ナカハジメ可愛さと怖さの中間が好き。頭の中で紡がれた物語の挿絵を描く。


 
一見、ポップで可愛らしい雰囲気を感じる絵。
しかし初見から数秒後、わたしたちは思わずはっとする。
絵の向こう側に、凶暴な世界が透けて見えてくるからだ。
 
「僕の絵って優しい絵じゃないんですよね。毒のあるのが好きで。」
  
– – – 思った通りに描けない、版画のそういうところが面白くて
 
今は、RBCビジョンという番組制作会社で美術スタッフをしています。
仕事と平行してアート活動もやっているという感じですね。
 
芸大を目指してるとき、1年間予備校に通ったんです。
今でもなんですけど僕は見たままの絵を描くと言うのが苦手で。
デッサンがダメなんですよね。
だから予備校でもダメクラスにいました。
 
僕は1年で予備校をやめて、専門学校に進みました。
学校を卒業して就職したころ、
同じように美術をやってた先輩が、
「自分の幼なじみとあんた気が合いそうだから会ってみないか?」と言うんです。
偶然にも、その子が予備校が一緒だった子で。
 
彼女は当時、版画をやってました。
みんなで彼女に版画を習おうという機会を設け、教えてもらったんですが、
銅板を削って絵を描くので、普通に鉛筆で絵を描くのとは勝手が違うんですね。
彼女のようにちゃんと勉強されてる方は
線をきちんとコントロールできるというか、
思った通りのものがちゃんとできると思うんですけど、
僕なんかがやると思った通りにいかない。
でもその感じが結構好きで、偶然できたキズとかも面白くて。
最初から「面白い!」と思いました。
絵の上手いヘタとはちょっと関係ない感じがするなーって。
 

 
– – – 会社勤めと絵描き、二つのわらじ生活が合っているんです
 
就職してしばらくは、そんなに積極的にはアート活動はしてませんでした。
会社に勤めながら本当にちょこちょことつくって、それだけ。
個展をしようなんて気も全然ありませんでした。
 
僕、復帰生まれなんですけど、
30歳のときに県内の復帰っ子が集まるアートイベントがあって、
それがきっかけで制作をするようになりました。
それでも友達とちょこちょこやる程度で。
 
34歳のときにユナイテッドクリエイティブの大嶺秀史さんが
県内のイラストレーターを集めてブックを作るということですでに何人か選ばれていて
その中の一人、カイナアートフェスタ主宰の徳元佐和子が
「一緒にやらない?」
と声をかけてくれたのがきっかけで活動量が増え、
絵描きの友達も一気に増えました。
 
そのとき、実は一回会社を辞めたんですね。
絵描きとしての活動を本格化しようと思って。
すると、絵を描くために仕事を辞めて、時間があるのになぜかあまり描けない。
性格的に二足のわらじが合ってるみたいで。
それでまた会社に戻って今に至ります。
 
今の生活のバランスがちょうどいいと感じます。
会社を辞めていた時期よりも今のほうが、ずっといっぱい描いてます。
 

 

作品を丸く切取り、
 

縦に繋げていく。「KAMI・GAKARI」で発表する予定の作品。
 
– – – 毒のある絵じゃないと僕にとっては面白くない
 
僕の絵って優しい絵じゃないんです、
毒のあるものが好きで。
 
こういう傾向はずっと以前からありました。
小さい頃からホラー映画や恐怖漫画みたいな「怖いもの」が好きだったんです。
可愛いものと怖いものの中間ぐらいが好きですね。
絵を描くとなると、こういう自分の好みから外れたものは描けない。
 
絵についての好みはすごくはっきりしているので、
明らかに嫌いなジャンルや嫌いな絵があるんです。
絵って好き嫌いはあってもいいけど良い悪いというのはなくて、
そこは「それぞれの好み」だとは思うのですが、
僕はやっぱり自分が好きな、毒のある絵じゃないとちょっと面白くないなと感じます。
 

 
– – – 会社勤めと絵描き、二つのわらじ生活が合っているんです
 
僕はいつも妄想して、頭の中で物語を作りながら描くんです。
ですから物語自体にもやっぱり毒があります。
 
大きいテーマというか、一つの物語がベースにあって、
その中の一つの話、一つの場面という感じで一枚の絵を描きます。
物語どうしはリンクしていて、主観が変わったりするだけ。
ドラマのスピンオフみたいな感じですね。
 
たとえば、この前の個展では「毒と薬と大事件」というタイトルで
公開処刑される殺人鬼の話をベースに描きました。
それ以前に街についての物語がもともとあって、
その街にすんでるある人が毒殺事件を起こして処刑される話。
 
で、次の個展では彼がどうして殺人気になったかっていう話を描きました。
彼はワーグナーハイツという名のアパートに住んでいて…という風に。
 
自分の中では物語のつながりがしっかり把握できてるんですけど、
見ている人にとってはそのつながりは曖昧に映ると思います。
 

 

 
– – – 恐怖感ではなく不快感を与えないように
 
僕のそういう絵を、とあるお店に展示させていただく機会があったんですが、
観た方からクレームがきたらしくて。
担当のかたから電話があって…。
お昼休みに取りに行ったらすでに撤去されてました。
「すみません、私達のほうではずしました」ってお店の方が。
当時、沖縄で未成年による大きな事件があって、みんなナーバスになっていたんだと思います。
 
そのことがあってから、
いくら自分の好きな世界であっても、
発表するタイミングなどは考慮しないといけないんだなと。
出しっぱなしじゃだめなんだと、とても勉強になりました。
 
前回の個展で暗い海の絵を描いたんですが、
3.11のあとだったので、
なんとなく「この絵は出せないな」と判断し、お蔵入りになりました。
 
「恐怖感」じゃなく、「不快感」を与えるのはいやなんです。
 
ミヒャエル・ハネケとキム・ギドクという映画監督がすごく好きなんですけど、
観たあとにいつも
「どうしてこういう映画観ちゃったんだろ?」
って後悔するような映画ばかりを作ってる人たちなんですね。
でもやっぱり好きで観ちゃう。
自分はそれを好んで観るわけですが、
そういう世界感を好まないひともいるわけですよね。
 
それと同じで、自分の作品を発表する際は、
さまざまな感じ方を考慮しないといけないと思っています。
不快感だけは与えないように心がけています。
 

ナカさんの作品と似た世界感を感じさせる人形たちが並ぶ
 

左上の人形の顔は「セット販売ではなかったんですけど3つ欲しくなって」
 
– – – 適当なメモ描きからアイディアが
 
よく女性が電話しながらメモとかするじゃないですか?
意味のない図形を適当に描いてみたりだとか。
そういう落書きからぱっと自分のなかではまる形が出てくることがあって、
一個できるとあとはもう10も20も30もどんどん出てくるんです。
最初の一個からぱーっとイメージがわいてきて、
気分がのってさくさく進むんです。
最初の1個だけは、少し苦労しますね。
毎回そうなんですよ。
だから「個展までに間に合うかな?!」って綱渡りのような感じで。
 

 
– – – ブレないというより、これしか描けない。それだけ。
 
県外での活動も行いたいと思っています。
今年は秋口にグループ展ができたらいいなと思っていて。
東京で、むこうにいる友達も巻き込んで。
そう、活動の幅をもう少し広げたいなという感じですね。
活動の内容に関しては自分の中でけっこうしっかり決まっているので。
 
僕は「何でも描けます」っていうタイプの絵描きじゃないので、
本当にこれしか描けないんですよ。
っていうことでブレないように見えるだけ(笑)。
本当に上手くないから、結局描けるものに落ち着いちゃう。
そういうことです。
 

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ナカハジメさんは、
「どうして絵を描くの?」
という質問がいちばん苦手だという。
 
「だって理由がないんです。
日曜日に必ず草野球に行くお父さんと同じ。
日常で普段の生活のなかですべきことだと思っているので、
理由を求められたり、何か特別なことをしてるという見方をされるのが
ちょっと苦手だったりします。
『絵を描いてるんです』って言うと、
『すごいね!』なんてみんな言うんですけど、
本当にすごくなんかないんですよ。
家でテレビゲームする人もいれば本を読むひともいる。
それと一緒です。」
 
ご飯を食べたりテレビを観たりするように、
日々の営みの一環として絵を描いてきたというナカさんが描く絵は、
その言葉通りのびやかで奔放なファーストインプレッションを抱かせる。
しかし、その向こう側には彼が愛する世界、
多くのひとにとっては恐怖を感じさせる世界が広がっている。
 
しかし考えてみれば、
その世界こそが幼い頃からナカさんが好み続けていた世界であり、
ナカさんにとってはまさに日常的に頭のなかで描いていた世界なのだ。
 
第一印象でポップさを感じ、
続けて戦慄や恐怖を感じたさらにそのあと、
描かれているのはそれだけでないことに気づく。
 
ナカさんの頭の中に広がる複雑精緻な世界のように
一言で言い表すことのできない奥深さがあり、
沢山のイメージや想いや言葉が、幾重にも折り重なって見え、
ときには自分がずっと目を背けふたをしてきた箱をバッと開けられたような気持ちになり、
ときには自分以外誰も知るはずがない心象風景を切り取って見せられたような気持ちになる。
 
あなたは彼の絵の中に、どんな世界を見るだろう?
それはきっと、私が見たそれとは違う。
ナカハジメさんの絵は、一人一人の心に直接アクセスしてくるから。