きらきらとまばゆい白い光りを放つ白米と、琥珀色の美しい玄米のおにぎり。一般的なおにぎりよりも厚みがあり、宝石のようなお米を惜しげもなくぎゅぎゅっと握り、素朴なたたずまいの海苔にくるんで出してくれる。
ふんわり柔らかそうな白米おにぎりを一口ほおばると、まず、お米の甘みに驚く。そして、見た目の柔らかさに反し、一粒一粒がしっかりと主張するお米の強さにも。適度なかたさで握られて、お米どうしはしっかりひっついているのに、粒が潰れていないのだ。その形状と優しい歯応えが、しっかり残っている。
玄米おにぎりは、もっちりとした弾力がたまらない。そして、噛むほどにじんわりしみ出してくるようなうまみ。
ホネのある米、という表現はおかしいかもしれないが、一粒一粒に生命力を感じる、生き生きとした味わいがある。
オーナーの浅野さんの実家は、宮城県で専業農家を営んでいる。
「両親の田んぼの米以外は、今の所は販売するつもりはありません。それだけ、うちの米に自信を持っています。」
11年前に旅行で沖縄に来て、気に入って移住したが、最初は違う仕事に就いていた。
「当時は自分一人食べて行くのがやっとの状態。色んな人にお世話になって。新米の時期になると、そういう方々にお礼として実家から送ってもらった米を配ってたんです。すると、食べた方から『あんた、この米一体どこから買って来たの?』『どこでどんなして買ったらいいの?』と問い合わせがきて(笑)」
これまで食べたことのない美味しさのお米に、うちなんちゅのおばさんたちは驚いたのだ。
「実家の米なんですと言うと『おばさんがもあいで配って来るよ~』なんて言って勝手に注文をとってくるようになって(笑)僕はお米屋やりたいなんて一言も言ってないのに、クリーニング屋さんがなぜか販売窓口になってたりしてて、気がついたらお米の販売が始まってたっていう(笑)」
沖縄のおばさんパワー、恐るべしですね(笑)
「恐るべしですよ、ヒトの人生変えちゃいますからね(笑)」
沖縄の横の繋がりの強さに助けられ、あっという間に評判が広まった。広告を出さずとも、お客さんの知り合いたちが噂を聞きつけて注文してくれるようになった。
(クリックで拡大します)店内には精米機を置いた精米スペースも
最初は自宅のリビングに電話とファックスだけを置き、小さい精米機と冷蔵庫を使って注文販売だけ行っていた。実家から月に何kgかの米を送ってもらい、自宅にストックし、注文が入ると配達していた。
「そのうち電話も取れないほど忙しくなってきて。『あそこの米屋は連絡がつかない』という話になってきたので(笑)いつでも買いに来て頂けるように、店舗を構えたいと思うようになりました。」
それまで他の仕事もかけもちしていたが、米屋一本でやっていこうと決意した。
「2年くらいずっと物件を探していてなかなかピンとくるものに出逢えなかったんですが、この物件に出逢った時は『良いな〜』と一目惚れ。すぐに契約して着工しました。」
2011年1月にオープンしたばかりだが、やってくるお客さんはひきもきらない。
米袋を再利用したおしながき
おにぎりが食べられるランチも始めた。
「お米が良くても炊き方が良くないと味に差が出てしまうので、できるだけ良いコンディションで食べて頂きたいし、こういう食べ方もできますよと提案したくて。」
伊賀焼きの炊飯土鍋で炊いた浅野家のお米を握ったおにぎりは絶品だが、具材の梅干しや味噌、脇役のぬか漬けなども美味しいと好評だ。
「宮城の保存食を中心とした食文化を紹介したいと思って。お出ししているものはほとんど実家の食べ物。ですから、農家で食べられているご飯という感じですね。」
浅野家の食卓を再現したような感じでしょうか?
「そうです。でも、自分が小さい時はマクドナルドに憧れていましたけどね(笑)」
丁寧に作られたご飯が彩る普通の食卓がいかに贅沢なものであるか、幼い時にはわからない。
「梅干しひとつとっても、いざ自分たちでやってみるとできない。梅を塩漬けして天日干しするんですけど、その工程を梅が半分くらいの大きさになるまで延々と繰り返す。そういう手間がかかっていることも知らなくて。家族の誰かがやっていて当たり前のことのように思っていたけれど、こんなに大変だったんだな、と。そんな、昔ながらの食生活も含めて楽しんで頂ければ嬉しいです。」
浅野さんは米そのものが持っているストーリーだけではなく、その背景まで伝えたいと思っているのだ。
「さまざまな米どころがあって、その名前や商品名はみなさんもよく耳にすると思うんですけど、そういう米どこころの風景ってきっと殆どの方が思い浮かばないですよね。でも、お米を買う時に、産地の風景やそこで生活してる人の食文化まで思い浮かべてもらえるようになると、色んなことが違ってくるんじゃないかと思うんです。
農法や産地を基準にした選び方もあるけれど、『遠い産地』じゃなくて意識的に近いお付き合いのできる生産者と消費者の関係を大事にして、それが選択基準になると良いなと思って。」
沖縄はいわゆる米どころとして知られる場所ではなく、田園風景もあまり見られない。
田植えの時期には一面に水が張られて太陽の光をはね返し、収穫の時期には黄金の稲穂がゆれる壮大な田んぼの風景を、思い浮かべる人は少ないだろう。
言われてみれば米どころとして知られる地名も、ワードとしてインプットされているだけのような気がする。
「それって勿体ないですよね、沖縄の人ってお米がすごく好きじゃないですか?お祝いの時にも送るから、お金のようにお米をストックしていたりするのに。もっと美味しいお米があるんだって知って欲しいですね。」
同じ宮城県産の同じ品種の同じ農家が作った米でも、味はまったく違うと、浅野さんは言う。
「兼業農家だとまた話は違ってくるんですが、専業農家は色んな場所に田んぼを持っていることが多くて、土地の条件によって穫れる米の味が変わるんです。例えば、山に近いほうが良い米が穫れるけれど、近すぎると山から来る水が冷たいので稲の成長が遅い。だから、ちょっと離れたぐらいが一番米づくりに適している。あっちの田んぼとこっちの田んぼでは、味がまったく違ってくるんです。
そして、農家の人たちのほとんどが、自分たちが作っている米のなかでも一番美味しい米を食べます。お店に卸す米は他のお米。でも、品種は同じですからパッケージラベルも同じです。」
なんと羨ましい話!つい、「良いはず〜」と声をあげてしまう。
「そうでしょ?(笑)だからオヤジには『その一番美味しい田んぼの米だけちょうだい、そこのしか売らないから』って言ってます。『他のはいらないからね』って。」
舌の肥えた農家が食べているものと同じ米しか、米や松倉では扱っていないというのだ。
浅野さんは、米の流通が抱える問題も打ち明けてくれた。
田んぼで穫れた米が消費者の口に入るまでの間に、様々な人たちの利害をめぐる思いが邪魔をして、本当に美味しい米が手に入りにくくなっていることを。
「悲しいことですが、つじつまさえ合えば何でもありみたいになってるんです。でも、それじゃ誰が喜ぶの?と。一部の『誰か』にとって都合が良いだけのシステムになっていて、生産者も消費者も喜ばないし、販売者も仕事が成り立たない。それじゃいけないと思って。その三者がパートナーとして信頼できるような形を作りたいと思っています。」
くねくねと複雑に交錯しあい、そのところどころに深い落とし穴が空いているような一般的な米の流通ルートとは違い、米や松倉のシステムはシンプルなことこの上ない。
パイプ、というよりはトンネルほど大きさで、長さが極端に短い通路のすぐ向こう側に、生産者である浅野さんのお父さんの顔が見える。親子という関係上、風通しも抜群だ。私たち消費者がこちら側から手を振れば、あちら側にいるお父さんも応えてくれそうな距離で、両者を繋いでいる大きなトンネルこそが米や松倉なのだ。
お座敷もある。「お子さん連れも大歓迎、小さい時からお米の美味しさを知ってほしい」
精米したての白米3kg
つやつやと光を放つ、甘い白米
ランチメニューも改良したいと、浅野さんは言う。
「一人一人に土鍋でご飯をお出しできるようにしようと思っています。おにぎりも良いけれど、もっとお米そのものをしっかり味わっていただきたいので。ご飯が主役の定食を作りたいんです。」
おにぎりを食べた美味しさを伝えたとき、浅野さんの顔がぱっと輝いたのを見て、お米への深い愛をダイレクトに感じた気がした。
米や松倉のお米を食べると、東北の人々の繊細な心遣いや心意気、そして底力をひしひしと感じる。
米づくりに手間ひまがかかるのは勿論だが、ただ手間をかけるだけでこんなに美味しいお米が作れるはずがない。
細心の注意を払い、丁寧に心を込めて、そして、たとえ厳しい自然の影響を受けても、ひたむきに農作業にあたる農家の人々の様子を、想起せずにはいられない。
沖縄に来た観光客が、「沖縄のお米ってなんでこんなに美味しいの?」と驚くほど、米や松倉のお米が流通するようになる日が来るかもしれませんね。そういうと、
「そうなると良いですね、本当に。」
浅野さんは目を細め、そして慌ただしく県内各地へと配達に向かった。
米や松倉
098-943-1058
宜野湾市大山2-11-26
open:10:00〜19:00頃
(ランチは米が無くなり次第修了)
close:月
HP:http://komeyamatsukura.net
blog:http://matukura.exblog.jp