栗原さんが書いた名前の文字を見て、竹崎久仁衣先生は少し意外そうな顔をした。
「ご本人はすごく柔らかい雰囲気だけど、結構サバサバしてますね。女性らしい雰囲気に反して、男っぽいところがある。小さいことにこだわらず、さっぱりした性格ね」
笑いながら、「確かに私、適当なんです」と、栗原さん。
普段からよく書く名前や住所を正しく、美しく書くことを目指す「美文字ワーク」は、週1回、計3回のコース。
初日は、普段使いしている自分のペンで、一枚の紙に好きなように名前を書くことから始まる。
紙の中央に、大きめに名前を書いた栗原さん。
「真ん中に書くというのは非常にいいことなんですよ。社会や家庭で中心となり、色々なところで大切にされるひと。いわゆる愛されキャラですね。すくすく素直に育った人の特徴です。
好きな所に好きなように書いてというと、中心から外れたところに書く人が多いんです。だから、どんな方でも字を練習するときは真ん中に書くよう指導します」
書くときのスピードや、全体的な文字の雰囲気にも特徴があると言う。
「こういう場ではみんな綺麗に書こうとしてかしこまった文字になるものだけど、栗原さんは素のまま、さっさっさっと書きましたよね。
見た目は守ってあげたいような感じだけれど、結構しっかりしてますよ」
名前の中央に線を引くと、中心がずれていることが分かる。
「右側のほうにすごくずれてしまってますね。
文字の中心を整えるとね、自分の中のグズグズしているところが浮き彫りになって、少しずつスッキリしてくるんですよ。
普段の生活では名前を縦書きすることって少ないんですよね。大体横に書くでしょう? そうすると中心を意識しなくなって、徐々にずれていってしまう。縦書きすると、ずれが見えてきます」
文字のバランスも重要だと言う。
「全体的に右上のほうに文字が傾いていますよね。こういう方は瞬発力があって、行動派。思い立ったらわりとサッと動けます。逆に言うとこだわりが少し足りないところがある。それが悪いというわけではないのですが、もう少し下げて文字のバランスをとりましょう」
竹崎先生が最も気になったのは「藍」の字だ。
「あっちこっちにスペースが空いてしまってますね。
草かんむりや『臣』・『皿』など4つのパーツから成りたっていて、それら全てが調和して藍の字になるのですが、今はそのパーツがぱらぱらと散らばっているので、計画したことや新しく始めたことが分散してしまいがち。なので、きゅっと詰めましょうね」
栗原さんの文字から浮かび上がる人柄や性質は、見た目の印象と違う部分も多いと言う。
「第一印象は女性らしい方だな~と思ったのですが、文字を見ると男らしい(笑)。女の子同士、大勢でつるんだりするのって苦手でしょ?」と、先生。
「そうなんです(笑)。女子会とかよりは、気の合う仲良しの子と二人で食事に行いったりすることが多いですね」と、栗原さん。
「こんなにさばさばしてたら、みんなで約束して一緒に出かけて〜、なんてことはやりませんね。そういうのが好きな方は、こんな感じの字になるんですよ。形は丸みを帯びていて、いわゆる丸文字ですね。書く場所も中央じゃなく、紙面のこの辺にちまっと。
その点、栗原さんは字の大きさも大きいし、思い切りの良さが感じられます。
ただ、角が少しとがりすぎているのが気になりますね。こういう字を書いていると、時どき我をはったり、自分の希望を通そうとしたりすることがある。角に少し丸みをもたせると、相手の意見を尊重できるようになります。
最初は慣れない書き方で苦しいかもしれないけれど、やっているうちになじんできます。そうすると、人との折り合いもつけやすくなりますよ」
セッションの最後に、改善点を明らかにし、今後の課題を示す。
「栗原さんはあっさりとした性格で、行動力や瞬発力もある。でも、途中でうまくいかなくなったら、割とあっさり手放してしまうところがあります。もう少し慎重で落ち着きが出るともっと素敵ですよ。
そのために、一番の課題は文字の中心をしっかりとること。二番目は角を丸くすること。三番目は藍の字をきゅっと詰めること。また、ひっつくべき線がひっついてない箇所がいくつかあるので、落ち着いて、きっちりと線をつけるよう心がけましょう」
セッションが終わったら、先生が書いた手本をもとに練習する。
二週目は練習の成果を見て再度指導したあと筆ペンの練習に入り、三週目はペンと筆ペンで文字を仕上げたあと、受講生に向けた言葉をひとつ先生が書いて渡す。
「普段、自分の字をじっくり見ることってありませんよね。
でも、自分を大事にするように一つ一つの文字を丁寧に書き、『はらい』や『とめ』をしっかりとやるようにすれば、文字が整うとの同時に自分自身も徐々に変化していくのがわかりますよ」
手本を見ながら筆ペンで練習してみると、一度で栗原さんの文字ががらりと変わった。
「こうして瞬間で変わるんですよ。栗原さんの字、もう角がないですよ(笑)」
「中心もだいぶとれるようになってきましたね。まだまだ完全ではないけれど、さっきのズレと比べたらだいぶ良い。
意識が入れば字はすぐに変わります。それが面白いところですね」
竹崎先生主宰の習字教室で行われる「美文字ワーク」は、20代後半〜40代の女性から特に人気を集めている。
「単純に自分の名前を美しく書きたいという方から、文字を通して自分の状態を知りたい、人生に迷いを感じているという人まで様々な方がいらっしゃいます。決して占いではありませんが、文字から私が下した診断を、皆さんご自身の中でいろいろと繋げていくようなんですね。
そうすると、普段は気づかないようなことが見えてくる。落ち着いて内観できる。回りの人にも感謝できるようになります」
海外でも習字パフォーマンスを行うなど、書家として広く活躍している竹崎先生だが、筆を持ったのは意外にも27歳という年齢からだ。
「もともとは普通の主婦だったんです。
小学生の時に学校で習字の授業はありましたが、特に指導を受けていたわけではなく、好きなように書いて提出していただけ。習字を本格的にやるようになったきっかけは、習字大好き人間の主人でした。彼はほかに仕事を持っていて看板が出せないので、私に資格を取らせて習字教室を開こうと考えたんです。
私は習字に興味はなく、強制されて始めたのですが、主人に頭を抱えられるくらいヘタでしたね(笑)。すごく厳しいひとで練習をやめさせてくれず、私は嫌々ながらやっていました」
毎日の努力が実って試験に合格し、資格を取得、小禄に教室を開いた。
教室はすぐに人気となり、やがて生徒の数は100名を超えるほどまでになったが、夫が若くして亡くなってからは教室を閉め、習字道具も箱の中にしまい込んだ。
「それまで、主人がいるからなんとかやってこれたという感じだったんです。私は当時、生徒を上手くする自信なんて微塵もありませんでした」
一生封印するつもりだった箱を開けるきっかけが訪れたのは、それから2年ほど経ったころだった。
店名や商品名など、様々な題字も手がける。
「教室を閉めてしばらくしてから一般企業に就職したのですが、ある日上司に『竹崎さん書道教室やってたんだって? 会社のスローガンとか書いてくれない?』と頼まれたんです。それを断りきれなくて。
家に戻って道具箱を開けました。久しぶりに。
次の日、会議室で一日中書いていたのですが、以前はあんなに嫌で嫌でたまらなかった『書く』ことが、不思議なことに全然嫌じゃないんですよ。一心不乱に筆を走らせていました。
すると課長がやって来て、『竹崎さん、筆持ったら顔が変わるね』と。
そのときにハッとして、次の日に辞表を出しました」
二年という時間を経て持った筆は面白いように動いた。竹崎先生は、書くことを楽しんでいる自分に気づいたと言う。
「それまでずっと主人に強制されていたから、嫌々ながらやっていると思い込んでいたんですね。自分がまさか習字を好きだなんて思いもしなかった。
そういう気持ちって、字にもちゃんと表れるんですよ。イヤだイヤだと思いながら書いていた時は、主人にいつも呆れられていました。でも、二年間というブランクを経て書いてみたら、上手くなってましたよ、私(笑)。書くときの気持ちが違うだけなのに、それまでの字とは全く気配が違う。栗原さんと一緒ね、小さなきっかけで変わったんです」
会社を辞めて教室を再開。指導にあたる傍ら沖縄市の書道研究所にも通い、書道の勉強に励んだ。
「強制する人はいないのに、朝から晩まで習字漬けの日々を自ら選びました。もともと上手なほうじゃないから、量をこなすしかないと思ったんです。子ども達は学校に通っていたのですが、送迎の待ち時間も勉強にあてていましたよ」
教室の運営を通じて、先生は一つの大切なことを強く実感するようになった。
「人の可能性は予測できない、ということです。
以前は生徒が書いた字を見て、『この人はこういうペースで上達していくだろうな』とか『ちょっとひどいな…。まあ、これぐらいが限界だろう』と、知らず知らず未来を予測していました。当時はまだ私の経験が浅かったんだと思います。
今は、生徒の持つ可能性の大きさをよく知っています。それぐらい皆さん変わるんですよ。本当に驚かされ続けた25年ですね。
よく覚えているのは、ある小学生の生徒。手を持って筆圧や感覚を教えても、次来たときにはすっかり忘れているんです。毎回一からやり直しというのが3〜4年続きました。よその教室に行かれたら、これまで何を教わったの?と言われるから移らないでねって言うくらい(笑)。上達の見込みもないし、このままでいくしかないんだと思ってるときに、がらりと変身する時が来たんですよ。何の前触れもなく、特にきっかけも思い当たらなくて。
だから、私の仕事は待つだけ。生徒の可能性ははかりしれないけれど、その日が来るのは明日かもしれないし1年後かもしれない。
でも、ここまでと思っちゃったら終わりなんです。大人でもそう。お年寄りだから趣味の域を超えないなんてことはありません。60代で破竹の勢いで上達した方もいます。
教室には外国人も多く通う。漢字はアルファベットにはない魅力に溢れていると先生は言う。
「アルファベットは表音文字なので、組み合わせてやっと意味を成し、文字単体では機能しません。その点、漢字は表意文字ですから、ひとつひとつの文字にも意味があります。その奥深さに惹かれるのではないでしょうか。
また、文字そのものに芸術性が生まれるというのもアルファベットにはない特徴ですね。日本では普段書く字でも、『おみごと!』ということがありますから」
先生は以前、米軍基地の中で字を書く仕事もしていた。大切な人の名前を漢字で書いて欲しいというアメリカ人が、列をなしたと言う。
「沖縄とアメリカの間には色々と複雑な問題がありますが、私のところにくる軍人さんたちは皆、心優しくお利口さんでした。それは、家族のことを話すからです。『父はこういうひとで、母は…』と。普通の商品を売る仕事とはちょっと違うわけです。
南米出身の男性は、『家族全員の名前を入れて欲しい』と言ってやってきました。『何名?』『21名』『そんなに沢山! 一人一人の字が小さくなるよ?』『それでいい、とにかくファミリー全部入れて』と。
母の日の前にはオーダーが殺到しました。アメリカ人にとって、プレゼントで大事なのは値段じゃないんです。気持ちがどれだけ入っているかが重要。うちの母なんて、名前書いて持って行っても『サンエー券がよかったのに』ですよ(笑)」
外国人の名前を漢字で表すとき、竹崎先生は用いる漢字を直感で決める。書いた後に漢字の意味の説明を受け、感動する人が多いと言う。
「ある男性は、『自分と弟を育ててくれた、姉の名前を書いてほしい』とやってきました。お姉さんの名前はジェシカだったので ” 慈恵志花 ” と書きました。心の字がこんなに沢山つく名前も珍しかったので、『こんなに心が入っているから優しい人なんでしょうね』と言ったら、彼泣いたんですよ。そして『本当に10ドル? 紙もフレームも込みで?』と言うので『そうよ、10ドルよ』と言うと、くしゃくしゃの10ドル札をポケットから出して支払ってくれました。その後一度帰ったのにまたやって来て、10ドル私に渡して『チップだ』って言うんです。
また、ある時は日本人のガールフレンドを連れてきた方もいました。彼はマシューさんとおっしゃったので、『真秀』と書いたのですが、ガールフレンドの名がたまたま『真佐子』さんだったんですね。それで『同じ漢字だ!運命なんだ!』って大喜びして。彼女に『彼のことが大好きなのね』と言うと、涙を流しながら頷いて、肩を寄せ合って帰りましたよ。
今でも忘れられないのは、小学校2年生くらいの女の子。お母さんは道でばったり会ったお友達と立ち話をしていて、この女の子が弟の乗ったベビーカーを揺らしてあげていました。ベビーカーの中の弟さんは、体に障害を抱えていて、その面倒をよくみてあげているのがわかったので、『おいで。お利口さんだから名前を書いてあげるよ、プレゼントするから』と言ったんです。すると喜んで『マミー!マミー!私の名前!』。するとお母さんが『No!』と。お金を払わされると思ったんですね。そうしたら女の子がね、大声を出すでもなく、壁に顔を押し付けてしくしく泣き出したんです。お母さんがびっくりして、『この子がこんな意思表示をするのは初めてだ』と。きっと、弟さんにかかりっきりで、女の子は色んなことを我慢して来たんだと思うんですよね。お母さんが焦ってお金を差し出して『お願いだから早く書いてちょうだい』。それで私、『ごめんなさい、プレゼントさせてください』と言って、三人で肩を抱き合って泣きました。
説明をする前から、漢字を見た瞬間に泣いた方もいました。その人の気持ちが入るんでしょうね。どうしたの?と尋ねると、『主人が今アフガンに行ってるんです。書いてもらったのは、お腹にいる赤ちゃんの名前です』と。大きなお腹を抱えて、臨月だと言っていました。主人が無事で帰るという保証はない、この子はどうなるのかと。書いた名前を見ながら、『祝福されて生まれてくる、という意味の漢字ですよ』と説明しました。
皆さん、一番大切な人の名前をお願いしに来るんですよね。どうでもいい人の名前なんてお願いにこないわけです。誰かのことを思ってやって来るわけですから、そこには想いがこもるんですね」
日本の学校では、習字の時間にあてる時間が年々減っていると言う。
先生は、「こんなに素晴らしい文化を捨てるのはもったいない」と話す。
「クラブイベントで書道パフォーマンスをやったことがあるのですが、今の日本の若い子は外国人並みですよ。『書道やってるところ初めて見たー』とかね。
海外に行くと特に、自国の文化の貴重さを痛感します。アメリカに行って英語ができたって褒められないけれど、着物を着られる、お茶やお花ができる、そういう日本人らしいことができるととても喜ばれます。
かといって、今の若い子たちが劣っているという意味ではありません。環境の問題だと思うんです。
県内の中学校に講師として呼ばれて行ったとき、いわゆるツッパリくんがいました。前々から、◯日は習字をやるから道具を持ってきてと言ってあるのに、父兄が用意してくれてないんですね。そういうこともあって、『俺はやらんからな』と言うものだから『大丈夫、先生いっぱい道具持ってきたよ、書いてごらん』と言って書かせるわけです。書いた字を見て『すっごくセンスがいいね!』と褒めると、照れ笑いしながら『えぇ、聞いたか?聞いたか?』(笑)。
つまり、きっかけがないだけなんですね。感性はみんな良いものを持ってる。習字を学ぶ環境が整えることも、今後のテーマだと思っています」
「私の英語力では不十分なところがあるので、これ一冊あれば外国人も書を理解できるという本を作りました」
日本語及び漢字研究家のハルペン・ジャック氏が考案したシステムを採用し、外国人が漢字を覚えやすいようにと趣向を凝らした「Japanese Kanji Callygraphy」。
「忙しい」「時間がない」という人こそ、習字をやってみてほしいと先生は言う。
「日々忙しく過ごしている人や悩みを抱えている人が多いと思いますが、慌てていてはなにも解決しませんし、忙しさに拍車がかかるだけなんです。気持ちが落ち着いてからじゃないと、ちゃんと物事にはあたれない。
そういう時、墨をするといいんです。
今は文字を書くことに重点が置かれていますが、昔は心を落ち着かせるために墨をすり、墨がきちんとすれた頃には心が落ち着いているからついでに字を書く、という概念もあったほど。
墨をすっている間は集中します。というのも、墨をするのは実はとても難しいからです。力を込めたらダメ、優しくすらないと色が出ない。すっている間は何かを思い悩んだりしないので、辛い時や苦しいとき、厳しい状況の時こそ、習字をやるのがいいんです。
『色々と落ち着いてから来ますー』という方がいますが、『やるのはいまなんだけどねー』と思いますね」
30代である私の周囲を見ても、筆を持って美しい字を書ける人はごく限られている。同年代には一人か二人くらいしかいないし、あとは年配の叔母たち。年に一度、年賀状でその達筆さに感心するくらいだ。
年代こそ違えど、彼女たちには共通点がある。
「気ぜわしい雰囲気が一切ない」
ということだ。
私の周りの美しい筆文字を書ける人はみな、いつも微笑みを浮かべていて、おっとりとしている。穏やかさと幸せに包まれているように見える。
そこには「心を落ち着かせて墨をする」という行為が関係しているのかもしれないし、「中心を意識して、バランスよく文字を書く」という心がけがうまく働いているのかもしれない。
「何歳になっても遅いことはない」と、先生は何度も言っていた。
「お母さんの書く字は子どもの目に触れますから、若い方にもぜひ習字を体験してみてほしい。
美しく文字を書くことはこんなに楽しいのだと知って頂きたいのです」
あなたが書く自分の名前は、どんな文字ですか?
写真・文 中井 雅代
書道教室 蘭月(らんげつ)/Okinawan Heart(オキナワンハート)
宜野湾市大山3-12-10 大城アパート1F
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※美文字ワーク(3回コース)¥10,000(※2015年4月28日現在):お電話にてお申し込みください。
※習字教室の料金、その他ご質問等につきましてはメール、お電話にてお問い合わせ下さい。
HP http://www.okinawanheart.net
Uchinanchu Name Collection(ウチナンチュネームコレクション):沖縄の代表的な100の名字の筆文字を検索できる。
Your Name in Kanji 100:洋名に漢字をあてるアプリケーション。