写真・文 田原あゆみ
旅がスタートするまでの間は、もしかすると旅そのものよりもわくわくすることがある。
いつもは行き先の本を買ったり、ネットで調べてみたり、旅に行く前の情報収集を楽しむことが多い。けれど今回はいそがしい時期と重なったことと、ヨーロッパで暮らした経験の長い友人と一緒の旅ということもあって、地図で何度かパリの街を眺めただけで、全くと言っていいほど調べることもなくばたばたと出発の時間を迎えた。
ちょうど企画展の最終日、夜の21時出発。
夕方に仕事場を出て、まだ終わっていなかった荷物のパッキングを大急ぎで済ませると、私は高速バスに飛び乗った。
夜の便だったせいか、そのあとは自動で身体が動き、頭は省エネモードで羽田のホテルに一泊。いつかこの日のために取ったホテルの部屋へ。
深夜の到着のためホテルの無料巡回バスは終了。私はホテルまでの経路のことと、交通手段のことを考えてみた。
タクシーが一番楽だが東京の深夜のタクシーは料金が怖い。けれど身体が重く頭も省エネモードのこの時間帯にホテルまでの経路を調べたり、比較したり、重い荷物を抱えて右往左往するエネルギーは残っていない。
しかも私の人工知能であるiPhoneの電池は3%しか残っていなかった。
よし、私は覚悟してタクシーに乗った。
6分ほどで目的地へ到着。タクシーの代金は思っていたよりは安かった。私はほっとして、ホテルへ。
羽田の近くに取ったホテルは深夜なのに賑わっていて、雰囲気も設備も悪くない。前払いだというので、料金を聞いてカードで精算。その金額が驚くほど安い。2.480円だというのだ。
よくよく聞いてみると、私はポイントを使って決済することを選択したそうだ。
夜のドライブで少しだけ冴えてきた頭の中で、タクシー代は果たして安かったのだろうかと考える。たった6~7分の搭乗時間で1680円。過去と目の前のことを比較することくらいケチなことはないと分かっているのに、思考は勝手に様々な引き出しを開けて比較する。
そんなケチな思考のつぶやきは相手にしないのが一番と、私のハートの声に従いながら部屋へ。
部屋は清潔で、値段の割に申し分なかった。
翌朝羽田の国際ターミナルへ。
友人と私は、お互いに記憶が抜け落ちるという症状が頻発するタイプなのだが、無事に会えた。
そこまでの全ての出来事が平和に、スムーズに流れていた。私はそのことが気がかりだった。ハプニングが起こらない出発。満ち足りた時間。
おしゃべりしすぎて乗り遅れそうになることもなく、私たちは分別を持ってお互いの飛行機の搭乗口へ向かった。
お互いマイレージを貯めているので、私はJAL、彼女はANAの搭乗口へ。
私たちはそんなところが自立していて、自由なので気があうのだろう。なんでも一緒にしなくちゃいけないという縛りがないことは、私には心地いい。
使用機の変更のため出発が少し遅れたものの、私の旅はスタートした。
飛行機の中で私は映画を観るのが好きだ。メニューを見ていたら、最近見たいと思っていた映画が何本かあって、最初にシンデレラを鑑賞。シンデレラ役の女優の魅力溢れる存在感がとてもよく、私は彼女と一緒に微笑んだり、悲しんだり驚いたりと、シンデレラになりきって堪能した。王国をあげての祝福の結婚式の場面では、飛行機の座席の周りでも白い鳩たちが飛び立つ羽音と群衆の歓声が沸き起こったように感じた。祝福に包まれながらThe End.
次に好きな女優の一人、ジュリアンムーアが出演している「アリスのままで」を観ることにした。
この映画は言語学者で、知的な女性が遺伝性のアルツハイマーが発症してからの人生を描いたもので、本人の意に反してどんどん記憶が抜け落ちてゆく様子がとてもリアルだ。
途中でアナウンスが入って中断された時だった、私は視線を落としてJALの機内誌などが入っているポケットをぼーっと眺めていた。そこにはJAL機内のwifiの案内がおかれていた。空の上でwifiが使えるようになったんだったな、いくらくらいなんだろう、と思考は勝手に動きだす。
そのとき急に私は無いものに気づいて雷に打たれた。
wifiルーターを受け取るのを忘れてることを思い出したのだ。
フランス国内で使えるwifiルーターをレンタル契約し、支払いも済ませ今朝羽田国際線ターミナルで受け取ってから登場する手筈になっていたのだ。
契約内容を確認してみたら、キャンセル後の料金は一切返ってこない。
2週間の契約をしていたので、合計2万円が何にもしないまま消えてしまった。
その衝撃に打たれ、しびれるような感触をただただ味わっていた。
窓の外をみながら、若年性アルツハイマーのことを自分に重ねてみる。ありえ無いことでは無いのでは無いか。
しばらく忘れ物と探し物の多い自分の過去を振り返り、これは病気かどうかを検証した。
しかし私には診断することはでき無いし、それに、このくらいでは死ぬわけでもない。
きっと何かの厄落とし。そう考えて溜飲を下げるしかない。
いつものようにそう納得して私は映画の世界へと戻っていった。
そんなスタートではあったものの、私は初めてのParisに無事到着。
偶然Parisに居合わせた友人3組と待ち合わせて、楽しい夕食の時間を過ごし、翌朝小さなホテルの庭で頂いた朝ごはんはゆったりとしていて、時差ぼけの頭と身体は癒された。
そして私は今、Parisから電車で2時間半ほど西にあるMelle という小さな村に来ている。
石造りの古い建物がそのまま残っていて、どこを歩いていても町並みは美しく、ラベンダーや様々な花でいっぱいだ。
漆喰と赤煉瓦と、乳白色の石を積み上げた塀や家、教会。
どの路を曲がってもそこには、時間とそこに住む人々の愛情を受けてきた温もりのある風景が待っている。
この3日間毎朝毎晩通っている路。
石積みの壁に漆喰を塗りこんでいて、その印象は柔らかく、一見似たような乳白色なのだが立ち止まって見ていると様々な色を基調としていてそのグラデーションや経年変化の表情があってとても美しい。
今までの数百年間の間に、一体どれだけの人々がこの木戸をくぐって出入りしたのだろう。その人々の服装や、出て行く要件はなんだったのだろう。中世の人々の暮らしを覗いてみたくなるような景色が村のあちこちに散りばめられている。
ただ、この旅は小さな村を鑑賞するためだけに来たのではない。
私のこの旅の目的は、敬愛する友人の晴れ舞台を記録し、ともに時間を過ごすこと。
私が14,5年前に彼女のある作品を観た時、私は感動で動けなくなった。この人は間違いなく本物の写真家で天才だ、そう感じた。その彼女の二つのシリーズの作品たちがこの西フランスにある小さな村、Melleで開催されるBIENNALE “JARDINIERS TERRESTRES JARDENERS CELESTES(ビエンナーレ 地上の庭師 天空の庭師 :2年に一度Melleで開催される芸術祭の第7回目)に招待され展示されるのだ。それををともに見て祝い記録する。
BIENNALE “JARDINIERS TERRESTRES JARDENERS CELESTES
http://www.2015.biennale-melle.fr
Parisー NiorーNiceーMonacoーCorsicaーParis
2週間をかけてまわる旅。
まだ旅は始まったばかりだが、彼女が招待されているビエンナーレに同行することは普通の旅とは大分違うものになるだろう。
彼女は旅の達人で、撮影のために世界中の様々な国に行ったことのある彼女と旅のことについて様々なことを毎晩のように話している。
「何かやりたいことや、叶えたいことがあった場合、そこへ石を投げるのよ。そうするとその石を投げた目的地へ向かって道ができるの」
と、ある時彼女は語った。
それは目的を持った旅は、それを叶えることに意思を定めた途端から、必然的なことが起こり始める。ときに奇跡的としか思えないようなことが起こって、ついにはその目的へ到達するという。このことは私も実感している内容で、意思を持つ旅は、たださまよい歩き観光地や異国を回る旅とは大きく異なる。
旅は人生の縮図。だから、意思を持って石を放った小さな旅を続けることは、その集合体である人生の景色も変わるだろう。
この数行を書いているのは旅が始まって4日目が過ぎたところ。
西フランスに位置する、小さな町Melleで4日から始まっているビエンナーレの内容と環境はとても素晴らしい。
フォトグラファー高木由利子
http://yurikotakagi.com
*パソコンから入ることをお勧めします。スマートフォンやipadからの接続だと写真が見えないことがあります。
この旅の話の続きは次回へ。
この旅の記録が誰かの石を投げるきっかけになることを願いつつ。
田原あゆみ
エッセイスト
2011年4月1日から始めた「暮らしを楽しむものとこと」をテーマとした空間、ギャラリーサロンShoka:オーナー。
沖縄在住、カメラを片手に旅をして出会った人や物事を自身の視点と感覚で捉えた後、ことばで再構築することが本職だと確信。2015年7月中にessayist.jpを立ち上げ、発信をスタートする。
エッセイ http://essayist.jp
Shoka: http://shoka-wind.com