房指輪のモチーフの一つで、
「 ニライカナイ(理想郷、天国)からの使者」
の意味を持つ蝶。
マットな光沢を放つ、大人っぽいシルバー。
自分の好きな文字を刻印できるという。
「ご自分の名前や誕生日を刻印してもいいし、
結婚記念日やお子さんの誕生日でも。」
伝統的なイメージが強い房指輪が、
一気に身近に感じられる。
沖縄県民であっても「房指輪」を知らない人、
または実物を見た事がない人は少なくないのではないだろうか。
琉球王朝時代、位の高い女性達が婚礼の際に身につけたと言われ、
伝統工芸である金細工(くがにぜーく)で作られた扇、魚、蝶など、
それぞれに願いが込められた7つの房がついている。
「沖縄風がきらいだったんです、実は。」
と笑う喜舎場さんが、
沖縄風の最たるものの一つである金細工を始め、
房指輪を作るようになったきっかけはなんだったのだろう?
作業台。ここで作品が生み出される。
歯医者さんの道具みたいですねと言うと、「そうそう、同じですよ。パーツも歯医者さんみたいに先端を付け替えて使うんです。削る時の音はまさに歯科医院で聞く音ですよ。」
高校では焼き物を先攻していました。
卒業後は読谷の工房に弟子入りしたんですが、続かなくて。
1年くらい通って辞めました。
物づくりからは離れたくなかったので
バイトしながら色々作っていましたね。
24歳の時に上京して、そこで金属の世界に出逢ったんです。
有名な和彫りの職人さんについて、指輪の作り方を勉強しました。
昔からインディアンジュエリーが好きで、
革も使って作品を作っていたんですが、
良いパーツがなかなか無いので、
パーツ作りから自分でやりたいなーと思っていたこともきっかけの一つ。
そこで二年学んだのですが、当時は若かったから
「よし、自分はこれでやっていける!」
と思っちゃったんですね(笑)。
それで沖縄に戻ってきたんですが、現実は甘くなかったですね。
工房に置かれた機具はどれも男前。
キーストーンに勤めていた友達が
「うちの店に置いてみないか?」
と言ってくれ、試しに置き始めました。
当時の作品は全てオリジナル。
抽象的なものが好きで、金属をただ曲げただけのものなど、
シンプルなのをよく作っていました。
でも、キーストーンはお土産品が多く、沖縄風の商品が売れ筋なので、
私の作品は全然売れなくて。
だから他の仕事、Tシャツデザインなんかもしていました。
その頃、初めて又吉健次郎さん(200年以上続く金細工職人の家の7代目。伝統金細工職人。)の存在を知ったんです。
実はそれまで沖縄にそんな伝統工芸があること自体知らなくて、
学校もなかったですし。
又吉さんのところで勉強を始めたんですが、
当時は沖縄風がきらいで。
1年くらい学んだあとフリーになり、
自分の工房を出そうと場所を探しました。
「房指輪を作る流れをお見せしましょう
パーツの原型です。これを板の上に置いて・・・」
「形をなぞり、糸鋸で手動でカットします。
細かい部分は電動ではできません、手動の糸鋸でないと。」
「火を入れて熱しながら『たがね』という工具を当てて、
金槌でトントンとたたき、模様を入れていきます。」
「最後に凹凸を出してガサガサした表面を削り、パーツを繋げれば完成です。」
「東風平に一カ所、工房にできるところがあるよ」と友達に紹介してもらい、
友人たちと「こちんだアトリエ」という名で活動を始めました。
デザイン等色々な仕事をしていると、
自分に足りない事がよくわかるようになり、
ジュエリーの勉強もしました。
そして30歳の時、ずっと行きたかったイタリアに思い切って勉強に行ったのが、
今思えば転機だったんだと思います。
イタリアでは、伝統技法を学べる学校をわざと選びました。
そこでは技術だけでなく、イタリアの文化や想いも学んだ気がします。
イタリア人って、代々受け継いで来た伝統をとても大切にしていて、
外国人にそれを自慢して、みんなすごく嬉しそうにしてるんですよ。
そういう姿を見るにつけ、自分もそうありたいなと思うようになって。
イタリアではよく、
「智子のふるさとはどういう所なの?」
と訊かれました。
質問に答えようと考えることで、改めて沖縄の良さがわかったというか。
そう言えば房指輪とかあったなーと思い出して伝えると、
「すごく素敵だね!」
と言われて。
そうだな、房指輪って良いよなぁと、そのとき初めて思いました。
イタリアに行っていなかったら、房指輪は作っていなかったと思います。
それまでは
「伝統工芸は人の真似だからな・・・
私は自分なりの新しい表現をしたい」
と思っていましたから。
でも、行き詰まった時にどこに戻るかというと、
やっぱり自分の根っこ、沖縄だったり首里だったりなんですよね。
それで改めて調べてみると、そこにはちゃんと意味もこめられているし、素敵だなって。
行き詰まった果てに戻って来た、という感じかもしれません。
思い返してみれば、
私が惹かれるのって全部共通点があるんですよね。
ネイティブアメリカンジュエリーもそうですけど、土着というか、
自分たちの文化や信仰、家族を大切にするという強い想いが反映されたアクセサリー。
結局私はそういうのが好きなんだなって気づいたんです。
イタリアから帰国して最初の個展で、房指輪を作りました。
今秋から沖縄で始まるドラマ「ハルサーエイカー」の登場人物が身につける予定のアクセサリー。
左はヒロイン、右はヒーローが使う予定だという。
沖縄風には作っていない作品が、沖縄風の作品に寄って来たような気がして。お客様からも「なんか似てきたね」といわれます。
房指輪のモチーフは、伝統型をベースに自分でアレンジしています。
中には象や亀など、オリジナルのモチーフも。
金細工の起源は中国で、吉祥や縁起物の指輪ですから、
亀や象があっても良いのでは?と作ってみたところ、
実際、昔は亀のモチーフも使っていたみたいなんですよ、偶然ですが。
房指輪の解釈は、昔は口頭で伝承されていたわけだし、
詳細が記された文献は戦争で無くなっているものが多いので、
モチーフ一つとっても鳩と捉えたり、桃と捉えたり、ざくろじゃないか?と言ったり、解釈が曖昧なんです。
それなら自分風にアレンジして、
新しい形で伝統を刻んでいっても良いんじゃないかな?と思って。
例えば、紅型の柄は元をたどると本土から伝わったものもあります。
伝統って他の土地から伝わってきて、
その土地で形を変えつつ馴染んでいくものじゃないかなと私は思うんです。
だから、伝統が失われていくよりは、現代の人たちが使いやすいように少しアレンジを加えてでも伝えていった方が良いと。
例えば房指輪は、琉球王朝時代のお金持ちでもそうそう買えるものではなく、
貸し出し用として使われていたほど高価で、だからこそ数が残っていないそうです。
そこで、真鍮を使うことでコストを抑え、
誰でも買えるようにリーズナブルな値段設定にしています。
作り方も昔と比べると機械化が進んで変わっていますけど、
それはそれで良いんじゃないかなと、最近は思っています。
今後は、海外でも個展をやれたら良いな、と。
友人がイタリアにいるので、
彼女を沖縄に呼んで私はイタリアで、という感じで。
海外の友人に沖縄を見て欲しいという気持ちも強いですし、
沖縄という小っちゃい島が日本にあって、そこで作っているものだよと、海外の人に見て欲しいという想いもあります。
琉球王朝時代の祖先たちが、船に乗って海外に出て貿易をしていた歴史を思うと、
自分ももっと外に出て行きたいし、
色々できることがあるんじゃないかな?って思えるんですよね。
私の祖父は17歳からハワイに渡り、
40を過ぎるまでハワイで懸命に働き、沖縄に戻って来てからも奮闘していた人。
そういう話を聞いているので、自分にできないことはないんじゃないかなって思えるんですよね。
「房指輪って上等だよね、すごく素敵。」
という声は、少なくない。
若い人たちからも。
しかし実際問題、7つの大きなモチーフが揺れる指輪を普段使いできるだろうか?
無論、古来から普段使いするものとして作られてはいないわけだが、
普段使いできず、保有し使用する人自体が少なければ、
どれだけ輝かしい歴史があろうと、作りが良かろうと、受け継いでいくのは難しい。
喜舎場さんは、沢山の人が実際に身につけてくれるよう、
素材にバリエーションをもたせたり、
房指輪のモチーフを一つ一つバラバラにしてネックレスとして販売したりもしている。
オリジナルを100%完全にトレースし続けて次世代に伝えることも大切だと思うが、
時代に合わせてアレンジを加えたり作家それぞれの味を足したりすることで、
より多くの人が無理なく普段使いできるようにしていくことも、
伝統を守るために有用な「伝え方」の一つではないだろうか。
伝統工芸品を購入・使用する人々は、
伝統がたどっていく道に沿って立つ灯明のような存在であり、
道が閉ざされることのないよう、行く手を明るく照らしてくれるのだから。
「お客様の殆どは観光客。
うちなんちゅの方にも、是非見て、手にとっていただきたいですね。」
自身が、沖縄風が嫌いだったという経緯があるだけに、
知って欲しいという気持ちは、人一倍強い。
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