「LONDON meets OKINAWA.」 4月25日からロンドンで行なわれるLOOCHOO(ルーチュー)展。 ロンドンとオキナワ、過去・現在・未来。琉球クリエイションが時空を超えて交差する。

文:幸喜 朝子 写真:大湾 朝太郎
(※松堂今日太作品画像、pokke104画像を除く)

 
4月にロンドンで行なわれるウチナーンチュ作家の展示会LOOCHOOに参加する作家さんを、実行委員会メンバーであるブエコこと幸喜朝子が紹介します。
今回は、ガラス作家の松堂今日太さん、イラストレーターのpokke104さん、画家の大城英天さんを訪問。
 
 
LONDON meets 松堂今日太
 
光を受けてきらきらと輝くガラスのオブジェ。
一見ティアラのように見える作品のタイトルは「見えない境界」。
沖縄に居座り続ける米軍基地を、ガラスの有刺鉄線で象徴的に表現している。
 

 
ガラスに限らず透明なものが好きというガラスアーティストの松堂今日太さん。
 
「ガラスだけじゃなくて水とか海とか空気とか、
透明なものが好きなんです。
目の前に透明のかたまりがあるだけで幸せ(笑)」
 
そう話す今日太さん、初めてお会いした第一印象は驚くほどやわらかい。
紳士的な物腰と丁寧な口調が好印象で
少し話せばきっと誰もが引き込まれてしまう、そんな方です。
あんな激しさを持つ作品がこんなにも穏やかな方から生まれるとは。
 

 
「作品で毒抜きしてるんです(笑)
僕は現代美術の中でも社会派。
社会へのメッセージや批判を言葉じゃなく
もっと余白を入れながら作品で提案したい」
 
余白を入れるというのはつまり、見る側に考える余地を与えるということ。
ダイレクトに答えを迫るのではなく、相手にゆだねる。
ああ、なるほど、やわらかな物腰で鋭いメッセージを放つ…
今日太さんのガラス作品はまるで今日太さん自身のようだ。
初めは真逆に思えた作品と今日太さんの個性が、話を聞いていて重なった。
 

 
「もともと社会学科出身なので作品に社会的なメッセージを
折り込むべきだと思って」と話す今日太さん。
強烈な作品を見て賛否両論、むしろ批判されるのが楽しみで
批判がないと「失敗だ〜」と思うこともあるんだとか(笑)。 
 
今日太さんは大学卒業後、東京ガラス工芸研究所に入るも
お金が続かず1年で退所。日本におけるガラスの発祥地長崎で
観光客向けの器を制作していましたが
もっとデザインを学びたいという思いからニューヨークへ。
そこで運命的な出会いと体験が待っていた。
 
「ある日、N.YのBOOK-OFFで立ち読みしてたら
演出家の宮本亜門さんが沖縄に家を建てた、っていう記事が載ってて
「やられた!」と思ったんですね。
その家は海辺にあって、いろんなアーティストや工芸家、舞踊家が集っていて、
すごく自分もやりたいと思ってたサロンのようなスタイルだったから。
それで亜門さんのことを知ってたんですが
そのあと偶然、N.Yの日本人のグループ展のギャラリーでご本人に出会ったんです」
 
その後2人はAMON&KYOTというユニットを組むことになり、
偶然の出会いは必然となった。
もう一つ、N.Yでの運命的な体験は9.11、2001年の同時多発テロ。
テロが起きたまさにその時、今日太さんは航空機が突入した
世界貿易センタービルの対岸にいた。
 
「僕、その時ちょうど対岸にいたけど何が起こったか知らなかったんです。
すごく晴れた気持ちのいい日で、
いろんな人がカフェテリアでコーヒーを飲んでいたし
みんな気持ちのいい日常をすごしていた。
だから家に帰ってテレビであのテロを知って、なんで!?って。
信じられませんでした」
 
さらに日本に戻り活動拠点を東京に移した今日太さんは
昨年3月11日、東日本大震災をも経験する。
その時制作していたのはガラスの「心臓」だった。
 

 
「これは『1/7,000,000,000』(70億分の1)
というタイトルがついてるんですが
昨年、世界の人口が70億人に達したんですよね。
これって人類の歴史上最高の数じゃないですか。
自分はその中の1人なんだと思って。
3.11を経験してもまだ生きてる、今でも生かされてるんだって」
 
繊細な心臓はパイレックス(耐熱)のガラスを用い酸素バーナーで作る。
レースを編むようにつくるこの技法はとても難しく、高度な技術を要する。
でも今日太さんはその技法を習得して3ヶ月で「心臓」を制作。
周囲からは「3ヶ月でこんな大作を作れるなんて、あり得ない!」と言われたそう。
 
 
しかし、まさにその制作中に3.11は起きた。
心臓は奇跡的に無事だったものの、しばらく物作りができない状態が続いた。
どんなメッセージもモノ作りもあの大震災の前に無力に思えた。
 
そんな時、スタジオにあったのが世界でも希少なウランガラス。
ごく微量のウランを含んだガラスで、紫外線をあてると美しい緑色に発光する。
これを今使わないでどうする。
今日太さんはそんな想いに突き動かされ「壊れたDNA」を制作。
「ウランガラスでできた壊れたDNAが、合わせ鏡によって延々と続く」
というコンセプトで、地震によって安全神話が崩壊し
生命の根源DNAさえも脅かすこととなった原発への痛烈なメッセージだ。
 
 
 
9.11と3.11。大きな節目を2つも経験した今日太さんが
LOOCHOOで展示するのは沖縄流の「Say Hello!」。
 
「クリプトギャラリーがもともと教会で
今も577体の遺体が眠っていると聞いたから
その577人の見えない人達に
Say Hello!を言うための沖縄らしい儀式として
ウチカビを床にしきつめてヒラウコウを置いて(笑)
そして僕のセルフポートレートとしてガラスの心臓を置く。
琉球人の私がご挨拶にきましたよ、っていうインスタレーションです」
 
ウチカビを段ボール2箱分も買って(!)
公設市場のおばちゃんに怪しまれたという今日太さん。
ロンドンの人が見たら「なんで死んだ人にお金あげるの?」って
ユニークに感じるはず、と笑顔。
この島には県外や国外など沖縄の外に出たからこそ
見える良さがあると言う。
 
「僕は沖縄にいる外国人の友だちがすごく多いんですけど
みんな沖縄を愛してるんですよね。ある意味沖縄の人以上に。
なぜなら沖縄って世界と比べてもものすごいユニーク。
特に信仰とか基地のバックグラウンドがありながらも
琉球王国の文化が根付いてるユニークさにはみんな興味を持つ。
だからロンドンの人からどんな反応がくるかすごい楽しみ」
 
 
床に敷き詰められた黄色い紙と、とまどうロンドンの人たち。
そんなロンドンの一場面を想像してワクワクするのは今日太さんだけじゃないはずだ。
 
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LONDON meets pokke104
 
 
「小学校の頃はマンガ部だったんですよ。
マンガ読むだけの部(笑)」
 

 
花や珊瑚、ジュゴン、葉っぱ、蝶。
pokke104さんのイラストは自然のモチーフがほとんど。
それこそキャンバスから溢れるほどに自然が描かれていて、とても賑やか。
だから花や木々に囲まれてのびのび、沖縄版ハイジのような
少女時代を過ごしたんだろうなぁと想像していたのですが
意外や意外、マンガばかり読んでいたという。
 
「スラムダンクとかスポーツマンガが好きでした。
でも一番好きなマンガは『マンガ日本昔話』!
絵とか声とか、見てて安心しますよね〜」
 
地味な色味の印象があるマンガ日本昔話ですが
今でもDVDが欲しいぐらい好きなんだそう。
さらにテレビからも影響受けてますよ、とpokkeさん。
 

 
「ドラマの『裸の大将』見てました!
あれって、山下清がいろんな所に行ってちぎり絵で作品を描いて
おにぎりをもらってみんながハッピーになって…
私もそういう生活したくって(笑)」
 
絵を描いておにぎりをもらう大人にはならなかったものの(笑)
pokkeさんの転機のひとつである2006年のサントリーミュージアム賞の
受賞作品がちぎり絵なのは、もしかするとこのドラマの影響かも…しれない。
 
 
それにpokkeさんの作品はちぎり絵ではないけれど、たくさんの色で構成されている。
例えば私には白一色にしか見えない白鳥の羽も、
ピンク、水色、オレンジ、紫、黄色…たくさんの色数。
pokkeさんはどうやってこの色をイメージしているんだろう?
 

 
「あ…私はこれが普通だと思ってました(笑)」
 
そう笑うpokkeさん、信じられないことに高校生の頃まで
色使いが苦手でコンプレックスだったそう。
 
「高校の先生に色作りを徹底して教えてもらったんです。
映画とか見てて色使いがかわいいと思ったら『色をメモする』。
この色を作るには、これとこれ、っていう風に
配合を自分なりに書きとめて。
お料理と一緒で、この料理には砂糖何グラムで
塩が何グラム、って配合がありますよね。色も配合が大事なんです」
 

 
そうして色作りをマスターしたpokkeさん。
苦手だった色使いはむしろゆるぎない個性となった。
 
pokkeさんが描きたかったのは「海」。
 

 
「20歳の時にダイビングで海の色に感動して
ブダイとかイソギンチャクとか、すごく描きたかった。
私は色を通して『この島に生まれてよかった』と思ったんです」
 
たくさんの眩しい色で溢れる沖縄だからこそ生まれたpokkeさんの作風。
LOOCHOOに出す作品のタイトルも「産まれる喜びの色たち」。
結婚式でおなじみの「かぎやで風」からインスピレーションを得ています。
 
「『今日の喜びを何とたたえる事ができましょう。
まるで蕾の花が朝露を受けて
ぱっと咲き開いた様な心持ちです』
 
このかじゃでふう(かぎやで風)の歌詞って、
日常できれいなものを見た時に
幸せって思う感覚と同じなのかな、って。
こういう当たり前の感覚を
もっともっと大事にしたいと思ったんですよね。
だから踊る時の衣装の紅型の模様とか房指輪とか、
かじゃでふうに関するいろんなモチーフを
キャンパスの中につめ込んだんです。
この作品が私なりの「沖縄の色」なんですよね。
LOOCHOOに来てくれた人が
あ、沖縄にいる、って感覚になってくらたら嬉しいな」
 
 
初めての海外もわくわくが大きすぎて不安は感じないというpokkeさん。
 
「つねに新しいこととか楽しいことをやっていたい。
マラソン選手とおんなじで、やらないとなまっちゃう。
臆病なんでですよ、きっと」
 
そう語る瞳はロンドンに向けたわくわくで
素敵な色に輝いていた。
 
 
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LONDON meets 大城英天
 

英天さんのアトリエに向かったのは夜22時。
右手にはパソコン、左手にはビールとブエノチキン。

「取材OK、飲みながらな!」
 

 
そんな英天さんからのメールによりビールとおつまみ持参です(笑)
夜の闇に浮かび上がる灯り、雑然と並ぶたくさんの大きな絵たち。
作家さんご本人の作品を見ながらの取材はなんとも贅沢。
制作中の作品に囲まれながら(飲みながら)取材スタート。
 

 
※鍋のブエノチキンを取り分けてるのが筆者のブエコ
 
英天さんの作品はいつも“ライブ”だ。
ライブペイントはもちろん、アトリエで描く時も
その時のインスピレーションで描いていく。下書きはない。迷いもない。
 
「描くものに間違いはないからね。
絵を描くのは『電話しながら落書きしてる』感じ。
ライブペイントが一番そう。
音を聞きながら落書きしてる」
 
英天さんの「落書き」の感覚は
絵を初めて描いた頃から変わらないのかもしれない。
 
「最初に描いたのは小学校3年生。
Tシャツに『釣りキチ三平』描いた。
欲しいTシャツがなかったからさ。超似てたよ(笑)」
 

 
今でこそ当たり前のアニメTシャツを数十年前に作っていたとは!
さらに中学では友だちのジーンズ、高校ではクラブの壁と
英天さんのキャンバスはどんどん大きくなっていった。
でも、そのまますんなりと画家の道に進んだわけではない。
専門学校を卒業後、鉄の美しさに魅せられ鉄筋工へ。
 
「実は高校生の時に鉄筋工のアルバイト行ったわけよ。
それがきつすぎてさ、一生したくない仕事だと思った(笑)」
 
二度とやりたくないと思ったはずの鉄筋工の仕事を12年も勤め、
英天さんは知識と技術を極めた。
そして31歳になり、絵の道へ。
もともと30歳で鉄筋工を辞めると決めていたそう。
だからこそ英天さんはきつい鉄筋工の仕事をしながら絵を書き続けた。
 
「仕事のあと他の人がキャバクラとか行ってる間に
自分は絵を描いてて、50点はあった。それで個展をやったわけさ」
 

 
そうして2002年、描きためた作品で初の個展を開いてから
つぎつぎと縁や人脈がつながり、
県内外はもちろんN.Y、香港など海外でも個展を開くまでに。
先日もモンゴル800のキヨサクさんを中心としたセッション集団
「The NO PROBLEM’s」のメンバーとして
タイでライブペイントをしてきたばかり。
 
「もちろん鉄筋工やってる時は
俺なにやってるんかな〜って思うこともあったよ。
ずっと応援してくれてるMIMU de OMUの
OMUさんにも『いつ絵やるの?』って言われたし。
でも、鉄筋工をやってたから今があるわけさ」
 
英天さんの言葉通り、今では鉄の作品が様々な店舗に置かれ、
絵にも鉄のモチーフが活かされている。
取材の数日前には久茂地にオープンする飲食店に
鉄の大きな鳥かごを納品したばかりだという。
ちなみに取材したのはLOOCHOOの作品〆切り2日前。
にも関わらず、まだまだ他の仕事があると言うから、その多忙ぶりに驚く。
いつLOOCHOO作品描くんですか!?
 
「いつも夜中3時ぐらいまで描いてるよ。
そのあと5時までアニメ見て、8時に子供と起きる。
でも疲れてる方が作品も進むんだよ。
自分はヒマなのがだめだわけさ。
一生止まれないマグロと一緒(笑)」
 
動けばお金も回るからさ〜と笑う英天さん。
どんどん動くことで様々な人とつながってきたそう。
LOOCHOOに出す作品に描かれた“電波”も、つながりを表している。
 

 
「(作品の)3つの円は過去の太陽、未来の太陽、今の太陽。
でも結局どれも同じ太陽ってことを表現してる。
これ(太陽の横のモチーフ)は電波。
みんな電波を出してるから、つながるんだよ」
 
 
下書きなしで描く絵のように、
人生もつながりと感性に身を委ね大きく飛躍していく英天さん。
ロンドンでどんなつながりが生まれるのか楽しみです。
 
 
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 LOOCHOO展
 日時:2012年4月25日〜30日
 場所:ロンドン クリプトギャラリー
 HP:http://loochoo.ti-da.net/
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■プロフィール
【松堂 今日太】:ガラスアーティスト
大学で社会学を専攻。東京ガラス工芸研究所を経て、長崎県のガラススタジオで吹きガラス制作・デザインを担当。渡米し、ニューヨークのナショナル・アカデミー・オブ・デザイン・スクール・オブ・ファインアーツに通うかたわらアーバングラスでガラスを制作しギャラリーやショップで作品を展開。04年日本クラフト展入選。帰国後は演出家の宮本亜門氏のオペラ、ストレートプレイ、ミュージカル演出のアシスタントをしながら、自身のガラス作家としての活動もこなす。
07年琉球ガラスと漆を融合させたLaglassのデザイン。08年に宮本亜門氏と「ゴッドデザイン展 」で 透明性のあるガラス、アクリル、プラスティックを用い、11年には「 Unseenミエナイモノ展 」を開催。近年はパイレックスガラスを使用した作品を展開している。
 
http://www.commons-sense.net/blog-08/ 
インターナショナル ファッション マガジン
「commons&sense」松堂今日太オフィシャルブログ
 
 
【池城由紀乃 pokke 104】:イラストレーター
沖縄の伝統工芸や植物、海の生き物、自然に深くインスパイアされ、それらをモチーフにした独特のタッチと色彩で知られる。ライヴペイントや児童からお年寄りまでを対象としたワークショップ、広告媒体イラスト、壁画、テキスタイルデザインなど活動は多岐にわたり、県内の女性イラストレーターの第一人者ともいえ、その活動は県内外で評価され、ウォルトディズニー社とのコラボレイトなどでも広く知られる。06年の大阪アートストリームライヴペイントにてサントリーミュージアム賞受賞。今回はHCCTでのアートワーク活動も決定。
沖縄市出身
 
http://www.pokke104.com/ pokke 104 HP
 
 
【大城英天】:画家 
ペンキ、色鉛筆を使用した作品と鉄筋を素材としたオブジェ等を創作。02年から精力的に毎年個展開催。08年7月初の海外個展をNEW YORKで開催。10、11月NEW YORKでグループ展開催。     12月沖縄のアーティストバンドMONGOL800のCDジャケットを手がける。09年6月宮古島ロックフェス(後夜祭LIIVE PAINTING参加)7月東京銀座Jtrip Art Galleryで波紋開催、9月プラザハウスグローバルギャラリーにてSTEEL WORKS EXHIBITION。10月MONGOL800gaFES, What a Wonderful World09にLIVE PAINTINGでの参加。11年那覇市さいおんスクエア内カーゴスギャラリーで第一回の作家として個展を開催。 同年10月に田仲洋やpokke104等と再度MONGOL800主催のWhat a Wonderful Worldにライヴペイントで参加。県内若手を代表する画家。豊見城市出身
 
http://www.eiten-style.com/ 英天HP