宗像堂天然酵母と石窯がうみだす「いのちのパン」

 
「うちのパンを食べて、店先で涙を流すお客様もいらっしゃって。
そんな姿を見ると、感動してこっちが泣いちゃう。」
 
と、みかさん。
 
「人生できつい状態の時期にうちのパンを食べて
『救われた』と言ってくださる方も。
そういう内容のお手紙を頂くことも多くて。
作り手である自分の意図がダイレクトに伝わって、
全てわかってしまうお客様もいるので
人間の感覚って本当にすごいなと日々思います。
僕は常々、日常のものが世界を変えていくと思ってるんです。」 
 
と、誉支夫(よしお)さん。 
 
人の心に大きく作用し、
世界さえも変える力を持つパンが、宜野湾で作られている。
 

 

 

 
– – – 研究者から陶工へ転身、そしてパン屋へ。 
 
誉支夫さんが沖縄にやって来たのは17年前。
琉球大学大学院で微生物を研究し、
研究所に勤めたが2ヶ月で退社した。
 
「地球環境を改善しようという目標を持った職場でした。
研究職に就いて結果も出していたのですが、
目標達成のために知恵を振り絞って導き出したことを実践することができなくて。
それで一気に気持ちが萎えてしまった。」
 
退職後、しばらく何もする気になれなかったが、
一筋の光明を見出した。
 
「子供の時から粘土細工が好きで、
いつかは陶芸家のような仕事がしたいと思っていました。
自分の原点に戻りたいという想いもあり、
唯一の希望にすがる気持ちで陶芸を始めたんです。」
 
陶芸家に師事し、陶工として働き始めたが、
ぜんそくを患い、困っている時に友人がある人と引き合わせてくれた。
 
「奈良の楽健寺(らっけんじ)というお寺の和尚さんが、
天然酵母を使ったパン作りとヨーガの講習会を開くと友人が教えてくれ、参加したんです。
講習会は滞りなく終わったのですが、
せっかく習ったのだから一回くらい復習してみようと。
参加者の方たちと作ってみたらみたら、
『・・・美味しくない?これ?!』
って。あまりに美味しいので
『これ、食べたい人いっぱいいるんじゃない?』
という話になって。
そうそう、パンを作ってる間はぜんそくも出なかったんですよ。」
 
しかし、共に受講した女性たちからは
「作るの難儀だからあんた作って持って来なさい。」
と、すべて任されてしまった。
3年弱の間陶工として働いていた誉支夫さんは、
元来の手先の器用さに加え、
こねたり形を作ったりする経験に富んでいたこともあって、
パンを作るのが飛び抜けて上手かったのだ。
 
「パンこねる時も、最初は陶芸みたいに『菊練り』してたもんな(笑)。」
 
こうして、天然酵母パンを販売するという話が実現に向かって前進し始めた。
 

 

 
– – – 「なんでこんなに堅いの?」受けいれられるまでは辛い時期が続いた。 
 
パン作りを職業にしようという考えが浮かんだとき、
まず、楽健寺の和尚さんに連絡をとった。
 
「『自信をつけたいので研修させて頂けませんか?』と言ったら、
『自信なんてものは奢った人間の考える事だ』と言われてしまって(笑)。
そうなるともう、一人でやるしかないでしょう?
そこからは完全に独学です。」
 
誉支夫さんにとってはパンを作る工程自体も楽しかったし、
何よりも、できあがったパンの味には大きな自信があった。
しかし、最初から売れ行きが順調だったわけではない。
 
「最初は今のように店をかまえていたわけではなく、
自然食品などの店に卸したり、販売してまわったりしてたんですが、
パンの美味しさに共感してくれる人がとても少なかった。
天然酵母のパン自体が珍しいので、
最初はみんな『どれどれ』って買ってくれるんです。
でも、なかなか次に繋がらない。
『固い』とか『酸っぱい』という風に言われて。
それが天然酵母パンの魅力でもあるんですけど、
今まで食べた事がない味だから、
受けいれるまでに時間が必要だったみたいです。」
 
身体に良いものを求めている人たちですら、
最初はなかなか馴染んでもらえず、辛い時期が続いた。
 
「一般のイースト菌に天然酵母を混ぜて作ったパンを販売している店もあって、
そういうパンはイーストの方が勝っちゃうから食感も柔らかいんです。
うちのパンと食べ比べたお客さんに
『あっちの天然酵母パンは柔らかいのに、なんであんたのところはこんな堅いの?』
と言われたり、
『もっと柔らかくしたら?』『あんなの入れてみたら良いんじゃない?』
『あっちにもっと美味しいパンあったよ~、勉強したら?』
なんて言われちゃったりして・・・。」
 
周囲の声に落ち込んでいた時期、
励みになったのは友人からの言葉だった。
 
「和尚さんと引き合わせてくれた友人が、
『今が一番良い時だよ』って言うわけ。
『こんなに頑張って作っても売れなかった時代があるというのは、
いつかとても良い思い出になるから!』
って励まし続けてくれて。
作るのも楽しかったし、味にも自信はあったけれど、
この励ましが無ければ続けて来られなかったと思います。」
 
やがて、沖縄特有の密接な横の繋がりにも助けられ、
その奥深いの味わいの魅力は徐々に広まり、
販売を始めて3年後、今から9年前に「宗像堂」をオープンさせるに至った。
 

 

 
– – – 店が自分たちの「ホーム」に。
 
「店舗を構えたことが大きな転機になった。」
 
と、誉支夫さんは当時を振り返る。
 
「それまではアウェーに乗り込んで販売しているようなものだったんです。
まず天然酵母パンを知ってもらうことから始めないといけなかったから。
でも、店を開くと始めからこういうパンだとわかっているお客様が来て下さるから、ここがホームになる。
自分で2~3袋買って、友達に配って紹介してくれるというお客様がすごく増えて。」
 
友人からオーブンレンジを借り、
テーブル一個で看板もなく始めたが、
夫妻の懸念をよそに、
宗像堂のパンは多くの人を魅了していった。
 
立地環境も良かった。
店の近くにある琉球大学や沖縄国際大学に勤める、
海外経験豊富な教授やその家族が、
「ヨーロッパで食べた堅くて酸っぱいパンが食べたい」
と、尋ねてくることも多かった。
 
そもそも、イースト菌が産まれる前は天然酵母しかなかったので、
パンの原点は天然酵母パンなのだ。
 
「パンの発酵は偶然発見されたものと言われています。
もともとは小麦をそのまま食べていて、
挽いて食べたらもっと美味しいからと小麦を挽くようになり、
もっと美味しくなるからと水で溶くようになり、
溶いたものをたき火の近くにたまたま置いていたのが
天然酵母が自然について発酵し、
膨らんだものを焼いたら『さらに美味しいじゃん!』。
こうしてパンが生まれたと言われています。
だから、放ったらかしていると酵母が勝手に飛び込んでくるわけ。
 
でも、ドイツでイーストという工業製品が誕生し、
パンの大量生産が可能なり、
色々とらくちんだから全部それに切り替わってしまった。
 
でも、元を正すとパンの原点は天然酵母パンなんです。」
 

 
– – – コンピューター制御のオーブンはつまらない。せっかくだからと自分で薪窯を作ることに。 
 
天然酵母パンを焼くのは、宗像堂のシンボルとも言える「石窯」。
しかし、現在の石窯にたどりつくまでには紆余曲折があった。
 
「店を開くことにした時、
まず問屋に行ってプロが使っているオーブンを見て、
試しに使わせてもらったんです。
当時の最新式オーブンはコンピューター制御のタイプで、
温度もボタン1つで調節できるというもの。
それで実際にパンを焼いてみて思ったのが、
『このおもちゃはすぐ飽きるな』(笑)。
すぐつまらなくなって、パン屋もやめそうだなって。
 
そこで、僕より長くパン屋をやってる友人に窯について相談しました。
窯ってカローラからベンツまであるんですよ、値段が。
その違いは何だろう?ときくと、
友人は『石の厚さだと思う』って。」
 
誉支夫さんは、自身が持ってるガス窯に実際に石を入れてパンを焼いてみた。
すると、ガスで焼いたパンと比べると明らかに何かが違うことに気づいた。
味や食感が違うということは、火の通り具合が違うということ。
ボタン1つで全てが完了してしまう最新式のオーブンにはない面白さを、誉支夫さんは感じた。
 
「ベンツ買うくらいならコストを安くあげたいから自分で作ろう、と。
また、陶芸の人間国宝たちはみんな薪で窯を炊いてるし、
沖縄は亜熱帯で木材に困ることはないだろうから『薪窯』にしようと。」
 
今の窯は3代目。
1代目と2代目は使っているうちに土台が落ちてしまったり崩れたりして壊れてしまった。
その都度高さやサイズを変えるなど、様々な角度から研究を重ね、
問題点をクリアにし、作り直した。
 
「これだけ勉強して経験を積んだのだから、
HOW TOをちゃんと形にして残したくて、
3代目は建築士の方に図面もひいてもらいました。
2008年に作ったので今年で3年目になりますが、
今もすごく順調、何も問題ありません。」
 

 
– – – 薪を入れて火をつけても火がつかない。そこからのスタートでした。
 
苦労して石窯をつくりあげたが、
そこでパンを焼くのも一筋縄ではいかなかった。
 
「日本でパンの石窯焼きを経験した人が数人しかいないから、
頼れるのは自分の経験だけ。
あとは友人たちの知恵とかね(笑)。
とにかく何か知っている人から情報を集めて、実際にやってみる。
やってみないと何も身につかないから。その積み重ねです。」
 
窯で焼くと言っても、火で炙るのではない。
薪を使って火をおこし、
石窯に蓄えられた余熱で焼くのだ。
 
「薪を入れて火を入れれば火がつくと思うじゃないですか?
それがつかないんですよ。
まずはそこからのスタート。
さらに、石窯の中で長時間燃やし続けるためには様々なコツがあるんです。
薪を入れすぎても消えちゃうし、
薪そのものもちゃんと枯れて乾いてないとだめだし。
 
窯の構造も理解しておく必要があります。
窯の内部は空気が入る層と出る層との二つに分かれるので、
薪を上に上にと積んでいくと、酸素が無くて燃えなくなってしまう。
ちゃんと酸素が回るように計算して火を入れるんです。
 
最初は、気づいたら『消えてる!まじで!?』なんてことがよくありましたね(笑)。」
 

 

 

 
– – – 酵母は常に変化する、だから面白い。
 
宗像堂で使っている酵母は12年もの。
楽健寺の和尚さんから受け継いだ酵母を、
りんご、にんじん、長いも、炊いたご飯を混ぜたものに入れ、発酵させる。
卵、牛乳、バターを使わず、酵母の力だけでパンが膨らむため、
重みと歯応えのあるパンに仕上がる。
 
「僕が微生物の研究をしていた時も、
色んな種類の微生物が一つの瓶の中で同時に培養されているものを使ってたわけ。
性質が違うヤツが一つの入れ物に入っているっていう状態がものすごく面白かった。
それぞれみな色んな働きをするもんだから。
だから、パンを作る酵母もそういう風にしたくて。」
 
酵母の状態は、瓶に入れる食材だけでなく、
自然環境にも影響されるという。
誉支夫さんはそのことをふまえ、店の立地を決めた。
 
「住んでる場所に存在する様々な微生物が自然と入ってきますから。」
 
例えば、那覇と宜野湾で同じ方法で酵母を育てても、
パンの仕上がりは違うというのだ。
 
あらゆるファクターの影響を受けるという酵母の性質に、
誉支夫さんは深い魅力を感じている。
 
「工業製品であるイーストを使うと、味はどうしても均一になりますよね。
だからいつも同じ味を再現できる。
パン屋さんにとってはその方が都合が良いから、
イーストを使ったパンが主流になっているわけで、
天然酵母を使うと味のバランスがいつも変化するわけ。
酸味の強弱も変わる。
色んなものが混在しているので、色んな味のコントラストになる。
 
総合的にどんな味を出したいという想いは自分の中にあって、
それを実現するために仕上がりを左右するあらゆる要素、
水分量、温度、湿度、材料の加減、時間、気圧・・・
それらをコントロールするというか、
オーケストラの指揮者のような役割を僕が担っているんです。

今回こういう味になったってことは、次回はこうしてみよう
というふうに、毎回進化させています。」
 

 

 
– – – 酵母は数字じゃないから毎日がスリル。これからも常に面白いことを選択し続けたい。
 
酵母同様、石窯も生き物だ。
 
「薪の状態も変わるし、湿度も違う、燃やす人も変わりますからね。
色んな要素が入り込んで、入り乱れているから、
最終的に良いパンを作り上げるんだという目標に緊張感を持って向き合える。
すごいスリルですよ(笑)、毎日どきどきです。」
 
窯も酵母も、誉支夫さんにとっては「仲間」だという。
 
「うちの酵母と窯の面白い所は、
焼き上がったパンが僕の予想を上回って美味しくなることが多いんですよ。
すごく良い働きをしてくれる。
だから、自分一人で焼いてるって感じじゃないんですよね。
完全に仲間です。
 
酵母に関しては見えない部分での繋がりが強いので
向き合う時に見るのは数字じゃないんです。
雰囲気を感じたり、機嫌を伺ったり。
 
僕にとっては色んな酵母がいる『酵母村』みたいな感じなんですよね。
今日の村の雰囲気はどうだろう?なんて思いながら観察して、
おっ、最近こいつがちょっと幅を利かせてきてるな、とか。」
 
イーストが相手だと、そこは数字の世界になる。
何度で、何分で、何グラムで、という明確な数値が全てを決定するが、
天然酵母の場合、パンを窯から出すまでは、あらゆる事が決定されていない。
 
「焼き上がったパンを食べたとき、
味のバランスやそのあとに感じる雰囲気で判断します。
パンの方から自分に訴えてくるものがある。
だから楽しいんです。
石窯だけではここまで続けられなかったと思います。
面白くないとやる意味が無いんです、僕にとっては。
面白いからこそ人に提供できるし、勧められる。
それに、面白さを追求する気持ちってエスカレートしていくから、
自分が面白いと思えることを常に選択し続けようと思っています。
同じ物を作り続けようという気はさらさらなくて、
お客さんと一緒に変化を楽しみたいですね。」
 

 

 
– – – 酵母と自分の状態はリンクしている。
 
誉支夫さんが今後目指していることについて尋ねると、
意外な答えが返って来た。
 
「自分のコンディションを常に良い状態に保っておくこと。
酵母と自分は常にリンクしているから、
自分の状態が悪くなると酵母も明らかに変化してしまう。
だから自分をしっかりケアして、
状態をより良い状態にもっていくように心がけながら酵母に接しています。
 
フィジカルな面だけじゃなくメンタル面も、両方ですね。
肉体と精神って切り離せないから。
肉体のコンディションから精神のコンディションをかえりみるし、逆もそう。
あとは夫婦関係やスタッフとの関係など、人間関係全般も。
すべてがおいしいパンを作る為に整えるべき条件なんです。」
 

 
– – – 陶芸もパンも、できあがったものに自分のすべてが現れる。人間性も精神も。
 
陶芸とパン作りには共通点が多いと言う。
 
「それまで研究者だったのが急に一番下っ端の陶工になって、
先生の作業を一日中追いかける日々でしたが、
どうしても同じようにできないというジレンマをいつも感じていました。
今思うと、当時は形だけを追いかけていたんですよね。
そうすると絶対にうまくいかないの。
うまくねじ伏せてやろうと思って焦れば焦るほどできない。
ろくろをひいていても、ちょっと欲を出した瞬間にベローンって崩れちゃう。
 
じゃあどうすればうまくいくかというと、
心の中にぶれない軸ができた時だと僕は思う。
 
陶芸は、作った人が丸裸ですべて出ちゃうんです。
見た瞬間に
『え?見た目はこういう人だけど、実はこんな人なんだ』
って、その作品から全部わかっちゃう。
隠しきれないと言うか。
その人の人間性や精神が作品に現れるとわかっていたから、
パンを作る時も始めから自分のすべてがパンを食べた人に伝わってしまうということを念頭に置いていました。
 
だから、土が小麦に変わっただけ、という感じですね。」
 

 

 
– – – 変化したいときにちょっと背中を推してあげる、勇気の素みたいなパンを。
 
3月の東北地方太平洋沖地震と、それに伴う原発などの諸問題に直面し、
自分や店のことをかえりみずにはいられなかった。
 
「日本人がみな思ったように、
『自分にできることはなんだろう』
とずっと考えていました。
たどりついた答えは
『この仕事にベストを尽くすこと』。
面白い仲間と面白い事をやりつづけることが、自分ができる究極のことだと。
 
微生物研究に携わっていた頃、
ウイルスの感染阻止に関する論文を書きました。
ですから、ウイルスと人間がどのように出逢い、どのように病気になっていくのかという仕組みについては理解しているつもりです。
 
考えうるすべての観点から、材料を厳選し、材料を波動で感じ、波動で組み合わせるように心がげています。波動で人体をサポートするイメージです。」
 
 
「人の助けになるパンを作りたい」という明確な想いが誉支夫さんにはある。
 
「でも、その想いが重たくならないようにしたいんです。
一番の目的は、パンを食べた人が元気になり、心が軽くなることなので。
自分が変化したいときにちょっと背中を推してあげる、勇気の素みたいなパン。
そういうパンをこれからも作っていきたいです。」
 

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

 
宗像堂のパン(それはスライスした黒糖食パンだった)を手にしたとき、
口に入れる前に思わず鼻に近づけ、その香りを確かめたくなった。
酵母村の酵母たちが、一体どんな香りのハーモニーをつむぎだしているのか知りたかったからだ。
きっと人によって感じ方は違うのだろうが、私にとってのその香りは
「こどもの肌の匂い」。
脈々と血が通い、絶えず呼吸し続ける生命の香り。
 
このパンは生きている。
直感がそう告げていた。
 
日時によって、また同じパンでもかぐ部分によって、
その香りは変化するという。
 
香り同様、その味わいも驚くほど深い。
咀嚼するたびに少しずつ味のバランスが変わる。
舌に感じるさまざまな味が、次々と入れ替わる。
 
いのちのパン。
人々が宗像堂のパンをこう称する意味がわかった気がした。
 

写真・文 中井 雅代

 

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