えるしね。

 

最初、電話で問い合わせしてくださる時に、「私みたいな年代の生徒さんいます?」っておっしゃるから「ほとんど同年代ですよ~」
って(笑)。
30代だと若いほうね。
それぐらいの年齢の方は、もっとおしゃれなお料理に目がいくと思う。
自分もそうだったもの。

 


「こうして並べると頑張った〜!って感じがするわね(笑)」

 


見た目の美しさも重要。「上下左右どこにも隙間ができないように並べるの。全ての料理が同じ高さになるよう上げ底して。」

 


「昆布は左右互い違いに入れると綺麗。返し目もそろえてね。」

 


「ごぼうがちょっと長かったわね。少し切りましょう。この手間を惜しんでは駄目なのよ。」

 


「小さい切れ端は下に入れて、切り口が綺麗でサイズが揃っているものを上に。」重箱に入れる数は奇数。見た目も奇数になるよう、上のターンムは3つ。

 


「真ん中の列が上から昆布、かまぼこ、お肉と決まってるの。あとはは自分で彩りを考えて詰めてね。」

 

 


「私のジューシーを食べた70歳の生徒さんから『こんな美味しいジューシーは初めて』って褒められたのよ。さあ、試食しましょう。」

 


重箱の中身をおつゆにした「ヌンクー小(グヮー)」も添えて。

 

 

今の夢は、「はやく、立派な沖縄のおばあになりたい」。
それが目標(笑)。
ただのおばあじゃなくて、カッコイイおばあになりたいな。

 

講習会に呼んで頂くと、教室に入った時に「えー、先生若いんだね」って生徒さんに言われちゃうの。
まだ説得力に欠ける年代なのよね、見た目も童顔みたいで。
お料理の先生って息が長いでしょう?
元気なら80〜90歳になってもできる。
その年代からすると私はまだまだぺーぺー。

 

伝統食を語るには、経験積まないとダメっていう感じがあるから。

 

だから、「琉球料理のことは誰がわかるかね?」って話になったとき「かずみおばあっているわけよ、あのおばあに聞いたらなんでもこたえるよ」みたいな(笑)。
その年代になったら本当になんでもわかるようになってると思うのね、やり続けてさえいれば。
だからそういうおばあになりたいな。
それが私の夢。

 

 

後編では、市場での買物の様子もお届けします。

 

写真・文 中井 雅代

 

yonner food(よんなーフード)嘉陽かずみ料理教室303
*市場での買物を含むレッスンだけでなく、
教室での毎月の定期レッスンもあり、
重箱料理に限らず様々な琉球料理を教えています。
詳しくはホームページ(http://www.yonnerfood.jp)をご覧下さい。

 

ブログ:http://www.yonnerfood.jp/blog.html