「Calling」

写真・文 田原あゆみ

 

エッセイ

 

 

 

この春は桜の川を渡った。

 

 

エッセイ

 

 

年が明けてからとにかく何度も飛行機に乗って東京へ。
数えてみたら、年が明けてから飛行機に15回も乗っていた。

 

春の展示会ラッシュに、卒業式と入学式、引越し、それに打ち合わせをまぶしてあっちへ行ったりこっちに来たり。

 

なんともめまぐるしい春。
そんな中で、桜の満開から花吹雪までをしっかりと味わった。
そしてある日、桜の川を渡ったのだ。

 

今こうして花びらの川の景色をみていると、生活の中で起こる様々なことが繋がっているのを感じる。
ほら、まるで天へと続く異世界が向こうにあるような、日常とかけ離れたなんともありがたい景色なのだ。

 

元気でユニークで、いつも私に笑顔をくれた愛犬は、出張ラッシュの合間のある日、私の手の中で旅立っていった。
温かかった身体から抜け出て、どこか美しいところへと。
いつか歩いた道を戻ったのか、それとも初めて歩く道を走ったのか。

 

そう、ぽぽが身体を抜け出て、この桜の川を一緒に歩いている。それはぽぽが旅立って3日目から始まった春の出張で感じていた感覚。

 

春の東京の道を、ずっとぽぽっと歩いているような気がしてならなかった。
ふわふわの毛玉に花びらをつけて、まるいお尻をふりふり歩いては、振り向き、歩いては振り向き。私の足のそばにずっと着いているのを感じていた。

 

その気配は今はもういつの間にか消えてしまったけれど、今年の桜の写真を眺めているとそこにはぽぽの気配がある。
散ってしまった花びらの美しさよ。

 

その日、私は桜の花びらの上を歩いて、木彫作家のクロヌマタカトシさんの工房へ行った。
冒頭の写真は黒沼さんの工房の入り口。

 

 

エッセイ

 

 

毛が生えていて、輪郭が丸くて、生暖かい息を吐き、瞳が黒いか茶色い色の哺乳類がたまらなく好きだ。
馬・ポニー・熊・驢馬・犬・狐・狼・ウオンバット・ワラビー・コブ牛・鹿
優しい瞳の、温かい生き物に共通したものに私はどうしても惹かれてしまう。

 

その大好きな動物のイメージを凝縮した形をした言葉が「ぽぽ」だった。
ポーリッシュ・ローランド・シープドッグという犬種のぽぽはまさしく、私の好みの生き物そのものだったのだから。

 

触れるものでも触れないものでも、その概念が私の中に生きていて、そういう感触を持った生き物に出会うと嬉しくなって、「あ、ぽぽみたい」。
そう思ってしまうのだ。

 

ヴィゴ・モーテンセン主演の HIDALGO を観た時アメリカンペイントホースという種類の馬たちを見て、「あ、ぽぽみたい」と感じ、妹も私に「ぽぽみたいだね」と、言った。ふさふさの毛と、骨太のどっしりとした足、丸いお尻に、茶褐色の温かい目の色。愛情と深遠さを湛えるその瞳が、愛おしい体躯を持ってこの世に存在していることを認識すると、私はたまらなく奇跡を感じてしまう。

 

アメリカンペイントホースは誠実そうな顔つきをしていて、瞳は深い深い色。感情は人に寄り添い、様々な権力闘争ややパワーゲームに翻弄される人間、弱くて自然から切り離されてジタバタしている人間、人間はこんななのに彼らは忠実に寄り添う。時に我が身を捧げても寄り添ってくれる。たまらない。

 

 

話は少し逸れてしまったけれど、黒沼家の玄関を入ってすぐのところに置いてあったこの鹿の彫像を見た時も、実は心の中でそう呟いていた。
「あ、ぽぽみたい」と。

 

行き先が決まっているそうで、その人はなんて幸運な人だろう、そう心の中で私は呟いた。

 

 

エッセイ

 

 

黒沼さんごめんなさい。「あ。ぽぽみたい」、私はそう感じた。
それは自然に湧き出す感覚で、コントロールするものではないのだから。
毛の柔らかさや、身体の温もりを感じられて、その濡れた鼻先から生暖かい呼気を放っている。
瞳の穏やかな深い光の中には、私たち人間が知りたくてもう何千年ももがいている自然の摂理が深い色を帯びて宿っている。

 

彼らは喜びに素直で、欲求にひれ伏し、私たちが聴くことのできない音や音楽を感知し、私たちの知り得ない色の中で生き、自然のうねりと呼吸を合わせ生きている。

 

 

手を伸ばして触れてみたい。その伸びやかで自然を宿した体躯のそばで眠ってみたい。
なついて欲しい。(私だけに)

 

 

そんな憧れが私の中にある。
クロヌマタカトシさんの作品を初めて見た時に、「あ、見つけた」「あ、いた」、そんな感覚になった。彼が設計事務所を辞めて、木を彫り出してからわずか2年後だったということを後から知って、私はとても驚いた。

 

 

その時の松本クラフトフェアでのことを4年前に記事にしたのがこちら。「暮らしの中の旅日記」というタイトルで記事を書き出したなんと第1回目だ。

 

暮らしの中の旅日記 Ⅰ

 

 

生きているな、という感覚や、美しいと感じるとき、その要因は対象の写実性や技術の中にあるのではない。
その人の持っている全てを駆使して、その人が追い求めている対象物と一体になったとき、生まれでてくるものに生命が宿る。

 

ある人には呼吸のように自然な営みの中で、ある人にはもだえ苦しむようなプロセスを経ることもあるだろう。
人によっては、そこに興味のない人も、気がつかない人もいるのだろう。
文章にするとさらっと簡単に読み流す人もいるだろうけれど、これは一生を捧げるのにふさわしい課題であり探求となる。

 

一体感という感覚を感じたくて、私たちは誰かを好きになったり、お料理したり、ケーキを焼いたり、作品を作るのだ。こうして言葉を探り当てたりすることも、自分の中に起こっている感覚と一体となって言葉を彫り出すことにある種の一体感を感じるからこそ続けていける。

 

布を織ったり、片付けをしたり、行為はそれが公であれ、ごく私的ででささやかなことであったとしても、その行為が自発的で、自分の中から聴こえてくる欲求に応えているとき、ある種の一体感は生まれる。

 

 

 

エッセイ

 

 

 

黒沼さんは、穏やかにゆっくりと話す。
彼の今までの話を静かに聴いた。

 

美大に行きたかったけれど、両親に言い出せないまま理系の大学へと進学。両親ともに堅実な仕事について欲しいという願いがあり、彼はその期待に応えなければいけないという思いに縛られていたのだそうだ。
その後どうしても美術系の方向へ進みたくなり大学を中退。デザイン係の専門学校をで建築を先行しハウスメーカーの設計部に就職。
とうとう自分にあった安定の道を見つけたかと両親が感じたであろうそのときに、彼は当時現場監督をしていた建築現場に落ちている端材を拾って彫り出したことをきっかけに、創作の世界へ行くことを決意する。

 

両親や周りの人は驚き、彼を諭したという。けれど彼はもう自分を偽ることはできなかった。

 

彼のそんなストーリーを聴いて、「Calling」という言葉の妙を再確認。「Calling」は英語で「天職」という意味なのだ。

 

心の声の呼びかけは安定とか、常識をはるかに超えるものが多く、それに応えるには、最初の一歩を踏み出すのに大いなる勇気が必要だ。

 

周りの人の反対や、抵抗、それは自分の中にあるネガティブなつぶやきと一体となって私たちを焼く。けれどあるときその抵抗が燃料となって飛び立つことができるのだ。

 

そんな経験をしたことがないだろうか?

 

 

 

 

エッセイ

 

 

 

高い丘の上にある一軒家の二階に小さな仕事場には、仕事道具が整然と並んでいて彼の人となりが伝わって来る。自分のやりたいことを自力で学ぶ。師匠についたり、学校へ行くのはもしかしたら近道なのかもしれないけれど、自分の知りたいことだけを追求するという自力での学びは黒沼さんには向いていた。

 

彼はすでに独自の世界観を持っていた。形がなくて、けれど彼の中にすでに息づいていたその世界を彼は木彫で探り出し、形にする。私はそこにアクセスをして言葉で現す。

 

愛情を料理で現すこと、美味しいコーヒーにすること、絵を描くこと、世話をすること、手をかけることの中にささやかであろうとCalling語りかけていたら、それは誰かを癒し育むだろう。

 

 

エッセイ

 

 

 

 

「沖縄での個展に向けて何を作りましょうか?」

 

 

「黒沼さんが作りたいものが、一番いいでしょうけれど、私は動物が好きです。黒沼さんの動物の木彫には生命を感じます。実は私は愛犬を亡くしたばかりでして、温かくて深いあの目を見ると心が震えるのです」

 

しばらく私は、愛犬について熱弁を振るった。亡くして初七日を迎えたその日、私の中の動物愛は愛犬ぽぽに集約されていたのだった。そして、「好みの動物は丸くて毛がもうもうとしているものなんです」と、私は熱弁を締めた。

 

語り終えた後、しばしの沈黙。

 

 

「僕は、野生の動物ですね」

 

と、黒沼氏。

 

 

あーしまった。もしかして、黒沼さんは私が愛犬や、丸くて毛がもわもわした動物を彫ってくれという遠まわしのオーダーを私の言葉から感じてしまったのではなかろうか?そう感じたのだけれど、どうにもうまく伝えることかなわず。時間切れとなって、蕎麦屋へみんなで出かけて行って美味しく楽しい時間を過ごし、その日私たちはサヨナラを言い合った。

 

エッセイ

 

 

 

 

 

あなたが形を与えて探求してやまない世界に触れたような気がしています。

 

そして、私の言葉で翻訳を試みる。それが私の仕事の一つ。
私が愛してやまないもの、あなたが触れたいと願い続けているもの、形は違えど同じソースから生まれて、そこへ還って行くその道はどこかで繋がっている。
それを私は知っています。

 

その道へ誘おうと、呼びかける声の聞こえて来る源は、きっと一つなのだから。

 

 

 

桜の花の川を渡った春は彼方へ。
GW中日の沖縄は若夏の青い空。

 

 

 

エッセイ

 

 

ぽぽ、

 

私にはべったりのくせに、他の犬とはなかなか打ち解けられず。それでも、会った瞬間からぽぽが愛したジャイちゃんと、私は仲良く暮らしているよ。先日ジャイちゃんと友人と一緒に行った浜比嘉島の海岸にて。

 

 

犬は人が大の字に寝ている右上にちょこんと佇んでいる。天から与えられた人のための動物だ。
そういう話を聞いたとき、それは本当のことなのかもしれない、そう感じた。

 

思い出すと未だに、泣けてしょうがないこともあれば、感傷からは解放されて話題となっても一滴の涙も流れないこともあり、「あゆみさん結構大丈夫なのね」と言われることもある。
人の期待には応えられないけれど、私の心の自然なうねりに任せている。

 

 

私たちの暮らしの中に紛れ、深いところから語りかけてくるその呼びかけに耳を澄まそう。
その呼びかける声を発する世界にぽぽは還って行ったのだから。

 

 

 

そう思うと、その声へ耳を澄ますのは苦ではない。

 

 

 

 

 

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Shoka:の次の企画展

 

エッセイ

 

 

「初夏のお出かけ展 夏を楽しむ服と雑貨たち」

 

2016年 5月20日(金)~ 6月5日(日)

 

綿麻素材の軽やかな服
ゴードメッシュのバッグや靴

 

夏の陽射しや梅雨の雨、これから始まるいろいろなこと
楽しむことをやめないぞ、それが私の元気につながる
私が元気でいることで、誰かに分けてあげられる
自分のしあわせにYes!という全ての人に捧げます

 

 

 

 

 

エッセイ

 

ぽぽを可愛がってくれた皆さん、ありがとうございました。
一緒に過ごせた時間は宝物になりました。
感謝を込めて

 

 

 

暮らしを楽しむものとこと
Shoka:
http://shoka-wind.com
沖縄市比屋根6-13-6
098-932-0791(火曜定休)
営業時間 12:30~19:00