写真・文 田原あゆみ
7歳の時初めて訪れた日本海の冬景色。
それは真っ黒にうねる波と、黒い砂浜。
曇天の雲が海に落ち、暗い波打ち際とカラスの闇墨絵。
子供のちいさな胸の中にまでその黒い波はざーっと流れ込んできて未だに居座っている。
沖縄の太陽の下に輝く白い砂浜とエメラルドグリーンの優しい海。その景色は当たり前ではなく、いろんな海があるのだと世界を認識させてくれた出来事。
そんな冬の北の景色をもう一度味わいたくて、友人の仕事に便乗して冬の東北へ行ってきた。
友人は私より一回り年上なのだけれど、好きなことに集中する時のパワーは半端なく、きゃっきゃとはしゃぐ子供のようだ。そいうところ、私の方が枯れているかも。
好奇心が強くて、アンテナに引っかかった物事を「なに?なに?なに?」と眺め、これだと思うとさっと捉え、飲み込んで腑に落とす。
いやはや生き生きとしたかっこいい女性なのだ。
興味のある対象をファインダーを覗いてながめ、ここだ、とシャッターを切る。
フォトグラファー高木由利子。
そんな彼女だからこそいい仕事ができるのだ、と、毎回実感する。
そんな彼女と歩いているからこそ、目の前の景色はいつもよりくっきりはっきりと私の眼の前で輝き出す。
足元を撮るのが好きだ。
時にその人となりや、その時の時間の質感がそこに凝縮していると感じる。
表情や、手元では他のことに気をとられてしまうけれど、足元はしっかりとその時間の中に立っていて、心の向く方向にかっきりと向いている。体の中で一番正直なパーツ。
奥入瀬の凍りついた景色に魅せられた彼女は
「封じ込める」「封じ込められる」という現象を撮ることが目的。
私は、それに同行して彼女の仕事を記録した。
私が勝手にやっている、「かっこいい大人の記録」というライフワーク。
その時の空気感を写真に記録して、なにを感じていたのか自分の感覚を遡るために文字に起こす。
かっこいい大人。
人それぞれに「かっこいい」と、心に響くものは違うだろう。
私に響いてくるものは、自分の中の感覚に焦点を当てて子供のように夢中になって行動している人。
対象が私の信じている本質に触れるものであること。
本質ってなんだろう?
それは自分の中にある豊かさ。
それを発見し、外に表現して分かち合うために行動すること。
そうすると個人的なものも社会全体の豊かさにつながる。
有形無形なんでもいい。
人の心に響いたり、笑顔になるもの、問いかけるもの、日々の生きる糧になるもの、そんなものをみんながみんな持っていて、勇気ある人はそれを表に出すことに尽力している。一歩を踏み出している。
子供のように、無邪気に。
そして経済社会の中でそれを仕事にして自立することにも果敢に挑んでいる。
そんな人が大好きだ。
だから、私自身に直接収入にならなくてもお金を払ってでも、そんな人と過ごす時間は宝物。
その時間が私を潤し、日々の生きる糧となって見えない金庫を満たすのだ。
それはお金では満ちないし、買えるものでもない。
一番高価で価値のあるものだと感じている。
気力、体力、精神力、やる気、動機、目的、感性、精神に栄養を注げば、生きる力が増す。
それを伝えたい。
凍てついた2月の風が、十和田湖の波をうねらせる。
その波しぶきが凍って、見たこともない造形を見せてくれる。
長い時間をかけて削られた岩・石・珊瑚や貝、それらを取り巻く地形や植物たちの造形。
沖縄でも、旅先でもそんなものに魅せられてきた。
それらもとてもいいけれど、冬のほんの数時間の合間で刻々と変化してゆく雪景色や、氷の造形はなんとも神秘的で、摩訶不思議。
黒にこんな深く引き込まれるようなグラデーションがあったのか?と思うほど暗雲とした世界に閉じ込められたかと思と、ぱかっと空が割れて世界に温かい白が生まれ出る。
さっきまでが夢だったように陽気で明るく世界を変える、太陽。
10分単位でくるくると表情を変えてゆく湖の景色。
私たちの人生も早回しで見ると、そんな感じなのかもしれない。
波のような明暗の繰り返し。
雪の上に静かに落ちたツルアジサイの花。
花は咲いている時にも、枯れた後もやはり花。
その造形自体が花の在の顕れなのだということが、雪の上の彼花を見て思う。
景色だけを見ると、寒い氷の世界でさぞかしストイックに美を求めて突き進んだように感じるかもしれない。
が、そこには、
手袋は自由を奪わない程度に薄くて温かいもの
耳を隠す帽子はなくてはならない吹雪の中では耳が落ちて鼻がもげそう
カイロはヤッパリ必要ですよ冷やすと体に悪いから
旅の友チョコレートと女の性
好きなファッション話は花開きいつまでも枯れない欲の花
ぷりぷりの牡蠣が6個も入った温かい蕎麦との出会いは生きていて良かった実感
誠実で優しいガイドさん夫婦ああこんな人がいるなんて人生は素敵
裏の林に貂が住んでいる谷地温泉こっそり魚の頭を投げて飼っているけど半野生彼らはやはり悶絶かわええ
貂が穴から顔を出すのをきゃいきゃいとカメラ片手に出待ちのときめきに年齢は無
思い出のつぎはぎダウンコート
というような、現実と笑い話がちりばめられている。
だからこそ、楽しいのだ。
そうそう、そんな現実と欲望の話の中でもあのダウンコートは無視できない。
とても羨ましかったのだ。
高木由利子は、世界中様々なところへ撮影へ行っている。
そのための道具や、服を選ぶとき、ファッションと利便性を兼ね備えたものを選んで長く愛用しているので、彼女の持ち物を見ていると無性に欲しくなることがある。
このコートは非常に羨ましく、私もいつか出会ってみたい一品だった。
20年以上前に出会ったこのコートは当時のDCブランドのどこかのもの。
たしか、ZUCCaのものだった。
丈が長くて、ぎっしりと羽毛が詰まっている。襟にはウールのふわふわが付いていて、当時中国に着て行ったら、人民服の冬物と全くデザインが一緒で、しかも上質なので地元の人が集まってきて欲しがったのだそうだ。
そして、寒いヒマラヤの山の小屋の中でストーブにあたって暖をとっていたら、裾が焼けて穴が開き、それをママが当て布をしてアップリケしてくれたこと。
裏にも表にも思い出のつぎはぎが幾つかあって、どれも本当にいい表情。
それもこれも全部含めてこのコートが無性に羨ましくなった。
彼女の体験してきたことも全部このコートに重ねて見えるから。
まあ、探したって、このコートは見つからないんだから、自分でそんなコートを作るしかないのだけれど。
出会って、楽しいことを積み重ねて、その痕跡を残して行く。
他に変わりがないものとの出会いは、人も物も、こんな風にして時を共にできるものなのだろう。
だって、すごく好きだったり、便利だったり、、、そんなものとはどうしたって離れがたいじゃないですか。
ほらね、足元の表情には物語があるでしょう?
今年最初の冬の旅。
季節の変わり目に、人生の変わり目をも感じつつ、私の旅は続きます。
大好きな友人たちそれぞれが歩く道
時に交叉し、離れたり近ずいたり。
それぞれの道が大きな大きな一筋の道に繋がって、温かなところへ向かっていることを感じつつ。
Bon voyage!
2017年 3月6日
田原あゆみ
高木由利子 フォトグラファー
http://yurikotakagi.com/about/
Yuriko Takagi HP
http://yurikotakagi.com/projects/
私たちのズッコケブラボー西フランスの旅記事
vol 1 Paris – Nior-vol 1
vol 2 Nice – Corsica – 帰宅「光と影は交互だよ」
vol 3 「旅の残り香」
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