「工房香月舎(かつきや)」香月礼(かつきあや)・後編最後は窯にゆだねる。焼き物のそういう他のチカラが加わるところが好き。


 
– – – 大学のサークル活動を手伝い始めたのが分岐点に。
 
大学3年の時、先輩を通じてある場所と出逢うことになって。
茨城県の岩間町(現在は笠間市)っていうところで、
驚くくらい私の故郷に酷似してて、
すごくいい良い感じのど田舎なんだけど(笑)
そこに岩間第一分校っていう、
十数年前に廃校になった小学校の分校があってさ。
ムサビ(武蔵野美術大学)には子どもたちのための造形教育活動を行う「ちびくろ」っていう名前のサークルがあるんだけど、
その分校が、夏休みに催される合宿系の図工教室会場になってたの。
それは現在も続いてて。
 
私が訪れたのはその教室が始まる直前、夏のはじまり。
あっという間にその場所の魅力に取り憑かれ
足しげく通ううちに、そのまま自然にそのサークルのサポーターっていう形で手伝うようになって。
夏の図工教室楽しかった。
思えば子供と縁のある仕事ってのもこのへんから始まってるかも。
 
でも本当の意味で影響を受けたのは図工教室のないオフの時期。
 
オフのときは大学の卒業生と管理人さんが管理してるから
割と自由な共同アトリエみたいになってて。
そこで自分よりも5歳~10歳くらい年上のムサビのOBやOGにたくさん出逢うことになったのね。
 
校庭では石を彫ったりしてるしさ、教室の中ではシルクを刷ったり、染め物やってたりしてるしさ、
夜は夜な夜な飲み会や音楽会。
 
いい大人が落書きしたりイタズラしたり毎日何かを表現する、刺激というかもはや衝撃(笑)
とにかくなんかすごく良かった。
大学の後半は大きな休みはほぼそこで過ごしてました(笑)。
 
だけどそのお陰でそんなちょっと先を歩いてる先輩達の
制作に対する姿勢や
卒業後の制作の場所の確保や、
生計をどうやって立てているかとか、
とても具体的な話しまで色々聞く事が出来て。
 
そうすると、自分のちょっとした近未来が見えるっていうか。
大学卒業した後にどんなことしてるのか何をするのかっていう。
 
それが良かったんだよね。分校に行ったあの夏がまたひとつの分岐点。
そういうのって普通に大学に通ってるだけでは見られないから。
 

 
– – – 焼き物に線を描いてるとさ、もう、うっとりするくらい気持ちが良い。
 
で、そこには窯もあったもんだから、
私は土をいじり始めたんだけど、
環境が自分の地元に近いっていうのもあって、すごい気持ちが開放されて。
 
その時に
「もしかして焼き物が向いてるのかな・・・」
って。本格的に向き合いだしたのはそれから。
でも、いわゆる「焼き物」の王道的な、
「この形がね・・・」
みたいな感じじゃ全然なくて、
焼き物をキャンパスに見立てて絵を描くって感じに近い
 
焼き物に絵を描くとさ、版画の時に出なかった線が出るわけ。
その線を描いてるともう、うっとりするくらい気持ちが良いわけよ。
別に自分の絵にうっとりとかじゃないよ。
「サクッ」って入る時の線の質感が気持ちがいい。
その質感を感じたとき、
「焼き物を媒体として絵を描く、みたいな感じが私はあってるな~」と思って。
そうそう、まさに2次元と3次元の融合(笑)!
 
大学3~4年からやっとそういう方向に向かい始めて、
それでようやく焼き物へと焦点が定まったんだよね。
 

 
– – – 自分が好きなように創ったものが売れる! これがベストなパターンじゃん?って(笑)
 
とはいっても、その時はまだ
「陶芸やる・・・って言ってもな~」って、
ちょっと迷いもあった。
「一般企業のデザイナーの募集も受けてみるか」
なんつって受けてみたりして。
 
でも、あとから考えてみたら全然違ってたっていうか。
ほんとは全くわかってなくてさ。
「とりあえず就職した方が良いかな?」とは思うんだけど、
どう進んだら良いのかは自分でもよくわかってないわけ。
「これなのかな~?」みたいな。
 
そんな就職活動も終わってなくて、「どーしようかな・・・」って時に
東京で『デザインフェスタ」っていうく大きな催しがあるって知って
仲良しの友人と一緒にとりあえず作品を出してみることになって。
そしたらなんと、お店から声がかかって。
「え~っ!こういうこともあるんだ!」
ってびっくり。
会社に入って言われた物を創るデザイナーじゃなくて、
自分が好きなように創ったものを直接売って、お店の人が持って帰ってくれる、こんなパターンもあるんだ~!みたいな(笑)。
「これ良くない?! ベストじゃん!」
とかって言って。一応そんな生き方も知り・・・(笑)。
 
でもその後,一応まずはスキルアップを、と 陶芸センターに就職をして,
子供に陶芸教えたりしながら数年過ごして。.
でも突然その会社がつぶれる事になって 
ヤバいヤバいと夜中に超いっぱい作品を創って・・・創りだめ(笑)。
で,また今度は松本で開かれてる松本クラフトフェアにそれをもって出店してみたり.
そこでもまたありがたい事にお店の方から声がかかって,
個展のお話しまで頂いたり.
 
その辺から、
「これで行こ」って(笑)。
というか会社もつぶれるしでもうこれでいくしかない(笑)
 
「何になりたいか、何をやりたいか」
っていうのを無意識にでもいつも考えてると、
答えは自ずとやってくるものなのかもしれない。
私の場合はけっこうそんな感じだったかも。
 
状況がやって来てくれてるというか
自分が思ってることがなんとなく見えて来るというか、
「キャッチする」というか。
「これだ!」みたいなのがわかってくる。気がします(笑)
 

 
– – – 子どもが3歳くらいになるまでは、したいことの1割か2割できれば御の字。
 
会社を辞めたあと 
何だかんだで結婚して長男次男と続けて出産
ぽっかり開いた時期にうまい事いきました(笑)
 
それでちょうどその頃に旦那が
「沖縄に帰る」
って言うから、私も
「やさ!(そうだ!)」
って(笑)。
 
永住の地にしっかり足をつけて仕事をちゃんとやりたいと思ってたから。
沖縄に行くことには何のためらいもありませんでしたね。
 
長男2歳直前、次男が4ヶ月の時に沖縄に。
長男はすぐ保育園に預けて、次男をみながら少しずつ創る環境を整えて。
年子の男の子に挟まれて戦争のような日々でしたが、
意外と「全くつくれないー!」」とかって言う焦りはなかったですね。
「子どもが3歳くらいになるまでは、したいことの1割か2割できれば御の字」と思ってたから、
窯の設備が整っても、のんびりゆっくり制作してた。
それで、子どもの成長とともに、徐々に自分の仕事量も増やしていった感じかな。
 

 
– – – アイディアを形にするには賞味期限があるってわかった
 
作風は最初からあんまり変わってないかな。
大学卒業して陶芸センターに入る頃から勝手に創ってるわけだけど、
大筋では変わってないね。
というか、進歩がないっていう話だよね(笑)。
でも創っていく上で最初に勉強になったのは
大学のときに観に行ったピカソの陶器展。
その時に、「えっ!アリなんだ~、こういうの!」
って衝撃を受けました。
ピカソの作品、食器もオブジェも同一ラインで自由気ままに創ってて、
女性の形そのままの花瓶とか見て、
ますます「これは良い!」と思って。
 
デッサンは、する時もしない時もある。
その時々によるかな。
子どもがいるからおかん業務も満載で、
そういうのが積もってるとゆったり焼き物に向き合う時間が取れないから、
皿洗いとか子供が小さい時は寝かしつけとかしながら
「もや~」っと考えてることがどんどんたまってきて、
「わ~、大変!」ってデッサン描いたりもする。
 
でも、あんまりがっちり描くとそれを作品に写したときに面白みがなくなっちゃうから、
ものすごいアバウトな情報しか書かないようにしてる。
頭に浮かんだことを忘れないように
「十文字と丸2」
とか書くわけ。
でも後から見たらまったく意味がわかんないわけ(笑)。
あまりにもはしょりすぎて。
自分でもさ、スケッチブック見て
「これなに?」(笑)。
でも、一つわかったことがあるんだよね。
「アイディアには賞味期限がある」ってこと。
沢山考えてるのになかなか時間がとれないと、
あまりに考えすぎちゃって、
実際創ってみたとき「全然違う!」ってなっちゃう。
いざ創ってみると全然おもしろくない。
頭で考えてた時の方が断然おもしろいわけ。
考えたことを手で表すまでの時間には、
一定の期限があるんだってのがわかった。
 

 
– – – 「別脳」に浮かんだものは、売れる売れないは関係ない、創りたいから創る。
 
自分はどっちかというとライブ感が強いタイプ。
頭の中に浮かんでるものを追いかけながら手を動かしてがーっと創る。
あんまり、
「ん~~~~・・・」
って悩みながら創ることはないかも。
 
それからこんなこともある。
コップを創ってるとするでしょ、
ろくろひいたり、絵を描いたり。
「生業」ですから仕事として作品を創ってると、
こっちがわの脳・・・私は「別脳」って呼んでるんだけど、
そこで今やってることと全く別のことが湧いてくる。
 
別脳で思いついたものは「売れる、売れない」じゃなくて、
自分が創りたいから創る。
例えば忍者とか(笑)、城とかね。
私が城を創ってるのを見て、子ども達は
「これどーすんの?!」(笑)。
旦那も「これなんなの?!」って言うんだけど、そこは関係ないの。
創りたいから創るのね。
 
でも結局生活のための制作も別脳で思いつくものも
外から受けた刺激だったり、最近妙に気になってることだったりを元に、心の中から出てくる感じ。
だからその両方をバランスよく創っていく。
 

 
– – – 最後は窯にゆだねる。焼き物のそういう他のチカラが加わるところが好き。
 
焼き物の面白いところは、
色んなことを自分で考えていても、結局最後は自分の手を離れて窯にゆだねるじゃないですか。
自分の力が及ばない、間接的な作用が働く。
そういう他のチカラが加わるところが好きなんです。
 
絵なんかで苦労するのは、終わりまですべて自分で責任を持たないといけないところ。
絵だと、ずっと終われないっていうループにさいなまれるんだけど、
焼き物はどこかでスパッと断ち切られる瞬間がある。
物質的に乾いちゃったんだからもう描けない、とか。
ここまで形ができてるからもう直せない、っていう強制終了みたいな部分があるから、
そのおかげである程度潔くなれるのかもしれない、自分の中で。
 
で、もちろん、出来上がった時に「あれ?」みたいなときもいっぱいありますよ。
私の窯、基本65点くらいだから(笑)。
「なんだよ、これ~」とか言って、
あまりにひどい時は「はー、もう。焼かない方が良かった・・・」って泣いちゃうんですけど(笑)。
かといってデータを取ってきちんと研究するタイプでもないので、
次もまた一か八かみたいな。
かと思いきや、窯の神様にすごい力を頂いて
「はー!これすごい良くなってる~!」って時もあって。
そういう、「できてみないとわからない」って部分は、版画にも共通するところがあるかな。
そういうところが好きなのかもしれない。
他力本願体質(笑)。
 

 
– – – 「絶対これが良い!」ってお子さんが。こういうのが活力になる。
 
一番嬉しいのは、子どもが「好き」って言ってくれるとき。
それこそ「やったー!」っていう気持ちになる。だって子供は正直だから(笑)
 
自分の焼き物に惹かれて、子どもがアクションしてくれたことが今まで何回かあって・・・
言ってもいい?言ってもいい(笑)?
 
すごいちっちゃいふたものの器を創ったことがあったのね、ふたの部分にちっちゃい怪獣みたいなのがついてるやつ。
5000円くらいで、まあまあの値段の。
それを陶器市に出品したんだけど、開催期間の5日間、ある男の子が毎日毎日それを見に来るわけ。
ちょっと触ってみたりしてさ。
それ見てると私も嬉しくて、
「これ、気に入ってる?」
って話しかけるとちょろっと逃げてくわけ。でもまた見に来て。
そしたら最終日にお母さんと一緒に来て、
「じゃあこれで良いのね?」「うん。」とか言って。
お母さんが「これ、ください」って。
「これ5000円もするんですよ?」って言ったら、
「私もね、この子にはちょっと・・・って思ったけど、
この子が『お年玉使っても良い』って言うんで。」って。
もう私、泣きそうになっちゃって。嬉しくって。
 
結局この子の「毎月もらってるおこづかい」の500円でお譲りしました
これはこの子にもらわれて行って、幸せな一生を送るだろうと思って。
 
沖縄でも同じようなことがあって、
これはつい最近作品を置かせて頂いてるお店の方から教えて頂いた話。
この店には大きなガマガエルと龍に化けたニンジャが化け合戦をしている大物作品を置かせて頂いてるんだけど、
通学路から見える窓際に置いてあって、
小学3~4年くらいの男の子たちが通りながらいつもよく見てるから
お店の方が声を掛けたところ
「うん、これね、お小遣いためてみんなで買おうって言ってる」
って言ったんだって!
これも泣きそうなくらいうれしかったですね(笑)。
 
こういうのが活力になりますよね~。
こういう気持ちを味わうと、また次を生み出したくなるんですよね。
 
好きなことをさせてもらって、人からも喜んでももらえてる。
ほんとにこれって幸せなことですよね
 
今、ちょっと時間に追われ気味になってるから、
もう少し余裕を持って
日々感謝の気持ちを忘れずにやっていきたいですね。
 

写真 中井雅代

 
工房香月舎(かつきや)
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