「背筋を伸ばして、目を瞑って。全身の力を抜いて、ゆっくり鼻で吸って鼻で吐くという呼吸に集中していてくださいね」
ジャッジャッジャッジャッ…
静まりかえった会場で聴こえてきたのは、丁寧に炒られた胡麻が擂鉢と擂粉木によって擂られる音。リズミカルで心地がいい。しばらくすると、胡麻の香ばしい匂いも漂ってきた。どこか懐かしく、心がすっと落ち着く香り。
そのワークショップは、音や香りを感じ取ることから始まった。日本を代表する精進料理の大家、棚橋俊夫さんの精進料理ワークショップだ。棚橋さんは、滋賀県大津の月心寺、村瀬明道尼の元で修行し、その唯一の弟子として精進料理を広める活動を30年以上続けている。雑誌やテレビで紹介されたことも多く、特に最近は海外からのオファーもひっきりなしだ。そんな棚橋さんのお料理を教わり、いただける上に、日本人として知っておきたいことも学べるとても有意義な講座。棚橋さんは冒頭で胡麻を擂る手本を見せた後、「ぜひやってみて」と参加者に擂粉木を手渡した。
「左手を擂粉木の上に乗せて、右手を擂粉木の真ん中あたりに添えて。力をかけなくても左手の重さで大丈夫。必ず左回しね。何故かというと、北半球の自然界の円運動、例えば台風とか排水口に流れる水の渦とか、全部左に渦を巻くから。エネルギーを封じ込められるんです」
胡麻が擂られていく感触が、擂粉木を通じて自身の手に伝わる。「楽しい、これ!」と、初めての経験に参加者は目を輝かせた。すると、これを習慣にするといいことがあると棚橋さん。
「皆さん毎朝ね、30分早く起きて、お父さんや子供達が起きてくる前にこんな事やっていたら、家庭はハッピーだと思いません? この素敵な香りがね、家じゅうに広がるんです。どんなに大きいお家でも。この香りで目が醒めた家族は、なんて幸せなんでしょう。お母さんは感謝されるし、こういう家で育った子はいい子になるに決まってると思うんですよ」
うんうんと頷く参加者たち。棚橋さんは自身のお母様のことを交えながら、続ける。
「僕はね、小さい頃、こうやって育ったんです。母が擂って、僕が擂鉢を押さえる。こういう姿を写真に撮ったら美しいじゃないですか。皆さん、自分の姿を写真に撮られたら、美しく見えていますか? ここ大事ですよ。子供から見て、お母さんの姿は常に美しくあって欲しいです。美しいって、何も着飾ることではないのですよ」
普段の生活を思い浮かべ、少しバツの悪そうな参加者たち。その様子を見てか、場を和ませるように「では、味見をどうぞ」と、擂り終えたばかりの練り胡麻を、それぞれの手の甲にちょこんと置いた。「美味しい!!」と感嘆の声が方々であがる。濃厚なのに優しく芳しいその味わいに、参加者の表情はパッと明るくなった。
「こういう状態になるまで、擂るのは1時間くらいでしょうか。既成品の瓶詰めのとは違うでしょ。違って当たり前です。あれは機械で作ってるから。精進とは?と聞かれた時、もちろん肉魚を使わないってこともありますけど、機械を使わないってことも重要なんです。人間の手と異なるものが機械ですから、機械で作ったものは人間の周波数に合わないんです。そうすると何が辛いかって、人間の細胞です。何千、何万年もの長い間なかった周波数が入っちゃうんですから」
このワークショップ中、棚橋さんから何度か「想像してみてください」との呼びかけがあった。そのひとつに、「胡麻の気持ちを想像してみて」というものも。擂鉢、擂粉木ではなくフードプロセッサーを使ったら? 「ウイーン、ガリガリーってね、あの耳を塞ぎたくなるような騒音の中で、胡麻ちゃん達が刀でめった切りですよ。そこになんの愛がありますか?」と、茶目っ気たっぷりに問いかけた。
できあがった練り胡麻は、豆腐とズッキーニ、ハンダマ、プラムを加えて白和えに。他には、焼き茄子のかけご飯、冬瓜とオクラとトマトの葛引きのお吸い物、水茄子と茗荷の香の物、南瓜の水羊羹という、夏らしくてなんとも豪華な一汁一菜のメニューに。それらを棚橋さんの私物である漆の器によそい、御膳に並べていただくのだから、その特別感はひとしおだ。揃って「いただきます」をすると、参加者に請われて棚橋さんからお作法のレクチャーが。
「まずは、お椀の蓋を取ります。左手をお椀に添えて、右手で蓋を取りましょう。取った蓋は向こう側に。お茶碗とお椀と、御膳の中で三角形になるところに置きます」
箸の持ち上げ方、汁のすすり方、その際の手や指の使い方など、知っておきたいことばかり。慣れない動作にぎこちないものの、教わった通りにしてみると、スッと背筋が伸び、自然と姿勢が正される。そして気持ちもシャンとなる。しかも美しい姿勢でいただくと、より舌の感覚が研ぎ澄まされ、味をよく感じられる。作法とは、決して堅苦しいものではなく、お料理をより美味しく、深く味わうための、食材や料理人に対する感謝や礼儀なのだと感じた。
味わっていくうち、「ああ、私ってこういう料理を食べたいんだ」と確信めいたものが湧く。丁寧に手間をかけられた料理の数々に、眠っていた細胞が呼び覚まされるよう。材料や調味料など、特別なものは何もない。どの家庭にもあるものばかりでシンプルなのに、そこには力がみなぎっていて、腹の底から元気が湧く。何も考えず、ゆっくりと時間をかけて咀嚼したい、お米の一粒、野菜のひとかけらを、隅々まで味わい尽くしたいと願った。
お料理をいただいている間には、明日誰かに教えたくなるようなお話も。その一つに箸や御膳の意味がある。
「日本ではお箸を横に置くでしょう。中国韓国では縦に置くんです。縦に置くっていうのは、そのまま持てば武器になる。こう刺せるでしょ。日本は横に置くから武器にならない。ではなぜ横に置くかというと、“結界”という言葉があるんですが、お箸が結界の役割をしているんです。神社でも鳥居があるでしょ。あれは、ここから先は清らかな世界ですという結界、境界のような役割をしているんですね。もうひとつ、最近ではなかなか使われなくなりましたが、御膳にも結界の意味があるんです。御膳やお箸の結界の向こう側は、清らかな世界。だから御膳にのったお料理は清らかなんです。ここに神様を見たというのが、日本人の美しいところなんですよ」
食べ物は神様で、日本人は古来からその神様を体に取り入れて、命を育んできたんだ。日本人であることに嬉しさや誇りを感じられる。精進料理って、想像以上に奥が深い。
「精進料理とは、贅沢をし尽くした人が最後にいきつく料理だと思っています。これは私の母が言った言葉なんですけど、この料理は、日本の根っこだと思っています。日本人として生まれてきた以上、日本人らしく生き、振る舞いたい。ブレない人間って、こういう食事をできるところから来ているのではないでしょうか」
神様とのつながりを常に感じてきた日本人が素晴らしくないはずがない、と棚橋さんの言葉に納得する。そのことを忘れてしまった現代人は、食を見直す時なのかもしれない。
「何より大切にしたいのは子どもたちですね。一緒に食事をすることはとても大事です。お母さんが家でご飯作ってくれたら、子どもたちは“おふくろの味”を自慢できるじゃない。ところが今はネットとか見て、同じものを作ろうとする。でもAさんとBさんの味は違っていいはずなんですよ。100人のおふくろがいたら、100通りのおふくろの味がある。だから違いのある子どもたちが出てくるの。みんな同じもの食べるから、みんな同じ細胞になっていくでしょ。今の学校教育なんかも、同じにすることが合理的で楽なんでしょう。でもね、違いを楽しんでほしいと思うんです」
棚橋さんが、おふくろの味を大切にしてほしいと言うのには、女性や母親に対するリスペクトがあるゆえのこと。
「今、お母さん達に家庭に戻ってきてほしいなと思うんですよ。お母さん、女性の代わりは男性はできないですよ。だからストレスだらけの男社会に交じって、男のマネして働いてほしくない。女性しかできない仕事があるんです。だって女性は体からお乳が出るんですよ。体から食べ物が出て、赤ちゃんは2年くらいそれだけで育つなんて奇跡じゃないですか。食べたものが全て自分を作ってる。手を抜けば抜いた分の応えが返ってきます。逆に手間を惜しまなければ、そうそう間違いは起こりません。世の中のお母さんに意識をほんのちょっとでも変えて欲しいなと思っています。僕は日本人として、伝統文化の継承者として、声を大にして申し上げたいことは、日本人にとって、答えは全て足元にあるんです。そこに気づいた人は幸せになれると思うんですよ」
今すぐに現状を変えるのは難しいかもしれない。けれど、棚橋さんから教わった精進料理と日本人の根っこの素晴らしさは、今後私たちを沢山励ましてくれるに違いない。
写真・文 和氣えり(編集部)
琉球精進・一汁一菜
〜沖縄の野菜で精進料理を楽しむ会〜
第2回のお知らせ
日時 9月7日(土)18:00~20:00
場所 わが家のハルラボ商店(那覇市銘苅3-4-1)
参加費 7,000円
問合せ 098-943-9575(ハルラボ商店)
ハルラボ商店で扱っている県産無農薬の野菜だけを使用します。
なお当イベントは、今後も定期的に開催する予定です。
http://hallab.pecori.jp