吉田篤弘・著 中央公論新社 ¥629(税別)/OMAR BOOKS
―弱火でコトコト、スープが出来上がるように―
高くなった空や葉が落ちてしまった木々。しだいに深まっていく秋。その先には寒い季節が待っている。
ちょうどこの時期にぴったりの小説を今回はご紹介します。
以前に紹介した『つむじ風食堂の夜』の姉妹編とも言える本書。
前作と同様、読んでいるととにかくお腹が空いて困った。
目次には「サンドイッチ」「遠回り」「アンテナ」「時計」など連作短編のタイトルが並ぶ。その活字を眺めているだけで、どんな話が待っているのだろうと想像するのが楽しい。
ストーリーは、「僕」の住むこじんまりとしたアパートには魅力的なマダムがいて、窓からは教会の頂にある十字架が見える。路面電車が走るその町を起点に「人生の味が変わってしまうほどの味」のサンドイッチ屋で働き始めた彼の元へ、ちょっと風変わりな登場人物たち(流行には無頓着なサンドイッチ屋の安藤さん、その息子で大人びたセリフを言う律くん、緑色のベレー帽を被ったチャーミングな老婦人など)が入れ替わり立ち替わりおいしいものを食べながら思いを巡らすお話。
物語の傍に食べ物がある、というより食べ物の傍らに物語が寄り添っている、そんな小説。
著者の吉田さんの描く町の住人になりたいと思うときがある。ゆったりとした空気の流れる僕の町。それぞれがそれぞれのペースで、お互いを尊重しながら生きている。
「あっという間に時間は過ぎてしまうよ」と安藤さんがそっとつぶやく。
そのすぐに消えてしまう愛おしい時間の一秒一秒を繋ぎ止めるかのように、登場人物たちは丁寧に、そして穏やかに関係を育んでいく。まるで弱火でコトコトと心地よい音を立てながらスープが出来上がっていくように。
読みながら「そういえば」ととりとめもなく主人公の僕と一緒になって甦った記憶を辿り直す、そんな豊かな時間だった。
とにかくおいしい、ただそれだけの「名なしのスープ」を飲んでみたい。
きっとこの本を読み終わるとタイトル通りしばらくスープのことが頭から離れない。
心にほんのりと明かりが灯る、優しい温かい飲み物のような小説です。
OMAR BOOKS 川端明美
OMAR BOOKS(オマーブックス)
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