増田良平料理を食べ終えた後もテーブルを彩るうつわ。丹念に観察した身近なものをテーマに。

増田良平
 
「絵を描くのが苦手で、ずっと避けてたんです」
 
陶芸家・増田さんのその言葉は、正直なところ意外だった。
 
大胆な筆づかいと豊かな色彩に一瞬で目を奪われ、どの器にも増田さんが色や形で自由に遊んだ痕跡がありありと残っているように感じ、見ているだけで楽しい気分になったから。
 
「絵を描くのが心から楽しいと感じられるようになったのは、ここ数年のことなんです」
 
 
増田良平
 
増田良平
作品名は「ヒューストン」。「雲のかけらがヒューっ、ストン! だからヒューストン(笑)」
 
「以前はやめどきが分からず、しつこく頑張って描いていたんですが、それが作品に出てきてしまうと良くない気がして。
心がけているのは、ひとつのものを楽しい気持ちのままで作り終われるようにすること」
 
楽しく終われる加減に気づくきっかけとなったのが、年賀状やお礼状だと言う。
 
「僕、年賀状や礼状を書くのが好きなんですよ。
その時に描くような絵は、『下手だけどまあいいか』くらいの気持ちで描けますよね。
そうやって描き続けていくうちに、『あー、僕が描けるのはこれくらいなんだ』というのがだんだんわかってきたんです」
 
自分の基準を設けたことで、楽しくつくり上げる感覚が少しずつ身についてきたと増田さんは言う。
 
「今の自分にないものは作品には出てこない。
それに、僕自身が楽しく作らないと良いものはできない気がするんです」
 
絵付けの際、増田さんが下絵を描くことはない。
 
「まず、下絵が上手に描けないし、描けてもそれをマネして作る作業がどうも嫌で(笑)」
 
生き生きとした趣きの理由は、ここにもあるのかもしれない。  
 
増田良平
 
増田良平
 
増田良平
 
増田さんの器はどれも、強い存在感を放っている。
完成度の高さがひしひしと伝わってくるのと同時に、にやりとほくそ笑んでしまう楽しさや、思わず手を伸ばして触れたくなるような親近感にも満ちている。
 
「皿って、上に盛ったものを食べ終わると残骸になってしまうでしょ? それがイヤなんです。食後に『残骸感』が出ない器をつくるよう心がけています。
 
でも、『作品作るときなにも悩んでないでしょ』と、よく言われるんですよ(笑)
それは僕にとって褒め言葉です。
悩みが見える器で、ごはんを食べたくないでしょ」
 
どっしりとした印象ながら、余計な力みを一切感じないフォルムも特徴的だ。
 
「でも、一旦手を動かし始めたら使いやすさしか考えません。
…意外ですか?(笑)」
 
増田良平
 
増田良平
 
周囲を畑や木々に囲まれた気持ちのいい場所に、増田さんの工房がある。
 
増田良平
 
増田良平
 
工房の奥には、素焼き前の作品が並んでいた。
 
増田良平
 
増田良平
 
「最近の作品は、息子の絵本に描かれていた絵を見ていてひらめいた方法で作っています」
 
古新聞をはさみで切ってパーツを作成。
それに色を塗って器に貼り、しばらく置いてはがすと、色と形がそのまま器に写るという。
 
増田良平
 
蝶、鳥、花、木、魚…。
ギャラリーの棚に並ぶ数年前の作品と比べ、最近の作品は動植物の模様をあしらったものが多い。
 
「自分が実際に見た物を絵にすることが多くなってきました。
昨年夏は、羽化の瞬間を見たくて、自宅の庭に集まっていたタテハモドキという蝶をよく観察してたんです。でも、セミの羽化は30分ほどかかるのに比べ、蝶はわずか5秒。ちょっと目を離したすきにもう羽を乾かしていて。
絶対に羽化の瞬間を見届けてやる!と、自分で20羽くらい育てました(笑)。
初めて見たときはものすごく感動しましたね」
 
時間をかけて見たものは、頭の中でイメージしやすいので、形や模様も作りやすいと言う。
 
「時間がゆるす限り、今後も身近なものをじっくり観察し、創作に生かしたいと思っています」
 
 
陶芸家として多くのファンをもつ増田さんだが、大学受験の直前までスポーツ漬けの日々を過ごしていたという。
 
増田良平
 
増田良平
 
増田良平
 
「ラグビー部に所属し、高校三年生の11月まで活動してたんです。
引退してから『進路、どうしよう?』と。
当時、建築を専攻していた兄がすごく楽しそうだったので、その影響で『自分も何か作る仕事をしたい』と考えました。
 
でも、思い返すと小学生の頃から図工が苦手。手先が不器用だったんです。
紙工作はうまく作れないし、木工だと隙間があく。
だけど、粘土だけは楽しかったことを思い出して。
粘土なら、ちょっと間違っても押したりひっぱったりすれば形を整えられるでしょ。
それで『じゃあ、陶芸かな?』と」
 
しかし、芸大や美大と言えば合格は狭き門。受験に備えて数年前から予備校に通う生徒も少なくない。
受験が目前に迫った12月から予備校に通い始めたが、周りとの実力差に愕然としたと言う。
 
「デッサンの授業で自分で描いたものを教室に貼るのですが、何も考えずにど真ん中に貼ったんですよ。
すると、僕の作品だけがまるで白紙のように見えて。
つまり、しっかり描き込まれた他の生徒の作品と比べると、僕のは描いている線自体が圧倒的に少なかったんです。
 
がっくり肩を落として帰って来たんですが、たまたま見ていた全国高校ラグビー大会のテレビ中継で、ある監督が言っていたんですよ。
『今やらずして、いつやる!』
って。
その一言で一瞬でやる気に火がつきました(笑)
 
考えてみたら最初がそのレベルだから、あとは上手くなっていくしかないわけでしょう?
周りは長く通っている生徒ばかりで、中には受験までにスランプに陥ってしまう人も少なくなかった。
僕の場合はずっと右肩上がり、受験当日がそれまでの人生で一番絵が上手いはずなわけです(笑)。
 
実際の試験でも、『今日いい感じ〜。今までで一番良いじゃん!』って」
 
わずか1ヶ月の予備校通いを経て、増田さんは見事、沖縄県立芸術大学 美術学部陶芸専攻に現役合格を果たした。
 
増田良平
「沖縄の一般的な『蹴(け)ろくろ』よりも高さがあるので、背筋をすっと伸ばしてひけるところが気に入っています」 友人が特注で作ってくれたものだと言う。
 
増田良平
 
芸大に入学した生徒の多くが、1年目の授業をつまらなく感じるという話を聞いたことがある。
 
「人体デッサンやスケッチ、石彫りといった基礎をみっちりやるのですが、ほとんどの生徒は予備校でいやになるほどやってきてるからでしょうね。
 
でも、僕にとってはすべてが初めてのことばかり。何をやっても楽しかった。
今思うと、スポーツ経験も関係していたのかもしれません。
良いものができるまでとことん作るという授業もあったのですが、どれだけろくろをひいても、何個作っても苦にならなかったんです。
スポーツには地道な繰り返し練習がつきものですから」
 
大学時代、増田さんはその後の人生を左右する人物とで出逢うことになる。
当時、芸大で教鞭をとっていた大嶺實清先生だ。
 
「大学四年の時でした。先生がアメリカの大学でサマースクールの講師を務めるため、助手を募集していると知って。
面白そうだし良い経験になりそうだったので、卒業制作を数週間で終わらせ、助手に志願したんです」
 
同じく芸大の学生だった山田義力さん(関連記事:「良いもの」であること、今の生活に入っていける器であること。)も共に先生に同行、アメリカとメキシコに約1ヶ月間滞在した。
 
「まさしく珍道中でしたね。
アメリカでは料理の味が濃すぎて僕はあまり食べられなかったのですが、先生や義力さんらはさすがウチナンチュ、よく食べて少しずつ顔も丸くなっていって(笑)。メキシコに行くと僕はメキシコ料理が気に入ったのですが、ウチナンチュチームは『あふぁい(=味が薄い)』『日本料理が食べたい』と。そこで現地の日本料理屋に行き、みんなお腹を壊したという(笑)」
 
増田良平
 
増田良平
 
増田良平
 
大学院を修了後、増田さんはしばらく老人福祉センターで陶芸教室の講師を務めていた。
これを一生の仕事にしていくのは難しいだろうと考えていた矢先、大嶺先生の工房に空きが出たという連絡が入った。
 
「独立したいとも考えていましたが、当時はまだ作る力が足りないと感じていたので、働かせてもらうことにしたんです。
 
それによって力不足が解消できたかというと、少しましになった程度だと思います。

でも、工房で働いたおかげで、数に対する恐怖心はなくなりましたね。
最初のうちは『器を100個作れ』と言われると『100個?! 』とひるんでいましたが、最後はまったく動じなくなっていましたから」
 
2004年に東風平で独立開窯したが、最初のころは、自身の作品と自分のやりたいこととの間にずれを感じていたと言う。
 
増田良平
 
増田良平
 
増田良平
 
増田良平
 
増田良平
 
「上手く作れてはいるけれど、何か足りないという気持ちを感じていました。
工房でのやり方が身についていたので、無意識のうちにそれが出ていたんですね」
 
もっと自由に作りたいという思いから、増田さんは徐々にやり方をかえるのではなく、方向性を大きく転換しようと考えた。
 
「わざと大きく振ったんです。振り切ろうとしたんですね。
どうにか自分らしさが出せるようになってきたのが、それから3年後くらい。
3年かけて身につけたものから独自の方向性を見出すには、やはり3年かかるんだなと思いました」
 
増田良平
窓辺に飾られているのは増田さんと息子さんがつくった鳥。「右が息子の。すごい良いでしょ。尾なんかピンと伸びちゃって、なかなかこういう風には作れないよね。それと比べると、俺のなんて全然だめだな」
 
増田良平
 
増田良平
 
増田良平
 
増田さんの子どもの頃の夢は、花火師だったと言う。
 
「でも親父に『世襲制だぞ』と聞いてあきらめました。
そもそも花火師になりたいと思ったのは、みんなを喜ばせることがしたかったから」
 
増田少年が抱いていた夢は今、充分にかなっていると言えるだろう。
 
 
今後の展望を尋ねると、「地面からそのまま生えているような器を作ってみたい」と答えた。
 
「イメージだけでいうと、息子がつくった鳥のような、地面からそのまま生れ出たかのような器。
だから、これから地面をじっくり観察しないと(笑)」
 
時に子どもが持つような伸びやかな表現力を感じる増田さんの作品。

それらを見ていると、日常的なものを好奇心と愛情にあふれるまなざしで見つめ、観察している増田さんの姿が目に浮かぶ。
観察されたものたちは増田さんというフィルターを通し、ユーモアを効かせて表現され、器という形をとって今日も生み出されている。
 
良平さんが明るい笑顔で語っていた、地面のような器にお目にかかれる日が待ち遠しい。
 

文・仲原綾子 写真・中井雅代

 
増田良平
陶器ますだ
八重瀬町東風平904
090-9784-6282
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*作品は陶・よかりよmofgmona no zakka(モフモナノザッカ)ten(テン)などのセレクトショップでも取扱っています。