手に取ると、ふんわり感よりもまず、しっとり感に驚く。繊細でふわふわな質感は言わずもがな、滑らかで手に吸い付くような触感に、どんな味わいだろうと期待がふくらむ。口の中で溶けるような歯触り、素材の良さがダイレクトに伝わる上品な風味。食べながら、自然と笑みがこぼれた。
美味しいものに目がない友人にも食べさせたいなぁ。仕事でお世話になっている人への差し入れにもぴったり。親戚の集まりがあるとき、持って行こうかな…。
個別包装で配りやすく、1個130円~180円と値段が手頃なのも嬉しい。
「お店を出したらメインはシフォンケーキにしようと決めていました。使う材料が粉、卵、砂糖、油とシンプルなので、それぞれの良さをしっかり味わえるからです」
カウンターの奥には、啓子さんがてきぱきと立ち働く姿が見える。
「シフォンケーキのふわふわ感は、メレンゲの泡立て方によって決まるんです。今作っているのはバナナのシフォンケーキ。いちじくを漬けているラム酒を生地に加えると、味にコクが出るんですよ」
生地に加えたら、メレンゲの泡を潰さないように手早く混ぜる。型に入れ、トン、トン、トンと型をテーブルに打ちつけて空気を抜いたらオーブンへ。
流れるように無駄のない所作。さっきまで使っていた道具は、いつの間にか使用前の定位置にきっちり収められている。小気味よく作業を進める姿に、つい見惚れてしまった。
生地に用いる小麦粉、玉子、てん菜糖、なたね油はいずれも、啓子さんが良いと思ったものから厳選している。玉子は、水や餌にもこだわった平飼いの養鶏をしている「みやぎ農園」から。
「新鮮でしっかりとした味わいがあって、生地の弾力や膨らみが違うんです。農園の様子を見に行ったことがあるのですが、鶏たちが農園中を本当に元気に走り回っていたんですよ。自宅でも、ずっとこちらの玉子を使っています」
北海道産の小麦を使った菓子用粉。「これを使うと、ふんわりときめ細やかな仕上がりになるんです。初めて使った時はすごく驚きました」
使う素材がシンプルだからこそ、下手な小細工やごまかしはきかない。誰もがきっと一度は口にしたことのある菓子だが、その実態は予想以上に奥深い。
それが、啓子さんの手にかかるとどうだろう。文句のつけようのない見事なシフォンケーキがいとも簡単に焼き上がる。決して簡単なことではないとわかってはいるのだけれど。
啓子さんは、子どもの頃からお菓子づくりが一番の趣味だった。「いつか自分の店を出すと決めていました」。
大分県の大学で栄養士の資格を取得。卒業後は資格をいかす仕事に一度就いた後、東京のベーカリーショップに就職した。
「製菓スタッフを希望したんですが、最初は製パン部門に配属されました。成型作業やできあがりを見るのは楽しかったです。でも、その頃はお菓子づくりほどのめりこめなくて」
しばらくして製パン部門から、カフェコーナーの担当に。4年間勤めた後、イタリアンレストランの厨房でも働いた。啓子さん以外は男性スタッフ。新人だろうが女性だろうが一切容赦のない現場で腕を磨いた。仕事中は息をつく暇もないほど忙しかったが、それでも家に帰ればお菓子を作っていた。
「若かったし、やりたいことを仕事にしていたから、東京での生活はとても楽しいものでした」
その後、沖縄へ戻って結婚。カフェや菓子メーカーなどを転々として修業を重ね、今年の春から店を開く10月までは、育児をしながら保育園の栄養士・調理スタッフとしても働いた。そんな毎日の中でも、家ではお菓子づくりを続けていたそう。
「ある時ふと、仕事や子育てをしながらもこんなにお菓子づくりの時間をとってるんだから『もうこれを仕事にしよう!』と思ったんです。人生一度きりだし、やりたいことをやらないのはもどかしい。始めればどうにかなる!と」
基本的にカット売りで、ホールは予約を受け付けている。プレーンに木苺、完熟バナナ、珈琲、抹茶金時と、種類も豊富で色合いも美しい。
「私、妄想族なんですよ(笑)。お店やお菓子のことを考え出すと時間が経つのを忘れちゃう。夜、布団の中でアイデアが浮かんだ時は、『もう遅いから寝なきゃ…でもこんな良いアイデア、忘れちゃったら大変!』と、ごそごそ起き出してメモをとったり(笑)」
オープンして間もないが、すでにその味のとりこになっている人も少なくない。
「シンプルなお菓子だからこそ、美味しくなければ買ってもらえないと思っています。開店してまだ1カ月くらいなのですが、すでに4回も足を運んでくださる方がいらっしゃって。本当に嬉しいですね」
「オープンの日は、手製の店名入りエプロンをつけて、娘も一緒に店頭に立ちました」
珍しいシフォンのラスクはしっとり、サクサクとした食感。じっくり焼くことで酸味を増した木苺に、ねっとり甘いイチジク。素材のコクが深まっている。「ラスクは高温で焼くと焦げて硬くなってしまうので、低温でじっくり時間をかけて焼いています」
「今後は焼き菓子の種類も増やしていきたいと思っています。それと…実は、子育てが落ち着いたらパンも販売したいなーと思っていて。昔、仕事として作っていた時は受け身な部分が多かったのですが、沖縄に戻って手ごねパンなどを家族用に作るようになってから、『パンづくりも面白い!』と思うようになったんです」
店にパンを置くという夢は、小学生時代の体験にも由来している。
「昔、家の近くに桶をかついで豆腐を売りに来る豆腐屋さんがいたんです、チリンチリンって音を鳴らしながら。朝その音が聞こえると、母に『豆腐買ってきて~』と頼まれて、鍋を持っておつかいに行っていました。鍋を差し出すと熱々のゆし豆腐をよそってくれるんです。それがものすごくおいしくて。幸せな朝ご飯でした。あの頃の私みたいに、私が作ったパンを近所の子ども達が買いに来て、朝食にしてもらえたら嬉しいなって」
「いつ実現するかわからないけど」と、啓子さんは笑うが、そう遠い未来の夢でもないように思える。その生き生きとした言葉から、近所の子ども達を焼きたてのパンと共に出迎える、啓子さんの姿が鮮明に想像できるからだ。そう思うと、またここを訪れて、時間を重ねていくことが楽しみでならない。
文:仲原綾子 写真:中井雅代
コトリ焼菓子店
那覇市樋川1-28-16
電話080 8395 8452
OPEN 11:30〜17:00
CLOSED 日、月、火