「うるしのうつわ」

写真・文 桑田さやか

                         

 

夜もすこしずつ長くなってきた九月、潮の匂いと秋の匂いがまじりあう沖縄。
雨が降って、これからすこしずつ涼しくなっていくであろう風が恋しくなる頃。

 

Shoka:では十五日から赤木明登 うるしのうつわ展がはじまった。

 

 

 

 

去年の秋、オーナー田原と赤木明登さんの工房へ取材のためわたしは初めて能登を訪れた。
能登半島の海沿いを延々と車で走り続け、車窓からみえる海と空が溶け合うような景色はとても情緒的だ。

 

 

 

 

休憩がてら砂浜をぼちぼちと歩いていると、砂浜探検隊の田原は宝探しに夢中になって小さく見えなくなるほど遠く彼方へ。

 

空に溶けてしまいそうな海は細く白い線をつくりながら、飽きることなく寄せては返すを繰り返していた。

 

そんな景色を目に刻みながらの訪問だった。

 

わたしの中の能登は深く青い空と海、生命の色を持つ赤木さんの漆。

 

 

 

 

漆には時間と人を繋ぐ力がある。
それはわたしたちが幾度か生まれ変わるほど、昔々から繋がっている。

 

輪島で職人たちの手によって代々つくられてきたうるしのうつわに思い馳せては、気の遠くなるような時間と人々の営みが今あるこの姿に凝縮されているように感じるのだ。

 

 

 

 

赤木さんの工房に入った途端、全身をおおうようにうるしの香りがひろがった。
その香りのなかに、職人のもつ「熱気」も混ざっている。

 

彼らのもつ道具のひとつひとつにも生命力があって、みているだけで思わず胸がうずいてくる。

 

 

 

 

 

これは赤木さんが塗師となって間もない頃の作品だそうで、塗り直しを依頼されたとのことで偶然目にすることができた。
四半世紀以上使い込まれたお椀には、八百万の神様がいるような愛嬌がある。
末永く大事にされるということは、ほんとうに幸せなことだ。
このお椀には、そう思わせてくれるような美しさと愛おしさが漂っていた。

 

使い続けている器には、顔がある。

 

また新しくお化粧してもらい、つやつやとした表情で持ち主のところへかえっていく。
そして、いままで以上に愛され続けるのだろう。

 

 

 

 

木地固めの作業をしているお弟子さんが使われていた、藍染の布。
いい生地だなあと眺めていたら「これは昔僕が使っていたんだよ」と、赤木さんが声をかけてくれた。

 

お師匠さんからお弟子さんへ。
何気なく使われているものにも人と時間が受け継がれ其処彼処に物語が溢れ、なんて愛おしい景色だろうかと思う。

 

 

 

 

漆器が作られるまでに、気が遠くなるほどの時間と多くの人の手かけられているという。
そこには数々の職人さんが長いリレーのようにバトンを渡しながら、ひとつの漆器を作り上げていく一日にしてならない道がある。
それは、その工程に携わるひとたちみんなが縁の下の力持ちといった存在で誰一人欠けても完成しないのである。

 

その熱量と工程を「知る」ということは、手にしたものを長く愛する一歩なのだといつも感じる。
そこには、手にとったわたしたちがつくっていく思い入れや愛着があるからだ。

 

暮らしの中で大切に使い続けて愛でるものがある、そしてその豊かさをかみしめるように味わう。

 

 

 

 

赤木さんのうつわに出会って6年。
初めて彼のうつわを手にしたとき、心が動くってこういうことなんだ。と、感じたことを覚えている。

 

ものを選ぶときは、いつも日常を思い浮かべる。
そして自分のところにきてくれた子たちが、一緒にどんな生活をしていくのだろうと想像を膨らませてみると、心が躍ってわくわくしてくるのだ。

 

洗練された美しさもあり、伝統の香りもする。
その第一印象はいまも変わっていない。

 

 

気がつけば、一日一度は手に取っているのが赤木さんのうつわ。
軽くて丈夫で口当たりもよく、なんとも言えない温かみがある。

 

食べ物が吸い込まれていくと表現されるくらいのくいしんぼう。
初めてのうるしのうつわにはたっぷりと入る飯碗を選んだ。

 

温故知新という言葉を形にしたような飯碗は、実直で純粋で美しい。

 

 

 

 

どんぶりにもなるし、たっぷり具沢山のお味噌汁だって。

 

 

 

 

ほかほかのご飯に梅干し。

 

 

 

 

シンプルな食べ方も赤木さんの飯碗にかかるととびきりのご馳走になるものだから、どんどんおかわりしたくなってしまう。(食べすぎ注意)

 

 

 

 

うるしのなめらかな肌はシルクのように美しく優しい光沢、そこにはハレの日の香りも日常の香りもするから不思議だ。

 

憧れてやまない重箱。
お正月にはおせち料理、ひな祭りにはちらし寿司やおいなりさん、お盆にはたくさんのおはぎ、運動会では唐揚げに卵焼きに、いろとりどりのおむすび。
これこそなんといっても、日常の中の小さなハレの日を照らしてくれるようなうつわだ。

 

真四角のカンバス。
十人十色の楽しみ方。

 

さてさて、みなさんはどんな風につかってみたいでしょうか。

 

 

 

 

みんなで楽しく囲むお鍋、ここにはお野菜やお肉で彩ってみたり。
たっぷりの煮物や焼き物、大勢で囲む食卓ではいつもの器と同じように使うことも楽しめる。

 

すこし目線を変えると、きっといろんな楽しみ方が思い浮かんでくる。

 

 

 

 

新しい赤木さんの一面を垣間見るような、摩利蒔絵皿。
大ぶりの菊や桐の絵が、料理の彩りとは一線を画する佇まい。

 

ささやかな余白と足し算をするように楽しむ美しさがあるんだと気づく一枚だ。

 

 

 

 

潔さは凛として美しい。

 

 

 

 

重ねても、また美しく。

 

うるしのうつわには、日常のささやかな喜びや美しさを受け止めてくれるようなおおらかさがある。

 

口当たりのよさ、手にとった時の温かみ、しっとりと馴染むような肌触り、どれをとっても愛おしさにかわっていく。
そしておおげさではなく毎日使いたくなってくるのだから、なんて魅力的なうつわだろうと思う。

 

 

赤木さんの人柄は、しっかりと重みがあるのに軽やか。
まるで子供のように真剣に自分のもつ世界に夢中になる。
そんなかっこいい大人。

 

オーナー田原の赤木さんへの思いがぎゅっとつまった記事。
読み応えがあって、赤木明登という作家がつくるものをもっともっと興味深くしてくれるような一文です。
ぜひ、読んでみてくださいね。

 

暮らしのなかの旅日記 「許容」

 

 

 

手にとって使いつづけてみて感じるものが、うるしのうつわにはあります。
きっと、日常にしっくり馴染むあなたの可愛い子がみつかることと思います。
ゆっくりうつわと語りあうような時間を一緒にすごしましょう。

 

ぜひ、比屋根の丘の上へ遊びにいらしてくださいね。

 

 

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9月15日(土)~24日(月)
 

 

赤木明登の漆の器展

「21世紀民藝」を書き終えた赤木さんは一体どのような視点で自身の創作活動を見つめているのでしょうか。塗師として四半世紀あまり木と漆で作る「うつわ」を通して世界に向き合ってきた彼の新境地に触れるのがとても楽しみです。
今回の展示で白漆の器たちが見ることができるのも心待ちなのです。
  

 

 

 

暮らしを楽しむものとこと
Shoka:
http://shoka-wind.com