2011 8月

 


@CAFE UNIZON

 


「babaghuriの好きなものに囲まれるしあわせ展」にて、
宗像堂+関根麻子のコラボで”しあわせパンプレート”を提供します。

 

 

日時  8月20日(土)21日(日)の2日間
時間  12:30〜18:00
内容  両日とも
    12:30スタート10席
    13:40スタート10席 
    関根麻子のベジタブルペーストをのせた宗像堂のパンと、サラダと
    お茶のセット *一日20食限定要予約*
    色々パンとお茶のセット15:00〜18:00まで

 

 
ご予約は
<お名前><人数><携帯番号>を記入のうえ
ununayu@live.jp までメールにてお申し込み下さいませ。
HPとブログ:http://shoka-wind.com

 

 

*客席が10席しかありませんので、お待ちいただくことがあると思います。
駐車スペースが限られていますので、乗り合わせてご来店下さい。
開店時が混み合うことが予想されますので、時間をずらしてお越し下さい。

 

画像クリックで拡大します

 

2011 8月


 

『フォトセラピー写心展』(桑村ヒロシ写真展)

 
桑村ヒロシ写真展2011
「あなたの心と響き合う、写真との出会い。一期一会のフォトセッション。」
(お気に入りの写真はお持ち帰りOK。お手頃な価格設定でご提供します)
入場無料

 
プロフィール:桑村ヒロシ(くわむらひろし)
 1968年生まれ、五島列島福江島出身(沖縄在住9年目)。
 編集制作プロダクション・(有)イコノグローブを主宰して20年、
 デザイン制作・写真撮影・編集執筆までマルチに県内外で活動中。
 ’09年に、南島詩人・平田大一と共著にて写真詩集『シマとの対話』(ボーダーインク刊)を出版。
 現在、沖縄県産ブログ・てぃーだブログの特集ページを取材担当。

 
期間:9月1日(木)~9月12日(月)
(会期中、9月11日(日)の15時から特別イベントあり)
時間:14:00~24:00
料金:入場無料
場所:浮島ガーデン(2F)住所:那覇市松尾2-12-3
電話:098-943-2100
 

桑村ヒロシ公式ブログ:http://kuwamura.ti-da.net
浮島ガーデン公式ブログより:http://ukishima.ti-da.net/e3555152.html
 

2011 8月


 
– – – 間違っているのが正しい。結果を想像せず、しつこくやりなさい
 
版画の面白さはみんな体験できるからさ、
子どもたちにさせたわけ、伊是名の小学校で。
でも、僕が教えるのは彼らが学校で習うやりかたじゃないわけ。
先生たちにもそれは事前にことわって。
 
そしたらさ、みんな自分が作った作品に感動して、
それを額装してあげたらさらに感動して。
「自分で描いたとは思えない!」
ってみんな言うわけ(笑)。
そういうことなんだよな。
 
版画というと、間違わないようにとか、アウトライン通りに彫れと言われることが多いみたいだけど、僕はそういうの全部ふっとばした。
「間違っているのが正しいから」って。
間違ったらむしろ
「おっ、失敗して良かったね~」
って言うよ(笑)。
 
「アウトラインを描いてもかまわない、アウトライン通りに彫っても、はみ出してもかまわない。どんなでもいいんだよ。」
「え?どうでもいいんですか、先生?」
「うん、どうでもいいんだよ。ただ、しつこくやりなさい。思うようにしつこくやってたら、これが必ず勝手に絵になっていくから。しつこさだけが問題だからやめるなよ、あきらめるなよ」
って。
結果を想像してからやるんじゃなくてね。・・・でも、つい想像しちゃうけどね。
「想像よりも絶対良くなっていくから、気にしないでどんどんやりなさい」
って子どもたちをたきつけて。
 
そしたら、
「本当にこれ自分の絵か?」
って感動してるわけよ(笑)。
 
刷り上がったら着色して。
裏彩色でもかまわないし、表からでもかまわない。
 
それまで彼らはモノクロの版画ばかりやってるから。
「白い部分を空けとけば、後から色入れることができるからね」
と教えて。
 
コツをつかんだら面白くてたまらんわけさ。
大人子ども関係ないよ、誰でもできる。
 
– – -肩書きやキャリアは人に対するみせかけ
 
絵というのはラクなところから出てこなくちゃいけない。
賞をとろうとかしたら世の中との葛藤になっていく。
それは純粋に絵を描こうという動機とは違ってくる。
 
僕は公募展とか展覧会とかには一切出さないと昔決めた。
それまでは出していたんだけど。
計算しちゃうんだよ、この人たちはこうしたら賞をくれるとか、
こんなしたら人は感動するだろうなとか。
賞とるために絵をデザインしてしまう。
どうすれば賞がとれるかがわかると、
そのためにまた努力しちゃうから、
賞のために描くことになっちゃう。
 
「あはー。こうして絵を描くとがんじがらめになるな」
と思った。
 
公募展に入賞すればいわゆる箔がついたり、肩書きがついたりしてキャリアをつんでいく。
でもそれは人に対する見せかけでしょ?
自分の絵を描く動機の問題としてそういうことをやってしまうとそのことに必死になってしまうし、実際そうやれば賞がとれるなという予感があるから、
「これはやるべきではないな、自分の方法ではないな」
と、ある時にわかった。
 
それ以来一切応募していない。
それまで入っていた会なんかも全部やめた。
  
何かに入選して会員になって・・・と、
ヒエラルキーに入ることで保証が得られたような気持ちになるけど、
絵というのは本当はそんな保証なんて一つもないんだよ。
それはただの錯覚、約束事だけの話。
絵は約束事じゃないからさ。
 
見え方、視覚としては約束事もあるかもしらんけど、
絵の質に約束事は当てはまらない。
 
これは絵だけのことに限らない話だね。
 

 
– – -バイブルは、息子たちが子どもの時に描いた絵
 
学校で先生たちがこうじゃない、ああじゃないと生徒の絵を指導すると、多様にある価値観を一つにしぼってしまうことになる。
教育にはまさにそういう面がある。
 
本来は、情報さえ取得させたらあとは自分で考えてさせるべき。
ある一定の考えに統一させようというのは、
個を摩擦して均一的なものに持っていこうとするやり方。
 
日本社会はそういうやり方で社会的には成功をおさめたように見えているけど、それは一般的な通念の中に人の個を埋没させていく仕組みでもある。
 
常々言っていることだけど、
子どもの絵というのは芸術家の作品をもしのぐほどの素晴らしさがある。
 
僕のバイブルは実は子どもたちが昔描いた絵。
ある意味僕を導いてくれている。
ああいう心情で自分も絵が描けるようになりたいという憧れなんだよ。
それに気づいた時から、そこに向かって行くわけ。
それに気づくまではただひたすらデッサンして、本物そっくりに描いて人に認められて・・・
でもそうじゃないんだと気づいたところから
絵とは何なのか、自分で「スコーン!」と気づいたところからそれが始まる。
 
– – -小さい子どもの絵はどれも天才的、点数をつけるなどおこがましいほど
 
子どもの絵を審査する側になったことがある。
絵画コンクールや版画コンクールなんかでね。
小学校低学年の絵を選ばなきゃいかんとなった時に
みんな素晴らしい絵を描いているのにさ、
この子たちに優劣つけなきゃいかんわけだよ。
つけられないのにつけなきゃいけない。
 
「これは優劣なんてつけられませんよ」
と言ったらさ、数多いる先生方が
「つけなきゃいけないんだから」
と。
「そうだよな、これは社会の仕組みで賞をあげなきゃいけないんだ。
コンクールというのはそういうことなんだ」
と思ったね。
 
小学校の高学年から大人にかけては、
100点くらいの作品があっても10分くらいあれば決められる感じなんだよ。
でも、子どもの絵にはつけられないんだよ、
みんな素晴らしいんだよ。
それに点をつけるなんておこがましいくらいの気分になってくるんだよ。
それほど素晴らしいんだよね。
 
本当にどんな子でも小さい時は天才的な絵を描いている。
だけどさ、自分もそうだけど成長すると描けなくなってくるんだよ。
教育とか様々な人間社会の中で、絵を描く最初の動機が流されていってしまうんだね。
社会の中に染まってしまう。
そして「デッサンがうまい人が絵の上手い人」となってしまう。
 
俺なんかはずっと絵が上手いほうで通ってきたから描く側でいられたけど、
すごく良い絵を描くのに、先生から一言「あんたヘタだね」と言われただけで、もう一生絵は描かんという人だっているわけだから。
でもそういう人だって小さいとき素晴らしい絵を描いているんだよ。
 
– – -世俗にまみれた中から、本当の芸術が生まれる
 
だけど芸術というのは、子どもの絵を芸術として売り買いするかというとしないでしょう?
売り買いしないし、社会の中では芸術とはみなさない。
でも、芸術という物を深く突き詰めて考えた人たちは、これが芸術そのものであるということがわかっている。
なのに流通はしない。
なおかつ社会では「子どもが描いた絵」というカテゴリーの中に収めてしまう。
それは人間が描いた絵というカテゴリーの中でとても素晴らしい、という風にはならない。
 
これが人間が作り出した構造的な社会。
教育することによって人間になっていくんだという仕組み。
 
それに気づいた時に、逆行しようとするのがピカソがやったこと。
 
彼は92歳の時に
「2歳の子が描く絵が描けた、おれはついに達成できた」
と言ったという。
言わんとする気持ちがよくわかるな。
 
20世紀最大の芸術家といわれ賞賛され、60億で絵が売買される。
そんなピカソが子どもに憧れていた。
 
一旦世俗にまみれるというか、
人間として成長した後に人間の、生き物の初源に戻っていくことが
ある意味芸術なんだよというのはわかる気がする。
だから世俗にまみれることは無駄ではない、
そうしないと芸術とは言えない。
 
子どもの作品が芸術とみなされないのは、
我々にとって暗黙の了解。
成長していく間に生まれるさまざまな欲望にまみれるだけまみれ、
そこから生まれたものこそを芸術と呼ぶのだからね。
 
仏教でいうところの「蓮華」の思想と同じ。
人は本来蓮の花のようなもの、
花を咲かせるために努力するし、
もっとも汚いと称される泥の中から、最も美しい花を咲かせる。
 
だからそう思うとね、世俗にまみれることは必要。
成長して人間になってから、
その人間の元であるところに行き着けるかどうか、
そういうことだと思うんだよね。
 
ピカソだって早いうちからそれに気づいていたのに、
色んなことをたくさんやってから死ぬ間際になって
「やっと描けたかな」
とホッとしたというぐらいだから。
でももうそこで時間切れだよね。
できない人だっているしさ。
気づかない人もいるし。
 
とは言え、自分の中の少年性がなくなったわけじゃないからな。
色んな見え方にするという部分は上手くなってきてると思うけど、
根っこは大して変わらないよね。
 
しかし価値観が多様にあることを認めるならば、
何を芸術というか、
僕が今しゃべっていることも多くの説の中の一つにすぎない。
解釈の仕方はたくさんあるから。
これだけが正しいということではないよね。
 

 
– – 僕はあまり絵に責任をとろうとしていない
 
3.11の地震が発生した時は、
絵を描こうとまったく思わなかった、描ききれない。
あの場にいたらどうなるかわからんけど、
自分の経験してないことを想像して絵を描くということは
できはすると思うけど、自分はしない。
 
9.11のときも画家はみんな描いたらしい、大方。
「え~、なんで描くのかな?」
と思ってしまう、僕は。
 
僕が描きたくなるのは、例えば展覧会をするとき遠くへ出かけるから、その先で感動したとき、風土の中で。
それはその場では出てこなくても後々出てくるからね。
あとを追っかけて出てくるわけ。
 
愛媛で展覧会したんだけど、主催者側から
「愛媛の絵を描いてくれ」
とテーマを投げられた。
やっぱりその場所を実際に見ないことにはと、行って見ましたけどね。
感動することがいくつかあって。
それで5点くらい描いた。
その場じゃなくて帰って来てからアトリエで描く。
何かの拍子に、その時感じた感動が頭をもたげてくるんだよな。
 
僕の描き方はあまり絵に責任をとろうとしてない。
展覧会する場所の絵を描いてくれと言われても、
「描けたら描くさ」。
必ずしもそのものを描くとは限らないわけ。
でも実際行ったら感動があるから、それを思い出したら描けるわけよ。
「こうでなきゃいかん」という義務感から描くことはしない。
 
– – 僕の絵は、文字で言えば散文のようなもの
 
僕はさ、テーマというのはないんだよね(笑)。
よく、「今取り組んでるテーマはなんですか?」と聞かれるんだけど、
答えに詰まってしまうんだよね。
「そういえばこれ、何テーマにしてるんだろう?」って(笑)。
 
例えば、今は展覧会のために絵を描いてる、とは言えるけど、
何かのテーマに向かって描いてることはなくて、
何日か続けて絵を描いているうちに、結果として一定の方向性がテーマになってることはある。
だから前提じゃないんだよ、結果なんだよ。
出てみないことには「どういうテーマです」って言えない。
文字で言えば散文を書いているようなもんだよな。
 
– – 迷わないようにすること自体が迷い
 
(壁に飾られた自身の作品を指して)
これくらいのサイズだと彫るのに2時間くらいかな。
それで刷るのに10分くらい、着色で10分くらいかかるかな。
僕はばーっとやってばーっと塗っちゃってるから。
 
着色するときは迷わないようにしてる。
人間みんな迷いを自分で作ってる。
悩みを自分で作ってる。
絵なんてさ、迷わないようにすればできるのに、
迷うようにしようとしてる。それがどんなによくわかるか。
 
こんなに長い間やっても、毎回初めてみたいにさ、迷う自分にあきれてるよ(笑)。
ある種のクセがあるから、そのクセを上手く利用して、迷わない自分のほうにシフトしていくわけ。
気を抜くと迷っちゃうから「おいおいまたかよ」って感じで、
「可愛いねぇ~、また迷っちゃってるんだねぇ~」って自分で思うんだけど、そう言いながらできないという(笑)。
 
人間だからそういう生き物なんだよ。
わかってることがやれない。
だから、迷わないようにはならないだろうね。ならんと思うね。
そうなろうとすること自体が迷いだよ。
迷わないようになろうということ自体が無駄なこと。
大いに迷おう!というぐらいでやったらいい。
「人間だなぁ~」って。
みつをじゃないけど「にんげんだもん」というぐらいの感じで(笑)。
 

 
– – -彫っているときは、魚を突くウミンチュの心境
 
絵はすでにあるものと僕は思ってる。
 
例えば川が流れていて、魚が泳いでいる。
俺が岸辺に立ってもりでその魚を突くことを仕事になぞらえると、
川には常に魚がいて、しかも川は流れているから、
流れに逆らって上に行きたいという魚がいたとしても、
川は上から下にしか流れないという法則がある。
川は経過や時間という流れと同じで、
その中に獲物がいるという感じなんだよな。
  
いざ突こうとしたときにタイミングが悪くて突けなかったり、
ふと人に声かけられて「え?」と振り向いてる間に逃げちゃったり。
でも、魚はまたくるわけよ。
「ちっくしょー!逃げた、赤い魚がほしかったのに!」
でも次の魚が来たときには
「わ~~、魚きた!」
という気持ちにもうなってるわけさ。
あの赤い魚は忘却の彼方に・・・(笑)。
 
はたまた、ある日その赤い魚がまた泳いできて
「わ~~、あの赤いのが来たよ!」
と言ったりしてさ。
 
その魚を突いてるウミンチュの心境なんだよね。
 
絵は心の中にあるものを写すから。
例えば目の前のコップを描くとき、
こんなふうに描きたいという気持ちがどうしてもはたらくよね。
だから、それを絵に写すというのではなく、
絵としてのコップを描くことになるんだよね。
つまり、一回自分を通る。
 
– – -表現は、人と共感して初めて生を得る
 
ということは自分の中にあるわけでしょ。
自分の中にはたくさんあるさ、
それに気づかないものも含めると膨大な量があるわけさ。
でも、みんな筋肉の分しか時間とれないんだよ(笑)。
筋肉は衰えていくさ?
生きている時間はリミット来るさ?
その途方もない「描く対象」と人生の時間が釣り合うかというと、全然釣り合わない。追いつかないわけ。
 
我々の心というのはそういう風にできてるんだよ。
あなただってそうなんだよ。
もっと自分で自信を持たなきゃいかんのに、
何かと比べるから、誰かに何か言われるから、
いつも自分の自信をそいでしまう現象がたくさんあるからさ。
その中で、なかなか自分を信じきれないというか。
あなただけじゃない、僕だってそうだからわかるんだよ。
生きているというのはそういうことだとわかっているから、
おんなじだと思っているわけよ。
 
だから同志だよ、そういう意味では。
だって表現しようとしてるわけだから。
それは文字だろうと絵だろうと歌だろうとね、同じ。
表現するということは結局自分に帰すること。
そこから始発していって、そこに戻っていくわけだから。

ただその表現というのは人と共感しないと生を得ない、
人と共感することで初めて成り立つんだよね。
だから、一人だけの世界では人は表現しようとは思わないんだよ、
なぜならそれはすでに自分自身の中にあることだから。
人と身体が違っていて、自分と人の身体がはなれてるから、共感したいからやるわけ。
 
でもそういう意味での「表現」が、社会の中で拡大していくにあたって「経済」という約束事が絡んできて、複雑になってわからなくなっていっちゃうんだよな。
 
– – 彫ろうとするものに対してまっすぐに向かっている感じ。取り憑かれているんだはず。
 
絵を描いてるときは楽しいね~。
生みの苦しみみたいなのは殆どないな。
例えば、仕上がらないうちに何らかの用事があって引きずり出されてさ、次やろうとする時にその気持ちをうまくまとめることができない。
そういうときは
「これもういいんじゃないかな・・・」
とか、人間的におろおろすることはあるよ。
あれはちょっと苦しいかなという気はするね。
引きずり出されなければ何も問題はない、
始めたら終わらせるだけだから。
 
僕は結構多作だからね。
「眠らんで描いてんじゃないの?」
とよく言われるけど、
色んなことしてるとまとまった時間をとるのは結構難しいさ?
だから、限られた時間に集中する力というのは自分で言うのもなんだけど結構ある方だね。
自分の記憶が吹っ飛ぶくらいだからね。
2~3時間の記憶がなくなるんだよな。
漠然とはあるんだけど、記憶らしい記憶じゃなくて、
彫ろうとするものに対してまっすぐに向かっている感じ。
それに取り憑かれているんだはず。
ふと気づくともう夜なっているとか、誰もいないとか(笑)。
 
アトリエで創っているんだけど、もうそろそろ自宅でやりたいね。
そしたらそれこそ眠る時間削って・・・というのでもないけど、女房がそばにいるからね、結構わがまま言えるし、疲れたら眠ってまたぱっと起きて仕事できるでしょ。
 
そこまでしてやりたいんだよ(笑)本当に描きたいわけよ(笑)。
飽きてきたってことはまったくないね。
「たくさん描いたね」
とよく言われるけど、ちっとも描いてない。本当に。
世の中ってこんなにすごいさ?
すごいっていくら言っても足りないくらいだよね。
枝のようにどんどんはりだしてきて、世界って途方もないわけでしょう?
でーじだよ(笑)。

 

写真・インタビュー 中井雅代

 

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*読者プレゼント*

 
BOKUNEN ART MUSEUM(ボクネン美術館)の無料入場券を20名の方にプレゼント!
<応募方法>
コチラまでメールにてご応募ください。
名嘉睦稔さんのインタビューを読んでのご感想や、
カレンド沖縄へのご感想、ご要望もお書き添え頂けると嬉しいです。
応募締め切りは8/21(日)です。
 
*当選した方にメールを差し上げます。
その際にプレゼントの発送先をお伺い致します。
 

BOKUNEN ART MUSEUM(ボクネン美術館)
【美術館説明】
北谷サンセットビーチ隣のAKARA内にある、名嘉ボクネンの美術館です。(一般入場料¥500)漆喰塗りの館内は曲線の壁で一続きになっていて、まるで映画フェルムを見ている様な場面展開が人気です。夜8時までの営業は、仕事が終わってからもご利用いただけるので、アートファンの地元のお客さんに喜ばれています。ボクネンの造形であるAKARA(アカラ)のうねる赤瓦屋根が鑑賞出来て触れらる展望台は必見です。

【営業情報】
総面積100坪
お問い合わせ、はアカラギャラリーへお願いします。
904-0115
沖縄県中頭郡北谷町字美浜9-20 AKARA2F
TEL098-926-2764
FAX098-989-4764
akara-g2@pcore.co.jp

ボクネンオフィシャルサイト http://www.bokunen.com
ボクネングッズ販売 http://akaragallery.shop-pro.jp

営業時間:午前10:00~午後9:00 不定休
(最終入場は午後8:30まで、季節により営業時間の変動あり) 
入館料:一般¥500 高校生以下¥300 未就学児無料 
20名以上団体20%割引(要予約)

 

2011 8月

 
穂村 弘・著  NHK出版  1,470円/OMAR BOOKS 
 
― 脱力系「食べ物」エッセイ集 ―
  
暑い毎日が続いて、冷えた麦茶が特においしく感じるこの季節。
「砂糖入り麦茶」って飲んだことありますか? 
 
著者・穂村さんが子どもの頃は、
どの家庭でも二種類の麦茶を作り置きしていて、
冷蔵庫を開けると一つは大人用、
もう一つは砂糖入りの子ども用があったそう。
甘い麦茶って・・・、試してみたいような、試したくないような今ならちょっと考えてしまう飲み物が当時は普通に飲まれていたという驚き。
 
また著者いわく食べ物には男フード、女フードがあって女フードの良さがいまいちよくわからない、と書く。
 
例えばメニューに生春巻きがあると女性は当然のように注文する、とあって確かにそうだなあ、と読みながら思う。
またベーグルも女フードだと言い、ベーグルのどこがおいしいのですか、と問いかける。これも確かにベーグル好きは女子に多い。
 
こういう「食べ物」に関して著者が抱いた違和感を綴った本書。
人気歌人である著者のちょっと変わった視点で切り取ったエッセイ集。
  
面白いのはこれを書いている本人が、自分は食べ物や飲み物についてセンスがない、と言い切ってしまうところ。
好きな食べ物を聞かれてまず「菓子パン」と答える穂村さん。
自分の味覚に自信がない、という。
そういう人の食のエッセイ本にどうして共感できるかというと、
穂村さんのだめさ加減がどこか人をほっとさせるのです。
人は全て何でも出来てしまう有能な人にはなかなか共感しないもの。
ちょっとだめなところがあった方が好きになれる。
カウンターだけのお店や常連さんのいるお店は行けないという著者の、ふと頭の中に浮かんだ普段見過ごしがちな食についての素朴な疑問が並んでいる。
 
「曖昧体重計」というのも笑ってしまった。
著者は一日何度も体重計にのる習慣があって、
でも必ずすっぽんぽんではのらない。
必ず服を着ていたり、手に文庫本を持ったままで体重を計るようにしている。
なぜそうするかというと、あとでその体重から服や文庫分を差し引くことに喜びを感じるため。
気持ち多めに引くことで実際の数値を見て傷つくことが少ない。
分厚い服を着れば着るほど、京極夏彦の文庫本(厚いもんね)であればその分誤差は広がる。
その曖昧さがいい!とする著者のその一喜一憂ぶりがおかしい。
 
最初から最後までこんな感じなので、
この本を普通のグルメエッセイ本と期待して読まれると
ちょっと違うのでご注意を。
 
脱力気味の語り口も著者の持ち味。
ぷっと吹き出すことも多くて読みながら困った。
 
一度はまると他の本にも手を伸ばしたくなる確率の高い穂村本。
まずはこの一冊から。

OMAR BOOKS 川端明美



 

OMAR BOOKS(オマーブックス)
北中城村島袋309 1F tel.098-933-2585
open:14:00~20:00/close:月
駐車場有り
blog:http://omar.exblog.jp
 

2011 8月

 
女性ですもの。
そりゃキラっと光るものに目がいきます。
学生の頃アルバイト代で初めて自分で購入したアクセサリーはネックレス。
王冠のトップの中にキュービックジルコニアが入った
ピンクゴールドのネックレスでした。
こちらは今も愛用しています。
 
ということは、
すでに10年以上手元に居ながら、且つ活躍中のアクセサリーってわけです。
時とともにチェーンがくたびれ交換したりを繰り返しつつも、今も現役です。
こちら以外にもふと気がつけば、愛用品の中には10年選手があちらこちら。
好きなものは軸さえぶれない限り、
いつまでも手にしたいものなのでしょうね、きっと。
今年からお店でお取り扱いを始めたアクセサリー「Centennial」。
こちらもきっと何年もお手元で楽しめるのでは?
そんな匂いがぷんぷんしてくるブランドからリングをご紹介します。
 
「Centennial(センテニアル)」

・向かって左ビーズパーツを使用したシルバーのリング、中央4連リング、右角リング
 
Centennialは、全て地金から「曲げる」「叩く」「焼く」「削る」「磨く」といった
原始的な技法にこだわり1点1点ハンドメイドで製作しているアクセサリーです。
神戸発のアクセサリーブランドです。SILVER950,SILVER925,Brass(真鍮),14GFを
使用しております。
 
どれもシンプルながらも主張あるリングです。
お好みで組み変えてつけて楽しんで頂けます。
たとえば右の中指には、
4連リングからシンプルなシルバーとネジネジのシルバーを一本ずつチョイスして、

 
左手には角リングを一本。

 
角リングは付けてみると指と指の間に違和感がなく、とても収まりがいいです。
一緒につけても○。

 
気分次第で、
左手に4連リングをバーンとつけてみる。

 
時々メガネ拭きのような柔らかい布でふいてあげましょう。
ちょっとのお手入れで輝きは戻り、また改めて愛着もわきます。
 
私自身、しばらく新調していなかったアクセサリー類。
久しぶりのニューカマー、これからどのくらいの月日をご一緒できますでしょうか。
腰をすえてじっくりお付き合いを望みたいと思います。
よろしく。
 
写真・文 占部 由佳理(tous les jours店主)

 
tous les jours(トレジュール)
那覇市首里儀保町2-19
098-882-3850
open:水~土
10時~13時 16時〜19時
(変更あり。毎月の営業日をブログでお知らせしております。)
blog:http://touslesjours.ti-da.net




関連記事:ひとつ先のくらしを提案する
tous les jours(トレジュール)




2011 8月

パン教室で習った「シャンピニオン」作ってます!


前の晩、冷蔵庫に入れておいた生地


12時間経ちましたー!
発酵出来てるよね!?2.5、3倍かはよく分からないけど。





分割&成型しますーーー!





さらに仕上げ発酵で40分置きます。


40分後





で、ここからレシピにはオーブンで焼成となってるけど


何か忘れてる気がする、何かな?思い出せない・・・・






あっ!!シャンピニオンってキノコ風にしないといけないのに忘れてた!!





分かるかな!?大きい丸生地の上に傘みたいに生地を乗せてるんだよ!




危うく、ただの大小のまるパン作るとこだった


けど、もっと何か忘れてる気がする・・・


今回2種類のパン習ったから、こんがらがってるんだよねー







焼きます!270℃で12分って、このヘルシオ250℃までしか上がらない!
ガーーーン
しかたがない、焼けないわけではないはずだから250℃で焼こう。






美味しそーーーに焼けた!!嬉しーー!
味も美味しかったよーー





そして、今更思い出した!


パンの真ん中に、指で穴?あけないといけなかった!!


ショックーけど、あける理由なんだったかな?


それも忘れた・・・いいかっ!美味しいから






後日穴を開ける理由調べたら、それが一番大事だった!!
これしないとシャンピニオンにならない!たしかに・・・
私のはシャンピニオンっていうより、太ったどら焼きって感じだな



kneaded by パンコネル

2011 8月


 
★「髙野進先生に学ぼう!コカ・コーラかけっこアカデミー」★
 
【1】参加者募集のお知らせ

財団法人コカ・コーラ教育・環境財団では、オリンピック3回出場、400m走日本記録保持者の髙野進氏(現東海大学体育学部教授)を講師に迎え、沖縄県内の小学生ならどなたでも参加できる、ユニークな「かけっこ」イベントを開催します。
<前回(2009年9月)開催の様子はこちら>
http://www.cocacola-zaidan.jp/activity/sprint-academy/index.html

 
①かけっこ教室

オリンピック3回出場、400m走日本記録保持者の髙野進氏(現東海大学体育学部教授)を講師に迎え、ユニークな走り方教室や50m走のタイムトライアルなどを行います。

 
②指導者クリニック

また、同日の午前中には教員や指導者を対象にした「指導者クリニック」も開催します。

かけっこ指導論、指導者向け体験授業、かけっこ教室体験参加などの実践研修を行います。

 
【日 時】2011年9月19日(月・祝) 

① 13:30~16:30(受付13:00~)

② 10:00~17:00(受付9:30~)
【場 所】沖縄県総合運動公園・陸上競技場
【参加資格】①小学生(保護者同伴) ②教員・地域指導者・大学生
【募集人数】①200名 ②40名 (応募者多数の場合は抽選となります)
【参加費】①②無料

 
【応募方法】

参加ご希望の方は、郵便番号・住所・参加者氏名・電話番号と、①ご希望の方は学年・保護者氏名、②ご希望の方は年齢・職業を明記の上、ファックスまたはメールにて8/31(水)必着で下記までお送り下さい。

ファックス:03-3486-7507
メール:kakekko-academy@ml.prap.co.jp

 
応募者多数の場合は抽選とさせていただき、結果は9月初旬にコカ・コーラかけっこアカデミー事務局より郵送にてご連絡いたします。

お問合せは03-4570-3177までお電話で。

たくさんのご応募、お待ちしております!

 

 

2011 8月

こんにちは。前回に続き2回目の投稿となります。レキサスの金城です。
前回ご紹介しました「女性におすすめのアプリ」の記事は楽しんでいただけましたでしょうか?
 
さて、今回は「スマートフォンアプリアイディアの発想法」ということで、レキサスマーケティングチームより4つのアプリアイディア発想法をご紹介したいと思います。
 

 
まず1つめは、「自分自身が使いたいアプリを考える」これが大原則。
「こんなアプリがあったら趣味で使えるのにな~」、「こんなアプリがあったら仕事がメチャクチャはかどると思う」「こんなアプリがあったらウチの子どもたち喜ぶだろうな~」などなど、あなたが日頃こだわりも持って取り組んでいるものや、日常生活の中で使いたいものを起点にアイディアを考えてみると次々に出てくると思いますよ~。
 
2つめは「スマートフォンならではの機能や特長を効果的に使う」
GPSや加速度センサー、コンパス、カメラ、マイク、ネット接続などの機能、そして携帯性
という特長を効果的に利用することに集中してアイディアと絞ると良いかもしれません。カメラひとつとっても様々なアイディアが浮かびますし、カメラとコンパス、カメラと加速度センサー、カメラとマイク、などのように、2つ以上の機能をかけあわせるとアイディアもさらに膨らみますよね?

 
3つめは、「すでに世にあるアプリに、自分自身のこだわりを加えてみる」というのもアリです。
自分が作りたいアプリに似たものがすでにあってもガッカリする必要はありません。あなた自身のこだわりの強さがアプリの個性になるのですから! 自分なりにちょこっと機能をプラスしたり、デザインをかわいくアレンジするだけでもオリジナルアプリが生まれますよ。
 

そして上記のような方法でアイディアを考えたら、「5W1H」でまとめてみましょう。
Why!!!(なぜこのアプリをつくりたいのか?)
What!!!(どんな機能を提供する?)
Who!!!(誰をターゲットにする?)
Where!!!(どこの地域の人に使ってもらう?日本かな?世界かな?)
When!!!(いつ使ってもらうアプリだろう?)
How!!!(どのように使ってもらう?)
おまけ・・・6W1Hもありますよ。笑
Wow!!! (世界の人を驚かせるアプリにしちゃおう~☆)

 
このようにしてアプリの概要が決まったら、せっかくなのでデザインも考えてみましょう。原則は「とにかくシンプルに」。スマートフォンは画面が小さいので、デザインや操作性はできるだけシンプルがベター。マニュアルを読まなくても直感的に理解できることが大切です。性別や年齢を問わず幅広いユーザーが利用しているスマートフォンだからこそ、誰にでも分かりやすく、使いやすくあることが一番なのです。

 
以上、3つ+αのスマートフォンアプリアイディア発想法を紹介してみました。
いかがでしたでしょうか?誰も見つけていないアイディアがあなたの日常の意外なところに転がっているかもしれません。身近なものからで構いません。ふとした閃きやふとした疑問をぜひ膨らませてみてください。レキサスでは、みなさんの様々な視点から生まれるアイディアを心よりお持ちしています。
 

株式会社レキサス マーケティングチーム 金城 円

2011 8月

 

待ち合わせ場所は公設市場。

 

「料理を通じて、沖縄の文化を伝えたい」という先生の想いから始まったレッスンだ。

 

一緒に買った食材を手に、教室へ移動して料理する。

 

メニューは生徒の相談にも応じてくれる。今回は、本土から沖縄の長男に嫁いだ生徒の希望で「重箱料理」。

 

「一から全部作るのは大変と思うかもしれないけれど、冷凍保存やだしの使い方を工夫すればそうでもないの。とにかく一度は自分で作ってみた方が良いわよ。」

 

かずみ先生の力強い言葉に励まされながら調理開始。

 


洗った三枚肉は塊のまま茹でる

 


「圧力鍋で煮るとどうしても味が落ちる。一度は普通の鍋で煮てみて、違いがわかるはず。」

 

– – – 「琉球料理を2000年に残せる?」と言われたのがきっかけ 

 

ある時、「2000年に残す琉球料理」という本を作るために、安次富 順子先生(沖縄調理師専門学校 校長)のお手伝いをすることになったの。
その時はまだ、琉球料理の作り方には全く興味がなくて。
でも、先生が色んなエピソードを話しながら料理を作るのを見ているのがすごく楽しくて「へーそうなんだ、そういえばうちのおばあちゃんもそうしてたな。そういう意味があったんですね~」って。
料理の材料や工程など、一つ一つ全てに意味があるということをその時に知ったのね。

 

 
そしたらふと、先生が「あなたこの料理2000年に残せる~?」と言ったんですよ。
その言葉が今でも忘れられない。
即答で「私、残せられません。すみません。」って言ったの。
そしたら先生がくすっとわらって「そうよね、あなた達の年代はもう残せないわよね。」ってあきらめた感じで。
それが私、すごく悔しかったのね。
私は作り方を見て実際食べてもいるのに残せないなんて・・・って。
「残す人になりたい!」と、その時初めて思った。
先生にそう言ったらひひひ~と笑って「あなたはそう言うと思ったわよ、だからああ言ったのよ」って(笑)。
それがきっかけ。

 


茹で具合は手で触って確認。「もう少しかな。」

 


「前回豚肉を茹でた時に出ただし。冷凍保存しておけばすぐ使えて便利よ。」

 

– – – エピソードをたくさん持っている琉球料理で自分を活かしたい 

 

琉球料理の教室を開く前はフードコーディネーターをしていたんだけど、行き詰まった時期があったの。
料理をきちんと勉強していなかったことが原因。コーディネートはできるんだけど、「この料理にこれはありえないよね」っていうプロならわかる常識を知らなかったのね。

 

だから勉強し直そうと思って、東京に行った時にフードコーディネートの先生に相談したの。「沖縄での仕事を1年間休んで東京に住みます。その間勉強し直したいんです。」
って。そしたら、「何バカな事言ってるの!」ってすごい剣幕で怒られて。
「なんで今さらみんなと同じような事をしようとするの?」「仕事の幅を広げたいんです。」「それなら琉球料理を勉強しなさい、そしたら東京でも通用するし、沖縄にいても呼んでもらえるわよ。
他の人と同じこと学んだってわざわざあなたを呼んだりしないわよ。だって東京にもフードコーディネーターはいるんだから。」

 

その意見も目からウロコで(笑)。

 

「あなたには幼い頃から培ったものがあるのに、どうしてそれを活かさないの?それはあなたにしかできないことなのよ」

 

とも言われたのですが、それが自分の武器になるとは当時はわからなかったのね。
でも今では、琉球料理じゃないと自分の言葉で語れないと思ってる。
うちのおばあさんはこうだった、昔はこうだったっていう生の声をみんなに伝えられるでしょう。
他の料理だと私にはエピソードも背景もない。

 

それで、松本嘉代子先生(松本料理学院 学院長)のところで勉強を始めたの。

 



「ごぼうは変色しやすいから切ったらすぐ米のとぎ汁に漬けて。煮物は家庭の味がでやすい、買うより断然美味しくできるのよ。」

 


揚げ豆腐を作る。重箱サイズに合わせてカットし、水切りする。

 

– – – 実母と姑も先生のようなもの。二人からのエピソードを吸収した。

 

それまではお料理は食べる側、行事も見る側っていう関わり方だったの。
琉球料理は姑が作るもの、私たちは盛りつけやお客様への配膳が仕事と思っていて、習おうという気はなかった。
美味しいし素晴らしいとは思うけれど、「こんな美味しいのを作れるのはお義母さんしかいないよね」
としか思ってなかったの。

 

でも、教室で習い始めるとやっぱり作りたくなるのよね。
それで姑に「どうしたらこういう味付けになるんですか?」なんて真剣にきくようになって。
そうすると、習いたいという人には気持ちよく教えてくれる。

 

だから、教室でも教えて頂いたけれど姑も先生。
姑は新島 正子先生(沖縄調理師専門学校 設立者・初代校長)のところで習ったそうで、宮廷料理が得意、とっても綺麗に作るのよ。
ラフテー、ミヌダル、クファジューシー、ミミガー、ジーマーミ豆腐・・・手間ひまかけて作るのが宮廷料理。
何しろおもてなしが多いうちだったから、よく作ってたみたい。
逆にうちの母は家庭料理が得意。
イリチー、チャンプルー、シンジムン、そういうのが。
だから私は両方からエピソードを吸収したのね。
琉球料理の話になったら止まらない!ってくらいいくらでも出てくる。

 

県外で教室を開くこともあるんだけど、琉球料理はすでに一つのカテゴリーになってると思うんです。
中華、イタリアン、フレンチ、琉球料理、みたいな感じで。
県外には沖縄料理店というのが実際にあるわけでしょう?
だから、新たなカテゴリーとして十分通用するんじゃないかと思うの。  

 



水でもどした昆布を手に巻き付けて平らに伸ばす。折って返すことをふまえてしっかり定規でサイズを測る。

 



「返し昆布(ケーシ昆布)は本島では法事、八重山では祝事料理に使うみたい。全く逆なの、不思議よね。」

 

 



「もう一つは簡単。折って、切り目を入れて、こんにゃくみたいに穴に片方の端をくぐらせるだけ。」

 

 

– – – 本来の琉球料理は薄味なのに、今の人が崩しちゃってる

 

琉球料理は実はすごく奥が深いの。
沖縄の人は「え~、琉球料理?何を習うの~?」ってよく言うんだけど、習ってみると知らなかった料理もいっぱいあったし、調味法もかなりあっさりしているとか、目からうろこなことがたくさんある。
だから、勉強して私が感じたことを、きっとみんなも同じように感じるんじゃないかなって。
せっかく素晴らしい食文化で生まれ育ったのだからそれを伝えたいなって。
それで教室を開くことにしたの。

 

今日見てわかったと思うけど、どの料理にもだしをよく使うでしょ?
お重箱はある程度もたさないといけないから濃いめに味を付けるけど、普段のチャンプルーやイリチーはほんとに薄味。
だしを使えばあとは小さじ1くらいの塩だけで、素材の味をしっかり引き出す。
こういうことを意外とみんな知らないのね。

 

塩・醤油どばっと入れて、化学調味料も入れて・・・今はそういう味に舌が慣れちゃってるけど、本来の作り方をお年寄りにきくとだしを上手に使っているのね。茹で汁も捨てずに。

 

最近の料理の味が濃いのは今の人たちが崩しちゃってるの。
アメリカ文化で育って舌がそれに慣れてるから。
でも、だしの素やトゥーナー(ツナ)が特売されるのは、きっとだし文化で育ってるからじゃないかな。

 


「せっかくだからジューシーも作りましょう。茹でて冷凍しておいた豚肉があるからすぐできるよ。」

 



「茹ですぎると返す時にこんにゃくが切れちゃうのよ。」

 

 


天ぷらに使う魚に塩をふって水を抜く。出てきた水が下へ流れるように高さをつけておく。ここにも細やかな気配りが。

 


豚肉にすーっと箸が通ったら火がしっかり入った証拠。「少しでも箸がひっかかるようなら茹で方が足りないということ。」

 


長さを7cmに合わせ・・・

 



「こっち向きに切るのよ。
繊維を短く切るとお肉はやわらかくなるの。」

 


 

– – – ひと手間抜くことじゃなく、ひと手間加えることを教えたい

 

琉球料理を本来のかたちに戻していくためにも教室で味を伝えたいと思っているので、私は伝統を崩さないやり方で教えています。
崩したくないのね、それに意味があると思っているから。

 

崩す事は簡単。続けていく方がエネルギーが必要。
だから私も心動くわよ、「そうよね、崩しちゃえば簡単なのよね」って。
でも、一回はしっかり作ってみることが大事だと思うの。
味をしっかり覚えてからアレンジするのは良いけれど、知らないのに最初から「いいよいいよ、てーげーてーげー」って教えたら、それがその人の味になっちゃうじゃない?

だから最初だけは私は頑固に「面倒くさいけれどやってみて」って。
お肉を茹でる時もそう。
時間がないときは私も圧力鍋使うこともあるけれど、一度は普通のお鍋で時間をかけたお肉を味わってみてほしい。
それから省くか否かは個人の自由だから。

 

お料理教室というのは、ひと手間抜くことじゃなくひと手間加えることを教えるところだと思うから、必ずそうやって教えるようにしてるんです。

 


揚げ物はまず豆腐から。水切りした豆腐に塩を振って味をつけ、再度水気を拭き取ってから素揚げに。

 


「このままだと見た目がぼこぼこだから、お湯にくぐらせて・・・」

「ほら、しっとり綺麗な揚げ豆腐になったでしょう?」

 



次はふかしたターンム(田芋)を素揚げし、砂糖醤油のたれで煮詰める。

 

 


最後に魚の天ぷらを揚げる。
天ぷらの衣を作る。

 


衣を付ける前に小麦粉を振るひと手間。
「こうすると、揚げた時に衣がしっかりとつくのよ。」

 


「先を入れたら3秒くらい静止、それからゆっくり流し入れて。
まっすぐな天ぷらを揚げるコツよ。」

 

 

– – – 長男嫁が多くて、話が盛り上がるのよ(笑)

 

生徒さんの平均年齢は50歳くらいかもしれない。割と高いの。
ここに来た理由をきくと、「そろそろお嫁さんを迎えるから。」とか、伝えていく側になった人が多いみたい。

 

あとは、内地から嫁いできたお嫁さんで「自分の親は琉球料理わからないから」っていう人。
親が知っていれば親から習えばいいわけだもんね。

 

いずれにせよ、行事をしきる年代になった人が多くて、長男嫁率も高い(笑)。仏壇を持ってる人ね。
だから、行事の話になるとみんなかなり盛り上がるわよ(笑)。
苦労も分かち合えるしね。

 

最初、電話で問い合わせしてくださる時に、「私みたいな年代の生徒さんいます?」っておっしゃるから「ほとんど同年代ですよ~」
って(笑)。
30代だと若いほうね。
それぐらいの年齢の方は、もっとおしゃれなお料理に目がいくと思う。
自分もそうだったもの。

 


「こうして並べると頑張った〜!って感じがするわね(笑)」

 


見た目の美しさも重要。「上下左右どこにも隙間ができないように並べるの。全ての料理が同じ高さになるよう上げ底して。」

 


「昆布は左右互い違いに入れると綺麗。返し目もそろえてね。」

 


「ごぼうがちょっと長かったわね。少し切りましょう。この手間を惜しんでは駄目なのよ。」

 


「小さい切れ端は下に入れて、切り口が綺麗でサイズが揃っているものを上に。」重箱に入れる数は奇数。見た目も奇数になるよう、上のターンムは3つ。

 


「真ん中の列が上から昆布、かまぼこ、お肉と決まってるの。あとはは自分で彩りを考えて詰めてね。」

 

 


「私のジューシーを食べた70歳の生徒さんから『こんな美味しいジューシーは初めて』って褒められたのよ。さあ、試食しましょう。」

 


重箱の中身をおつゆにした「ヌンクー小(グヮー)」も添えて。

 

 

今の夢は、「はやく、立派な沖縄のおばあになりたい」。
それが目標(笑)。
ただのおばあじゃなくて、カッコイイおばあになりたいな。

 

講習会に呼んで頂くと、教室に入った時に「えー、先生若いんだね」って生徒さんに言われちゃうの。
まだ説得力に欠ける年代なのよね、見た目も童顔みたいで。
お料理の先生って息が長いでしょう?
元気なら80〜90歳になってもできる。
その年代からすると私はまだまだぺーぺー。

 

伝統食を語るには、経験積まないとダメっていう感じがあるから。

 

だから、「琉球料理のことは誰がわかるかね?」って話になったとき「かずみおばあっているわけよ、あのおばあに聞いたらなんでもこたえるよ」みたいな(笑)。
その年代になったら本当になんでもわかるようになってると思うのね、やり続けてさえいれば。
だからそういうおばあになりたいな。
それが私の夢。

 

 

後編では、市場での買物の様子もお届けします。

 

写真・文 中井 雅代

 

yonner food(よんなーフード)嘉陽かずみ料理教室303
*市場での買物を含むレッスンだけでなく、
教室での毎月の定期レッスンもあり、
重箱料理に限らず様々な琉球料理を教えています。
詳しくはホームページ(http://www.yonnerfood.jp)をご覧下さい。

 

ブログ:http://www.yonnerfood.jp/blog.html

 

2011 8月

 
 
8月23日(火)~8月28日(日)
@グローバルギャラリー(プラザハウス3F)
☆8/27(土)限定イベント
【蓄音機コンサート】開催 17:00~19:00 会場内にて

 
骨董を愛する店主たちが織りなす展示即売会です。
今年は「Louis Icart(ルイ・イカール)のロマンスに魅せられて」というサブタイトルで絵画を中心にアールデコの時代を意識して展示します。
 
フテンマアンティークモールブログ:http://happycargo55.ti-da.net/e3464415.html
時代屋かなすけブログ:http://jidaiyakanasuke.ti-da.net
 
~協賛店舗~
・ピッコロモンド
・時代屋かなすけ
・アンティーク シルバードール
・メイ アンティーク
・オリジナルアイデア工房S.EEE.D
 
今回のARTはアールデコの華麗な画家として評されるイカール。パリの女性をもっとも美しく描いた人-としてもその名が記されています。
イカールは1888年、フランスに生まれ、1950年に62歳の若さで亡くなっています。第1次世界大戦と第2次世界大戦のつかの間の平和の時代に活躍した画家でもあります。
イカールは、フランスのみならず、ニューヨークでも名声を得ていますが、パリの雰囲気がそっくり、そのままキャンバスの中に凝縮したかのように表現されているところが最大の魅力。
ぜひこの機会にイカールの魅力を堪能してください。
沢山のご来場お待ちしております
 
 

2011 8月


 

コンクリート打ち放しの外観は、モダンでスタイリッシュだし、キッチンはまるで洋書を見ているよう。リビングの家具はイタリア製だったりする。

 

これが沖縄の伝統家屋を強く意識して造られた家だと、見ただけで理解する人はきっと少ない。

 

 

「この家を建てたころはね、バナキュラー建築といって、その土地の固有性を大切にした建築様式が流行っていたんだけれども、例えば赤瓦とかヒンプンとかね。私はそうではなくて、‘いわゆる沖縄的’なものを否定したなかから、現代建築で沖縄的な空間を創れないかと挑戦したくてね」

 

なるほど、だから一見しただけでは気づかないのだ。記号としての沖縄らしさよりも、「長寿」「夏が長い」「湿気が多い」など、物としての表現ができないそれを重視して、団設計事務所の永山盛孝さんは、20年ほど前にこの自邸を設計した。

 

 

「モデルは北中城村にある中村家住宅。道路からは中の様子はうかがえない。でも一歩敷地の中へ入ると、外から見たのとは対照的にあけっぴろげでルーズで、空間に序列がない。そういうところを取り入れたのがこの家だね。外から見たらコンクリートの塊みたいだけど、中にはいるとスケスケという空間を造ったんです」

 


 

この日お宅を訪ねたとき、玄関がどこかわからず辺りを見回した。

 

「玄関どこですかって? それも正解というか。ふつうならタイルを貼ったり飾り戸を使うなどしてちょっと豪華にするけれど、ここは玄関も他と同じように砂利敷にして、勝手口なんかと同格にして、好きなところから入ってくださいということなんだ。家の外からの視線はさえぎりたいけれど、風は通さなきゃいけないということで、色々考えたのがね、お隣さんとの境に使ったルーバー。これね、一本一本が二等辺三角形になっていて、頂点と底辺を重ねるとどの角度からも覗けないんだね。玄関脇の支柱もね、パンチで穴を空けた鉄板を巻いて、これも風を通して視線をさえぎる仕掛けだよ」

 


 

風の話で腑に落ちた。なぜ沖縄の伝統的な住宅がその姿を成すにいたったのか。暑さのため、戸を閉め切ってなどとてもいられない。だからといって何の策なしに全て開け放てば、誰にも丸見えでくつろげない。

 

そのことを解決するために、視線を通さない程には高く、風を遮らない程には低く石を積み上げたということだ! 石垣で外の視線を遮るなんて、なんだか排他的で沖縄らしくないのではとすら思っていたのに。記号としての沖縄を排することで、本質により近づくことができたのだ。

 

 

「長寿」や「湿気の多さ」などの沖縄らしさもしっかりと具現化されている。20年前に建てられているのに、すでにあらゆるところがバリアフリーになっているし、後々のことを考えてエレベーターを新たに入れられるよう場所も確保してある。
風呂場や洗面所には換気扇が要らないくらいに風通りを工夫した通気口が。

 

永山さんが小学生の頃、まだ基地だったこの辺は草っ原で、よく遊んだ思い出を切り取って残したという屋上は、まさしく額面通りに草っ原。「雑草が生えて、手入れの出来ないやつみたいだけど、負け惜しみでもなんでもなくてね、最初からこれがしたかったの(笑)」と、洒落気にもあふれる。

 

 

 

もうひとつ、永山さんがこだわりを強く持っているのが「光」だ。

 

「光の取り方はね、谷崎潤一郎の陰影礼賛にあるような日本的なものでなく、西洋的に直接とる方法にできるだけしたかったんです。これもまた挑戦というのかな、上から光を採って、極端に言えばもう窓はなくてもいいんじゃないかなというくらいの考えで。日本的というと、深いひさしがあって水平の光をとるとか、光を地面に反射させたり、障子を通す事でおぼろげにしたりとかね。西洋的というのは、教会などのイメージで、降り注ぐ光線をそのまま家の中に入れる感じを想像してもらえたらいいかな」

 


 

だけど沖縄の太陽の光は、西洋と違い強烈だ。

 

「西洋的にとはいってもね、そのままを真似することはやっぱり難しくてね。沖縄に合うように直射光を部分的にカットしてるんです。道路で使用する格子状のグレーチングという建材を使ってね。娘がね自分の部屋から空が見えたらいいなと言うから考えたんだけど、おそらく彼女はロフトみたいな屋根裏部屋みたいなものを連想していたんだろうね(笑)。地下に沈めてしまって、天井をガラスにしてね。普通に二階建てにしちゃうと、上から光を採れないでしょう。だからずらして沈めた。

 

太陽の角度がつくと、グレーチングの部分が陰になって綺麗なラインが出るんですよ。陰が私はとても好きでね、昔のカサブランカという映画のハンフリー・ボガードが市場の中を走り回って逃げるシーンがあって、よしずのような物から光が縞模様になって映るわけね、あれがとても好きでね。那覇の市場でも目にするああいった光と陰のコントラストみたいなもので沖縄らしい雰囲気がでるかと思ったんです」

 

 

ハッとするほどに印象的な光に出会える場は、この家の随所にある。

 

大きな穴がパンチングされた壁からはレンズ効果で陽の入る角度により、光の色が分かれブルーが見えたりする。

 

写真には収められなかったけれど、先ほどのグレーチングを通ったの光の縞は雲の動きに合わせて踊るように動く。

 

 

中でも印象に残ったのは、砂利敷にできた光の縞模様。遠目にはまるで枯山水のそれだったのだ。そこでまた気づいたことがある。岡倉天心が枯山水で水を感じさせるために水を抜いたと言ったように、永山さんも光を感じさせるために、半分を陰にしているんだと。

 

 

 

しかしはたと疑問が湧いてきた。こんなにも沖縄の風土にこだわる永山さんが、光に関してはどうして今度は西洋の形式にこだわるのか。そこに矛盾はないのか。

 

 

その答えは都市型住宅の志向の過程に。那覇という都市部で周辺の環境の影響を受けないようにするにはどうしたら。隣の家との隙間は数十センチ、横からの光はままならない。だから採光は窓からでなく、垂直の光を入れることに腐心したのだ。

 

 

赤瓦の連なる屋根には、確かに趣がある。このモダン建築の衣をまとった沖縄型住宅には神髄があるとは言えないか。伝統を深いところで理解し、家という建築物に落とし込むことで、永山さんは新たな沖縄の風土を紡いでいるのだ。

 


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