堀江敏幸・著 毎日新聞社 ¥1,400 (税別)
ここ数日、雨音で目が覚める。梅雨はまだ先ながらも、春の長雨。
ちょうど書き出しがこの時期にぴったりだなあと思い、手にしたのがこの小説。
タイトルの「めぐらし屋」というのも何とも心惹かれる響き。
物語は主人公が、他界した父親の部屋から一冊のノートを見つけたことから、思わぬ展開になっていく。
主人公の蕗子さんは妙齢の少しふわふわした女性。彼女はそのノートの中に、小学生の頃描いた黄色い傘の絵の一部が貼ってあるのを見つけ、そこからするするとその頃の記憶が引き出されていく過程が描かれる。読んでいるうちに、こちらもまた、自身の記憶が思いがけず呼び起こされた。
小学生の頃のある日の書道の時間。クラスメートは皆、思い思いに小さな机に広げた書道用紙に字を書いていた。教室の中が昼間なのに、蛍光灯でやけに明るかったのは、外が今にも降り出しそうな雨雲に覆われ暗かったからだ。雷もごろごろ鳴っていたと思う。
私はあまり自分の作業には集中出来ず、いつ降り出すかなあとぼんやりと暗い校庭を見たりしていた。周りの低い声のおしゃべりや、墨をする音や紙を擦るような音が心地よく漂っていた。そんな中、静寂を破る突然の激しい落下音。最初は雨音にすら聞こえなかった。一瞬、私たちは歓声を上げたように憶えている。しばらくの間ざわついた後、外では激しい雨の降る中、また私たちはやるべきことに戻った。
とたったそれだけのことだけれど、満ち足りた何かいい思い出として、しっかりと記憶に残っている。一見、取るに足らない意味のないことでもこうやって何がきっかけで思い出すか分らない。そんな記憶の不思議さが淡々と静かに描かれた優しい物語。それがこの小説。
わからないことはわからないままにしておくのがいちばんいい、と帯に書かれた言葉。全て明らかになってしまったら何だかきっと窮屈だ。分からない、という余白があるから楽になれるし、誰かに優しくもなれる。読んだ人はまたそれぞれの記憶に想いを馳せるだろう。
じんわりと、大人の心に染みる物語です。
OMAR BOOKS 川端明美
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