「手で見る 目で触る」 暮らしの中のうつわたち

文/写真 田原あゆみ

 

shoka

 

6月21日から始まる企画展「手で見る 目で触る」
陶作家の小関康子
彫金の喜舎場智子
漆器の木漆工とけし 渡慶次弘幸 渡慶次愛
この4人の作品がShoka:へやって来る。

 

Shoka:の仕事を通して、様々なものと作り手に会ってきた。
その中でも、この4人の作品の共通点は変化のまっただ中にいるということ。
つぼみが開いてゆく寸前の力強さを彼ら自身と、作品から感じることが出来る。

 

自身の感覚を開き、思考を解き放って素材を見つめ、触れて、自分の感覚を頼りに、立体へと仕上げてゆく。
時に仕上がりをコントロールしたり、自分の手の及ばないものへ委ねたりしながら、完成へと向かう。

 

暮らしはものづくり中心で、作られたものからは、つぼみからこぼれる香りのように彼らの今を感じることが出来る。

 

こんなに打ち込めることに出会えて、なんてしあわせな人達なのだろう。

 

梅雨があけて、青空が広がるある日。
そのしあわせな二人、木漆工とけしの弘幸君と愛ちゃんに会いに行ってきました。

 

 

shoka

 

 

彼らの家兼工房は、訪れる度に景色が変わる。
作品を作りながら、家も改修しているからだ。
以前は工房の中に住んでいる、という感じだったのが、今では家と工房が合体した感じにまで進化してきた。

 

 

shoka

 

 

生活費をやりくりしながら、質素なのだけれども二人の美意識をちりばめたこの空間を訪れるのは私の楽しみの一つだ。

 

 

先日輪島の海岸で一緒に石拾いをした。
拾った石を見せ合った時に「おぬし、なかなかやるな・・・」と、
ちょっとジェラシーを感じたり、自分の拾った石を「どう?」と見せるのが嬉しかったり。

 

似たような美意識を持っている友人とともに過ごすことは、なんて楽しいのだろうとその時に感じたものだ。
その感覚のまま、一緒に仕事ができるのはありがたいことだ。

 

 

 

shoka

 

 

 

ほれぼれするような色の織りなす景色。
その景色が触れたくなるような柔らかな形の中に納まっている。
こんな虹がかかった霧を写したような石があったのか?
あの時の石の中に。

 

 

私は内面で悶絶しながらこの石を見つめた。
なかなかいい石を拾った、彼らの目利き具合に尊敬と軽い嫉妬を覚えながら、ではその目利きの感覚とものづくりの感覚はどの位寄り添っているのかしらと。

 

そのうつくしい色の石を、そっと彼らの漆器の中へ置いてみる。

 

 

 

 

shoka

 

 

一見陶器か、金属の器に見えるが、上の二つの器は木漆工とけしの漆器たち。

 

沖縄のセンダンの木を弘幸君が挽いて木地を作り、それに愛ちゃんが漆を塗って器が仕上る。
上の器は2点ともに、黒い漆を用いて錫の粉を蒔いて接着し、さらに漆摺り込んで仕上げた肌の色。

 

下地に塗った黒漆の色の出方で、銀鈍色に見えたり、真鍮色に見えたりする。

 

 

 

shoka

 

 

自然の中で、もしかすると何万年という歳月をかけて今のこの形と色になった石たち。
風や、熱や、波に洗われてこの色かたちと艶が出来たのだ。

 

その自然なうつくしさをたたえた石を載せても、そんなに違和感を感じない。
2人の作る器は素直な感性のもとに仕上っていることが感じられる。

 

 

そんな彼らの漆器を誰かが気に入って、その人の暮らしの中で、料理を載せたり、洗ったりを繰り返すうちに自然な艶が出てきて、もっともっと自然な景色に馴染むのだろう。

 

その時にはもう、手放せないような肌に育っていることだろう。

 

 

 

shoka

 

 

いつもの肌合いの器の他に、今回新しい形の器や、違う素材で作った器も仕上ってい手、わくわくしてくる。

 

イタジイの木を使って作ったという平皿。
シイの木に実るドングリのかさを思い出すような質感。
センダンの木と違ってイタジイの木はどっしりとした風合いがある。
その木肌に、ろくろを挽いたときの挽き目が円を描くように残してあるのがとても合っている。

 

懐かしい気分になるこの皿には、いつかどんな料理が載せられるのだろうか。

 

 

 

今回二人が挑んだ新しい仕事のこと、一瞬失敗したかと思った時に生まれた今までにない肌の質感が出たという話し。
これからやってみたいこと、工房に弟子を新たに迎えたこと、メンタリティの変化と人との出会いの話し。
彼らとの話しは尽きない。

 

こんな風に変化し続けていけることが人の人生の面白さだ。
木の板を削って皿を作る時、場合によってはその80~90%は削り取られてしまう。

 

弘幸君は木を挽く時に、その木を両手で包んで
「命を捧げてくれてどうもありがとう。いい形を探り当てて、末永く愛される器にしますね」
と、木を両手で包んで祈るのだそう。

 

 

shoka

 

 

今年の4月から新しく入った力君と打ち合わせをする若親方、弘幸君。
手が2本増えることで、やれる仕事は広がるはずだ。

 

それを信じて、木漆工とけしは夫婦二人でのものづくりの世界から、人を受け入れて仕事を伝承する世界へと歩を進めた。
それは、輪島という職人の世界で二人が受け取った財産の一つだと思う。
親方から弟子へ受け継がれてゆくのは、その場でこなされている仕事上の技術だけではない。

 

輪島では弟子が修業期間を終えて、年季明けの独り立ちをする時にとても大きな祝いの席が設けられる。
そこでは、親方とその弟子は固めの杯をかわして、親子の絆を結ぶのだ。

 

 

そうしながら脈々と続いてきた、輪島の漆器とそれを支える職人たちの精神が生み出したしきたり。
それに触れた経験があるからこそ、彼らは慎ましやかな自分たちの生活の中で、次に進む道とその道が続く先を見つけることが出来たのだろう。

 

慎ましい生活をしている中で、弟子を取る決断をするのは生半可なことではなかったと思う。
彼らの生活を知っている私は、彼らの決断に感動した。

 

沖縄でこの仕事をやっていくという決意。
ただやっていくというだけではなく、沖縄という土地で漆を使った工芸が栄えてゆく未来を信じてこそ決心したのだろう。
実際漆は、湿気を利用して固まってゆくという性質がある。
湿度の高い沖縄は、実は漆を使った工芸にはうってつけの環境なのだ。

 

shoka

 

 

この春から木漆工とけしに弟子入りした、新垣力君。
ろくろを挽くのが大好きという彼との出会いが、弘幸君を親方に引き上げてくれたのだ。
これからこの工房がどのように成長し、その後成熟してゆくのかを見守れることは私にとっても幸せなことだ。

 

 

 

shoka

 

 

この春から弟子を取ったことと平行して、作品づくりにも新たな風が吹いていることが感じられた。

 

Shoka:での企画展は彼らにとって、沖縄では2回目の展示会となる。
1回目と違うものも見て欲しいと、彼らは一点ものの作品にも取り組んでいる。

 

今回の企画展に出る大きな鉢は、クスノキで作られたもの。
外側は木の感触が残った乾いた仕上げ。
内側は瑞々しくつややかな重ね塗り。

 

まるでライチの実のようだと思っていたら、愛ちゃんは木の実のような感じで作りたかったのだそう。

 

 

 

shoka

 

 

木の実は半分に切った時に、外側はざらざらと乾いた感じで、中はうるおいがあって濡れている感じがする。
その感じを表現したかったのだそうだ。

 

今回一点ものの器がちらほら。

 

好きな形や質感の器が多くて、うれしいやら、立場上先にとることの出来ないのが寂しいやらです。

 

 

取材中お昼になったので、愛ちゃんがちいさな台所でお料理をしてくれました。

 

待ってましたと小躍りする食いしん坊な私。

 

 

 

 

愛ちゃんと弘幸の家にはちゃんと暮らしが感じられる。
暮らしを感じられる家とは、好きな道具があってそれをちゃんと使っている気配が感じられる家。

 

道具も住む人も、家も全部が一緒に呼吸をしている感じ。

 

 

shoka

 

 

作品を作るのも手だが、手は様々なものを生み出す最高の道具。
心と身体の栄養、お料理もこの手の魔法でおいしくしあがる。

 

愛ちゃんの手から生まれたお料理は、とってもおいしくって、彼らのかわいい暮らしに寄り添うものでした。

 

 

 

自分たちの作品を実際に使いながら、その使い勝手や、肌の変化を確かめる。
揚げたての魚のフライを載せたらどうなるか、私はヒヤヒヤしたけれど、さすがは漆を使いこなすだけではなく塗ってもいる本人、全く動じません。

 

そして、そこから変化を見て、使う人達の使い勝手も見えてくるのです。

 

 

 

shoka

 

 

中央の一番上に載っている錆色の椀は、欠けてしまったのを修理したもの。
色々な直し方があるのだそうで、木片やパテを使って元の形に戻すことも出きれば、このような仕上げも。
何だかこれはこれでとても味わいがあるな、と見つめてしまった器です。

 

 

 

 

shoka

 

 

二人の人間が、全く同じものを感じたり、同じ景色を思い描くのはあり得ないこと。
けれど、お互いがありのままを伝えあって、二人がYes!と言える接点を見つける喜びは、他に比べることが出来ないほど貴重なことではないかと私は思っています。

 

摩擦や、葛藤をへて二人で見つけた形や質感。
そうして暮らしてきたある日、振り返ってみると自分たちの変化の大きさに驚く。
二人が二人ぼっちでないことや、分かち合える人がいる喜びや、いろいろなことを多くの人達や時代から受け取っていることに気づく。
いつの間にか新しい仲間を人生に迎えることが出来ている喜びも。

 

 

 

そんな瞬間がちりばめられた、暮らしはとても生き生きと素敵なものだと感じませんか。
仕事っていいな、と思います。
社会と自分との接点だから。
社会は私の暮らしを支えている、他のみんなの暮らしそのもの。
暮らしと仕事、分けられるものではないんじゃないかな。

 

特に自分が真剣勝負で迎える仕事は。

 

自分の感覚を精一杯感じて、それを道標に仕事に打ち込むこの2人に出会えて私もしあわせです。

 

6月21日から始まる企画展で、彼らがどのような世界を広げてくれるのか、私もとても楽しみです。
沖縄で何かが始まっていると最近とても感じるのですが、みなさんも一緒に感じてみませんか?

 

 

 

 

 

 

shoka  

 

 

手で見る 目で 触 る
6月21日(金)~30日(日)12:30~19:00
手で見るように素材を感じ、目で触るようにフォルムを探す
ものを作ることが人生そのもののように暮らしている作家たち
思わず触れたくなるような肌の器を生み出す小関康子の陶器
ウイットとユーモアのある作品をつくる彫金作家喜舎場智子のアクセサリーとモビール
暮らしに寄り添う素材と形を追求する木漆工とけしの漆器たち
様々な感覚を楽しむ暮らしの道具たちが Shoka: へやってきます。

 

 

 

 

今回の企画展は、何だか不思議なタイトルです。
けれど、もしかしたら私たちが何かに意識を集中している時、自然とやっていることではないでしょうか。

 

お料理をする時に、素材を感じて何を作ろうかと考えている時。
ものづくりをする時に、材料の中に眠っている形を探り当てる時。

 

自分の中にある感覚を描いたり、形にする時。
大好きな人と親しくなる時に。

 

 

 

 

 

 

 

shoka

 

 



暮らしを楽しむものとこと
Shoka:


http://shoka-wind.com


沖縄市比屋根6-13-6
098-932-0791