須賀敦子・著 筑摩書房 ¥1,680/OMAR BOOKS
―頼りない海を漂う私たちの、羅針盤としての本 ―
いい本を読むと人に薦めたくなる。どうしてだろう?
ここで言う「いい本」とは心を動かされた本という意味。
読んで面白かったら面白かったで胸の内に閉まっておけばいいのに、
ついつい周りにそれを言わずにいられない。
それはその本を読んだことが少なからず、
何かしら心の支えになることがあると経験上知っているから。
決して即効性はないけれど、数日後、あるいは何十年後かもしれない。
ふと何かの折、昔読んだ本の記憶が蘇ることがある。
主人公のセリフや、遠い外国の美しい情景、短い詩。
平凡に続く毎日の中で、ちょっとした嫌なことや哀しいことがあったときに、
それらは心に小さな明かりを灯もす。
今回紹介するのは、イタリアの文学を日本に紹介し、文筆家としても人気が再燃しつつある著者の、自身の本にまつわるエピソードを集めたエッセイ集『遠い朝の本たち』です。
彼女が幼い頃に出会った本たち。
その本に出会うことになったきっかけや、
その本を読んでいた頃の家族や友人との思い出が端正な文章で綴られている。
作家としてはデヴューが遅かった彼女の最晩年に書かれた本なのに、
昔の話をよくもこう憶えているなあと感心してしまうほど、その記憶の描写は鮮やかだ。
「ベッドの中のベストセラー」というエッセイの中では、
狭い部屋に持ちこまれた大きなフランスベッドの上で
妹と一緒に寝転がって読みふける小さな著者の姿が目に浮かぶ。
読んでいて私もまた小学生の頃、
当時買ったばかりだったスプリングの利いたベッドにうつ伏せた姿勢で
シャーロックホームズ全集を夢中になって読んでいた頃を思い出した。
それはもう我を忘れてその世界にどっぷり浸かっていたと思う。
とても幸福な時間。
この本を読んでいると、つられてするすると自分の記憶の本たちが引き出されてくる。
また紹介される本がとても魅力的に書かれていて「海からの贈り物」(アン・リンドバーグ著)や「星の王子さま」のサンテグジュペリのくだりは紹介文それ自体が美しい内容。
一つのエピソードがごく20ページ足らずという中に
とても贅沢な時間が流れている。
きっとこれらの本は、長く外国に暮らし、イタリア人の夫に先立たれた彼女の決して平坦ではなかった人生を支え続けてきたのだろう。
いい時も悪い時もある、不確かな頼りない海を漂う私たち。
どこに向かっているか分からない時、本は時折り羅針盤の役割を果たしてくれる。
いつのまにかささくれだった大人の心に
じんわりと沁み入る良質な一冊です。
OMAR BOOKS 川端明美
OMAR BOOKS(オマーブックス)
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