『 海うそ 』南九州の島を訪れた研究者が歩いて、見て、聞いて、感じたものは? 過去、現在、未来が交差する場所の記憶。


梨木香歩・著  岩波書店 ¥1,500(税別)/OMAR BOOKS

 

過去・現在・未来、私は今どこに立っているのだろう?本を閉じ、ふっと我に返る。
夢から覚めたあとのように、ぼんやりと目の前に開かれたノートやペン、飲みかけの珈琲カップを見つめる。ちょっとした小旅行から戻って来た時のあのあやふやな現実感の中にいる。

 

今回ご紹介するのは、『西の魔女が死んだ』や『渡りの足跡』『雪と珊瑚と』などの著者・梨木香歩さんの書き下ろし小説『海うそ』。
この小説の主人公・秋野は人文地理学の研究者。あるとき恩師の残した中断したままの論文資料を見つけ惹かれるままに南九州のある島を訪れる。昭和の初めから現代にかけて、自然と人の営みが織りなす島の歴史と不思議な縁を辿ることになった彼が行きつく先は?また「海うそ」の意味するものとは・・・。

 

焼き付くような強い陽射しを長く浴びたあと、したたるような濃い緑の森の中に入ると汗が立ちどころに冷やされ、首筋がひんやりとするような感覚を思い出す。ねっとりとした湿度の高い空気。風が運ぶ海からの潮の香り。本の見開きにある島の全景図を頼りに、読み進めていくと五感が開かれていくようで、次第に秋野と一緒に無心に歩きながら謎を追っている。

 

山と海に囲まれ、以前は修験道の修行場でもあった島で暮らす人たちに出会い、地名の由来を聞き、目に留まった野生の動物、失われつつある植物や長い年月によって作られた地形をスケッチする「フィールドワーク」とともに、その島の抱える過去が静かに浮かび上がってくる。
50年後にある謎が明らかになるというしかけだが、この物語のもう一つの主役は「島」という限定された場所だ。あるいは過去から現在、未来へと自在に移り変わる「時間」だ。時の浸食によって変わっていく島と失われていく場所の記憶。圧倒的な自然のもとで、歴史に翻弄されながらも慎ましく生きていた人々の痕跡も時間には抗えず消えていくしかないのか。

 

晩年の秋野が、世代の違う息子にもっとこの島について話しておけば良かったと悔いる場面がある。過去に出会った島の人たちと、夜毎語り合ったはずの場所が消えてなくなっているのを目にし、今自分はここにいるのに、確かに語り合ったはずなのに、その人たちはもう誰もいない。この場所で本当にそんなことがあったのか。語り継ぐものがなければそれはなかったことになってしまうのか。過去、現在、未来が交差する場所の記憶。それは私たちの物語でもあるはずだ。

 

OMAR BOOKS 川端明美

 


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