NAKAI

 
よしもとばなな/著  毎日新聞社  1575円/OMAR BOOS


―お店に灯りを点して―


数年前のこと。
仲の良い女友達とあるお店へ夜ごはんを食べに行った。
そのときのことが忘れられない。


そのお店は洋食を出すこじんまりとした居心地のいい場所で、
それは今でも変わらないけれど、
その夜は何かが違った。


まず店に入った瞬間、
オーナー、店員さん皆が笑顔で出迎えてくれた。
彼らはそれまで楽しい会話をしていた様子で、
入ってきた私たちに向けたその笑顔から
そのわくわくした感じが私たちにも伝線したようだった。


友人が頼んだトマトベースのパスタはとてもおいしくて、
パスタにうるさい彼女が
今まで食べたパスタの中で一番おいしいかも、
と呟いた。


その夜は話も弾んで、
そのお店の活気、
かすかなBGM,照明、
他のお客さんのざわめき、
パスタソースのいい匂い、
私たちの気分、
これら全てがいいように重なって幸福な空間が出来上がっていた。


何か特別なことが起こったわけじゃない。
口には出さなかったけれど、
何だかとても幸せな気持ちになっていた。
たぶん友人も同じように感じていたと思う。
ちょっとした魔法にかかったようだった。
あの夜はおそらく二度と再現は出来ない。


この小説を読むとそんなことが思い出された。
「場」の持つ力、みたいなもの。


ストーリーは、あるつらい出来事があって突然父親を失った
まだ20代の“よっちゃん”が「下北沢」に移り住み、
ビストロ「レ・リヤン」で働くことで
新しい生活を始めるところから始まる。


そこにお母さんが一緒に住まわせて、と
せまい部屋に転がり込んでくる。


この街にとって新参者だったふたりは、
「下北沢」でいろんな人に出会ったり、
おいしいものを食べたり、恋をしたり、
お酒を飲んだり、笑ったり、泣いたりして
この街でしっかり地に足をつけて生活することで光を取り戻していく。
 

誰にでも思い入れのある「街」があるだろうけれど、
その「街」を作るのは自然や建物だけではなくて、
そこに暮らす人や時間によっても作られる、
ということをこの本は伝えてくれる。


また「お店」や「お店」をやっている個人の力についても。


私自身もお店をやっているから読みながら背筋が伸びるようだった。


幸せは毎日の何気ないことの積み重ねの中にあるもので、
即席ラーメンのようなものでは決してない。
変わり映えのしない見慣れた目の前の風景や
だらだらと過ぎていく時間もまたかけがえのないもの。
変わらないものは何もない。
変わるからこそ愛おしい。


本の冒頭にフジコ・ヘミングさんの言葉が出てくる。
とてもいい言葉(字数が足りないので書きませんが)なので
実際本を手にして読んでみてほしい。


あと、映画「ざわざわ下北沢」もおすすめ!


いつも通りお店に灯りが点っているのを見て、
「あっ、今日もやってる」
と喜ばれるような灯台のような存在。
そうなるには、日々の営業を続けることが何よりも大事なんだと
つくづく思った今回の読書。


とりあえず明日もがんばろう。



OMAR BOOKS 川端明美




OMAR BOOKS(オマーブックス)
北中城村島袋309 1F tel.098-933-2585
open:14:00~20:00/close:月
駐車場有り
blog:http://omar.exblog.jp

NAKAI


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6/7(火)〜13(月)
10:30〜19:30
@リウボウ7階 美術サロン
 

 
 

NAKAI


 

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日頃、言う事ができなかった「ありがとう」の感謝の気持ち・・・
そして、これからも元気でいて欲しいという想い。
今年は自分が愛用しているモノを通して伝えてみようと思う。
 
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足の特徴に合わせて調整できるストラップで、
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NAKAI


 
「おばあちゃんのサーターてんぷらはみんな大好き。
親戚や友達がみんな送って〜って言うもんだから、
北海道や、アメリカにも。」
 
と、娘さん。
 
「そうよ、どこまででも行くよ、これ。」
 
と、誇らしげな清子さん。
 
宜野湾で沖縄料理の食堂「ちゃんぷる亭」を営む清子さんの
サーターてんぷら(=サーターアンダーギー)の美味しさは評判で、
小学校の父兄から作り方を教えて欲しいと頼まれ、
学校で教えた事も何度もあるという。
 
「おばあちゃんのが一番美味しい、
私の息子も大好き。」
 
と、ちゃんぷる亭を手伝うお孫さん。
 

 
「あんたも今日、覚えてから帰りなさい。
まず、卵ね。
メリケン粉1kgに対して卵は10個。
数が決まっているわけさ。
 
そしてバニラエッセンスを入れる。
隠し味よ~。
 
メリケン粉は、ふるいにかけながら入れると良いよ。」
 

 
「混ぜるのは泡立て器を使って、ちゃんと手で混ぜるんだよ。
ほら、今は混ぜる機械があるさ?
なんていったかね。
ミキサー?そうそう。
あれを使って混ぜたらダメよ。
この混ぜ方が、美味しく作るための一番大事なコツかもしれないね。
ミキサーで混ぜたら、フーなる。
固くなるわけ。もう切れないくらいによ。
 
して、砂糖を入れる、580g ね。
 
この間、誰かが580gは多いと言って少なくしてから作っていたけど、
美味しくなかったよ。
580gといっても決して多くはないから、
ちゃんと分量を守っていれた方がいいよ。
 
メリケン粉も、安いの使って作ったら味が全然違う、おいしくない。
だから、安売りしてるときに上等を沢山買っておくわけ。」
 

 
「塩は本当に少々。小さじ4分の1くらいね、隠し味だから。
 
そして、ホットケーキミックスを大さじ3杯。
ベーキングパウダーを小さじ1杯。
 
そこに、溶かしたバターも。
一本の半分だから100gくらいかね。
 
バターは入れない人が多いかもしれないけど、
バター入れたら、てんぷらが油飲まないわけ。
油には油を、ということ。
よく油っぽいさーたーてんぷらがあるでしょう?
生地にまで油入れたら、余計油っぽくなるんじゃない?と思うけど、
ならないね。
そして、バターが入る分、メリケン粉も大さじ3杯余計に入れるのを
忘れないようにね。」
 
木べらで生地を混ぜる。
 
「この時、切るようにさっくり混ぜるんだよ。
じゃないと、ぎゅっと詰まった固いさーたーてんぷらになるからね。」
 

 
油を熱する。
火はごく弱火。
 
ミシゲー(しゃもじ)を使って一個分を手に取り、
くるくるっと丸めて手早く油の中に入れる。
作り慣れているのがわかる、滑らかな一連の動作。
 
「この業務用のコンロは難しいわけ、火が強いから。
家庭用のコンロが良いよ。
弱火でじっくり揚げるんだよ。」
 

 
「さーたーてんぷらは、わじわじーしてたら作れないよ。
なんでかって?
時間かかるからさ。
弱火でゆっくり揚げないといけないのに、
なかなか揚がらんからとわじわじーして火を強くしたらすぐ焦がしてしまうよ。」
 

 
「あい、一個焦がしているさ。
家のコンロだったら焦がさないけどね。
 
できるだけ触らないように、放っておくのも大事よ。
あんまり触ると、てんぷらの花が咲かない。
ぱかっと割れない、ただの丸いてんぷらになってしまう。」
 

 
「ほら、割れてきたでしょ。
ミキサーで混ぜたらこんなふうに割れないからね。」
 
香ばしい、甘い香りが漂い始める。
 
「良い匂いでしょ。
これ、バニラエッセンスの匂いだはずよ。」
 

 
次第にきつね色に。
 
「割れたところにもこんがり色がついたら、出来上がり。」
 

 
「孫がハンドボールしてたから、大会の時とか、
エイサーの練習とかにもよく作って持って行きよったよ。
そういう時は食べやすいように最初は小さく作るんだけど、
途中から難儀なって、マギー(=大きく)なってくるわけさ(笑)
 
今日の材料の分量だと、
普通の大きさで大体43個作れるよ。」 
 

 
「はい、出来上がり。あちこーこー食べなさい。」
 

 
適度に空気を含んだ生地で、ふんわり膨らんだサーターアンダーギー。
手で割ると、バニラエッセンスとバターの香りが鼻腔をくすぐる。
 
「いただきま〜す!」  
 
一口食べると、そのやわらかさにまず驚く。
こんなにしっとりふかふかなサーターアンダーギーは初めて!
そして、
味わいのなんと上品なこと!
サーターアンダーギーと言えば、沖縄家庭のおやつの代表格だけれど、
ここまで品のある味に仕上がるなんて。
小麦粉、砂糖、卵にバターと、
珍しい材料は一切使っていないのに、
不思議、なんで?

 
「さ〜、なんでかね?
学校なんかで教えても、
みんなうちに帰ってから作ってみたら
こんなに美味しくは作れなかったと言うわけさ。
 
火加減と混ぜ方さえ気をつけていれば
大丈夫だと思うけどね。
 
もう、おばあは味見もしないよ。
だって、美味しいとわかっているんだのに。」
 

 
「ちゃんぷる亭」の常連さんたちは、
清子さんのサーターアンダーギーの美味しさを知っている。
最近店を移転したのだが、移転記念にと作って配ったからだ。
 
「よく、
『さーたーてんぷらもメニューにのせて!』
と言われるけど、出していない。
注文が来た時だけ作る。
週2回くらいは注文が来るからね、
それだけ作っているさ。」
 
大人気の清子さんのサーターアンダーギーのレシピは、
家族がしっかり受け継いでくれそうだ。
 
「子どもや孫たちがいるからね、今、わが家では助手がいっぱいよ。
みんな作り方も覚えている。
幼稚園生のひ孫も、私が何か忘れてたら
『おばあちゃん、塩いれた~?』
と、教えてくれるよ。」
 
揚げ物お菓子ということで、
手づくりハードルの高そうなサーターアンダーギーも、
清子さんの手にかかると、いとも簡単に作れるように見える。
 
「子どもには、自分で作って食べさせるのが一番良いよ。
みんな嬉しいでしょう、お母さんが作ってくれたら。」
 
はい。
わじわじーせず、
よーんなよーんな揚げてみます。
 

写真・文 中井 雅代

 


 

NAKAI


photo: naoko ushiban
 
「琉球泡盛 島米」。
原料である金武町産の米「ちゅらひかり」は、
恩納岳の美得川(びとくがわ)上流を源泉とする水によって作られている。
 
イネ品種の中でもトップレベルの食味を誇るちゅらひかりが放つ透明感を思わせる、
シンプルながら、すっと心に響くデザイン。
その丸みを帯びたフォルムは、美しいカーブを描く新米にも似ている。
 
この美しいパッケージデザインは、著名なデザイナーからも高く評価され、
「ガラスびんデザインアワード2008 」で優秀賞を受賞した。
「think of(シンクオブ)」代表の金城博之さんは、
沖縄から初の受賞という快挙を成し遂げたのだ。
 

誰もが目にした事のあるあのデザインも、金城さんによるもの。
 

 
「僕の仕事の多くは受注なので、
理想と現実の兼ね合いが必要です。
 
30代で独立して突っ走って来て、
色々経験もしたし、やりたい事もやってきたとは思いますが、
正直に言うと、未消化です。
 
これからは、クライアントと一緒にプロデュースしたり、
セルフブランドを創造したりしていきたいと思っています。
それによって、自分が考える『豊かさ』を表現できたら。」
 
—— 『豊かさ』というのは?
 
「これは僕のエゴかもしれないけど、
せっかく良い素材なのにパッケージで台無しになってしまっている商品もありますよね。
お互いに温度差があるというか。
お互いに、というのは、
例えばメーカーと生活者だったり
メーカーとデザイナーだったりするのですが。
そこに、リスクシェアというよりも価値の共有が必要だと感じていて。
 
メーカーの持っている良い側面を、
デザイナー側が新たに発見できるということもあると思うんです。
そういう意味でフィフティー・フィフティーの関係でいたいなと。
 
デザインにおいては、クライアントが持っている価値を引き出したり、
その価値を明確化していったりという作業が必要だと思っています。
そうする事で、パッケージの中身と外見の関係がイコールになっていきます。
デザイナーの仕事とはまさに、そうやって中身と外身を近づけていく仕事。
そういうことに、僕は豊かさを感じるんです。
 
僕にとっての豊かさとは、ときめきやパッション、感動を得るということです。
中身が変わらなくても、デザインが入っていくとそこにはパッションが生まれますから。」
 
—— 企業に決定権を持たせておけば、
金城さんが背負うリスクは必然的に少なくなります。
そこをあえて、プロデュースやセルフブランドの確立にも意欲的なのは、
沖縄を良くしたいという想いから?

 
「勿論、そういう想いもあります。
また、現状ではデザインが切り売りされていることが多いので、
自分に限らず、デザイナーというフィールドの役割をステージアップさせて表現したいという想いもあります。
 
例えば海外では、公共空間から店舗、パッケージにいたるまで多くのパッションを感じさせる、
ときめきのある要素が数多く見られます。
 
今はどうしても、お客様に同調しながら自分の世界を創っているところもありますが、
相手から想いを引き出しつつ、そこに自分の感性を加えて行くのが僕の役割だと思っています。」
 

 

 

「企業にも色々あって、
マーケットを推し量って物を作る企業もあります。
そうなると、注文される時も
『これじゃ沖縄らしくない』
という風に言われることもあって。
そういうマーケットありきのフィルターでははなく、
情熱を持ってデザインと向き合いたいと常々思っています。
数字ではなく、人間的な感覚を大切に、
でも、熱いだけではだめなので、本質的な部分もしっかり持って、
自分の役割を果たしたいですね。」
 
—— 「沖縄らしさ」というオーダーについてはどう思われますか? 
 
「一番難しいオーダーだと思います。
最近はなくなってきましたけど、最初はよく言われていました。
でも、そういう次元で考えているとだめだと思って。
ちゃんとときめきのある仕事をしていければ、
時間を経て、必然的にそれが沖縄らしさになっていくじゃないかな?って。
 
例えば沖縄で暮らしていく中で、沖縄の自然を身近に感じながら、
そこからにじみ出たものをストレートに表現していけば良いんじゃないかと。

情熱を持って生みだされたものであれば、
生まれた当初は沖縄らしくないかもしれないけど、
最終的にはそれが沖縄らしさとして受けいれてもらえるようになると思うし。」
 

 
—— デザインする上で、金城さんが最も大切にしていることは? 
 
「相手が持っている答えを引き出していくというプロセスでしょうか。
相手の中では漠然としている答えを、話し合いを重ねていくことで引き出し、
それによって具体化させていくように心がけています。」
 
—— 聞いているとカウンセリングにも似ているように思うのですが 
 
「そうですね。
自分がこうしたいという押しつけではなく、
お客さんがこうしたいんだと思っているものも含めて組み立てていくのです。
とはいえ、僕はガージューなところもあるので(笑)、そこはバランスをとって。
 
自分一人ではなく、僕の場合は必ず相手あっての仕事であるような気がします。
つまり、自分が創りたいものを創るというのとは違って、
相手の話をよく聴き、状況を汲み取り、表現していく感じです。」
 
——相手と向き合うことを大事にしているというのは、
金城さんがデザイナーを務める 「 ti tu ti (ティトゥティ)」

(関連記事:ti tu ti OKINAWAN CRAFT)
にも通じる姿勢のような気がしますが。
 
「そうですね、お客様は作家にダイレクトに会えるし、
作家はお客様の反応を感じられる。
沖縄だと、それができる。

それに、僕の場合は相手ありきなので
『あなたが好きな様に描いて』
というのが一番難しくて。
 
以前は、沖縄を拠点にして東京の仕事ができたらいいな〜と思っていましたが
顔が見えて、声がちゃんときこえないと、難しい。
そこを僕は大切にしています。
ビジネス的な関わりではなく、
例えば一緒にランチを食べたりして、相手の素に近づき、
お互いの価値を共有することをとても大切にしています。」
 
—— ti tu ti のメンバーと価値観を合わせるために、
みんなで北欧に行った、というエピソードにも似ていますね。

 
「そうですね、目的は似ているところがあります。
例えば、ぱっと来て、ぱっとオーダーされても、僕はできないんです。
そこに価値の共有がなければ。」  
 

 
—— think of の事務所はとても目をひきますよね。
 
「通常、デザイン事務所ってビルに入っていることが多いんですけど、
一階で通りに面しているので、人目につきますよね。
外からみんな中をよく見ていますね、『なにやってるんだろう?』って。
でもそれで良いと思っていて。
わかりやすさよりも、何だろう?って考えてもらう事が必要なんじゃないかと。
世の中はわかりやすさばかりが重要視されて、見る側は思考する必要がない事が多い。
『この店は何だろう?』
って考える事で、頭を働かせますよね。
事務所を建てるときに、そういう想いを反映させました。
 
あと、実はもう一つ狙いがあって。
仕事としては受注業なんですけど、
ある程度自分のことを知ってオーダーして頂いた方がやりやすいんです。
事務所のデザインである程度僕の世界観を表現して、
それ見て魅力を感じて来てくれた方だと、話が早いんです。
でも逆に、自分を知らずに『◯◯さんから紹介されて』という感じだと、
そのギャップを縮めるまでの時間が、どうしてもかかってしまうんです。」
 
—— 事務所の雰囲気が気に入れば、
価値観のベースがお互いできあがっているということですもんね。

 
「そうですね。」
 
—— カフェか何かと勘違いされたことは?
 
「最初はありました、外国人の方が入って来たり、
二次会の予約をされたり(笑)。

でも、それで良いんです。
デザインって本来、暮らしの中にあるものですから。」
 
 
自分が沖縄県民であるという事実から、目をそらさないというだけではなく
そのことを全力で考え続けているひとなのだと思う。
 
沖縄風の「いかにも」なモチーフが入っていなくとも、
「あ、沖縄の商品だ」
と、誰からも認識してもらえるような商品が、市場に豊富にあるとはいえない。
 
伝統に敬意を示しつつ、
沖縄の新しい可能性を模索しながら、しっかり前へ進んで行くスタンスは、
think of と ti tu ti に共通している。
 
だれもまだ見たことのない
「新しい沖縄らしさ」
が、
これからも think of から生まれ続ける。
 

写真・文 中井 雅代


think of(シンクオブ)
那覇市牧志2-23-6 1F
TEL.098-860-8372 
FAX.098-860-8373
HP:http://www.think-of.jp
mail:dream@think-of.jp

 

NAKAI


 
「フラだけじゃない、ハワイを学べるんです、ここでは。」
 
レッスン受講歴を訊くと、
6年、8年・・・と答えが返ってくる。
 
教室に入って来るハウマナ(ハワイ語で「生徒」)たちは、
お互いの頬をくっつけ合い、
「アロハー」
と、愛情を込めて挨拶をし合う。
 
私は、これから陽気な音楽を伴奏に、
楽しいフラダンスの練習が始まるのだとばかり思っていた。
 


レッスンが始まる前に、クム(先生)とハウマナが教室の両端に別れ、ハワイ語で長い挨拶を行う。
その後、両者は中央に集まって手をつなぎ、目をとじてこれもハワイ語で祈りをささげる。

 
ハワイ語による祈りが終わり、
ハウマナ達がスタート位置でスタンバイすると、
流れて来たのは陽気なハワイアンミュージックではなかった。
 
イプヘケと呼ばれる、2つの瓢箪をつなぎ合わせたものを床に打ち付けたり、
表面を叩いたりしてリズムをとる。
古典の伴奏で用いられる楽器だ。
 

 
イプヘケが刻む不思議に心地よいリズムと、
クムからの動きの指示、
生徒によるかけ声とも指示に対する返答ともとれるような両者のハワイ語が
静かな教室に響く。
 
それは、「フラダンス」という言葉から一般的に想像されるような
賑やかでいかにも南国然とした明るさに満ちたものではない。
 
生徒達の顔にも笑顔はなく、荘厳な雰囲気に包まれている。
 
一糸乱れぬ動きで、何分間も踊り続ける生徒達の額からは
汗が流れ落ちてくる。
一つの流れが終わると、みな荒い息を吐く。
呼吸を整える間もなく、次のフラが始まる。
 

 
「これは『カヒコ』と呼ばれる古典のフラなんです。」 
 
私たちがイメージする明るい雰囲気のフラは、現代のフラ、「アウアナ」と呼ばれる。
 
「ハワイはもともとは文字を持たない文化だったため、
『フラ』と呼ばれる踊りと『チャント』と呼ばれる歌によって
史実を継承してきました。
ですから、クム・フラ(フラの先生)という仕事は、
記憶力が良い人しか就けない仕事だったんです。
カヒコの内容は、ハワイの歴史です。
例えば家族の事、皇帝の事、海のこと。全てが本当に起こった事。
だから、間違えちゃだめ、間違うと歴史が変わってしまうことになるから。
 
フラの大会に20人ものジャッジがいて、
ハワイ語、脚の形、手の表現力など、全てを細かくジャッジするのはそのため。
『間違っている』『本来の踊りと変わってきている』
という風に、とても細かくジャッジペーパーに書かれてしまいます。
 
だから、大会に出るのはとても勇気のいること。
ただ見て、手を叩いて、楽しんで・・・っていうフェスティバルじゃないんです。
衣装も、レイの設定は正しいか、その時代にそういう衣装があったかどうかなど、
大会の度に勉強しています。
古典のフラには、歴史の継承という役割があるんです。」
 

ハワイで行われる大会への招待状を受け取り、喜ぶクム。「希望して出られる大会ではないので、招待頂けるのはとても嬉しいですね。」
 


 
現代のフラであるアウアナが始まると、
教室の雰囲気も一変する。
古典のカヒコを踊っている時に私が感じたのは
「神」と「祈り」。
神聖で厳かな、空気の密度がぎゅっと濃くなるような雰囲気だった。
 
そこに、殆ど前ぶれなく、クムがウクレレを奏で始める。
 

 
それまで真剣だった生徒達の顔に、
穏やかな笑顔が浮かぶ。
それが、本当に不思議な表情なのだ。
ただの笑顔ではない。
私たちが日常的に浮かべるような表情ではない。
 
その表情からダイレクトに伝わってくるのは、
深い深い「愛」だ。
踊ることに対する、人に対する、自然に対する、クムに対する、万物に対する、
「愛」。
そして、「感謝」。
彼女たちが語るハワイ語は全く聞き取れないし、
その手の、脚の動きが何を意味するのか私は何もわからないのに、
そのまっすぐな想いは、ドキッとするほどダイレクトに響く。
 
表情だけではない。
何かを大切に慈しむように動くたおやかな手の流れも、
大地を踏みしめるようにしっかりと床をとらえる足の動きも、
その一つ一つが、見ている者に語りかけてくる。
 

クムの指導の手伝いをする「アラカイ」であるPoli(ポリ)さん。
声の向こうにハワイの優しい山々が見えるような、澄んだ、強い、深みのある歌声

 

 

 

浦添の一角にある緑に囲まれた教室。見晴らしの良い高台にあり、ハワイの自然に囲まれた一軒家を思わせる。 
 
クム・フラである大田エコ先生は、
幼いときからハワイアンに囲まれて生活していた。 
 
「父は建築の仕事に就いていて、軍の建物や沖縄のビルなどを建てていましたが、
ハワイの企業と組んで仕事をするときは通訳も務めていて。
ハワイからくる通訳は日系ハワイアンなんですが、
仕事の場だけでなく、プライベートでも仲良くお付き合いをしていました。
子ども達を連れていくと親しくなりやすいということもあったのでしょう、
私もいつも連れて行かれていました。
 
ウクレレは4年生から弾いていましたし、フラは当たり前、
やらなきゃいけないもの。パーティーで踊らされるんです。
女の子たちは日曜に集められて練習、それがイヤでイヤで(笑)。
 
一方、お兄ちゃん達はサーフィン、それが羨ましくてたまらなかった。
 
大学を卒業後、沖縄で初めてのサーフショップを立ち上げました。
そのお店の名前が『カラカウア』。
『カラー』は太陽、『カウーア』は雨という意味。
雨の日もあれば晴れの日もある。
海も同じ、波がある日もあれば、無い日もある。
それって人生と同じだなって思ってつけた名前でしたが、
偶然、ハワイにも同じ名前の国王がいて。
しかも、カラカウア国王の時代になって初めて、フラが復活するんです。
フラに貢献してくれた王様なんです。」
 

 
「1990年に、あるパーティーでアンクル・ジョージに出逢いました。
『彼はフラの有名な先生だよ』と紹介されたのですが、
ハラウ(フラの教室)に通ったこともないし、フラに興味もなかったので
私は、『ふーん』って感じで(笑)。
ジョージが、
『踊る?』って訊くので、
『ちょっと踊れるよ。』
『じゃあ、僕が弾くから踊ってごらん』。
 
その時、私ったら失礼にも
『おじいちゃんは踊れる?』
って訊いたの(笑)。すると、
『いいから早く踊れ!』
って。
歌い始めると、それはもう驚くような美しい声で。
そりゃそうですよね、
マスター・クム・フラ・ジョージ・ナオペといったら、
ハワイでは知らない人のいない、ハワイの人間国宝ですから。」
 
エコ先生は、フラの神様とも呼ばれる大御所の前で踊ったのだ。
 

 
「私のフラを見た後、
『ハワイに来る時には僕のところにおいで』
と名刺をもらって。
その頃はサーフショップの仕入れとサーフィンをしにハワイまで行っていたので
翌月早速行ったんです。
そしたらいきなり
『お稽古するよ』
ってサーフボード置かされて、急にお稽古が始まっちゃって。
なんのこっちゃ?って感じだったんですけど、
最初にやったのがカヒコ(古典)だったんです。
それまではアウアナ(現代フラ)しかやったことがなかったんですが、
カヒコがもう、面白くてたまらなくて。
私と彼と二人だけ、他に誰もいなくて、彼が太鼓を叩いて。
でも、面白いから約2週間の滞在中、毎日通いました。
そしたら、
『次はいつくるか?』って。
『じゃあ3ヶ月後。』
『その時は1ヶ月くらいいれるようにしたら?』
って言うから、じゃあそうしま〜すって。
その繰り返しで彼のところで学び始めました。
 
行く度に有名なミュージシャンやフラの大御所を紹介してくれたり、
フラの大会に連れて行ってくれたり。
彼はとても有名な人ですから、みんな拍手で迎えるんですね。
 
そうやってお供させてくれていたのは、
私に彼のフラを継承させようと思ってくれていたのかもしれませんね。」
 

 
ハワイと沖縄を行き来し、
サーフショップを経営しながらフラを勉強して10年経った頃、
アンクル・ジョージから「沖縄にハラウ(教室)を作ろう」と言われた。
 
「私は仕事がありますからって最初断ったんです。
それに、沖縄でフラは普及しないとも思いました。
お稽古ごと自体する人が少なかったし。
そしたら、
『僕が教えたものを沖縄に残したくないの?』
『でも・・・人が集まらないもん』
『1週間に1回、1時間の1クラスだけでいいからスタートしよう』
って。
それで1997年に彼が沖縄に来て、私の事務所のすみっこで、
『ここを教室にする!』
と言って、始まりました。」
 
日本での公演も多かったアンクル・ジョージは
毎月のようにハワイから東京を経由し、沖縄へやって来た。
 
「私、貧乏だったから
来てもらってる間はうちに泊まってもらって、ごはんも一緒(笑)。
そうやってずっとお稽古をつけてもらって。
だから、教室の最初の生徒たちは彼に直接教えてもらってるんですよ。
今考えるとなんて贅沢なんだろうって思います。
 
頻繁に来ているうちに沖縄を好きになったみたいで、
長い時は3週間、短くても1週間くらい滞在するようになりました。
その間、私にも生徒にも毎日お稽古をつけてくれて。
生徒が
『いくら払ったら良いですかね?』って言うから
『じゃあ・・・500円くらい集めてくれる?』(笑)。
5人くらいしかいないから合わせて2,500円くらい持っていきましたけど、
今思うと怖いですよね。
東京で教えてもらっていた人に後で訊いたら、
一人15,000円だったって(笑)。
それ聞いて私、冷や汗出ましたよ(笑)。」
 
2000年、エコ先生はクム・フラ(フラの先生)となるための「ウニキ」というプロセスを経て、
その時試験を受けた中で唯一の合格者となり、クムの称号を得た。 

クムは指導者であるため、フラの大会に出場することはできなくなる。
生徒達の育成に全力を注ぎ、
すぐにハワイの大会に出場、
初参加で入賞するという快挙を成し遂げた。

「それから毎年、9月に行われるハワイ島コナでの大会と、
11月のオアフ島での大会に出場しています。
15回出場して10回入賞しているから、確率は高い方じゃないかしら。」
 

 
2009年、アンクル・ジョージは惜しまれつつ亡くなった。
 
「亡くなる前に会った時、
『師匠であるあなたがこんな状態で、
私は誰についていけば良いの?』
って訊いたんです。そしたら、
『お前はもう、一人で十分やっていけるよ。』
って。」
 
その言葉をきっかけに、
よりいっそう、心を込めて後進の指導に当たることを決意したという。
 
「ハワイの本来のフラが失われつつあるんです。
古典ってとても素敵なのに、古過ぎると思う人も多いみたいで。
やっぱり、ウクレレに合わせて踊る、
陽気な現代フラが好まれ、よく踊られる傾向にあります。」
 
エコ先生が古典に惚れ込んだのは、
アンクル・ジョージの影響が大きいという。
 
「彼の朗々とした声と、その歌いっぷりが素晴らしくて。
心にうったえかけてくるような歌声なんです。
 
彼が私に『チャント(歌)』を教える時、
私がどんなにやっても
『声が出ていない、イメージがわかない』って。
そこで彼が森の歌を歌うと、本当に森が見えるんですよ。
浮かんでくるんです、目の前に本物の森が。
そんな彼の歌声にしびれましたね、心から。」
 
幼い頃はフラがイヤでイヤでたまらなかったというエコ先生。
アンクル・ジョージに出逢っていなければ、今の自分はないという。
 
「おばあちゃんになってもサーフボードを持って・・・というのが夢でしたから。
1996年頃まではサーフィンもやっていましたけど、
ダンサーは手足や顔を傷つけちゃいけないと言われて、控えるように。
また、市場の変化やフラへの想いの深まりが、私の人生の転機と重なって、
2007年頃にサーフショップをきっぱりやめました。
それからは朝から晩までフラだけ。フラが中心の生活になりました。
そうやって練習を積んで、毎年大会に。
 
09年に彼が亡くなったのですが、
すごく長かった自分の髪を、彼の棺桶に入れたくて切ったんです。
正直に言うと、髪を切ったのは『フラを辞めようか』という気持ちもあったから。
師匠がいなかったら無意味だし、
自分のフラがだんだん嘘になっていくのではと思ったからです。
 
でも、亡くなる前に会った時、
『沖縄にフラを残すね』
と約束しましたし、
同じ流派の先輩が、
『これからはアンクル・ジョージの代わりに
僕が君をヘルプするから』
と言ってくれて。
やっぱり続けて行かなきゃいけないんだって
改めて使命感を感じました。」 
 

 
生徒が「フラだけでなくハワイを学べる」と言ったように、
フラからハワイ語も学ぶ。
 
「普段使わない言葉ですから、きちんと勉強しないと覚えられません。
踊りを教える時に、ハワイ語の意味と軽い文法を説明しながら教えます。
ノートに書いて・・・というお勉強の時間もちゃんとあるんですよ。
ウクレレもみんな弾けますよ、
コードも全部書いて教えています。
フラを踊るにはオールマイティーじゃないとダメなんです。」
 
沖縄で育ちながら、ハワイアンに囲まれて育った先生。
沖縄とハワイに相通ずるものはあるのだろうか?
 
「ありますね。
悪いところはルーズなところ、時間もね。
それから、笑って済ませちゃうころ(笑)。
 
良いところは、お互いを愛し合う『ゆいまーる』の精神。
そして、集まってみんなで食べる事が好きなところ。
 
ジョージは、私がハラウ(教室)をやることになった時、
うちの台所にあった鍋を見て
『こんなんじゃ何もできないから、
大きい鍋を買って来ーい!』
って言うんです。
だから大きな寸胴を買って。
そしたら、彼がシチューを作りながら
『美味しいものがないとハラウに生徒が集まらないよ。
みんなで一緒に食べたら、心がオープンになるでしょう?
そうしたら、みんなフラも習いに来てくれるよ。』って。」
 

 
ハワイの大会で日本人のチームが入賞するという快挙を
何度も成し遂げて来たエコ先生だが、
遠い未来を見据え、目指している夢があるという。
 
「もしハワイの人がフラをなくしてしまっても、
沖縄に残っていればいいなって。
いつの間にか失ってしまったフラが沖縄に残っているんだ!
と知ったハワイの人が、沖縄にリサーチに来る(笑)。
『教えてください!あの踊りはハワイではもう見られないんですよ。』って。
 
例えば、沖縄語がブラジルに残っていたりするでしょう?
沖縄を離れて遠くに行った人が、
故郷を想って方言を使い続けるように、
間違えないように、曲げないように、フラを残していきたい。
 
エコという人が沖縄にいて、その人がフラを伝えていったんだよって。
そんな感じで残っていけば良いな。あと200年後ぐらいにね(笑)。」
 

写真・文 中井 雅代


Halau Hula Kalakaua(ハラウフラカラカウア)
沖縄市久保田3丁目1番12号 プラザハウス2F
 
HP http://halau-hula-kalakaua-okinawa.net
ブログ http://halau-hula-kalakaua.blogspot.jp

 

NAKAI



アラン・ベネット/著 市川恵里/訳 白水社 1995円/OMAR BOOKS


― 本は人をやわらかくする ―


ロイヤルウェディング、映画「英国王のスピーチ」、
何かと話題の英国王室。
そのイギリスの女王がもし読書にはまったら、
という意外な設定のこの本。


数年前に出版されるやいなや英米でベストセラーになった、
イギリスの人気脚本家アラン・ベネットによる作品で
「やんごとなき(=高貴な、特別な)読者」とは
女王エリザベス二世のこと。


物語は移動図書館でたまたま出会った赤毛の少年をガイド役に
読書の喜びに目覚めていくところから始まる。
設定が設定だけにお堅い話かと思いきや、全然!
ああ、王室ってこんな感じなんだろうなあ、
親近感を抱きながらお話としてもぐいぐい引き込まれる。


あとがきからふれるのは何ですが、
「知的でないこと」は
イギリスの上流階級では良いこととされているらしい。
本よりも狩猟や社交に励みなさい、ということなのかも。


そんな世界だから話の中でも
女王の側近たちは大半が本を読まない人たち。
なので、寝食忘れて没頭する勢いの女王の読書熱に周りは困惑して、
どうにかして本を読むことをやめさせようと策略するのだけれど、、、
といった感じでストーリーは進んでいく。


老年にさしかかった女王は
本と幸福な出会い方をしたのだと思う。
もう少し目覚めるのが早かったら…感も否めないけれど、
でも、仕事柄もあって私も言いたいのは
本を読むのに遅すぎることはない!ということ。
誰にでもふさわしいタイミングというものもあるし。


彼女がまず読書して初めに気付いたのは
「無名の人間になれる経験、分け隔てをしない共有できるもの。」
そう、本は誰にでも同じように開かれている。


また「本を読むことで人の心が分かり他人の身になってみることができる」。
つまり本を読むことは、人をやわらかくするということ。


この本は女王の言葉を借りて
「本を読むということ」
について優しく語ってくれる。


またこの作品のいいところは
読書初心者にも本好きにも両方が楽しめる点。


後者にとっては
「一冊の本は別の本へつながり、次々に扉が開いていく」
どこでもドア的なこととか、
デイヴィッド・ホックニーやカズオ・イシグロの名前が出てきたり、
「以前に読めないと思っていた本が、他の本を読んでいるうちに読めるようになる―読書にも一種の筋肉が必要」
といった、分かる分かる、といった感覚が楽しい。


そして魅力的な登場人物たち。
ゲイの本ばかり読む傾向にある少年、
引退してから身なりに構わず、
近づく人は息を止めずにいられない臭いを放つ元執事、
まるで知性のない首相などなど・・・が、
話を面白くしているのも確か。


また、表紙は女性の横顔を真ん中に
金箔でかたどった粋な装丁なのもおすすめ。


本を読む人は圧倒的に少ない、というのは事実。
でも読んでみると案外面白いのにと、
本好きの小さな抵抗の本でもあるのです。



OMAR BOOKS 川端明美




OMAR BOOKS(オマーブックス)
blog:http://omar.exblog.jp

NAKAI

 

6/4 (土) 〜 26日 (日)
decco2度目の作品展
白い器達が定番から新作まで並びます。
毎日の食卓が楽しくなりますように。
 

クリックで拡大します
 
 
@MIX life-style:
宜野湾市新城2丁目39番地8号
駐車場 あり
営業時間 11:00〜20:30
HP:http://www.mixlifestyle.com/index.html
 

 

NAKAI


 
6/1〜2
@Roguii
12:00〜19:00
*会期中も通常営業しています。
 
6/4〜5 
@ROMACE
13:00〜19:00
*5日はCuumaのパンも販売致します。
 

 
 

NAKAI


 
「お化粧にお金をかけてる?
スキンケアにも?
女性はみな、もっときれいになりたいと思うわよね。
でも、色々やったところで誰かが気がついてくれた?褒めてくれた?」
 
その問いに、着付けの生徒さんは

「誰も・・・」

と答える。

「そういうものなのよ。
でもね、着物着てごらん、
誰だって気付いて褒めてくれるわよ! 
お化粧がヘタでも、着物を着ればみんなが『素敵素敵』と褒めてくれる。
これは着物が持っている力。
その力をもっと多くの人に知って欲しいんです。」
 

 
小梅柄は、大人の女性が自分のやりかたでまとうときっと断然可愛い!
奥の青地のものは、なんとタイの生地で作られた浴衣。
 
「アンティークの銘仙(めいせん:大正から昭和にかけて作られた着物生地。先染め・平織りの絹織物)にすごくよく似ているんですよ。」
 
どことなくエスニックな雰囲気と、カラフルな幾何学模様が格好良い。
  
「洋服地で作っている『かなすけオリジナル着物』も人気です。
一つの柄で一枚しか作らない事が多いので、
出すと結構すぐ売れちゃいます。」 
 

 
好みでない柄を見つけるのが難しいほど、
魅力的な着物ばかり!
 
「そりゃそうです。素敵なものしか仕入れませんから。」
 
とは、なんとも心強いお言葉。
 

 
店を開いて6年経つ。
 
昔から着物に興味があり、大好きだったが、
子育てに追われてて滅多に着れなかった。
 
「娘が成人式を迎える時になって、
私が着付けてあげたいなと。
丁度40歳を過ぎた頃でしたね。」
 
着付けを習い始めてすぐ、
着物の魅力にどっぷりハマった。
 
「ほかの子もみんな可愛く着せてあげたいと思うようになって。
お母さんの感覚で。
私たちが小さい頃はおばあちゃんが着せてくれたりしていたけど、
今は家族に着付けができる人がいる家庭も少ないから。」
 
子達も成長し、自分で70歳まで働く事を考えた時、
大好きなアンティーク着物屋をやろうと一念発起。
50歳手前で長年の勤めを退職し、この店をオープンさせた。
 

 

 
店内には着物だけでなく、
時を経てなお魅力的な雑貨も多く並べられている。
 
昔から、和洋問わずアンティークが好きだったが
コレクターとまではいかなかった。
 
「子どもを育てるにはそれなりにお金がかかりますから。
アンティークの蒐集って、趣味だと贅沢と思われるかもしれませんが、
店で商品として集めるなら誰も文句言わないでしょう?
家族も私の気持ちを理解してくれて、
『しょうがないね』『覚悟してやりなさい』って(笑)」
 
取り扱っている着物も、その多くはアンティーク。

「現代の着物も好きだけど、
いわゆる大正ロマンと呼ばれる時代の着物が勢いがあって一番好き。
そういう着物を置くとなると、
モダンな感じよりもやっぱり古い時代が背景にあるような空間が似合うでしょう?」
 
店のドアを開けると目の前に広がるのは、
古き良き昭和初期の時代を思わせる、レトロな空間だ。
 
「沖縄の南国的でトロピカルな雰囲気に本土の方が惹かれるのと同じ。
歴史的な事もあって、沖縄は日本でありながらずっと純日本っぽくはないから、
純粋な和のものに私は憧れるんです。」
 

 
みんなから「かなすけさん」と呼ばれている店主は、
一年を通じてほぼ毎日着物で過ごす、「着物生活」をおくっている。
 
「店を始めるときに、
『今日は着物着るのしんどいわ、洋服にしよう』
という日も時々あるんだろうなと思っていたんですが、
6年間1度もないんですよ。
庭仕事をしたりキャンプに行ったりするときは洋服だけど、
それ以外なら焼き肉も映画もヤンバルも、どこでも着物で行きます。」
 
それだけ着物姿が定着していると、
逆に洋服を着ていたらみんなびっくりするのでは?
 
「洋服姿だと、着付けの生徒さんに外で会っても気付いてもらえないんですよ(笑)」
 

 
祝い事を盛大に行う習慣のある沖縄には、
高価な着物を一張羅として持っている人も多いという。
 
「でも、箪笥の肥やし、しまいこんでいる人が多くて、
普段から着ているひとはそうそういない。
だから、毎日着物を着ている私は
ちょっと変なおばさんだと思われてるみたいで(笑)
子ども達って素直だから、
『おばさん、なんで毎日着物着てる~?』
って言うんですよ(笑)
『これは衣装じゃなくて衣服だから、毎日着ても良いんだよ~』
って答えてます。
でも、スーパーまで走ってお買い物に行ってたら
『おばさん、着物で走ったらだめよ~』
と言われたり、
小雨時に傘をささずにいたら『え~濡れてるよ、大変大変!』
と傘を貸してくれたり
 
着物って特別視されてるんですよね。
華やかな場所に着ていくという認識が強い。
高級呉服だけが生き残って、
木綿の着物、洗える着物を薦めたり作ってくれたりする所がそんなにない。
 
高度な技術を駆使してつくられた上質な着物が高価なのは、
それはそれで良いと思うんです。
でも、着物はローン組んで買うのが普通、という風潮になっているのが寂しい。
だって、普段洋服を着ているみなさんだって、
いつも高級なドレスを着ているわけじゃないですよね。
ジーンズ履いたり、コットンのTシャツ着てカジュアルを楽しんでますでしょう?
着物も同じ。そういうカジュアルランクの着物があるんですよ。」
 
古着の着物、洗える木綿製の着物、洗える帯もある。
汚すことや汗をかくことを心配しながら、びくびくして着る必要がなく、
洋服を着るのとなんら変わらない気軽な気持ちで楽しめる着物があるのだ。
 

 
「着物だけでなく、夏は浴衣を楽しむのも良いですね。
最近はカラフルなデザインのものが沢山あって、
着物と浴衣の境目がなくなってるので、
お祭りに着ていく浴衣じゃなく、街着の浴衣として着ることもできます。」
 
見た目の華やかさ、「きちんと感」だけでなく、
機能的にも着物生活は心地よいという。 

「夏はどこに行ってもクーラーがガンガン効いているので、
着物は便利です。
昔から祖母が、
『女性はお腹を冷やしちゃだめ』
といつも言っていました。
クーラーが無い時代でもそうなのですから、今はなおさら。
着物や帯でお腹を保護したほうが、からだにも良いんです。」
 
取材で伺った日は天気が良く、気温も高かった。
私はノースリーブを着ていたが、
いつものように上から羽織るカーディガンを持ち歩いていることに気が付いた。
本土以上にクーラーの設定温度が低い沖縄。
夏になると、冬以上に冷えに敏感になる女性も少なくないだろう。
 
「着物は、袖が開いていて風を通すので、意外と涼しいし、
寒い時には腕を縮めて袖の中に入れれば良い。
カーディガンを持ち歩かなくても、うまく体温調節ができます。
裾も、長さはありますが風はよく通りますので、蒸れることもありません。」
 
かといって、意地をはって着物生活を押し通しているわけではないと、
かなすけさんは微笑む。
 
「庭仕事をするときはジーパンを履いたりもしますよ。」 
 

 
京都、神戸、大阪、東京と、
本土の様々な場所で買いつけているという着物は、
どれも唯一無二の魅力があり、柄を見ているだけでワクワクする。
 
「買い付けるときは、着付けの生徒さん達の顔を一人一人思い浮かべて、
その人に似合うものを探すようにしています。
その人の為に購入する、というわけではなく、
そうやって選ぶとバラエティに富んだ着物が揃うから。
自分では着ないような柄でも、彼女に似合いそうだな、という感じで。」
 
着付けを習い始めたきっかけは娘さんのため、
今は生徒さんやお客さんのことを想像しながら着物を選ぶかなすけさん。
 
「自分だけ着て満足だったら、お店は開かなかったでしょうね。
他の子が着て可愛くなるのがすごく嬉しいんです。
お洋服を着ているときのイメージとはまた違った、新しい魅力が出てきます。
洋服だと選ばない色が、着物だと似合ったり。
鏡を見て
『あら、違う自分がいる』
と、驚いたり喜んでもらえると、私もすごく嬉しいんです。」
 


 
私たちが着物から遠ざかっている理由は何だろう?
高価で汚しちゃいけないものだから、という懸念は
安価で洗える着物でクリアーできることがわかったが、
自分じゃ着られない、難しそう、という
技術面はどうしたらいいだろう?
 
「例えば、大正末期、昭和初期あたりになると
西洋から洋服がどんどん入って来て、
洋服を着る人も増えてきました。
その中で、結構めちゃくちゃでぐだぐだな着方で
着物を着て生活している人たちの写真も残っています。
それぐらい崩して着るのだってアリ。
穴の開いたジーパン履くのと一緒でしょう?
みなさんが思っているほど難しくないんですよ。
意外と自分で着られるものなんです。」
 
取材を通じて着物生活を謳歌している女性数名に会う機会を得た。
彼女達の
「15分もあれば着られます。」
「結構安いんですよ、洋服買うより安く済むことが多い。」
「どこにいくにも着物ですね。ラクなんです。」
というような台詞に目を丸くしつつ、
心の底から羨ましく思った。
 
このまま、着物を着ない生活を死ぬまで続けたとしても
きっと、なんら不便は感じないだろう。
でも、彼女達の凛とした背中や、たおやかな所作を目にし、
そして何より、楽しくてたまらない!というような口ぶりを聞くと
 
「私もやってみたい・・・着物の魅力を体感してみたい・・・」

と、純粋な好奇心が頭をもたげる。

「着物が好き、というのがベースだけど、
これは民族衣装でもあるわけですから。
それなのに、学校では着付けすら教えません。
インド人はサリーを着られるのに、
日本人が着物を着られないというのは、なんか違うなと。
 
日本人なら、初詣用の着物と浴衣くらいは持っていてほしいです。

年にたった二回着るだけでも、
着物を着るという所作によって、
今までの自分とは違う、新たな自分がきっと見つかりますから。」 
 

写真・文 中井 雅代


時代屋かなすけ
宜野湾市大山6-5-5 MAP
098-899-1550
open:12:00ー20:00
close:月・火(公休日は営業)
 
ブログ:http://jidaiyakanasuke.ti-da.net 
 
*着付け教室だけでなく、和裁塾、英語塾など
大人の寺子屋「かなすけ塾」も開いています。

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NAKAI

 


柳宗民・著 三品隆司・画 ちくま学芸文庫 1050円/OMAR BOOKS


― ノアザミ、ヨモギ、ヒメジョオン 決して地味なわけじゃない ―


雨の多い季節。
梅雨のこの時期、ちょっとした晴れ間を歩いていると、
道端の瑞々しい草花の生き生きとした姿が目に入るはず。
こんなとき一冊あると便利なのが、
今回ご紹介する柳宗民・著「雑草ノオト」。


この“雑草”ってところが(花じゃなくてね)ポイント。
地味な本だと思うなかれ。


春・夏・秋の60の草花の特性と由来を
園芸家の著者が丁寧に分かりやすい文章で解説してくれる。
その解説にはそれぞれ水彩画の挿絵が挟まれ、
ページをめくる度にその淡い色合いにほっとさせられる。
ナズナ、スミレ、ヘビイチゴ、ノアザミ、ヨモギ、ヒメジョオン。
こうして名前を上げるだけで魅力的な響きに聞こえるのは私だけ?


一般に雑草だと言われている草花に優しい光を当てる著者、柳宗民さんは
民芸で有名な柳宗悦の四男で、
兄はデザイナーの柳宗理(バタフライスツールはどこかで見たことあるはず)。
園芸研究家として活躍した彼のこの本は
ガーデニング人気のせいもあってか根強いロングセラー。
専門的過ぎず、かといって軽すぎない
絶妙なバランスが他の園芸本と一線を画している理由。


そもそも雑草に対するわたしたちのイメージって
はっきり言ってあまりいいものではない。
でもこの本を読むとその厄介者のような雑草が
強く、たくましく、
でも可愛らしさを合わせ持っていることに気付かせてくれる。


またそれぞれ薬効があったり、
その由来(ペンペングサとか)を知るのも面白い。


こういうささやかな、慎ましいものに価値を見いだせる人は
幸せなんじゃないだろうか。
華やかなものに目を奪われがちなわたしたち。
自分の周りを柳さんのように見ることが出来たら、
そうすればもしかしたらもうちょっと幸せになれるかも、
そう思ってしまわせる力がこの本にはある。
またそれが、一見わからないさりげない佇まいなのがいいんだな。


そして、本がこのサイズなのもはずせない。
手にしてみると分かるけれど、文庫ながら適度な重みがある。
確認してみたら普通の文庫と比べて紙が若干厚い(気がする)。
だから、持ち歩いて何度開いても持ちがいい(気がする)。
というわけで、カバンの中に忍ばせて散歩に出かけたくなる。
持っているだけで楽しい気分になってくるから不思議。


個人的にプレゼント本の上位にランクインしているこの本。
ちなみに『雑草ノオト2』も出ていて全2巻。
もちろん一冊でも楽しめます。


初夏を迎える頃には、まぶしい日差しを浴びた草花が、
きっと前よりももっと身近な存在になってあなたの目の前に。



OMAR BOOKS 川端明美




OMAR BOOKS(オマーブックス)
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NAKAI


 
琉球松で造られた箱のふたには、
紅型や織物といった沖縄の布地があしらわれて。
思わずそっと、心を込めて触れたくなるような繊細さ。
大切な人への贈り物をこの箱に入れて。
あなたのうむい(想い)が、より温かみを持って伝わりますように。
 
「うむい箱」
と名付けられたこの箱は、
沖縄の工芸作家6名によるコラボレーション作品だ。
 
木工・西石垣友里子
漆芸・謝敷眞起子
紅型・金城宏次、田中紀子
織物・長池朋子
陶芸・金城有美子
 
いずれも名だたる工芸作家の名が連なる。
 

(クリックで拡大します)
琉球王朝時代から受け継がれるロートン織の風呂敷、ブックカバー、ペンケース

 

 
「沖縄工芸を普及させたい」という想いのもと、
デザイナー・金城博之さんの呼びかけに工芸家達が集まったのが2005年。
沖縄県内にとどまらず、
県外でも積極的に展示販売を行なった。
 
「展示会ではお客様の顔が見えるので、発見も多かった。
市場の要望もダイレクトに汲み取ることができますし。
そこで、使い手の声を元に商品開発できたら良いなと思うようになり、
お店を持とう、と。」
 
2010年7月、国際通りからほど近い場所に路面直営店をオープンさせた。
 
tituti直営店が他の店と大きく異なるのは、
作家自身がシフト制で店に立つという点だ。
 
「そうすればお客様が作家に会って直に話を聞けますし、
逆もまた然り。
両方メリットがあるんです。
作家はお客様の声を聞けるし、反応も自分の目で確かめられる。
そこにはリアリティがあります。
お客様の要望はきちんとお伺いして、情報としてしっかり残しています。」
 
商品を店に卸しているだけでは、
買い手の反応をダイレクトには受け取れない。
 
「お店の方は売れ筋商品の事しか話してくれなかったりしますからね。
作家が作りたいものと売れ筋商品は違うことも多いですから。
職人さんは別ですが、沖縄ではどうしても作家が工芸品を量産することはできません。
また、経験を積むにしたがって、作りたいものも変ってきます。

そこで、商品そのものだけでなく、その背景まで見えるようにすればどうかと。
物のストーリーが伝われば、お客様の生活の中にまでもっと入っていけるんじゃないかと思って。」
 
工芸品というと、どうしても敷居が高いイメージがある。
日用品として使うことをためらうような高級品を想像する。
 
「もっと身近に使って欲しいんです。
例えば、おうちの食器棚を開けると、どうでしょう?
量産品が多かったりしませんか?
沖縄にはもっと良いものがあるのに。
そういう地物(じもの)がもっと普及したら良いなと思っていて。」
 
金城さんと同じようなジレンマを抱えた工芸作家は少なくない。
同じ想いを持った作家達が、自然と集まって来た。
それが、今のtitutiメンバーだという。
 


クリックで拡大します
 
沖縄ならではの強みもある。
 
「本土にももちろん素晴らしい工芸品はありますが、
作家さんにはなかなか会えません。
でも、沖縄って会えますよね?
『ああ、あの人は◯◯にいるよ~』と聞いて、
行けば会えちゃうという環境(笑)
物の魅力はもちろんですが、人の魅力というのも沖縄の良さではないでしょうか。
本土で可能な量産や価格帯に太刀打ちしようとしても、
沖縄は絶対敵いません、競争できないんです。
だから、そういう価値観にとらわれず、沖縄の考え方でやったらどうかな?と。
小っちゃなマーケットかもしれないけど、
そういうところから始めても良いんじゃないでしょうか。」
 
titutiの想いは、沖縄県民にもしっかり届いている。
 
「お客様のうち、約4割を県内の方が占めています。」
 
地元の方が買ってくださるというのは、やっぱり・・・
 
「ええ、すごく嬉しいです。
若手がこういうことをやってるのが嬉しいとおっしゃってくださる方もいて。
リピートして買ってくださったりも。

titutiでは、いわゆる売れ筋商品というのが無いんです。
半年や1年を通じて見ると、動かない商品が無い。
必ず、ゆっくりとですが動いています。
ですから、縁なんでしょうね、きっと。お客様と商品との。」 
 

西石垣友里子による琉球松の利休箸、金城有美子による箸置き
 

 
titutiのメンバーで、フィンランドへも行った。
 
「みんなで一緒にいくことで、
価値観を共有できるようになるのでは?と思って。
同じ飯を食えば、
『こういうの作ってみない?』
という話になるだろうと。
旅を共有するというのは特殊な体験です。
絆の強さが変わって来る。」
 
帰国後間もなく、陶芸の金城有美子さんが、
titutiと同じ店舗内で販売スペースを共有している
イラストレーターのMIREI(ミレイ)さんとコラボレーションしたいと申し出た。

二人のコラボによる作品の一つ、
陶器のピアスは、すぐに人気となった。
 
「伝統工芸的を否定している訳ではありません。
むしろ、尊重して、続けて行くべきだと思っています。
でもそれだけでなく、もう一つの軸を見つけたくて。
工芸の間口を広げることが大切だと思っています。
 
例えば、紅型の柄をデザインを通じてパッケージに落とし込んだり、
イラストレーターと工芸作家がコラボしたり、
様々な切り口で展開して行きたいですね。
 
異分野の8人の工芸家というのがミニマムな集合体だとすると、
それをいきなり、雪だるまのように大きくしようとしたら、
どうしたって崩れてしまう。
ですから、今の8人の絆をしっかり固めて、
様々な課題をこなし、経験していきたいと思っています。
絆がしっかりと固まったら、
そこからは沖縄全島の他の作家さんたちも集えて、商品も置けて・・・
という場所になれば良いですね。」
 
tituti(てぃとぅてぃ)とは、沖縄方言で「手と手」。
それは、
買手と作り手の「手と手」でもあり、
異分野の作り手同士の「手と手」も意味する。
 



あらためて、家の食器棚を開けてみて、腕組みをして考える。
どうして今まで沖縄の工芸品を買って、日常使いしようとしなかったのかと。


高価だから?


思っているほど高くないし、
しっかりした造りゆえ、長い目で見れば逆にお得なのに・・・


なんだか古くさいイメージがあるから?


様々な作家達が工芸の間口を広げるべく、
魅力的にアレンジして新しい工芸の世界を示してくれているのに・・・


工芸=土産品?
うちなんちゅは、沖縄の工芸品を買う必要などない?


例えば、あなたが友達のプレゼントを買う時、
魅力の無い品物をわざわざ選ぶだろうか?
まさか。
自分でも使いたいと思えるような、素敵な商品を厳選して購入する、
だって相手に喜んでほしいから。


工芸品だって同じではないだろうか。


自分が使いたいと思えないものを、
どうして県外の人にお勧めできるだろう?
これが沖縄の工芸品だと、胸を張れるだろう?

 
しかし、自分のまったく気に入らない商品を
「地物だから・・・」と無理して購入して
嫌々使う必要がないという現実に思い当たり、
私はほっとして、そして嬉しく思う。


沖縄には、
工芸品という肩書きがついていなくとも持ち帰りたくなる、
こんなにも魅力的な商品が溢れているのだから。

写真・文 中井 雅代

 

tituti(ティトゥティ)OKINAWAN CRAFT
open:13:00~19:00
close:水曜日
那覇市牧志1-2-6 MAP
TEL&FAX 098-862-8184


*作家はシフト制で店に立ちますが、
都合がつかない場合はスタッフが立つ事もあります。
下記ブログにてご確認ください。


ブログ:http://tituti.ti-da.net
HP:www.tituti.net
オンラインショップ:http://titutishop.net

 

NAKAI

先日の伊江島めぐり、
実はバスツアーに参加して行って来たので、
伊江島以外にも美味しいところへ連れて行ってもらいました。
 
パイナップルパーク
 

 
天気が悪いのが残念!
おとぎの国みたいな建物に、
巨大パイナップルが無造作に置かれた外観がイカしてます。
 
CMでおなじみ、
「パッパパ、パーパパ、パーイナップ〜ル♪」
というテーマソングが中から聞こえてくる〜。
 

 
そうよね〜、パイップルってこうやってなるのよね。
なんか、木にぶら下がってるイメージが払拭できない。
 

 
ここの魅力はなんてったって試飲・試食が思いっきりできること!
濃い色からもわかるように、甘いのなんのって。
さらにびっくりなのが、なんとこのパイン、芯まで食べられるんだって。
試食コーナーにあったものも芯がついているとのこと。
まったくわからなかったよ〜。
 


 
義母が購入していたパイナップル漬け。
甘いパインを漬け物にって、ちょっと不思議だけど、
ぽりぽりした食感もたまらない、なかなかのお味。
「混ぜご飯に入れても美味しいですよ〜」
あ、それ良いかも。
 

 
コスメグッズやミニカーも。
パイナップルパークは、このミニカーのようなカートに乗って園内をまわれるのだ。
 

 
試飲と試食で、伊江島に行くまえからすでにお腹いっぱい!・・・
なのに、出口付近でこんな美味しそうなシュークリーム発見・・・
 

 
中にパインの果肉が入ってるんだって。
あ〜、今なら食べられるのにぃ〜。
ペース配分〜・・・
ゴテっとした看板もツボです。
 
お次はゴーヤーパークへ〜。 
 

 
土を使わず、水と水溶性肥料のみで栽培するという
「水耕栽培」で育てたゴーヤーたち。
ゴーヤーだけじゃなく、トマト、野菜、果樹、ハイビスカスも。
それが、どれもすごく大きくすくすく育ってるの。
水耕栽培、あなどりがたし。
ハイビスカスとか、花弁がかなり大きくてびっくりしたよ〜。
 

 
こんな白いゴーヤーも。
 

 
ゴーヤー君とET。
こんなにこやかな看板なのに怯えている・・・
緑色が恐怖を誘うのか??
 
バスに戻ったら、パイナップルパークからの恐らく無添加と思われる美味しすぎるシャーベットと、
ゴーヤーパークからはお茶とゴーヤのお菓子(かりんとうとちんすこう)の詰め合わせが☆
こういう特典もついてくるのが、バスツアーの良いところよねぇ〜。 
ちなみに、ゴーヤー茶はダイエットにも良いらしい!
ゴーヤーの苦みは殆どなくて、すっきり飲みやすかった〜。 
 
それにしても、自分で運転しなくても観光スポットを次々まわってくれてラクチン!
バスツアー、初めて参加したけど、また行きたい!と思いました。
 
 
そうそう、沖縄の今年のGWはずっと雨模様でしたね〜。
 

 
GW初日、糸満に鯉のぼりを見に行きました。
 

 
県内の保育園・幼稚園から寄せられた手づくりの鯉のぼりが広い敷地一面にたなびいてて、圧巻。
そして、園によって鯉にも個性が。
可愛すぎる〜!
 

 
最初こそ
「鯉のぼり〜!」
と喜んでいましたが、
公園に行くといって連れて来たので(だって公園だもん、ここ。)
「公園どこ?すべりだいする〜」
と、半泣きになってました。
「公園=滑り台のある所」・・・なのね。
 

 
☆おまけ☆
伊江島からの帰り、伊江港で伊江牛の銅像と。
1日でこんなに食べたのか?ってくらい顔が丸くなってる・・・
やっぱ、満腹感は旅の満足度アップに必要不可欠よね〜。
 
 

NAKAI


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出演者一覧
【出演者情報】 グリンピース(アーティスト)、沖芸大琉球芸能専攻OB会、志多泊獅子舞棒術保存会(八重瀬町)、沖縄タレントアカデミー(ダンス、歌)、創作太鼓衆美らさ(豊見城市)、創作太鼓集団琉風(那覇市)、中東芸能クラブ(沖国サークル、ベリーダンス)、KA-KUN(アーティスト) 、MASSYくん(アーティスト) 、ユージーン(アーティスト) 、YUURY(アーティスト) 、桜子(アーティスト) 、リョウタ(アーティスト)、ジンクス(アーティスト)、豊見城ニュータウン青年会、豊見城市認可保育園、鼓衆しんか(豊見城市)、鼓舞楽団浦風(沖国創作エイサーサークル)、舞天(創作エイサー) 、美童フェーヌナー(民謡グループ) 、創作太鼓衆 颯 -HAYATE-、創作エイサー夢幻太鼓(石垣市) 、沖縄プロレス,豊見城市文化協会、古龍エイサー隊、豊見城ジュニアリーダークラブ、伊良波中学校旗頭会、結太鼓、創作エイサー花鳥風月、石坂美砂(シャンソン歌手) 、岬~MISAKI、那覇太鼓、シンガーソングライター ユキヒロ、Groove Theorism &MAI 、TAKA Chan





一般の方がたからフリマ出店を募集致しております。
ご興味がある方はフリーマーケット募集要項をご覧ください。


* フリーマーケット出店 お申込先
豊見城市役所総務課市長秘書
フリーマーケット担当:比嘉研仁 (ヒガアキヒト)
TEL:098-850-0023
 
 

NAKAI




いびつな形と無骨なたたずまいに
ポップで明るい色合いがいかにもアンバランスな器だが、
なぜこんなにも魅力的なのだろう。

 
素人目にもわかる、「良い器」。
一番不思議なのは、質の良い器にありがちな、
触れることを拒むような威圧感がないところ。
むしろ、心を100%ゆるしきっているような驚くほどの気安さがあり、
つい、自然と手に取り
その感触を、
常識にとらわれない形状や質感を、
様々な角度から観察し、
両の手でじっくり味わってしまう。

 
いや、そうすることをきっと器も求めている。

 

 

そして、ぴったりと手に収まる親密さが、
追い打ちをかけるように私たちを魅了する。
 

この屈託の無さは何なのだろう?
一体どんな人物が、こんな器の存在を可能にしているのだろう?
 



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キム・ホノ氏について語る多くの人が、
「誠実」
という言葉で彼を形容する。
 

同氏と懇意である「陶・よかりよ」のオーナー・八谷(やたがい)さんは、
様々なエピソードでその人となりを伝えてくれる。


二人で呑んだ帰り道、
側溝に落ちた子猫の声が、助けを求めていた。
二人とも気分よく酔っぱらっていたが、
「面倒くさいし、助けるとなると汚れちゃうし・・・」
などという躊躇は、キム氏には微塵もなかった。


「そっち持って。開けるよ。」


側溝の鉄板に手をかけながら、八谷さんをうながした。
無事に子猫を救出した頃には、二人ともすっかり汚れていた。
 

 

こんなこともあった。


八谷さんが何の気なしに
「あじさいが好きなんだ」
という話をしてしばらくの後、
愛知県のキム氏自庭で咲いた、美しい山あじさいが宅急便で送られて来た。


「こういうことをさらりとできる人なんです、彼は。」
 

きっと、キム氏にとっては特別なことではない。
ごく普通のこと、当たり前にやっていること。


そんな日常に、「陶芸」も含まれている。




 
「キムさんは、息をしたり食べたりするのと同じように
創作活動を行っている人。
24時間、常にものを創るために彼は生きてるんです。
創作活動をやっている陶芸家というよりは、
キム・ホノという人間である、という言い方が近い気がします。
陶器をやるというのは、彼の生き方そのものなんです。」





「キムさんは色々な切り口を持った作家、
でも、どこを切り取ってもきちんとキム・ホノなんです。
新しい方向性の器でも、ちゃんとキムさんの作品だとわかる。
ぶれないんですね。」


全国で個展を開催しているが、
キム氏は毎回同じ作品を持って行くのを嫌がるという。

 
「今回は『色』を見たいな、とお願いしました。
いわゆるカラフルな綺麗な色だけじゃなくて、
キムさん自身にとっての色、
黒や白、くすんだ色も汚れて見える色も。
彼はとても鋭い視点を持った人で、
普通の人が見ても美しいと思わないものにも美しさを見出せる。
一見すると『なんだろう、この器の色は?』というようなものでも、
しばらく眺めていると
『綺麗だな〜・・・』
と思えて来る。本当に不思議な人です。」






文字の入った作品も多いが、
キム氏にとっては文字も「絵」の一部であり、
文章としてではなく、
絵として味わうと面白い。


「この絵はどういう意味だろう」
「この文章はどういうことを言いたいのだろう」


そんな作家の意図の汲み取りは一旦意識の外へぽんっと手放して
目の前の器を是非手に取ってほしい。
一瞬の留保や躊躇も感じられない、
破天荒で常識から少し逸脱した作風と、
そんな作風からは想像がつかないほどに誠実で穏やかなその雰囲気を、
じっくり味わって欲しい。


ただ一つ、キム氏が全力で伝えようとしていることは
「感じて欲しい」
ただそれだけではないだろうか。
そこに答えは無いのだ、と。

写真・文 中井 雅代

 



陶・よかりよ
那覇市壺屋1-4-4/1F
TEL.098-867-6576 FAX.098-867-6575
「KIM HONO 色 MONO 語り」
〜5/22(日) 
open 10:00〜19:00

HP:http://www1.ocn.ne.jp/~yokariyo
ブログ:http://yokariyo.exblog.jp

NAKAI



 
色落ちデニムのロングジャケットに
レースワンピとレギンスを合わせたゆるコーデ。
マニッシュなシューズを合わせて、
女の子女の子しすぎないようまとめるのが、上原さん流。



お魚ブローチ ¥5,800(税込)/Rika OGASAWARA


真っ白な身体、
星型のキラキラした目に、何とも言えない表情が愛らしい。
うろこを刺繍で施したり、
尾びれにアンティークレースを使ったりするところが、
いかにもパリの刺繍工房「アトリエルサージュ」で課程を修了した
Rika OGASAWARA らしい、
こだわり抜かれた唯一無二のアクセサリー。


これからの季節は洋服の上だけでなく、
帽子や日よけストールに留めたり
普通の黒ゴムに刺して、髪をシンプルに結うのもオススメ。

 
一般的なブローチに比べるとサイズは少し大きめですが、
シンプルな色づかいなのでうるさくないし、
着こなしのアクセントとして適度に主張してくれます。

 
無難なコーデでも、個性的でしっかりとした造りのブローチを一つ加えるだけで、
パッと個性的で華やかに見える、使い勝手の良いアイテム。



ブレスレット ¥5,040(税込)/THE VATICAN LIBRARY COLLECTION

 
アンティーク?と思わせる独特な雰囲気は、
ヴァチカン市国図書館に貯蔵されている美術品をモチーフとしているから。
青色は聖母マリアのシンボルカラーとして知られ、
「青い鳥」に代表されるように、幸せを呼ぶ色だとも言われています。


爽やかな透明ブルーとゴールドの組み合わせは夏にぴったり。
シンプルな装いに合わせるとぐっと華やかに、
フォーマルにも迷わず合わせられる、万能ブレス。


クローゼットに並ぶ見慣れたワードローブも、
小さな脇役達をプラスすれば、
きっと驚くほど新鮮な着こなしができるはず。


Coqu コキュ
住所:沖縄県宜野湾市新城2-36-12
定休日:月曜日
HP:http://majolie.ocnk.net
ブログ:http://coqu.ti-da.net