『ぬくもりと粋』竹俣勇壱 + 郡司庸久 郡司慶子 企画展に寄せて Vol Ⅱ

写真・文 田原あゆみ

 

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Web magazine CALEND OKINAWAに掲載したVolⅠ
の続きは益子を陶芸の活動の場としている郡司庸久さんと慶子さんのお話。

 

 

バージョン 2

 

その日の益子は小雨。5月なのに寒くて吐く息がほーっと白い。南の島から来た私の手は冷たくかじかんだ。珈琲をゆっくりと淹れる庸久さんの姿はとても穏やかで、他所から来た私もほわっと空間に馴染んでいった。庸久さんには着物が似合いそうなどこかクラシックな雰囲気がある。

 

『ぬくもりと粋』竹俣勇壱 + 郡司庸久 郡司慶子 企画展に寄せて Vol Ⅰはこちらから。

 

彼らの作品を初めて見たのは確か4、5年ほど前のこと。
この10年ほど、仕上がりが薄くて古いものを写したようなシンプルな形の陶器や磁器が好まれるような風潮だったように私自身は感じていた。けれど、彼らの作品の持ち味や醸し出す雰囲気はそんな風潮とか、流れとかとは違うところに存在しているようにみえる。

 

厚みがあり、どっしりとした焼き物は沖縄のやちむんと共通の重厚感があり、温かみがあった。作り手が若い人で、しかもご夫婦で製作しているということを聞いたこともあり深く印象に残った。
その時触れた作品の一つの土鍋はぽってりとしていて、なんだか生きているような愛嬌があったのを覚えている。

 

実は私自身の陶器の好みは薄めで柔らかな印象のもの。色は抑え目で、シンプルだけど冷たい感じがしないもの。器は食事を載せたときに絵が完成するようなキャンバスであってほしいと長いこと思っていたこともある。そんな趣向の下、何十年もかけて選んできた器は、強い色があまりなくて、大好きな大嶺實清氏の赤や銀や金色の器を差し色に入れるくらい。

 

それがこの2年ほどで少しずつ心境や感覚の変化があり、美しいと感じるものが温かみのあるもの、なんだか生きている感じがするものへと変わってきた。

 

それは何故だかわからない、年齢相応の変化もあるだろうし、そこをどうこう言うつもりはない。結局言葉で説明しずらい、なぜだか惹かれる、目がいってしまうものを選ぶのが身体も心もほっと自然体。何が良くて何がダメなんていうことを体系化してくくりだすと少しおかしくなってくる。

 

何に目がいって、触れたくなるのか。どんなものに惹かれるのか。どんなものを使う時に喜びを感じるのか。それらは全部個人的な感覚の中にしか息づいてはいない。外から与えられる情報に踊らされたとしたら、実は心は本当の意味で満ち足りてはいない。

 

私たちは何かを選ぶ自由が与えられていると信じている。そうして自由に選んだものやことから得られる体験から様々な喜びや気づきや、次の選択へつながる動機を手にすることができるのだ。

 

ある意味情報に流されて頭でいいと思っているものを所有してみることも決して無駄にはならなくて、そこで感じた感覚や感情が自分自身を次の体験にいざなってくれるのだ。

 

 

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郡司夫妻の玄関近くの仕事場の棚には胸がきゅーっと愛おしさでいっぱいになるようなものたちが並んでいる。その一つ一つにはきっとそれぞれの物語があるのだろう。

 

 

2018年のゴールデンウイーク明け、2度目の益子。
1度目は2010年の春。母の代から39年続いた店を一旦閉めて、本当に自分のやりたいことに聞き耳を立てている時のことだった。妹夫婦と一緒にそれまでいそがしさにかまけて行きたいけれど行かなかった場所や、行ってみたい店舗やギャラリーを巡る旅をした時のこと。

 

益子のスターネットを訪れた時のことを今でも鮮明に覚えている。白い光が隅々まで流れるような空間の中には、陶器、磁器、布やアンティーク、ガラスなど手仕事の作品たちがすっきりと展示されていて、働いている人々も生き生きとした笑顔。
当時はまだ山の食堂が営業していて、その空間の厳かな空気はまるで修道院。中学高校時代を修道院付きのカトリックスクールで過ごした私にはどこか懐かしかった。

 

そこにスターネットの創始者の一人である故馬場浩史さんの姿があった。白い服をすごくお洒落に着こなしている紳士。独特の輝きと存在の強さ、人間味ある暖かさを感じた。挨拶をして、声を少し聞いただけだけれど、同じ空間にしばらくいて、こんなことができる方がいることに心が躍った。

 

地元の食材を活かし、日本や海外の手仕事をすっきりとした美意識で選び紹介する。手仕事の展示にしても空間の作りも垢抜けていて美しく、気品ある空間の中でそれらのことが展開していることが一番心に残った。美しいものは美しい箱に収めなければいけないと私も信じている一人だから。
都心でなくても誰かが志を持って作った空間に人々は集まる。そんな時代がやってきたんだな、と思うと心に火が灯るようだった。

 

それから約7年後に訪れた今回の益子で、郡司夫妻がスターネットの馬場氏に縁が深いということを知った。
誰かが自分の感覚にちゃんと立って起こした行動は多くの人に影響を与える。その影響は地面にこぼれた種を受け止める大地、そこに降る雨のようなものだろう。種は芽吹き、開花結実し、また種が地面にこぼれ落ちる。
庸久さんと慶子さんから経歴や様々な思い出話を聞くうちに、彼らの作品に感じたぬくもりの源泉に触れたような気がした。

 

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手を使う仕事には、手を伝わって籠るものがあるのだろう。
そんなことに思いを馳せながら庸久さんが淹れてくれたコーヒを戴く。

 

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淡々としているようで、慶子さんの仕草からは繊細な感受性が伝わってくる。ああ、綺麗な人だな、と思う。
彼女が器に描く絵や彼らの作品に宿るこの懐かしさは、いったい何なのだろう。古いものや民芸の中に息づいているものとの共通点は確かにある。けれどそんな言葉では括り切れない根源的な懐かしさを感じる。

 

 

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そう、この二人はまるで兄弟のようによく似ているなと思う。
姿形もそうだけれど、仕事場と生活空間に置いてあるものや纏う空気がまるで一つの物語のような感覚がしてくるのだ。この空間にいるとまるで彼らの住む物語の中に入っていったような感覚になる。

 

心に残る人々とのつながりで生まれた物語。そして、まだ若い二人から生まれてくる陶器たちに感じる感覚。なんといったらいいのか、私たち人間が生きていく上でのあれこれをその存在の儚さや、悲喜劇全体に注ぐ微笑み、のようなもの。その懐かしさ。

 

これはきっと彼らだけの感覚ではなく、多くの人が潜在的に感じているものなのかもしれないな、と思う。長い時を生きて、現代に残ったものの中に見え隠れするほのかなぬくもり。古道具でも、東欧の焼き物や民具の中に、東洋の他の国のものの中に、万年も前に生きた人が描いた洞窟の壁に描かれた絵の中に。そう、私が好きな作家が書いた物語の中にも息づいているもの。

 

言葉で探さなくてもいいのかもしれない。少しだけ切なくて、愛しくて、目尻にうっすら涙が浮かんできたり、笑い泣きをするような感覚かもしれない。

 

 

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翌朝、彼らの生活空間で少しだけくつろいでおしゃべりをした。
この懐かしい感覚っていったいなんだろうな?
そう考えながらふと視線を感じて目をやると、そこにいたこの子。

 

天井を見上げるとそこにいたあの子。

 

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ああ愛しい、ああかわいい、といつか愛したものとその儚い存在に、やはり儚い存在の私がさよならをする。そんな人の心に宿る人生賛歌。そんなことを考えたり、思い出して胸が切なく、周りのものが愛おしくなる私も心で今歌っているその賛歌。

 

 

さて、彼らの仕事のことを書こうとすると、そんなことばかりが胸に押し寄せてくるのです。
表層に現れている景色の奥にあること。そこへ思いを巡らしてしまうような、人間らしいぬくもりと、哲学と、文学性と「血の通った美」が彼らの仕事の中には脈々と流れているのです。

 

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あの日見せていただいた火にかけることのできる陶器のポット。

 

なんていい形と肌合いなのでしょう。

 

この子に出会ったその日から、早く自分のものを手にいれて育ててみたいとずっと念を飛ばしているわたくしですが、果たしてやってきてくれるのでしょうか?

 

ほら、生きているような感じがしませんか?
時代も所属する国も世代も超えたところに、このポットが存在しているような気持ちになるのです。

 

 

 

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私はそんな風に感じ入ったのですよ。
ね、チヨちゃん。

 

 

そうしてそのポットからお湯を注いで私も誰かと、静かにお茶を飲んでみよう。友人や家族や、大切な人々と。

 

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郡司庸久さんと慶子さんの器たちは以下の期間Shoka:にて展示いたします。

 

以下企画展詳細。
今回犬たちの世話のお当番は慶子さんなのだそう。そういったわけで企画展初日に在廊するのは庸久さんとなっています。慶子さんにも会いたいですよね?次回は慶子さんにも是非きていただきましょう。

 

 

 

Shoka: 田原あゆみ

 

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竹俣勇壱+郡司庸久 慶子企画展 「ぬくもりと粋」

 

七月二十日(金)~二十九日(日)会期中無休

 

作家在廊日二十日(金)

 

金沢在住の彫金師 竹俣勇壱さんのカトラリーと、益子でご夫婦で作陶をしている郡司庸久さん慶子三ご夫婦の陶器の作品展。

 

竹俣さんが作るカトラリーたちは、使い勝手がいいのとはちょっと違う。美しいフォルムで思わず触れてみたくなる「美しさ」がそこにある。そんなカトラリーを使っていると、いまこの瞬間の食卓の景色が特別な空気感となるのを感じる。

 

「ジュエリーを作って来た中で、ある日気まぐれで作って展示していた茶匙を塗師の赤木明登さんが見て気に入ってくれてお茶の道具を注文してくれた。その縁で僕はカトラリーも作るようになったのです。カトラリーはジュエリーと違って生活道具なので単価があまり高くてはいけない。なので利益は少ないけれど人との縁を広げてくれるんですよ」ほろ酔いの目を細めて語った竹俣さん。彼の作品は使う人々とその生活を見据えながら、その中の美をゆるぎない形の中に収めている。「粋」だな、と感じる由縁だ。

 

日光から益子に工房を移した郡司庸久さんと慶子さん夫婦。彼らの生活に触れて感じたことは、生き物への賛美や、いにしえから絶え間なく続く人の営みへの微笑みが彼らの現代的な感性の中に溶け込んでいるということ。彼らの作る器に触れていると小さな明かりが灯るような感覚があります。二匹の犬の世話を交代でやっているため今回は庸久さんだけがやって来ます。次回は慶子さんにもお会いしたいですね。

 

一見対局に離れているようで、作り手の暮らしぶりが感じられる血の通った企画展になりそうでとても楽しみです。

 

 

 

 

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こうして記事にしてみたら、私も故馬場浩史氏のあり方に力をもらった一人だと感じています。
あの日の出会いに感謝を込めて。

 

 

暮らしを楽しむものとこと
Shoka:
 

 

http://shoka-wind.com/
 

 

沖縄市比屋根6-13-6
098-932-0791(火曜定休)
営業時間 12:30~18:00