旬の県産野菜をたっぷり使ったタルティーヌ。
沖縄の日差しを浴びてすくすくと育った野菜の、勢いのある風味が楽しめる。
素材にもこだわり、卵や乳製品を使っていないので菜食主義の人々からも人気だ。
素材にこだわっているのはタルティーヌだけではない。
ナポリピッツァのようにふんわりとした生地が特徴的なフォカッチャ。
その生地にも卵や乳製品を使っておらず、エキストラバージンオリーブオイルを練りこんでいる。
小麦は北海道産と九州産、黒糖は宮古産、野菜はほとんどが沖縄県産で、そうでなければ九州産か北海道産のものを使う。
パンの生地からは、優しい小麦のかおりが漂う。
食感はもっちりとしてやわらかく、決して硬くはない。
「天然酵母を使っている」と知らされていなければ、その事実に気づく人は少ないだろう。
天然酵母を使って焼いたパンの多くから感じられる、独特の酸味もない。
「酸味や硬い食感が嫌いなわけではないんです」
と、店主の齊藤さんは言う。
「自分用に買うときにはハード系のパンを選ぶこともありますし、酸味のある酵母パンも好きです。
ただ、自分の店ではできるだけクセのないパンを作るように心がけているんです。
その理由は子どもにも食べてほしいから。
天然酵母を使っても、作り方次第で酸味を押さえることはできるんですよ」
レーズン酵母に自家製ハイビスカスエキスを混ぜて使っている。
「当店のパンはすべて天然酵母で焼いていますが、まずはレーズン酵母と粉を混ぜて1日置くんです。
そして新しい粉に種を加えて混ぜ、また1日置く。これを1週間続けます。
発酵が進むと中性から徐々に酸性へと近づいていき、旨味と共に酸味も増していくのですが、その発酵度合いをどれくらいで止めるかによって酸味の程度も変えることができるのです」
天然酵母の発酵度合いにまでしっかりこだわる齊藤さんだが、追求しているのは、パンのおいしさだけではない。
「心がけているのは、店に並ぶパンを見て『面白い!』と思ってもらえること。
そのためにできるだけ沢山の種類を並べるようにしています。
店のドアを開けた瞬間に色んなパンが目に入ると、それだけでテンションが上がるでしょう? そういうのが結構大事だと思うんですよ。
それにパンって毎日のように食べるひともいますし、週に何度も来店くださる方もいます。それなのにラインナップがいつも同じだとつまらないじゃないですか。お客様には味だけでなく、品揃えの豊富さでも喜んで頂きたいんです」
クロワッサン、サンド、バゲット、デニッシュ、ベーグル、ライ麦パン、クリームパン、フランスパンにフォカッチャ…。
齊藤さんが言う通り、店内には確かに色とりどりの野菜や果物に彩られたパンや、シンプルながら美しい佇まいのパンが所狭しと並び、食べる前から視覚的な幸せに包まれる。
また、陳列棚の向こう側にはオープンスタイルのキッチンが設置され、齊藤さんがパンを作る姿を間近に見ることもできる。
「味覚だけでなく、五感でパンを味わってほしいという想いからこのスタイルにしました」
齊藤さんは手際よく生地を成形し、その上に新鮮な野菜を乗せていく。やがて大型のオーブンが開き、中からこんがりと焼けたパンが出てくると、香ばしい匂いが店内に立ちこめる。
おとなりやではパンを購入する前から、様々な角度でパンを楽しめるのだ。
26歳で店をオープンさせ、2013年で30歳を迎える若き店主・齊藤さんの風貌は、一見するとパン屋というよりスポーツ選手のように見える。
「昔はボクサーを目指していました」
という言葉にも、意外性を感じるどころか「やはり」と得心した。
料理好きな両親のもとで育ち、齊藤さん自身も幼いころから日常的に料理を楽しんでいた。
「小学生のころからパンやお菓子を作っていました。兄も姉も料理好きだったし、家族みな料理することが当たり前という家だったんです。
作る工程も楽しいし、完成品を両親や友達にあげたときに喜んでもらえるのも嬉しかったんですね」
自宅で料理を楽しむ傍ら、齊藤さんはスポーツにも夢中になった。
柔道やラグビーに熱心に取り組み、高校に進学するとボクシングを始めた。
「かなり勇ましい部活動をずっとしていましたが、その間もパンは焼いてましたよ(笑)。さすがに友達にあげたりすることは少なくなりましたが、完全に趣味になってました。
高校卒業後はボクサーを目指して宜野湾のジムに通い始めたのですが、生活費を稼ぐため、空いている時間に読谷のパン屋でアルバイトをするようになりました」
パン屋でのアルバイトの後にボクシングの練習に励むという生活が2年ほど続いたが、忙しさのあまりそのどちらに専念することも難しくなり、齊藤さんは自身の進路について疑問を抱くようになった。
「これで良いのかな? と感じ始めたので、一旦どちらとも距離を置いてみようと考えました。そうすれば本当に大事なことが見えてくるんじゃないかな、と思ったんです」
パン屋を辞め、ジムを退会し、齊藤さんはしばらく沖縄を離れてみることにした。20歳のときだった。
沖縄から北海道までを自転車で走破、その後はバックパッカーとして半年ほどアジア諸国をまわった。
「帰国後『職探ししないとな』と考えたとき、やたら目についたのがパン屋だったんです。やっぱり自分はパンを作りたいんだと深く実感しました」
北海道で修業を始めた齊藤さんは、さまざまな規模やスタイルのパン屋で修業を積んだ。
「最初に働いた所がすごく有名なパン屋で、高い技術を備えた職人も沢山いたので、パンの持つ可能性や未来をワーッ!と見せられた感じでした」
パン作りに没頭する日々が始まった。
23歳で結婚した齊藤さんは、24歳のときに誕生した第一子がきっかけで、パン職人として転機を迎えることになる。
「息子には小麦、卵、乳製品のアレルギーがあることがわかったんです。
それはつまり、これまで僕が作ってきたパンを食べさせることができないということを意味しました。
このままでは、自分の店を持っても我が子にパンを食べさせてやれない。それがものすごくショックで。
そもそも、僕らが子どもの頃にはアレルギーを持っている子というのは少数派でしたが、今では割とよく聞かれるようになりました。それはなぜか? もともとの原因は? 疑問に感じて色々調べて行くうちに、それまで気にしていなかった添加物や農薬のことが気になるようになったんです。
息子が生まれるまではずっと、安全性より技術を優先してパン作りを学んでしましたが、パンの作り方も価値観も180度変わりました。
子どもは父親のことをしっかりと見ているだろうし、息子に胸を張って食べさせられるようなちゃんとしたものを作りたいと思うようになったんです」
26歳で沖縄に戻り自身の店をオープンさせた齊藤さんは、パンに使うソースや具材もできあいのものは使わず、すべて一から手作りするようになった。
「既製品だとどうしても不必要なものが入ってしまいます。『自分の子どもに食べさせられるパン』。それが店で出すパンの基準になりました」
素材へのこだわりは強いが、齊藤さんの姿勢にストイックという表現はふさわしくない。
「ヴィーガンやベジタリアン対応のパンもありますが、そこまでこだわっていないものもあります。
全員が全員おいしいというパンを作るのは難しいけれど、10人に9人くらいはおいしいと言ってもらえるものを作りたいし、なにより子どもたちに喜んでほしいですから」
店では物々交換も行っている。無農薬野菜などを持ち込めば、パンを交換することができる。「こうして取り引きできる農家さんが増えたら、いずれマルシェなども開きたいと思っています」
齊藤さんの想いはしっかり客に届いていると言えるだろう。
店には子連れ客が多い。
そして、食に対するこだわりを感じさせる人ばかりでなく、ただ純粋に「おいしいパンを買いに来た」という雰囲気の人が多いように感じた。
齊藤さんにとって、パンがからだに優しいということは大前提なのではないだろうか。
素材にこだわるのは当然のこと。それを満たした上で9割の人がおいしいと感じるパンを作る、しかも様々な種類で。
それはとても難しいことのように思えるし、実際に難しいことなのだろう。
しかし、おとなりやではそれが見事に実現されている。
どれでもいい、おとなりやのパンを1つ食べればそのことを実感するはずだ。
写真・文 中井 雅代
おとなりや
読谷村字瀬名波633-2
TEL/FAX
098-958-6260
open 10:00〜18:30頃まで(売り切れ次第閉店)
close 木・日
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