「針と綿糸さえあればいつでもどこでもできるんです。人にさしあげても喜ばれるし、何より丸い形がいいの、和むのね。コロコロとしたまりに針を刺していると夢中になって、そのうちイヤなことも忘れてしまう。色糸の組み合わせがきれいなので、気持ちも明るくなるんですよ。作る楽しみ、さしあげる喜びがあるので、次々と作り続けることができるのです」
琉球手まりは戦前、娘の十三祝いに親が手づくりしたことから「十三マーイ(=まり)」とも呼ばれる。
「『玉の輿にのれますように』『幸せな結婚生活をおくれますように』という願いを込め、ひと針ひと針心をこめて刺繍するのです」
琉球手まり保存会会長の宮城さんが琉球手まりと出会って40年近くが経とうとしている。
「私に教えてくださったのは当山美津様。
沖縄における完全看護の助産師第一号になられた方で、ご苦労なさりながら息子三人を立派な医師に育てられた賢母として知られていました。また、琉球人形(ウミナイビ)を考案なさった方でもあります。
美津様は首里工芸学校を卒業なさっていますが、手まりの作り方をいつ習われたのかははっきりしていないんです。娘さんは『おそらく工芸学校でじゃないかしら』と。
一からからすべて学校で学ばれたというより、ご自身で創作しながら築き上げた手法ではないかと思います。
戦後、当山美津様より習った主婦や戦争未亡人の方々が内職として作っていたそうです。
その華やかな美しさに惹かれた米軍の将校夫人たちが、本国へのお土産に買い求められたそうです。
主人の母のところにいらしていた美津様にお願いし、義母とともに私も一緒に教えていただくようになりました。もともと手芸は好きでしたし、楽しかったですね。
一週間に一度、半年ほど習いました」
その精緻な模様や細やかな作業を見ていると、学んだ期間がたった半年というのはとても不思議な気がするが、「そんなに難しいものではないんですよ」と笑う。
「作るのに時間はかかりますが、丁寧に刺せば誰でもできます。
美津様から教えていただいたあと、自分なりにあれこれ工夫して5~6年、今のスタイルにたどりつきました」
手まりを作るにはまず、その球体の表面に「地割り」と呼ばれる分割線を引く。
「模様のデザインによって4等分、6等分、8等分という風に引いていきます。
それから一定の法則に従って糸を刺していきます。
手まりは全国各地にあるのですが、作り方の基本はほぼ一緒。刺し方が似ている地域もあります。
琉球手まりの模様は幾何模様。明るくて鮮やかな色合いが特長で、紅型などで見る伝統的な色彩がよく合います。現在は25番の刺繍糸をリボンのように面にひろげて刺していきます」
作った手まりはバザーに出したりお土産にと贈ったりしていたが、それでも気づくと300個以上の手まりが家にたまっていた。
「娘達が『お母さん、ただ作っているだけではもったいないよ、みなさんに見ていただいたら?』と言ってくれて」
2008年に那覇で個展を開き、5日間で1000人以上が来場、そのうち教えてほしいという希望者は約100名にのぼった。
「それで『琉球手まり保存会』を発足しました。
当時は手まりの作り方を教える教室がなかったのですが、デザイナーの仲井間文子先生が声をかけてくださり、展示会から約半年後、新報カルチャーで教え始め、現在も続いています」
6ヶ月コースが修了してからも「もっと続けたい」という受講生の声に応え、那覇市の安木屋でも教室を開講した。
教室には、30代から80代までと幅広い世代の受講生が通う。
和やかな雰囲気で、おしゃべりをしてもとがめられることなどないのに、一様に手の中のまりに夢中になっている様子が印象的だ。
手順の確認やデザインの相談などを別にすると、みな黙々と手まりに針を刺している。
手まりを一つ手に取れば、受講生の気持ちがなんとなくわかる気がする。
木綿の肌触りが優しい。
手に収まりの良い丸いかたちに心が休まる。
一針刺すごとに、着実に完成へと近づいているという手応えを感じる。
「イヤなことも全部忘れてしまう」という宮城さんの言葉に納得する。
「趣味として楽しむには最適なんです。
面の取り方が同じでも、糸の色や刺し方を変えれば組み合わせは無限大。終わりがないから自分なりの創意工夫が楽しい。だからこそ、40年近く飽きることなく続けて来られたのだと思います。
あまりお金がかからないのも魅力の一つ。刺繍糸のセットは100円均一のお店で買えますし、手まりの中身はシュレッダーにかけた紙くずをまるめてビニール袋に入れ、毛糸と木綿糸で巻いたもの。
沖縄風俗史研究家の崎間麗進先生は『昔はえーきんちゅ(金持ち)の奥さんしかできない趣味だった』とおっしゃっていました。作るのに手間がかかりますから、時間に余裕のある人しかできなかったということでしょう。
でも、今は時代が変わり、忙しい人でもちょっとした時間を見つければ気軽にできる良い趣味だと思うんです。お休みの日、家でテレビを見てるばかりじゃなく、こうして手を動かしていると豊かな時間が送れます。
歳を重ねていくと特に、おうちでできる趣味があると人生楽しいと思うんです。ご年配の方だけでなく若い方にもおすすめです、心が落ち着くんですよ」
宮城さんが会長を務める琉球手まり保存会では、ウチナーンチュ大会や県人会の集いなどにも、会員が作った手まりを贈呈している。
「毎年4月に行われる平和祈念堂での『御清明(うしーみー)』にも奉納しています。
琉球手まりは祖母が母に、母が子に伝える平和のバトンでもあると思うの。手まりを通して平和の尊さを伝えたい。私はいつまで教えることができるかわかりませんから、みなさんに受け継いで欲しいですね、そして手まり作りを楽しんでほしい」
戦前、手まりを作っていた沖縄の母親たちのことを考える。
娘へ贈る祝いの品として作り始めたのに、作り終える頃にはすっかり手まり作りの楽しさの虜となり、二つ、三つと作っては知人や友人に贈っていたのではないだろうか。
しかしそこには必ず、作り手の願いが込められている。
今も昔も変わらぬ想い。
これからも幸せであるように。
ずっと平和であるように。
想いはここから繋がっていく。未来の沖縄にもずっと。
写真・文 中井 雅代
琉球手まり教室・宮城玲子
問い合わせ:090-9783-8845
【琉球手まり安木屋教室】
那覇市牧志1-1-14 安木屋ビル6F
毎週水曜日 14時~16時、月4回、¥6,000