「珊瑚舎スコーレ」戦争によって学ぶ機会を失ったおじい、おばあも学べる場学びは体験、その体験が人を豊かにする



手づくりの「とぅんぐゎ」(炊事場、台所)で、昼食のハヤシライスを作る

 
 
– – – 他人がいなければ自分は見えない。「他者性」が大事
 

バレエをずっと習っていたある高校生が
「バレリーナになりたい」
って言ってたんです。
その子が3年生の時、当時のソビエトのバレエ学校に行くと既に決めていて。
物理の先生に、
「物理はいらない」
って言ったんですね。
そうしたらその先生、
「赤点はとらないように、欠席数もオーバーしないように、うまいことやれよ」
って言ったんです。
その辺が間違ってるんだよね。
物理を学ぶことが、いかにバレリーナとしての才能を磨く事に繋がるかっていうのを、彼は一生懸命説くべきなんだよね。

 


大きなコテージには寝袋も完備、宿泊もできる。佐敷の森のようだった丘陵地を開墾して一から自分たちで作り上げた学習施設、「山がんまり」

 

役に立たない勉強ならやらなければいい?
そういうわけじゃない。
僕は理科系行くから漢文しませんとか、
受験に美術は関係ないからやりませんとか、
そういうプラグマティックな価値で学びをとらえてるでしょ、日本はまだ。
そうじゃないんだよね。
学びは体験であって、その体験が人を豊かにしていくわけで。
義務教育の段階は、特にそうなんです。

 

  
 


「ふーる」(トイレ)の横には貯水タンク。雨水を利用して水を流す。タンクも自分たちで積み上げ、セメントで繋いだ。

 
 


「夜、ここでキャンプファイアーのように火をいれると、この辺一帯が炎に照らされてまた違う顔になるんです、素敵ですよ。」

 


ろ過剤を入れた装置。雨樋から集められた雨水をろ過する仕組み。

 


雨樋の取り付け。「ほら、斜めになってるぞ」

 
その場に行かないと体験できない学び。
テレビ観たり本開いたらオッケーじゃなくて、
教室に来ないと体験できないような学びを、学校はやらないといけない。

例えば、
「参考書買って家でやってれば十分だから
学校行きません」
って言って、
試験やったら良い点取る人いるでしょ?
それに対して文句言えないですよ。
 
でも、学校ってそうじゃない。
その場に集まった人たちと反発とか共感しながら交流している中に
自分を見出す時間がある。
 
他人がいなければ、自分は見えないでしょ。
他者性てすごく大事なんだよね。
現代の都市型消費文明、情報社会って
他者性を忘れてる時代だから。
大人も子どももモノローグのなかにどっぷり浸かってて、
対話がないんだよね。

 


フクギについた微量の雨水も、ロープを伝わせて集める仕組み。
 

学校では沖縄講座の講師を務めている宮城竹茂先生。
琉球古典音楽野村流松村統絃会の師範でありながら、
「竹茂先生はできない事がない、建造もプロ並み」と言われるほど、オールマイティー
 

 
 
対話とは、他者との交流です。
 
自分と趣味や考えが同じだったりする人間との交流はできて当たり前。
異質である他者と、いかにして交流するか、対話するか。
その知恵、面白さ。
 
義務教育段階の学校には
他者性が沢山存在するんです。
教室を離れたら決して遊ばないような子とも
一緒になって学ぶんですから。
そういう子の発言も聞くのが授業。それが大事。
 
それがないがしろにされてる気がするんです。
「速くできること」がすべてになってる。
そういうのは長続きしないと、僕は思ってますけどね。

 



「腹減った〜!」。生徒も教師も自分の分は自分でよそう 
 
– – – 学校は自由で良いと思う。学びたい時に学べる場であるべき。
 
うちで学んでいる生徒は本当に様々。
 
高等部だと、公立の学校やめてきた子、不登校の子、
いじめられちゃった子など。
県立高校に行こうと思えば行けるのに、
ここが好きでここに来る子もいるし。
 
東京から来てる子は都立高校やめて来てる子が多い。
ちょっと知的障害がある子もいます。
基本的に、誰でも良いんです。

入りたいとやって来た子を断ることは、基本的にはないです。
入ってから、途中で断った子はいます。
他の生徒に危害を加える子はおいておけませんから。
でも、そういう子は稀ですね。
これまで一人しかいないんじゃないかな。
 
大体、自分で辞めるんだね。
で、また入ってきたりする。

 


昼食をとった広々としたデッキも生徒達による手づくり 
 

  
「辞めたい」と言ってきたら、話は聞きます。
でも、辞めてからまた自分で入ってきたりね。
 
学校ってそういうので良いと思うんですよ、自由で。
学びたい時に学べるんだって。
夜間中学なんてまさにそうですよね。

 


事務局長の遠藤知子先生。生徒達からは「えんとも」と呼ばれ、慕われている

 
 
– – -戸を立てない沖縄の文化に生徒が救われています。
 
沖縄に学校を作った大きな理由は
沖縄の力を借りようと思ったから。 
 
沖縄は、一つの国として機能していた所ですから、
地方じゃなくて中央なんですよ。
全部そろってるわけです、
国として機能する為に必要なものが。
そして、独特の価値が残っている。
そういう意味でも、沖縄という場所は世界の宝物なんです。
日本の中でも良い意味で特殊な所。
 
そういう沖縄という独特な文化圏に作りたかったというのが理由の一つ。
 
もう一つの理由は、
僕は東京のど真ん中、下町じゃなく山の手の、
いわゆる都会で育ってるんです。
ああいうところって、他者に対して戸を立ててしまうんです。
電車に乗ってても隣の人に声なんかかけないですよね。
みんなそれぞれに見えない戸を立てていて、隣近所にも。
それが都会の文化ですよね。
 
一方、沖縄は戸を立てない文化。
それはすごく良い事だと思うんです。
都会の人間からみると特に。
少し世話を焼きすぎて、
他人の中に入りすぎだと批判する人もいると思うけれど
子どもには良く作用する気がするんです。
ヤマトから来てる生徒なんかは、とても救われてる。
沖縄が持つ「場の力」のようなものに。

 


がんまりはウチナー口で「我が生まれる」から転じて、「悪戯」「ごっこ」「遊び」の意。よって、山がんまりは「山遊び」

 
 
城を見ると両者の違いがよくわかります。
ヤマトの城は人を排除する形。
一方、沖縄の城(ぐすく)は、布をまわしたような曲線で囲まれていて非常に美しいですよね。
 
そういうところに差を感じます。
人に対する距離感みたいなものに。

 


夜間部の授業も活発 
 

 
– – – いくつになっても人は新しい自分を求める。今日の自分よりも明日はもっと素敵になりたいから。
 
また、ここにいらしてくれている講師の方々は、
それぞれの道でとても活躍なさっている方々です。
もし東京でこういう学校をやろうとしたら
生徒はもっと沢山来るかもしれないけれど
どれだけの講師が集められるかは疑問です。
 
沖縄はそういう方々がすぐ近くにいらっしゃる。
そういうことも含めて、
沖縄の持っている力を使わせてもらっているんです。

 

 
日本の学校教育は閉塞状況。
何の為に学ぶのか、まず先生がわかってない。
  
その答えは、夜間中学を見ているとよくわかります。
だって、今勉強する必要がないんですから、
「そんな歳取ってから勉強して、一体何の役に立つんだ?」
っていう見方もありますよね。
 
でも、関係ないんですよね。
いくつになろうが人は新しい自分を求めるし、
今日の自分よりも明日はもっと素敵になりたいって願いが基本的にある生き物だから。
特に若い人はそう願う気持ちが強いんです。
歳取っちゃうと忘れがちなんだけど。

だから自分に納得できなかったり、
ものすごいコンプレックス感じてみたり、
嫉妬してみたり。
そういう人が自分を高く高く支えて生きる力を、
自分のものにしていくための学びが必要なんです。
 
僕らがやろうとしているのは、そういうことで、
それを、沖縄の場の力を借りてやっているんです。

 


 
– – – 夜間中学をつくるきっかけになったのは「こんばんは」という記録映画でした。
 
ヤマトは基本的には400年間沖縄を抑圧してきて、
今もそうしてるわけで
沖縄という島の上に座布団敷いて、
その上に座ってるようなものです。
 
そんな中で僕なんかは育ってきているわけだから、
僕のキャリア・・・と言えるほどのものは無いけれど、
それを使ってくれるのであれば使ってもらおうと思って、
それで押しかけたんだよね。
 
1995年に起きた少女暴行事件をきっかけに、
それまで以上に多くの沖縄の方々が
「いい加減にしてくれ」
と、声を上げ始めた。
 
当時、ヤマトの高校で校長してたんだけど、
その時に行こうと思ったんだよね、
沖縄で使ってもらおうと思って。
 
それで校長を辞めて1年間、沖縄の学校のことを調べて。
それで、来たわけです。
でも、こういう形にするまではそれから4年かかったんですけどね。
沖縄には知り合いも誰もいなくて、
来たことも1~2度あるくらいだったし。

 

壺屋にある育陶園の「やちむん道場」でやちむん作りの授業も 
 
最初から寮もつくりました。
景気が悪くなった2006年くらいから寮生は少なくなったけど、
それまではヤマトンチュとウチナンチュと半々くらいいたんですよ。
 
夜間部を設けたのは2004年。
まず高等部をつくり、それから中等部、専門部と。
 
最初は昼間しかやってなくて、
こんなに早く夜間部をつくることになるとは思っていなかった。
 
2003年に「こんばんは」という夜間中学の記録映画が公開されて、
沖縄全土でも上映会があったんです。
 
その時に、ビラを持った主催者が「貼ってください」とやって来て。
その方と話をして、
「珊瑚舎スコーレは夜間中学作らないとダメだと思ってる」
って言ったんです。
「沖縄には必要だと思う、いつか作ろうと思ってる」って。
その話を、映画に出ていた見城慶和(けんじょうよしかず)先生という方に主催者の方が話たようで、
すぐに見城先生がいらしたんですよ、ここに。
「星野さん、のんびりしたこと言ってないですぐ作ってくれ、
みなさん高齢だからそんなに時間はないと思う。
私たちも沖縄には夜間中学を作ろうと思っていたけど
達成できていないから。
民間のでいいから早く作った方が良い」
って。
「じゃあ、わかりました」
って言って、
年が明けて2004年からつくったんですよ。
 
沖縄戦であれだけのことがあったわけですから、
学校に行っていない方が多い。
行きたくても行けなかったんですね、混乱と貧困の為に。
そういう方はヤマトと比べても断然多いです。
今通っている生徒達はみな行ってないそうです。
 
1950年だか55年に行われた沖縄民政府の調査によると、
当時学校に通うべきだった子ども約25万人のうち、
通っていない子が5万人にも達していました。
5人に1人というのは大変な数ですが、
実態はもっと多くて、
半数近くが行っていないのではと思います。
離島に至っては殆どの子どもが通っていない。
 
人はスーパーマンじゃないから
何でもできるわけじゃないけれど、
自分が気づいて「しなきゃいけない」って思ったら
できることをするってことが重要、
できないことまでする必要はないけど・・・っていうのが僕の考えだから。
だから、珊瑚舎スコーレが僕のできることなんです。

 


 

  
– – -人にとって大事なのは、「創造者」である時間
 
子どもは本来「創造者」であるのに、
「消費者」にしちゃってるんですよ、大人が。
生まれた時から消費の対象。
大人が寄ってたかって消費するように煽るから、
創造する時間より、消費する時間が多くなってる。
 
車の両輪で例えれば、
論理的に思考する学びもあるし、対照を感性で捉えるような学びもある。
2つとも必要。
だから陶芸なんてとても大事。粘土細工ですね。
自分の手の中である形を作って行くこと、触覚、視覚、ハーモニー。それが大事。
役に立たないような遊びのような時間。
 
自分が創造者である時間というのは、
人にとってとても大事なんです。
将来どんな仕事に就こうが関係ないですね。
人はみんな創造者なんですよ。

 

 

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珊瑚舎スコーレ代表の星野人史さんは、
お会いするとなかなかの強面だったが、
低い声でゆっくりと語られる一言一言には、
熱く、深い想いがこめられていた。
 
「生徒さん達とはよくお話なさるんですか?」
 
と尋ねてみると、
 
「全然。面倒くさいから。」
 
と、何気ない様子で答えたが、
それが全くの事実ではないことは、
私にもわかる。
 
生徒達の会話の中には、
よく、星野先生のことが話題にのぼる。
そして、昼間の生徒達からは
「ホッシー」
と呼ばれ、慕われている。
 
それは、珊瑚舎スコーレの生徒につけられたニックネームなんですか?
 
「いや・・・
ヤマトの学校にいた時から呼ばれてましたね。
なんなんでしょうね、本当に。」
 
生徒達にはわかっている。
自分たちのことを考えてくれている先生なのか、
信頼して良い人なのか、
嘘をついていないか。
 
 
私たちが受けてきた教育は、どうだっただろう?
受ける側として、教育をどう捉えていただろう?
 
そこには本来、自然発生的な学びに対する欲求があったはずだが、
気がついて見ると他の何か、
大学受験の合格や就職などにすり替わっていなかったか。
学びが、何か別のものを獲得するための「手段」になっていなかったか。
 
夜間中学の生徒の中でも高齢な生徒達は、
これから他の学校に進学する可能性はあっても、
就職する可能性はまずない。
しかし、彼らは学ぶ。
新しい知識を吸収したいから。
昨日よりも素敵な自分になりたいから。 
 

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珊瑚舎スコーレは、民間の学校です。
夜間部に関しては義務教育段階であるのに、
学校法人でないことを理由に
県からも国からも支援を受けられず、
苦しい状況での経営が続いています。
年金生活の老人達に高い授業料をつきつけることは
学ぶ機会そのものを奪ってしまうことになるため、
先生方も方々で尽力なさっています。
一般からの寄付金も募っています。
 
詳しくはコチラへ。

 

写真・文 中井 雅代

 

NPO法人 珊瑚舎スコーレ
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(与儀十字路・那覇警察署向)
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(土日祝日及び春期・夏期・冬期閉校日休業)      
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