写真 文 田原あゆみ
私が小野哲平さんのうつわを初めて手にしたのは、実家に夕ご飯を食べにいった時だった。
自分のためのご飯茶碗を探していた時に、ふと手が伸びたうつわがあった。
ころんと手に収まる感じといい、柔らかな肌の具合や、厚みがふっと手に馴染む。
なんだかおいしくいただけるような気がして、そのうつわでご飯をいただいた。
去年の夏に訪れた小野家では早川ユミさんのお料理を、哲平さんのうつわで何度も何度もごちそうして頂いた。
うつわ好きの人はきっと、似たような感覚を楽しんでいるのかもしれない。
うつわには使いたいうつわと、持っていたくなるうつわの二種類がある。
哲平さんのお皿や、お茶碗はまさしく使いたくなるうつわ。
家庭料理を盛った時の様子がイメージしやすいのだ。
パスタを盛っても、タイカレーやパッタイをのせても、鳥の立田揚げや鰹のたたきをのせても、ぐっとおいしそうに見える。
ほっとするうつわだ。
けれども、毎日使っていると、ふとした時にその表情の深さに惹き込まれる。
当たり前に、自然にそこにあるものの中に、ふと深遠な世界を感じてじっと見入ってしまう。
哲平さんのうつわでお茶やコーヒーを飲んだりそれを洗っている時に、はっとして手が止まることがある。
手が止まった時に、時間も一緒に止まり、そして世界全体が一緒に呼吸をしているような感覚に落ちる。
日常の中にいて、そこから解放されるような時間。
それが一体なんなのか、今はまだ言葉になってはいないけれど、哲平さんのうつわを通して私は何度かその経験をしている。
和食も、洋食も、哲平さんのうつわの上にのると「うちのごはん」。
食べる人の細胞を作るごはんを、このうつわが毎日抱いてくれている。
なじみのうつわ。
陶器は使い込んでいくと、どんどん表情が柔らかく豊かになってゆく。
去年の夏から、毎朝コーヒーを飲んでいるカップは、貫入に色がついてきて何とも柔らかな肌になってきた。
体調をみて、時には15分間湧かした白湯を飲む時もある。
日常に欠かせないうつわの一つ。
うちにはいくつかコーヒーカップがあるが、滑らかな肌触りといい、手への収まり具合といい、口当たりといい、つい手が伸びてしまう。
なぜかな?と自問してみたら、
「だってこのカップで飲むと、おいしいんだもん」、との答えが返ってきた。
おいしさは感じるもの、だから思考ではなくて感覚の求めるものが私にとっての本物だ。
そうそう、哲平さんのうつわの中で壷たちは、私にとっては持っていたくなるうつわ。
壷としての魅力がぎゅっと凝縮されていて、中に入れるものは後から考えればいいからとにかく欲しいなあ、と。
後から高知の番茶をどばっと容れて、壷の姿を眺めたり、時には中味をだしてお花を活けたりと、楽しんでいる。
目力の人。
哲平さんと初めて会った時の印象は、ちろちろと燃える薪の火のような目力があって、ばさっとものをいう激しめの人という感じだった。
初対面なのにズバズバと切り込んできて、私は内心たじたじ。
「で、何をやりたいの?ここで」
と、言葉じり鋭く聞いてきた哲平さん。
ギャラリーとしての姿勢や、Shoka:から何を発信したいと思っているのか、私の人生で一体何がしたいのか?そんなことをたたみ掛けるように聞いてきた。
その時には、なんだかどうしても互いのタイミングが合わずに、仕事の話は一度流れてしまった。
それから一年後。
私の娘が埼玉の自由の森学園に通うことになった時に、小野家の息子さんが自由の森学園(通称自森)の卒業生ということと、私たち親もとても自森が大好きということが私たちを再び結び直してくれた。
学校の教育のことや、子供のことで私たちの距離はぐっと近づいて、私の中では知り合いから仲間のような感覚へと変化していった。
自由な校風と、子供の自律を促す教育のあり方に共感した私たちは学校の音楽祭お話や、お互いの子供たちの話で盛り上がり、すぐに今回の企画展の開催が決まった。
このとき、胸の内で感じた感動を眼をキラキラさせてうれしそうに話す哲平さんを感じて、お互いのハートがつながってゆくのを感じたのだ。
これがベストのタイミングだったのだろう。
それから私は、会話を重ねるごとに哲平さんという人を知り、その人間らしさが大好きになっていった。
人間らしさとは、光と陰のそのどちらにも素直でいる。
ネガティブな面も含めて、とことん話の出来る人との出会いはやっぱりおもしろい。
去年の7月の末に2人の暮らす高知県の谷相を訪れて、4日間で私たちはお互いを知り合い、信頼の種から芽が出て育ってゆくのを感じた。
いい仕事ができるな、私はそう感じていた。
哲平さんの工房から窯へ行く辺りの景色。
薪が整然と並べられ、その上にかけられた布団や洗濯物が日の下でぽかぽかと乾いてゆく。
くらしと仕事が一つになった、どこか懐かしい景色。
哲平さんはお洗濯が大好きだという。
その日も天気をみながら、旅人や、弟子や、家族の洗濯物をせっせと干す。
くらしの中には様々な雑務がある。
掃除、洗濯、料理、片付け。
小野家では、家族も、旅人もみんながそれぞれの仕事をこなす。
谷相の風で服をはためかせながら、みんながよく働き、よく動く。
哲平さんの茶目っ気と、愛情深さに一度触れると、最初に感じた取っ付きにくさやばさっと切られそうな鋭さが一気に溶けて、人間としての小野哲平に大きな魅力を感じる人は多いだろう。
ネガティブな面とポジティブな面と、両面から人は社会へギフトを差し出すことが出来るのだと私は思っている。
小野哲平さんのことを知らない人も、知っている人も以下の経歴とその表現に触れて欲しい。
*以下のプロフィールは、小野哲平さんと早川ユミさんののHPから引用したものです*
小野哲平
1958年 生まれ
1978年 備前にて弟子になる
1980年 沖縄・知花にて弟子になる
1982年 常滑の鯉江良二さんの弟子になる
1984年 アジアの弟子となり、タイ・ラオス・インド・ネパール・インドネシア・マレーシアを子連れで行ったり来たりの旅人
1985年 常滑の小さな山の中にて窯と仕事場をつくる
1987年 タイ・バンコクのシラパコーン美術大学にて制作+展覧会。インド放浪をして8ヶ月を過ごす
1991年 マレーシア・マラ工業大学にて制作+展覧会
1997年 タイ・ナコーンラチャシマ県のダァンクェーン村の亀の窯にて制作
1998年 高知の山のてっぺんのライステラス(棚田)の真ん中に移住。谷相の弟子となる
2001年 3年がかりで薪窯をつくり、薪窯の弟子となる
真剣な大人はやっぱりいい仕事をしているな。
私はこのプロフィールを読んで、そう感じてにたっと笑った。
ユーモアも感じて。
祈っているように見えた、哲平さんのろくろを挽く姿。
「土に触れていないとぼくは死んでしまう。本当に土に関わることが大好きなんだ」
真剣な眼でそう言うと、その後にこっと笑って、
「昨日はどうもすみませんでした。ごめんなさい」と、子供みたいにはにかんだ。
その話はまた今度。
*小野哲平さんと早川ユミさんの関連記事は以下からどうぞ*
くらすこと いきること ぼくたちのくらしの中から生まれた服とうつわたち
vol 1 早川ユミさんのちくちくワークショップによせて
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早川ユミ 小野哲平企画展 「くらすこと いきること ぼくたちのくらしの中から生まれる 服とうつわたち」
2014年 3月1日(土)~9日(日)
高知県の谷相という山間の小さな村で暮らす小野哲平さんと早川ユミさん。
哲平さんはふと手が伸びて使いたくなるようなうつわをつくる陶芸家を生業に、ユミさんはそのパートナーであり、旅の中で集めた布を使った日常着をちくちくと作る作家さん。大地にしっかりと立ち、様々な感覚に耳を澄まして土地とともに、仕事とともにくらしている2人の作っているうつわと服の展示会をShoka:で行います。
「くらしを楽しむものとこと」を発信しているShoka:では、哲平さんの日常のくらしの中のうつわたちと、早川ユミさんのくらしで活躍する衣服を展示。今回合同でこの企画展を開催するchahatナハでは、ユミさんの作る旅のお守りと、哲平さんの旅のうつわを展示します。人の人生はまるで旅のようだな、と感じる事ってありませんか?日常を旅するように暮らすうつわと服、そしてこの世を旅するお供のうつわと布。とてもわくわくしています。
28日にはユミさんのちくちくワークショップをShoka:にて開催します。
詳細は Shoka:HP に掲載されている要項にそってお申し込み下さい。
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2人の企画展はチャハット那覇でも開催されます。
こちらもとても楽しそう!
旅の神様をユミさんの作った布に包んで、お守りのように持ち歩けるようにしたもの。
なんだかすごく楽しそう!
哲平さんの旅のうつわも気になりますね。
チャハットでの展示は3月2日から始まります。
→Shoka: は9日(日)まで。チャハット那覇は16日までの開催です。
是非日常と非日常をのぞきに、Shoka:とチャハットを行ったり来たりして、2人の仕事に触れてみて下さいね。
暮らしを楽しむものとこと
Shoka:
沖縄市比屋根6-13-6
098-932-0791