『 来福の家 』あたり前のように享受しているものに、初めて目を向けたとき、別の価値観もあるということを知る。台湾人による日本語小説。


温又柔・著 集英社 ¥1,575/OMAR BOOKS

 

以前、勤め先で自分の名前を確か、ヒンズー語で書いてもらったことがあった。インドから沖縄に来て数年という、ALT(外国人の外国語教師)の青年との、お互い自己紹介がてら、ジェスチャー交じりのぎこちない場面でのこと。

 

インド出身ながら英語を教える、というのが仕事の彼に、もう一つの母国語であるヒンズー語で、私の名前を綴ったらどんな感じなのだろう、と興味本位からお願いした。
カードに綴られた文字を見て、自分の名前ながら記号にしか見えない不思議な気持ちを抱いたことを、この『来福の家』を読み終えて思い出した。

 

今回ご紹介するのは2つの中篇小説「好去好来歌」と「来福の家」が収められた『来福の家』。
この小説の著者は台湾・台北市に生まれ、幼い頃に日本に移り住み、今も東京在住の温又柔(おん ゆうじゅう)さん。

 

日本を舞台にしながら、台湾という国の持つ、複雑な歴史的背景が生活に根ざした視点から語られる。教科書やガイドブックを読んでも分からない、外国に本籍を持ちながら日本に暮らす人々の実感が丁寧に描かれて、なるほどこんな感じなのか~と新鮮だった。

 

とはいえ、物語のベースは恋愛や家族やそのルーツにあるので純粋に小説としても楽しめる。「好去好来歌」は、若い国籍の違う二人が恋愛の中で互いの違いについて不器用ながら理解していく話。

 

「来福の家」は、日本語教師になり、日本人と結婚したばかりの姉を持つ、主人公が「言葉」について学ぶうちに自分のルーツを辿りながら「名前」について思いをめぐらす話。

 

渡来人だったといわれる山上憶良の歌(「好去好来の歌」万葉集)と同名タイトルの前者や「福が来る家」という後者のタイトルも、この小説の内容にとても相応しい。

 

何かといえばグローバルという言葉を安易に使いがちな昨今。
でも本当はこういうところから本物の理解は生まれるんだろう。
あたり前のように享受しているものに、初めて目を向けたときに別の価値観もあるということを知る。
それを受け入れる柔軟さも必要なのだろう。

 

主人公の母親が使う「適当適当」、はどこか「なんくるないさ」を思い出させる。それにしても読んでいると、作中に出てくる水餃子とジャージャー麺が食べたくなること。
台湾と近い沖縄の亜熱帯を思わせる湿気を帯びた文章もまた魅力。

 

本を閉じて、ヒンズー語で書かれたあのときのカードを探してみたけれど、残念ながら見つからなかった。私たちが日常何気なく使っている「言葉」や「名前」についてあらためて考えたくなる本書。
おすすめの一冊です。

OMAR BOOKS 川端明美




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