ふるさと「沖永良部島」

年が明け、年に一度の墓参りへ行くために本部港からフェリーに乗りました。沖縄本島から北へ約60km。行き先は「沖永良部島」。

 

 

子供のころ田舎へ帰るのがとても楽しみでした。神戸から沖永良部島までフェリーで38時間。夜中の3時に島に到着。祖父母の家に着くといったん仮眠をして、夜が明けるのをいまかいまかと待ち、朝一番に走って行くのは牛小屋でした。牛に餌をあげるのが何よりの楽しみ。

 

牛小屋でひとしきり遊んだら、石灰岩の真っ白な道を駆け下りて海へ。断崖絶壁に立つとずっと向こうまで見渡せる景色。振り返ると見渡す限りのサトウキビ畑。すごい場所だなと子供ながらにいつも思っていました。

 

自慢のふるさと。

 

 

 

hadana

 

 

石灰岩の絶壁(通称ウシウミ)から田皆岬(たみなみさき)を望む。昔と変わらない風景。はじめてクジラの親子を見たのもここウシウミでした。

 

 

まさにムーチービーサとなったこの日。北風が強く、海は荒れ、フェリーは揺れに揺れ、荒々しい自然の一面を肌で感じるような一日に。

 

 

 

hadana

 

 

 

こちらは葉棚家を代表する人気者の叔父さん。会うたびに『野生にもどろう!野生がいい!野生は素晴らしい!』と、野生を推奨する叔父の稼業は電照菊の農家。休憩時間のおやつは畑の横に植わっているバナナ。

 

そして「よし!良いもの見せてやろう」と僕を連れ出し畑の下の小川へ。はじまったのはうなぎ捕り。もちろん仕掛けなんかありません。手掴かみです。

 

仕事が終わると晩ご飯もそこそこに。一番の楽しみはというと、はげた頭に懐中電灯をぶらさげ、右手にはヤス、左手にはクバの葉っぱで編んだカゴを抱え、月明りを頼りに大潮の干潮時の夜の海へ。引き潮のサンゴ礁に取り残された魚を捕る。イザリ(灯火漁)です。

 

こんな叔父さんの遺伝子を(ヘアスタイル以外)僕はしっかり受け継いでしまったようです。

 

 

 

hadana
hadana

 

 

休みなく楽しく働く葉棚家の人々。農業体験などで全国からいろんな人がやっきてきます。韓国や中国からも。

 

 

 

 

hadana

 

 

 

こうやって見るとずいぶん歳をとったなあと思う母方の祖母ですが、この笑顔は昔から変りません。カメラを向けると「髪もぼさぼさだし、きれいにしてこようね」というけれど、いつものそのあたたかい笑顔で迎えてくれるだけで充分なのです。

 

 

hadana

 

 

 

hadana

 

 

ばあちゃんの畑案内。

 

菜の花に囲まれ海が望める畑では、シロナ、ネギ、にんにく、ブロッコリーにキャベツなどが育てられています。

 

「達也、何を持って帰るか?にんにくはどう?おいしいよ。ホルモンと醤油で甘辛く炒めたらとってもおいしいよ。ひるあぎも食べるかね。」
*ひる=ニンニクの芽、あぎ=豚肉の意味の九州奄美地方の郷土料理。

 

大好きな野菜たちに囲まれて、今日も野菜づくりに精がでます。自分で育てたものを料理していただく。その日に必要なものを採って多くとれたらお裾分け。今年で89歳になるばあちゃんの健康の秘訣かもしれません。

 

 

hadana

 

 

 

 

hadana
hadana

 

 

幼稚園児だった僕は、夜明けと共に一人で牛小屋に行き、餌がないと思うとカマで近くの畑のサトウキビを切り倒し、押し切りで細かく切って牛にやるのが喜びでした。

 

今考えると大人はハラハラすると思いますが、幼稚園児、結構なんでも出来るもんですね(笑)。

 

畑の区別がつかない僕は近所の人のサトウキビ畑へ入ってしまい、カマで切りまくるという幼稚園児のキビ泥棒。

 

叔父さんに怒られ謝りに行ったことを、牛小屋に行くといつも思い出します。

 

 

hadana

 

 

この道は真っ白な石灰岩の道でした。残念ながら今はアスファルトですが、この時期に菜の花が満開に咲くのは今も昔も変りません。

 

 

 

hadana

 

 

あんまり僕も変りません。。。

 

hadana

 

 

小さかった頃神戸から船で38時間もかけていく南の島は、人も環境も神戸とはまったく違う場所。僕のちょっとした自慢の田舎でした。

 

子供の頃のこの小さな南の島での体験は、先祖から授かった大きな贈りものだと思います。

 

 

 

hadana

 

 

 

 

文・写真 葉棚達也・由真

 

http://www.hadana-g.com
http://hadana.ti-da.net
https://www.facebook.com/hadana.g

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
沖永良部島

 

沖縄本島から北へ約60km。
奄美群島の与論島の次の島。
フェリーで那覇港から約6時間。
和泊町と知名町の2町からなり両町の合計人口14000人弱
東西に細長いオカリナ型の周囲約55kmの小さな島。
地酒は黒糖焼酎。
ハブはいない。
沖縄と同じく台風の影響が大きい。
ガジュマルやアダンといった南国風の樹木が茂る。

 

温暖な気候と適度な降雨は農業に適している。
島には赤土の畑が広がっており、ジャガイモやサトウキビの他、
特産のテッポウユリ(エラブユリ)やフリージアなどの球根栽培、
グラジオラスなどの花卉栽培などが盛んで3月~4月に島を訪れると
真っ白に咲いたエラブユリの畑や黄色いフリージアの花畑から芳香が漂ってくる。
エラブ牛を飼育する畜産業も盛んである。
これらの産業がしっかりしているので観光客の誘致にはそれほど熱心ではなく、
隣の与論島に比べて知名度が低い。

 

島にコンビニは一軒もない。

 

今から750年ほど前、琉球の北山王国に属し、
以後340余年間「那覇世」の時代となり、
伝承されている文化・言語・風俗などは、琉球文化の色彩が濃い。
方言もどことなく今帰仁の方言に似ている。