3月11日。
あの日から、新聞の一面には被災地の生々しい写真が連日掲載された。
そんな写真から、空に向かって伸びる初々しい新芽たち。
沖縄生まれニューヨーク在住、
その作品が国内外で高く評価されているアーティスト、照屋勇賢の作品
「みどりのはじまり Minding My Own Buiness」。
当時、たまたま日本にいた照屋氏は、
写真に映し出された被災地の姿を目にし、
反射的にこの作品を作り出したという。
ただやみくもに、無理矢理にでも前向きになろう
というような姿勢は感じられない。
そこには、深い哀しみの色もくっきりと見えるから。
あの日、すべての日本人が味わった、
心を突き刺すような鋭い痛み。
じわじわと締め付けるように襲う哀しみ、無力感、絶望。
照屋氏もきっと同じ痛みの中で、
それでも光を見ようと、
祈るような気持ちで作品を創りあげたのではないだろうか。
大塚泰生さんの作品「cloth and prop」
ベッドの柱のような形状の何かに、無造作にかけられたクロス。
その流れるようなフォルムは、限りなく自然で日常性に溢れているが、美しい。
大塚さんは、
「震災についてのメッセージって、あんまり言えないな・・・って。」
と、控えめに語り出した。
今回のテーマは『鳥が蒔いた種』。
作家が木で、作品が実、
鳥は見に来てくれる人で、
それぞれ種を持ち帰って、そこから何か芽生える。
だから、見た人が次の日から少し感じ方が変わったり、
生活が面白くなったりしたら良いな、と思いながら製作しました。
僕はずっと彫刻を続けていますが、
作品のコンセプトではなくて形に興味があるんです。
自分が好きな形はなんだろう?と考えてみると、
部屋にかけている服がだらっとなっている、そんな形だったり、
植物でも人間でも、とにかく自然の形が好き。
必然的にそうなるべくしてなった形と言うか。
布のただ垂れた形も、必然的な美しさのようなものがあるんじゃないかと。
そういう形を彫刻にしたいと思っているんです。
山城芽(めぐみ)さんの作品「飛鏡」
作品には次のようなテキストが添えられて。
「解き放ち、飛ぶ
空へ、光へ、闇へ、
そして月へ
鏡はもう一つの息づく世界、発見の唄」
その場に来た人、のぞいた人が、視覚的に見える、体験できる世界を創っています。
その媒体に鏡を用いていて、合わせ鏡になっているんです。
この作品越しに向こう側を見る。
横から見るとアクリル面で何もないのですが
正面から覗き込むと見ている人の顔も写りこむし、
場所はもちろん、時間帯によっても変化する作品なんです。
光を取り込む量が違ってくるので。
夜になるとかすかな模様が浮き上がって来たり。
普通の鏡だとフラットなのでここにあるものしか写らないけど、
この作品越しに向こうを見ると、
例えば奥にある円の形が前方ではっきり見えるので、
円が前にあるように見えたりします。
タイトルは「飛鏡」。
飛ぶ事をイメージしてデザインしました。
視点で飛ぶ事ができる、ここに留まるのではなくて。
また、「飛鏡」には「月」の意味も込めています。
天空まで行ったときに会えるもの。
「飛ぶ」ことや鏡の素材によって月を表現したのです。
実は、月をテーマにシリーズのような形で作品を創ってきたのですが、
今回はチャリティの機会でもあったので、
色々と考えました。
被災地の方々は私たちの想像を超えてとても大変な思いをしてますし、それは簡単には変えられなくて、これからも続くこと。
だから、瞬間でもこの中に飛べたり、想いを馳せたり、
この中で何かに出逢えたりできたら、と。
想い一つで少しほっと・・・するまでいけなくても
もう一つの世界に行くことで、手助けができればと思いながら。
それが、現実を超えたアートの力でもあるかなと。
確かに、鏡や素材は限定的な単なる物質なのに、
空間だけでなく、時空さえも超えていけるような錯覚に陥り、
その瞬間、「これは錯覚ではないのかも?」と、不思議な気持ちになる。
あの日、あの時間に戻れるような・・・。
夜になると、影の中で光の物体として浮き上がって来たりもするんです。
平面ではあるけれど、変化することで呼吸しているような特質を持っています。
この作品はインスタレーション。
時間や天気など、全ての要素込みの作品です。
だから、できたら本当は一日通して、長いタームで見て頂けると嬉しい。
そんな作品です。
阪田清子
金城有美子「旅」
展覧会を企画、主催したGARB DOMINGOのオーナー 藤田さんは震災後、店内に募金箱を設置したが、一時的な援助では到底カバーできない災害の甚大さを目の当たりにし、自分ができることを模索した。
何かできないかな、と。
金銭的な援助じゃなくて、個人の力が個人に渡って、できるだけ多くの影響を及ぼす可能性を持った行動はなんだろう?と考えていたのですが、
GARB DOMINGOという場所柄としてもアートが良いんじゃないかと。
作品を見て、感じて、勝手に消化して、勝手にどこかに生み落として欲しいというイメージがあって、そこから「コトリの蒔いた種」というタイトルをつけました。
「好きなものを見て、見た物を勝手に排泄してください。
そこからもしかしたら芽が出て、誰かが喜ぶかもしれないし、それが森になるかもしれないし。」という意味で。
だから、可能性の一つとしての展示会なんです。
そういう意味で表現できる人は・・・と考えて、11人の方に出展をお願いしました。
募金って色んなところでやってるから、
数ヶ月経つとみんな疲れちゃうんですよね。
でも、今回の被害はあまりにも大きいから、どうにかして行動を続けないといけない。
そこで、展覧会ベースでやれば毎年開催できるかな、と。
メディアから与えられた情報を聞いて、それをそのまま周りに伝えるだけだと、本当の意味で伝わってるのかな?という疑問もあって。
メディアの言うことをそのまま信じるのも少し怖い。
だから、「見て、感じる」っていうのが一番良いのかなって僕は思ったんです。
中田栄至「1/108」
[ この世は数えきれないモノのあつまりだけど
すべてを知る事が大事ではなく大切な物に気づく事が必要 ]
持ち上げると、一つ一つに「あるもの」が記された紙が貼ってある。
矢野冬馬「真栄向寺」
「情報」として入ってくると、
それはまず、「事実とされていること」として脳によって処理される。
そのあと、心に入ってくる人もいれば、脳で処理して終わる人もいるだろう。
しかしアートは違う。
目にした瞬間に、まず心に訴えかけてくる。
好きか?嫌いか?
面白いか?退屈か?
心弾むか?重く沈み込むか?
見た人それぞれが持つ、目の粗さや形が全く異なる「フィルター」を、時間をかけてゆっくりと通っていく。
そのろ過作業は、展示会場では完了しないこともある。
家に帰ってもずっと心を離れなかったり、
場合によっては、数ヶ月、いや数年経ったある日、急にぽんっと心に浮かんだり。
そんな時、私たちはその作品だけにではなく、
同時に被災地にも想いを馳せることになるのだ。
アートにそんな力があるなんて・・・
藤田さんの発想、着眼点にも驚かされる。
作品である「実」から、私たちが持ち帰る「種」はそれぞれ違う花を咲かせるだろう。
まずは私たちが花を咲かせる・・・までいかずとも、なんらかの「種」を求め、今この場所から飛ぶことが必要なのだ。
写真・文 中井 雅代
Art Exhibition コトリの蒔いた種
日程:8月13日 〜 8月28日
定休日:月・水
時間:9:30 〜13:00 15:00 〜19:00
場所:GARB DOMINGO 沖縄県那覇市壺屋1-6-3
※入場無料(募金)
電話:098-988-0244
HP:http://www.garbdomingo.com