宮城クリフ曖昧なラインが描き出す、さりげない沖縄らしさ。その向こう側を感じて。

宮城クリフ

 

「ちょっとしたところに垣間見える沖縄らしさが好きなんです。
例えばこちらは、昭和50年に行われた沖縄海洋博覧会のオープニングで、水上スキーをする外国人女性たちの絵。これが沖縄を描いた作品だということは、本土の方だとすぐには気づかないのではないでしょうか。
また、ブロックの上にとまっているスーサー(イソヒヨドリ)を描いたものもあります。これがブロックじゃなくて赤瓦だったら描きたいと思わないんですよね。
ベタな沖縄よりも、なんとなーく沖縄らしい、くらいの風景が好きなんです」

 

宮城クリフ

 

木の上に赤い風船が3つ並んでいる絵がある。
抗議行動が行われていた宜野湾市の野嵩ゲート付近で見かけた風景だという。

 

それは、風船と教えられなければ風船以外のものにも見える。
私には大きな柿のように見えた。そう言うと、宮城さんはうなずいた。

 

「そうですね、言われてみれば確かに柿のようにも見えますね。
それでいいんですよ。見るひとによっていろんな風に見える。
絵の向こう側に何を感じるかはその人次第。それくらいの匂わせ方でいいと思っています」

 

宮城オサム

 

輪郭のぼやけた絵はどれも特徴的で、どことなく夢の中の風景のようにも見える。
もしくは、自分の記憶の糸を懸命にたぐり寄せようとしながら描いたような。

 

白昼夢。
または、いつかどこかで見た懐かしい景色。

 

印象的だったので記憶には残っているのに、どうも細部がしっかりと思い出せず、アウトラインもぼやけている。そんな感じを受ける。

 

宮城さんの絵をじっと見つめていると、絵の中の世界とこちら側がゆっくり融け合っていくような気持ちになる。

 

宮城クリフ

 

宮城クリフ

 

A&W(エイアンドダブリュ) のアメリカ版 CM をモチーフにした三部作がある。
どことなく不気味な雰囲気の漂う女の子の絵、木陰から顔をのぞかせる A&W のマスコット・「ルートベアー」、こちらを見つめる男の子の3枚だ。

 

「ルートベアーの絵を見た方が、『この熊、ひょうきんな格好しているけど幸せそうに見えない…。悪そうな熊に見える!』と。そういう風に言っていただけるとなんだか嬉しいんですよね(笑)。

 

表面的なことだけじゃなく、その後ろに隠れているのはなんなの? と、絵を見ながら少しでも考えていただけたらな、と。『この絵には何かありそうだな』と思ったら、その先どう感じるかはそれぞれにおまかせ。
みんな持っている引き出しは違うし、目にしてきた選択肢も選んだきた道も色々ですから。

 

アートってなんでもそうだと思うんですけど、見たままの価値ってないと思うんです。こうなんだと言いきれる絶対的な作品はない。
だから、満タンじゃない作品がいいと僕は思うんです。僕自身は完結させているけれど、僕の手を一旦離れたら、見る人にその先を委ねて完結させてもらう」

 

沖縄出身の宮城さんが、10年間暮らしたイギリスを後にして帰国したのは2009年。
現在は沖縄で現代アート作家として活動を展開しているが、幼い頃は漫画家になることを夢見ていたと言う。

 

宮城クリフ

 

宮城クリフ

 

「絵を描くことがずっと好きだったんです。昔は漫画家やイラストレーターへの憧れがあって、独学でいろいろ勉強していました。
でも結局、芸大(沖縄県立芸術大学)ではなく琉球大学の経済学部に入学しました。経済学に対して特に強い関心を持っていたわけではないので、授業については…『とても楽しかった』とは言えませんでしたね(笑)」

 

大学在学中も絵に対する思いを抱えたまま過ごし、大学卒業後は新しい経験を求めて東京に出たが、肌に合わず一年ほどで沖縄に戻ってきた。

 

「そのころから、漫画やイラストよりも油絵に興味を持ちはじめました」

 

本格的に油絵を学ぶために芸大への入学を決意、資金を貯めるべく予備校で英語講師として働きはじめた。

 

資金的なめどが立ったころ、当時現代アートの第一線で活躍していた花城勉(はなしろつとむ)さんと出会い、一気に現代アートの世界へと惹かれていったと言う。

 

「花城さんから『アートやりたいならアメリカやイギリスの大学にいったほうがいいよ』と言われ、進路について考え直しました。海外の大学へ行くことに不安はありましたが、『今行かないといつ行くんだ?』と自問自答するようになって。
本当は、昔からの憧れもあってアメリカに行きたかったのですが、結局イギリスに留学することに決めました。リチャード・ロングなど好きな現代アート作家が多かったことも理由の1つですが、当時はイギリスに留学する方が費用も安く済んだんです」

 

ポートフォリオ(=自身の作品集)を送ったところ、イギリスの名門芸術大学「チェルシー・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザイン」に合格、98年に渡英した。
カレッジの授業スタイルは独特で、宮城さんは入学当初大きなショックを受けたという。

 

宮城クリフ

 

「そもそも、授業で先生が何も教えないんですよ。
日本の芸大だと、1年次はデッサンの基礎を学ぶところも多いと思いますが、イギリスでは授業というものが存在しない。
いきなり名だたるアーティストが講師としてやってきて、一対一のディスカッションが始まるんですよ。そこでは僕らは学生ではなく、1人のプロのアーティストとして扱われるんです」

 

テクニックや技法の習得に重きを置く日本の芸術教育とは異なり、イギリスではコンセプトありき。授業でもどういったコンセプトを元に制作するのかという部分に焦点が当てられるという。

 

「日本であれば模写の技術なども重視されます。でもイギリスでは、『本物とそっくりにかける。それで?』 という感じなんです。リアルに描きたいなら写真を撮ればいいだけ、君は何をどういう風に表現したいんだ? と。
アートの根本的な捉え方が日本とは全く異なっていたので、最初はとても驚きましたが、先に渡英していた先輩が『イギリスでは哲学がわからないとアートの世界でやっていけないぞ』と話していたのを思い出し、なるほどなーと。
コンセプトとは自身の経験から生まれるものですが、経験をコンセプチュアルに組み立てるためには哲学的な要素も必要です。それに気づいてからは意識が変わりました」

 

講師とのディスカッションを経て、宮城さんのアートに対する価値観も徐々に変化していった。

 

「自分の作品を言葉で説明するのですが、それも、『このリンゴのポジションが〜』とか『立体感が〜』とかじゃない。映画や音楽の話、自分が興味を持っていることについて話すんです。
表現は経験から生まれるものだから、そういうディスカッションのスタイルはアートを学ぶ上で実はとても自然なことなのだと次第に感じるようになりました」

 

宮城クリフ

 

渡英当初、宮城さんの絵はイギリスの日常的な風景が描かれることが多かったと言う。

 

「ウェールズなどの郊外で見た風景や、文化の匂いを感じるものを描いていました。
イギリスでの生活に慣れて楽しめるようになってから、沖縄のことを自然に思い出すようになって。沖縄で暮らしていたときには、逆にほとんど沖縄を意識していなかったのですが…。
それからですね、沖縄を題材にした絵を描くようになったのは」

 

3年に渡るカレッジでの生活は、宮城さんの人生に大きな影響を与えたと言う。

 

「そこから人生が始まったと言っても過言ではないと思います。
友人の多くは音楽やアートの世界で生きていて、彼らの生きる力は半端なく強いものでした。
日本ではわりとみな、共通する場所に流されたりする。でもイギリスではそれがない、共通項を求めず、流されることもない。それでも集まれば話は盛り上がるし、想いを分かち合うこともできる。
そういう雰囲気がすごく居心地よかったんです」

 

宮城クリフ

 

10年のイギリス生活を経て帰国、現在は沖縄市コザに拠点を置いて制作活動を行っている。

 

「今も沖縄への想いはしっかりとありますし、沖縄が抱えている様々な問題にも関心はあります。
でも、それを直接的な形で絵にすることはありません。そういった表現を試したことはありますが、どうしても違和感を感じてしまって。『これは自分の絵じゃないな』と。

 

平和への想いもあります。アートには何かしらの力がありますし、目指すは世界平和。
ただ、ストレートな反戦の絵を描くというアプローチもあれば、相手の経験や思想に違う方向から静かに語りかけるアプローチもあると思うんです」

 

宮城クリフ

 

今後はさらに、沖縄の風景を絵にしていきたいと言う。

 

「沖縄百景というテーマで描こうと思っていて。
小さ目のサイズで、沖縄の場所だったりシーンだったりを描いてみたいんです。

 

百景の候補の一つは、沖縄市のベトナム通り。
いわゆるジャンク街で、日曜日の早朝から蚤の市をやってるんですよ。結構びっくりするようなものも売っていて、あんまり爽やかな場所とは言えない(笑)。でも、そういう雰囲気が好きで。

 

また、沖縄のアパートも描きたいと思っています。
沖縄ってアパート文化が盛んじゃないですか。集合住宅のある風景が独特だと思うんですよね。特定のというよりは、匿名的なアパートを描きたい」

 

 

その地に暮らしていると、当たり前になってしまう風景。
特に、沖縄で生まれ育った宮城さんが「らしさ」を見出すには、より丁寧に沖縄を見つめる視線が不可欠だろう。

 

輪郭が不明瞭な絵は、その不明瞭さゆえに多くの人の記憶により結びつきやすいのではないかと思う。
輪郭がはっきりしていると、「この部分が違う気がする」「そこはこうあるべきじゃないか」という風に、自身の記憶との相違点に気づきやすいが、輪郭が曖昧だと共通点ばかりが目につき、ぼやけた部分さえも知らず知らず自身の記憶と同化させていることがある。

 

宮城さんの絵の中には、私がいつか見た風景そのものを描いているように感じる作品がある。
鑑賞者によって見え方は様々なのだろう。曖昧な部分の判断は個人に委ねられているからだ。

 

「沖縄の現状について『ひどいんだよ!』と声を荒げるよりも、世界の人々のことも理解し、共鳴する感覚を持つことが大事だと思う」と、宮城さんは言う。

 

絵の向こうに見える世界はそれぞれ異なっていたとしても、その世界を自分ごととして受け入れるという共鳴への第一歩が、宮城さんの絵を通すと可能になる。そんな気がした。

 

宮城さんの絵の向こう側に、あなたはどんな世界を見出すだろう?

 

写真・文 中井 雅代

 

宮城クリフ
宮城クリフ

 

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