NAKAI

沖縄 住宅 リノベーション
 
伝統的な沖縄住宅に住んでいるのは、琉球張り子作家・豊永盛人さん一家。
盛人さんの祖父が建てた家を、3年前にリノベーションした。
 
沖縄 住宅 リノベーション
 
祖父母が母屋に、盛人さん家族が同じ敷地内の別の建物に住んでいたこともあり、思い入れの深い場所でもある。
 
沖縄 住宅 リノベーション
 
本来客室である一番座と、仏間である二番座を合わせて一間として使用、また、三番座の畳は取り払って工事し、土間にして台所と繋げた。
 
奥の一番裏座は子ども部屋、二番裏座は夫婦の寝室として使っている。
 
沖縄 住宅 リノベーション
 
「間取りはほぼそのまま使用してるんだけど、気に入ってます」
と、奥様の美菜子さん。
 
「これまでは外で洗濯干していると中にいる子ども達が見えないし、逆に外で遊んでる子どもの様子がキッチンからは見えなかったりと不便だったんですけど、今はどこにいても子どもの様子がよくわかるんです」
 
広い居間の効用は他にも。
 
「改装前、おばあちゃんが住んでいたときは結構暗いなーって思ってたんですね。でも、今は光がいっぱい入ってきて明るいし、居間が広々としているので掃除もしやすくなりました。
風もよく通るので、夏場ひとりでうちにいる時はクーラーつけなくても大丈夫なほど」 
 
沖縄 住宅 リノベーション
 
居間には、収納家具がほとんど見当たらない。
 
「仏壇の下が優秀な収納スペースなんですよ。収納力があり、子供服やこまごましたものをしまえるのでたすかっています。他にごちゃごちゃと家具を置かなくても済むし」
 
沖縄 住宅 リノベーション
 
三番座を土間にしたことで、キッチンスペースは広々。
 
「改装時、キッチンじゃなくて『台所』って感じにしてもらうようお願いしたんです。あんまりきれい過ぎないところが気に入っています。
対面キッチンもいいかなーと思ったんだけど、壁に寄せると料理に没頭できるでしょ。女の仕事場って感じで。そういう一人の時間もいいかなーと思ってこのカタチにしました」
 
沖縄 住宅 リノベーション
 
沖縄 住宅 リノベーション
 
沖縄 住宅 リノベーション
ダイニングテーブルは作業台にも。
 
すべてを作り込みすぎていないところもお気に入りだと言う。
 
「全部が作りつけで完全に出来上がったところに住むより、自分たちで工夫したり遊べる余白があったほうが楽しい気がします。
3年前に改築したときは、まだ子ども達が小さかったので食器もすべてしまいこんでいましたが、今後は見せる収納も楽しみたい。ガラスのコップとかを飾りながら収納できる棚がほしいなーと思っています」

 
沖縄 住宅 リノベーション
床の間の壁は鮮やかな色に。
 
沖縄 住宅 リノベーション
友人のアーティストや夫妻の作品が至る所に飾られて。
 
沖縄 住宅 リノベーション
 
沖縄 住宅 リノベーション
子ども達のプレイスペース。
 
沖縄 住宅 リノベーション
アーティストである美菜子さんお手製のバッグ。
 
沖縄 住宅 リノベーション
 
「子ども部屋は一部屋。娘と息子、同じ部屋で二人で寝ています。
別々の部屋が良いっていったら…そのとき考えようかな(笑)」
 
沖縄 住宅 リノベーション
 
沖縄 住宅 リノベーション
 
沖縄 住宅 リノベーション
 
バスルームはタイル使いが特徴的。
 
「タイル選びは改装工事の中でもすごく楽しかった作業のひとつ」
 
沖縄 住宅 リノベーション
盛人さんのユーモラスなイラストはインパクト大。
 
トイレは、家の間取りのなかでも一番奥の方へ配した。
 
「家相を見てくれた方が、『トイレを家の入り口近くに置くと、トイレの神様が恥ずかしがってしまう』とおっしゃって。また、改装前は外からちゃんと扉を閉めることができなくていつも少し開いていたんですが、『普段からトイレの扉が開いているのは良くない』とも言われました」
 
沖縄 住宅 リノベーション
 
「その方がおっしゃるには、家は人の身体にも例えられるそう。
一番座がもっとも大事な頭、仏壇のある二番座が胴体、三番座が下半身。
だから、一番座は光のよく入る東側につくることが多いって。
そういうの聞くと、なるほどなーって思いますね」
 
沖縄 住宅 リノベーション
 
昔ながらの伝統住宅には、その土地で心地よく暮らすための知恵や工夫が詰まっている。
間取りほぼ変えることなく、快適に住まう豊永さん一家がそれを証明している。

 
気がつくと、最初に出して頂いた美菜子さん手製のプラムジュースだけでなく、豆から挽いて丁寧に淹れたコーヒーまで頂いていた。
家の中に優しくふりそそぐ暖かな陽光の中、ちゃぶ台の前に一旦座ってしまうと、なかなか腰が上がらない。
長居するひと、多くないですか?
 
「確かにそうかも。『ここに来ると眠たくなる〜』っていう人も多いんですよ(笑)。畳が気持ちいいのかも」
 
もちろん、理由はそれだけではない。
来客を快く迎え入れ、温かくもてなす家主の心づかいが居心地の良さをつくり出している。
言うまでもなくあらゆる家は、人がそこに住まうことで初めて完成する。
 
豊永さん一家によってあらたな生命を得て、呼吸し始めた家。
これからも、家族とともに変化し続ける。
 

写真・文 中井 雅代

 
※豊永家の設計・監修:株式会社ミックス http://www.mixlifestyle.com/index.html

 


  

NAKAI

 
ペネロピ
 

***軽いネタバレあり****

 
予想通り素敵な映画でした。
 
女子の皆さんは必見のムービー。
 
何よりも素敵なのはペネロピのoutfit(=格好、服)!!
コートがめちゃめちゃカワイイ。
靴も素敵。
 
ペネロピ
 
私の好みぴったり!
しかし、ペネロピ役のクリスティナ・リッチ。
この作品の次の作品が、あの「ブラックスネークモーン」だとは、おみそれいたします。
 
今回の彼女はとてもとてもSWEET、でもって頭も良い。
 
ペネロピ
 
いくら名家とはいえ、家の中だけで生活していたら、性格的にかなりゆがみそうですが、コミュニケーション能力も抜群です。はい、おとぎ話ですから(笑)。

いわゆる王子様的存在、マックスを演じるのはジェームズ・マカヴォイ。
 
ペネロピ
 
「ラストキング・オブ・スコットランド」であんな役だったのに、とにかく素敵なのです。
やられました、ノックアウトです。
実は彼のほうにも秘密があった。。。。という感じです。
影のある役が似合うし、笑顔が素敵。
 
ペネロピ
 
 
観てる間不思議だったのは、どこの国の話なのかな?と。
景色はイギリスっぽいし、出てくるひとたちもブリティッシュアクセントで話すんだけど、ペネロピとママは完全に米語。
パブ、とかでてくるから絶対にイギリスなんだけど、リース・ウィザースプーンも米語(笑)。
 
ペネロピ
 
ペネロピ
 
公式サイトを確認しても、おとぎ話なので敢えて特定してない、みたいな感じでした。
私は映画観てる間、ずっと考えてしまいました(笑)。

 
ペネロピは、もちろん呪いがとけて、普通になるんだけど、豚の鼻のほうが、可愛くみえてしまったのは何故だろう??
 
ペネロピ
 
ペネロピ
 
大活躍中のピーター・ディンクレイジ 。
記者レモン。
 
ペネロピ
 
彼は本当に気の毒なんだけど、実はとてもいい人だった。
優しくて感動。
 
 
「ありのままの自分を受け入れて、愛する」ことが大事なのだ、
というメッセージ性をもった映画です。
 
まあそうなんだけど、私の場合なんだかいろいろ停滞してうまくいかないときは、結構立ち止まって動かないようにすることにしているけど、一歩踏み出すことによって、何かが変化することもあるんだから、何かしようよ、という感じでした。
でも何を??と思っちゃうから駄目なんだよね。
 
名家ゆえにかけられた呪いだけど、名家でよかったじゃん。
貧乏だったらどうしようもないよね。
それなら呪いをかけられることもないけどね。
 
うんうん、なかなか意外な感じでラストも良かったです。

KEE

 

 
<ストーリー>
魔女に呪いをかけられ、豚の鼻と耳を持って生まれた裕福な名家の娘ペネロピ(クリスティナ・リッチ)。マスコミと大衆の目から身を守るため、屋敷の中だけで生きてきた彼女は、永遠の愛を誓って呪いを解いてくれる男性を待ち続けていた。そんな中、名家出身の青年マックス(ジェームズ・マカヴォイ)が現れるが……。
 
<キャスト>
キャスト
クリスティナ・リッチ
ジェームズ・マカヴォイ
キャサリン・オハラ
ピーター・ディンクレイジ
リチャード・E・グラント
サイモン・ウッズ
リース・ウィザースプーン

 
 
☆DVDでどうぞ☆
ペネロピ
 

 

NAKAI

絵本展
 
11月16日(金)〜11月18日(日)
9:00〜18:00(金,土は20:00迄)
in 沖縄県立博物館・美術館 県民ギャラリースタジオ(入場無料)
おもろまち3−1−1
098-941-8200
 
My piece Art Project http://mypiece.rocketbeam.com
 
Hitomi Kinjo
与儀勝之
matsuda se-ra
yorix
Toku²
tokutomo
崎山幸郎
ru-san
さくちか
 
9人の作家。
楽しかったり、悲しかったり
怒ったり、笑ったりを
カタチに変えて創造した絵本と、その原画展です。
 

 

NAKAI


 
以前の宗像堂のかけらを至る所にちりばめるというぬくもりあふれる改装を提案し、自身も作業に携わった豊嶋秀樹さんは様々な分野でアート活動を行い、プロデュースを手がけ、日本全国そして海外でも活躍している。
今まで手がけた仕事には垣根もなければ報酬の受け取り方も色々。
 
豊嶋さんが目指す働き方とは? そもそも、仕事って何だろう?
 
豊嶋さんのルーツを探りながら、未来の展望にまで触れたインタビューの後編です。
(前編:「場」はどう見えるかではなく、人にどう馴染むか。
 

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

 
– – – キーパーソンは、全くそりの合わなかった先生。
 
豊嶋:高校卒業後、陶芸の学校に二年間通ったんです。日本で美大に行こうという気持ちはなくて、受験勉強もしてなかったですね。
実は僕、茶碗屋になりたいなーって思ってたんです。日本を出て何かしたいっていう気持ちがあったんですけど、手ぶらでアメリカ行ってもな〜と思って。茶碗屋ってアメリカとかでもできそうでしょ? ネタにもなるし(笑)。
 
高校卒業後入った学校に陶芸コースがあって勉強してたんですけど、合わなかったんです。陶芸で彫刻を作るという感じだったんですけど、僕はそういうのに興味がなくて。だって、茶碗がやりたかったから(笑)。
卒業制作でも僕がやりたかったのは、茶碗をいっぱい作ってそれを屋上からわーって投げてこっぱみじんにして…という作品だったのに、「そんな制作じゃ卒業させん」と言われて。「割れた茶碗のかけらを使って彫刻を作れ」と。なんか違うな…と思いながらも、渋々…。
生き方ってひとつじゃないはずやし、アートもひとつの方向じゃなくて全方位的にあるはずやから、それを信じたいなと僕はすごい思っていたから。
 
宗像:キーパーソンってそういう形で現れるよね。反動をバネに自分の世界を作ったっていう作家さんの話を他の方からも聞いたことがある。そう考えると、ラッキーな出逢いだったのかもね。
 
僕にもそういう人いたからわかる気がするな。今やってる仕事にすごく生きてるもんね。その人から学んだこともすごくあるからそれを生かせるし、反発心もものすごい力になる。
人生の分岐点となる人って、良い人とか悪い人とかじゃないんだよね。
 
豊嶋秀樹
 
– – – 順調に進んでいると固まる感じが…。変化を求め、二度の留学へ。
 
豊嶋:それでアメリカの大学に留学。アート一色の学生時代を過ごしました。
どういう大学かあまりよく知らずに行っちゃったんですけど、すごい変な学校で。登校初日、全裸の男が赤いコンドームだけつけて、叫びながら走っているところに出くわしたんですよ。もう、びっくりしちゃって(笑)。人に訊いたら「エイズプロジェクトのアートパフォーマンスなんだ」って。「……ここで俺、やってけるんかな」って不安に思ってんけど、まあ、2ヶ月くらいしたら慣れましたね(笑)。
 
日本に帰ってきて美術大学の事務局として就職しました。事務局員の仕事は給料もすごい良かったし休みも多かった。それでも辞めたのは、「自分じゃなくてもいい仕事だな」って思ったから。やってるうちに「向いてないな」とも思ったし。毎朝スーツ着て出勤するのもすごく辛かったし、どれだけ気をつけて一生懸命仕事してもときどきミスしちゃうんですね。それですごい謝ったり顛末書書いたりしている一方、席並べてる人は自身の能力を発揮してその辺そつなくこなしてたり、毎日同じことするのを心から楽しんでいたり。こういう仕事はああいう人がやったほうがいいよなって思ったんです。自分じゃなくてもいいやって。
それに、人に雇われる勤め人にも向いてないなとも感じていたので、すっぱり辞めました。
 
同じ頃、「graf(グラフ)」をともに作ることになる仲間と出逢い、すぐに活動を始めました。24〜5歳のときです。28〜9歳の頃には法人化しました。
 
grafとしての仕事も順調で楽しんでいたんですが、色々と固まってきたら動きたくなるタイプみたいで、また海外留学することにしたんです。なんか、「今のうちに動かないと~」と思っちゃうんですよね。
アメリカは行ったことあるからロンドンにしようって。アートのことももっとちゃんと勉強したいという思いもあり、ロンドンの大学院に入りました。
 
豊嶋秀樹
 
– – – 日本各地や海外を回遊。ひとところに留まらないライフスタイル。
 
豊嶋:ロンドンで学びながら、graf の活動も行っていました。ロンドンできっかけが生まれた仕事もありました。ELEY KISHIMOTO(イーリー キシモト)とコラボレートしたり、日本の衣料メーカーの海外進出のプロジェクトに携わったり。
そうしているうちに、graf もロンドンに店を作りたいねって話になってリサーチしたけど、日本の会社として英国法人をつくるのはすごく大変だということがわかり、やりたいこととやらなければいけないこととのギャップがあまりに開いていたので結局やめとこって話になりました。英国に何千万円以上投資しないといけないとか、英国国籍の従業員を何人以上を雇用しないといけないとか、いろいろ法律で決まってるんです。それらをクリアしてでもやることかな、と。
 
やがて草間彌生さんと graf でプロジェクトを行うことが決まり、日本に度々帰るようになって。それでなんとなくロンドンからフェイドアウトしていったんですね。
 
その後、奈良美智さんとの仕事が始まり、全国をぐるぐるまわって、気づいたら青森に引っ越して…。
そう、僕、青森に半年住んでたんです。通ってたわけじゃなくて、みんな一緒に引っ越したんです。「A to Z」展の二ヶ月半の展示の準備に6ヶ月かけて(笑)。
それが終わったらまた海外のプロジェクト行って…ずっとそういう感じでした。
 
2009年からは「gm projects」で活動を始め、今日は沖縄にいるけどその前は青森にいて、ずっと日本中を回遊してるような生活スタイルなんです。
一応、神奈川に家を借りてはいるけれど、自分自身は漂っている感じですね(笑)。
 
豊嶋秀樹
 
– – – 高尾山での偶然。山登りとの出逢い。
 
豊嶋:最近は山登りばっかりしています。かれこれ5〜6年になりますね。山登りが生活の半分くらい占めちゃってるんじゃないかな(笑)。
 
きっかけは嫁さんと行った高尾山。
あるとき「一緒に弁当でも作ってどっか行こう」ってことになり、「中央線乗って玉川上水とか行ってみる?」 って。
中央線の乗り場に行くと「高尾行き」という表示が目に入ったので、「高尾って山じゃない? 行ってみる?」。それで高尾まで行ったんです、中央線の端っこまで。高尾山がミシュランガイドで最高ランクの観光地として選出されるずっと前のことです。
 
それでいざ登ってみたら、なんかこの感じ懐かしいってすごく思ったんですよ。
実は変な偶然があって。高尾山のあたりって国定公園で、正式名称は「明治の森高尾国定公園」というんですけど、僕の実家がある大阪の箕面にも「明治の森箕面国定公園」というのがあるんです。同じ時期に作られて、しかも、東海自然歩道っていう道で繋がってるらしくて。
 
雰囲気もなんとなく共通してる部分があって「あ、明治の森だー」って。子どものころは山の中によく遊びに行ってたから、枯れ葉の積もった道とか、斜面をどわーって進んでいく感じとか懐かしいなーと思って。
 
高尾山で弁当食べて、中央線乗ってまた帰って行くんだけど、家の最寄り駅で降りずにそのまま新宿まで行って登山靴買って来ちゃった(笑)。
 
豊嶋秀樹
 
– – – 仕事と遊びをお金で分けると難しい。全部が「やること」。
 
豊嶋:「仕事ってなんだ?」というようなフォーラムに呼ばれることも多いんです。それがきっかけで「仕事ってなんだろう?」と自問自答することも多くて。
 
例えば、北海道の友だちのレストランの内装の仕事したときはお金は一切もらってないんですよ、友だちん家だから別にいいやと思って。でも、そこに行くとご飯作って食べさせてくれたりするわけです。
一方、同じような空間プロデュースのお仕事で、ちゃんとお金を頂く場合もある。
 
山登りするのにお金はもらえないけど、山関連の雑誌から原稿書いてという依頼がくることもある。
 
だから、どこからどこまでが仕事ですかと訊かれるとすごく難しい。
普通に考えると「お金もらえたら仕事なんかな」って思うじゃないですか。てことは、例えば宗像堂もそうなんですけど、キャッシュをもらってなかったら、じゃあ宗像堂の改装は遊び? 山登りで予算が出る場合もあるから、それは仕事?
…そうやってお金を基準に分けるとわかんなくなるんですよね。というか、正しくないよなって。
 
全部仕事でもいいし遊びでもいいけど、全部「やること」みたいな意識があって。
やることの中にはお金がもらえることもある、お金がもらえないこともある、逆にお金を払ってやることもある。お金基準で考えるとその3つに分かれるだけよなーと。
 
その3つの区分は、結果としてつくことが多いですね。
でもまあ、例えば美術館からの依頼の仕事で「これ全部タダで作って」と言われたらイヤって言いますよね。それはそのひとのためにやってることじゃなくて美術館のためにやってることだから。
 
 
– – – 改装とパン作り指導を「交換」。
 
豊嶋:宗像堂さんの場合は、「いくらくらいでやってくれるの?」と訊かれたので、「友だちの店だし、お金とかじゃないから…。パン食べ放題でいいですよ」と答えたんです。
でもそのあと、パン食べ放題って言ってもな…と思って。本当にパン食べ放題とかできないし、しかも宗像さんも食べ放題となると面倒くさいかなと思って。
それで宗像堂に来て何度目かのときに、「この間はああ言ったけど、ちょっと考えたことがあってって。自分が食べるパンを自分で作れるようにしてもらうっていうのはどお?」と提案したんです。パン職人までのレベルじゃなくていいから、自分で食べるパンは自分で作れるように指導してもらうみたいな。それと僕のお店づくりと交換しませんか?と言ったら、宗像さんが最初「えっ!」って言って、「面白いこと言うねぇ!」って(笑)。
 
宗像:だってそんなこと言われたの初めてだったから、すごいびっくりして(笑)。でも、そういうことができたら面白いんじゃないかと思った。
豊嶋くんが「パン作れるようになるまで、どんぐらいかかります?」と訊くので、「5~10年」って言ったら、逆に豊嶋くんが「えぇっ!!」って(笑)。僕が思ってるパン作りは、最低それくらいやらないとできないと思ってるから。
 
豊嶋:「やっぱそうっすか!」って(笑)。
 
宗像:僕が店で作ってるのはそうだけど、家族のためにとなるとまた話は別だから。
 
豊嶋:それで宗像さんが「いいよー」って。僕はまだ今ふらふらした生活してるから、「もし豊嶋くんがここに住もうって場所が決まれば、そこに石窯作ることからやろう」って言ってくれて。「ちっちゃい窯があれば、自分や家族が食べるパンを週に1回とか焼くとかもできるよ」って。
 
そういうものを交換するのが面白いと思って。お互いが一生もんを交換する。
例えば、これでプロデュース料としてお金を頂いたとしても、そのお金って1〜2ヶ月暮らしたらもうなくなっちゃう。でも、パンの作り方を教えてもらったら一生もんだし。そういうものをできたら交換していきながらやっていけるといいよなーと思ったりして。
 
豊嶋秀樹
 
– – – 仕事の自由度が上がり、モチベーションも変わる労働交換。
 
豊嶋:そうやって労働を交換してやっていくためには、あまりお金がかからない生活をしないといけない。
 
お金使う生活してると稼がないといけないけど、僕はフリーランスに近いカタチで仕事やってるんで、極力少ないキャッシュでやっていける生活のほうが、仕事上の自由度も高まるじゃないですか。
「毎月こんだけ稼がないと」ってのがあると、あんまり面白そうじゃないかなと感じる仕事もやらないといけなかったり。30万の仕事を35万にしとこーって思うかもしれないし(笑)。
そんなにお金かからない生活してると、どっちでもいいよって自分でも思えるし。
 
あと、お金もらわないイコール責任が発生しないというわけじゃないけれども、お互いちょっと軽い感じのスタンスになれるところがあると思うんです。「払ったからやってよ」「もらったからやらなきゃ」じゃなくて、本当にお互いやりたいからやってるって感じになりやすい気がする。
 
– – – 10年後のことより、今日。
 
豊嶋:色んなひとがいると思うんですけど、僕は「あー、こんな感じか」と先が見えると急に興味が薄れてしまうタイプ。
山登りで言うと、ここが頂上だと思っていたら全然違って、実はまだまだ上があったり。「え〜!!」みたいな(笑)。それが良いんですよ。
それでやっと頂上に着いたらバーンって景色が広がってわーって感動したり…。
 
地図も見るし計画もするけど、実際行ってみるとその現場で色々わからないことがあるっていうのが面白くて。毎日同じことしないといけないのが僕には無理なんですよね。毎日違うことする生活でどうやってバランスよくやっていくかというほうが多分得意だと思うんです。
 
将来として見ている方向は多分あるんだけど、そっちに行こうと思ったら多分一生懸命そっちに行こうと頑張るとは思うけど、でもどっちに行っても別にいい。こっちでもよくて、あっちでもよくて、でもこっちに行こうと決めたら今は一生懸命行ってみようという思いはあります。
で、行ってみたけど次はあっちに何かあるから行ってみようって。まずは行ってみてから決めたらいいなという感じ。
 
例えば10年後とか訊かれるとするでしょ。でも、10年後のことを今の僕が考えても精度が悪い。10年後こうしたいというよりは、9年目の僕が1年後のこととして考えたほうが精度が高いじゃないですか。そういう感覚です。
だから未来のことをまったく決めてないわけじゃないけど、とりあえず今日のことのほうが大事、10年後のことより。
 
あっ、もっとうまく説明してくれた先生がいた! 今いい話思い出した(笑)。
 
どこかに行いきたいと思ったときに、足もとを見ずに目的地だけを見つめて行ってもたどり着けるし、足もとだけを見て一歩一歩しっかりと積み重ねて行っても行けるよって。
ぼくのはそれのもうちょっと適当バージョン。「そこ」とかも決めてないから(笑)。

あっ、もう一つ例え思いついたから言っておこう(笑)。
コース料理だったら、デザートはコースが終わってから決めたい、みたいな感じ!(笑)
オードブルが出る前からデザート決めたくない、みたいな気持ち。メイン食べ終わった自分が食べたいものを選択するために選択肢を置いときたい、みたいな。
 
豊嶋秀樹
 
宗像:今の話聞いていて思ったけど、僕はわりと足もと見ながら歩いて来たタイプかも。一歩一歩歩いていたらいつの間にかパン屋なってた、みたいな。
僕はこれからもそうやって一生懸命歩きながら、自分が変化してることに驚きつつ、楽しみたいなと思ってる。
目の前のことにベストを尽くして、出逢った人と100%知り合いたくて、お互いに楽しいことを交換する、みたいな。楽しい出逢いだらけだろうな、今後もきっと(笑)。
 
豊嶋:僕は作品づくりもちょこちょこやってはいます、映像を作ったりとか。でも、気が散るタイプだから色んなことを同時にやっちゃうんですよ。作品作ってるときに山に登ったり、その逆も。いろんなことが同時にある。だから、山登りって今の僕にとってはすごく大事なものになってますね。
…でも「飽きた〜!」と思ってやめちゃう可能性ももちろんありますけどね(笑)。
 
 

写真・インタビュー 中井雅代

 
豊嶋秀樹
豊嶋秀樹
gm projects HP http://www.gmprojects.jp
 
宗像堂
宜野湾市嘉数1-20-2
Tel & Fax 098-898-1529
open 11:00~18:00
close 月
HP http://www.munakatado.com

 

NAKAI

yuna sale
 
11月1日(木)~11月11日(日)までの期間中、
「Yunaセレクトの雑貨」の一部割引をいたします。
@与那原町字与那原548
open 10:30〜19:30
close 水
TEL/FAX 098-988-8792
駐車場あり
http://www.yuna-kuru.com
 
関連記事:Yuna(ユナ) 誰かにあげたい、教えたい。伝統工芸品の新たなカタチ。
 
yuna sale
 
食器類や栗の木のカトラリー、
ワッフルタオルなどのキッチン小物や
UVカットの入った綿ストールなど
対象のアイテムも豊富です。
 
期間中の11月4日(日)は、
Yunaの目の前の「えびす通り商店街」では「軽便市」も開催されます。
 
この機会に是非足を運んでみませんか。
 
「軽便市」
11月4日(日)
与那原町「えびす通り商店街」にて
正午~午後5時まで
 

NAKAI

カウントダウン
 
平成24年11月4日(日)11時~17時
@国際通りさいおんスクエア前広場
 
市では、来年4月1日の中核市移行を控え、市民の皆さまと中核市「那覇市」の誕生をお祝いするため、カウントダウンフォトメモリーを作製します。
 
作製にあたり、誕生100日前から1日前までのカウントダウンを行う市民モデル200組を募集し、撮影会を行います。
お1人でも、友だち同士でも、ご家族でも、赤ちゃんからおじいちゃん、おばあちゃんまで皆さまの笑顔で、中核市「那覇市」誕生を盛り上げてください。
 
撮影した写真は、中核市「那覇市」誕生の100日前(12月22日)から市役所新庁舎ロビーでのカウントダウンパネルで展示を行うとともに県庁前交差点2カ所の屋外大型スクリーンでCMを放映します。
また、展示期間終了後は、市役所に受け取りにお越しいただける方に撮影した写真を差し上げます。
 
http://www.city.naha.okinawa.jp/kakuka/tyuukakusi/osirase/satueikaibosyuu.html
 

NAKAI

セミナー カレンド沖縄
 
講師として呼んでいただいた、NPOツインズスマイリーさん主催「ノマドワーカー的な生き方をしている沖縄女性による社会貢献セミナー」が、先日の日曜に無事終わりました☆
 
受講者数は当初20名を予定していましたが、多くの方にお申し込みいただき、会場に入るギリギリの数、34名まで枠を広げていただきました。
締め切り後にもお問い合わせをいただき、定員オーバーでお申し込みをお受け付けできなかった方もいらっしゃいました、誠に申し訳ありません。
 
 
セミナー
 
当日、お集りくださった受講者の方を前に、
「きゃ〜〜〜可愛い子ちゃんばっかり!写真撮りたい〜〜!」
と、初っぱなからわたくし大興奮。
中には県外からご参加の方も!
…わたし、幸せ者です。。(感涙)
 
最初の一時間は私からの話と、事前質問へのお答え。
後半一時間は、カレンドが作成したワーク、
「自分カレンドをつくってみよう☆」
に挑戦。
 
セミナー
 
カレンドのように、自身の世界観をばっちり表現したホームページを作成しよう(紙上で☆)という内容のワーク。
お手本としてお配りした「自分カレンド・中井雅代バージョン」を参考に、みなさん真剣な表情。
 
セミナー カレンド沖縄
 
セミナー
 
びっくりしたのは、文章はもちろんですが、みなさん絵までお上手!!
写真入りHPを想定したワークでしたが、イラストでも十分いけそう☆
ってくらい、かわいいイラスト満載でほれぼれ。
 
 
20分ほどで作成終了。
自己完結ではもったいないので、お隣さんに自分カレンドの説明をしてアピールタイム〜☆
 
最初はみなさん恥ずかしそうにしていました。
…が!!
ここからびっくり。ほんの10秒後にはも〜、会場中が大盛り上がり!
どうしてだと思います??
  
セミナー
 
みなさん、ご自分が描いたHP案には自信なさげでしたが、他の方のHP案を見るのが面白くて仕方ない!

自分のHP案についても、話し出すと止まらない〜〜〜!
という感じだったようです。
 
だってね、本当にみなさんお上手なんですよ。
 
セミナー
 
見て〜!
植物やガーデニングに興味があるという参加者さんの描かれたHP案。
 
「ガーデニングファッションスナップ」とかあるの、超かわいい!
スナップの上は「今この植物がアツい!」
右サイドの真ん中は「虫通信」。
 
も〜〜〜、面白すぎ、 見たい見たい!
はやくこのHP作って〜〜〜。わたし毎日見るよ〜!
 
そんな案ばかりでほんと、なんだかみなさんが羨ましくなってきました。
(だってみなさんそれぞれ、多種多様なキラキラ充実ライフ送ってる〜って感じだったんです。) 
 
セミナー
 
また、
「お隣さんと趣味がかぶってた〜!」とか、
「へ〜、こんな特技があるの、すごいですね〜!」てな感じで、みなさん話が尽きない尽きない。
 
セミナー
 
ワークのあとにしめくくりの言葉をいわなきゃいけなかったのですが、もうね、みんなの間に割って入るのが申し訳なくて申し訳なくて…。
このままスーっとわたし、フェイドアウトしたら、みんな夜まで盛り上がってたはずね〜☆というくらい楽しそうでした♪
 
セミナー終了後も、沢山の方とお話できて楽しかった〜。
カレンドに対するハテナ?にも、色々とお答えできたのではないかと思います。
でも、待っててくださったのにお時間が来てお話できなかった方もいたよう。。ごめんなさい!
そして…私ももっと色々皆さんと話したかったよ〜〜。
 
楽しすぎてテンション上がりまくり、帰りの車中は放心状態でした…(笑)
 
 
こんな素敵な機会を与えてくださったNPOツインズスマイリーさん、本当にありがとうございました☆
 
そして、参加くださった皆様

「都合が合わず参加できなかった〜」という方、
皆様とはきっと、また別のどこかですぐにお会いできる気がします…うふふ☆
 

写真・文 中井雅代

 

NAKAI

久高 良治 展 探求9「映像影像」
 
2012年11月20日(火)〜11月25日(日)
午前9:00 〜 午後6:00(金・土 午後8:00まで)
<入場無料>
沖縄県立博物館・美術館 <県民ギャラリー1・2・3>
▶映像作品
11月20日(火) ・22日(木)午後3:00〜午後5:00 <3F講堂にて>
※ 15分間の映像を繰り返し上映いたします。
 
 
久高 良治(クダカ リョウジ)氏の沖縄で初めての個展。
 
1989年のイタリアでのフレスコ画との出会いから彼の探求が始まり、
今回はその探求シリーズの9回目となります。
これまでの氏の探求の軌跡と本個展での初披露の作品も含み、
沖縄県立博物館・美術館の県民ギャラリー1〜3を全室使用しての展覧会となります。
 
写真の技法を用いながらも既成にとらわれない、
氏の審美眼で表現された独創性の高い作品が一同に展示されます。
これまでの作品とともに、沖縄の風景をモチーフにした作品から、
11/20(火)と11/22日(木)の午後3:00〜午後5:00まで、
映像作品の上映が施設内3F講堂でも行われます。
<15分間の映像を繰り返し上映いたします。>
 
ご来場を心よりお待ちしております。
 
▶ 取材等に関するお問い合わせ先
think of_シンクオブ 担当 金 城(キンジョウ)
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久高 良治 展 探求9「映像影像」
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Profile
久高 良治 KUDAKA RYOJI
 
1962 沖縄県那覇市生まれ
1989 イタリアに渡りフィレンツェの写真スタジオにて「スティールライフを学ぶ」。
   フレスコ画のような質感を求めて「写真と物質」の融合の探求を始める。
1992 「石膏プリント」を試作。石膏板にカラー乳剤の定着に成功。  
1993 個展 探求1 石膏プリント発表。
1994 個展 探求2(物質1) 
    個展 探求3(物質2)
1998 個展 探求4(物質3) 
1999 個展 探求5(物質4)福岡市美術館 ゆらぎ/メッシュプリント(物質)発表。
2000 個展 探求6(時空)スカイドア青山 ディメンションフォト発表。
2005 音による「1/fゆらぎ」の探求を始める。
2009 写真感覚で映像表現を試みる。
2010 個展 探求7(映像影像)福岡アジア美術館
2011 個展 探求8(映像影像)九州国立博物館
 
 

NAKAI

それもまたちいさな光
 
角田光代・著  文藝春秋 ¥457(税別)/OMAR BOOKS
 
― 秋の夜長、ラジオを聴きながら  ―
 
あまりに夏が暑いせいか、毎年秋が来るとこんなに過ごしやすかったっけ?と思う。
季節の谷間のようなこの短い時期、ついつい夜更かしが過ぎて困る。
夜更かしというと周りはみんな何をしているのか気になるところ。
今回紹介するこの本を読んで、以前はよく夜中にラジオを聴いていたことを思い出した。
  
この『それもまたちいさな光』は、あるラジオ番組を軸に進んでいく。
妙齢の主人公・仁絵とその友人、知人の恋愛とそれぞれの人生の選択に揺れ動く姿を描いた大人のための恋愛小説、といったもの。
 
複雑な女性たちの心理がよく描かれていて、分かる分かると共感しながら読める女性が多いと思う。
 
他人のことについては冷静に判断できるのに、自分のこととなるとからっきしだめ。それも歳をとればとるほど、自分の弱さや危うさを知っているだけに臆病になる。
主人公もまたそんな女性で、幼馴染との宙ぶらりんな関係を棚上げしたまま、友人の恋愛のピンチを知り助けになろうと奔走する。
 
小説の良さの一つは、客観視できるところ。
読む人は登場人物の中にいつか見たことのある自分の姿を見つける。
「あのとき、私はこうした、でもああしていたら?」
「あのとき周りに私はこう見えていたんだろうな」とか。
 
隣人のことなら冷静に分かることも当事者になると簡単に見えなくなる。
そんなときに小説は自分を映す鏡になってくれる。
 
 
もう一つ。この本の裏テーマはラジオ。
登場人物たちはそれぞれ自分の職場や部屋、タクシーの中などで同じ番組を聞いている。
 
調子のいいとき、最悪なときも変わらずそこに流れている。
そのどんなときもつながっているような安心感はラジオの大きな魅力。
ずいぶん前に風邪を拗らせて肺炎になり、入院した病室で流れていたラジオを思い出す。
 
6人部屋で慣れない入院生活(といってもたった5日間だけの)を送ったとき。相部屋になった年配の女性がずっと小さな携帯ラジオを点けていた。
消灯時間が過ぎまわりが寝静まった深夜も、その女性がかけていたラジオの音はずっと響いていた。それはたぶんその部屋にいた患者たちの心をいくらか安心させてくれていた。
 
秋の夜長に久しぶりにラジオを聞いてみてはどうでしょう?
もちろんこの本も一緒に。

OMAR BOOKS 川端明美




OMAR BOOKS(オマーブックス)
北中城村島袋309 1F tel.098-933-2585
open:14:00~20:00/close:月
駐車場有り
blog:http://omar.exblog.jp
 

NAKAI

Day1
沖縄スナップ
ワンピ:minä perhonen
パンツ:Charpentier
靴:Repetto
 
沖縄スナップ
帽子:Karakoram
 

 
沖縄スナップ
バッグ:minä perhonen
 
 
Day2
沖縄スナップ
ワンピース:marimekko
ベスト:ENGINEERED GARMENTS(エンジニアド ガーメンツ)
靴:Reebok
帽子:karakoram
 
沖縄スナップ
バッグ:marimekko
 
 
Day3
沖縄スナップ
ワンピ:toujours
レギンス:不明
靴:Repetto
 
沖縄スナップ
ヘアバンド:minä perhonen
 
沖縄スナップ
バッグ:minä perhonen
 
 
Day4
沖縄スナップ
ヘアバンド:vaice
ワンピ:OLDMAN’S TAILOR
バッグ:marimekko
靴:MINNETONKA
 
沖縄スナップ
ストール:minä perhonen
 
 
Day5
沖縄スナップ
トップス:セレクトショップ「Bshop(ビショップ)」で購入
パンツ:M.GRIFONI(マウロ・グリフォーニ)
帽子:不明
靴:MINNETONKA
 
沖縄スナップ
バッグ:minä perhonen(東京スカイツリーで購入)
 
沖縄スナップ
 
 

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帽子やヘアバンドがトレードマークの教子(きょうこ)さん。
愛用するようになったのはアパレルショップで働いていた頃から。
 
「何しろ毎日忙しくて、夜遅くまで働くので、いつも朝はぎりぎりまで寝ていたんです。そうすると、髪の毛をセットする時間がないから、帽子をかぶってごまかすことにして(笑)。ニット帽だけじゃなく、麦わらやハットもかぶりますよ」
 
沖縄スナップ
 
 
好きな洋服の共通点を尋ねると「汚い色の服!」と即答。
汚い…というか、くすんだ色?
 
「そうそう(笑)。グレーとかカーキとか茶色とか、そうでなければ紺やモノトーンですね。昔からこういう色が好きなんです。両親も同じような好みで、母は茶色の服とか着てるし、父はグレー(笑)。小ちゃいときからこういう色ばかり着せられていたので好きになったのかも。明るい色の服を着た記憶がないんですよね。祖母に『女の子だからピンクとか赤とか着なさい』って言われた記憶もあります。
明るい色はバッグなんかで差し色として使うことが多いですね」
 
両親ともにくすんだ色好きとは筋金入り。
 
 
教子さんのコーデを見ていて一つ気になったのは、デニムが登場しないこと。
 
「履かないんですよ、デニム。実は苦手で…。私にとっては合わせにくいアイテムなんです。持ってるけど、一本だけ。ほとんど登場しないですね」
 
逆に多いのがワンピース。
 
「昔から好きでつい買っちゃうんです。パンツやスカートを履くようになったのは最近のこと。それまではワンピばかり。面倒くさがりなんだと思います、結局。サッて着るだけでいいから、らくちんなんですよね」
 
気に入ったラインのものは色違いでそろえることも多いと言う。
 
沖縄スナップ
 
「マリメッコの定番のボーダーワンピなんて色違いで十枚くらい持ってます。もうコレクションみたいな感じですよね。気に入った配色が出たらつい買っちゃうんです。
靴は特に決まった形のものをそろえがちで、ミネトンカは三色、レペットも四~五足持ってます」
 
ミナ・ペルホネンやマリメッコなど、オリジナリティあふれるテキスタイルが魅力のアイテムに惹かれることが多いと言う。
 
「昔からずっと好き、変わらないですね。ボーナスなど臨時収入が入るとご褒美的に購入しているので、記憶にも残ります。縫製もしっかりしてるから長く着られるんですよ。ごろごろ洗濯してもよれっとしない。だからまた、買っちゃうんですよね。
私、買物のときは結構即決なんですよ。悩んだら買わない。好き!と思ったらすぐ決めます」
 
 
大人になると、服のデザインやラインだけでなく、素材を愛するようになる人は多いのでは。
着心地、肌触り、刺繍の美しさ、そしてテキスタイルのデザイン。
他の人にはパッと見で伝わりづらくとも、着ているとデザイナーの細やかな心配りをありありと感じられる洋服は、まるで自分のためだけの一着というような気持ちになれるのも嬉しい。
 
ニットにレザーにコーデュロイ…。色々な素材を楽しめる季節の到来。
秋晴れや冬空のもと、今年はどんな素材に身を包みますか?
 

写真・文 中井 雅代

 

NAKAI

豊嶋秀樹
 
宗像堂(関連記事:天然酵母と石窯がうみだす「いのちのパン」)が改装を経て、新たな姿を現したとき、新しさと同時に懐かしさを感じた人はきっと少なくないだろう。
 
確かに変わった。でも、よりいっそう宗像堂らしくなった。
 
そんな変化の仕掛人は、ジャンルの垣根を越えて様々な分野でアート活動やプロデュースを手がける豊嶋秀樹氏。奈良美智氏とのコラボレーション『A to Z』は記憶に新しい。
宗像堂の改装に至る経緯から働き方に対する考え方まで、幅広くお話を伺った。
 

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– – – 改装にかかった材料費はほぼゼロ
 
豊嶋:基本的には、すでにあるものを使って改装をやっていこうっていう方向性で決まって。賃貸している建物だし、それ自体はさわらないで中と外を変えようと。
前の宗像堂の姿を残しつつ、違うかたちに変えようというコンセプトがあったので、改装前に宗像堂で使われてたものを多く利用しています。
床や棚をばらしてテーブルにしたり、パンの出し入れに使用していた道具をテーブルの脚にしたり、そういう断片みたいなのを集めて作ろうって話になって。だから、使っている素材も色も違うし、部屋ごとに雰囲気も全然違う。基本的に店内すべてその考え方で作ったから、材料費はほとんどかかってないですね。
 
宗像:看板がカウンターになってたり、元の宗像堂が随所にちりばめられているんだけど、それがいかにもという風じゃなく、なんとなくわかるくらいでちょうどいいんです。
 
豊嶋秀樹
 
豊嶋秀樹
 
豊嶋秀樹
 
– – – やらなくていいことはやらない。塗り直していない壁も。
 
豊嶋:6月におこなった内装作業は約6日間くらいかけて、壁塗りや床などほとんどを宗像堂のスタッフさんたちに手伝っていただきました。
やらなくていいことはやりたくないというスタンスなので、掃除だけして十分きれいになり、ペンキを塗り直していない壁もあります。
 
宗像:改装後は全然心持ちが違うんですよ、気分がものすごく良い。パン作りをしながら楽しいわけ。前はあんまり感じてなかった楽しさがあるわけよ。スタッフもそうだわけ。
掃除のやり甲斐もあるし、愛着も湧く。すごくいい循環になったと思います。スタッフが店に主体的に関わり、よりよくしていこうと考える良いきっかけになったし、僕自身、どういう店づくりをしていきたいかをスタッフと話せるようになりました。
 
– – – こだわりがないという、こだわり。
 
豊嶋:どういう風にやっていきたいかという点は僕も理解しておかないと、単なる自己表現みたいになっちゃう。宗像堂はあくまでもお店だし、アート作品を創ってほしいと言われているわけでもないから、最初はお話をしっかりと聞くところから始まります。なんでパン屋さん始めたのか、とか色々聞いていくうちに、じゃあこういうやりかたがいいんじゃないかというのがなんとなくわかってくるんですね。
 
宗像:豊嶋くんにヒアリングしてもらいながら、自分と店の全体像を初めて俯瞰できた気がします。宗像堂とはこういう店で、どういう風にパンを味わってもらうか、どう提供していくか、そういうことを自分の中で整理できたというか。
店について理解し、また他のひとにも理解してもらうためにはどうすればいいかということを徹底的にやってくれるので、「自分の作品」というふうには全然考えない人なんです。場にいる人が中心という、ある種こだわりがないというこだわり。そういうスタンスが本当に素晴らしいなと。豊嶋くんに出逢えたことはすごくラッキーだったなあと思っています。
 

豊嶋:僕だけの力では建築の仕事まではできないので、一緒に楽しく働ける建築家を探してほしいとお願いしたところ、「建築意思」の山口博之さんがチームになってくれました。
全体のイメージや方向性を僕ができるだけ出していって、山口さんがそれを現実にするために調整すべき点を設計してくれて。だから今、こうして厨房がちゃんと厨房として機能しているわけです。
山口さんとの仕事は楽しかったですね。一緒にやっていてなんのストレスも感じない。中には「俺は建築家!アーティスト!」的な方もいて、1から10まで自分で管理したいというタイプの方もいらっしゃるんです、それはそれでいいわけですが。人と組んでやる場合は、山口さんのように人とやることを楽しめる人だとやはり楽しいですよね。
 
豊嶋秀樹
 
– – – 宗像堂の主役はパンじゃなく、人。
 
豊嶋:話を聞いてると宗像堂ってパン屋さんだけど、つくり出しているのはパンだけじゃないんだと感じました。パン作りをとりまく色々な出来事や宗像さん一家、パンにひきよせられて集まってくる人たち…。
パンは登場人物にとって大事な小道具にはなっているけれども、宗像堂に集まるひとたち全員でなんかこう、大きな物語みたいなものを作っているんだなーという気がしたので、宗像堂全体をステージに載せるような感じで作っていこうというアイディアが浮かんだんです。建物自体がまるで舞台の上にあるセットのように見えるように。宗像堂という大きなストーリーが見えるような、そういう雰囲気にしたいなーって。
内装は6月に僕の仲間ふたりにも手伝いに来てもらってほぼ終わったので、次はステージづくり。宗像堂のまわりの工事をするんです。石窯のあるところを見てもらえるようになったり、テラス席をもっと増やしたり。
 
舞台というのは抽象的な意味だけでなく、実物も舞台の雰囲気で作ろうと。まあ、明らかに舞台という感じにはならないかも知れないけれど、真ん中に建物があって窯があって、そのまわりを白い砂利やコンクリートでわーっと囲んじゃおうと。基礎の工事は専門家にお願いしないといけないけれど、それ以外はなるべく手づくりでやりたいなと思っています。
 

豊嶋秀樹
 
– – – 出逢った瞬間ピン!と。職業も知らぬまま改装を依頼。
 
豊嶋:宗像さんとの出逢いは確か3年前。僕、それまで沖縄に来たことがなかったんです、きっかけがなくて。僕らの共通の友人んがよく沖縄に来ていて、友だちもいるし遊びに行こうよと誘ってくれたんです。彼が「沖縄の面白い人に会いに行くツアー」みたいなのをくんでくれて、そのときに宗像堂さんにも立ち寄りました。それで宗像さんと初めてお会いして。
 
宗像:最初に会った時、店の階段を降りてくる姿を見て「なんかあるな」ってピンときてたんですよ、実は。でも、そのときはほんと一瞬の滞在だったよね。確かパン買って食べて、「では次行きましょう」みたな感じですぐにいなくなっちゃった。豊嶋くんの職業についても全然知らなくて、きいてもあんまり説明してくれないからわからなかったけど(笑)、それでもすごく興味をひかれたのは覚えています。
 
豊嶋:そのときはそれで終わっちゃったんだけど、それから一年後にまた沖縄に来ることになって。それで、宗像ファミリー含め、みんなで離島に遊びに行くことになったんだよね。与那国馬に乗りに行こうって言って。
その与那国から帰るとき、空港の待合室で宗像さんが「豊嶋くんさぁ、僕今度お店を改装しようって考えてるんだけど、やれない?」というので、「なんでもできますよ」と(笑)。でも僕はプロのインテリアデザイナーとかじゃないので、そういうものを求めているのなら違う人に頼んだ方がいいけど、おもしろ系で良いのであればできることはあると思うし、ぜひお手伝いしたいと言ったら、「どちらかと言えばおもしろ系が良いんだけど」って(笑)。それでお手伝いすることになったんです。
 
宗像:一緒に行った与那国がすごい楽しくて、これはただごとじゃない感じだなーと。その雰囲気がお店に出たらすごく良いなと思ったんですよね。それまで豊嶋くんがやってる仕事のことも全然知らないまま、直感でお願いしたという感じでした。 
宗像堂の店づくりは全部自分たちの手でやっていたので、もろいところは崩れかけていたし、新しく仕切り直したいという気持ちもあった。そういうタイミングだったんです。自分自身の内面の変化もあり、停滞気味な感じもあったので気分を変えたかったんですね。そしてさらに宗像堂を前に進めたかった。
 
豊嶋秀樹
 
– – – 店そのものではなく人にフォーカスした空間づくり。
 
豊嶋:実は僕、これまであまりお店の改装のような仕事はあまりやってきてないんです。以前「graf(グラフ)」という会社をやっていたときには、会社でそういう仕事もいっぱいやってたんですけど、僕はそちらには携わっていなかったから。自分がお店の改装に携わるのは宗像堂さんと、北海道の…。僕、スキーが好きでよく北海道に行くんですけど、そこでいつも訪ねるジャム屋さんの女の子がお店始めるというのでそれを手伝ったり。
あとは、奈良美智さんと一緒に『A to Z』という展示で訪米やヨーロッパをまわっていたとき青山にカフェを作ることになって。でも、その時は作品の流れを意識してつくったので、リアルな店づくりはあんまり経験がないんです。
 
展覧会など空間を作るということは色々な所でやってきたけれど、どちらかというと「場」を作ってるという気持ちがすごく強いんです。どういうものに仕上がっても、人からどう見えてもいい、そこにいる人やそこに集まってくる人、そこで時間を過ごす人たちでその場が馴染んでくればいいなと。
だから、場をつくるときも「はい完成しました、これで頑張ってください」じゃなくて、極力作業に関わってもらう。できるところは自分たちでやるほうがいいと思うんですよ。その人にとっても「この壁私が塗った!」って思えるでしょ(笑)。その気持ちがその後にも結構影響すると思うし。ぱきぱきのお店を作りたいのであれば、そういう人たちがそういう仕事をすればいいと思うけど、僕が関わっている場合はそういうことかなーと思いますね。
 
豊嶋秀樹
 
– – – 僕の仕事は「主婦のカレー」。
 
豊嶋:僕の仕事についてすごく的確な説明をしてくれた方がいるんです。「豊嶋さんがやっているのは主婦のカレーなんだよ」って。国立民族学博物館の仕事をしているとき研究員の方がそうおっしゃって。主婦が作るカレーって毎回同じじゃなくて、その日たまたま冷蔵庫にあるものでぱしっと作るでしょ。それも、カレー粉があったからカレーなっちゃった、みたいな。でも、みんなで楽しく健康的に食べるって言うのが一番の目標だから、別に何カレーでなくても最後はシチューになっちゃっててもいいわけです。でも、おいしくないと楽しくないっていうのはあるんですよね、絶対。ですから、表現方法に縛られず、楽しいと思えることが僕の仕事なのかなと。
でも、これまではカレーができちゃった、というところで終わってたかもしれないけれど。今はそれをみんなで作ってみない? そしてみんなで食べてみようよ、というところまで楽しめるように変わってきた気がしますね。
 
僕は本来アートがすごく好きで会社を始めたのですが、仲間がデザインやってたり料理やってたり大工さんだったり音楽やってたりしていたので、そういうのが全部あるのがいいよねって言ってできたのが graf だったんです。その中にアート部門をつくり、奈良さん始めさまざまなアーティストの方と仕事をして、何年間もアートどっぷり。それはそれで素晴らしい経験でしたし、楽しくて没頭してたのですが、でもそこに自分の暮らしというのがない状態になってしまったんです。ひたすら旅してひたすら創るみたいな感じだったから、もう毎日呑んで(笑)。ないわけ、日常みたいなのが。お祭り屋さんみたいな感じで。
 
年齢の関係かもしれないけど、35歳過ぎてくるとなんかこう…ベクトルの方向が変わってきた感じでした。
でも僕、全然こだわってないんで、どっちに行こうとかまったくないんで、くらげ的に漂ってるだけなんです。たまに「ひゅっ、ひゅっ」ってやるけど(笑)。
 
豊嶋秀樹
 
宗像:その「ひゅっひゅっ」が宗像堂だったり?
 
豊嶋:そうそう(笑)。こっちになんかありそうだなーって「ひゅっ、ひゅっ」とやるけど、行き着くかどうかはわからない。基本は流されてるだけなんですよ。環境や状況、出逢った人たちによって行き着く先が変わる。こうしたいというこだわりがないから、「どこかに行きましょうよ、どこに行きたいですか?」と訊かれ、「北海道に行きたいです」「じゃあ北海道に行きましょう」という感じで。そこでどういう風に何をするかというのはしっかりと掘り下げていきますけど、目指すべきゴールみたいなのは無いんです。
 
豊嶋秀樹
 
宗像:今聞いててびっくりした。あまりそうは見えないと言われるけれど、僕もそうなんです、流れにまかせるタイプ。たまたまできたものがパンで、流されてここに来ただけなんです。
さっきの話で言うと、カレー作ってたらたまたまパンになってたっていう。豊嶋くんとその感覚がすごく近くて驚きました。
 
豊嶋:じゃあ、宗像堂さんも「ひゅっひゅっ」(笑)?
 
– – – 目標が「世界一のパン」から別方向へ激変。
 
宗像:そこまではいかないかな?(笑) 僕の場合、不器用で漂い方がわからないから、どこかにぶつかるまで突き進んで行く…魚? マグロっぽい感じかな?(笑)
自分にとってちょうどいい進み具合や進み方があって、そこにたまたまパン作りがひっついてたという感じなんです。だから、空間を創ることもパン作りも自分の中では違いがなくて。それが豊嶋くんの手を借りてやったのがすごく楽しかった。
 
パンに関していうと、僕の中でおいしいもののポイントが変わったんですよ。これまでも「舌先は絶対追わない」ということは決めていたけれど、おいしさに対するグリップをやわらかくしてしまえばしまうほど、もっと広く喜んでもらうことができるだろうと思うようになって。
 
主婦のカレーって絶対食べたいじゃん、週一とかさ。今そういう方を向いてるんです、はっきりと。自分のきりきりした部分をどんどん削ぎ落としていって、よりリラックスして仲間と一緒にパンをつくっていったら、そういうカレーができそうな気がするし、その方が楽しいですよね。
前はどちらかというと「世界一のものを作りたい」「だれもが倒れるくらいインパクトのあるパンを作りたい」と考えていました。だから、食べたときに涙を流す人がいるのが本当に嬉しかったけど、豊嶋君との出逢いもあり、今まさに劇的に変わってる真っ最中って感じ。以前はスタッフに対しても僕の仕事を再現してほしいと思っていたけど、それが今は真逆。もっと自身の個性を仕事に反映してほしいなーと思うようになりました。
 
豊嶋秀樹
 
豊嶋秀樹
 
– – – 初めて作り手を意識した映画がきっかけでアートの道へ
 
宗像:豊嶋くんがもともとアートに興味を持ったのっていつなの?
 
豊嶋:その話、しますか?(笑) あのね、僕が一番最初に感動した体験ってなんやったかなって考えたとき、「ET」を観てすごい感動したのを思い出したんですよ。初めてひとりで街に出て行って映画館で洋画を観た、それがたまたまETで。すごい混んでて立ち見やったのに、ラストシーンではめちゃめちゃ鳥肌が立って、今にも涙が出ちゃう、みたいな。「これが感動ってやつかー!」と(笑)。
 
それまでは映画とかテレビとかそういうのって、作った人がいるだなんて思ってなかった。そこに生えてる木とか空にある星とか太陽みたいな感じで、ただそこにあるもので、僕らはただそれを観てるっていう感じだったんです。でもETを観たときに「こんなの誰がつくったんやろ」って初めて作者を意識したんですよ。
それまではパンフレットなんて買ったことなかったけど、パンフレットを買って後ろのほう見たら「スティーブンスピルバーグ監督、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校卒業」って書いてあって。そのとき「カリフォルニアか…」って思ってたのよね。で、僕が二十歳になったとき、このことはすっかり忘れてたけど、カリフォルニアの大学に進学したときにそのことを思い出したの。 
 
ETで衝撃を受けたあとは、小学校六年生か中学生やったと思いますけどミュージカルにハマり出して(笑)。従兄がキャッツを観に行くっていうので一緒に連れて行ってもらったら、観客が座ってる所からばーっと猫が出てくるのが見えて、「人が猫やってる〜!おー、すげー!」って(笑)。それをきっかけにお年玉でS席のチケット買って色々観に行ってました。周りには誰もミュージカルなんて見る人いないからひとりで。コーラスラインとかウエストサイドストーリーとか、何観てもおもしろかった。
でも、僕のミュージカルブームは中学時代で完全に終わったんです(笑)。そのあとは今にいたるまで一つもミュージカル観たことないですね、興味はあるんですが。
 
高校卒業後は大阪の専門学校に二年間通いました。
そこで出逢った先生が、キーパーソンだったんですね。
 

後編に続く

 
 
豊嶋秀樹
豊嶋秀樹
gm projects HP http://www.gmprojects.jp
 
宗像堂
宜野湾市嘉数1-20-2
Tel & Fax 098-898-1529
open 11:00~18:00
close 月
HP http://www.munakatado.com
 

NAKAI

儀間比呂志展
 
11月20日(火)~25日(日)
時間:午前10:00~午後6:00
 
旧伊計小中学校
住所:うるま市与那城伊計244
 
うるま市では、「島おこしプロジェクト」の第2弾として、版画家・絵本作家として活躍している儀間比呂志氏の絵本原画を中心とした展示会を開催致します。沖縄の伝統文化、自然、歴史等を描いた作品を古き良き時代の自然が残る伊計島で展示し、絵本の世界が感じられる展示会となっています。さらに、普段目にすることのない絵本の制作風景もご紹介致します。ワークショップでは「沖縄のくらしミーグルグル検索」と題して、絵本に登場する民具を展示し、子供たちが探して、見て、触って当時の暮らしを体験するコーナーを設けております。
 
うるま~る http://uruma-ru.jp