静謐なたたずまい。
カトラリーの周りには、しんとした静けさが満ちている。
触れると、繊細な感触、
持ち上げると、いかにも実直な重み。
小西光裕さんの作るカトラリーは今、
東京、神戸の店舗でも取り扱われるほどの人気で、
海外からの引き合いもあるなど、
多方面で高い評価を得ている。
「作品を作る時は、僕はどちらかというと奥の方へ沈んで行く感じ。
深い所へと潜って行くような、『ダイブ』系なんです。」
– – – プロダクトづくりは人に任せて良いかなって。
中学生の頃から、こういう道に進みたいと思っていました。
実は、最初は学芸員になりたいと思ってたんです。
作るほうは、「僕なんかには無理だ」と思っていて。
母親が司書なので、子どもの頃から本は好きで、
休みの日も、図書館や美術館によく連れて行かれていました。
ちょっと遠くで開催されている展覧会でも
家族旅行をかねて行っちゃう、みたいな。
だから、美術はすごい身近にありましたね。
父は公務員だけど趣味で木工をしていて、
もともと大工の家系だったこともあって、
ものづくりはずっと好きでした。
最初にちゃんと作ったのは高校2年の時で、プロダクトを作りました。
美術も好きだったけど、自分でやるならプロダクトだと思っていて。
でもやってるうちに、
「プロダクトは人に任せて良いかな」って(笑)。
当時はちょうど、人生で一番本を読んでいた時期でもあったので、
表現したいという気持ちが余計出てきたんですね、それで彫刻を始めました。
——— 彫刻以外の選択もあったと思うのですが?
立体が好きだったんですね、大工の家系ですし。
父は公務員をしながら家具を作ってましたし、
子どもの頃に遊んでいた木馬は祖父が作ってくれたものでした。
10年前に芸大に入学し、彫刻を先攻しました。
– – – 作品を作るときは、私小説を書くように。
自分がものづくりをする時は「ダイブ系」なので、
内側からのバイブレーションで作る人は「すごいな~」と。
「あー、この形!!できたー!」
みたいな感じでは、僕はものづくりしないし、できないです。
読書が大好きなので、
本を読んだり文章を書いたりして、
そこから作品をつくることが多いですね。
物語を作るみたいな感じで、文字からまず入っていくんです。
このやり方は、わりと最初の時からそうでした。
周りに同じような人はいませんでしたが、
私小説を書くような感じで作っているので、
日本人ぽいといえば日本人ぽいのかもしれません。
普段は、ネタ帳を持ち歩いて、
思い浮かんだ時にいつでも書き留めるようにしています。
アウトプットするときは、ある程度セーブするようにしてます。
どぼどぼと、ただ出すだけでは表現とは言えませんから。
ウインナーみたいに「ギュー」って絞りだすように、
選び抜いたものを出さないと。
それを探すために、
自分はちょっと下の方に降りて行かないといけないんです。
作品を見た方から
「久しぶりにおばあちゃんに会ってきますね。」
とか、
「実家に帰りますね。」
なんて言われることがあります(笑)。
そういうつもりで作っているわけではないのですが、
何か感じて頂けるところがあるのだと思います。
– – – 物としての存在感は、美術作品もカトラリーも一緒。
——— カトラリーを作り始めたきっかけは?
(「陶・よかりよ」の)八谷さんに、
「美術が好きなのか、ものづくりが好きなのか、どっちだ?」
と訊かれたことがあって、
答えに窮したんです。
それは、それまでも頭のどこかで考えていた問題でした。
大学で働きながら制作をしているので、
時間をお金で買っているようなもの。
その時間を美術の方にあてたいと思っていたけど、
八谷さんからけしかけられて(笑)。
それで試しに作り始めたんですが、
それまで美術に使っていたパワーを変換して出せるようになってきて、
ただのバイトや見本ではなく、作品として作るようになりました。
ランチョンマットの上にも、空間がありますよね?
その上にカトラリーを置くわけで、
物としての存在感について言うと、美術作品もカトラリーも一緒だなと思って。
最近はわりと、すんなりやれるようになってきたと思います。
カトラリーをつくるのは
面白いですが、しんどい。
最初はフォークとスプーンから始めて、
よかりよで販売させて頂きましたが、
美術作品を作るよりもしんどいんです。
生活の中で実際に人が使うから、ということもあって、
色々と気を遣うことが多いんですよ。
——— しんどいけど、続けてるんですね?
そうですね。
でも、今の所はそれで食っているわけじゃないですからね。
「良いね」と言って買ってくださる人はいますが、
大変なのは今からじゃないでしょうか。
最初だけだと思うんです、道が広いのは。
途中からひゅーっと細くなって、通れなくなるくらい狭くなる。
八谷さん:「でも、相手との距離のあいだに作品があるんだけなんだから、
こだわらなくて良いと思うよ、小売業になる訳じゃないんだし。
今はまだ、クッションがあるからね。」
——— クッション?
八谷さん:「今はそれで食っているわけじゃないという状態だから
気軽に出せるけど、
それが職業になって、使う人の事を考え始めると
自分が表現できる範囲が狭まるという思いがあるんだろうけど、
狭まってないものを喜んでもらっているのだからそのままでいい。」
– – – コンセプトは、『祈り』と『森』
自分の中では「祈り」をテーマに据えていることがわりと多いかもしれません。
日々の祈りだったり、
もっと大きなものに対する祈りだったり。
特定の宗教とかではなく、そっと手を合わせるような心持ちを大切にしたくて。
ご飯を食べる時や、新しい本を買ってきて開くときもそう。
わざわざ手を合わせなくても、心のなかで静かに思うような。
「紐解く」って、すごく良い言葉だと思うんです。
本を「開く」じゃなくて「紐解く」。
そういう、丁寧な気持ち。
「神聖な」というより、「敬虔な」雰囲気を作品の中にも出すようにしています。
いや、別に僕汚れてますけど(笑)
故に、清濁併せ持った最後の上澄みみたいなものを
作品に投影できたらな、と思っています。
もう一つ、「自分と森」というテーマはずっとあります。
僕、兵庫県の山奥のすごい田舎で生まれ育ったんです。
大学2年の頃まで水道が来ていなくて、山から水を引いていたような所。
だから、僕の出発点は山奥の木の根っこだと思っています。
いまでも山登りが好き。
森は、自分の原点みたいなものなんです。
– – – より良く、丁寧に生きたい。
普段は帰宅して、本を読んで、考えて作品を作って・・・
そのサイクルはとても穏やか、
だけど、しんどい。
でも、そういう生活が、自分は安定するみたいです。
不安定な時期も勿論ありますが、
色々な節目があっても、それを乗り越えられたのは、
やはり制作していたからだと思うんです。
制作することでバランスをとるというか、
インプットし続けていると、
やはりどこかでアウトプットしたいとも思いますし。
より良く生きたい、丁寧に生きたいという想いがあって、
その為にも制作する時間は自分にとって大切なんです。
– – – カトラリーからも、美術からも逃げずに
大学卒業してからは、
アートが限界だった、とかではなく、
自分が作るもの全体にもっと強度が欲しいと思い始めました。
アートというものに護られて作品を作っている部分も以前はあったので、
カトラリーを作るようになった時に、
単にものづくりとしてのバリエーションが増えただけではなく、
買ってくれた人の生活や、
自分が作った作品が置かれる空間をイメージした時に、
相互作用で強度が生まれたらな、と思ったんです。
美術サイドの人には
「なんでカトラリー作ってるの?」
って言われるし、
カトラリーを買ってくださるお客さまには
「まだ美術やってるの?」
って言われるんです。
そういう状況に目をつぶらず、
ちゃんと考えてやっていきたいですね。
どっちかに逃げないように、
両方やっていけたらいいな、と。
——— どちらかの道にすり寄って行くわけではなく、ということですか?
そうですね。
– – – 世界を変えないと。表現者は、そういう部分を担わないといけない。
実は、いずれは故郷に戻りたいという気持ちもあって。
そこで、「ネオ公民館」を作りたいんです。
今って、同じ価値観の人としか喋らないじゃないですか?
飲み屋に行っても、顔見知りと
「ういっす〜〜!」
みたいな感じで(笑)。
僕、それが嫌なんです。
そういうのじゃなくて、
隣村のおばあちゃんと隣村のおじいちゃんが
何かを通じてもうちょっとコミュニケーションをはかれるような
そんな場所、「ネオ公民館」を作りたいなって。
いつかはやりたいですね。
沖縄はそんな公民館がなくても、
コミュニケーションを積極的にとる県民性なので
必要ないですけど。
———人との繋がりにも興味が?
やっぱり・・・世界を変えないと、ねえ(笑)?
僕を台湾に呼んでくれる水谷さんて人がいるんですが、
いつも言ってるんです、歯磨きするみたいな感じで
「世界変えないといけないからさ〜」
って。
その言葉が、僕にはえらくすんなり入ってきたんです。
またあんなこと言って・・・みたいな風には全く思わなくて。
「世界を変える」っていっても、
例えば、でっかいアートイベントを成功させるとか
そういう意味じゃないんです。
うまく言えないんですが、
表現する人はそういう部分を担っていないといけないと思います。
ちっちゃなコミットじゃなく、もっと大きな。
「世界を変える」というか、「救う」というか。
——— 作家として、個人の想いや表現を発して終わり、というわけではないんですね。
でも、終わりのほうがラクだと思います。
作って、褒めてもらって、売れて、それで終わり。
それだと、ラクだろうな〜って。
でも、やっぱり世界を変えないといけませんから。
小西さんに、これまで歩んで来た道のりを伺うと、
何度も何度も
「本を読んでいた」
という言葉が出て来る。
図書館司書のお母様の影響があるのかもしれない。
本を読めと言われた記憶はないものの、
よく枕元に置かれていた、と笑う。
心に渦巻いている感情や想いを爆発させて
作品を作るタイプではないという言葉どおり、
とても静かな、落ち着いた雰囲気で訥々と話す。
そして、
小西さんの作品は、他者の存在としっかり結びついている。
その表現は、一方通行のものではない。
作品から繋がっていく人、想い、生活・・・
小西さんは、作品を通じて相手と密接にコミットしているのだ。
小西さんの中にはふるさとの森があり、
それが、彼のぶれない軸になっているのだと思う。
関西人らしく、明るい人柄だが、
心の奥に、色々な想いを抱いている。
「抱え込んでいる」という印象すらある。
自由気ままに制作しているのではないからこそ、
「しんどい」という言葉が出て来る。
しかし、生み出された作品は、
ドロドロとした超個人的な、触れることをためらうようなナマナマしさなど無く、
驚くほどに洗練され、まさに「敬虔な」雰囲気をまとっている。
それはきっと、「ウィンナー」的方法によって、
不純物を取り除いた結果なのだろう。
作品という形として完成する前に、
幾重もの薄く精密なフィルターを通したかのような、純度の高い作品。
もしかすると小西さんの心にある『森』こそが、
そのフィルターの役割を果たしているのかもしれない。
「森」や「潜る」というワードに象徴されるような、
底知れない深さを感じる小西さんの世界はこれからも広がり続け、
小西さんはもっとずっと奥の方を目指し、
ダイブし続けるのだろう。
写真・文 中井 雅代
小西光裕
HP:http://d.hatena.ne.jp/conita
取り扱い店舗
陶・よかりよ
那覇市壺屋1-4-4 1F
open 平日10:00~19:00(日曜・祭日12:00~19:00)
close 火曜
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