@おもろまち
2012.05.31
@おもろまち
2012.05.31
6月10日(日)
PLAZA HOUSE(プラザハウス)
沖縄市久保田3-1-12
098-932-4480
関連記事:世界一のフラを100円で。東北に届ける ” IMUA! “の精神 @プラザハウス
@フェアモール 2F特設ステージ
午後3時~
午後6時~
*2ステージ(ショーの内容は変わります)
入場料100円
(入場料全てを東日本大震災で被災された方へ、日本赤十字社を通して寄付いたします)
出演:
・Halau Hula Kalakaua
(関連記事:ハワイ大会で入賞10回 ハワイがなくしても沖縄に残したい本物のフラを学ぶ)
・ハワイアンバンド『ホーカヒ』
2012.05.30
作品設置の際には、インテリアコーディネーターとしての知識だけでなく、幼いころからアートに囲まれて育った経験もいかされている。
美野さんが物心ついた時から父親は画廊オーナー、母・上原美智子さんは染織家として活動していた。
沖縄で現代アートを扱う老舗、画廊沖縄がオープンしたのは30年前。
美野さんの父で画廊沖縄のオーナー上原誠勇さんは、画家を志した時期もあったが、画塾で学んだあと出版業界の道へ進んだ。
「沖縄の作家を紹介する特集記事を担当した際、ギャラリーを開くヒントを得たと父は言っていました。
30年前の沖縄には画廊は殆どありませんでしたし、ビジネスとして成立するという確信もなかったと思います。
でも、父はアートの力を信じていたし、何より好きだったのでしょう。
沖縄の作家を世界へ送り出す一翼を担いたいという気持ちも強いようです。
家の中には普通に彫刻や絵が飾られていましたし、私自身も小さい頃は制作することが好きでした。
5歳くらいの時に自分で絵本を作っていたくらいです」
しかし小学生のとき、美野さんがその後アート制作を避ける原因となる出来事がおこった。
「学校で『赤瓦の風景』をテーマにスケッチ大会が行われたのですが、私は屋根瓦を赤ではなく様々な色に塗りました。
カラフルな方がいいと思ったし、素敵な作品に仕上がると思ったのです。
でもその絵は誰からも評価されず、大きなショックを受けました。
私の渾身の作品だったからです。
その出来事以降、絵を描くことが怖くなった気がします」
その後歴史に興味を持ち、大学卒業後に上海へ留学して歴史学を専攻したが、小さい頃からそばにあったアートへの思いが完全に消えてしまったわけではなかった。
「当時は中国アートバブル前夜のようなかんじで、今ほど活気はありませんでしたが、人気の画廊に足繁く通い、画廊主と仲良くなりました。
画一的に統制された中国の社会思想の中で生まれる自由な表現を目の当たりにし、だんだんと興味が湧いたんです。
いつか沖縄の作家の作品展を中国で行えたら、などと考えるようになりました。
もちろん、父の仕事を手伝いたいという気持ちも根底にあったと思います」
帰国後、美野さんは画廊を手伝うようになったが、結婚、出産を機に働き方を見直すことになった。
「仕事、育児、家庭の間でいっぱいいっぱいになっていたんですね。
色々と考えるところがあり、1年間だけ勤務時間をフルタイムから13時までに変更してもらうようお願いしました。
夕方まで預かってくれる保育園をやめさせ、14時に帰宅する幼稚園に入園、午後は子どもとしっかり向き合って過ごすことにしたのです。
その1年を経てはっきりしたのは、主婦の仕事はやっぱり立派な仕事であるということ、そして自分はやはり社会と関わっていたいということでした」
一生懸命なときこそ、俯瞰して広く見渡すことが大事だと美野さんはいう。
「毎日が選択の連続ですから、本当にそれが自分にとっての最善かどうかを見極めなければなりません。
今でも毎日のように迷いますし、何が良いのかという価値観自体も変化しますが、画廊の仕事に10年間携わってきて見えてきたこともたくさんあります。
今はアートに関わる仕事から離れることは考えられないですね。」
「ずっと目指しているのは、生活のなかでアートを楽しみ、豊かに暮らすというスタイルを提案できる人になること。
また、いつか中国でも展示会を行いたいという夢もあります。
でも、『この夢は必ず実現させるぞ〜!』って、こぶしをあげて息巻くような感じではないんです。
昔はそうだったんですよね、だからいつも焦っていました。
仕事以外のことに時間をとられて思うように進めないとジレンマを抱えていましたが、最近はとてもゆるく考えるようになりました。
どんなことでも自分が選んだことだから後悔しない、と。
今は自分にとっては種まきの時期。
10〜20年後には子育ての経験が生かされ、いい意味で女性らしいモノの見方、社会との関わりがもてたらいいなと思います」
場所:「豊里友行展」会場の画廊沖縄
美野さんは幼い頃も今も、両親からアートの道に進むよう言われたことは一度もないと言う。
学生時代や人生の節目にアートから距離を置いたこともあったが、美野さんはその都度、自ら道をたどって戻ってきた。
仕事に対して誇りを持ち、常に上を目指すその姿勢は、強い信念を持ってアートを追求する両親の熱い血を継いでいるからこそなのだろう。
ひたむきな美野さんの挑戦は、これからも続いていく。
画廊沖縄
南風原町神里373
098-888-6117
HP:http://www.galleryokinawa.com
2012.05.30
@おもろまち
2012.05.29
石津ちひろ・詩 植田真・絵 理論社 ¥1,300(税別)/OMAR BOOKS
― 世界の端っこに ―
大きく広がる白い地面に、飛んでいるかもめ(たぶん)。
遠くの切り立った崖の上には小さく明かりの灯った灯台が立っている。
黒い空には煙のような薄い雲。
表紙の絵の、日本ではなく異国のような風景は見る人をどこか遠くへ誘う。
今回紹介するのは、左中央に金色で『ラブソング』と慎ましく打たれた、小さなこの詩画集です。
絵本作家で「リサとガスパール」シリーズの翻訳も手がけている石津ちひろさんの繊細な詩に、透明感あふれる絵が魅力のイラストレータ-・植田真さんの絵が並ぶ。
まず表紙の灯台に目を引かれた。
灯台と言えば海の端にあるもの。
先日も端っこが好きという方にお会いしたばかりで、だいぶ前にお客さんで灯台と名がつくものや絵や写真が入ったものを集めているという灯台コレクターもいらした。
周りにも灯台好きがいたりするから、人は「世界の果て」みたいな場所に魅かれるところがあるんだな。
そこには何があるんだろう、という好奇心と
この先はもうないという安心感などがあるのかもしれない。
ページを開くとなだらかな細い線で描かれた丘の上に少女なのか少年なのか、大人なのか子どもなのか分からない人物がぽつん、ぽつんと佇んでいる。
彼らのつぶやきのような言葉がそれに重なる。
「あるく」というただ何をするでなくひたすら歩くだけという詩や、「シリウス」という孤独がきらっと光るような詩などが35編収められている。
気分のいいときにメロディを口ずさむように、それらは紙の上を滑るように流れていく。
その上を、下を、自由自在に飛翔する白い鳥たちがいくつも描かれているのを見ているうちに、ほんの少しいろいろなことから解放されるような気がしてくる。
忙しい仕事の手を休めてこの本を開いてみてほしい。
束の間でもせわしない日常から解き放たれる時間を味わえるはず。
誰もが心の隅に持っている心象風景のような絵本。
ちょっとひと休みして、世界の端っこに行ってみませんか?
OMAR BOOKS 川端明美
OMAR BOOKS(オマーブックス)
北中城村島袋309 1F tel.098-933-2585
open:14:00~20:00/close:月
駐車場有り
blog:http://omar.exblog.jp
2012.05.29
@おもろまち
2012.05.28
@豊見城市
2012.05.28
庭づくりにも力をいれている。
「敷地に対する建物の面積を多少小さくしてでも庭をつくることをお勧めしています。庭をしっかりつくり込めば、外に出ても楽しい時間が過ごせるので、家の一部になります。
家の中を見るのと同等の価値観で家の外も重視し、中と外はセットで計画するようにしています。
石積みの仕事をしていたくらいですから、もともと造園も好き。
だけど、十分な経験や知識がないので困っていたときにHADANAさん(関連記事:HADANA(ハダナ)・葉棚達也 沖縄のくらしに合う「引き算の造園」を提案)に出逢ったんです。
正直、『よっしゃー!』という気持ちでした(笑)」
「誰にとっても完璧な家を建てようと思うと相当の金額が必要。
でも自分たちが住む家ですから。
自分たちにとっての心地よさを追求し、これはなくてもいい、あれはグレードを下げても問題ないと引いていけば、住むひとにとって最高の家を金銭面でも無理なく建てられると思うんです」
土地を買って家を建てるのは限られたひとにしかできない選択だと、どこかで思っていた。
また、新築するなら誰からも文句を付けられない、パーフェクトな空間にしなければならないとも。
しみひとつない壁、きずひとつない床、グレードの高い床材…
自分たちにとって心地良い空間をつくるのに、それらは本当に必要なものか?
仲地さんとならとことん追求できる。
万人にとってではなく、私にとっての「良い家」を。
写真・文 中井 雅代
LITTAI space works
名護市字大川31番地
tel/fax 0980-51-9027
masaki427@hotmail.com
ブログ http://littai03.ti-da.net
*仲地さんの家を実際に見たい方はお電話またはメールにてお問い合わせください。
HADANA(ハダナ)
宜野湾市赤道1-4-8
080-5339-7014
fax : 098-893-8578
http://hadana-g.com
ブログ:http://hadana.ti-da.net
2012.05.27
@豊見城市
2012.05.27
面白かった!!原作は読んでいませんが、脚本がしっかりしているのか、すごく面白かったです。
宇宙って私も昔からひかれるテーマであります。
兄弟で宇宙って実現するのか?
小栗旬ではかっこよすぎる、という前評判もありましたが、私は原作読んでいないのでなかなかよいと思いました。
岡田将生はスクリーン上ではかっこいいんだけど、最近、トーク番組でよく見る話のつまらなさに重ねて見てしまって、せりふだから仕方ないのに「つまらないジョークだなあ」などと思ってました。
英語のせりふが多くて、一生懸命しゃべってましたよ。
両親が素敵で、こういう風に自由にのびのびとさせてくれたらこんなスケールの大きな子供たちになるんだろうな、と思いました。
宇宙飛行士に選ばれるまでって本当に過酷なんだなあ。
日本人の宇宙飛行士のみなさんも本当に素敵な人たちばかりなのも納得。
夢は強く願えば実現する。
もちろん努力も行動力も必要。
フロリダのケネディスペースセンターでロケもやっていて映像はかなり本格的です。
日本人宇宙飛行士の野口聡一さんと、伝説的な宇宙飛行士であるバズ・オルドリンが本人役として特別出演しています。
宇宙、、、夢とロマンと情熱。いいじゃないですか。
この時代に、必要な映画だと思います。
劇場で是非。
KEE
<ストーリー>
子ども時代に、宇宙飛行士になることを誓い合った兄弟ムッタとヒビト。
時は過ぎて2025年、弟ヒビト(岡田将生)が夢をかなえて宇宙飛行士となった一方、兄ムッタ(小栗旬)は会社を解雇され意気消沈していた。互いに違った道を進んでいた兄弟だったが、弟からの連絡をきっかけに兄はかつての夢を実現させるべく再び宇宙飛行士という目標に向かって進み始める。
<キャスト>
南波 六太(なんば むった) – 小栗旬
南波 日々人(なんば ひびと) – 岡田将生
母- 森下愛子
父 – 益岡徹
星加 正- 堤真一
真壁 ケンジ- 井上芳雄
伊東 せりか- 麻生久美子
古谷 やすし – 濱田岳
福田 直人 – 塩見三省
溝口 大和 – 新井浩文
<沖縄での上映劇場>
シネマQ
098-951-0011
那覇市おもろまち4-4-9 那覇メインプレイス2F
HP:http://www.startheaters.jp/cinemasq
MIHAMA 7 PLEX+ONE
098-936-7600
中頭郡北谷町美浜8-7
HP:http://www.startheaters.jp/mihama7plex
2012.05.26
@豊見城市
2012.05.25
@豊見城市
2012.05.25
平和の「和」、和食の「和」。
「和」という字は「禾」のぎへん=イネ科の食べ物を「口」にすると書きます。
穀物中心の食生活、和食をしていれば自然と心は平和になり、
人と人との輪が生まれ、良いつながりの環が世界の調和を生むことを、
昔の人は知っていたんでしょうね。
戦争に負けた日本はアメリカの小麦政策によって、
食生活が大きく変わってしまいました。
世界的に見て、こんなに短期間に食生活が激変した民族は
日本人くらいだそうです。
お米は日本人にとって神様からいただき神様に捧げてきた神聖な食べ物。
一粒のお米からおよそ1000粒のお米ができ、
アワやヒエといった雑穀一粒からは3000粒ができる。
穀物はいのちが詰まったエネルギーいっぱいの食べ物なんですね。
お米をよく噛んでたくさん食べれば霊性が高まる。
「噛み」は「神」に通ずと言います。
アメリカーは知っていたのかもしれません。
日本人の霊性をこれ以上高めたくない。
お米を食べさせないようにしよう!と。
そう言えばアメリカは「米国」ですね。
米国人が米を主食にしたら世界はきっと平和になるはず~。
お米をいっぱい食べようとしたら、
おやつの中にもお米を入れてゆく必要があります。
前回作った甘酒アイスクリームのタネを使って、ドーナツを作ってみました。
めちゃくちゃ簡単です。
お試しあれ☆
「玄米甘酒ドーナツ」
<材料>
前回のアイスクリームのもと 70g
小麦粉 70g
ベーキングパウダー 小さじ1/4
塩 少々
揚げ油 適量
<作り方>
1 甘酒と島豆腐のアイスクリームを作る。前回の作り方を参照。
2 ①に小麦粉とベーキングパウダーをふるいにかけたものと塩を加える。
3 リング状にして160~170度の油で2~3分ほど揚げれば出来上がり~☆
*甘酒はコゲやすいので、低めの温度で長く揚げるのが中まで火が通るコツ。
Text by 中曽根直子(浮島ガーデン フードデザイン)
浮島ガーデン
那覇市松尾2-12-3
098-943-2100
open:14:00~24:00
close:火
HP:http://ukishima-garden.com
ブログ:http://ukishima.ti-da.net
2012.05.24
@豊見城
2012.05.23
沖縄県内で開催されたとある市で、帰り際にあたふたとカフェラテを買い求めた。車中で飲むつもりだったが、一口飲み、その喉ごしの良さに思わずごくごくと飲み干してしまった。
喉にひっかかるような渋みや苦みがまったく感じられないのに、芳醇なコーヒーの味わいはしっかりと後味として残る。こっくりとした牛乳の甘みに濃厚なコーヒーの香り。両者のおいしいとこどりのカフェラテ。
沖縄セラードコーヒーの消費量は1日にコーヒーカップ約3000~4000杯、豆に換算すると1ヶ月約1トンにものぼるという。
「主にオフィスコーヒーを取扱っていて、お取り引き先として一番多いのは県庁や各市町村の庁舎といった官公庁なんです」
末吉業人(なりひと)さんは語る。
エスプレッソをマシンで抽出
ミルクをたっぷり注ぐとカフェラテ、少なめにするとマキアートに
「ご契約いただいた部署に業務用のコーヒーメーカーを無料で貸し出します。定期的にお伺いし、在庫がなくなったらその都度ご注文頂くというスタイルです。コーヒーメーカーが故障したら無償で直しますし、ガラス容器が割れたら新しいのものをお持ちするので、頂戴するのは純粋にコーヒー豆のみの代金ということになります。コーヒーに対する価値観も好みもそれぞれなので、人によって温度差が激しいですね。飲めれば良いから安い市販品で十分というひともいれば、こだわりがあって当店の豆をご希望くださるひとも。オフィスコーヒーとしてお出ししている豆は『セラードブレンド』がメインですが、違う種類の豆をご希望いただくこともあります」
オフィスコーヒーとしての評判は上々だ。
「香りがすごくいいと褒めて頂くことが多いです。また、『セラードのコーヒーを淹れるとみんなの飲むペースが早いので、もったいなくて朝イチと食後にしか淹れないんです』なんて話をきいたこともありますね(笑)」
創業者である業人さんの父・業久社長がセラードコーヒーを始めたのは25年前。その前は呉服屋を営んでいたという異色の経歴の持ち主だ。
「呉服屋の世界に入ったのは20歳のころ。26歳に独立して35歳までやってたからね、コーヒーと同じくらい、呉服の専門知識もあるよ(笑)。衣の世界から食の世界へと移ったのは、兄がブラジルに移民していたということもあるんだけど、将来息子たちにお店を残してやりたいという気持ちが大きかった。僕の父はパイナップル工場をやってたんだけど早くに亡くなって、僕たち子供には何も遺せなかったからね」
迷いなく転身したのには、他にも理由があった。
「あくまでも僕の場合だけど、衣類販売は正直だと失敗する。ごまをすらないといけないこともあるし、販売の技で勝負する世界であると思うわけ。でもコーヒーは味で勝負でしょ。だからこっちがいいと思った。僕の商売の信条は正直であること、嘘つかないこと。でも、どんなに真面目にやっても最初の10年は地獄だったよ」
なにもわからない状態のままセラードコーヒーを立ち上げて喫茶店から始め、3年後にオフィスコーヒーの形態で卸しを始めた。オープン当初には同様のコーヒー販売店は県内にもう一店舗しかなかったが、徐々に競合も出始め、戦いの日々が続いた。それでも業久社長は自分の信条を貫いた。
「経営やるひとはごまかしはだめさーね。どんな会社でも店でも一緒、ごまかしている人はちょっと話したらわかるよ。この人はちょっと中途半端だなーとか、お客さんに感謝してる顔してないなーとか、経営の姿勢が見えるさーね」
真面目で一本気、ごまかしのない業久社長の経営方針と確かな味が評判を呼び、セラードコーヒーの愛飲者の数は着実に増えていった。
3年前、次男である業人さんが本土から沖縄に戻り、長男の業充さんとともに店を手伝うようになった。
http://beansstore.jp
「それまでは福岡や大阪などにいましたが、いずれは手伝いたいとずっと思っていました。
子供のころからコーヒー牛乳にして飲んだりと、コーヒーにも馴染みがありましたね。小さい頃の思い出はコーヒー豆の選別作業。焙煎した豆の中から、できの悪い豆を手作業で取り除くんです。小学校4~5年生くらいの頃からやっていましたね。ものすごい量があるので、食後で眠たくなりながらも家族みんなで黙々とやっていました。子供ですから『やりたくないな~』っていう雰囲気は一応出してはいたんですけどね(笑)。父も一緒でしたから、やらないとしょうがなくって。すべての豆に選別作業が必要なわけではないんです。エチオピアの豆に多いのですが、未成熟豆、または死に豆と呼ばれていて、色が薄いものが時々混じっているんです。これを残したまま淹れると渋みやえぐみが出てしまうので取り除く。この手の豆は豆自体のランクはそれほど高くないのですが、選別作業をすることで味が変わり、とてもおいしいコーヒーができるので、面倒ではありますがひと手間かけるようにしています。もちろん今もやってますが、従業員もいるので家族の作業ではなくなりましたね(笑)」
幼い頃から慣れしたしんだコーヒーの世界で働くようになり、業人さんはすぐに一つの願望を抱くようになった。
色の薄い豆がちらほら見える
「当たり前のことですが、うちのコーヒーは本当においしいという自信があるんです。すでに相当数の方が飲んでくれてはいるけれど、官公庁での販売がメインなので、『知らない』『聞いたことがない』という個人の方は多いんですね。毎日焙煎しているので、時には近隣にお住まいの方がその香りを頼りに当店を探しに来てくださることもあって。そういうとき、通常営業だとばたばたしてしっかりお相手ができないのがずっと残念だったんです。ちゃんとお話もできないし、『とりあえずこれを飲んでみてください』というくらいで。ですから、お客様にじっくりコーヒーを楽しんで頂き、またコーヒー通な方も知らないようなことをゆっくりお話できたらいいなと思い、カフェスタイルの営業を始めたいと思うようになりました。販売するというよりも、コーヒーと当店のことを多くの方に知ってもらえたら良いなという思いで」
業人さんは各地で行われる講習会に参加したり、関係者に意見を求めたりと試行錯誤しながら勉強を積み、コーヒーを焙煎する技術を磨いた。
「自分でも納得できる味になってから、土曜日にカフェスタイルの営業を始めました。今は金曜日も行っています」
焙煎にもこだわっている。
「豆の状態もまわりの状況も毎日必ず変化があるので、その都度焙煎の仕方を変えます。とても微妙な世界なので、ほんのわずかな調整の違いでも味に違いが出てくるんです。最も気をつけているのは、芯までしっかり焼いてあげること。表面だけ焼いて中まで火が入っていないと豆の生臭さが残ってしまうので良くない。また、スペシャルティーコーヒーなどのランクの高い豆は質が大きく変わってくるので、豆ごとに焼き方を調整しています」
「ブレンドだと右が300g入りで1,050円、左が500g入りで1,450円なので1杯あたり19円くらい。うち、高くないんですよ(笑)」
個人客を大切にしたいという思いは、他のかたちにも表れている。
「ご自宅まで配送するサービスも行っています。担当が曜日と大体の時間を決めて県内を配送してるので、その日時に合わせて頂けたら県内全域どこでも、1袋から宅配しています。個人でも20年くらいずっと注文してくださってる方もいますよ。さっきも名護にお住まいの方から電話があり、『そちらのコーヒーを貰ったので飲んだらおいしかった、どこで購入できますか?』と。ちょうど今日、兄が名護に行く予定だったので『お持ちします』と」
浦添から遠い地域に住む人や忙しい人には嬉しいサービスだ。
「ただ、宅配だと注文いただいた豆しかお持ちできないので、色々試してみたいという方はぜひ金・土曜日にお越しいただきたいですね。豆についてお話もできますし、実際に飲んでお好きな味を試すことができますから」
昨年からはコーヒーの栽培も始めた。
「祖父がパイナップルを作っていた畑のある山が名護にあるのですが、使っていなかったので森になってたんですね。去年の6月から手を入れ、木を伐採し、ユンボで耕して土をならし、2月に苗を植えました。もともと、店の庭にコーヒーの木が二本あって、それになった実を焙煎して飲んだら思いのほかおいしかったんですよ(笑)。だから、沖縄でも予想以上にいい豆ができそうだねという話になって。収穫まで約3年かかるのですが、もう花が咲いているようです」
すでに800本ほどの苗を植えているが、1000本以上は植えたいと意気込む。
「数年後にはショップもオープンさせたいなと思っているんです。もっと多くの方に、いつでもうちのコーヒーを楽しんでいただけるように」
本土にいるとき、業人さんはダンスに没頭していた。その生活に別れを告げ、コーヒーの世界の門を叩いたが、夢中になったダンスにはまったく未練はないという。
「自分がダンスを職業にするのに向いてなかったということもありますが、コーヒーの奥深さ、おもしろさが僕の予想を遥かに上回っていたんです。だから今が楽しい。他のことをやりたいとは思いません」
業人さんが席を外すと、業久社長が。
「今は息子たちに任しているさ。カフェスタイルの営業をやりたいと言ったときも『いいんじゃないか、やりなさい』とすぐにOKしたよ。これたちがしっかりやってくれるから安心」
業久社長が事務所に戻ると、業人さんが。
「今も営業成績トップは父。
ああ見えてやり手なんですよ(笑)。尊敬しています」
「家族に店をのこしたい」という社長の思いからオープンした沖縄セラードコーヒー。いまや多くの県民が職場で、家庭でそのコーヒーを飲み、ほっと一息をついている。ごまかしのない一本気な経営スタイルはこれからもきっと受け継がれるが、業人さんらの新たな挑戦が後押しとなり、その可能性と展望は未知数だ。
「セラード」とはブラジルの地名。元は熱帯のサバンナ地域で、農地として使用できないほどの荒れ地だったが、日本から渡った移民が開拓、大豆やトウモロコシなど多種多様の植物が育つ豊かな農地に生まれ変わった。
「セラードのように無限の可能性がある会社にしたいと父が名付けたんです」
長年に渡って支持され続けるその味を、ぜひ一度試してほしい。今までもこれからも、進化し続けるそのコーヒーを。
写真・文 中井 雅代
沖縄セラードコーヒー
浦添市港川2丁目15番5-27号
098-875-0123
0120-44-7442(フリーダイヤル)
OPEN:8:30-17:00
CLOSE:土、日、祝日
ブログ:http://okinawaserado.ti-da.net
通販:http://okinawa-cerrado.com
※2015年 現在は焙煎・販売のみ。
カフェは隣接のビーンズストアにてお楽しみください。
OKINAWA CERRADO COFFEE
Beans Store(ビーンズストア)
浦添市港川2丁目15番6 No.28
0120-447-442
営業時間:12:00-18:30
定休日:火、木、祝日
HP http://beansstore.jp
2012.05.23
@西原町