『 死んでいない者 』そしてラリーは続く。 乾いた明るさで描く生と死が交差する一夜の物語。


滝口悠生・著 藝春秋 ¥1,300(税別)/OMAR BOOKS

 

この小説を読み終えて、長い間忘れていた縁の青いバドミントンのラケットを思い出した。柄が短く、楕円よりもより円に近い子供用で、ひまで退屈したとき、よく家族や友人とそれを持ち出して庭でバドミントンをした。ずいぶん長く愛用していたがいつのまにか無くなってしまった。目を閉じて思い浮かぶのは、空をバックに高く打ち上げられた羽がスローモーションで大きな放物線を描いている図だ。激しい打ち合いを楽しむときもあれば、ゆるやかなラリーを続けるのも楽しかった。

 

今年の第154回芥川賞を受賞した本作『死んでいない者』は、大往生を遂げた男の通夜の場が舞台。故人のために集まった30人あまりの親類たち。
子ども、孫、ひ孫たち、そしてその場にはいない家族がそれぞれに互いに思いながら過ごす一夜を描く。

 

いつか経験したような既視感を抱くお葬式のシチュエーションと、語り手がどんどん変わりながら間に挟まれるどうでもいい会話がだらだらと続く心地良さが、読者にページをめくる手を進ませる。お葬式の場であれ、人一人がこの世を去る悲しみを共有しながらも、人は飲み食いし、熱い湯に入り、冗談を言い、笑いもする。それが自然だ。その肯定感のようなもののおかげでこの小説は、不穏な空気は感じさせず、むしろ乾いた明るさがこの小説の始めから終わりまでを覆っている。親類縁者たちの記憶は、この場にいない故人を接点として繋がってはまた川の水のようにさらさらと時間が流れていく。

 

私はどこにいるのだろう?ある程度年を重ねて見送る人が増えていくと次第に、私たちはごく自然に自身のルーツに興味を持つようになるのだろうか。
バドミントンのラリーのように、ずっと続いてきた何人もの(その中には顔も知らない)誰かのラリーの果てに今の私がいる、というようなことをこの小説を読みながらずっと考えていた。

 

物語は終盤からラストにかけて、生と死が交差する静かな盛り上がりを見せる。
タイトルの「死んでいない者」とは?読み終えるといつのまにかお線香の香りを嗅いだときのように清らかな心持ちに。今の時代におすすめの一冊です。

 

OMAR BOOKS 川端明美

 


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