「今は満潮で、波打ち際がこんなに近くにあるんです。潮が引いたら引いたで、顔を出したカニを鳥が狙ったり、また面白い光景が見られますよ」
海について話す、「浜辺の茶屋」店主の稲福剛治さんの穏やかな語り口は、凪を思わせる。自然とともにあるひとは、こんなにも悠々とした空気をまとうようになるのだろうか。そう尋ねると、剛治さんは微笑んだ。
「この場所が大好きなだけですよ。海は刻々と表情が変わって見飽きません。写真にあるような満潮を期待して来店したお客様でも、干潮の様子を見て『自然の豊かさを感じるのは潮が引いた時かもね』と喜んでくださいます。また、海といえば夏のイメージですが、季節それぞれに見どころがありますね。春は、干潮時にはアオサが一面に広がり、まるで草原のようになります。冬は、太陽や雲の条件が揃えば“天使の階段”と呼ばれる、雲間から差し込む光の筋が見えて綺麗です。ここで働く僕自身が一番、海に癒されているのかもしれません」
窓枠が額縁の役割を果たし、一枚の写真のように海が見られる店内窓側の席が人気だが、他のテーブル席、浜辺の席、木陰の席、屋上の席にもそれぞれの良さがある。
「窓は、あえて観音開きで開閉できるようにしています。ガラスを一枚張る方がオシャレかもしれませんが、それだと風が感じられないので……。クーラーは付けていませんが、真夏でも風が吹き抜けて気持ち良いですよ。浜辺の席は、家族で来た方が子供を海で遊ばせながら珈琲を飲まれたりします。のんびりお喋りしたいのならプライベート感のある木陰の席がおすすめですし、夕日を見るには屋上の席からが良いですね」
木陰の席に座って、潮風を思いきり吸い込んでみる。清らかな酸素が体の隅々まで満たし、細胞が生まれ変わるような気になる。
「このイスやテーブル、建物も全て手作りです。洒落た建物を作ろうとは思っていなくて、トムソーヤの小屋みたいに自然と調和したものを、と」
そう言われて店内をぐるりと見回せば、梁は剥き出しで、壁にクロスも貼られていない。使われた木々が今も呼吸しているかのような作りだ。
「目を凝らせば、木工所の名前が入った木材も見つかるかもしれません。廃材や、工事の足場に使う板を利用して作ったんですよ」
浜辺から見上げれば、海産物を売る店かと思うほどに海の風景に溶け込んでいる。でも海がこんなに近くて、こんなにも澄んでいるのなら、必要以上のお膳立ては野暮というもの。あるがままのこの店で、自由に海を解釈すればいい。この冬の海も、ある人には寂しく、ある人には優しく映るのかもしれない。そしてそのどちらの想いも飲み込むかのように波が押し寄せてくる。
「炭火焙煎珈琲」。深煎りで苦味があり、酸味は薄い飲みやすい味。
「海を見てほしい。それが僕たち家族の願いなんです」
浜辺の茶屋は、剛治さんの両親、稲福信吉さん・米子さんが開いた。1994年にオープンし、今冬で20周年を迎える。
信吉さんは元々、土建業を営んでいた。全てが順調にいっていたが、ある時ふと自分の生き方に疑問を感じ、仕事を辞めてグアムへと旅立ってしまう。そこで閃いたのが、『沖縄の人間の手で、沖縄の海を活かすものを作ろう』ということだった。それがこの浜辺の茶屋となる。自然派カフェどころか、カフェ自体が少なかった当時、ずいぶんと反対され、変人扱いもされたという。ましてや、この地は雑木林で、トラックに積めばなんと3台分もの不法投棄のゴミが捨てられていた。だが、ここは海を見るための場所だという信念を曲げず、建物もメニューも全てゼロから作り上げた。口コミで徐々に人が集まり、今では海カフェといえば浜辺の茶屋と、代名詞のような存在になっている。
「店ができた当時、僕は小学5年生でした。両親は毎日ここに付きっきりで帰りも遅くて。それを可哀想に感じていたのか、土日のたびに、ここに連れてきて『庭を一緒に耕そう』『大工ごっこしよう』と遊んでくれたんです。でも僕は実は友達と遊ぶ方が良い時期で、イヤイヤ来ていたのですが、今思えば、この場所で伝えたいものがあったんだろうなと。僕は4人兄弟の末っ子なんですが、兄弟でカヌーを漕いで、ここから無人島まで3時間かけて行ったこともあります。ここで自然に触れた経験が、その後の自分に大きく影響していますね。外で働いたこともありましたが、西表島や南アルプス……自然豊かなところばかり選んだのも、それがあるかもしれません。那覇で働いていた時に、ビルの隙間に沈む夕日を見て空しくなったこともあります。『こんなに切り取られた夕日でさえ毎日見られないなんて……』って。今は毎日、何にも遮られない夕日を見られる。幸せなことですね」
剛治さんは3年前、この地に戻ってきて根を下ろした。
「沖縄の人は海が当たり前にあって、良さやありがたさに気づきにくいと思います。僕も大学時代に留学した時に波音が恋しくなって、初めて分かりました。この店を訪れるのは観光客の方が7割ぐらいですが、本当は沖縄の人にも海を見る時間を大切にしてほしいんです」
海を眺めながら物思いに耽ったり、あるいは何も考えず無我の境地に至ったり。ここに来る前と後では何かが変わる。稲福夫妻がこの店にかけた願いは、訪れる人にも確かに伝わっているようだ。
「自家製チーズケーキ」。紅芋の季節には紅芋チーズケーキに変わる。
「以前、この店に来たことがきっかけで結婚したというお客様がいました。お互い一人旅の途中でここに立ち寄り、混雑で相席になって意気投合……というのが馴れ初めだそうで。『一生忘れられない場所になりました』と言われて、嬉しかったですね。店の感想ノートを見ると『ここでプロポーズしました』というものも多くて、ここで皆さんがここで思い思いに過ごしてくださることに喜びを感じます」
店内には、感想ノートなるものがある。なんということはない普通のノートだが、訪れた人が感想やメッセージを書いていく。お店がオープンしてすぐに置かれ、19年分にもなる膨大な量になった。
この感想ノートに、あるおじいさんが“宝探し”を仕掛けたこともある。
「ある家族が弁護士を連れて来店したことがありました。聞けば『亡くなった祖父が、遺産の在り処をこちらの感想ノートに書き残したそうなので、ノートを見せてもらえませんか?』とのこと。家族が見れば分かるように書いていたらしいのです」
なんと粋な遺言の仕方だろう。そのおじいさんが海の見えるこの場所で、何を想いながら書き付けていったのかと想像すると、何とも言えず感慨深い。
感想ノートは、いつでも見られるように大切に保管されている。
この海を見ているだけでも、満たされた気持ちになっていたが、食べ物もなかなかどうして美味しいのだ。
「メニューは、沖縄県産の物にこだわりました。それも、できる限り地元、南城市の物を使っています。沖縄らしさというのがメニューを考える上での大切な要素ですね。たとえば、サラダのドレッシングに海水を使い、奥武島産の海ブドウも載せています。メニューにある琉球華茶も琉球空茶も沖縄のメーカー、琉球紅茶や沖縄長生薬草のものを使っているんですよ」
「浜茶の自家製ピザ」には、ヨモギとハンダマ、シメジ、チーズが載っていた。噛んだ瞬間、爽やかなヨモギの香りが鼻を抜ける。海とヨモギと、やや出来過ぎなぐらいの取り合わせが清涼感をより彩ってくれる。季節によっては、ゴーヤが載ることもあるという。
その他に、リピーターの多い「田芋の唐揚げ」もある。また、新鮮な果物を使った「酵素ジュース」も人気だという。これもドラゴンフルーツなどを使った沖縄らしい味わいと鮮やかな色が喜ばれている。
それでは意味がないのだが、もしも海景色が見えない、どこか違う場所にあるカフェだったとしても、このメニューさえあれば充分に楽しい沖縄時間を過ごせる気がする。
浜辺の茶屋にかけた「自然に触れるひとときを過ごしてほしい」という想いは、さらに広がっていく。今は「浜辺の茶屋」を剛治さんが、系列の「山の茶屋」を次男が、「天空の茶屋」を母親である米子さんが担い、関わる建築全般を長男が受け持っている。それは海だけでなく、いろんな自然の楽しみ方を提案したいからだという。
「この一帯は自然豊かなので、海を見て、それだけで帰ってしまうのはもったいないと花を見たり、庭で本を読んだり、ガジュマルの下で寝転んだりして過ごせる『さちばるの庭』も作りました。こことはまた違う自然の楽しみ方を伝えていけたらいいなと話しているんです」
稲福一家の挑戦は、まだまだ続く。
話している間に、潮が引いて砂浜が広く、太陽も高く上がっていた。来た時よりも少し鋭くなって、間違い探しのようにいろいろな海の変化に気づく。
そういえば、沖縄に移り住んだ初めの頃こそ、海の碧さには涙が出るぐらい感激していたのに、いつの間にか日常風景となってしまっていた。でもこうして海を間近にすれば、やはり恵まれた自然なのだと改めて気づく。目を細めるぐらい白い砂浜にざくざくっと足跡を付けて振り返る。潮が満ちるまでは、残るだろう。
文 石黒万祐子
浜辺の茶屋
沖縄県南城市玉城字玉城2-1
OPEN 10:00~20:00(月曜日は14:00~)年中無休
098-948-2073
http://www.hamabenochaya.com