写真・文 田原あゆみ
スナ・フジタの藤田匠平さんと千里さんのところに息子君が誕生して早一年。
ずっと会いたかった彼に会いに、7月末に予定している企画展の取材を兼ねて京都のある里山の自宅と工房を訪ねた。
それは今年の初夏、5月の半ばのこと。
田舎の電車がこんなに危険だとは思わなかった。二車両編成のJRのある路線に乗っていたら、途中の駅でしばらく停車。かなりの人が降りていなくなり、なんだか長く留まっていることと、人が全くいなくなってしまったことにだんだんと不安になってきた。15分ほど経ったころ、「京都駅行き発車します」というアナウンスを聞いて、わたしはさすがにこれはいかんと飛び降りた。降りてよくよく見てみたら二車両あったのに一車両になっている。駅員さんに聞いてみると、「前の車両は切り離されて目的地向けに15分前に出発しています。後方車両はこの駅から京都へ向けてUターンするのですよ」とのこと。
・・・というわけで、夜もとっぷり更けた京丹波の小さな駅に降り立った。
駅もとても小さくて、街灯が一つだけ照らしている。闇は濃くて、草の濡れたような匂い、蛙たちの大合唱。
暗い夜道を歩いていると、向こうから懐かしい笑顔の藤田匠平さんが現れた。
普段遠くに日常を置く友人に再会する瞬間は、特別だ。この再会を目指して始まった旅。会うために何ヶ月も前から路線を調べ、工程を練る。
出会った頃の思い出や、作品の表現の変化や、京都 – 大三島 - 京丹波と引越しする度に感じた彼らの暮らしの変化、場所は変化しても変わらないと感じる何か、愛犬コロや、1歳になる一人息子君のこと、色々なことがこの再会を彩っている。
匠平さんとハグをして、初夏の夜の田舎道を歩きながら彼らの暮らしの中につかの間お邪魔できることを嬉しく照れくさく感じていた。
彼らの暮らしは家庭的だといつも感じる。
家庭的だと感じるのは、朝昼晩とちゃんとご飯が出てくる感じ。ちょっと覗いただけだから本当にそうかどうかはわからないけれど、私はそんなことをキャッチした。
1日の中の食事をとるという行為が当たり前に生活の軸となっていて、仕事やお散歩や、時に釣りや遊びが組み込まれる。そんなふうに見えるのだ。
三食の食事をとるということは当たり前のようだけれど、それがちゃんと根付いている暮らしにはしあわせを感じる。暮らしの中には色々なことが起こる。怒ったり、ぶつかったり、時に切なく、悲しいことも起こる。笑いも、出会いも別れもある。けれど時間が来てお腹が空いて、食事をする。そこに戻ってこれることはなんともしあわせなことだと、感じるのです。だって、一緒に美味しくご飯を食べるには、お互いの出かかった言葉を飲み込んだり、譲ったり許したりと、結構努力がいると思うのですよ。
そんな藤田匠平さんと千里さんが一緒に作るスナ・フジタ(旧フジタ・チサト)の器たちはやはり生活の中に身を置くものたちが中心だ。
湯のみ・お茶碗・お皿・急須。
どれもこれも眺めていると、顔がにんまりと緩んでくるものばかり。
器に広がるのは、彼ら独自の世界観。
日常の中で目には映らないけれど、私たちの心のどこかに生きているノスタルジックな心象風景だ。
お茶の間や庭、ちょっと出かけた山や海に、生きものと人が寄り添って暮らしている。檻の中の動物を見ているのではなくて、バリアフリー。ともに暮らしている世界が陶器の上に広がっている。
ありそうな、なさそうなすれすれのところがいい。彼らの作品に触れていると、子供の頃の夏休みのような開放感と自由な感覚。自然と一緒に肌が呼吸しているしあわせな感がよみがえってくる。
ちゃぶ台の上の理想郷。ほのぼのとしたしあわせなため息のような景色たち。
この蓋物の取っ手が見えるかしら?
睡蓮の池から鰐が顔を出していて、そこに猿が腰かけているのです。
ふふふ、もしこの蓋物の中に梅干しを入れたら、開けるたんびにこの猿をつまむのね。塩を入れたら1日に何度もこの猿と鰐の物語が無意識の中に染み込んで行きそうではありませんか?
最初の頃は匠平さんが器を、千里さんが絵入れを担当と、別れていた作業分担。
今は匠平さんも絵入れをする機会が多くなったそう。
千里さんに聞いてみると、
「ふたもの、ぐい呑、ポット、スプーン、ボタンなど、一点ものや人形が乗ってるものは私が主に描いていますが、その他の食器(コップやお皿や茶碗など)では私が描いてるものや、匠平さんがデザインも全部考えて描いてるもの、私が最初にひとつ描いてそれを見ながら匠平さんが描いたり、といろいろなパターンがあります」
とのお返事。
息子君のお世話で、千里さんがなかなか集中して描けない時に、頑張っているお父さんの姿が浮かんできます。匠平さん、いいお父さんでいい夫だな。
私がお泊まりしたお部屋の机の上には千里さんの絵手帳が置いてありました。
やっぱりふふっと、ほっぺが緩むようなものばかり。
千里さんは普段はあまり言葉の多いタイプではないけれど、こんな絵を描いている彼女の内面はどんなだろうかと親しみがわく。なんだか隣に腰掛けて、何をやっているんだろうと覗きたくなるそんな人なのだ。
それにしても彼女の描くものは、なんとも元気で、生き生きとした動物と子供たちばかり。
翌朝目がさめると、私の寝ている客間に可愛いお客様。
藤田さんちの愛犬コロは初老になるまで生活を共にしてきた可愛いこ。暖簾をくぐって入ってくると、どうも私というよりは私の部屋のお隣に寝ている新参者の坊やが気になっているらしい。
そしたらお隣から、カタコトという音がして、コロはさっと出て行った。
現れたのは1歳の息子君。
入ってくると私をしばしじっと見つめる。
「おはよ」というと、私の膝にまっすぐやってきて、腰を下ろした。
小さな子供と肌が触れ合うのはなんともしあわせなこと。気を許してくれたことが嬉しくて、うんと力を込めてぎゅっとしたいけど、そうすると離れて行ってしまうのは重々承知なので、フラットに戯れる。
コミュニケーションには距離感と熱量の調整が必要だ。
可愛い可愛いお尻ちゃんと、おむつと、子供服の懐かしいような気持ちにさせてくれる柄。
子供の匂い。いいなあ。
コロはこちらを伺っていて、布一枚の向こうからこちらをずっと見ている。
息子君はコロが好き。コロは息子君が苦手。
そう千里さんは言っていたけれど、きっとコロは一番気になっている存在が息子君」。
息子君は遠慮なしにコロに近づいてきて尻尾だろうが、顔だろうがどーんと手を伸ばして触ってくるし、身を寄せてくる。
コロは後からやってきたこの子が藤田家の中心的な存在になってしまったことに驚きと絶望混じりの気持ちを持っているのかもしれない。
同時にめっちゃ気になって、片時も目を離せない。
息子君が近づいてくると「うぅうううっ」と威嚇する。
その繰り返しもとっても微笑ましくって、生活ってこうだよね、と思う。
ああ、彼らの生活の全てがスナ・フジタなんだな、ここから生まれてくるんだな。
仕事場にいる匠平さん。
匠平さんの仕事はとても丁寧だ。器のすっきりとした薄さや質感、手への収まり具合、蓋の収まりや、水の切れ、口当たり、どれもとても試行錯誤された末の姿をしている。
出会った頃に言っていた「できるだけものを見て歩かないようにしている」という言葉は印象的だった。
影響を受けてしまうので、できるだけ自分の中で練り上げたもの、使いながら感じたことで形を表現してゆきたいということだった。
その言葉を聴いてから、作品に触れると、その独自性がまた際立つ。
この棚に置いてあるものたちは、今まで作ってきたものの中からアーカイブの記録として残しているものなのだそう。
おとぎ話と、夏休みの自由研究と、空想と、お茶の間の中で育ったいろんな物語がおしゃべりになって聞こえてくるように感じませんか?
朝、藤田家のみんなと一緒にあたりをお散歩。
私は水があると覗き込まずにはいられないタチ。彼らもそうみたい。
池の中の見えないところで繰り広げられている色々をそっと覗き込む。
彼らとは数年に一度会うのだけれど、共に過ごした時間がとても愛おしくなる。何を語ったかもいい思い出だけど、並んで歩いた大三島のみかん畑や公園の入り口に落ちていた木の実を一緒に拾ったこと。何度会ってもいつだって、なんだか懐かしいような気持ちになるのです。
初日に遅くまで語り合った時のこと。
世の中のことや、ものづくりのことや食べ物のことなどいろいろなこと。
その中で匠平さんが語った言葉が印象に残っている。
「ヨーロッパでもアジアでも、テロとか政治の情勢とか、色々な緊迫感があるのが現状だけれど、時代は確実にいい方向に向かっていると信じている。僕たちの選んだ表現の素材は陶器という時代を超えて残るもの。ある意味何万年経ったとしても発掘した時に残っていて出てくる可能性が高いものなんです。いつか僕たちが表現したものが後々発掘された時、手に取った人やそれをみる人たちが、あの世界中が緊迫していた時代にこんな平和な意識も同時に息づいていたんだな、と、感じてもらえたらいいな、と思う。いろんな意識が混在しているという側面を象徴することにもなるから」
日常のほのぼのとしたしあわせな暮らし。
知っていますか?その平和を保つことは努力や知恵や思いやり、譲る気持ちや、愛が必要なのです。喧嘩は両者が互いへの理解を諦めた時に起こるもの。諦めて投げ出すのは実は簡単な方の道を選ぶこと。
藤田家が発信する、私たちの中に息づく、生きものたちと暮らすしあわせな心象風景は奥が深いものなのでした。
さあ、いよいよ7月29日(土)から始まります。
お楽しみに!
あゆみ
「スナ フジタのいききもの陶器展」
7月29日(土)~8月6日(日) *会期中無休*
5年ぶりにスナ フジタ(旧 フジタ チサト)の生きもの陶器がShoka:へやってきます。藤田匠平さんと千里さん夫婦の生活の中から生まれてくる陶器たちはとても楽しくて優しい。生きものと暮らす、なさそうでありそうな世界のなかでのんびりしたくなる。
私たちもとても楽しみに待っていました。
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