『 私自身の見えない徴(しるし) 』痛みと刹那が大部分を占めるのに、軽やかささえ感じる不思議な物語。 一度読み出したらとまらない、アメリカでも人気の女流作家が描く新たな世界。

 
エイミー・ベンダー著  角川文庫   ¥740/OMAR BOOKS
 
― 誰かと関わって気付くこと ―
 
秋も深まり、そろそろ冬支度といきたいところだけれど、
いっこうに寒くならない。
それどころか蒸し暑いぐらいのこの数日間。
こういうのって読書にも影響する。
秋の夜長が涼しくないとなるとなかなか本も進まない、
なんて思いながら読み始めたのが
エイミー・ベンダーの長編小説『私自身の見えない徴』。
気付くとすっかりストーリーに引き込まれページが進む進む。
暑いのもなんのその、結局その日で読み切ってしまった。
 
主人公は二十歳のモナ。
彼女は10歳の頃に父親が原因不明の病になったときから、
いろいろなことを「止めること」を始めた。
唯一止めなかったのが「木をノックすること」と「数学」。
 
その彼女が、小学校で子供たちに数学を教えることになるところからストーリーは始まる。
その若さで何かを諦めてしまったような彼女が、
子供たちと触れ合うことで灰色の世界に色を取り戻していくようなお話。
  
この本の登場人物は皆、ぎりぎりのところにいる。
「止めること」、「木をノックすること」
でどうにかバランスをとっているモナ。
末期の癌に冒された母親が弱っていくのを側で見ることしかできない教え子のリサ。
数学の教師を辞めて金物店を営む孤独な店主、
個性的な傷つきやすい子供たち。
 
モナの思惑に反して物語は平和な状況から一転、
息を飲むような痛々しい場面を迎える(映画だったら絶対手で目を覆っているはず)。
 
この小説の魅力を例えるのは難しい。
重いテーマを扱っていながら決してじめっとした暗さはない。
作品の大部分はひりひりとした痛みと刹那が占めるのに、軽やかささえ感じる。
それがエイミーの新しさだと思う。
 
モナの父親が彼女の幼い頃に話して聞かせた最初のお話と、
公園でモナがレーズンアイスクリームを食べるリサに話して聞かせる最後のお話には胸を締め付けられた。
 
理不尽な、抗えない現実。
大人も子供もなくみんな歯を食いしばり、
かろうじて倒れずにいられるのは、
似た痛みを抱えた者同士がいたわり合うから。
 
「私自身の見えない徴」は自分だけではきっと気付けないもの。
誰かと関わって初めて見えるようになるもの。
 
アメリカでも人気の高い今後が期待される作家、
エイミー・ベンダーの切なく美しい物語。
ぜひご一読を。

OMAR BOOKS 川端明美




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