名嘉睦稔(なかぼくねん)・前編心にある完成図を、刀の切っ先が「開けて」いく。


 
「最初から版画がやりたかったわけじゃない。
でも初めて刀入れた瞬間、
『これは一生やるな』
ということがわかってしまった。」
 
それまでも絵やデザインの仕事をしてきた睦稔さんだが、
版画との出逢いはまさに衝撃的なものだった。
運命の相手に出会ったような感じ?
 
「そうかもしれないね(笑)。
でも、それから2~3年は全然版画をやらなかったんだよ。
一度手をつけてしまうと夢中になって、
当時やっていた仕事が疎かになってしまうとわかっていたからね。」
 
一気呵成の迫力のタッチに、
子どもの時に見た夢の中の風景の如き、鮮やかでいながら不思議な色彩。
唯一無二の存在感を放つ作風で多くの人を虜にしている睦稔さんは
これまで一体どういう道のりを歩んで来たのだろう。
 
インタビュー場所に長男の太一さんと現れた睦稔さんは
いかにも人懐っこそうな笑顔を浮かべ、
その大きな目は私の向こう側まで見透かしてしまうんじゃないかと思うほど、深く透きとおっていた。
 

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– – – 数名の同級生の絵を代わりに描いてあげてた、スタイルを描き分けて。
 
昔から好きかどうか問わないくらい、普通に絵を描いてたね。
最近叔母さんから聞いたんだけど、
3~4歳の時にセメント袋かなにかを切ってもらって、
それを地面に敷いて絵を描いてたらしい。
当時は紙なんて上等なものは学校にしかなかったからね。
紙の代用品としてせがんで作ってもらったみたい。
そういう話を聞くと「絵が好きだったのかもな〜」と思うね。  
 
昔からスタイルを描き分けるのが得意でね。
そういう意味では器用だったのかもしれない、絵に関しては。
学生の時も10以上のスタイルを描き分けていたから、
野外スケッチの日はギリギリまで友達と遊んで、
4~5名くらいの同級生たちの絵をその場でスタイルを分けて描いてあげてたよ。
先生にもバレなかったね(笑)。
 
– – – 東京の専門学校では学ぶことがなかった。高校で習ったことばかりで。
 
でも、絵で食べていこうとは思わなかった。
僕が生まれ育った伊是名では誰もそんなことは教えてくれなかったし。
離島に限らず、沖縄は進学や勉強することこそが貧困から自分たちを救う唯一の道だと妄信してるからね。
学校の勉強をきちんとやるのが偉いという価値観。
その価値観から言えば、僕は偉い子じゃなかったな(笑)。
 
工業高校に入学した。
当時は工芸科という名前の科で、今の沖縄工業デザイン科。
絵を描くことで食べていけるように訓練してくれるようなところだった。
高校時代は楽しかったよ。
空手ばっかりやってたけど(笑)。
 
今思うと先生方がすごく苦労してカリキュラムをきちんと組んでくださってて。
当時の先生方は本当に偉かったと思う。
結果的にすごく高度な勉強をさせてもらったよ。
 
卒業後、もっと勉強したくて東京の「日本デザイナー学院」に進学した。
でも、やること全てすでに高校時代に習得していたことだったんだよな。
その時になって、いかに高校のカリキュラムが優れていたかをまざまざと知った。
何しろ先生よりも僕の方が色々わかるくらい。
だから、高校の先生方は本当に大したもんですよ。
 
– – – ポケットにヘビとねずみ、「茶碗虫」と勘違い…… 面白かった東京時代。
 
そういうわけで、学校行ってもやることなかったけど、
親に金出してもらってるからすぐに辞めるわけにもいかず、
だらだらしていたらいつの間にか先生役をさせられるようになってさ(笑)。
「学校やめるから」というと「やめないでくれ」と先生に頼まれて。
でもいてもしょうがないから「仕事を紹介してください」とお願いして紹介してもらったけれど、結局採用してくれなかった。
 
当時はまだ沖縄差別がひどかったんだよな。
「沖縄出身なんだろ?いらない。」って言われて不採用になった。
「沖縄の人お断り」なんて書いたレストランもあったしね。
沖縄の人には部屋を貸さない不動産屋もあった。
「沖縄の人はみんな空手やってるんでしょー」なんて言われて、
「そうだよ、屋根の桟(さん)つかまえて1時間くらい平気でいるよ~」
とか答えてたな、冗談で(笑)。
 
でも、僕ヘビ飼ってたんだよな、そう言えば(笑)。
東京にいたときは、アオダイショウをシャツの胸ポケットに入れて飼ってた。
ちょっと顔出してもちゃんと引っ込むのよ。それがまた可愛くてね。
生まれて間もないやつを横須賀で捕まえて。
東京と横須賀を電車で往復してたから、その時に連れて歩いてた。
ポケットにいつも入ってるから、バッタ捕まえたらその場であげたりね。
で、もう一方のポケットではハツカネズミ飼っててさ(笑)。
そう、ヘビと同時に。
 
駅で白い綿毛みたいなのがコロコロ~と転がってたから、
何かな?と思ってみたらネズミだったから、捕まえて。
当時チョコレート屋でバイトしてたからアーモンドをあげたら、
栄養が豊富だからぶくぶく太ってうさぎみたいになってさ(笑)。
 
ヘビとネズミをひとつのポケットに入れると普通はヘビが食べちゃうんだけど
ヘビはお腹いっぱいだし、ネズミは世の中知らないし、
ヘビのとぐろのなかにねずみが入ってすやすや眠ってたよ、家族みたいに(笑)。
 
こういう話するから、それでまた「沖縄ってのは・・・」って誤解がうまれるのかもしれないね。
でも、実際やってたことだからしょうがないよね(笑)。
 
東京にいた頃は面白いことが色々あったよ。
例えば「茶碗蒸し」。
今まで見たこともないから、てっきり「茶碗に虫が入ってるんだろう」と思って。
僕的にそれは最高の食べ物なんだよな。
「へ〜、ヤマトってところはなかなかやるな~!虫が入ってるのか、良いね~。
そうだよ、虫だってこんなすれば食べられるんだよ」
って。
食べる前から料理を考案した人に対して敬意も抱いてたからね(笑)。
何の虫だろう?って期待感もあった。
小さな器に入る大きさの虫だからカイコ類の幼虫かな?とか。
僕はそういうの気持ち悪いとは思わないし、入ってたら喜んで食べるから。
 
それで実際運ばれて来ると、またこれ見よがしにぷりぷりの丸まった海老が入ってたんだよ(笑)。
「お〜、これか~!」と思ったら、「なんだ海老か・・・」って。
 
食べても食べても虫が出て来ないから先輩に訊いたら
 
「バカかお前、虫が入ってるって本当に思ったのか?」
「そうじゃないんですか?」
「違うよ、これは『蒸す』からそういう名前なんだよ」
 
と教えてもらって。
「なんだ、そうなのか・・・」って、もうガッカリだよね。
 
そんな面白い経験が結構あったな。
 
– – -夢をたたみこんで大人に
 
でも、内地にはそんなに長くはいなかったね。
やりたいことが沢山あって、
本当はアマゾンとかアフリカとかに行きたかったんだけど、
高校時代からずっと一緒だった今の女房にちょうど子どもができて。
 
当時まだ俺たちも子どもだったけど、大人にならなきゃ!って。
夢想してたことはとりあえず一旦たたみこんで現実に対応していかないといけないから。
まだ若かったから周りの人が手助けしてくれて。
そんな感じで沖縄で仕事を始めた。
 
広告代理店にしばらく勤めた後にデザインプロダクションを友人とおこした。
それからフリーになって、今の会社を作った。
 
それまでも絵本の絵を描いたりしてたんだけど、
ある時「木版画で描いてほしい」と依頼があって。
 

 
– – – 版画の手ほどきは文房具店スタッフの説明のみ
 
それまで版画自体やったことなかったんだよね、小学校時代も。
それで道具を買いにいって、文房具店のお姉さんが「こんなして彫るんだよ」って教えてくれて。あとは道具に書いてあった使い方を読んで。
 
でも、バレンはこれ、インクはこれで、こうやって刷るんだなと
基本的な使い方さえわかればあとは大体勘でわかっちゃう。
 
それで何もわからんまま版画を彫ってみたんだけど、
その時にまずすごい衝撃を受けたんだよね。
で、さらに図書館に行って棟方志功の画集借りて来た。
それ見てまた衝撃を受けたね。彼の「裏彩色(うらざいしき:中国の古法で和紙の裏から色付けする)」という手法に。
志功という人を知ってはいたけれど、詳しいことについてはあまり知らなかったから。
 
その時に3点くらい描いたのかな。
当時は他にも抱えてる仕事があったから、
版画に集中する前にそれを片付けないといけないので、一旦棚上げして。
それから3年後くらい、諸々の仕事が終わってから封印を解いたんだよね。
 
版画に関してだけでなく、絵に関しては別に教わる必要はないんです。
勘で大体わかっちゃうから。 
 
– – – 版画は、間違いが正しい
 
版画のスタイルは今も昔もそれほど変わっていないね。
僕の絵を取扱っている東京の画廊の主が
「最初からスタイルが完成していた」
という言い方をしている。
わかる人にはわかると思うけどね、初期のスタイルとか。
最初はそんなに大ぶりの作品は創らなかったし。
 
同じ版画でも、
製作のスピードを落として色々と考慮して描く物と、即興で描くもの、
大筋ではこの2つがある。
僕は即興で描くのが好きなの。
その危険性が良い。いや、危険性というのではないな。
「ダメなのが当たってる」というか、「間違いが正しい」。
僕は版画はそういうものだと思ってる。
 
– – – 刀の切っ先で徐々に「開けていく」感じ
 
どんな絵を描くにしても、頭の中の完成図はおぼろげなんだよね。
でも、心がちゃんと完成図をわかってる。
それが、刀を入れてやっと具体的になってくる。
正体が現れてくるというか。
例えて言うと、ピントが合っていないボケたすりガラス状の絵がある。
そのすりガラスを開けていくと、開けたところから徐々に鮮明になっていく。
そういう感じなんだよな。
 
魚を描くときに、普通は全体的な形をデッサンしてから少しずつ仕上げていくことが多いと思うんだけど、
僕の場合は口を描いて目を描いて・・・と、しっぽまで一気に描いていく。
少しずつ「開けて」行く感じなんだよね。最初から本番。
絵はそういうふうに、最初からそこに「在る」わけ。
 
デッサン描いてやってみたこともあるけど、
できあがるものは変わらない(笑)。だからやるだけ意味ない。
 
僕はできるだけ速く描きたいわけ。
僕の製作現場の映像を見て
「早送りしてるに違いない」
って言う人がよくいるんだけど、
自分の感覚としてはまだまだ遅すぎる。ちんたらしてる。
もっと速くやりたいけど、筋肉がこのレベルなんだよな。
 
壁に絵を描くのも速いよ。
デッサンはもちろんやらない。
デッサン無しで描けるわけがないとみんな言うんだけど、
できるわけよ、見えているから。わかるから。
 

 
– – – みんな見えている。ただ見えているという自信がないだけ。
 
絵を描くモチベーションはいわゆる「感動」。
自分の心が動くときだよね。
何か見たり考えたり、美しいなとかすごいなとか心が動くさ?
風景もそうだし。
あらゆる目に映ってくるものや目に見えないものも含めてだね。
むしろ見えてるものより見えない世界の方が大きいんだよね。
 
今目をつぶっても自分の部屋や、外に置いてある自分の車が見えるでしょう?
運転してあの道をたどれば自宅に帰れると思う。
目に見えないのに、まるで保証されてるかのように感じる。
それは記憶があるからでしょう?
 
過去だってそう。
目の前にはない、昔のことが見える。
それは全部記憶という装置がそうさせてるんでしょう。
 
我々が見えないものを見るというのもそれと全く同じ。
そうすれば、小学5年生の時に見た魚の顔が、自分では覚えているかどうか定かじゃないのに、何かの拍子にボンッと出て来る。
それは、魚と出逢ったときの感動がそのままあるから。
 
そういう意味では、みんな色々なものが見えているわけ。
でも見えているという自信がないわけ。
 
僕はたまたま刀の切っ先からそれが出てくるというのを体験して
「あーはー、全部あるな~」
と実感した。
僕が最初にそれを経験したのは「大礁円環(だいしょうえんかん)」という作品を描いているとき。
 
– – – 記憶の中に完全に「在った」様々な魚の姿
 
「大礁円環(だいしょうえんかん)」というのは
高さ2m、幅12mくらいの大きな作品。
沢山の魚をほぼ全て記憶だけを頼りに描いた。

すると、魚の研究をしてる人がこの絵を解説してくれていて、
絵の中の魚1匹1匹を検証しているわけ。
すると、「生態的にどの魚も正しい、きちんと描けている」と。
 
描いてるところから絵が立ち現れてくるんだよね。
記憶が追っかけてくる。
でも、「模様はこんなだったかな?」と思って図鑑で確かめようかとも思うんだけど、
探してる時間がもどかしくて。
「もういいや!」と思ってさ。
「こんなだったはず~」みたいな。
でも大体において生態的にもいる場所や仕草、模様や形がちゃんと当たっていたという。
 
だからその時に「あ~、全部在るんだな~」と自信がついたんだよね。
それまでは「在る」ことを引き出す機会がなかっただけ。
刀を持てばそれができるんだなと、ちょっとね、わかっちゃったの。
 
– – – 思惑の吹っ飛んだところで完成する面白さ
 
版画は勝手に版画になっていくと僕は思っているの。
勝手に絵が絵になっていく。
人の手を借りてはいるけれど。
 
自分でこうだと方向をきめてしまうと、そうしかならないけれど、
僕の思惑とか吹っ飛んだところで結果的に完成してくれるところが面白い。
そのおもしろさが版画にはある。
「だからみんなやってごらん」と僕は言いたい。
僕だけができることじゃない、みんな体験できるよ。
 

『名嘉睦稔(なかぼくねん)・後編』に続く。

 
BOKUNEN ART MUSEUM(ボクネン美術館)
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