NAKAI

沖縄料理教室 ヌンクー 
 
大根が沢山食べられる、簡単でおいしい煮込み料理を紹介しようね。
別に冬を待たなくても、スーパーに大根がある時期はいつでも作っているよ。
 
沖縄料理教室 ヌンクー 
 
沖縄料理教室 ヌンクー 
 
大根は輪切りにしたあと、短冊切りに。
あんまり薄くしすぎないでね、煮込んだ時に少し歯ごたえが残った方がおいしいよ。
 
沖縄料理教室 ヌンクー 
 
豚肉と油揚げも適当な大きさに切って。
食べやすい大きさであればどんなでも良いよ。適当さ。
豚肉じゃなくてツナで作ってもいいのよ。
うちはツナは買い置きしてあるし、豚肉で作るよりラクチンだからツナバージョンでもよく作るよ。
 
沖縄料理教室 ヌンクー 
 
最近は健康、健康というからね。
私はオリーブオイル使ってるけど、もちろんサラダオイルでいいのよ。
 
沖縄料理教室 ヌンクー 
 
豚肉を先に炒めます。
だし汁少々と醤油も適量加えて味を付けます。
 
沖縄料理教室 ヌンクー 
 
肉に火が通ったら大根を加えて。
 
沖縄料理教室 ヌンクー 
 
鍋を振って味を全体に馴染ませたら蓋をして、大根から汁が出てしんなりするまで、弱火でしばらく炊きます。
 
ヌンクー、ヌンクーと昔から呼んでいるけど、どういう料理のことかね。詳しいことはわからないさ。
まあ、大根とかにんじん、揚げ豆腐なんかを煮込む鍋料理のことだと思うんだけど。地域によっても違うはずね。
 
沖縄料理教室 ヌンクー 
 
大根が透き通ってきたら残りの具材を入れます。
 
沖縄料理教室 ヌンクー 
 
まず、油揚げ。
私は油揚げも冷凍保存してあるよ。
みそ汁にでも何でも入れるさ。
 
沖縄料理教室 ヌンクー 
 
最後にチリビラーね。
 
沖縄料理教室 ヌンクー 
 
チリビラーはね、冷凍にはあんまり向いていない気がするのよ。
味が落ちてしまう気がする。
だから、買ったらこんなして、新鮮なうちにすぐ使ってしまわないとね。
 
沖縄料理教室 ヌンクー 
 
チリビラーと言えば、ソーメンチャンプルーにはどのそうめん使ってるね?
宮城県の温麺(うーめん)、上等よ〜。
以前人から頂いたので使ってみたら、普通のそうめんと違ってむちゃむちゃーしないのよ。
さらっとしたソーメンチャンプルーが簡単にできるよ。
 
沖縄料理教室 ヌンクー 
 
具材を全部入れたら、また鍋を振ってよく混ぜてね。
味をみて薄いようだったら醤油を加えて調えて。
 
でも、大根から優しいだしが出るので、そんなに沢山調味料は入れなくて大丈夫だはずよ。
 
沖縄料理教室 ヌンクー 
 
大根って一本買うと最後まで使い切るのが大変だという人、多いんじゃない?
ヌンクーにしたらペロっと食べてしまうよ。
子ども達も昔からこれはよく食べよったよ。
野菜が苦手な子どもさんがいるお母さんにもおすすめよ〜。
 

写真 中井雅代

 

NAKAI

八重岳ベーカリー

 

鼻を近づけると、濃い自然の香りがする。
土、麦、畑に渡る風。そういう諸々が余計なものに邪魔をされず、ダイレクトに伝わってくる。

 

八重岳ベーカリーが全粒粉のパンを作り始めたのは1977年、今から35年も前のこと。
現在のように健康志向の食生活が注目されていたわけでもなく、「パン=白くてふわふわしているもの」という考え方が当たり前の時代。黒くて歯応えのある固めのパンなど、他ではほとんど見られなかった。

 

八重岳ベーカリー

 

八重岳ベーカリー

 

オーナーである比嘉恵美子さんの夫は医師。患者のために健康に良いパンをという思いが発端となり、パンづくりを始めた。
精米する前の玄米の栄養価が高いように、精製前の小麦である全粒粉には食物繊維、タンパク質、鉄分、ビタミン群、亜鉛、マグネシウムなどが豊富に含まれている。健康の回復を目指すひとだけでなく、健康維持にも効果的であることは言うまでも無い。比嘉さん夫妻はやがて患者だけでなく、より多くの人に届けたいと思うようになり、病院の売店でもパンを売ることにした。

 

小麦をまるごと食す「全体食」でもある黒パンは滋味深く、栄養面を抜きにしても魅力的で、最近では全粒粉使用のパンを見かける機会も増えたが、小麦粉の全体量の80%も使用している店は今でも稀だ。

 

八重岳ベーカリー

 

八重岳ベーカリー

 

現在、オーナーとともに八重岳ベーカリーの経営にあたるのは小原裕輔さん、祐子さん夫妻だ。
天然酵母パンを販売する日本のパン屋のさきがけともいえる名店「ルヴァン」で修行した経歴をもつ裕輔さんは、パン屋を営む前は京都で広告代理店に勤めていた。

 

「インテリアのカタログやサンプルブックと呼ばれるものを製作する会社にいました。大きな会社ではありませんでしたが業界でのシェアはトップ、若い社長が熱意を持って動かしている会社で勢いがあり、その中で揉まれながらも懸命に働きました。夜中の二時まで残業ということもよくあり、充実した日々でしたが、あまりの忙しさに体をこわしたりもしました」。

 

5年後、ある外資系企業から裕輔さんにヘッドハンティングの声がかかった。

 

「その時初めて自分の人生プランについて考えました。周囲には家庭を顧みる暇もないほど仕事に時間を費やしている上司も多く、それは自分の求めている働き方とは違うな、とも感じていた時期だったんです。新しいオフィスは新宿のど真ん中にある高層タワー。単純にカッコイイ!と舞い上がる気持ちもありましたし、収入もそれまでの2倍の額を提示されて。
実は、学生時代にバイクで日本を一周したことがあるのですが、退職後のセカンドライフはまた日本各地を巡ったり、田舎暮らしをして、悠々自適に過ごしたいと考えていたので、そのためにも若いうちにしっかり働いて蓄えを増やしておきたいという考えもあり、迷った末に転職を決めました」

 

八重岳ベーカリー
手づくりパンの多くが県内各地のスーパー等販売店に配達される。遠方から通わずとも気軽に購入できるのが嬉しい

 

新しい職場で働き始める前に、裕輔さんは休暇をとって沖縄を訪れた。田舎暮らしの雑誌での沖縄特集を読んで興味がわいたのがきっかけだった。

 

「車で島内を一周、道中さまざまなお店に立ち寄りました。色んな方と話をさせていただくうちに、ゆいまーるやもあいといった沖縄独特の価値観や風習を知って感動しました。多くの日本人が無くしたものがここにはあるなーと」

 

やがて北部へと到着。八重岳をのぼる途中でパン屋があることに気づいた。一度は通り過ぎたが、「なぜこんなところにパン屋が?」と気になって引き返した。

 

「中に入ると気さくなおばちゃんが色々と話しかけて来てくれて。それがオーナーの恵美子さんだったのですが、どこに泊まるのかと訊かれたので瀬底ビーチで野宿するつもりだと言うと、『じゃあ、うちに泊まりなさい』と。
僕の運転する車に乗り込んで、『家はあっち』と指差した方向を見ると、樹々がうっそうと茂り、まるで森の入り口のようなところ。ゲートまでついていてまるでジュラシックパークの世界。そこを分け入るように進んでいくのですが、こんなところに家あるわけないやろーというような雰囲気。どこかに連れ去られるんじゃないかと不安にもなりました(笑)。やがて、突然開けた土地に出て大きな家が建っていて、伊江島まで見渡せる見事な景色が目の前に広がりました。それを見て『泊まります! 泊まらせてください!』と(笑)」 

 

八重岳ベーカリー
店の向かいには山をのぼっていく散歩道が。

 

八重岳ベーカリー
山頂からは絶景が見渡せる。

 

八重岳ベーカリー
麦を植えている畑も一望できる。

 

比嘉夫妻は敬虔なクリスチャンで、心身に病を抱えたひとや社会で暮らしていくことが難しいひととを迎え入れて共同生活をし、パン作りや農業に携わることで健康の回復を目指す活動をひっそりとおこなっている。

 

「僕が訪れたときは三名ほどの方がいらしたのですが、『どこから来たの?』『名前は?』と尋ねてくるときの目がきらきらと輝いていて。彼らの純粋さに心を打たれました」

 

比嘉夫妻の暮らしは裕輔さんが歩んで来た人生にはない要素に満ちていた。それまで従事した仕事も楽しんできたが、献身的に他者に尽くす二人の姿を見て、目が覚める思いがしたと言う。

 

「結局そこに泊まらせていただいたのですが、帰り際、『あなたみたいな若いひとで、ここで働きたいというような知り合いがいたら紹介して』と言われて」

 

裕輔さんは心の一部を八重岳にひきとめられたまま、本土へと戻った。

 

八重岳ベーカリー

 

八重岳ベーカリー
海に雨が降り注ぐ、神秘的な様子がはっきりと見えた。

 

 

「飛行機に乗って帰り、空港に降り立った瞬間に強烈な違和感を感じました。至る所にある企業の広告やCMを目にして『これ、なんやろ?』と。しばらく考えて、『モノ売るためのものか。そういえば自分もそういう会社に勤めていたんだ、世界はこうして回っているんだ…』と」

 

釈然としない気持ちを抱えたまま、裕輔さんは新しく勤める会社の入社式に出席した。

 

「みんな他社から移ってきたひとばかりで、『俺が、俺が・・・』と周囲に先んじようとする気合いをひしひしと感じました。無意識に『この人たちを自分の同僚だと胸を張っていえるだろうか』と考えていました。八重岳ベーカリーのひとびとに出会っていたからこそ、そう感じたのだと思います」

 

働き方に迷いを覚えた裕輔さんは友人たちに相談したが、「一時的な旅の熱だ」「辞めてはもったいない」という意見ばかり。沖縄移住の可能性を示すと両親からは猛反対された。しかし唯一、「面白そう!」と即答してくれた人がいた。現在ともに店を営む祐子さんだ。

 

八重岳ベーカリー

 

「人生プランは大きく変わるし、しばらくは離れて暮らすことになるのに大賛成してくれて」と裕輔さん。
「私はもともと人の手を使う、地に足のついた仕事や生活がしたいなと思っていました。パンと農業と聞いて『良いな~』って羨ましく思ったくらい」と祐子さん。

 

八重岳ベーカリーに電話をして恵美子さんに早速相談したが、慌てた様子で諭され、まずは3ヶ月試しに働いてみることになった。
しかも、当時の裕輔さんのパンに対する知識はほとんどゼロに近いレベルだった。

 

八重岳ベーカリー

 

八重岳ベーカリー

 

同僚やオーナーからやり方を習いながら実際にパンづくりを始めてみると、すぐに自分の性に合っていると感じたと裕輔さんは言う。

 

「それまで就いていた広告の仕事は6ヶ月~1年という長いスパンで結果がやっとでる世界でしたが、パンは一日一日が勝負、その日にやったことがすぐに目の前に現れるのでやりがいも感じました」

 

パン作りだけでなく裕輔さんは農業にも参加、草刈りや畑を耕す仕事など大地に触れる作業に

 

「たまに電話で話すと彼の声から生き生きとした様子がうかがえましたが、実際に私もこちらに来て、その気持ちがよく理解できました。一般的にはどんな仕事も効率や利益を追求しますが、ここで暮らす人々や八重岳ベーカリーでは日々をいかに気持ちよくすごすかに重点を置いているのです。海を眺めたり、パン生地や土に触れたりすることで心が喜ぶのが実感できます」

 

充実した日々を送りながらパンの関する知識を徐々に深めていった裕輔さんは、天然酵母の存在を知った。

 

八重岳ベーカリー

 

「自然界のものを利用してパンを膨らませることができるというので興味を持って調べてみると、ルヴァンというパン屋の甲田さんという方が第一人者だと知って。そこで彼が書いたコラムを読んでみるととても興味深かった。パン職人というといかにおいしく美しいパンをつくるかに尽力しているイメージがあったのですが、甲田さんはパンを通じて平和を伝えたい、健康を提供したい、パンはそのための手段にすぎないという確固とした理念をもっている人でした」

 

店の経営状態も知っていた裕輔さんは、今のままだと店を存続させていくことは難しい、パンの知識をより深めて新たな可能性を模索するためにも、自信が経験を積むことが必要だと感じ、ルヴァンで修行したいと考えた。
押しも押されぬ人気のベーカリーで、全国から訪れる修行志願者はひきもきらず、スタッフとして採用されるのは狭き門だったが、裕輔さんの熱意が通じて東京店で働くことになった。
比嘉夫妻には「必ず戻る」と約束し、裕輔さんは上京した。

 

東京店に約一年勤めた後、長野県の信州上田店に配属され、併設されるレストランで祐子さんもともに働き始めた。

 

まだ日も昇らぬ明け方3時には出勤し、パン作りが始まる。洗練され、理念の徹底されたパン作りの世界に身を置き、二人は多くを吸収した。

 

「ルヴァンで働く日々はとても充実していましたし学ぶことも多かった。自然豊かな信州の地や、人とのつながりに後ろ髪を引かれる思いはありましたが、約束は守りたいという気持ちはあったし、比嘉夫妻への恩返しも済んでいない。そもそも、パンに出会ったのはお二人のおかげですから、まずは沖縄に戻ることを選んだのは、必然的な流れでした」

 

4年間の修行を終え、裕輔さんは祐子さんとともに沖縄へ向かった。

 

八重岳ベーカリー

 

八重岳ベーカリー

 

八重岳ベーカリーに戻った二人はこの土地にしかない、この土地に合ったパンを模索し始めた。そして、比嘉夫妻が保有する土地に自生するシークヮーサーをふんだんに用い、八重岳の桜にできるさくらんぼ、沖縄の塩、八重岳の水で酵母を立て、パン種を育て始めた。 
 


 

「天然酵母は生き物なので、一朝一夕にはできません。味がなじむまではお客様にお出しせず、自分達用に作り、食べ続け、時を待ちました。そして1年半ほどたってから、県内のイベントに出展するのを機にお客様にお出しすることに決め、そこで手ごたえを感じることができ、販売に踏み切りました」。

 

天然酵母パンという新戦力を得て、八重岳ベーカリーにこれまでにない新しい風が吹き始めたが、黒パンの製造量は減らしていない。

 

「当店には30年来の常連のお客様が多く、高齢者の方もよく求めにきてくださいます。本土から戻ったばかりのころは『八重岳ベーカリーを変えよう!』と意気込んでいたのですが、この沖縄の気候や舌に合ったパンは何か? という視点になり、イーストのパンを天然酵母のパンに変えるということがよいこと=自然なことではないのだと気づきました。

でも、自分達の舌が毎日食べてもおいしいように、国産小麦を使うようにしたり、油や糖分を減らすなど、マイナーチェンジはしています。
黒パンを食べるようになってからは白いパンでは物足りなくなると言ってくださるお客様も多いので、これからも黒パンは作り続けます」

 

八重岳ベーカリー

 

八重岳ベーカリー
「自家製の麦を作ることにも力を入れています。今年で3年目なのですが、無農薬で想像以上に美味しくできたので喜んでいます。当店のパンをすべて自家製小麦で作れるようになるまでは何年かかるかわかりませんが」。麦畑の管理も行うスタッフ、かっちゃん。

 

八重岳ベーカリー

 

「店を通じて多くのご縁にもめぐまれましたし、沖縄という地に感謝しているので、恩返しをしたいという気持ちがあります。ひとつひとつのパンを、自分や工房みんなの気持ちを合わせて良いものにしていきたいと思っています。
目指しているのは食べたときに『頑張ろう!』と思えるパン。
毎日に感謝をしながら、食べていただく一人一人を想って、丁寧にパンを作り続けていれば、未来は自然とついてくるんじゃないでしょうか」

 

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

 

なにかに込められた純粋な思いというのは、それがどういう形をとっていてもしっかり伝わるのだなと実感した。
八重岳ベーカリーのパンを一つ、丁寧に味わってみてもらいたい。
そこには工房ではたらくスタッフの想い、裕輔さんと祐子さんの熱意、オーナー夫妻の慈愛がしっかりと感じられるはずだ。

 

「暗い雰囲気やトゲトゲしたムードの中で作ると、パンって絶対おいしくできないんです。これは本当にそう。
楽しいな、幸せだな、ありがたいなと、今という現実に感謝しながら作るとすごくおいしいパンができるんですよ。この素朴で、なんでもない形の中に、そういう目に見えないものを体現していきたい」。

 

パンは生きている。
そのパンを生み出す人々の心に愛が満ちているからこそ、愛にあふれるパンになる。

 

 

写真・文 中井 雅代

 

八重岳ベーカリー
八重岳ベーカリー
本部町字伊豆味1254
0980-47-5642
open 9:00〜17:00
close 土
HP http://yaedake.com
パンの取り扱い店舗一覧:http://yaedake.com/free/sale

 

NAKAI

恋するベーカリー
 
これは素敵だった。
 
ちょっと、メリル・ストリープとアレック・ボールドウィンの絡みが too much(やりすぎ)な部分はあるけど、さすが、「ナンシー・マイヤーズ ムービー」って感じでした。
 
このひとの描く映画の家がとっても素敵なんだよね~。
 
今回のジェーンの家なんか最高。
 
一人で住むのになぜ増築するのかも、わからないけど、いや~素敵。
 
私は、スティーヴ・マーティン大好きなんだけど、とってもチャーミングでした。
 
恋するベーカリー
 
ナンシー・マイヤーズの映画では、いつも女性がとってもサクセスフルなんだけど、そこだけがあこがれはするんだけど、共感にかけるというか(笑)
凡人にはちょっと程遠いような感じなんだけど、うらやましい。
 
しかし、ジェーンの女心は未婚の私にもよくわかって「そうそう、そうなの、それは仕方ないのよね~」と納得。
 
みんなで集まってガールズトーク(まあ、ガールズって歳ではないけど)は、いくつになっても、わかる、わかる、っていう感じよね。
 
恋するベーカリー
 
キッチンもとても美しい。
 
それにしても、ジェーンのベーカリーは、おいしそう!!
 
私はアメリカにおいしいベーカリーがあることは信じかたいけど、今頃はこんなお洒落な感じの店が多いのかもね。
 
アメリカに住んでいた時は、日本のパン屋が懐かしかった!!
 
この映画で、私がとっても気にいったのは娘の婚約者役のジョン・クラシンスキー。
 
恋するベーカリー
 
恋するベーカリー
 
かわいらしいです。こんなcuteな男のひとがどこかにいないものか?と思います。
 
アレック・ボールドウィンが、とっても老けてて驚くばかりですが、それにしても身体を張った大熱演です。
この人、捨て身ですごいな。
このひとが演じるジェイクという人は、身勝手なんだけど憎めない。
 
恋するベーカリー
 
やっぱり、人間って成長して、出会って別れて、また成長して、そのときにぴったりな相手が現れるんだろうな、と思います。
出会いってやっぱり探すものでもなく、充実しているときに出会うんだろうな、と。
理由があって別れたんだけど、中途半端はだめだよね。
それを、つきつめてmove on(先へ進む)するということが正しいことだと思う。
 
大人の映画です。いろんな意味で。

KEE

 

 
<キャスト>
メリル・ストリープ
アレック・ボールドウィン
スティーヴ・マーティン

 
<ストーリー>
3人の子どもたちを育て上げた母親であり、大人気のベーカリーを経営する有名実業家でもあるジェーン(メリル・ストリープ)。10年前に子どもたちの父親である敏腕弁護士ジェイク(アレック・ボールドウィン)と別れて以来、シングルライフを謳歌していた彼女だったが、ある晩、息子の大学卒業式に出席するため滞在したホテルで……。
 
☆DVDでどうぞ☆
 

 

NAKAI

沖縄のおうち
 
沖縄のおうち
 
沖縄のおうち
 
沖縄のおうち
 
沖縄のおうち
 
沖縄のおうち
 
沖縄のおうち
 
沖縄のおうち
 
沖縄のおうち
 
沖縄のおうち
 
沖縄のおうち
 
沖縄のおうち
 
沖縄のおうち
 
沖縄のおうち
 
沖縄のおうち
 
沖縄のおうち
 
沖縄のおうち
 
沖縄のおうち
 

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高良さんは以前から、外人住宅の雰囲気に憧れていた。
しかし、通気性が低く湿気がこもりやすい、夏は暑く冬は寒いといった難点が気になり、外人住宅風の家の建築に踏み切れなかったと言う。
色々と調べて出会ったのが、アイエムアイコーポレーション(HP http://www.imi-cp.com)が提唱する沖縄型サスティナブルハウス「IMI Loco’s(ロコス)」 というプランの住宅だった。
 
「外人住宅の雰囲気はそのままに機能面はしっかり改善されているという、私にとって理想的な家だったんです。これだと思ったら迷わないタイプなのですぐに決めました。
実際、風がよく通るので本当に住み心地が良い。あまりに気持ちいいので、リビングのソファーで寛いだまま眠りこんでしまうこともあるんです」
 
家の中心となっているのはダイニングテーブル。
家族はみな、ここに自然と集まってくるという。
 
沖縄のおうち
沖縄のおうち
 
シンプルながら洗練されたフォルムのテーブルは Indigo(関連記事:「那覇にも宜野湾にもない家具を、読谷から」)にオーダーして作ってもらったもの。
 
「大きな紙を広げてみんなで絵を描いたり、リビングではのびのび過ごしたいなーと思っていたのですが、このテーブルだとそれが実現できるんです。ご飯を食べるのも子どもたちが宿題をするのも何をするにもここなので、ご飯をこぼしたものがしみになっていたり、画用紙からはみ出したペンの線がついていたり。でも、それがいいなーって。
Indigo のお二人にも『家族の歴史が刻まれることで生まれる家具の変化を楽しんでください』と言っていただきました」
 
上質な木材を使用してつくられたテーブルは精緻な木目が美しく、ちょっとしたペンの線やしみも気にならない。
また、機能面が充実しているのも嬉しい。
 
「テーブルの下に棚がついているので、ちょっとしたプリント類とかをさっと入れられるので便利なんです。
ダイニングテーブルがきれいに片付いていると気持ちがいいですから」
 
間取りで気をつけたのは抜け感。なるべく仕切りを減らし、開放感のある空間を目指した。
玄関とリビングの間の仕切りは、壁ではなく木枠のガラス窓に。各部屋のドアは天井まで届くサイズで赤、緑、青と色鮮やかに。
 
「玄関のドアも含め、すべてチューイチョーク(HP http://www.chewi-choak.com)さんにお願いしました。どれも木の質感が素敵で、すごく気に入ってます」
 
沖縄のおうち
 
また、味のある住宅や家具が好きな高良さん。新築でも落ち着ける雰囲気になるよう気をつけているという。
 
「遊びに来てくれた友人が『新築なのになんか落ち着くねー。ちょっと年月が経った感じがある』って言ってくれて。すごく嬉しかったですね。
個人的に気に入っているスペースは洗面所。すごく小さいスペースですけど、毎日使うところだからこだわりました。好みの空間に仕上がったので、使う度に嬉しい気持ちになれるんです」
 
リビングから見える庭には、あえて芝生を植えなかった。
少しずつ家をつくっていく過程を楽しみたいから。
 
子ども部屋や寝室にも大きな家具はまだ入れていない。
必要になったとき、本当に気に入った家具を入れられるように。
 
こだわりの家具同様、家族が刻む歴史によって生まれる変化を楽しめる家。
家の完成は、終わりではなく始まりだから。
 

写真・文 中井 雅代

 


 

 

NAKAI

リーガロイヤルグラン沖縄 ダイニング&バー エージュ
 
2012年10月1日(火)~2012年11月30日(金)
営業時間 18:00~21:00
@リーガロイヤルグラン沖縄 ダイニング&バー エージュ
那覇市旭町1番地9
098-867-3331
 
リーガロイヤルグラン沖縄 ダイニング&バー エージュ
 
厳しい夏から、朝夕じゃ涼しくなり季節の変わり目を体感し始める好季節、リーガロイヤルグラン沖縄のダイニング&バー エージュでは、秋の味覚をご堪能いただきたく、ディナーハーフビュッフェのメインディッシュにジビエ料理を加えました。10月~11月までの2ヶ月限定のメインディッシュで、季節の移り変わりをお楽しみ下さい。
  
<ディナーハーフビュッフェ>
メインディッシュを1品チョイス、前菜・サラダ・デザートはお好きなだけご自分でお取りいただくハーフビュッフェスタイル。今回、期間限定でメインディッシュに加わったジビエ料理は
 
リーガロイヤルグラン沖縄 ダイニング&バー エージュ
「フランス産 ウズラの赤米詰めロースト、ポワローのエチュベ添え」
 
リーガロイヤルグラン沖縄 ダイニング&バー エージュ
「フランス産 鳩のローストとジャガイモのピューレ サラダ仕立て胡桃風味」
 
リーガロイヤルグラン沖縄 ダイニング&バー エージュ
「北海道産蝦夷鹿のロース肉ソテー ソースポワブラード」
 
上記各メインディッシュの場合は、お一人様5,000円(税サ込)。
通常のディナーハーフビュッフェは、お一人様4,000円(税サ込)から。
 
リーガロイヤルグラン沖縄 ダイニング&バー エージュ
 
HP: http://www.rihgaroyalgran-okinawa.co.jp
FB: https://www.facebook.com/rrgokinawa
 

NAKAI

OMAR BOOKS
酒井寛・著   朝日新聞社  ¥1,682/OMAR BOOKS
 
― よく怒り、よく笑うひと ―
  
 昔ながらの丁寧な造本に箱入り。
手に取るとしっかりと重みがあり、襟を正したような風情がある。
 
女性なら誰もが一度は目にしたことのある、昭和23年の創刊から今なお女性たちに読まれ続けている雑誌「暮しの手帖」。今回ご紹介するのはその雑誌を立ち上げ、名物編集長だった花森安治の人となりを伝える良書です。
 
この花森安治さん。その強烈なキャラクターと完璧主義の仕事ぶりでよく知られている。
この本を読むとよく怒り、よく笑う人という印象が強く残った。一人の人間としてとても魅力的だ。彼にまつわるエピソードのひとつひとつが面白い。彼が怒って仕事をしなかったり、原稿を書きださず発売日が遅れることもしょっちゅうだった、という人間くささにも惹かれる。
彼は何よりも女性の役に立つ出版を目指していた。
 
そんな彼の徹底した美学が貫かれた「暮しの手帖」は広告収入のない雑誌としても有名だ。雑誌出版の常識からいえば考えられないことだ。載せない理由は商品の正しい批評や紹介ができないから。その根底には商品に良くなってほしい、女性の暮しが良くなってほしいという想いがある。
することと、しないことを花森さんははっきりさせていたという。
この雑誌から漂う潔さ、清潔さはそこにあるのか、と感心することしきり。
彼は女性たちとともに暮し(衣食住)の豊かさとは何か、一生を通じて考え続けた。
  
読み終わってこの言葉が思い浮かんだ。
 
「自分がカテドラル(聖堂)を建てる人間にならなければ、意味がない。できあがったカテドラルのなかに、ぬくぬくと自分の席を得ようとする人間になってはだめだ。」(サン=テグジュペリ)
 
既成概念にとらわれない、その仕事の方針や仕方は今の私たちの心にも訴えるものがある。
 
最後には当時の花森さんの仕事ぶりを伝える写真を併録(あの有名なスカート姿は残念ながら載っていませんが、ずっと使い続けていた机の佇まいがなんとも言えません)。
 
その人自身の哲学に裏打ちされたものは、時代が変わっても後世に残る。
今も本屋や図書館に並ぶ雑誌「暮しの手帖」がそれを示してくれる。
では久しぶりに本棚に眠っているバックナンバーでも開いてみましょうか。

OMAR BOOKS 川端明美




OMAR BOOKS(オマーブックス)
北中城村島袋309 1F tel.098-933-2585
open:14:00~20:00/close:月
駐車場有り
blog:http://omar.exblog.jp

NAKAI

Day1
miyagiya bluespot
プルオーバー THE COUPLE (bluespot) ¥4200
パンツ Collin (bluespot) ¥7700
ストール vol (bluespot) ¥3400
 
miyagiya bluespot
シューズ TO&CO.
 
miyagiya bluespot
バッグ H.A.K
 
 
Day2
miyagiya bluespot
ロングシャツ bruecelee (bluespot) ¥9800
Tシャツ urban white (bluespot) ¥2800
パンツ HARE
シューズ keds
帽子 CA4LA
バッグ H.A.K
 
 
Day3
miyagiya bluespot
プルオーバー bruecelee (bluespot)  ¥5800
パンツ Collin (bluespot)  ¥6800
シューズ BOEMOS
帽子 tesi
 
 
Day4

miyagiya-bluespotコート THE COUPLE (bluespot)  ¥7800
パンツ 3 Room (bluespot)  ¥6000
帽子 CA4LA
 
miyagiya bluespot
プルオーバー THE COUPLE(bluespot)  ¥4200
 
miyagiya bluespot
シューズ muji
 
 
Day5
miyagiya bluespot
ニット WRuFL(bluespot)  ¥3800
パンツ H.A.K
ストール TO WA(bluespot)  ¥2800
バッグ SHOES BOX(bluespot)  ¥3900
シューズ Dr.Martens
 
 
Day6
miyagiya bluespot
シャツ Dress Voice(bluespot)  ¥4800
カーディガン ROMANTIC STANDARD(bluespot)  ¥8500
パンツ B-SIDE(bluespot)  ¥6200
シューズ muji
帽子 tesi
 
 
 
Day7
miyagiya bluespot
シャツ 2-SEVEN(bluespot)  ¥6800
カーディガン SAVE(bluespot)  ¥3900
パンツ RAGE BLUE(bluespot)  ¥6900
 
miyagiya bluespot
シューズ keds 
 
 
ACCESSORY
miyagiya bluespot
上から ¥1900 ¥800 ¥1500
 

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

 
奇抜じゃないけど、遊び心がある。
miyagiya-bluespot に並ぶ服の共通点だ。
シルエットや素材の使い方に特長があるアイテムの殆どが韓国発のブランド。
 
「日本のアパレルブランドの控えめな雰囲気とは少し違いますよね、そこが良いなーと思っています。
値段も手頃なので気軽にお試し頂けます」
 
宮城さんが着用した服はいずれもユニセックスアイテム。
実際の購入者も男女比は半々。年齢層も幅広く、中には70代の方も。
 
「男女の感覚の違いにとらわれず、テイストとして好きなら性別を問わず楽しめる服が揃っています。
ゆったりとしたシルエットのものが多いので、体のラインをあまり強調したくない方や、体型をカバーしたい方にもおすすめ」
 
数々のアパレルブランドで働いた経歴をもつ宮城さん。テイストの好みの変遷はあれど、変わらぬこだわりも。
 
「はやりなどに左右されず、自分を貫いているブランドにひかれます。今時忘れ去られているようなことであっても、『自分たちはこれしかできないから』とひたむきにやり続けているようなところ。そういうブランドのアイテムには愛着がわくし、自分にできることがあったらお手伝いしたいな〜という気持ちになるんです。ブランドが持つ熱意に影響されるのだと思います」
 
例えば Day7のkedsのスニーカー。1916年創業の超老舗スニーカーブランドだが、日本未発売のモデルでも気に入れば取り寄せて購入する。
 
「はやりをきっちり抑える大手のショップより、個性があって面白いことをやっている店の方が好き」
 
そういう宮城さんのショップにはやはり、素敵な「ひとクセ」のあるアイテムがそろっている。
 
 
※miyagiya-bluespot の服はコチラから通販も可能です。
onlineshop http://www.bluespot.jp
 

写真・文 中井 雅代

 
miyagiya
miyagiya – bluespot
那覇市松尾2-12-22
Tel/Fax 098-869-1426
open 11:00-20:00 
close 水
HP http://magasin-miyagiya.com

 

NAKAI

ハンガーゲーム
 
面白かった!!
 
これは全米記録的ヒットということで期待してたんだけど、期待以上に良かった。
 
テーマ的にはかなり悪趣味なんだけど、映画としてはかなり良い出来です。

主演のジェニファー・ローレンス。役柄にももちろんマッチしているし、実にうまい。
この人好きなんですよね。
 
ハンガーゲーム
 
ハンガーゲーム
 
ハンガーゲーム
 
ハンガーゲーム
 
勇敢で強く優しく賢い、カットネス役は彼女しか考えられないといわしめたのも納得。
 
役としては、「ウィンターズ・ボーン」の役とリンクするところはある。
 
近未来のお話ですが、そこまでCGも激しくなく、なんとなく、自然な感じがするのは舞台がほとんど森だからでしょうか?
 
幼い妹の身代わりになって志願する。
 
ハンガーゲーム
 
いくら強いといっても、そこはやっぱり恐ろしい殺し合いになるわけだから、不安は隠せない。
そのあたりのジェニファー・ローレンスの目の表情が非常に良い。
 
 
同じく選ばれてしまった少年(青年?)をジョシュ・ハッチャーソン。
 
ハンガーゲーム
 
ハンガーゲーム
 
子役出身の彼ですが、いい具合に成長してますね。
またこの映画がいい具合にキャリアシフトできた気がします。
 
もう一人、ここに男性が絡みますが、リアム・ヘムズワース。
いい男ですね~。
 
ハンガーゲーム
 
ハンガーゲーム
 
こうなるとちょっと「トワイライト」みたいです。
 
 
脇も大物が出てます。
 
個人的に好きだったのはメンターのヘイミッチ役のウディ・ハレルソン。なかなか良いです。
 
ハンガーゲーム
 
 
そして、スタイリストのシナ役、レニー・クラヴィッツ。
このひとの保存状態の良さは何?
全然年をとらないのが不思議でたまりません。
 
ハンガーゲーム
 
かっこいい~。
 
 
エリザベス・バンクスなんか原型とどめてません。すごい(笑)
 
ハンガーゲーム
 
こんな子供に戦わせてひどい話なんだけど、とにかく一瞬たりとも目が離せないし、人間ドラマも良くできてます。
146分と長い映画にもかかわらず、まったく退屈しませんでした。
 
ハンガーゲーム
 
 
レイトで観たので、最後まで持つか心配でしたがなんのその。ばっちり目がさえました。
 
続編も楽しみです。
 
倫理的にOKであれば是非、劇場で!

KEE

 

 
<ストーリー>
富裕層によって支配され、パネムという名の独裁国家と化したアメリカ。そこで民衆の絶大な支持と人気を集めているのが、各地区から選出された12歳から18歳までの男女が森の中で殺し合い、生き残った者に巨額の賞金が渡されるという殺人サバイバル「ハンガー・ゲーム」だった。まだ幼い妹がプレイヤーに選ばれてしまったカットニス(ジェニファー・ローレンス)は、彼女の代わりにゲームに出場することを決意。家族を養うための狩猟で鍛えた弓矢の腕と持って生まれた鋭い勘を生かし、強豪プレイヤーを打ち倒していくが……。
 
<キャスト>
ジェニファー・ローレンス
ジョシュ・ハッチャーソン
リアム・ヘムズワース
ウディ・ハレルソン
ドナルド・サザーランド
スタンリー・トゥッチ
レニー・クラヴィッツ
 
<沖縄での上映劇場>
シネマQ
098-951-0011
那覇市おもろまち4-4-9 那覇メインプレイス2F
HP:http://www.startheaters.jp/cinemasq
MIHAMA 7 PLEX+ONE
098-936-7600
中頭郡北谷町美浜8-7
HP:http://www.startheaters.jp/mihama7plex

NAKAI

カフェ スバコ.

 

「洋食屋を目指してるんです」

 

という臼杵(うすき)さんの言葉から少し気楽に構えていた私は、ビーフストロガノフの本格的な味わいにすっかり面食らってしまった。

 

「サイコロステーキのビーフストロガノフ」。
そのソースには、奥行きがある。
様々な食材と調味料、想像もつかないほどの手間ひま、実直な料理人の几帳面で丁寧な調理…。そのすべてが折り重なり、凝縮され、このコクが生まれている。
じっくりと煮込まれた玉ねぎの甘みに絶妙なバランスのワインの酸味。
まったりとしたコクがあるのに、食感はさらさらとしている。なんと不思議なソースなのだろう。

 

ソースに気を取られていると、具材のサイコロステーキを口に運んだときに再度目を丸くすることになる。

 

その固さの絶妙なことと言ったら。煮込んだ肉のおいしさの条件とはやわらかさだと思っていたが、「ステーキ」の名にふさわしく、ほどよく焼かれた固さがいい。

 

野菜や穀物、さらに魚と比べても、肉はどちらかといえば攻撃的な食材だと思っていた。
パンチがあり、存在感があり、主張の強い食べ物だと。
しかしそうではないのだと教えてくれるのがこの一皿だ。肉は優しく、繊細で、他の食材と引き立て合えるのだと。

 

 

デザートを食べずに帰ってしまうのは、スバコ.では得策ではない。

 

アップルニューヨークチーズケーキは、そのなめらかさが魅力。
「湯煎焼きすることでふんわりと仕上がります」
豊潤な香りのフランス産チーズ、香ばしく煮詰められたリンゴもいい。 

 

スバコ.
牧場主の自家製ベーコンを使用した「島豚ベーコンとたっぷり野菜のペペロンチーノ」。「ベーコンを変えてからソースの味も劇的に変わりました。野菜はできるだけ県産のものを使用しています」

 

スバコ.

 

スバコ.
しっかりとついた焼き目にきのこたっぷりのソースが食欲をそそる「ハンバーグ和風バルサミコソース」。バルサミコの酸味が爽やかなソースが、さっぱりとした味付けのジューシーなハンバーグにぴったり。ごろりと大ぶりなのも嬉しい。

 

スバコ.

 

一体どうしたら、こんなにおいしい料理ができるの?
素人の単純でシンプルな質問をぶつけると、臼杵さんは何度か首をひねったあと、
「一生懸命に作ること、丁寧に作ること。それしか浮かばないです」
と答えた。
おいしく作るコツを教え渋っているわけではない。臼杵さんは本当にそう考えているのだ。

 

「僕は東京の有名店で修業していたわけでもないし、何十年もこの仕事をやっているわけではありませんが、お客様の喜ぶ顔を見るのがなにより大好きなんです。
僕がお客様を笑顔にするには、心をこめて丁寧に、一生懸命に作るしかないと思うんです」

 

しかしそれこそが、(往々にして軽視されがちでありながら)最も重要な心得のひとつではないだろうか。
臼杵さんが作る一皿一皿が、そのことを証明している。

 

料理に対する誠意に加え、臼杵さんはスバコ.のメニューすべてに通じるおいしさの共通点を挙げてくれた。

 

「薄味なことでしょうか。
僕は関西出身ですし、母親の料理は関西にあっても際立って薄味だったんです。
ダシはしっかりととります。でも、塩、こしょう、醤油といった調味料はどれも控えめ。なぜなら、それがおいしいと思うから。
優しい味を目指していますが、あまりに薄くなりすぎないよう、僕の中では少しだけ濃いめかな? と感じる程度に調味するよう心がけています」

 

スバコ.
「魚介のトマトソースパスタ」。唐辛子がほんのりかおる大人のパスタ。ぷりぷりと肉厚な魚介類がトマトソースにマッチ

 

スバコ.

 

スバコ.

 

臼杵さんが料理の世界に足を踏み入れたのは25歳のとき。
それまでは夜に働く仕事に長く就いていたが、夜の空気に疲れ、心機一転しようと考えたのがきっかけだった。

 

「もともと食べるのも好きでしたし、興味はありました。
働く場所も大阪から京都へと移し、生活のすべてを一新させました」

 

初めて勤めた飲食店は京都の韓国料理屋。
気軽な焼き肉屋ではなく、いわゆる高級店。店に入ってすぐに包丁を握らせてくれるわけはなく、下積み時代もあった。

 

「先輩はみな経験豊富な方ばかり。中華、イタリアン、和食…と、様々なジャンルの料理人がいました。
最初の半年間はホール担当。その後洗い場にうつり、徐々に調理に関わらせていただくようになりました。
約三年間勤めましたが、料理を作ることが楽しいかどうか考える間もないほど忙しかったですね」

 

働き詰めの日々が続いて休みもほとんど取れず、疲労の蓄積を感じた臼杵さんは、あるとき思い立って沖縄へ旅行に行くことにした。

 

「初めて行った沖縄にどっぷりハマったんです。最初は那覇を回って帰ったのですが、それから頻繁に通うようになり、北部や離島などどんどんディープな土地にも足を運ぶようになって(笑)。
7〜8年の間に10回ほど通ったと思います」

 

バイクが趣味の臼杵さんにとって景色の美しい沖縄はツーリングに最適であるというだけでなく、沖縄の県民性も魅力的だったという。

 

「とにかくみんな親切。道に迷っていたら見ず知らずの僕を車に乗せて目的地まで送ってくれたり、出会ったばかりなのにご飯をご馳走してくれたり。そういうのって本土ではなかなかありませんから。
僕、沖縄旅行のときはいつもバイクを船に載せて沖縄までフェリーで来ていたんですけど、行きはいいんですよ、沖縄に行けるからわくわくして嬉しくて、フェリーの中でも楽しいし、良い出逢いがあったり。
でも、帰りはバイクだけフェリーに載せて僕は飛行機に乗って帰っていました。沖縄を離れるのが寂しくてブルーで、何時間もフェリーに乗る元気もなくて(笑)。それくらい沖縄のことを好きになっていましたね」

 

勤めていた韓国料理屋を辞めてからは中華料理店、洋食店などで経験を積むかたわら、沖縄移住の資金をためるために他の仕事もかけもちし始めた。

 

スバコ.

 

スバコ.
パフェにのせられたマフィンももちろん臼杵さんが焼いたもの。「パフェの底にもコーンフレークのかわりにマフィンを入れています」。最後の最後までおいしいデザート

 

移住前の沖縄旅行で、臼杵さんは現在ともにスバコ.を営む真由さんと出会い、二人とも2007年に沖縄へ移り住んだ。

 

それぞれ飲食店で働きながら、店舗となる物件を探したが、なかなか希望にあうものは見つからなかった。

 

「ずっと本部(もとぶ)町近辺と読谷で探していたんですが、ココ!という物件に出会えなくて」

 

その頃、客として通っていた沖縄市の「バードランドカフェ」に従業員募集の貼り紙が出ており、臼杵さんはすぐに応募した。

 

「好きなお店だったので、応募するしかない!と。
雰囲気がいいだけではなく、料理の味や見た目、接客まで、すべてがよかったんです。
これだけ揃っている店って、結構限られていると思うんです」

 

働き始めてすぐ、これまでの飲食店との違いを感じたと言う。

 

「オーナーがすべて包み隠さず教えてくれるので驚きました。普通は仕込みの段階やソースの作り方など、その店の肝となる部分はバイトには教えないことが多いのですが、バードランドカフェでは逆に『隠さんでええんかな?』と思うくらい、何でも教えてくれました」 

 

のちに自分の店をオープンさせることになったとき、臼杵さんは敬愛するそのカフェにちなんだ名前をつけることになる。

 

「バードランドカフェは『ランド』ということで大規模。
僕らの店はもちろんそんな規模ではなく、まだまだ小さな『巣箱』だけれど、いつかああなれたらなぁという気持ちから名付けました」 

 

 

 

バードランドカフェで働き始めて2年が過ぎても店舗物件は見つからず、物件探しに集中するために臼杵さんは店を辞めた。

 

「それでも3ヶ月くらい見つからなくて。『今年の冬は離島の製糖工場に季節労働いかないといけないかなー』と本気で考えていました(笑)。
すると、あるとき数名の友人に『北中城はどう? いいんじゃない?』と勧められて。
それで北中城でも探し始め、最初に見た物件がここ。すぐに決めました」

 

スバコ.
「ほおずきのベイクドチーズケーキ」。旬の食材を使用した様々なケーキが楽しめる。

 

スバコ.

 

スバコ.

 

「『洋食屋』を目指しています」

 

臼杵さんは最初に、まっすぐな瞳でそう語った。

 

「沖縄にある洋食屋って、本土のそれとは少し違う気がして。
沖縄の人に洋食屋の料理を食べていただきたいと思ったんです。
お客様に来ていただくためにと、オープン当初、手のこんだ料理ばかりのメニューを作ったものですから、今四苦八苦しています(笑)。じゃあ、メニューを減らせばいいんじゃないかとも思うのですが、逆に増やしちゃって…(笑)。

 

これからも、料理をもっとグレードアップさせていきたいですね。
ケーキの中ではチーズケーキに力を入れたいと思っています。
沖縄はチーズケーキ好きな方が多いように感じるので」

 

調理を一人で担当し、忙しく過ごしている間に臼杵さんはだいぶ体重が減ったと言う。
旅行が好きだった真由さんは、店を始めてからは県外に出たことがない。
それでも二人は今日もにこやかに客を迎え入れる。
「おいしい」と喜ぶ、その笑顔が見たいから。

 

写真・文 中井 雅代

 

スバコ.
カフェ スバコ.
北中城村仲順 264-4 No.69
098-989-6282  
open 12:00 ~ 22:00
ランチタイム  12:00 ~ 15:00
カフェタイム   15:00 ~ 18:00
ディナータイム 18:00 ~ 22:00 (ラストオーダー 21:00)
close 火、第1,3月曜

 

ブログ http://subaco.ti-da.net

 

NAKAI

はたらくこと
 
「今の仕事じゃなく、本当はもっと別にやりたいことがあるんです」
「好きなことを仕事にして輝きたいけど、子どももいるし時間がない。最近は自信もなくなってきちゃって…」
という現在働いているひと、または働いていたひと。
 
「やりたい仕事が見つからない。でも、とりあえず就職したほうがいいの?」
とお悩みの学生さん。
 
「お店を開くのが夢だけど…なかなか踏み出せなくて」
と二の足を踏んでいる起業希望の方。
 
自分にとってよりよい働き方を見つけたい。そんな方のために開かれるセミナーに、この度講師としてお招き頂きました。
カレンド沖縄の運営を始めてから、働き方について尋ねられたりアドバイスを求められることがとても多くなり、働き方に迷っている方が少なくないことを知りました。何かお役にたてることがあればいいなと考えていた矢先のこおと。皆さんと有意義な時間を共有できるなんて!すぐにお引き受けしました。
 
 
今の時代、働き方は千差万別。
なのに、自分の可能性を自ら狭めてはもったいないですよね。
 
 
「以前から編集やライターのお仕事をしていたんですか?」
「カメラはどこかで勉強したんですか?」
「ウェブ関係でずっとお勤めだったんですか?」
 
と訊かれることも多いのですが、答えはすべて「NO」。
 
自分で文章を書く仕事は、カレンド沖縄を立ち上げるまでしたことがありません。
カメラは、もともと娘の成長を撮るために買ったもの。カメラ教室に通ったこともありません。
ウェブの仕事も初めて。これまではずっと中国語を使う仕事に就いていました。
 
はたらくこと
 
はたらくこと
 
 
でも、あるとき急にもっと広い世界を見てみたくなりました。
さまざまな可能性を自分で手元に引き寄せたいと思ったんです。
 
今のままだとこれからの人生の大筋は大体見当がつく、そう気づいたとき、少しゾッとしました。
 
フリーランスの翻訳者として仕事を続けて地道に貯金をし、家事をこなし、子どもを育てていれば、そこそこの家を手に入れたりたまに旅行に行ったりしながら、まずまず穏やかで幸せに暮らせるだろう。
 
だけど、それは私が本当に求めている人生なのかな? ワクワクするかな? 冒険に満ちているかな?
 
それまで留学したり、本土から沖縄へ移住したり、様々な転職を重ねたりとそれなりに変化のある人生ではあったかもしれないけれど、今後の人生のアウトラインがぼんやりと見えた途端にすっかりつまらなくなってしまったのです。
 
 
そして、起業しました。
これまで従事してきた仕事とはまったく関係のない分野で。
 
どのタイミングで? どうやって?
そもそもカレンド沖縄はどのように運営されているの?
毎日どうやって時間をやりくりしているの?
などなどなどなどよく頂く質問から、カレンドの裏側やこれからに至るまで、幅広くお答えできる機会を頂きました。

ご参加頂く方にとって充実した時間にしたいので、事前に質問をお受け付けしようと思います。
コチラまでメールにてお送りください。
 
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「ノマドワーカー的な生き方をしている沖縄女性による社会貢献」セミナー
10月28日(日)
14:00~16:00
@那覇市NPO支援センター
(那覇市牧志3丁目2−10 3F会議室)
※受講料
前売り1500円(一般) 1000円(学生)
当日 2000円(一般) 1500円(学生)
※申込方法
orangegirls.oki@gmail.com (オレンジガールズ実行委員会)
お名前と参加希望セミナーをご記入の上、上記アドレスまでお送りください。
facebookページはコチラ→
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はたらくこと
 
働き方は、生き方。
1日24時間のうち睡眠8時間、仕事8時間とすると、起きている時間の半分が仕事にあてられていることに。
つまり、仕事が楽しければ人生の半分が楽しい!
逆もまた然り。
 
 
自分が就く仕事について、私が初めて考えを巡らせたのは小学生のとき。
きっかけは「穴掘り」でした。
今思い返しても、何とも言えない奇妙な色を帯びた体験だった気がします。
 
 
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
 
 
小学生のころ、わたしは穴を掘った。
比喩や象徴などではない、現実的な「穴」のことだ。
 
20年以上も前のことなのに、その日のことをわたしはとても鮮明に覚えている。
 
当時わたしはさっちゃんという友だちと毎日のように一緒に遊んでいた。
しかしその日は何をして遊んだらいいのかさっぱり考えが浮かばす、彼女の家の縁側に座り、二人でぼんやりとしていた。
その時、さっちゃんがなんとなしに言った。
 
「穴、掘る?」
 
その突拍子もない響きは、子ども心にはとても魅力的に感じて、
 
「掘る、掘る!」
 
わたしは二つ返事でとびついた。
 
さっちゃんの妹のちかちゃんも一緒になって三人で、納屋からスコップやらシャベルやらをひっぱりだして準備を整えた。
さっちゃんは迷いなく、自宅の庭にある家庭菜園を穴堀りスポットと定めて言った。
 
「よし、掘ろう」。
 
菜園にはそのときなにも植えられておらずまっさらな状態だったので、私たちは躊躇なくスコップを突き刺し、3人で一つの穴を掘り出した。
 
それは始めてみると、想像以上に魅力的な遊びだった。
ただひたすらに穴を掘る。それだけの行為なのに病み付きになり、私たちは脇目もふらず一心に掘り続けた。
穴を掘る手を、スコップにかけて土を掘り返す足を止めることができない。
穴の口はどんどん広がって直径1mほどにもなり、その深さもどんどん増していった。
 
しばらくすると、さっちゃんのお母さん(わたしは「おばちゃん」と呼んでいた)が外出先から帰宅し、一体何事かと様子を見に菜園へやって来た。
おばちゃんはこれまた少し変わった人で、子どもの心に自然に寄り添える、なかなかに希有な大人だった。
今思えば、自宅の庭を意味もなく、しかし大規模に掘り返されていたら大抵の大人は慌てたり怒ったりするのではないかと思うが、おばちゃんは夢中になって穴を掘る私たちとその穴を見て目を丸くした後、高らかに笑って言った。
 
「まー、立派な穴を掘ったもんだ!どこまで掘れるかやってみたらいいよ」
 
それだけ言うと家の中に入って行き、次に出てきたときにはおやつとして手製のサンドイッチまで持って来てくれた。
 
「疲れたでしょう、一休みしなさい。サンドイッチを食べてからまた続きを掘ればいいよ。そのうち水道管に突き当たるかもしれないね、はっはっは!」
 
私たち3人はサンドイッチで空腹を満たすと、また黙々と穴を掘り続けた。
どれだけ掘っても殆ど疲れは感じなかった。
一体どこまで掘り続けるのか自分たちでも検討がつかなかったので、穴の底まで降りやすいようにと土で階段までこしらえた。
 
それから何時間経過したかはわからないが、「そろそろいいだろう」と皆が納得のいく大きさの穴が完成した。
私たち三人がすっぽりと入り、少し見上げるくらいの高さに地面が見えるという、相当な大きさになった。
 
完成した穴を見に来たおばちゃんは、私たちの頑張りを褒めたあとに記念写真まで撮ってくれた。
 
「ここまで立派な穴を掘るなんてね~。畑の土も上から下から混ぜ返してくれて、栄養が土の隅々まで行き届いたよ、ありがとう」
 
 
しかし、あんなに熱中して掘った穴なのに、完成してみるとその中で何をするでもない。
相当な大きさの穴を掘ったのだという感慨を別にすると、その穴が私たちにもたらしてくれるものは他に特になさそうだった。
私たちにとっての遊びは、穴を掘るという行為そのものであり、完成した穴には殆ど魅力を感じなかった。
 
我々三人はしばし放心状態で穴の中につったっていた。この穴をこれからどうしたものか。
そのとき、穴の入り口に立って私たちを見下ろしていたおばちゃんが、シンプルな答えをシンプルに告げた。
 
「掘った穴は埋めないと」
 
私たちは重い腰を上げ、穴の周辺にうずたかく積み上げられた土をスコップでせっせと穴に戻し始めたのだが、これが想像以上に体にこたえる重労働だった。
未知なる世界へ向かう高揚感に後押しされていた「掘る」という行動とは対極の「埋める」という作業は、疲労感しかともなわなかった。
 
10分ほどで私たちは音をあげた。
それから一旦、わたしは自宅に戻ったことを覚えている。
それが夕方だったので戻ったのか、昼食を摂りに戻ったのかは定かではないが、
とにかくいちど私たちは穴から離れ、それぞれに休息をとり、そしてまた戻ってきた。
口数も少なく、面白みの無い単純作業をこなす時間は苦痛以外のなにものでもなかった。
 
 
しっかりと穴を埋め、土をならし、私たちの穴掘りは幕を閉じた。
 
 
 
息を飲むような展開も、心温まる結末もない。
穴を掘り、その穴を埋めた。
それだけのことだ。
しかし、この穴掘りのことはそれからしばらく、ずっとわたしの心にひっかかっていた。
穴を掘っていたときの気分は、今までに味わったことのない不思議な幸福感に満ちていたからだ。
 
小学生のわたしは、短絡的な考えから
「こういうことを仕事にしたらいいかもしれないな」
と思った。
穴を掘る仕事というと、工事現場で働く人以外、わたしは今も思いつくことができない。
同級生に建設会社の社長の息子がいたので、
「彼の家で雇ってもらったらいいかもしれないな」
とまで考えた。
 
それから中学、高校と進学し、わたしは別の分野に興味を持ち、大学でも勉強を続けた。
今のところ穴を掘る仕事に就いたことはないが、20年以上経った今でもあの日の穴堀りのことを時々思い返す。

そこには、とても大事な真理のような事実が含まれている気がするからだ。

穴掘りから20数年後、34歳になった私なりの、穴掘りが告げている真理の解釈。
 
「何がきっかけとなって自分の世界が変わるかは見当がつかない」
「だから、面白そうだと思ったことは片っ端からやってみたほうがいい」
 
 
それが法に触れたり他人に迷惑をかけたりする行為でない限り、どんなことでも経験した方がいい、すべてはプラスに働く。
わたしは基本的にそう考えている。
それが例え他人からしてみたらバカみたいなことや意味のないようなことであったとしても。
むしろ、一見無意味に思える経験の中にこそ、深い意義が隠されているような気もするが、どうだろう?
見込み違いの単なる思い込みかもしれない。

 
でも遠くないいつか、またシャベルを持ち出して深い穴を掘ってみたいとこのごろ思う。
34歳のわたしは、だれと、どこに、どれくらいの穴を掘るのだろう?
そしてその穴掘りは、わたしに一体何をもたらしてくれるだろうか?
人生が大きく変わる何かかもしれないし、単なる無為な時間の経過かもしれない。
おばちゃんのように穴堀りを鼓舞してくれる大人は登場しないかもしれないし、さっちゃんやちかちゃんのように一緒に掘り進めてくれる友だちもいないかもしれない。
 
でも、いつだって「掘る側」でいたいと思う。
そばに立って眺めているだけではつまらないし、「あんなこと無意味だ」「突拍子もないなぁ」と、見物人としてごちゃごちゃ言うだけなんておもしろくない。
 
「こんな穴を掘って、一体どうするわけ? 」と誰かがたずねる。
「わかりません。でも、掘りたいんです。だって楽しいんですよ」と、34歳のわたしは答える。
 
そしてまた、今日もシャベルに足をかける。
 

文 中井雅代