TANAKA

コレンテ 浜比嘉ファミリー

 

「脱ニート!おめでとう!!」

 

高らかな笑い声と底抜けに明るい笑顔で乾杯をしているのは、浜比嘉さんファミリー。お母様の純子さん、長女の智香さんとその旦那様の正太さん、次女で末娘の陽(あき)さんです。今日は、陽さんの就職内定のお祝いをしています。智香さんが、妹の陽さんのためにお祝いの場所に選んだのは、ヒルトン沖縄北谷リゾートのイタリアンレストランCORRENTE(コレンテ)。

 

「皆イタリアンは大好きですし、友人から『美味しい』と聞いていたので。何よりせっかくのお祝いなので、華やかな場所でしてあげたくて」

 

食事の間中も、ポンポンと冗談が飛び出して、その度にお腹を抱えて笑い合う。まるでテンポのよいお笑い芸人のようで、笑顔満開のご一家。これだけ笑いが絶えないのは、今日のお祝いが待ちに待ったものだったから。実は、陽さんには1年の就職浪人の期間がありました。

 

「大学時代は、調子に乗って授業を怠けていました。お家でひたすら寝ていましたね。ほぼ引きこもり状態(笑)」

 

卒業に必要な単位の取得が難しいとわかった頃、お母様はたまらず、“就活禁止令”を出したそう。

 

「だって、せっかく内定をもらっても卒業できなかったら元も子もないですから。途中で『もういいから。卒業することに集中して』って言いましたね」

 

その鶴の一声に従い、大学は無事卒業できたものの、就職先を決められないまま帰郷した陽さん。そこから1年間の就職活動が始まるのですが、その頃の本音をポロリ。

 

「元気そうに見せてはいたけど、卒業の年に決まらなかったのにはプレッシャーを感じていました」

 

そんな陽さんを一番理解していたのは、一緒に住み近くで見ていたお母様かもしれません。ストレスを溜めさせないような言葉をいつもかけていたそうです。

 

「『いいよ〜、別に〜、ダメだったらダメで〜』って。2年目の就活が厳しいことは本人が一番わかっていることですから」

 

コレンテ 浜比嘉ファミリー

コレンテ 浜比嘉ファミリー

 

一方、長女の智香さんは自身の就活の経験を活かして、企業情報を集めるだけでなく、面接のアドバイスまで。

 

「妹に合いそうな企業を探しては、ひたすら送り続けていましたね。たまに無視されてましたけど(笑)。妹は人見知りのところがあるので、『面接はとりあえず笑っとけ〜』って。6歳も離れているので、何か言ってあげないとと思ってしまうんです」

 

面接の進んだ数社の中から的を絞る段階になった頃、決め手となるアドバイスを送ったのも、やはり智香さんでした。

 

「色んな業種のある大きな企業の方が、妹には絶対合うと思っていました。だから『ここにしなよ〜』って。転勤があるので、もし合わない同僚がいても、数年で環境が変わるじゃないですか」

 

それを耳にした陽さん、「それじゃあ、私が人嫌いみたいじゃん」と膨れると、お母様が「まあ、一般論としてよ」とすかさずフォロー。すると智香さんは、もっと大事な理由を明かしてくれました。

 

「それだけじゃなく、色んな業種があるってことは、色んな人と出会えるってこと。勉強しなきゃいけないことも多いだろうし、妹にとって人生に活かせることが多いと思うんですよ」

 

毒づきながらも、妹を思いやる優しいお姉様。陽さんにとって智香さんは、今回の就活に限らず、ずっと頼りになる存在だったそう。

 

「姉は昔から、こっちから相談を持ちかけるよりも先に、いつもアドバイスをしてくれていましたね。進路とかの人生の節目には必ず。とってもありがたいです」

 

コレンテ 浜比嘉ファミリー

コレンテ 浜比嘉ファミリー

 

智香さんのアドバイス通り、陽さんはその大企業に狙いを定め、見事内定を手にしました。その通知を受け取り、最初に知らせたのはお母様。

 

「母の職場に電話して、『内定出たよ』って。そしたら母だけでなく、同僚の皆さんまでもが一緒に小躍りして喜んでくれたようなんです」

 

その後、お母様から知らせを受けた親戚中から、陽さんへお祝いのメッセージが。祝福のシャワーを浴び、陽さんは感謝の気持ちに溢れたそう。

 

「『よかったね〜、ホッとしたね〜、おめでとう!』って。どれだけ皆が心配してくれて、喜んでくれているかがわかりましたね」

 

コレンテ 浜比嘉ファミリー

コレンテ 浜比嘉ファミリー

 

自称引きこもりの陽さん、授業へは出なくても食事の誘いにはよく乗っていたそうで、食べることが大好き。この日のお祝いのコース料理は、振り返るほど美味しかったよう。

 

「魚介のラビオリにコンソメジュレが入ったお料理が美味しかったなあ。あっさりしていて、いくらでも食べられる感じ。それにコースの内容がとってもボリューミーで、大満足でした。メニュー表は思い出として、部屋に飾っておきます」

 

メニュー表を持ち帰るなんて、それだけでも充分に伝わる陽さんの喜びようですが、食事の最後には次回の約束まで。

 

「初任給が出たら、今度は私が皆を招待して、またここに来ます!」

 

写真/安村直樹 文/和氣えり(編集部)

 

Correte
CORRENTE(イタリアンレストラン コレンテ)
中頭郡北谷町美浜40-1
ヒルトン沖縄北谷リゾート内1階
098-901-1130(直通)

http://hiltonchatan.jp/plans/restaurants/4203

 

TANAKA

 

「最近は、もっぱらプレイルーム付きのカフェが多かったんですけど、特別なお祝いにしたかったので、CORRENTEを選びました」

 

CORRENTEとは、ヒルトン沖縄北谷リゾートのイタリアンレストラン。明るい陽の差すその場所でハツラツと乾杯するのは、職場の元同僚という4人。仕事仲間というよりは親友といった様子で、お互いを、ママ、歩、しおりん、なかちゃんと呼び合います。今日は、先日退職したママこと政美さんの、新たな門出を祝っています。

 

「今日は、ゆっくりと食事と会話を楽しめる特別な場所で、と思っていました。ママが退職してから、なかちゃんの出産があったりと、お祝いのタイミングが難しくて。ようやく叶ったんです」

 

企画をした歩さんは、CORRENTEでお祝いできることがとても嬉しそう。食事中も、笑いあり涙ありと、話の尽きることのない4人。さぞかし長いつきあいなのかと思えば、同じ職場にいたのはなんと今から7,8年も前、しかもたったの半年間だけだったそう。その短い期間で、電照菊やエイサーを見にドライブしたり、やんばるのホテルに泊まったりと、仲を深めていったとか。職場がそれぞれに離れた今も頻繁に顔を合わせていて、「1ヶ月会わないと久しぶりという感覚」といいますから、その睦まじさがわかります。

 

 

「何かを決めたら最初に報告したくなるメンバーなんです。絶対応援してくれるってわかっているから」

 

政美さんが、10代の頃から28年もの間勤めた会社を退職すると決めた時も、一番に報告したのはこのメンバーでした。けれど、みんなの最初の反応は様々だったようで…。歩さんは、「信じなかった」といいますし、人見知りで政美さんを最も頼りにしてきたしおりんは、「やめないで」と泣いて引き止めたといいます。

 

けれど政美さんの決意は変わらず、最後の日も普段通りに仕事をしました。

 

「最後まで普通に仕事して、普通に時間が来て終わりましたって感じにしたかったですね。浅田真央ちゃんじゃないですけど、最後は絶対笑顔で、と思っていました。本当は泣き虫なんですけど、泣き顔は見せまいと。みんなは涙を期待していたみたいなんですけど、どうにかこらえましたね(笑)」

 

特別なことは何もいらないという政美さん。驚いたことに、送別会の類も全て辞退したのだそう。

 

「自分が主役になるのはイヤなんです。どうしていいのかわからなくなるので。恥ずかしいんです」

 

 

けれど、後輩の3人はどうしても、政美さんを主役にお祝いをしたかったといいます。その理由は、政美さんへの感謝の気持ちを強く持っているから。東京から出向してきた歩さんは、その頃を振り返ります。

 

「知り合いがいなくて心細かったとき、色々と教えてくれたのがママでした。仕事のことだけじゃなく、沖縄の地名や行事のこと、親戚との絆の深さといった沖縄あるあるまで何でも。生き字引的な感じで(笑)」

 

しおりんとなかちゃんは、政美さんの会社での献身ぶりを讃えます。

 

「私たち3人は営業職で、ママは事務職だったんです。営業職は外に出ていることが多いんですけど、ママはいつも会社にいてくれる。そんな仕事柄もあって、よくスタッフ全員をフォローしてくれていました。みんなが『ママ、ママ』と呼んで慕っていましたね」

 

「その上、責任感が強くて、『下の子が育つまで辞められない』と自分のことより、周りを優先してばっかり。それで退職する後輩たちをいつも快く送り出してきたんです」

 

一方政美さんも、彼女たちが支えてくれたと返します。

 

「みんなが居るから、仕事に行くのが楽しみでしたね。いつもはどうでもいいことを喋り合っているんですけど、私が忙しくてイライラしている時には、遠くから見守ってくれてさっとコーヒーを出してくれたり。最近では、私の健康も気遣って、病院の送り迎えまでしてくれるんです。介護してもらってる感じ(笑)。若い力を与えてもらっているし、いるだけで心強いメンバーです」

 

 

退職して時間の余裕ができた政美さんは今、これまで十分にすることのできなかった子育てを満喫しているそう。

 

「長男が成人式を迎えた時、小さい頃からのことが走馬灯のように思い出されたんです。けど実はあんまり記憶がなくて(笑)。『職場に連れて行ったな。横に寝かせて仕事したな』とか、そんなことばかり。次男だけは最後までちゃんと見てあげたいと思ったんです。彼は今、部活でハンドボールをやっていて、県代表になったので、九州大会、全国大会まで進めたらなと。応援に行ったり食事に気をつけてあげたりして、サポートをしたいです。彼の高校最後の夢を実現させてあげたいです」

 

歩さん、しおりん、なかちゃんの3人は今はもちろん、政美さんの夢を心から応援しています。

 

「ママは今とても楽しそうにしているので、本当によかった。これからもこの4人の関係は何も変わらないですしね」

 

 

最後は花束を贈って(※)、政美さんの新たな門出を祝いました。レストランが好みをリサーチして作ったという花束を受け取って、政美さんはというと…。

 

「レストランで渡されて、なんだかとても恥ずかしいです…。けれど、結婚式の時のブーケに似ていて、とても好きな感じです! 今日ばかりは主役で嬉しかったです」

 

照れながらも、明るく晴れ晴れとした笑顔を見せてくれました。

 

写真/大湾朝太郎 文/和氣えり(編集部)

 

Correte
CORRENTE(イタリアンレストラン コレンテ)
中頭郡北谷町美浜40-1
ヒルトン沖縄北谷リゾート内1階
098-901-1130(直通)

http://hiltonchatan.jp/plans/restaurants/4203

(※)お祝いプランでは、花束をご用意することもできます(有料)。

 

TANAKA

西石垣友里子

西石垣友里子

 

「多分ですけど、私は人よりとても不器用なんですね。南風原にある工芸指導所に入った時、何1つまともに作れなくて。でも、みんなすごいスピードで作っていて、みんなが2個3個とできる間に、私はまだ1個だったり」

 

自身のことを「ポンコツ」と言い、そんなところを隠すことなく口にするのは、木工作家の西石垣友里子さん。個展を開けば、「待ってました!」とばかりにその作品を求めて、初日から多くのお客が押し寄せる、そんな人気作家なのに、自分のダメな話をいくつも披露してくれる。

 

「今だって、他の木工作家さんのインスタとか見て、打ちのめされることがあるんです。あまり見ないようにしているんですけど(笑)。『うそでしょ。同じ機械を使ってるとは思えない。もうできない、私下手くそすぎる』って心が折れちゃったり。メンタルが豆腐なんです」

 

つい最近の昨年末(2017年11月)、那覇のギャラリーショップ“RENEMIA(レネミア)”で個展を開いたが、その準備でもやはり心が折れたそう。

 

「ほんとに何も出来上がらなくて。うまく形にならないとか、色々なことが進まない。何回も何回も心が折れました。木を嫌いになる寸前でついに、『もう触りません!』って。結局1週間、木に触らなかったですね」

 

そんな風に落ち込んだ時、友里子さんに欠かせないのは、なんと“ビール”。

 

「『じゃ、まあ、ビール飲もう』って。ビール飲んで、寝ます(笑)。ビール、大好きなんですよ。あ〜、オリオンビールのキャンペーンガールにしてもらえないかな〜。キャンペーンガールの彼女たちより、私が一番美味しく飲んでいると思うんですよ(笑)」

 

そんな楽しい冗談を放ちつつ、その後、力強い言葉が続いた。

 

「でも、できないのが悔しくて、悔しくて。もう少しやってみようかな、あともう少しって…。諦めが悪いのが自分の良かったところだと思っているんです」

 

西石垣友里子

西石垣友里子

西石垣友里子

 

友里子さんが木工作家を目指したのは、27歳の時。家具が好きだったことから、「木工で生きていこう」と腹をくくって、県の工芸指導所の門を叩いた。卒業後は、大胆にもすぐに自身の小さな工房を立ち上げた。「人が2人入ったらギュウギュウ」というその工房で、生活のためのアルバイトなどと掛け持ちすることなく、地道に創作活動を続けてきた。生活に根ざしたものを作っていきたいと、これまではナイフやフォークなどのカトラリー、木べらなど比較的小さな作品を多く制作。けれど、3回目となる今回の個展に際しては、新たなテーマに挑戦した。それが“お皿”だ。

 

「自分の中では大きなチャレンジでしたね。最初は直径24センチくらいのお皿しか作れなかったんですよ。大きなお皿は、ろくろの遠心力でグワングワンなるんで、力も技術もとても必要なんです。ここ2年くらいですかね、本気でこの技術を習得して。ようやく大きなお皿も作れるようになりました」

 

木工作家になっておよそ10年。何を作っていくかも試行錯誤の連続だった。

 

「木工でも、最初からこれを作ると決めていたわけではないです。だんだん自分の得手不得手がわかってきて、作りながら自分には何が合うのかなって1つずつ潰してきた感じです。言葉がひどいですけど、ホントに行き当たりばったりなんです。これを作ってみたら、すごい好きだ、すごい楽しかった。あれを作ってみたら、体がしんどかったとか、自分を観察しながら合うものを探していて、まだまだ探している途中です」

 

西石垣友里子

西石垣友里子

西石垣友里子

 

お皿も、「正解不正解はないんだから、自分の好きなように作ればいいじゃない」と、自身に言い聞かせて制作してきた。その作品を見ると、素材は全て木でありながら、表現の豊かさに驚かされる。

 

木のお皿といえば普通、ひたすらナチュラルテイストを突き詰めたものかノミの削り跡を楽しむものを想像するが、友里子さんの作品は、そのどちらでもない。表面は同じマルの形なのに、ぽってりと愛らしいものがあるかと思えば、シンプルでスタイリッシュなものもある。はたまた、見たこともないような縁取りが施されたものがあるかと思えば、表だけでなく裏返して裏面も使えるというアイディアが光るものまである。友里子さんの作品には、常識にとらわれない、友里子さんの“好き”や“楽しい”がいっぱい詰まっている。

 

西石垣友里子
西石垣友里子

 

その代表ともいえるのは、“ドーナツ”というネーミングのお皿。ドーナツをそのままはめ込んだような、縁の部分がぷっくりと膨らむ名前の通り可愛らしい皿。よくよく見ると、そのドーナツ部分に彫り目が入っている。

 

「木の特性で、木の繊維を断ち切らないと、彫り目が水分や温度でまた元に戻ってしまうんです。ルーターで削って、お湯をかけて乾燥させる湯拭きをして、彫り目が戻っているところを探して、それから研磨するという一連の作業を、5,6回は繰り返します。大変ではあるんですけど、削ってみたら楽しくて。ちょうどルーターを買ったばっかりの頃で、削るとちょっと陶器みたいな雰囲気になるなと思って。これ、すごくかわいいなと思っていて、この部分、すごく好きなんですね」

 

こんな風に、友里子さんのお皿には、他にはない面白いポイントがある。乳白色の肌と薄茶の木目が美しいリム皿は、森林の中にいるような爽やかな香りが漂う。お香にも使われるクスノキだそうだが、匂いのある木は基本的には器に不向き。けれど友里子さんは、「香るお皿があってもいいじゃない」とあえて作品にしたのだそうだ。

 

西石垣友里子

西石垣友里子

 

友里子さんの“楽しい”や“好き”が詰まっているお皿はまだある。それは、友里子さんの木に対する愛情を殊に感じられる皿。それぞれの木としっかり向き合っていることから、その愛情の深さがわかる。木の持つ色や輝きにも敏感だ。

 

「意外と木って色があるんですよね。たまに陶器の鮮やかな釉薬の色に憧れることがあるんですけど、木だってずっと見ていると、ひとつひとつに異なる色があることがわかるんです。それに削りたての時って、刃物が木の繊維を断ち切るので、断面がキラキラするんですよ。工房で一人キラキラしているのを見て、ニタついてます」

 

そのキラキラを楽しむ皿もある。県産木のヤマグルチを使った皿だ。

 

「そのお皿の縁の部分を持って、表面が色々な角度を向くように回してみてください。木の繊維と直交して、サッサッと虎模様に光っているのがわかりますか? それ、“杢(もく)”っていうんです。木が元々持っているもので、光の加減で反射して光るんですよ。同じ木でも杢が入っていないものもあるんです。だから杢が入っているところを選んで器にしています。木の器がお好きな方は、すごく見るところでもありますね。だから、『どや、杢!どやどや!!』と(笑)。ノミで削ってしまうと消えちゃうので、勿体無い。この杢を活かせるデザインにしています」

 

友里子さんはキラキラしているところを見てほしいと(わかりにくいにもかかわらず)、自身のSNSでも自ら皿を回す動画を上げているほどだ。

 

西石垣友里子

 

それぞれの木の持つ美しさを活かす友里子さんだが、その木を選ぶ際には、こだわりがある。それは相思樹や、センダン、イジュ、ウラジロエノキなど、全て沖縄の木であるということ。

 

「沖縄で成長している木は、沖縄の生活に必ず合うはずなんですよね。湿気にも対応してくれますし。“地産地消”っていう言葉がありますけど、その言葉の意味が、ものづくりを通して初めてわかりました。器も地産地消が理にかなっていますよね」

 

友里子さんは、生活の身近なところに木があることを感じてほしいという。自身の作品も、生活の道具だから、大事に戸棚の奥にしまっておくのではなく、頻繁に使って欲しいとも。

 

「『お手入れは難しいよね』ってよく聞かれるんですね。木の器を使うことに抵抗ある方が多いんですけど、このズボラな私が大丈夫なんだから、皆さんも大丈夫ですよって言いたいんですね。でもあくまでも生活の道具なので、『汚れてもいいじゃない』って思うんですね。『汚れたとしても、お皿に美味しい記憶が残っているんで、それはすごくよくないですか?』って言っています。私も、『これ、あの時にアレを食べた時のだよね〜』とか、自分のお皿見て思っていますよ(笑)」

 

西石垣友里子

 

食事がとても好きだという友里子さんらしいアドバイス。友里子さんは、必ずしもきちんと自炊するわけでもなく、購入したものや人の手を頼ることもあるという。「“丁寧な生活”からはかけ離れているんですけど、“自分の好きな生活”ですね」と友里子さん。決して無理をしない、自分らしい自分の好きな生活に、このお皿が彩りを添えてくれる。ただトーストを乗せただけなのに、そのトーストがとても美味しそうに、おしゃれに見える。

 

友里子さんのお皿は、友里子さんがダメな時も、楽しくて作業に没頭している時も、ずっと友里子さんと時間を共にしてきた。ただのトーストも、心が折れるほど落ち込んだ日も、ビールを飲んだくれて眠る日も、堅苦しいことは何も言わずに、ただ温かく受け入れてくれる木の器。たとえ汚れてしまったとしても、「それもいいじゃない」と微笑んでくれる木の器。大らかで、ユーモアがあって、美しい。まるで友里子さんのようなお皿が自分の生活にあれば、その生活はとても楽しくなるに違いない。

 

写真・文/和氣えり(編集部)

 

木工作家 西石垣友里子
https://twitter.com/nishiko10

 

 

<友里子さんの作品を購入できるお店>

RENEMIA
http://www.renemia.com

 

tituti
http://www.tituti.net

 

 

 

<取材協力>
RENEMIA

西石垣友里子

 

TANAKA

ヒルトンコレンテ記念日ものがたり vol.4 工藤ファミリー

 

「息子たちを一人前の大人として扱ってあげたいんです」

 

そんな希望から、ヒルトン沖縄北谷リゾートのイタリアンレストランCORRENTEのディナーを計画したのは、21歳と19歳の二人の息子さんを持つ工藤美香さん。おしゃれで若々しく、大きなお子さんがいらっしゃるようにはとても見えません。息子さんたちもキリリとスーツ姿がキマっていて、三人が並ぶととても華やか。

 

現在、福岡の大学に通うご長男の佑亮(ゆうすけ)さんは、このディナーの特別感を興奮気味に話してくれます。

 

「もう1ヶ月も前から『ヒルトンで食事をするから、スーツを着て帰ってきて』と母に言われていたんです。ホテルでディナーなんてしたことがなかったので、どんな感じなのか想像できなくて(笑)。いつもの帰省にはない、ビックイベントです!」

 

次男の伶緒(れお)さんも続きます。

 

「半年に1度、兄が帰省するたびに、三人で食事へ行くんです。普段は僕のリクエストで、庶民的なハンバーグ屋さんへ行くことが多いですね。今回はいつもと違うので、楽しみです」

 

成人式でもなんでもない時期にも関わらず、息子さんたちの成長を祝いたい理由が美香さんにはありました。二人ともそれぞれが大人として歩み出した今、普段は忙しく一緒に過ごす時間をなかなか持てないからこそ、美味しいものを食べながら、将来のことをゆっくりと話す機会が欲しかったのだそう。

 

ヒルトンコレンテ記念日ものがたり vol.4 工藤ファミリー

ヒルトンコレンテ記念日ものがたり vol.4 工藤ファミリー

 

実は美香さんはシングルマザー。息子さんたちが幼い頃に離婚し、女手一つで子育てをしてきました。今まで苦労がなかったはずがありません。けれど伶緒さんは、明るい口調で言います。

 

「何不自由なく育ててもらいました。シングルマザーだから嫌だと思ったことは、今まで1度もありません」

 

それもそのはず、聞けば聞くほど美香さんの子育てぶりには舌を巻くばかり。中でも驚いたのが、まだ小学生の息子さんたちを連れてのオーストラリアへの留学です。「なんとかなる、行くぞ!」と、2年間滞在したそうで、美香さんはじめ、二人の息子さんも英語が堪能です。

 

美香さんの離婚の際の並々ならぬ覚悟について、佑亮さんが教えてくれます。

 

「離婚した時、母は『絶対後悔させないから。お金がないからって、行きたい塾や習い事を我慢しないで。借金してでもやりたいことを全部やらせてあげるから』って言ってくれたんです」

 

ヒルトンコレンテ記念日ものがたり vol.4 工藤ファミリー

ヒルトンコレンテ記念日ものがたり vol.4 工藤ファミリー

 

その甲斐あって、個性豊かに頼もしく成長した息子さんたち。二人とも今や将来の明るい立派な大学生です。美香さんへの感謝の気持ちを、伶緒さんは少し恥ずかしそうに言葉にします。

 

「母の全部に感謝しています。母は僕の支えで、いてくれるだけで安心できる存在です」

 

佑亮さんは、幼い頃からの変わらぬ思いを話してくれました。

 

「僕は小さい時から、自分が親になるんだったら母みたいな親になりたいと思っています。今日のディナーもそうですけど、母は、自分や弟のことを常に考えてくれているんです」

 

そんな二人には美香さんを喜ばせる親孝行プランがあります。感謝の気持ちの深さが分かる夢のようなプランです。

 

「母がボソッと『老後はオーストラリアに住みたい』って言うんで、それだったら僕と弟で、『オーストラリアに家を建ててあげるくらいしたいね』と言っています。それくらいしないと、これまでしてもらってきたことと割が合わないなと思っているんです(笑)」

 

ヒルトンコレンテ記念日ものがたり vol.4 工藤ファミリー

ヒルトンコレンテ記念日ものがたり vol.4 工藤ファミリー

 

息子さんたちの言葉に、嬉しそうな笑顔を見せる美香さん。美香さんの方もまた、彼らへの感謝の気持ちに溢れています。

 

「この子たちがいい子だったから、私も頑張れたんです。長男の佑亮は思いやりがあって、小学校1,2年の頃から、弟のお迎えに行ったり、自分の部活に連れていったりしてくれていました。高校の時には、自分でお弁当を作って、私をサポートしてくれましたね。次男の伶緒は、ここぞという時に頼りになるんです。近しい親戚が亡くなった時に、泣き崩れる私や佑亮を見て、『車は俺が運転するよ』と涙を見せずにしっかりと病院まで連れていってくれました。病院に着いてから涙を見せていたんです」

 

スーパーウーマンという印象の美香さんですが、これまで息子さんたちに支えられて生きてきたと言います。

 

「昔、私が仕事へ行きたくない、息子も学校へ行きたくないということがあって。『じゃあ、お互い頑張るか!』みたいな感じで、いつも励まし合ってきましたね」

 

ヒルトンコレンテ記念日ものがたり vol.4 工藤ファミリー

 

感慨深い様子で話す美香さんですが、今夜のお祝いの席では、息子さんたちの成長を実感できたそう。

 

「自分が辛い時は、『今きついんだ』とか、息子たちには何でもさらけ出してきました。今夜も私の悩みを話していたら、二人が冷静にアドバイスをしてくれたんです。アドバイスを貰えるなんて思ってなかったので、驚きました。『いつの間にかしっかりして、成長したな』と思いましたね」

 

そんな美香さんの、息子さんたちへの思いは、ケーキに書かれた文字に凝縮されています。

 

“I am proud of you. Thank you for being my son(あなた方は私の誇りです。私の息子でいてくれてありがとう).”

 

写真/桜井哲也 文/和氣えり(編集部)

 

Correte
CORRENTE(イタリアンレストラン コレンテ)
中頭郡北谷町美浜40-1
ヒルトン沖縄北谷リゾート内1階
098-901-1130(直通)
http://hiltonchatan.jp/plans/restaurants/4203

 

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ヒルトンコレンテ記念日ものがたりvol.3

 

「パパ、ママ、10年おめでとう! かんぱ〜い!!」

 

朗らかな声と共にグラスを鳴らすのは、上原さんファミリー。ご主人の司さんと奥様の安美(あみ)さん、そしてかわいい男の子二人の家族みんなで、結婚10年のお祝いをしています。

 

実は上原さんご夫妻、結婚記念日のお祝いをするのは初めて。これまで忙しく、気づいたらその日が過ぎていたことが多かったそう。節目の10年、せっかくだからとびきり美味しいものが食べたいと、ヒルトン沖縄北谷リゾートのイタリアンレストラン、CORRENTEを選びました。

 

ヒルトンコレンテ記念日ものがたりvol.3

 

対面で席についたご夫妻。顔を見合わせながら、この10年の思い出深い出来事を振り返ります。

 

「なんだろ。特に大きなことはなかったよね。大きな怪我や病気もなかったし、波乱万丈ってこともない」

 

なんともひょうひょうとしているお二人。しいて挙げるとすれば、司さんの2度にわたる単身赴任だそう。

 

「1度目は、長男がまだ1歳ぐらいの時。初めてのことばかりで、私はこんなにハアハアしてるのに、主人はウキウキして赴任先の石垣島へ向かったんです。一人での子育てはとても大変でした。特に長男の啓揮(はるき)は、夜は寝ないし、暴れん坊で(笑)」

 

と安美さん。しかし、その約5年後の2度目の赴任の際は、状況が異なったと続けます。

 

「次男の悠揮(ゆうき)も3歳になっていたので、その時はびっくりするくらい平気でした。私の母親とも一緒に4人でキャンプへ行ったり。なんか楽しかったですね」

 

ヒルトンコレンテ記念日ものがたりvol.3

 

一方、対照的な思いを抱くのは司さんです。

 

「2度目の時は仕事が特に忙しかったというのもあるんですけど、なんか精神的にやられました(笑)。子供たちが赤ちゃんの頃は妻にべったりだけど、上の子は6歳になっていたし、触れ合う機会がぐっと増えて、色んな会話もできるようになって。その分、家族になってる感が自分の中にあったんです。家族で楽しくやってる時に、一人離れるのは寂しかったです」

 

その寂しさで、帰って来た頃には別人のような姿に。安美さんが教えてくれます。

 

「半年後に帰ってきた時、体重が12キロも落ちていたんです。病気にでもなったのかと思いました(笑)」

 

身を削るほどの寂しさだったにもかかわらず、赴任中、司さんがご家族と連絡を取るのは3日に1度程度だったとか。

 

「何も連絡がないのであれば、平和に過ごしているんだろうなと。写真を送ってくれていたので、それを眺めて、『元気にしているんだな』って思っていましたね」

 

ヒルトンコレンテ記念日ものがたりvol.3

ヒルトンコレンテ記念日ものがたりvol.3

 

用事がなければ連絡を取らないという、あっさりしている上原夫妻。けれども実は、お互いを信頼し感謝の思いが強いお二人です。安美さんは言います。

 

「主人は、あんまり小さいことを気にしないし、怒ったりすることもそんなにないので、すごく寛容な人だと思います。私を自由にさせてくれるし、ありがたいんです」

 

その言葉を聞いて、司さんは「初めて聞いた」と嬉しそう。司さんも返します。

 

「妻は、僕の忙しさを気遣って、仕事に集中させてくれるんです。育児は大変じゃないですか。僕じゃ、ちょっとやりきれない。大変な分、妻が羽を伸ばしたい時は、そうさせてあげたいです」

 

ヒルトンコレンテ記念日ものがたりvol.3

 

当初、司さんは、夫婦二人で記念日のお祝いをすることを提案されていたそう。けれど安美さんは、せっかくだから息子さん二人にもこの場を経験させたいと、家族4人で来店することにしたのだそう。

 

「いつも外食といえば、子供たちの好きなファミレスとかが多いんです。でも、コース料理が出てくるようなレストランでの食事を、一緒に楽しめたらいいなと思って連れてきました。『あの時ああだった、こうだった』って後々、今夜のことがいっぱい話題に出てくると思うんです」

 

司さんが、今夜の楽しかった様子を伝えてくれます。

 

「家族でこんな素敵なレストランに来れたってことと、お店の雰囲気もあって、みんなテンションあがっちゃって。よくしゃべっていましたね。みんないつもよりおしゃべりだったと思います」

 

みんなで楽しめたのはスタッフの助けもあったと、安美さんは続けます。

 

「スタッフの方が、子供たちにもよく話しかけてくださって、飽きずに食事を楽しんでいましたね。主人もテンションがあがったのか、いつもよりちょっとだけ多くお酒をいただいたんです。立ち上がった時に、足元がふらついてしまって。そしたらスタッフの方がさっと対応して、『大丈夫ですよ。私がお連れしますので』と、お手洗いまで付き添ってくださったんです。とても冷静だなと感心しました」

 

ヒルトンコレンテ記念日ものがたりvol.3

ヒルトンコレンテ記念日ものがたりvol.3

 

いつも行くようなレストランとは違う静かな場所で、子供たちもリラックスして楽しめるかをご夫妻は気にしていたそうですが、コレンテでは取り越し苦労でした。ゆったりとした時間が持てたお陰で、司さんと安美さんは普段思っている素直な気持ちも伝え合うことができました。結婚した当初は、「10年後にはスイート10ダイヤモンドを」というお話もされていたそうですが、安美さんはそれについて笑顔で応えてくれます。

 

「10年って本当にあっという間。まだ10年だし、これからもっと先があると思うし。ダイヤモンドはまだいいかなって」

 

ダイヤモンドより、家族での食事を選ばれた上原ファミリー。今夜のディナーは4人揃っての楽しい思い出として、それぞれの心に刻まれたに違いありません。

 

写真/島袋常貴 文/和氣えり(編集部)

 

Correte
CORRENTE(イタリアンレストラン コレンテ)
中頭郡北谷町美浜40-1
ヒルトン沖縄北谷リゾート内1階
098-901-1130(直通)
http://hiltonchatan.jp/plans/restaurants/4203

 

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チューイチョークHC

 

タルト専門店の “オハコルテ”や、食と住のコンセプトショップ “オハコルテベーカリー”を手がける、チューイチョーク株式会社が、今度はホームセンターを開いた。名前は、“チューイチョーク ホームセンター”。「キッチンからはじまる家づくり」をコンセプトにしたこれまでに無いタイプのホームセンターだ。

 

掲げたコンセプトのとおり、ひときわ目を引くのは重厚な雰囲気のシステムキッチン。前板が、ありがちな木目調のシートではなく、本物の木で作られている。使えば使うほど愛着が湧くに違いない。家具のようだと思ったら、なんと同じ木で、ダイニングテーブルやチェストまである。

 

その他にもキッチンにまつわるアイテムを中心に様々なものが。キッチンガーデンと呼ぶにふさわしいハーブや果物などの食べられる植物。庭のキッチンともいえるバーベキューの道具。もちろん食器や照明器具などの雑貨もある。それに、壁材やタイルなどの建築資材も。そのどれもが、機能性だけでなくデザイン性に優れたものばかり。一般的なホームセンターのイメージとは異なり、見て楽しめるディスプレイもインテリアショップのよう。

 

チューイチョークHC

チューイチョークHC

 

ー なぜホームセンターという住まいのお店をつくったのですか?

 

豊田さん:僕は大学で家具を作ることをやっていたんです。卒業後に沖縄に来て、ずっとインテリアショップをやりたいと思っていて。けどインテリアショップはそれなりの広さの土地が必要だし、当時20代だった僕には難しくて。それで最初、家具屋さんじゃなくて、カフェを始めたんですよ。そこで自分たちが作った家具を置いてたりしていたんです。で、僕が「家具を作ってる」って言うと、内装の仕事が入るようになったんですね。内装ってデザインからするんですけど、その時にお客さんの要望があって、例えば「床はこんなおしゃれなのにしたい」って時に、材料を探すんですけど、まず県内ではないんですね。当時ネットもなかったのでどうしたかというと、雑誌とかを見てそのメーカーさんに連絡してカタログを送ってもらうっていうようなことをしていたんです。内装業をする上で何が大変だったかというと、どの床材にしようかって探して決めて、材料を集めるってことだったんですよ。カタログを見て大量に発注して、いざ送られてきたものを見たら、思っていたイメージと全然違ったり、触った感じが気に入らなかったり。それでまた買い直したりして。沖縄では目で見て実際に触れることができないので、不便だなって。材料調達のサプライヤーがいて、実際に作る人がいて、その両方がいないと成り立たないと思っていたんです。

 

だったら自分が素材を見つけて調達するっていうサプライヤーをして、それと自分がやりたいと思ってたインテリアショップを一緒にすればいいなと思って。自分は、内装屋を15年くらいしてきて、年間10軒15軒ってやってたので、トータル100から200軒くらいの内装をやってきたんです。だからこういう材料だったらこのお店だろうなっていう、材料を買うお店もわかってるし、その後に出てきた僕みたいな内装屋さんにその材料供給ができれば、より沖縄の店舗内装なり住宅の質があがるだろうなって思ったんですよ。

 

チューイチョークHC

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ー 材料調達が難しい内装屋さんの、苦労や手間を手助けするショップなんですね。でも、サプライヤーという面からすれば、内装屋さんに材料を卸す問屋という形でもよかったと思うのですが、一般の人も来られるショップという形にしたのはどうしてですか?

 

豊田さん:今でもそうなんですけど、家や店舗を作りたいっていうお客さんが、駆け込み寺みたいに僕の所にやってくることが多いんです。「今、家を建ててるんだけど、雑誌とか見せて『こんなことやりたい』『あんなことやりたい』って言うんだけど、『それはできない』『やったことがないからダメ』とかって言われちゃったんだけど、本当なんですか?」って。どんなのをやりたいのか写真を見せてもらうと、全然できるじゃんって思うんですよ。だからお店にしたのは、まずお客さんにそういうものがある、こんな風にできるってことを知って欲しかったからなんです。で、理想の形としては、お客さんが設計事務所の人たちをここに連れてきて、「私、これを使いたいの」って言って。そこに僕達みたいな専門のスタッフがいて、「これってどうやって使うんですか?」って聞かれたら、「こうこうこうやって使うんですよ」って設計士に言えば、できないなんてことは言えなくなっちゃう。そういうことをやりたかったんです。

 

チューイチョークHC

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ー 実際に家を持とう、建てようとしている人が、こういうのものがあって、こんな風にできるって知っていると、選択肢が増えて家づくりがより楽しくなりますね。でも、どうして“キッチンから”はじめることを提案されているのですか?

 

豊田さん:最近、僕たち家族はやっと小さいマンションを買ったので、自分達の気に入ったキッチンがあるんですけど、今までずっと賃貸に住んでいたんです。賃貸って結構キッチンがないがしろにされているんですよね。キッチンが気に入る賃貸物件ってないんですよ。妻がすごく料理をするんですけど、料理好きの人、いいキッチンが欲しい人が、経済的理由で賃貸しか借りられないってなると、家を買うまでずっと気に入らないキッチンで料理を作らないといけないわけですよね。そこにすごい違和感があるんです。そういった話を回りにいる人たちにすると、やっぱりキッチンに不満がある人が多いんですね。注文住宅はもちろん、賃貸住宅でも大家さんはまずキッチンから作っていってっていう住環境になったらすごくいいんじゃないかと思うんです。

 

そもそも日本の住宅の作り方って、昔のお勝手文化が抜けてないんですよね。台所ってちょっと離れにあるじゃないですか。台所はリビングとかからちょっと離れてて、隔離されていてもいいもんだっていう昔ながらの感覚が残っていて。そうなるとお料理する人は、誰ともしゃべらないで料理するじゃないですか。友人が言ってたんですけど、「うちに人を呼んでパーティをしたんだけど、キッチンが隔離されてるからゲストと話をすることができない。料理をテーブルに持っていった時にちょっと話して、また台所に戻って料理するって感じ」って。そういう風に不満に思ってる人が多いんじゃないかなと思っていて。旦那さんとか友人とか、人と喋りながら料理できたら、料理ってもっと楽しくなるんじゃないですか。料理が好きな人はもっと料理が好きになるし、苦手な人は紛れるんじゃないかな。だからキッチンは真ん中に置いて、といっても物理的な真ん中じゃなくて、いつもキッチンに人が集まってくるっていう真ん中がいいなって。そこにダイニングもあるしリビングもある、みたいな。

 

里絵子さん:食べるっていうのは生きていくための中心というか。キッチンを大事にすると、暮らしの真ん中が安定すると思うんですよ。今の家は、“ほぼキッチン”みたいな家なんです(笑)。元々3LDKだったんですけど、壁を取っ払って1LDKにして、その1つの部屋はとっても小さくて、ほぼほぼLDKなんです。主婦とかお母さんってずっとキッチンにいることが多いじゃないですか。家族がいるスペースと料理するスペースがなんの隔たりもないので、うちに来た友人は誰もが、すごくいいって言いますよ。特に奥様方は大絶賛なんです(笑)。

 

チューイチョークHC

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ー キッチンを中心に家族が集まってくる家っていいですね。自然とお母さんのお手伝いや、家族間のコミュニケーションも増えそうです。キッチンの位置づけもそうですが、システムキッチン自体にもこだわっていらっしゃっいますね。前板が木材のシステムキッチンが目を惹きます。

 

豊田さん:あのシステムキッチンは、スウェーデンのASKO(アスコ)というメーカーのものなんです。今までは、おしゃれなキッチンが欲しいっていう人の行き場がなかったので、それは自分たちが用意すればいいかなと思ったんですね。実際にキッチンを選ぼうと思った時に、日本の有名メーカーさんのものから選ぶっていう選択肢しかないんですよ。そういうメーカーさんのは、サニタリー性というか、いかにキレイに保てるかっていうのを優先してると思うんですね。そういうメンテナンス性を優先するのか、デザイン性を優先するのか。このキッチンは、素材が木なので、それなりに気を使ってあげなきゃいけないんですけど、メンテナンス性を犠牲にしても、見た目のいいキッチンが欲しいなというお客さんに向けています。

 

里絵子さん:せっかくこだわって家を建てているのに、建築士の方に「じゃキッチンは、有名メーカーさんのショールームに行って、見てきてくださいね」って言われることが多いと思うんです。なんか勿体無いなって。建築士の方は主に建物を見てるので、キッチンは家の一部にしか過ぎないって感じで、現実的にシステムキッチンの提案まではなかなか難しいんですよね。

 

チューイチョークHC

 

ー 本物の木を使っているなんてオシャレですけど、あれをフルオーダーするとなると、心配になるのは費用ですよね。

 

豊田さん:もちろん建築士の方に1からデザインしてもらうとなると、高いですよね。だから大型メーカーさんのを買うか、建築士の方に1からデザインを頼むかしかなかった選択肢の、中間をやりたいなと思っていて。デザイン性を犠牲にしないで、フルオーダーじゃなくてセミオーダーができるというシステムです。セミオーダーなので、図面を変えたり、スペースに合わせてサイズの展開ができるんです。あと色も選べますよ。

 

ー 使い勝手も気になります。

 

豊田さん:お店にあるのはフルスペックなんですけど、これよりもうちょっと小さいのを自宅で第一号として作ったんです。実際に使ってみないと、使い勝手がわからないですからね。デザイン性の他に何が特徴かというと、ガスが日本の一般的なものとは違うんですよ。何年か前に法律が変わって、日本の住宅のガスは、安全装置付きじゃないといけなくなったんです。安全装置って安全ではあるんですけど、例えばとろ火でコトコト煮る料理とかしていると、1時間くらいすると火が自動的にシャットダウンするんです。気がついたら火が消えてて、冷めてるってことがあるんですよ。だから料理する人は嫌ったりするんです、無い方がいいって。でも日本製だと絶対付いてなきゃいけないもので。でも海外製で業務用っていう指定だと、安全装置がいらないんですね。何が業務用にあてはまるのかっていうと、ガスの1口だけでも6.0kWという超火力バーナーがあることなんです。それがあると必然的に業務用とみなされて、安全基準から外れるんですね。あの大きい口のガス、6.0Kwなんですよ。一般家庭用の倍くらいの火力なので、炒め物とかとても美味しくできますよ。僕達夫婦の個人的な憧れのキッチンで、沖縄にこれを入れたかったっていうのもありますね。こだわってキッチンを作ろうっていう流れができたらいいなとも思いますし。

 

チューイチョークHC

チューイチョークHC

 

ー デザインだけでなく、機能も、料理好きの心をくすぐるキッチンですね。他にも様々なアイテムがありますが、どんな基準で選ばれているのですか?

 

豊田さん:1から10まで全部あるっていうと、お客さんも選択しにくいじゃないですか。だからセレクトしていくってことはやってるんですね。一定のクオリティとかデザイン性をクリアしていることが前提なんですけど、経年変化していくものっていうのは1つのテーマとしてあるんです。買った時が一番美しいっていうのは、だんだん古くなっていくだけじゃないですか。そういうものは選ばないようにしています。長く使えて、それでも古くならないものだったり、もしくは古いからこそよくなるもの、使っていればツヤとかが出てきて、よりよくなるものっていうようなものを、意識して選んでいます。

 

ー どんどん味わいが増すとなると使う頻度も倍増しそうで、素敵な価値観ですね。豊田さんご夫婦は、どんな風にセンスを磨いていらっしゃるのですか?

 

里絵子さん:「ここがこうだから、いいよね」みたいなことをお互い喋るのが好きなんです。どこへ行っても、「これ、かわいいよね。プリントが多いからかな」とか、「枠の色がいいいんじゃない」とか。いちいちなんでいいのかを口に出して言うんです。最近は6歳の息子も参加してくるんですよ(笑)。息子にも、「好きなものには必ず理由を見つけて」っていつも言っているんです。自分の判断基準が固まってすぐに判断できるようになれば、新しいものを好きか嫌いかってすぐに決められる。なので、これいいなと思ったら、なんでいいと思ったか考えなさいって。「これ美味しいね」って言ってきたら「なんで?」って。そしたら「トマトの味とクリームが合ってるんだと思う」とか言いますよ(笑)。

 

豊田さん:日々遊びですよね。インテリアショップに行ったり、地方とか海外に建物を見に行ったり、庭だったり、お寺さんを訪れたり。よその国で何か食べてみるとか。その興味が仕事に繋がってるっていうのはありますね。

 

チューイチョークHC

 

ー オハコルテベーカリーがオープンして間もない頃にインタビューをさせていただいた際、「町を作りたい」とおっしゃっていましたが(関連記事: oHacorté Bakery(オハコルテベーカリー)暮らし全部をDIY! 食と住のコンセプトカフェ)、その後その計画はいかがですか?

 

豊田さん:色々動いているところです。このお店も町づくりの一貫です。町の中には家があるし、家の中にはキッチンがあるし。その町の中に賃貸住宅も作りたいと思っているんです。僕達はずっと賃貸に住んでいて、これまで住み手に寄り添っているなと思った家がなかったんですよ。ひたすら探しまくって、しょうがないからここにするかみたいな、いつもそういう選び方だったんです。「この家好き」っていう家は1戸もなかったので、「好き」って言われるようなお家を作れたらいいなと思っています。他にも、シークワーサーを使ったシードルを開発中だったり、農業や酪農なんかも考えていて、色んなことが進行しています。色々とやりたがりではあるのかな。何もしないとつまんなくなっちゃうから。遊びたがりなんでしょうね(笑)。

 

写真・インタビュー/和氣えり(編集部)

 

チューイチョークHC

 

Chewi-Choak Homecenter (チューイチョークホームセンター)
那覇市泉崎1-4-10 3F
(オハコルテベーカリー3Fです)
098-869-8707
open 10:30~19:00
close 水
https://chewi-choak-homecenter.com

 

TANAKA

ヒルトン沖縄北谷リゾートコレンテ

 

「フォアグラってめっちゃ美味しい! 柔らかくって、とろける〜!」
「人生初のシャンパン、う〜ん、大人の味だ〜」

 

少し興奮ぎみに会話を弾ませているのは、フレッシュな3人組。面倒見のいい友香さん、マイペースな実子(まこ)さん、おっとりした和可子さんは、看護学校への入学を機に2年前に知り合ったクラスメイト。ヒルトン沖縄北谷リゾートのイタリアンレストランCORRENTEで、実子さんの二十歳のお誕生日を祝っています。

 

ヒルトン沖縄北谷リゾートコレンテ

 

このお誕生会を企画したのは友香さんです。

 

「二十歳って特別じゃないですか。だから心に残るようなお祝いをしてあげたくて。私は、他の学校に通っていて進路変更をしてきたので、みんなより少し年上なんです。私も二十歳の時に、友人にお祝いしてもらってとっても嬉しかったから」

 

友達思いの友香さんは、普段から頼れるお姉さん的存在なんだそう。和可子さんが教えてくれます。

 

「勉強を教えてもらったりしています。頼れるし、めっちゃ笑ってて明るいので、いつもクラスをまとめてくれるんです」

 

すると少し照れた友香さんも返します。

 

「2人は、私の妹と同い年なこともあって、本当の妹みたいな感じなんです。めっちゃかわいいんですよ。『友香さ〜ん』っていつも寄ってきてくれるから、つい『なぁに〜?』って甘い声出しちゃう(笑)」

 

 

コレンテ

 

那覇に住む3人は帰る方向が一緒のこともあり、自然と仲良くなったそう。普段の生活はとても学生らしいもの。

 

「よく3人で放課後に、近場のラーメン屋さんとかにご飯を食べに行きます。その後、カラオケに行ったり」

 

「おしゃべりをしている時が一番楽しいかな。車の中で学校の話や恋バナしたりして、めっちゃ盛り上がります。よくドライブするんですけど、北谷にもショッピングしに来ますね」

 

北谷まで足を伸ばした際、遠くから見上げていたのはヒルトン沖縄北谷リゾートの建物。

 

「ヒルトンはすごく有名じゃないですか。とってもキレイで高級なところっていうイメージで、憧れのホテルです。周りを回るだけで、今まで入ったことなかったです」

 

ヒルトン沖縄北谷リゾートコレンテ

 

二十歳のお祝いだから、といつもより背伸びをして選んだのがのCORRENTE。シャンパンや、キャビア、フォアグラ、トリュフを口にするのが初めてなら、イタリアンのコース料理だって初めて。そんな初めてづくしの感想を、和可子さんが教えてくれます。

 

「今まで食べたことない世界の珍味とか、見たことのない形のお料理がいっぱいで。メインの牛頬肉は、見た目が牛頬肉じゃなかったです。とうもろこしで作った鳥の巣みたいなものの中にお肉が隠れていて、感動しました。それにデザートのティラミスも美味しかった。口の中でティラミスの味が“再構築”されるんです。スタッフの方がそう教えてくれました(笑)。お皿が運ばれてくるたびに、『わあ!』『すごいっ』『なにこれ?』って反応しちゃうので、スタッフの方も『リアクションがよくて嬉しい』って笑顔で応えてくださいました」

 

food-084USE

 

主役の実子さんが一番印象に残ったのは、サプライズのバースデイケーキでした。

 

「スタッフの方は、ケーキを気付かれないように持ってきてくださるんですね。だから運ばれてくるの、全然わからなくって。目の前にキャンドルの灯ったケーキを差し出された時は、びっくりしちゃって一番大きな声が出ちゃいました。『わああああ!!』って。それに一番好きなチーズケーキだったし。嬉しかったです」

 

好みのケーキで喜ばせたいと前もってチーズケーキをセレクトしたのも、友香さんです。友人を思う優しい気持ちに溢れたバースデイディナーでした。

 

人物写真/安斉勝博 文/和氣えり

 

Correte
CORRENTE(イタリアンレストラン コレンテ)
中頭郡北谷町美浜40-1
ヒルトン沖縄北谷リゾート内1階
098-901-1130(直通)
http://hiltonchatan.jp

 

お祝い記念日ディナーへ、抽選でご招待致します。
http://hiltonchatan.jp/plans/restaurants/4203

 

TANAKA

casa viento

 

畑ばかりが続く道を進み、突如現れたその姿を目にした時は、心が踊った。建物を見てワクワクすることってあまりないのに、思わず子供のような声をあげたほど。ロボットのようにも、羽を大きく広げた鳥のようにも見えるアーチ、積み木のお城のような母屋、赤青黄のフルーツの入ったパウンドケーキのようなドア…。空想の物語に入り込んでしまったよう。

 

個性が突出したアート作品は、奇抜に見えて腰が引けてしまうこともある。けれど伊江島にある宿カーサビエントは、そんなことはない。むしろ心が落ち着くのだ。2階のテラスで本を片手に、どこへも行かずこの宿でのんびり過ごすお客もいると、オーナーの金城和樹さんが教えてくれた。

 

2つとない個性豊かな宿でありながら、心が穏やかになれるのはなぜだろう?

 

casa viento

casa viento

 

「この宿、親父が言うには、がじゅまるの木とか、打ち寄せる波とか、星空とか。そういう島の自然をイメージして作ったそうなんです。オジイのサトウキビ畑をもらって、そこに建てたんですよ」

 

心が落ち着くのは1つに、島の豊かな自然をモチーフに作られているから、と気がついた。その表現の豊かさと、この宿が金城さんのお父様の手作りということにも、驚く。

 

そして2つに、お父様の手作りだからということもあるかもしれない。アーチや塀などはコンクリートでうねるような曲線を描き、そこに色とりどりのタイルやガラス、石などの色んな材質を自由に組み合わせて作っている。その時々のインスピレーションで、趣くままに作ったところもきっとある。そんなお父様の感性を感じることも、落ち着く理由にあるだろう。

 

casa viento

casa viento

 

お父様は、金城さんが小学生の頃から、ここをコツコツと作ってきた。

 

「親父、変わってますけど、そこが面白いっていうか。幼いながらに『すごくワクワクしてやってるな』って思ってましたかね。熱中してる時は、ワクワクというか鬼気迫るような感じもありましたけど。その姿を見てて、すごいって。集中する力っていうのかな、それがすごいんです。かっこよかったですね」

 

伊江島には高校がなく、進学するには島を出なくてはならない。金城さんも高校進学を機に本島へ渡り、その後県立芸大のデザイン科へ進んだ。卒業後は京都でデザインの仕事に就いた。充実した生活を送っていた金城さんだが、伊江島に帰るきっかけとなったのは、お子さんの誕生だった。

 

casa viento

casa viento

宿の裏手にある工房と登り窯。これらもお父様の手作り。

 

「京都では人間関係にも恵まれて、やりたいデザインの仕事をやらせてもらって、すごく楽しいし、やりがいも大きかったです。でも、強制されてないのに、どうしても残業をしてしまうんですよ。クライアントさんから『ちょっとイメージと違うな』と言われたら、悔しいから頑張ってしまうんです。残業やって、家には寝に帰るだけみたいになってしまって。息子が生まれて、そういう働き方を見直していきたいなっていう時に、帰郷したんです」

 

その時に直感で感じたことがあったそう。

 

「こっちに帰ってきて、そしたら全然違う仕事をすることになるだろうけど、その方が妻も僕もお互いの感性を活かせるような展開になるんじゃないかって。その方が楽しいんじゃないかってひらめきのような感じで思いました」

 

広島の出身で大学の同級生だった奥様の瞳さんも、島の豊かな自然や、この宿を気に入っていて、「ここに帰ってきたいね」と意見が一致したのだそう。

 

casa viento

casa viento

 

こうして島にUターンした金城さん一家だったが、当初は島の生活に戸惑いもあったという。

 

「島で生まれたといっても、長年那覇や京都にいたので、最初は『都会だったら、これがあるのに、あれもあるのに』って島に無いものばかりを数えてました。でもだんだん島にしかないものがとっても大切だってことに気がついたんです」

 

金城さんは、島の素晴らしさを話しだすと途端に目が輝き出す。

 

「山があって緑があって、海だって車を走らせればすぐのところにある。風とか草花とか、1日1日違うんですよね。当たり前の事なんでしょうけど、都会にいる時はわからなかった。都会にいた時は、会社に行って働いてって、毎日同じことの繰り返しだと思ってたんです。それが島にいたら、1日1日違う表情だし、違う色をしてる。それを風や緑が教えてくれるんです。今日はこんなだ、こんな花が咲いてきたとか。そういう自然が見せる表情の1つ1つが力をくれるというか。風も、湿った感じだったり、風向きが違ったり、穏やかな日はとても気持ちがいいし、季節が変わっていくのも感じ取れる。素直に風を感じられるんです。そういう場所なんですよね」

 

casa viento

 

casa viento

宿の1階にあるカフェkukumui。ここで使われている陶器は金城さんとお父様の作品で、購入することもできる。宿泊者は、プラス750円で朝食もいただける。

 

遮るものが何もない、自然の風の心地よさ。そよそよと肌をなでる感じが、確かにとても気持ちいい。特にお父様はこの風を気に入っていると、金城さんは話してくれた。

 

「カーサ(casa=家)ビエント(viento=風)って、スペイン語で“風の家”っていう意味なんです。てっぺんにある三角の屋根のところ、親父は“風の塔”って呼んでいるんです。『冷房もついてないし、何するために作ったの』って聞いたら、『瞑想するためだ』って。心を落ち着かせて風を存分に感じられる場所を作りたかったんでしょうね。それに風を通したいって気持ちもあるのか、窓が好きなんですよ。開口部を大きく開けたがるんです。『台風が心配だし、壁にしちゃえば?』って何回か言ったことがあるんですけど、『いや窓にしよう』って(笑)」

 

casa viento

casa viento

 

それから、と金城さんは、島の良さについて続ける。

 

「島の人がみんな温かいんですよね。皆が子供を見守っているっていうか、子供は島の宝だっていうのを皆が思っているんですよね。都会だったら、他の子を叱るとか、呼び捨てにするとかないですよね。ここでは、他のお家の子供でも呼び捨てにするし、叱ったりもするし、褒めたりもする。『〇〇、お前頑張ったんだってなあ』『すごい賞取ったんだってなあ』『すごいなあ』って。昔からそうだったんですけど、それが今も続いてる。子育てするにも最高の島だなと思います」

 

他にも、“村踊り”という国の重要無形民俗文化財に指定された伝統の踊りのことだったり、台風の時に感じた島民のたくましさのことだったり、次々と島の良さを話してくれた。そしてこう付け足した。

 

「こんなに素晴らしい場所で生まれ育ったんだなあって、帰ってくるまで気づけてなかったんですよ。帰ってきてここに住むようになってから、わかりました。こんなやって自分は大きくなったんだなあって。今はどんな都会よりも伊江島が、人も自然も最高だなあって思います」

 

casa viento

casa viento

 

島をこよなく愛する金城さん、もちろんこの宿のことも大好きだ。

 

「親父が作ってきてるのを見てるし、今は僕もここに情熱を注いでいて、メンテナンスや修理もします。だから親子二代でやってるというか、ブレンドされてる感じがするんです。それに目の前にある島のシンボル、タッチューに守ってもらってる感じもするんですよね。お客さんがここでゆっくり過ごして、喜んでくれている顔を見るのも好きだし。色んなものがここにある。一生ここにいるだろうなと思います」

 

お父様が島の自然を表現し、金城さんがその宿を大切に守り続ける。親子二代にわたる島への愛、宿への愛が凝縮している場所だから、お客は心が落ち着くのだなと、3つめの合点がいった。

 

写真・文 和氣えり(編集部)

 

casa viento

 

casa VIENTO(カーサビエント)
国頭郡伊江村字東江549
0980-49-2202
http://casaviento.info/index.html

 

TANAKA

コレンテ プカ様

 

「いつもと違ってドレスアップが、また格段と素敵ですね。今日は、おめでとうございます!」

 

日が落ちて、しっとりとした光が包むイタリアンレストラン。その中に、華やかさでひときわ目を引くご家族が。

 

スタッフが姿を見つけて、すかさず声をかけます。

 

今日は、沖縄出身の奥様あやさんと、アメリカ人のご主人プカさんの17回目の結婚記念日。1997年のハロウインの時期に知り合ったというから、出会って20年目のお祝いでもあるのです。

 

2人は、シャンパンを傾けて乾杯します。20年も経ったことが驚きであるとともに、あっという間だったと語るあやさん。自然と話題は、20年前の出会った頃のことへ。

 

コレンテ プカ様

 

「大学でアメリカに留学したんですけど、貧乏学生だったので、お小遣い稼ぎで日本語を教えていたんです。主人はその生徒の一人だったんです」

 

元々日本好きで、いつか日本に行きたいと思っていたプカさんは、熱心に日本語を学ぶとともに、あやさんへのアピール作戦も始めます。

 

「努力しているところを見せようと頑張った(笑)。持っている日本の本を見せたりね」

 

そうそう、と笑いながらあやさんも続けます。

 

「彼の家に遊びに行ったら、日本語の単語が本棚やテレビ、冷蔵庫にまでペタペタとこれでもかと貼ってあって。日本語のクラスを取っているわけでもないのに、すごいなと関心したんです」

 

プカさんの作戦は大成功で、あやさんはプカさんの努力家なところに惹かれたと言います。あやさんがアメリカでの思い出深いデートを教えてくれました。

 

コレンテ プカ様

コレンテ プカ様

 

「出会ったテキサスに寿司レストランがあって、そこで彼がすご〜く美味しそうにお寿司を食べていて、びっくりしたんです。主人は小さい頃から、お誕生日などの特別な日は日本食をリクエストして、日本食レストランへ行ってたみたいで。私の方が、お寿司をあんまり好きじゃなかったんですよね。彼が本当に美味しそうに食べるものだから、私も試してみようかなって気になって。そしたら、いつの間にかお寿司を好きになっていましたね」

 

日本語や日本食など、日本にまつわることで距離を縮めた二人。結婚後はほどなくして沖縄へ。沖縄での生活はかれこれもう15年に。あやさんのご実家との交流も盛んで、お盆やシーミーなどの行事に家族で参加し、沖縄での生活を楽しんでいる様子です。

 

コレンテ プカ様

 

実はプカファミリー、昨年の結婚記念日のお祝いの席に選んだのもコレンテでした。あやさんは、店内の雰囲気が好みと言います。

 

「スペシャル感があるし、ラグジュアリーな感じが好きですね。昼間はプールを眺められてオープンな感じがしますし、夜は照明が少し落ちてエレガントで、一段と好きなんです」

 

趣味で絵をたしなむプカさんのお気に入りは、料理の盛り付けです。

 

「彩りがキレイで、クリエイティブな感じがする。特にシーザーサラダの盛り付けは、カッコイイ。アートみたい」

 

コレンテ プカ様

 

プカファミリーにとってコレンテは、今夜のような特別な日だけでなく、普段からも通うダイニング。忙しい毎日のリフレッシュによく利用しているそう。

 

「近所に住んでいるので、ちょっと歩いて来れるリゾートですね。バケーションに行ったような気持ちになります。プールランチ(※1)とか、子供達も喜びます。家族みんなの時間が合う土曜の午後とかにさっと1,2時間来て楽しんで、日常に帰るという感じです」とあやさん。

 

「そう、ウイークエンドゲッタウェイ。サンセットが綺麗だし、週末のジャズ(※2)とかいいアイディア」とプカさんも揃えます。

 

普段の日も特別な日も、コレンテを上手に利用しているプカファミリー。リピートするのは、スタッフの心のこもった対応にもあるよう。

 

コレンテ プカ様

コレンテ プカ様

 

「いつも声をかけてくださるスタッフさんがお二人ほどいらっしゃって。いつもは近くなんで、ラフな格好で来たりするんです。けれど今日は、ドレスアップを褒めてくださって。いつも『お越しいただき、ありがとうございます』だけじゃなく、『今日はどんなオケージョンなんですか』とか、とってもフレンドリーに話しかけてくださるんです。何気ない一言と気持ちのよい笑顔に、お仕事以上のものを感じます。だからまた来たくなるんですよね」

 

さて、出会ってから21年目に突入するプカ夫妻。最近軍をリタイヤして、少し時間の余裕のできたプカさんは、今まで十分にできなかったことをしてみたいそう。

 

「これまで忙しく働いてきたけれど、やっと地固めができて、これからがもっと人生を楽しめるステージ。子供たちの習い事や学校の行事にも参加して、子供たちとの時間をもっと大切にしたい」

 

あやさんは、プカさんへの感謝の言葉を口にします。

 

「いつも『大丈夫だよ』って言ってくれるし、何か迷った時には背中を押してくれます。これからはもっとリラックスして、家族みんなで一緒に楽しめていけたらいいですね」

 

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家族のお祝いごとは決まって、家族みんなでお祝いするというプカファミリー。いつもの行きつけのコレンテで、会話も食事もゆっくり楽しめたとか。21年目のよいスタートを切れたようです。

 

*1、*2:夏季限定プランの為、現在は提供していません。

 

写真/大湾朝太郎 文/和氣えり(編集部)

 

Correte
CORRENTE(イタリアンレストラン コレンテ)
中頭郡北谷町美浜40-1
ヒルトン沖縄北谷リゾート内1階
098-901-1130(直通)
http://hiltonchatan.jp

 

お祝い記念日ディナーへ、抽選でご招待致します。
http://hiltonchatan.jp/plans/restaurants/4203

 

TANAKA

plant HOLIC

plant HOLIC

Seasonal Smoothie

 

柔らかな山吹色のplant-HOLICのスムージー。さっぱりと自然な甘さのマンゴーに、ライムやミントのフレッシュな爽やかさが加わる。後からピリリとかすかな辛味がやってきて、その味の組み合わせに驚いた。店主で、ローフードインストラクターの斉田実美さんに伺うと、少しだけハラペーニョを加えているのだとか。少しエキゾチックで大人の“シーズナル(季節の)スムージー”だ。

 

plant-HOLICのスムージーは全部で3種。“グリーンパワースムージー”は、緑黄色野菜や果物、モリンガなどのスーパーフードに、生姜のしゃっきりしたワンポイントで、元気が湧くような味わい。“ラブカカオスムージー”は、自家製アーモンドミルクやローカカオ、ココナッツミルクなどがミックスされ、とびきり美味しいチョコレートを食べているような幸せが広がる。

 

使う野菜や果物は自然栽培のものなど、素材にはとことんこだわっているが、こだわりはそれだけではない。どのスムージーにもそれぞれ個性があって、舌に必ず印象が残る。そして共通するのは、どれもとても美味しいということ。素材の組み合わせ、そのバランスが絶妙なのだ。そんな魅力的なローフードをつくる実美さんに、ローフードとの出会いやその思いについて伺った。

 

plant HOLIC

LOVE Cacao Smoothie(左)、Green Power Smoothie(右)

 

plant HOLIC

 

ーローフードはだいぶ浸透して、スムージーやコールドプレスジュースも一般的になりつつありますね。けれど、お店の中で植物を栽培していて、それをジュースにしていただくというのは初めてです。その植物は何ですか?

 

これは、ウイートグラスと言って、小麦の若葉なんです。小麦って最近グルテンとかで悪者にされがちなんですけど、こういう若い時はグルテンが含まれていないんですよ。代わりにものすごい栄養素が入ってるってことがわかっているんです。しかもそれは若葉の時にしかない特別な栄養素なんですね。人間でも中学から高校くらいの成長期に、一番色んなホルモンが出たりするじゃないですか。いわばそれと同じ状態になるんです。注文が入ってから、この若葉を採取してコールドプレスジュースにして、ショットグラスでお出ししています。何がいいかというと、体全体が元気になるんですよ。お客さんから疲れにくくなったという声を聞くし、ウイートグラスの研究者の一人は、男性なんですけど、なんと80歳でお子さんを授かった方がいるんです! それにウイートグラスを最初に提唱されたアン・ウイングモアという女性は、80代で亡くなっているんですけど、白髪が若い頃の髪色に戻っていたと言われています。究極の若返りドリンクって言われているんです。そういう効果を得るためには、ちゃんとした小麦の種で、ちゃんとした土があってというメソッドに従ってのことなので、種も土ももちろんこだわっています。土は、これはという全国の土屋さんに「植物の堆肥だけの土が欲しい」という手紙を送って。そしたら四国にある土屋さんが、A4の紙2枚分くらいびっしりと土に対する思いを書いて返してくれて。そこから仕入れているんです。

 

plant HOLIC

(写真提供 plant-HOLIC)

 

ーそのような栄養学やメソッドなど、ローフードのイロハはどこで学んだのですか?

 

私は、カリフォル二アにあるリビング・ライト・カリナリー・アート・インスティチュートっていうところで学びました。ローフードの学校としては世界で一番古くて、ローフードの先駆者的な人を沢山排出している学校なんです。学んだのは2010年なんですけど、その学校は単位制で、色んな単位が取れるんです。私は、グルメローフードシェフ、上級栄養学インストラクター、上級ロースイーツクラスなどの単位を取りました。その後1年間でインストラクター資格も取りました。

 

ーなぜアメリカに行ってまでローフードを学ぼうと思ったのですか? ローフードとの出会いは?

 

話せばとても長くて、幼少期の頃からの話になるんですけど、いいですか?(笑) 私、小さい頃から色々考える人で、その中の1つに「なんで世の中には、食べ物がなくて飢えで死んでいく子供達とか、戦争の地域に育った子供達とかがいるんだろう。同じ地球に生まれたのに、どうしてこんなに不公平なんだろう」っていう思いがずっとあったんです。けど大人になって、仕事が忙しくなるにつれ、そんな苦しんでいる子供達のことは忘れていってしまって。世界規模のこういう問題は大きすぎて、私にはどうしようもないよね、しょうがないよねって、時々何かの機会に募金するくらいで、見て見ぬふりをしていたんです。だけど、2007年にある本に出会って…。

 

plant HOLIC

コールドプレスジュース・Rident Juice(左・ビーツ、人参、ウコン、生姜、レモンなど)と、LOVE Your Body juice(右・季節の緑の野菜、セロリ、きゅうり、パクチー、パセリ、生姜、柑橘、レモンなど)

 

ーどんな本に出会ったのですか?

 

“ハチドリのひとしずく〜いま私にできること〜”という本です。南米のアンデス地方の昔話です。どういう内容かというと、ある山で山火事が起きました。鳥たちは我先にと一斉に逃げていくわけですね。で、火事がどんどん大きくなって、森に住む動物達はどうしようどうしようってなってるんです。でも、その上をハチドリの“クリキンディ”が飛んでいて。で、動物達が「クリキンディ、何してるんだ?」って聞くわけですね。するとクリキンディは「水を運んでるんだよ」と。1滴ずつ口ばしに含んで、火の上に落としているんです。ハチドリって世界最小の鳥で、体長6センチくらいなんですよ。すると動物たちは皆笑うんですね。「お前がそんなことして何になるんだ。そんなちっちゃな体で水を1滴ずつ垂らしても、こんな山火事に太刀打ちできるはずないだろ」って。するとクリキンディは、「私は、私にできることをしているだけ」って言うんです。

 

それを読んだ時に、私の魂が震えてしまって。「私はクリキンディになりたい! ならなくっちゃ!!」と思っちゃったんですよ。何のためにもならないかもしれないけど、たとえ1滴でも何か私ができることをすればいいんだと。世の中の問題って大きすぎて、自分が何かしたって無理よって思いがちなんだけれども、私は私にできることをしようって、その時に強く思ったんです。

 

plant HOLIC

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ーそれでどうしたのですか? 何かを始めたのですか?

 

その時にすごく真剣に、私には何ができるんだろうってことを考えたんですね。たまたま一緒に買っていたのが、畜産の問題について書かれている本で。世界全体の穀物生産高っていうのは、実は世界人口の全員分を養える量になっているってことが書かれてあって。だから均等に分配すれば、みんなお腹一杯に食べられるんです。それなのに、なぜ飢餓が減らないのか。なぜ現に飢えて死んでいく子供達がいるのか。それは先進国が消費するお肉、牛や豚とかの飼料として、沢山の穀物が必要だから。他にも、家畜を育てるために使われるエネルギーとか排出物とかが、地球温暖化にもつながっているということを、その本で知るんです。

 

私、それまでお肉大好きだったんです。東京の麻布十番に住んでいたんですけど、十番って焼肉屋さんがいっぱいあるでしょ(笑)。週3くらいで焼肉行ってたんです。でもその本を読んで、動物の尊厳とか考えて。動物にだって人生があるのに、どうして私たちの食べ物になって、劣悪な環境で飼育されなければならないのって。なんか不平等だなって。私、不平等ってとてもイヤみたい(笑)。で、私にできることって何だろうって真剣に考えた結果、お肉を食べることをやめようって。

 

plant HOLIC

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アサイーボール(上)と、カカオボール(下)。いずれも、チアシードやビーポーレン、カカオニブなどスーパーフードたっぷりの自家製グラノーラがトッピングされている。

 

ーでも、焼肉屋さんへのお誘いとかもあるでしょう? きっぱりとお肉を食べないって、できたのですか?

 

決めたその日から全く動じなかったです。焼肉屋さんへ行っても、キャベツをバリバリ食べてたりとか(笑)。自分の問題だったら、例えば私がお医者さんにお肉を食べるのを止められてるとかだったら、食べたいなっていうのがあったかもしれない。けど、世界の子供達のこととか、地球のことだから。クリキンディになろうと思ってのことなので、揺るがなかったです。その日から一口もお肉を食べていないですね。

 

ー素晴らしく意志が強いですね! それから、どうしたのですか?

 

それまでも外資の会社でITの仕事をしてたんですけど、それからヘッドハンティングされて外資の金融の会社に転職したんです。金融に行ったら、資本主義の世界を目の当たりにするわけですよね。その会社は、他の企業からお金を預かって資産運用したりする会社で、その投資先は、兵器を製造することと絡んでる会社だったり。自分の会社がどういうところから利益を得ているのかというと、戦争に使われるものを製造する会社に投資して利益を得ている。そしてそれが自分のお給料になっているんですよね。私って、何のために働いているんだろうって思っちゃったわけですよ。戦争ってなくならないよね。だって投資先の会社はこんなに儲かってるんだもんとか、そういうことを考えたらいたたまれなくなって。その時ちょうど結婚するっていう話があったので、会社辞めて結婚しようって思ったんです。

 

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ランチメニューのベジお寿司。九州産の自然栽培米に黒米を混ぜたすし飯に、様々に味付けされた野菜がたっぷり。ココナッツミルクベースのローソースを添えて。

 

ーでは会社を辞めて、家庭の主婦に?

 

会社を辞めてから時間ができたので、何か自分の興味のあることを習おうと思って。彼のためにもなるし、お料理するのも好きだったので、お料理を習おうと。どうせだったら一流がいいなってことで、フランスに本校がある、とても格式のあるフランス料理の学校へ行こうと思ったんですよ。そしたら入学拒否されて(笑)。「私、お肉食べないんです」って事前に伝えていたら、「お肉食べない人は、味見ができないので無理です」って。じゃあ、私が習える料理って何?ってなった時に、雑誌で見つけたのが、ローフードのお教室だったんです。

 

ーやっとローフードが出てきましたね(笑)。ローフードには、すぐはまったのですか?

 

ローフードマイスターっていう資格も取れるみたいだし、まあいいや行ってみようって、3日間のコースに行ったんですね。行ってみたら、「なんじゃこりゃ! ちょっと面白い!!」って。火を使わないのに色んなことができて、びっくりしたんですよ。でも3日間だけじゃね、わからないことがいっぱいじゃないですか。その当時、先生もあんまりよくわかってなかったんじゃないかな(笑)。ですぐにグーグルをしまくるわけですよ。「世の中でローフードを一番教えてくれるところはどこだ?」って。そしたら、先ほどのカリフォルニアの学校に行き当たって。もうこれに行く!と。

 

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ーそれでアメリカでみっちり勉強されてきたんですね。ローフードを学んで何か変化はありましたか?

 

そこで世界が変わったというか。それまで私は “no meat eater”、お肉を食べない人だったんだけど、そこで初めてビーガンになるんです。それもロービーガンですね。ローフード面白いし、自分の体もどんどんよくなっていくんですよ。それまで生理痛がひどくて、その痛みで戻すくらいだったのが、一切痛みがなくなったし、病気がちだったのに、病気になることもなくなりました。それからマインドがどんどんクリアになっていって、すごくエネルギッシュにもなりましたね。ローフードの良さを知っていって、自分の体でも体感していって、私はこれを伝えなきゃいけないっていう思いにかられるわけですよ。もっとアメリカで学びたくて、結婚なんてしてる場合じゃないって、婚約を解消したんです。

 

ーそうするほど、ローフードは実美さんに衝撃を与えたんですね。学び終えて帰国したんですか?

 

はい。帰ってきてから、東京で忙しくやっていたんですが、家族である飼い犬の健康を振り返る機会をいただいたり色んなことがあって、東京から沖縄にやってきて今に至ります。

 

plant HOLIC

ビーガン、グルテンフリーのマカロン(バニラと麻炭)。卵白、小麦粉を使わずに、マカロンのしっとりとした濃厚な美味しさを表現。

 

ーこの“plant-HOLIC”はオープンしたばかりですが、実美さんは何を伝えたていきたいですか?

 

まずは菜食やローフードって、美味しいんだって思ってもらいたいし、店名の“plant-HOLIC”って、植物中毒って意味だから、植物でどこまでできるのかっていうので、みんなを楽しませたいですね。例えば、乳製品や小麦粉を一切使わないマカロンみたいに「ありえないでしょ」っていう、びっくりするようなものを作っていきたいです。フレンチとかイタリアン食べて「わぁ〜、美味しい!」「すごい!」ってなるみたいに、ローフードで皆をエンターテインしたいし、ハッピーにしたいって思います。そして皆に、ローフードに興味を持ってもらえたらっていうのがありますね。

 

それからただ単に「体にいい食事をしましょう」って言うだけじゃなく、「何が本当に体にいいのか」を考えられる、意識を持つことのできる人が増えればいいなって思います。食材がどこからやってくるのか、この野菜はどうやって作られているのか、世の中のからくりとか、畜産の現状とかを知ってもらって、その上で選択をしてほしいんです。そういう人材を育てたいっていうのもありますね。でも前提として「楽しい」というのが一番で、「私がこう言うからこう」じゃなくて、「そっちの方が楽しいよね」みたいな感じで選択してもらえたらいいですね。

 

ーそれで、カフェの運営だけでなく、月に何度かクラスを開催したり、自然栽培の農園見学ツアーを主催したりして、知るきっかけ作りをされているんですね。でもカフェだけでも忙しいだろうに、どうしてそこまでできるのですか?

 

それはやっぱり、“クリキンディ”になりたいからじゃないですかね。10年前にあの本に出会ってから、何も変わっていないんです。今、私にできることは、お肉を食べないこと、美味しいものをお出しすること、知識を共有すること。それだけ。それで願わくば、少しでも食肉の量を減らす事で、未来の子供達のために地球環境を守ったり、動物の尊厳を守ったりしたいと思うのです。でも基本は、自分が楽しいからやってるんですけどね。

 

写真・インタビュー 和氣えり(編集部)

 

plant HOLIC

 

plant-HOLIC
宜野湾市嘉数4-17-15
080-3626-0880
9:00〜18:00
close 日・月
http://www.plusholic.jp
https://www.facebook.com/plantholic/

 

TANAKA

ryuu

 

一筋縄ではいかないワークショップを開催する雑貨店がある。沖縄の民具を多く扱う “りゅう”だ。およそ月に1度開催されるワークショプ、たとえば月桃でランプシェードを作るそれでは、庭から採取した月桃を繊維状にするところから始める。参加者はそれぞれ、軍手をはめた手にナタを持ち、背丈の高い月桃と格闘。編むに至るまでの準備段階の手間や大変さを思い知ることに。

 

“りゅう”店主 古川順子さんには、その民具を作ることの楽しさだけでなく、大変さをも皆に伝えたいという思いがある。

 

ryuu

 

ー“りゅう”で開催しているワークショップは、どんなものなのですか?

 

順子さん(以下略): 先生が手伝って、短時間でキレイなものを持って帰らせるワークショップじゃないわけ。わりとお客さんに難儀させる。実際自分でやってみたら、熱い、重い、痛いっていうのがあるわけじゃん。そういうことを思い知るためのワークショップなの(笑)。1日では無理で、何日もかけて完成させるワークショップもありますよ。

 

ーどうして難儀をさせるワークショップにしようと思ったのですか?

 

実際にやってみて、『先生! 先生の作品、この値段じゃ安すぎますよ!』ってお客さんに言わせるのが目的なの(笑)。このお店を始める前は、大きな観光施設の体験工房で働いていたんです。そこは時間のない観光客がパッと来て、安い値段で沖縄の伝統工芸に触れる、みたいな感じで。体験が終わって帰る頃には「結構、簡単だったね」って言うお客さんが多いわけ。それ聞いて「上澄みの2%くらいしか体験してないのに」って思っていて。“りゅう”では、そういうのはイヤだなって。もちろん全部の工程をお客さんにしていただくことはできないんだけど、なるべくお客さんが自分の手で難儀して、「プロってこんなに違うんだ」「知ってる気になってたけど、ホントはこんなに苦労してたんだ」とか、「こんなに痛いんだ」「重いんだ」とかそういうのを味わってもらえる場にしたいなって。自分でやってみたら、手間ひまかかるんだってわかる。そうすればこの値段が妥当なんだってことも自ずと認識してもらえるし、本物の値打ちがもっと広まるのかなと思って。もちろん大前提として、ものを手で作り出す楽しさを味わってもらうっていうのはありますよ。

 

ryuu

 

ーこのお店”りゅう”を始められたのも、手作りのものの価値を知ってほしいからですか?

 

その観光施設で働いていた時に、作家さんと知り合う機会が多くて。で話してるうち、作家さんてものすごく営業が苦手で不器用だし、自分が作ったものの「ここがすごい」とかPRするのが下手で(笑)。例えば陶芸の作家さんがやちむん市に出して、お客さんから「お兄さん、これ2つ買うから1,000円まけてよ」とか言われると、言われた通りにまけちゃうの。それ見てて、「こんなに一生懸命作ってるのに、それを伝えないで、なんで簡単に値引きするの?」って思って。もの作りする人の自己PR力のなさに愕然として、というか、これは私の仕事なんじゃないかなと思ったんだよね。こんなに素晴らしいよっていうのを、広めたいと思ったんだよね。

 

ryuu

ryuu

 

ーそれで沖縄の手作りの作品を販売して、なおかつ、体験できるワークショップも開催されているんですね。けれど、本土出身の順子さんが、沖縄の工芸や民具を扱うお店をするのは、抵抗なかったですか?

 

沖縄に住んで12年目なんだけど、たしかに最初の5年くらいは、“古川”っていう名字で「あ、ナイチャー?」とか言われることが多かった。最初に線引きされてるみたいで、「なんでそんなことにこだわるの?」って、ちょっとモヤモヤした時期があったんだよね。そんな時に、沖縄に深く関わってる先輩に聞いてみたの。そしたら「自分は沖縄に関わってきて20年くらい経つんだけど、ウチナーンチュになろうとか、ウチナーンチュになれるって思ったことは1回もないよ。けど、沖縄大好きだから、すぐそばにいる友達として見守ってきたし、これからも見守っていきたい。それに距離があるからこそ、できることがある。順ちゃんも外の人だから沖縄の良さがわかるでしょ。外の人だからできることが、順ちゃんのお役目なんじゃないの」って言ってくれて。そうだよねって。こういう沖縄のいいものをいいってわかるのは、よその人で、私はとってもよくわかる。それが私の武器なのかなと思って。

 

ryuu

ryuu

 

ーいざお店をやってみて、お客からはどんな反応がありましたか?


 

「これって沖縄のものなんですか? これも??」って、沖縄の民具を知らない若い世代の人の驚きの反応があったり。知ってる人は、「これ、オバアの家にあったんだけど、引っ越しの時にどこか行っちゃったんだよね」とか「オバアの家にあって、ホコリまみれになって汚らしかったけど、こんな風に飾れば今でも素敵に使えたんだ」とかの惜しむ声もあって。海外の人なんかは、クバの葉の水汲みを見て、「これ、何するカゴですか?」って。「カゴじゃなくて、水汲みなんですよ」って言うと、「これで水漏れないの? すごい!」って喜んでくれたり。何かしらの反応があって、お店やってよかったなって思います。

 

ーそのクバの水汲みも民具なんですか? そもそも民具って何ですか?

 

私の中の定義では、“沖縄で取れる素材で、手で作られた生活の道具”かな。身近にある素材で、色んな知恵が詰まっているんだよね。例えば沖縄は高温多湿だから、なんでもカビやすいじゃない。そういうのに対応するように、風通しがいいようになってるとか、水に強い素材を使っているとか。今プラスティックとかステンレスの安くて便利な製品がいっぱいあって、一方、民具って、ダサい、古い、高いってものになっちゃって。ここ最近、プラスティックとかが飽和して、ようやく前時代的なものが良かったんじゃないかって見直されてる時期に来てる。けれど作り手がいないんだよね。作り手が減ったから、道具屋さんもいなくなっちゃって。このオジイがいなくなったら、もう誰も作れない、終わりってものがいっぱいあるんです。子や孫も引き継がなかったり。だけど、そこにも県外からの移住組の力があって、よその人から見たらとっても素敵に映るし、難儀しても作ってみたいって人がいて。県内の若い人でも、オジイオバアの作ってたものはすごいんだって気づいて、聞き取りをしながら作り始めた人もいるんだよね。そういう人のものを買い支えなくちゃって思います。

 

ryuu

ryuu

 

ー数が少ない作家さんを、どうやって探しているのですか?

 

ご縁だと思っているから、ピンとくる人がいたり。それからお客さんとか、うちで扱ってる作家さんからの紹介も多いですよ。既に有名な人は私の店で扱う必要はないかなと思っていて。まだ出たてで、どこのお店に卸せばいいのかわからないっていうような未知の人がすごく好きで。例えば、トウヅルモドキのきれいなカゴがあるでしょ。あのカゴ、与那国島で細々と作られてるんだけど、他の店では全然扱われていないもので。与那国に住んでる友人が「順子さん、こんなの好きじゃないですか」って写真送ってきてくれて。「製糖工場で一緒に働いてる友人が作っているんです。製糖の仕事で現金収入を得て、空いた時間にこういうもの作りをしてるんですよ。なかなかよくて、僕もお弁当箱をオーダーしてるんです」って教えてくれたり。

 

ryuu

 

ーそれで与那国まで実際に足を運んで、その作家さんに会ったのですか?

 

もちろん行きましたよ。ここにある全部の作品の作家さんに、実際に会ってます。私みたいな販売をする人が、なんでこんな値段になるのか、どんな思いがあって作品を作っているのかってことを伝える義務があると思うし、それが正しく伝われば、正しい評価を得られるでしょ。「だったらこの値段も納得ですね」って。例えば、芭蕉布なんかは、織り手の人が植物の芭蕉布を育てるところからやってるの。育てて、伐採して、捌いて、糸にして、染めて、機織り機にかけて、織ってって、もう効率の真逆を行ってるわけじゃん。織り手さんが1から10まで手間ひまかけて仕上げるって、例えば「6月にとったあの糸だ」って思いながら織ったりするってことよね。そこにかける思いがあってさ、分業で作ったものと何が違うかって数値には出ないけど、仕上がりとしてはその人の思いがしっかり入ってる。やっぱり違いがあると思うんだよね。私がそういうことを知らないといけないし、みんなにも知ってほしい。だから、現場へ行って作業してるのを見るし、実際にお話して、その作家さんの人柄も感じてみる。で、その人柄とかもお客さんに伝えられたら面白いし。「こんな洒落たの作ってるけど、すごいオッサンなんだよ」とか、「人参が好きでさ」とか、「昔、銀行にいたんだって」とか、「すごく素敵な暮らししてるんだよ」とかね。受賞歴なんかを聞くより、私がお客だったら聞きたいと思うようなことも伝えられたらなと。

 

ryuu

ryuu

 

ー手のぬくもりのようなものを感じる作品ばかりですし、その上、作家さんの苦労や人柄まで知ることができたら、購入したお客もなおさら大切にしますね。

 

この子が売れたら私の収入になるとか、生活できるとかそういうことよりも、ちゃんと大切にしてくれるところへ嫁入りさせたいなというのがあって。だから「お客さんに買わせよう」っていう気はさらさら無いんです。ここにあるちょっとした小さい作品は別だけど、数作れるものじゃないものもある。この子達が自分で行きたいところを探すんだよね。お客さんが選んでるように見えるけど、この子達が「あなたのお家に行きたいです。連れて帰って」って言って、買われていくから。こんな大変な思いをしてこの世に生まれてきたこの子達だから、行きたい所に行かせてあげたいわけよ。だから無理して買ってもらう気は全然なくて、「迷ったら、買わなくていいですよ。迷わない時に来てください」って言ってる(笑)。その時はこの子だって迷いはないからね。「何も買わないでごめんなさい」って気持ちのお客さんがいっぱいいるんだけど、全然そんなのは気にしないでいいんです。

 

ryuu

ryuu

 

ーインターネットで販売しないのも、大切にしてくれる人のところへ行かせたいからですか?

 

そうそう、たまに「インターネットで買えませんか」っていう問い合わせが来るんだけど、私は「ネット販売はしません」って。インターネットだとさ、会えないからどんな人が買うのかわからないじゃない。だからお店に来てもらって、喋って、「こんな人のところに行くんだな」って。どんなところに嫁入りするのか、見届けたいわけよ。「うちの子はどんな人のところに嫁ぐのかしら? ちゃんと大切にしてくれるかしら?」って。そのお客さんが誰かにプレゼントするにしても、「この人のお友達のところに行くんだな」とか。その後、購入したお客さんから、たまに写真とか送られてくるわけよ。「こんな風に使ってます」って。ついこの間も、わらびの楕円の手提げカゴを買った人から写真が送られてきて。「19歳の猫ちゃんのカゴになってます」って。そのカゴ、今年100歳になったオバアが作ったもので、猫も人間でいうと100歳くらいでしょ。「100歳コラボだな」とか思ったりして(笑)。そういう報告がきたら嬉しいじゃん。そういうのがやっぱり喜びかな。

 

ryuu

 

ー来店したお客に記名してもらうノートがありますね。それはどうして?

 

来てくださったお客さんにお年賀状を書いてて。「ご来店ありがとうございました。またのお越しを」だけだとつまんないじゃん。何を購入したとか、ここでどんな話をしたとか、誰と来店したとか、忘れちゃうからちょっとメモしておくの。それで年賀状に「うちのカゴちゃん、元気にしてますか?」とか「あの時のご家族はお元気ですか」とか、「あれは大丈夫ですか。壊れてませんか?」とか一言書くの。そうすると何百人いる中で、1人2人反応してくれるんだよね。「順子さんから『あのカゴは元気ですか』と年賀状をもらって早3ヶ月、ようやく返事が書けます」とかって手紙が来る。「こんな風にしてますよ」とか「お友達にすごく喜んでもらえました」とか。そういうやり取りが好きなんでしょうね。ただ売って売りっぱなしって、寂しいから。

 

ーお客全員に、お茶とちょっとしたお茶菓子を出すのにも驚きました。これも順子さんが寂しいから?(笑)

 

そうそう、私が寂しがり屋だから(笑)。でも、こんなわかりにくいところにある店までわざわざ来てくれたんだからさ、お茶くらい出したいじゃん。買ってもらって包んで「さよなら〜」はないよね。観光客の人だったらさ、その人が興味あることで私が知っていることがあれば、教えてあげたいし。「今夜バーベキューやるから、来ない?」とか、偶然その日に来たお客さんを誘っちゃったり(笑)。たまたま用事がなくて来れちゃうお客さんもいて、そういう人は何か縁があるんだろうなと思う。今会って喋ってバーベキューも一緒にしちゃうって、すごい確率でしょ。何かのお知らせだと思っていて、どんなヒントや気付きがやってくるんだろうって、楽しみになるよね。こういう平凡な毎日を続けてて、“りゅう”って種を蒔いて、水も撒いて、もしかしたら雑草が出ちゃうかもしれないし、蕾までいかないかもしれないけれど、いつか何かの実になるのかなっていうのが楽しみで仕方ない。いい匂いがするのか、食べられるのか、役に立つのか、わからないけどね(笑)。

 

写真・インタビュー 和氣えり(編集部)

 

ryuu

 

りゅう
読谷村古堅191
098-989-4643
9:00〜18:00
close 火・水
https://www.facebook.com/ryuyomitan/

 

TANAKA

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charka

 

「スパイスは0.1グラムの単位で調整しているんです。私たちも作ってみてわかったんですけど、ほんの0.1グラムの差で印象がガラッと変わるんですよね」

 

1枚のその一口に絶妙なバランスを求め作られているクッキーがある。最近、美味しいもの好きの間でちらほらと話題にのぼる“Charka*チャルカ”のクッキーだ。明城啓行(ひろゆき)さんとパートナーの好美さんは、絶妙な加減を見つけるまで決して妥協はしない。好美さんは続けて、そのバランスを見つけた時の喜びを話してくれる。

 

「濃厚スパイスチャイクッキーの“鬼チャイ”は、シナモンやクローブなどの6種類のスパイスを入れているんですけど、もう何度も作り直しました。丁度いいところを見つけるのが大変で。けど何回もやってると、『ここだ』っていうのが意外と決まるんです。その時は嬉しいですね。2人で同時に『来たね、これだね』ってなるんですよ」

 

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濃厚スパイスチャイクッキー“鬼チャイ”

 

0.1グラムの調整をするのは、塩などの調味料もしかり。ただ試作を繰り返すのは、もちろん量の調整のためだけではない。クッキーの歯ごたえ、スパイスや調味料の口当たりなど、微に入り細に入りだ。啓行さんが、その苦労を打ち明ける。

 

「スパイスは、最初大きめで入れてたんですけど、試作してるうち『やっぱり細かい方が美味しいね』ってなって。カルダモンの皮はうまく粉砕できないので、ハサミでチョキチョキしてます(笑)。一番時間をとられてますかね。オールスパイスは、以前は手挽きでやってました。さすがに埒が明かないと今は、ミルを使っていますけど。ホールのスパイスを使った方が、パウダーを使うより、味に良さが出ることが多いんですよね」

 

口当たりを良くしようと、塩はすりこぎで擦って更に細かい粒にしたり、黒糖は1度ふるいにかけるようにしたり。1つのクッキーを生み出すのに、試作は40回を超えることもあるという。「今開発中のクッキー、もう40回以上試作してるのに、まだ思うような食感にならなくて。とりあえず置いといてます(笑)」と啓行さんは苦笑いを浮かべた。

 

charka

塩モリンガクラッカー“モリモリの木”

 

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コーヒー豆&カカオのカフェモカクッキー、“極モカ”

 

手間ひまの甲斐あって、チャルカのクッキーは、バランスがとてもいい。例えば“鬼チャイ”は、6種ものスパイスの加減が絶妙だ。チャイ独特のオリエンタルな香りがふわりと鼻に届くが、嫌味はなくかすかに香る程度。噛むとその粒が歯にあたることもなく、強い刺激がやってくることもない。けれど、しっかりと味のポイントになっていて、有機紅茶に豆乳、有機ジンジャーと相まって、チャイであることをきっちりと主張する。また、塩モリンガクラッカーである“モリモリの木”は、塩とブラックペッパーのきかせ方が丁度よい。味の際立ちに乏しいモリンガを、塩とブラックペッパーで引き締めながら、アクセントも付ける。どれも、シンプルで素朴、飾らないけれど、後を引く美味しさだ。

 

これだけ手間をかける理由を好美さんは、自分たちにはこれくらいしかできないから、と謙遜する。

 

「私、これまでお菓子をあまり作ってこなかったんです。2人ともクッキーなんて、ゼロからのスタートで。巷ではこれだけおいしいお菓子が溢れていて、プロだって山ほどいるじゃないですか。だから自分たちのできることって、無いに等しいくらいなんです。それでも何ができるかといったら、目の前のことに全力を尽くすというか、丁寧に作ることくらいで」

 

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オーツ麦と全粒粉のクッキー、“デコボコ便り”。全粒粉の代わりに玄米粉を使ったものも。

 

2人は、丁寧に作ることをとても大事にしている。根底には、丁寧に暮らしたいという思いがある。好美さんがその思いを話してくれる。

 

「チャルカの原点って、暮らしを丁寧に紡いでいきたいということなんです。お金を稼ぐために外に勤めに行くのもいいんですけど、私たちは、仕事と暮らしの垣根を外したいというのがあって。好きなことをして暮らしていきたいし、その中で生み出されたもので生活していけたらいいなって」

 

2人で暮らしているからこそ、2人で一緒にできることをしていきたい。およそ1年前、啓行さんがモリンガを使った製品の営業の仕事を辞めるタイミングで、好美さんもカフェの勤務を辞め、以前から行きたかったインドへと旅立った。2人で何ができるかを見つける旅でもあった。

 

「一緒に行って、よかったと思いますね。これからの2人の暮らしを作っていくことが大事だって、再確認したというか、同じ方向を向けました。インドの人って、その場を真剣に、今を大事に生きているんです。貧しくても自分たちの暮らしをとにかく楽しんでいて。考えすぎないし、気にしないし、今思ったことを大事にしてる。みんな目がキラキラしてたんですよ。インドの人たちを見て、その時を大事に楽しく生きていけたらいいなと思いました」

 

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ラム&黒糖&塩クッキー、“ほんのり三角関係”

 

インドでは、何をしていくかよりも先に、”チャルカ”という屋号を決めた。インドで見た国旗がきっかけと、啓行さんが教えてくれる。

 

「チャルカって、手回しの糸車なんです。インドでたまたま見た国旗が、真中に丸い法輪じゃなくて、チャルカの絵が描いてあるのがあって。それを見た時に、『何だ、これ?』って。国旗のパロディでも作ったのかなと思ったんですけど、よくよく調べてみたら、歴史的に意味があって。インドが独立する際、どんな国旗がいいかってなった時に、ガンジーの案がチャルカの描かれた国旗だったんです。当時、インドはイギリスに支配されていて、産業革命で便利なものがいっぱい入ってきて。洋服やら食べ物やらも入ってきて、買えるもんだから、インドの人は自分たちで塩も洋服も作れなくなっていったんです。お金を出して買うのは便利だけど、そうではなくて自分達で作ろうってなって。それで独立運動の象徴が、塩作りともう1つがチャルカなんです。その話を知った時に、なんですかね、今の日本と重なって見えたんですよね。日本も利便性を追求して、お金を出せば何でも買える時代になった。けどお金を出せば出すほど、自分たちでできることがどんどん減っている気がして。日本で今必要なのは、まさに手作りをすることなんじゃないかと思ったんです」

 

インドで強く感じたのは、手を使って作ることの大切さ。啓行さんは、言葉を続ける。

 

「たかがクッキーかもしれませんが、手作りであることを大事にしたくて。クッキー以外にも手作りのものを散りばめました。例えばお店のマークは、インドの職人さんに木彫りで手作りしてもらいましたし、消しゴムはんこは、本部町営市場の雑貨屋さん“島しまかいしゃ”さんに作ってもらいました。それに、パッケージに貼ったクッキーの名前は、あえて印刷せずに手書きで1つ1つ僕たちで書いているんです」

 

charka
charka

 

2人とも食に興味があったこと、啓行さんがインドのスパイスが大好きだったことから、スパイスを使って作れるものを、と考えを絞っていった。

 

「でもそれがどうしてクッキーになったのかは、思い出せない(笑)」と、好美さん。帰国して2人でクッキーの開発にあたったが、その際に影響を受けた人がいる。自然療法家の東城百合子さんだ。

 

「東城百合子さんは、かつて沖縄に来て、健康運動として黒パンを広めた人なんですよね。彼女の本を読んで、もう2人で感動しちゃって。色々な自然療法を広めてるんですけど、一番根底にあるのは、心のあり方なんです。心を込める、真心を込めるっていうことを、すごく伝えている人で、料理も手間ひまをかけることが大事って。自分たちが思ってきたことと重なって、とても共感しました。“煎りいり日和”は、東城百合子さんの黒パンがヒントになってできたんです」

 

“煎りいり日和”とは、煎り玄米と煎り全粒粉の黒クッキー。玄米は硬すぎずカリカリとした食感で、噛めば噛むほど甘みと香ばしさが滲み出て、味わい深い。地味ながらも、一番落ち着く味かもしれない。

 

「“煎りいり日和”は、子どもやお年寄りに食べてもらうのをすごく意識して作りました。スパイスの入った“鬼チャイ”や、有機コーヒー豆を使った“極モカ”は、大人向けですけど。最初はもっと硬い食感だったんです。でもおばあちゃんとか食べづらいかなと、ちょっと改良したりもしましたね」

 

charka

煎り玄米と煎り全粒粉の黒クッキー“煎りいり日和”

 

charka

 

色んな年代へ向け、心を込めて手作りをするチャルカのクッキー。好美さんは「試作を繰り返しても、ほんとに出来なさすぎて、自分にがっかりすることもある」と言うが、決してやめようとは思わないそう。

 

「イベントで販売するのって、お客様の声が聞けるじゃないですか。喜んでいる顔を見られるし、自分たちの思いも伝わる。お店を持ってなくても、色んな場所でお客さんに会えるんですよね。繋がった方がまた誰かを繋げてくれて、さらに広がっていくっていうのが楽しいんです。励みにもなりますね。うちで扱わせてもらってる材料の生産者さんのことも知ってもらうきっかけにもなったらいいですね。うちだけでなく、みんなで盛り上がっていけたらいいなと思います」

 

好美さんは、満面の笑顔を見せた。屋号であるインドの糸車、チャルカは、コットンボールから細く長い糸を、ゆっくりと手回しして紡いでいくもの。好美さんと啓行さんは、チャルカという名のクッキーを丁寧に手作りすることで、自分たちの思いを細く長く紡いでいく。紡いだ糸は、多くの人の笑顔を繋げていくに違いない。

 

写真・文 和氣えり(編集部)

 

charka

 

Charka*チャルカ
080-2047-5982
https://www.facebook.com/charkalove/
(イベント出店情報 随時更新)

 

【チャルカのクッキーを買えるお店】
cotan
https://www.cotan-candle.com/
mano
http://mano.moon.bindcloud.jp/index.html
ハッピーモア市場(出張販売)
http://happymore.jp/

TANAKA

ときはや

ときはや

 

無骨ともいえる見た目。ガリッとした硬い表面を歯が突き抜けると、じんわりふっくらとした身にたどり着く。それは、飾り気のない素朴なバゲット。ふわりと鼻に届くのは、燃えた木の匂いや、ほのかな酸っぱさを感じる香り。

 

味の方はというと、これまた香り同様に複雑だ。小麦の味と旨みだけではない、クセと一言で片付けてしまうのはもったいないほどの滋味深さ。いぶされたような味わい。そしてほんの少しの酸味。よくよく味わえば味わうほど、色んな味が舌の上に乗ってくる。

 

そんな深みのあるパンを出すのは、小道の先にひっそりとたたずむ外人住宅のベーカリー、“ときはや”。店主の常盤健治郎さんが、奥深さの理由の1つは野菜由来の酵母にあると教えてくれた。

 

「農薬を使っていない人参とリンゴを使って酵母を起こしているんです。酵母に野菜とか果物を入れて発酵、焼成させると、小麦とはまた違う味がパンに乗るんです。リンゴを入れると、酸味が出やすくなるのかなと思います。それから人参は根菜ですから、根菜特有のアクというかクセもわずかに残りますよね。他の天然酵母より感じやすいかなと思います。でも、何かわからないくらいのちょっとしたクセみたいなものは、日本人は好きなんじゃないかなと思っているんです。例えば、ゴボウのちょっとアクを残した味噌汁の味、美味しくないですか? 旨みとはまた違う、深い味わいがありますよね」

 

ときはや

ときはや

 

奥深さの理由は、まだある。“ときはや”のパンは石窯で焼く。石窯だからこそ出せる味わいがある。

 

「薪を焼くから、もちろん木を燃やした香りがつきますよね。それにバゲットは、石窯の耐火レンガの上に直置きするんです。だいたいパンって、鉄板に乗せて焼くんですけど、石窯だと耐火レンガに直置きするパンが多くて。だからちょっと裏に灰がついたりするんです。パンの底辺の小麦が一番熱い耐火レンガに接するので、パリッとするし、そこに灰もつく。その灰の風味もありますよね」

 

常盤さんは、“毎日食べられるパン”を作りたいという。ただシンプルだから食べ飽きない、というのとはまた違う。“ときはや”のパンは、天然酵母による発酵、薪の火が生み出す力強さ、その火の力を溜め込む石窯など、様々な要素が絡み合ってできあがる。単純じゃないからこそ、飽きずに毎日でも食べたくなるといえるのかもしれない。

 

ときはや

ときはや

 

常盤さんの1日は、早朝4時に始まる。石窯に火を入れることからスタートだ。薪を燃やし続けて石窯に熱を蓄え、その間に寝かせておいた生地の成形をする。火入れから4時間経った午前8時頃、窯の火を消し、パンを焼く作業に入る。最初の生地を焼く時に、窯の状態を見極めるという大事な仕事が待っている。

 

「窯に残った余熱でパンを焼くんですけど、いつもピザから焼くんです。ピザの裏の焼き具合、表の焼き具合、焼きあがった時間、それから自分の手を窯に突っ込んだ時の熱さの感覚で、『今日の窯は、こうだ』っていうのがわかるんです。今日は、こういう感じの窯なんだなっていうのがあるんですね。じゃあこの順番でパンを焼いていこうと決めます。これは毎日違うんですよ」

 

温度計には頼らず、自分の目や肌の感覚を頼りに判断する。その際、気象条件も考慮しなければならない。

 

ときはや

ときはや

 

「前日の気候から影響しますね。前の日が涼しかったりすると、窯や建物の蓄熱が低くなるので、その温度と今日の気温との温度差が出てきますよね。だから前日の気温と今日の気温、他に湿度などの条件が重なって、窯でパンを焼ける時間の長さが変わってくるんです」

 

判断も難しければ、手間もかかる。薪にする木材を集めるのだって、一苦労。何より石窯のある部屋は、火を消してから数時間が経過していても灼熱の暑さで、息をするのも苦しいほど。もっと楽にパンを作りたいとは思わないのだろうか?

 

「大変だという理由で、ガスや電気オーブン使おうとは思えなかったですね。機械に入れてピピピってやって、いつも同じ条件を整えられて、日々誤差の少ないものを提供できる。それは1つの長所ですよね。けれどそこに興味はなかったです。自分が毎日やり続けられるのは、これかな。毎日変化があるのがいい。自分の落ち度に気づくこともあるし、新しい発見もある。何より自分でやっていて、薪で焼くこれが美味しいって思っていますから」

 

ときはや

ときはや

 

常盤さんのこだわりは石窯だけではない。酵母を起こすところからお客の口に入るまでを、自分でやる。自身が作りたいものを作るためだ。

 

「一から始めて、どういうものができあがるかっていうのがすごく楽しいんです。それが一番興味あるかな。パンが出来上がるまで色んな道筋があって、例えば5でちょっとずれたら、7で補正するとか。一から十までのバランスをどうとるかが大事だと思っているので、全部を自分で作りたいんですね」

 

自身で酵母も起こすし、石窯も作った。常盤さんは、子どもの頃から卵からマヨネーズを作ったり、あんこを炊いておはぎを作ったり。最初から作って、料理の化学変化を見てみたいという好奇心や探求心が、常盤さんにはある。

 

そんな常盤さんの心をくすぐったのが、全国に名を轟かすパン屋、宗像堂だ。宗像堂との出会いが、常盤さんをパン職人へと導いた。

 

ときはや

ときはや

 

「僕、大学進学を機に沖縄に来て、琉球大学で海洋生物学を専攻していたんです。最初は水族館の職員になるつもりでした。沖縄に引っ越してきたばかりの頃、たまたまBRUTUS(ブルータス)っていう雑誌を立ち読みしてたら、全国のパン屋さんの特集で宗像堂が載っていて。自分が移り住んだ宜野湾市という場所にそんなパン屋があるんだったら、行ってみようって」

 

試食に出されたバゲットを一口食べただけで、常盤さんはアルバイトを志願。

 

「その場で『ここで働きたい』って言いました(笑)。バゲットを食べて、今まで食べたことない感じだったんです。それまでは駅前にあるようなチェーン店のパリっとしたバゲットしか食べたことがなくて。それとは全く別分野の、どっしりとしたパンにはまったんでしょうね。すごいなと。こういうの作れたら楽しいだろうなと思いました」

 

ときはや

ときはや

店内には、イートインスペースも。

 

常盤さんの突然の申し出に、宗像堂店主の宗像さんはすごく悩まれたそう。修業経験のない初心者であることに加え、常盤さんが言うには「初めての一人暮らしで羽を伸ばし、長髪にピアスをしてチャラチャラとした格好をしていたから(笑)」とのこと。しかし、ちょうど働き手を探していたタイミングもあり、雇ってもらえることに。

 

「もう宗像堂のバイトが楽しくて。どんどんやらせてもらえるようになって、どんどん作れるようにもなって。大学3年の時に、一緒に仕事をしていた方、今読谷で“水円”というパン屋をやってらっしゃいますけど、独立するっていうんで辞められて。それから僕が一任されるようになりました。それくらいの時に、卒業してもここで仕事をしていこうかなと意識し始めて。一切就職活動をしないまま、卒業後も働かせてもらいました」

 

宗像堂では当時、前日から石窯に火入れをするため、夜通し働いていたという。徹夜明けに奥様が出してくれた朝食もまた、常盤さんの心を揺さぶった。

 

ときはや

ときはや

 

「ちゃんといりことかから丁寧にとった出汁の味噌汁が、もう衝撃的で。一から作った旨みってこんなに美味しいんだって思いました。それまで化学調味料の出汁の味噌汁しか飲んだことなかったんですよ。それはそれで美味しいんですけど、一からつくる美味しさとは全然違うなと」

 

宗像堂で様々なことに触発され、常盤さんは宗像堂以外で修業を積むことは考えなかったそう。

 

「宗像堂に出会った時みたいな『絶対ここで働きたい』という衝撃的な出会いが、他にはなかったです。宗像堂のパンは、今でもそうですけど、毎日美味しく食べられるんですよね。動物性の油分が入っていなかったり、発酵がしっかりしていたりとか、そういうこともあるからでしょうけど、毎日食べられるパンが作れるってだけでいいのかなと思いました」

 

常盤さんは初心を忘れないため、宗像堂を見つけた雑誌を今でも大切にとってある。自身もお客も目にすることができるよう、店内の棚に並べている。

 

ときはや

 

十分学ばせてもらったと宗像堂を辞めてからは、バイトと勉強で明け暮れていた大学時代を取り戻すかのように、しばらくは好きなことをして過ごした。海外で生活したり、レストランや野菜の卸しを手伝ったり。色んな経験を糧に、“ときはや”開業の準備に入ったのがおよそ1年前。石窯の設計は大学で学んだ物理を、酵母は卸しの仕事で培った野菜の知識を活かして作った。半年前にオープンしてからは、ずっと作ってみたいと思ってきたパンを夢中で作ってきたという。「自分が今持っているもの、条件で、一番美味しいものを作りたい」と、常盤さんは奮闘している。

 

「いまだに自分の作った窯を使い切れていないっていうのがあるんですよ。宗像さんには『自分の窯には自分の特性があるから、ゆっくり自分の特性を見極めなさい』って言ってもらっています。その特性を掴むまで、まだまだ経験が必要で発展途上の段階です。今後、お客さんの声を聞きながら、“ときはや”だったらこのパンだよねっていうパンができるといいなと思いますね」

 

写真・文 和氣えり(編集部)

 

ときはや

 

ときはや
北中城村瑞慶覧531
098-959-5450
open 11:00〜18:00
close 日・月
https://www.facebook.com/石窯パン処-ときはや-tokiwaya-bakery-586996254817653/

 

TANAKA

SOBA EIBUN

SOBA EIBUN

特製ジュレぶっかけまぜそば

 

おもしろいメニューばかりが並ぶ沖縄そば店がある。昨年(2016年)オープンしたばかりのSOBA EIBUNだ。生卵がのっていたり、普通は茶色い軟骨ソーキが白かったりで、沖縄そばの枠を思い切り飛び出している。盛りつけは豪快で、麺が具に隠されてよく見えないものまで。

 

そんな中にあってひときわ斬新なのが、“特製ジュレぶっかけまぜそば”。沖縄そばを冷製にするのかと驚く。プルプルとして見た目も涼やかなスープのジュレが、コシの強い生麺によくからむ。少し濃い目に味付けされた煮豚が味を引き締め、たっぷりの白ごまやネギ、海苔が香りをプラスする。暑さで少し食欲が落ちている時でも、ペロッといける。

 

SOBA EIBUN

醤油煮の軟骨や炙り軟骨など、4種類のお肉がのる”BUNBUNBUNそば”。肉に隠れて麺がほとんど見えない。

 

SOBA EIBUNのそばは、どれもこれもが独創性に富んでいる。でもそのアレンジのおもしろさとは裏腹に、スープはとても上品なのだ。あっさりと優しく、コクや深みもしっかりとある。店主の中村栄文さんは、一番のこだわりは出汁だと胸を張る。

 

「基本のスープだけはしっかり作ろうと。飲み干せるスープを目指しています。豚ガラは、煮立たせずに弱火でコトコトと脂を取りながらじっくり8時間ほどかけて煮出しています。カツオと昆布は、和食の一番だしの取り方ですね。カツオ節は最後にたっぷり入れて、エグミが出ないうちにさっと引き上げるんです」

 

EIBUNのおもしろいそばは、基本の美味しい出汁があってこそ。中村さんには、沖縄そばをおもしろくしたい理由がある。

 

SOBA EIBUN

牛もやしそば。店主の中村栄文さんは「北部にある“前田食堂”へのオマージュです」と言ってはばからない。牛もやしの山が本家に負けず劣らずこんもり。シャキシャキと歯ごたえの残るもやしとニラ、柔らかな牛肉は、たっぷりの黒胡椒でとてもスパイシー。

 

「沖縄そばをもっと皆に知ってほしいんです。とっつきやすくしたいし、興味を持ってもらいたい。それには見た目にインパクトがあって『写真を撮りたい』って思ってもらえるようなものにしたいです。よく観光客の方が『ソーキそばって、沖縄そばですよね?』って言うんですけど、そのフレーズを少しでもなくしたいなと」

 

沖縄そば愛に溢れる中村さんだが、元々すごく好きというわけではなかった。岩手県出身の中村さんが、沖縄そばの店を出したのは、海外でも勝負できるものを探して行き着いてのことだった。

 

「海外が好きで、海外で働きたかったから、外国の地でウケるものを探していたんです。たまたま僕の友人の奥さんが沖縄出身の方で、内地にいるときに沖縄そばのことを聞いて。『沖縄には沖縄そばの専門店が数百とあるんだよ』って。それを聞いてびっくりしたんですよ。沖縄に行ったことなくて、沖縄そばは沖縄料理のひとつくらいにしか思ってなくて。内地にある沖縄料理屋さんでは、沖縄そばも食べられるじゃないですか。沖縄でもそんな感じだと思ってたんですよ。沖縄でそれだけの専門店があるなら、内地で言うラーメンみたいなものじゃないかと。日本のラーメン屋とかうどん、日本そば屋は海外で既にあるけど、沖縄そば屋ならイケるんじゃないかと」

 

SOBA EIBUN

 

それまで沖縄そばを食べたことがなかったというのに、大きな可能性を感じて、沖縄に住むと即決した。

 

「沖縄に住んで1年目はどこかで働きながら沖縄そばを食べ歩いて、2,3年目にどこかのお店で修業して、4年目くらいに沖縄で出店しようと考えていました。まずは数ヶ月間食べ歩いてみて、期待ほどでもなかったら帰ろうかな、くらいに思っていたんですけどね」

 

食べ歩きをしてみて、中村さんはさらに心をつかまれた。理由は、その地域性。

 

「1年の間に、離島も含めて100軒くらい食べ歩いて、今までに400軒くらいは回りました。最初の10軒くらいですぐに、『これ、おもしろいわ!』と思いましたね。島や地域によって、こんなに違うんだと。一番違うのは麺じゃないですかね。八重山は丸い麺だし、首里は首里そばが特徴的で、細麺でコシのある感じ。那覇だと、宮古系でちょっとだけ太い麺になって、北部はわかりやすく平麺。スープだって地域によって特色がありますよね。カツオが強いところとか、豚出汁を効かせるところとか。ちょうどほんとにラーメンみたいだなと思ったんです。ラーメンも地域によって違うじゃないですか。北海道の味噌ラーメンがあったり、九州の豚骨ラーメンがあったり。ラーメンでは日本全国に渡る違いが、沖縄そばの場合は1つの県でこんなに違う。沖縄そばは、ラーメンの縮図だと思ったんですよ」

 

SOBA EIBUN

 

そもそも中村さんは、幼い頃から料理をするのがとても好きだったという。

 

「中学生の頃に“料理の鉄人”が始まって、『道場六三郎、かっけー!!』とか思ってましたね。読む漫画も料理のものばかりで、迷わず料理の道に進みました」

 

18歳で上京して、東京のフランス料理店に就職。けれどそこで待ち受けていたのは、とても厳しい修業だった。

 

「朝4時か5時に築地に行って仕入れして。1日仕事をして店の閉店後は、ワインの勉強して。睡眠時間がほとんどなくて、辛かったです。イヤになってしまって、3年で辞めてしまいました。挫折したんです」

 

もう料理はやめようと、別の世界を渡り歩いた。興味のあったアパレルの仕事に就いたり、かと思えば電車でサラリーマンを見て「スーツを着たくなった」と、サラリーマンになったり。転機は、会社員として東南アジアの国々を転々としていたとき。

 

「海外に住んでいると『ご飯て大事だな』と強く思わされるんですよ。食あたりで入院して死にそうになったこともありますし、“日本食レストラン”て書いてあるから入ったら『これ、日本食じゃない!』ってこともあったし。今まで食べたことないものを食べて『こんなに美味しいんだ』って驚かされることもあったし。ご飯に対して思うことが多くて、食に対する欲求が呼び戻されたというか。10年後にどうしていたいかなと思った時に、やっぱり料理の仕事をしていたいなと思ったんですよね」

 

SOBA EIBUN

 

シンガポールへの転勤が決まり、ビザの関係でたまたま岩手の実家に戻っていたとき、東北大震災に遭った。壊滅的な被害を受けて、その赴任を取りやめる。しばらくは故郷で復興のボランティアをして過ごしていたが、そんな頃に沖縄そばの話を耳にした。沖縄へ移住して2年目からは、恩納村の有名店“なかむらそば”で修業を積み、その後、当初の予定からは少し遅れはしたものの、念願のSOBA EIBUNをオープン。目指したのは、“女性が一人でも入りやすい沖縄そば屋”だ。

 

「2年半ほど沖縄そば屋で修業していましたが、修業していた店でも、食べ歩いた店でも、女性が一人で来店するってあんまりなかったんですよね。いわゆる沖縄そば屋の雰囲気だと、ちょっと入りづらいのかなと。でも女性だって絶対沖縄そばが好きだろうって。女性のお一人様のニーズを掘り起こせればいいなと思いました」

 

一見沖縄そば屋と思えないようなおしゃれな店構えにして、カウンター席を多めにした。中村さんの狙いは的中し、女性の一人客も多く訪れるという。「2時とか3時のお客のまばらな時間に、女性が一人でふらっと食べに来てくれたりして。そういうの見ると嬉しいんですよね」と、満面の笑みを浮かべた。

 

SOBA EIBUN

 

中村さんは、今も常に新しくておもしろい沖縄そばを考案中だ。

 

「沖縄の車海老を使ってパクチーをトッピングするそばや、故郷の三陸のホタテを使ったそばなんかを考えています。トッピングにも凝っていきたいですよね。宮古島のおそば屋さんや食堂には、テーブルにSBのカレー粉が置いてあるんですよ。“味変”ですよね。あれに衝撃を受けて。それに習って沖縄そばに合うの“そばマサラ”を作ってもらおうと思っているんです。スパイスでカレーの素みたいなものですね。他にも八重山のピパーチを使ったり、オリジナルの辛いスパイスを作ったり。味変でも遊んでいきたいですね」

 

沖縄そばをより多くの人に知ってもらいたい。中村さんの夢は大きい。

 

「何十年か後には、ニューヨークやパリに沖縄そばのお店を出して、『ニューヨークやパリで、沖縄そばが流行ってる』って逆輸入する感じで、東京に持ってこれたら最高ですね! 今、沖縄から東京に持っていっても、いまいちインパクトに欠けるでしょ。だからそれくらいやらないと(笑)」

 

写真・文 和氣えり(編集部)

 

SOBA EIBUN

 

SOBA EIBUN
那覇市壷屋1-5-14
098-914-3882
11:30〜18:00
close 水・隔週の木
https://www.facebook.com/NahaOkinawasoba/?fref=ts

 

TANAKA

mofgmona

 

「お店を作る時、発想の拠り所にしたのは、自分の生れ育った場所の空気感でした。赤瓦の家のような沖縄らしい雰囲気にも憧れがあったのですが、嘘がないようベースは自分自身の記憶にしました」

 

オープンしてからすでに15年も経つ、カフェの草分け的存在であるモフモナ。こんなにも長く続いているのは、そこに“嘘がない”からかもしれない。店主 前嶋剛さんの原点となった場所の空気感を表現しているのだから、嘘になりようがない。

 

「実家は東京の郊外なんですが、都心のベッドタウンで住宅地の中に畑が残っていて、まだ牛を飼っている家があったりして、のどかな雰囲気もありました。同時に都心に通う人たちの戸建ての家や団地ができて、どんどん人口が増えていった、そんな場所でした。父は舞台俳優、母は保育士の共働きで、お金はないけどいろいろ工夫して家具や家の壁なんかを手作りしてましたね。東京は沖縄に比べると日が落ちるのが早くて。暗くなるまで遊んでました。夏はすごく蒸し暑い。冬は雪も降るしすごく寒い。庭先にできた氷を蹴とばしながら登校してました。早く暮れる夕方の光や、風に揺れる高い杉の木、道に落ちた銀杏の匂い。白熱灯の灯り、電車で都心から帰ってくる大人の雰囲気。そんな雑多な子供の頃の記憶を思い出しながら店を作りました」

 

「ただ、そういう曖昧な記憶全部をお店に出すと統一感がなくなってしまう気がしたので、キーワードを決めて、そのワードに一致する要素を抽出するように店づくりをしました。子供のころからなぜか好きだった“小屋”、“屋根裏部屋”、“古い図書館”がそのときに決めたキーワードでした」

 

店に入ってすぐ目につくのは、中央を陣取る、はしごのかかった木組みの場所。そこはほの暗くて、狭くて、まるで秘密基地みたい。その棚には、宝物にしたくなるような選りすぐりの雑貨や、誰かさんが大切に読んだであろう少し古びた本が並ぶ。なるほど屋根裏部屋のような図書館のような懐かしみを感じる場所。

 

mofgmona

 

そこに並べる器などの選び方も、”嘘のない”ことを大事にする前嶋さんらしさがある。

 

「あくまでも自分の好き嫌いだけで選ぶようにしています。誰かのためとか、おこがましいのですが沖縄の工芸、美術界のためにとか思い始めちゃうと、違ってきてしまう気がするので。まあこんな小さな店に誰もそれを求めてはいないと思いますが(笑)。自分がその作品が本当に好きという気持ちさえあれば、その選び方がどんなに拙かったり、的外れだったりしても、嘘にはならないだろうなと思って。オープンしてからずっと、この作家さんのこういうところが好きってことだけには、責任を持てますね(笑)。こちらがそういう気持ちでやっているからこそ、お客さんが選んでくれたときに、本当にうれしいし、やりがいが感じられるのだと思います」

 

モフモナは、前嶋さんの幼い頃からの記憶や、好きなものが詰まっているお店。店の中央に本を集めたのも、前嶋さんがカフェで過ごした経験に基づいてのこと。

 

「自分もカフェに読書や仕事なんかで長居するとき、身体的にも思考的にもちょっと立ち上がって気分転換したい時があるんです。そういう時に何もない店だと、少し緊張してしまいます。気が小さいもので。本棚があれば、それを理由に自然に立ち上がって過ごすことができますよね。それに本棚の良いところは、たまたま目についた本を適当にめくったら、その時の自分にフィットするような言葉や写真に出会えたりすることだとも思います」

 

mofgmona

 

よく通っていたのは、チェーン店ではなく個人が営む喫茶店だった。

 

「僕が高校生のときはまだ”カフェ”というのが無かったと思うのですが、個人の店主さんの素敵なお店はありました。今でもそうですが、自分が好きな店は、店主の思い込みみたいなものが感じられる店です。良いとか悪いではなく、ここの店主はこういうのが好きなんだなと感じさせてくれる店です。それを表現しているような店は、たとえ自分の趣味とは合わなくてもやはり好きでした。たいてい行くのは一人。高校生の頃は、学校さぼって、そこで本を読んだりしていました。進学校に通っていたので、自分以外のクラスのほぼ全員が大学へ 進学するという感じだったんですけど、その時は何を勉強しにどの大学に行けばいいのかわからなくて。通ってた高校と最寄り駅の間にあった小さな喫茶店に一番行ってたかもしれません。あとは、何かを探してただ歩き回って、疲れて気になった店に入る、ということをしてましたね。 きっと、休むだけでなく、考え事をする場が必要だったんだと思います」

 

クラスメイトと離れ一人になって、ああでもないこうでも ないと自身の将来について思いを巡らせていた日々。その頃の喫茶店での経験が、モフモナのコンセプトにもなっている。

 

「男性が一人で来ても長居できる店です。どれだけ長居しても、コーヒー1杯でオープンからクローズまで別にいてもいいよっていうスタンスです。自分が好きだったお店が そうだったように、その人の何かがひとつ先に進むような、何か。本だったり、料理だったり、音楽だったり、器だったり。そういうので何かに気づいて、次に行くことができるきっかけ、少しの刺激になったらうれしいなと思っています。まあ、性別や年齢に関係なく、ちょっと前に進みたいときに、こういう場所が必要なんじゃないかと思っています」

 

前嶋さんの言う通り、モフモナはいつまでも居たくなるお店。隣の席が気にならないほど十分なスペースがあるし、電球のぼうっとした光が優しく明るすぎることはない。耳に届くのは、重厚感のある心地よい音楽。他人の目を気にせずに、ぼーっと考えごとをしたり、集中して仕事をしたり、心ゆくまで好きな本を楽しんだり。各々が思いのままに過ごすことができる。

 

mofgmona

 

気ままに過ごせるモフモナは、前嶋さんが大学院生の時に誕生した。大学の同級生3人で始めたのだという。

 

「僕の今の奥さんで当時彼女だった桃恵(ももえ)と、友人のフナちゃんという女の子とでmofgmonaを作りました。大学1年生の時から3人で外人住宅をシェアしていました。一緒に住み始めたのは3人なんですが、多い時は6人くらい一緒に住んでいて。独立した個室と共有の大きなキッチンとリビングあって、人が沢山来る家でした。友人がよく遊びに来るから、料理を作ったりお茶を出したりするのが日常でした。もちろんお金はあまりないんですが材料代をみんなで出して、パスタだったり、ちょっと手の込んだカレーだったり、チャンプルーだったり、ラフテー煮たりとか。料理好きの友人たちと工夫して作ってました。料理を作ってもてなすのは好きでしたね。『美味しい』って食べてもらえるのは嬉しいことで、それは今とあまり変わらないです」

 

卒業後3人はそれぞれ、研究の道に進み、または社会に出た。皆が少し行き詰まりを感じていた頃、ある夜その家で飲みながら話しが盛り上がりカフェオープンの道へ邁進することに。

 

「いつもうちに来てご飯食べてる友人達から、お金取ったら暮らしていけるんじゃないかって(笑)。“カフェ”というものにこだわってはいませんでしたが、やりたいものの形を具体的に相談していくと“カフェ”になっていったという感じですね。コーヒーもお酒も飲めて、食事もできる。自分たちがあったら嬉しいという店をしよう、と。なぜか、自分たちがやれば、どこにもない素晴らしいものができるという根拠のない自信がありましたね。完全に若気の至りなんですけど(笑)」

 

長方形と三角形をくっつけたような変な形のこの場所を気に入り、その上大家さんが「好きに改装していい」 と言ってくれた。「ここだったら好きなことができそうだ」とこの場所に決めた。店名は、3人の名前から作ることに。英字表記した時の“g”は、前嶋さんの名前、剛(ごう)から。柔らかい響きが壊れてしまわないように、音に出さないことにした。

 

mofgmona

 

15年経った今でも、店のコンセプトや、好きなものだけを 集めることは変わっていない。変わったことといえば、スタッフへの接し方。

 

「最初は、スタッフに対して相当細かいところまで口出ししていました。料理の味付け一つとっても細かく、『この味じゃないよ』って言い続けて、それに近づけるようにやってもらってましたね。料理だけじゃなく、接客から掃除から何から全部言ってました。その時はそうするのがいいと思っていたというより、そうすることしかできなかったのかもしれません。僕にとっては個人的な思いを表現する場所としての店なので。でも10年経った頃、このやり方は『もう十分やった』と思っていいんじゃないかと思ったんです。自分自身に満足できたというか、店をさらに良くするために、もっと違うスタイルを試してみよう、と思い始めて。初期の頃からずっと良いスタッフに恵まれて、彼らから刺激をもらっていた10年の経験があったので、今のスタッフにもっと自由にやってもらいたいっていう気持ちになったんですね」

 

今は、スタッフを信頼して自由度の高い店づくりを模索している。

 

「何でも決めすぎないで伸び伸びとした気持ちでやってもらった方がいいんだなって、気づいたんですよね。これは料理をしていれば当たり前のことなんですが、野菜とか食材って、その時その時で全然違うもので、そういうことは、自分の感性で柔軟にやっていかないと伸びていかない部分だと思います。目の前の食材を一番おいしく料理するにはどうすべきかを自分で悩めるスタッフでいてほしいんです。ある程度経験を積んだら、早い段階でそうさせるように考えています」

 

「また、スタッフには個性があって、例えば仕事はそれほど早くないけど、伸び伸びとした気持ちでお客さんに接すると、とても気持ちの良い接客をしてくれるなとか、この人がコーヒーを配膳するととても美しく見える位置に置くな、とか。自分でも気づいてないであろう小さな個性、才能がたくさんあるように思います。お客さんに『来てよかった』と喜んでもらえるのであれば、どういう風にそうさせるかは、自分で考えてもらえればいいんだと。そうするとスタッフは『自分がお客さんを喜ばせることができた』と実感するんですよね。その経験を糧にして、そういう経験を積み重ねることで、どんどんよくなっていくのではと思います。まずはmofgmonaとしての基本的なことを伝えていって、あとはそれをベースにそれぞれが考える。僕は『お客さんが喜んでくれたんだから、それで大丈夫だよ』って言ってあげるくらいが理想です。とは言え、やはりこの店は今でも僕にとっては自己表現で、年月とともに目指す形が変わってきたということなのかもしれません」

 

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mofgmona

 

その言葉通りモフモナの料理メニューは、それぞれのスタッフによって自身の感性を大事に調理されている。人気の“ごはんプレート”は、野菜たっぷりでヘルシーな上、メインのお肉料理も十分に食べごたえがあり、男性でも満足できる内容。幾種のおかずのどの味付けにも珍しさや工夫があり、楽しくて食べ飽きることがない。調理担当スタッフ 岸田ちひろさんに説明してもらう。

 

「沢山お野菜を入れるということと、お家ではなかなかできない、お店でしか食べられないようなハーブづかいをしようと思っています。今日のメインは県産豚のコンフィで、豚をフーチバーと一緒に低温の油で煮ています。ソースは、ヨーグルトソースで、コリアンダーをきかせてますね。それからごぼうは、すりおろしたうっちんで炒めているんですよ。フーチバーやうっちんは、ちょっと苦手な人も多いと思うんです。けど沖縄の身近な食材ですし、こうやったら美味しく食べられますよとか、そういう楽しさを表現できたらいいなと思っています」

 

mofgmona

mofgmona

 

また、パウンドケーキの“県産タンカンのカトルカール”は、タンカンの香りがぶわっと鼻に抜け、その爽やかさを存分に味わうことができる。香り高い秘密は、スイーツ担当スタッフ 名嘉絵理さんの、手の込んだ下準備があってこそ。  

 

「タンカンは身の部分と皮の部分を分けて調理しています。身は取り出して、きび砂糖と一緒に軽く煮てジャムにしてから生地に混ぜています。皮は、細切りにして何回か茹でて、アクやエグミ、苦味を取り除いた後、砂糖と軽く煮詰めてますね。生地が焼きあがったら、タンカンのシロップを生地に染み込ませているんですよ。カトルカールは、小麦粉、バター、卵、砂糖を、全分量の4分の1ずつ入れたパウンドケーキのことなんですけど、私なりに量を調整したり、季節ごとに中に入れる果物の使い方などアレンジをしています」

 

印象に残ったのは、2人のスタッフがそれぞれ、自身の調理に自信を持っているということ。「こうしたい」や、 「自分でこんなアレンジをしています」ということを、はっきりと伝えてくれる。前嶋さんはそんなスタッフを信頼しており、今では料理やケーキの新しいレシピ作りも任せている。

 

mofgmona

 

変わったことがあれば、15年前から変わっていないこともある。未だに課題も多いという。全てひっくるめて、前嶋さんは今にとても満足しているようだ。

 

「今後、特にどうしたいってことはないですかね。何か課題があるのは常にそうなので。その時その時で、僕ら夫婦だけでなく、スタッフとお客さんが作っていってくれるのがmofgmonaだと思っていますので。その時に店にいるお客さんやスタッフが、できるだけ心地よくいてくれたらいいですね。まだまだ15年という気持ちでもあるので、僕はモフモナをやりながらもいろいろな冒険をして、それをモフモナという場に還元しながら成長していきたいです。あとは、今までのmofgmonaのスタッフ経験者が多くの素晴らしい店を作っていますので、今いるスタッフ達の背中も押せるような存在でいたいな思います」  

 

前嶋さんがモフモナで一番気に入っているのは、“流れている時間”という。15年の間に色んなことがあって、そんなことが全部詰まっての今ここでの時間。嘘のない空間でお客が心からくつろげるのは、歴史の詰まった味わい深い時間がゆったりと流れているからに違いない。

 

mofgmona

 

mofgmona(モフモナ)

 

宜野湾市宜野湾2-1-29 1F
098-893-7303
close 火
http://www.mofgmona.com

 

TANAKA

vongo&anchor
vongo&anchor

 

古くて味わいのある木材のテーブル、錆びた色の美しいアイアンのチェアー。天井には木製のカヌーが吊り下げられランプを覆い、ドライにされたユーカリがなお渋みを加える。この、どこを切り取っても絵になる空間は、北谷町美浜の海を臨む場所にあるカフェ、VONGO & ANCHOR(ボンゴ・アンド・アンカー)。まるで海外のビーチリゾートにいるような気分になれる。

 

そんな店だから、たくさんの人がリラックスしにやってくる。早起きをして、テラス席でコーヒーを飲みながら海風にあたる。ランチプレートをお供に、大きなテーブル席で友人らと尽きないおしゃべり。はたまたモヒートを片手に、ソファに深く腰掛け、沈む夕日、真っ赤に染まる海をぼんやりと眺める…。

 

この店、数軒隣の小さなコーヒーショップ、ZHYVAGO COFFEE WORKS(ジバゴ・コーヒー・ワークス)の姉妹店とあって、コーヒーの種類が豊富にある。両店舗ともコーヒーを主軸にしながらも、一方はコーヒーの専門店、他方は食事やお酒も飲めるカフェと、その個性は異なる。オーナーの飯星健太郎さんは、ZHYVAGO COFFEE WORKSにあったらいいなというものを、このVONGO & ANCHORに詰め込んだと話す。

 

vongo&anchor
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ーZHYVAGO COFFEE WORKSに次いで、このお店を出した理由は何ですか?

 

飯星さん(以下略):ZHYVAGOをオープンさせていただいてから、お客さんから様々な要望をいただいたんですね。「食事メニューはないの?」「アルコールやソフトドリンクはないの?」「団体では入れないの?」などですね。あちらはコーヒー専門店で狭いお店ですから、ご要望にお応えできなくて。ちょうどそんな時に「この場所を使いませんか」っていうお話をいただいて。だったら、ZHYVAGOにあればいいのにってものを実現させようと思ったんです。まずは団体様でもしっかり対応できるフロア、それから、食事もアルコールもと。それから何より営業時間ですね。ZHYVAGOはサンセットにクローズするんですけど、ここは夜10時までやっています。

 

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ー様々に楽しめる上に、コーヒーはZHYVAGOのように種類が豊富ですね。

 

シングルオリジンのスペシャルティコーヒーの豆は常時3種類か4種類はあります。常に旬のものに入れ替えて、しかもなるべくZHYVAGOとバッティングしないようにしています。お客様がどうしても「エチオピアのビーンズがいい」とおっしゃったら、「あちらにありますよ」とか案内できるようにですね。それにコーヒーのメニューは、ZHYVAGOよりも多いくらいです。というのも、同じ豆でも淹れ方をお客様の方で選んでいただけるんですね。フレンチプレス、エスプレッソ、エスプレッソにミルクを混ぜたカフェラテ、ミルクの量が異なるマキアート、ミルクフォームが多いカプチーノ。エスプレッソにチョコレートを混ぜたカフェモカ。水やお湯で伸ばしたアメリカーノ。アイスだと水出しのコールドブリューもできます。

 

ーどうしてそんなに淹れ方の種類を多くしているのですか? 

 

コーヒーは1日にどれくらい飲みますか? 朝イチに起き抜けにとか、打ち合わせのカフェでとか、仕事が一息ついてほっとした時とか。色々なシチュエーションがありますよね。1日に2杯3杯と飲まれる方は、ずっとどっしりしたコーヒーばかりじゃなくて、ちょっとスッキリしたものを飲みたい時もあるかもしれない。その時の気分で好きなように飲んで欲しいんですよね。ドリップで、とかフレンチプレスでとか、抽出方法によってコーヒーの織りなすキャラクターがありますから、こういうのもコーヒーの楽しみ方の1つだと思うんです。そういう提案をしていきたいなと。こういう飲み方があるんだってことを知ってもらうことが重要だと思っていて、今は知ってもらう段階かなと思っています。

 

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ー淹れ方に選択肢があるのもそうですが、お店の内装も個性的で他にないように思います。内装も飯星さんが考えたのですか?

 

ここにあるもの100%、アメリカのポートランドから輸入してきています。1個1個全部自分で選んでいるんですよ。アンティークのバイヤーとかビンテージ好きのマニアックな人が集まる街があるんです。ポートランドから車で2時間くらいかな。そこの街はまず日本人は入らないですね。買うのはお店ではあるんですけど、僕はお店の人からすると変態だと思われていて、「お前が欲しいのは店にはない。ヤードに行け」って、「倉庫があるから、そこで好きなもの選んでいいよ」って。店頭にあるものは綺麗な売り物になっていて、もう出来上がってたりする。僕が物色するのは、売り物になる前のものなんで、ある意味ゴミみたいなんですよ(笑)。それを1個1個状態を見て、「これ使えるな、何個ある?」とかそういう会話です。例えばテーブルにしてるこの大木、杉の木なんですけど、丸太の状態で買って、仲間ら4名で運んで、沖縄に持ってきているんです。この脚にしているアイアンも、もともと別ですから、泥まみれで転がってるのを引きずりだして、このお店まで持ってきて、この木と組み合わせたら面白いなっていうんで作っています。ほとんど材料を持ってくるんです。泥だらけになってるのを洗って、修理するところから始めて。超地味な作業ですよ(笑)。

 

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ー内装屋さんに任せることなく、どうしてそこまでご自身でされるんですか?

 

飲食店って料理だけできればいいっていうんじゃないと思うんです。美味しくて美しい一皿を作ったら、この一皿をより美味しく美しく感じられる雰囲気を作ることも大切ですよね。それを自分たちのオリジナルでクリエイティブに創っていくっていうのは、すごい必要なことだと思っているんです。資本があればどれだけでもできると思いがちですけど、ない方がいいんですよ。知恵が働くから。限られた予算の中で、どれだけクリエイティブに創っていけるか。お金払って職人さんを使って細かい打ち合わせをしていけばモノはできますけど、自分で触って創って、その一連のプロセスを味わいながらできたモノとは、全く違うものになりますよね。後者の方が汗がかかってるんで愛着が湧くし、そういうプロセスを感じられるようなものを、これからもやっていきたいと思っています。

 

ーイチから自分でデザインを描き、創るとなると、自身の感性がとてもに重要になりますね。どうやって磨いているのですか?

 

学校行ったり、本読んだりとか、そんなものではないんですよね。常に考えながら見ながら感性を開いている感じです。例えば車で走ってる時に、どの看板が最初に目に入ってくるかとか、色のバランス、コントラストとか、こういう色、組み合わせは、公道で日中だとすごく目立つんだなとか、そういうのをどんどん自分の引き出しに入れていく。それはお店の内装だろうが料理の一皿だろうが同じですよね。どう盛り付けるか、彩りを持たせるか、味のアクセントやキャラクターをつけるかとか。

 

あとは、旅に出ます。お店の中にずっといると、どうしても主観がメインになっちゃうので、外に出て自分が客観的にならないと。旅に出て自分がほとんど知らないところへ行って、お客様と同じような環境を作るんですよ。旅に出たら、情報はiPhoneくらいしかありませんよね。その中で、ストリートを歩いて、サインを見て、店内を見ますよね。そして何を食べたいと感じるか、選んだこのメニューに、どのような世界が繰り広げられていると感じるか。そうすると何かわかってくるんです。自分で感じた感覚とか、こういうの自分の街にあったらいいなっていうのとか常に感じながら、旅をしています。

 

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vongo&anchor アイスとデザート

 

ーそうやって自身の引き出しにどんどんインプットしていって、いざお店を創る時にどんな風にアウトプットするのですか?

 

僕の場合は、最初にお店の名前から考えるんですよ。お店の名前とかネーミングとか、かなりの数をストックしているんですけど、まず店の場所をみて、その中からピックアップしていく、というかピーンとくるんです。VONGO & ANCHORの場合、ここ、ホテルの1階ですよね。だから賑やかな感じがいいなと思って。VONGO(ボンゴ)っていうのは、太鼓で打楽器なんですよ。これが賑やかさとかリズム。anchor(アンカー)っていうのは船の停泊に使うイカリです。泊まるってことでホテルにもかかる。で、”賑やかな宿”ってことで、VONGO & ANCHORなんです。ボンゴは木でできている打楽器で、イカリは鉄製なんで、じゃあウッドとアイアンを多く使おうって。これくらいのキーワードで創っていくんです。

 

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vongo&anchor

 

ー味わいのある木材をアイアンで引き締めていて、かっこいい空間ですね。細部にまでこだわりがあって、お店の世界観を感じられるのもお客として楽しいです。では、食事メニュー等のソフト面はどうやって作っていくのですか?

 

宿っていうキーワードがあるんで、じゃあ旅人になって、滞在中食べたいもの、飲みたいもの、過ごしたい雰囲気や環境って何だろうって、ソフトに入れ込んでいくんです。海外とか特にアメリカに行くと肉食が多いですから、かなりストレスを感じるんですね。そんな時に、こんなメニューがあれば嬉しいなっていうものを提案していこうと。栄養価が高くて、胃にもたれなくて、途中で飽きたりせずにお腹一杯食べられるもの。近所のお店を見ればわかると思うんですけど、ステーキ屋さんとかいっぱいあるんですよ。だったらうちは軽いもので徹底しようと。胃がもたれてるんで優しく食べたいとか、軽めに済ませたいとか、そういう方のためのお店でやっていこうと思っています。

 

ーランチプレートは野菜たっぷりでおかずの種類も豊富ですね。葉野菜もあれば根菜類もあるし、スープには煮込まれた野菜がたっぷりだし、酵素が豊富な生野菜もある。押麦などの穀物も入っていて、ヘルシーです。お肉や揚げ物もあるので、十分満足できますね。

 

僕は旅が長くなると、オーガニックのスーパーやファーマーズマーケットへ行って、新鮮な野菜をいっぱい買ってくるんです。調味料とかも調達して、コンドミニアムのキッチンで自分で作るんですよ。そしたら、だいたいこのプレートみたいな食事になるんです。ちょっと多めに作ってタッパーで保存しておけば、種類も多く食べられますし。

 

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ーそもそも飯星さんがお店を出すのは、なぜ北谷のアメリカンビレッジなのですか?

 

僕、京都出身で東京から15,6年前にこちらに来たんです。で、北谷に遊びに来ますよね。衝撃を受けたんですよ。何て言うんですかね、京都とか東京にはないカルチャーがあったというか。でも当時のアメリカンビレッジって、ちょっと衰退期に入ったというか、観光客もあんまりいないくらいだったんです。地元の人も映画観るくらいでしか行かない街だったんですね。いいポテンシャルを持ってるのに、もったいないなと思っていて。海があって、西海岸で夕日もあってっていうキラーコンテンツがあるのに、うまく活かせてないって。自分なりに、こうやればいいのになっていうのがあったんです。でも知り合いもいないし、資本もないし、僕ができることと言ったら、お店を1つ創ることしかできなかった。個性、キャラクターのあるお店を出していこうと、その後2つめ、3つめを出しってやってきたら、「君たち、面白いことやってるねえ」ってこの辺の地主さんとかから声がかかって。「僕は北谷でこういう街を作りたいんです」っていう話をしたら、この街のディレクションに立ち会わせてもらえるようになったんですよ。

 

ー飯星さんはこれまでアメリカンビレッジに、ハンバーガー屋のJETTA BRUGER MARKET、オリジナルエプロンのINCHILL KITCHEN WORKS、そしてZHYVAGO COFFEE WORKSと、この”VONGO & ANCHOR”、全部で4軒のお店を出されていますね。今後は、どんな計画があるのですか?

 

ヒルトンホテルの近くで、ZHYVAGO COFFEE ROASTERS(ジバゴ・コーヒー・ロースターズ)という100坪くらいの規模のものを造る予定なんです。コーヒー豆を焙煎する工場兼カフェで、他にバーがあったり、ホステルがあったりするんですけど、ここに泊まりながら色んなことを吸収したり体験できるような場所にしたいと思っています。

 

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ー飯星さんの造る街にはやはり、コーヒーが欠かせないんですね。

 

コーヒーって毎日、朝や食後や仕事の合間にって飲んで、日常的なものになっていますよね。だからコーヒーと、場所、人、空間は、密着しやすいと思うんですよ。僕は、街を作りたくて、その街を盛り上げるんだけど、コーヒーを中心として街に根付いていくもの、それがコーヒーのフォースウエーブのヒントになるかなと思っています。

 

ーコーヒーの世界では、もう第4の波が来ているのですか?

 

フォースウェーブを、僕が作ろうと思っているんですよ(笑)。じゃフォースウェーブってなんだって言ったら、多分提案だと思うんです。最初に「これがフォースウエーブだ」っていうのを、サードウエーブをやってる人たちが提案していかなきゃいけなくて、それぞれが言っていいと思うんです。今のサードウエーブをやり続けると、自ずとフォースウエーブにたどり着くと思っていて。指標を示してくれるのは、色んな意見を言ってくれるお客さんだと考えています。サードウエーブを体験しているお客さんの声にしっかりと耳を傾けることで、僕らとお客さんが共に作り上げていくんじゃないかなと。北谷に、独自のフォースウエーブカルチャーがあっていいと思うんですよ。

 

写真・インタビュー 和氣えり(編集部)

 

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北谷町美浜9-49 ベッセルホテルカンパーナ別館1F
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9:00〜22:00(weekday)
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