鼻を近づけると、濃い自然の香りがする。
土、麦、畑に渡る風。そういう諸々が余計なものに邪魔をされず、ダイレクトに伝わってくる。
八重岳ベーカリーが全粒粉のパンを作り始めたのは1977年、今から35年も前のこと。
現在のように健康志向の食生活が注目されていたわけでもなく、「パン=白くてふわふわしているもの」という考え方が当たり前の時代。黒くて歯応えのある固めのパンなど、他ではほとんど見られなかった。
オーナーである比嘉恵美子さんの夫は医師。患者のために健康に良いパンをという思いが発端となり、パンづくりを始めた。
精米する前の玄米の栄養価が高いように、精製前の小麦である全粒粉には食物繊維、タンパク質、鉄分、ビタミン群、亜鉛、マグネシウムなどが豊富に含まれている。健康の回復を目指すひとだけでなく、健康維持にも効果的であることは言うまでも無い。比嘉さん夫妻はやがて患者だけでなく、より多くの人に届けたいと思うようになり、病院の売店でもパンを売ることにした。
小麦をまるごと食す「全体食」でもある黒パンは滋味深く、栄養面を抜きにしても魅力的で、最近では全粒粉使用のパンを見かける機会も増えたが、小麦粉の全体量の80%も使用している店は今でも稀だ。
現在、オーナーとともに八重岳ベーカリーの経営にあたるのは小原裕輔さん、祐子さん夫妻だ。
天然酵母パンを販売する日本のパン屋のさきがけともいえる名店「ルヴァン」で修行した経歴をもつ裕輔さんは、パン屋を営む前は京都で広告代理店に勤めていた。
「インテリアのカタログやサンプルブックと呼ばれるものを製作する会社にいました。大きな会社ではありませんでしたが業界でのシェアはトップ、若い社長が熱意を持って動かしている会社で勢いがあり、その中で揉まれながらも懸命に働きました。夜中の二時まで残業ということもよくあり、充実した日々でしたが、あまりの忙しさに体をこわしたりもしました」。
5年後、ある外資系企業から裕輔さんにヘッドハンティングの声がかかった。
「その時初めて自分の人生プランについて考えました。周囲には家庭を顧みる暇もないほど仕事に時間を費やしている上司も多く、それは自分の求めている働き方とは違うな、とも感じていた時期だったんです。新しいオフィスは新宿のど真ん中にある高層タワー。単純にカッコイイ!と舞い上がる気持ちもありましたし、収入もそれまでの2倍の額を提示されて。
実は、学生時代にバイクで日本を一周したことがあるのですが、退職後のセカンドライフはまた日本各地を巡ったり、田舎暮らしをして、悠々自適に過ごしたいと考えていたので、そのためにも若いうちにしっかり働いて蓄えを増やしておきたいという考えもあり、迷った末に転職を決めました」
手づくりパンの多くが県内各地のスーパー等販売店に配達される。遠方から通わずとも気軽に購入できるのが嬉しい
新しい職場で働き始める前に、裕輔さんは休暇をとって沖縄を訪れた。田舎暮らしの雑誌での沖縄特集を読んで興味がわいたのがきっかけだった。
「車で島内を一周、道中さまざまなお店に立ち寄りました。色んな方と話をさせていただくうちに、ゆいまーるやもあいといった沖縄独特の価値観や風習を知って感動しました。多くの日本人が無くしたものがここにはあるなーと」
やがて北部へと到着。八重岳をのぼる途中でパン屋があることに気づいた。一度は通り過ぎたが、「なぜこんなところにパン屋が?」と気になって引き返した。
「中に入ると気さくなおばちゃんが色々と話しかけて来てくれて。それがオーナーの恵美子さんだったのですが、どこに泊まるのかと訊かれたので瀬底ビーチで野宿するつもりだと言うと、『じゃあ、うちに泊まりなさい』と。
僕の運転する車に乗り込んで、『家はあっち』と指差した方向を見ると、樹々がうっそうと茂り、まるで森の入り口のようなところ。ゲートまでついていてまるでジュラシックパークの世界。そこを分け入るように進んでいくのですが、こんなところに家あるわけないやろーというような雰囲気。どこかに連れ去られるんじゃないかと不安にもなりました(笑)。やがて、突然開けた土地に出て大きな家が建っていて、伊江島まで見渡せる見事な景色が目の前に広がりました。それを見て『泊まります! 泊まらせてください!』と(笑)」
店の向かいには山をのぼっていく散歩道が。
山頂からは絶景が見渡せる。
麦を植えている畑も一望できる。
比嘉夫妻は敬虔なクリスチャンで、心身に病を抱えたひとや社会で暮らしていくことが難しいひととを迎え入れて共同生活をし、パン作りや農業に携わることで健康の回復を目指す活動をひっそりとおこなっている。
「僕が訪れたときは三名ほどの方がいらしたのですが、『どこから来たの?』『名前は?』と尋ねてくるときの目がきらきらと輝いていて。彼らの純粋さに心を打たれました」
比嘉夫妻の暮らしは裕輔さんが歩んで来た人生にはない要素に満ちていた。それまで従事した仕事も楽しんできたが、献身的に他者に尽くす二人の姿を見て、目が覚める思いがしたと言う。
「結局そこに泊まらせていただいたのですが、帰り際、『あなたみたいな若いひとで、ここで働きたいというような知り合いがいたら紹介して』と言われて」
裕輔さんは心の一部を八重岳にひきとめられたまま、本土へと戻った。
海に雨が降り注ぐ、神秘的な様子がはっきりと見えた。
「飛行機に乗って帰り、空港に降り立った瞬間に強烈な違和感を感じました。至る所にある企業の広告やCMを目にして『これ、なんやろ?』と。しばらく考えて、『モノ売るためのものか。そういえば自分もそういう会社に勤めていたんだ、世界はこうして回っているんだ…』と」
釈然としない気持ちを抱えたまま、裕輔さんは新しく勤める会社の入社式に出席した。
「みんな他社から移ってきたひとばかりで、『俺が、俺が・・・』と周囲に先んじようとする気合いをひしひしと感じました。無意識に『この人たちを自分の同僚だと胸を張っていえるだろうか』と考えていました。八重岳ベーカリーのひとびとに出会っていたからこそ、そう感じたのだと思います」
働き方に迷いを覚えた裕輔さんは友人たちに相談したが、「一時的な旅の熱だ」「辞めてはもったいない」という意見ばかり。沖縄移住の可能性を示すと両親からは猛反対された。しかし唯一、「面白そう!」と即答してくれた人がいた。現在ともに店を営む祐子さんだ。
「人生プランは大きく変わるし、しばらくは離れて暮らすことになるのに大賛成してくれて」と裕輔さん。
「私はもともと人の手を使う、地に足のついた仕事や生活がしたいなと思っていました。パンと農業と聞いて『良いな~』って羨ましく思ったくらい」と祐子さん。
八重岳ベーカリーに電話をして恵美子さんに早速相談したが、慌てた様子で諭され、まずは3ヶ月試しに働いてみることになった。
しかも、当時の裕輔さんのパンに対する知識はほとんどゼロに近いレベルだった。
同僚やオーナーからやり方を習いながら実際にパンづくりを始めてみると、すぐに自分の性に合っていると感じたと裕輔さんは言う。
「それまで就いていた広告の仕事は6ヶ月~1年という長いスパンで結果がやっとでる世界でしたが、パンは一日一日が勝負、その日にやったことがすぐに目の前に現れるのでやりがいも感じました」
パン作りだけでなく裕輔さんは農業にも参加、草刈りや畑を耕す仕事など大地に触れる作業に
「たまに電話で話すと彼の声から生き生きとした様子がうかがえましたが、実際に私もこちらに来て、その気持ちがよく理解できました。一般的にはどんな仕事も効率や利益を追求しますが、ここで暮らす人々や八重岳ベーカリーでは日々をいかに気持ちよくすごすかに重点を置いているのです。海を眺めたり、パン生地や土に触れたりすることで心が喜ぶのが実感できます」
充実した日々を送りながらパンの関する知識を徐々に深めていった裕輔さんは、天然酵母の存在を知った。
「自然界のものを利用してパンを膨らませることができるというので興味を持って調べてみると、ルヴァンというパン屋の甲田さんという方が第一人者だと知って。そこで彼が書いたコラムを読んでみるととても興味深かった。パン職人というといかにおいしく美しいパンをつくるかに尽力しているイメージがあったのですが、甲田さんはパンを通じて平和を伝えたい、健康を提供したい、パンはそのための手段にすぎないという確固とした理念をもっている人でした」
店の経営状態も知っていた裕輔さんは、今のままだと店を存続させていくことは難しい、パンの知識をより深めて新たな可能性を模索するためにも、自信が経験を積むことが必要だと感じ、ルヴァンで修行したいと考えた。
押しも押されぬ人気のベーカリーで、全国から訪れる修行志願者はひきもきらず、スタッフとして採用されるのは狭き門だったが、裕輔さんの熱意が通じて東京店で働くことになった。
比嘉夫妻には「必ず戻る」と約束し、裕輔さんは上京した。
東京店に約一年勤めた後、長野県の信州上田店に配属され、併設されるレストランで祐子さんもともに働き始めた。
まだ日も昇らぬ明け方3時には出勤し、パン作りが始まる。洗練され、理念の徹底されたパン作りの世界に身を置き、二人は多くを吸収した。
「ルヴァンで働く日々はとても充実していましたし学ぶことも多かった。自然豊かな信州の地や、人とのつながりに後ろ髪を引かれる思いはありましたが、約束は守りたいという気持ちはあったし、比嘉夫妻への恩返しも済んでいない。そもそも、パンに出会ったのはお二人のおかげですから、まずは沖縄に戻ることを選んだのは、必然的な流れでした」
4年間の修行を終え、裕輔さんは祐子さんとともに沖縄へ向かった。
八重岳ベーカリーに戻った二人はこの土地にしかない、この土地に合ったパンを模索し始めた。そして、比嘉夫妻が保有する土地に自生するシークヮーサーをふんだんに用い、八重岳の桜にできるさくらんぼ、沖縄の塩、八重岳の水で酵母を立て、パン種を育て始めた。
「天然酵母は生き物なので、一朝一夕にはできません。味がなじむまではお客様にお出しせず、自分達用に作り、食べ続け、時を待ちました。そして1年半ほどたってから、県内のイベントに出展するのを機にお客様にお出しすることに決め、そこで手ごたえを感じることができ、販売に踏み切りました」。
天然酵母パンという新戦力を得て、八重岳ベーカリーにこれまでにない新しい風が吹き始めたが、黒パンの製造量は減らしていない。
「当店には30年来の常連のお客様が多く、高齢者の方もよく求めにきてくださいます。本土から戻ったばかりのころは『八重岳ベーカリーを変えよう!』と意気込んでいたのですが、この沖縄の気候や舌に合ったパンは何か? という視点になり、イーストのパンを天然酵母のパンに変えるということがよいこと=自然なことではないのだと気づきました。
でも、自分達の舌が毎日食べてもおいしいように、国産小麦を使うようにしたり、油や糖分を減らすなど、マイナーチェンジはしています。
黒パンを食べるようになってからは白いパンでは物足りなくなると言ってくださるお客様も多いので、これからも黒パンは作り続けます」
「自家製の麦を作ることにも力を入れています。今年で3年目なのですが、無農薬で想像以上に美味しくできたので喜んでいます。当店のパンをすべて自家製小麦で作れるようになるまでは何年かかるかわかりませんが」。麦畑の管理も行うスタッフ、かっちゃん。
「店を通じて多くのご縁にもめぐまれましたし、沖縄という地に感謝しているので、恩返しをしたいという気持ちがあります。ひとつひとつのパンを、自分や工房みんなの気持ちを合わせて良いものにしていきたいと思っています。
目指しているのは食べたときに『頑張ろう!』と思えるパン。
毎日に感謝をしながら、食べていただく一人一人を想って、丁寧にパンを作り続けていれば、未来は自然とついてくるんじゃないでしょうか」
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なにかに込められた純粋な思いというのは、それがどういう形をとっていてもしっかり伝わるのだなと実感した。
八重岳ベーカリーのパンを一つ、丁寧に味わってみてもらいたい。
そこには工房ではたらくスタッフの想い、裕輔さんと祐子さんの熱意、オーナー夫妻の慈愛がしっかりと感じられるはずだ。
「暗い雰囲気やトゲトゲしたムードの中で作ると、パンって絶対おいしくできないんです。これは本当にそう。
楽しいな、幸せだな、ありがたいなと、今という現実に感謝しながら作るとすごくおいしいパンができるんですよ。この素朴で、なんでもない形の中に、そういう目に見えないものを体現していきたい」。
パンは生きている。
そのパンを生み出す人々の心に愛が満ちているからこそ、愛にあふれるパンになる。
写真・文 中井 雅代
八重岳ベーカリー
本部町字伊豆味1254
0980-47-5642
open 9:00〜17:00
close 土
HP http://yaedake.com
パンの取り扱い店舗一覧:http://yaedake.com/free/sale